いまとここを説明する「歴史」――西ティモールの橋と首と兄弟

私は、インドネシアの西ティモールで文化人類学の調査をしている。貧しい農村から町へ出稼ぎに来ている人々の仕事と生活を追い、彼らが異なる正しさをもつふたつの経済(売買の経済と贈与の経済)を行き来することで、「市場経済からの自由」を維持しながら生活するさまを明らかにしようとしてきた。

 

調査の過程で、彼らの村の歴史について情報を整理しようと思い、「あの人ならばすべての歴史を知っている」と友人に紹介された老人たちの元を訪ねたことがあった。彼らが幼いころには村で洋服を着る者がごく限られており、10代の子どもでも裸がふつうだったこと、現在ならば1時間ほどで行くことができる最も近い町に数日がかりで歩いて行ったこと、自動車が通行可能な道路が整備されて、町に出稼ぎに出る者が増えていったことなどを聞くことができた。

 

だがこうした機会には史実に照合しようのない神話めいた物語が語られて、しばしば戸惑うことがあった。本稿では、そのような歴史の物語の事例を紹介し、そのうえでなぜ彼らがそれを語ったのかを考察してみる。

 

 

橋の出現: インドネシア、西ティモールと開発援助

 

 

「あの橋の柱の根元には、首が埋まっているのだ。」

 

 

メヌの橋

メヌの橋

 

その橋は、ティモール島南岸のメヌという場所に架かっている。インドネシアに対する日本政府の無償資金協力によって建設されたものであり、10数本の鉄筋コンクリートの柱が整然と2列に並び、全長260メートルの橋を支えている。西ティモールにおいてはその規模、構造、建設費用のどれもが異例であり、2年以上の工期をかけて2008年3月に完成した姿は、きわめてインパクトの強いものだった。

 

インドネシアでは、広大な国土における地方の低開発の問題への対策として、海外資金によるインフラ整備事業が進められている。メヌの橋はそうしたひとつである。日本の外務省は、「西ティモールが位置している東ヌサ・トゥンガラ州はインドネシアでも最貧の地域のひとつである。西ティモールの道路は、雨季の河川の増水と頻繁に起こる土砂災害によってしばしば寸断されてしまう。メヌ橋の建設が円滑な渡河を可能にすることで、西ティモール全体の物流は改善し、住民の生活は向上する」としている。

 

西ティモールの住民の大半は、限られた都市部を除くと、丘陵地帯に点在する農村に暮らしている。現金収入を求める農民たちは、限られた農作物を市場に売りに行くほか、都市に出稼ぎに行ってさまざまな賃労働をこなしたり、国内の他の島やマレーシアのアブラヤシ農園で肉体労働に従事したりしている。メヌの橋は、人々のこうした生活と移動の改善を期待されて建設された。

 

メヌの橋から30kmほど離れた丘の上に、私の友人の多くが暮らしている村がある。橋の建設が進むちょうど同じ時期に、この村でもバイクと携帯電話が急速に普及した。しかし電力は依然として届いておらず、開発は西ティモールでもかなり遅れている。換金作物の栽培は厳しい環境のために難しく、男性の多くは生活に必要な現金を稼ぐために村と町とを頻繁に行き来して、村での畑仕事と町での廃品回収業などの賃労働をこなしている。

 

「すばらしいテクノロジーの国」であり「先進国」である日本が進める巨大な橋の建設工事は、この村でも話題となった。見慣れない車両が建設現場に向かって村の中を走り抜けて行く様子や、「黄色いヘルメットをいつも被っている」という日本人の姿、仮設の小屋が建ち並び物売りが集まってにぎわう建設現場の様子などが口々に語られた。それらとともに「首」のことが語られた。

 

 

「橋の柱の根元には、人間の首を埋める必要がある。首を使わずに建てられた橋や建物は、どんなに注意深く建てても頑丈にはならず、すぐに崩れてしまう。橋を建てるときには、必ず人間の首を使わなければならない。当然、あの橋にも首が使われている。」

 

 

メヌの橋にある記念プレート。色が落ちているが、日本とインドネシアの国旗が並ぶ。

メヌの橋にある記念プレート。色が落ちているが、日本とインドネシアの国旗が並ぶ。

 

 

西ティモールと首狩り

 

西ティモールにおける首狩りは、19世紀に内陸部で王国同士の激しい戦いがあった時期に盛んに行われたが、20世紀はじめにオランダ植民地政府によって禁じられ、やがて行われなくなったはずだ[McWilliam 1994, McWilliam 2002: 129-157]。しかし村人たちは、メヌの橋を建設するためにはやはり首を埋める必要があり、実際にそれが行われているという。これについてより詳しいことを語る者があった。

 

 

「ああいった大きな橋を建てるためには、必ず首が使われなければならない。ただし、完成した橋をもしその首の持ち主の親族が渡ろうとするならば、たちまち橋は崩れ落ちる。だから、親族が通る恐れのない者の首を使わなければならない。」

 

 

村の遠景

村の遠景

 

私は、そのような条件を満たす首をそもそもどこで手に入れるのかと尋ねた。かつては戦士たちが敵国に攻め入り首を狩ったのだろうが、現在の西ティモールの事情はだいぶ違う。道路網も当時に比べればずいぶん整備され、島内におけるバスやバイクでの長距離移動は特別なことではなく、人々の行動範囲はそれなりに広い。親族がこの橋を通る恐れのない首が必要だというなら、それをどこで手に入れるというのか。

 

 

「島の外から運ばれて来るのだ。」

 

 

これがその答えだった。広大な領土をもつインドネシアにおいて、遠く離れた島からこの西ティモールまで、さらにその僻地といえるこの地域までやってくる人間は今でもかなり限られる。だから、遠く離れた別の島で首を狩ればよいというのだ。「ありえない」と、私と同じくこの話に納得できずに聞いていた者が言った。

 

 

「メヌの橋にいったい何本の柱があるか、考えてみろ。柱のすべてに首を使うとすれば、20近くも必要だ。大きな騒ぎも起こさずに、それだけの首を狩ってここまで運んで来ることが、いったい誰にできるのか。」

 

 

しかし、彼の異議は直ちに否定された。

 

 

「これはインドネシア政府がやっているプロジェクトなのだ。政府ならば、そのくらいのことはできる。政府から特別な許可を得た人間がやっているのだ。だから彼らは、秘密のうちに必要な数の首を狩って、運んで来ることができるのだ。」【次ページにつづく】

 

 

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