2017.02.09

「地域アート」と共同体――芸術の固有の領域とは何か?

田中功起(アーティスト)×杉田敦(美術批評)×藤田直哉(SF・文芸評論家)

文化 #地域アート

『地域アート 美学/制度/日本』は、評論家藤田直哉の「前衛のゾンビたち 地域アートの諸問題」という論考を出発点に、アーティストやキュレーターとの対話や研究者の論考を編んだ書籍である。

「地域アート」を考えるとき、アートが乗っかる土台としての「コミュニティー」にぶち当たる。芸術が、共同体や社会、政治にアプローチするときの「芸術性」とは一体何なのか。芸術にしかできないこととは。『地域アート』編者の藤田直哉氏と、アーティストの田中功起氏、美術批評の杉田敦氏が語った。2016年4月10日のナディッフアパート(東京・恵比寿)での2週連続トークの1回目を構成して採録。(構成・撮影/長瀬千雅)

「前衛のゾンビたち」執筆のきっかけと問題意識

藤田 日本では、越後妻有大地の芸術祭(2000年〜)や、瀬戸内国際芸術祭(2010年〜)のような、ある地域で行われるアートプロジェクトが多数開催されています。そこでは、コミュニティーを活性化するという目的で、「リレーショナル」や「参加型」といった現代アートの技法が使われている。その構造変化を批評的に分析するにはどうしたらいいかということを考えて、「前衛のゾンビたち——地域アートの諸問題」という評論を書きました。2014年の秋に「すばる」という文芸誌に載ったのですが、反響が大きく、それを受けてこの本(『地域アート 美学/制度/日本』)を作ることになりました。

「地域アート」という用語についてですが、僕は、ある地域の名前を冠して行われる芸術祭を総称する名称として「地域アート」という言葉を使っています。

田中功起さんとは、『地域アート』の中で、キュレーターの遠藤水城さんと3人で鼎談をさせていただいています。その鼎談で僕は、アートが地域振興などの目的で使われると芸術としての自立性が保てないのではないかという問題意識を投げかけています。「美」の中心が、造形的な美しさから、コミュニケーションとコミュニティーの造形に移っていっているのではないか。でもそうなると、ソーシャルデザインのような領域と芸術の区別がつかなくなるのではないか。芸術の固有の領域、僕はそれを「美」と呼んでいるんですが、それをどう保てるのか。そういう問題意識がありました。

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左から、藤田直哉さん、田中功起さん、杉田敦さん

杉田敦さんと「地域アート」との距離

田中 僕が、この鼎談に杉田敦さんをお招きすることを提案したのですが、それは、杉田さん自身の今までの活動に「地域アート」を相対化する視点が含まれていると思ったからです。国内における「地域アート」の始まりに位置づけられる越後妻有アートトリエンナーレでは杉田さんの企画によるプロジェクトもありました。近年の国際展においてかなり特殊な企画であった、バカルギエフが両方のディレクターを努めたドクメンタ13(*)とイスタンブール・ビエンナーレ(*)、いずれも見ていますよね。また、アーティストとの協働も含めた、都市の中での独自の企画も多数行っています。

*ドクメンタは、ドイツのカッセルで開かれる現代美術の国際展。1955年から5年ごとに開催され、2012年夏に開かれた「ドクメンタ13」の芸術監督はキャロライン・クリストフ=バカルギエフ(1957年、アメリカ生まれ)が務めた

*1987年からイスタンブールで隔年開催される現代美術展。ここではキャロライン・クリストフ=バカルギエフがディレクターを務めた第14回を指す

杉田 2009年に越後妻有に参加したときから、地域系アートプロジェクトというものにどう関わればいいのかを考えていました。そのあと、土湯で行われたアラフドアートアニュアルに参加したときは、「『地域アート』に関わるときに最もやってはいけないことをやろう」と思った。(地域系アートプロジェクトでは通常その地域を訪れたり滞在したりして制作するが)「その地域に行かない」とか。

で、実際に行かなかったんですね。東京でイベントをやったんです。しかもわざとディレクターを招かなかった。それは僕がひねくれているからではなくて、その時期にはもう、アーティストたちが地域系アートプロジェクトに対して自覚的に距離を持ち始めていました。

だから藤田さんの「すばる」の論文が出たときは、まったく新しい見方が提示されたというよりは、むしろ、みんなが感じていたものが文章になってパッと出されたという感じだったと思います。

僕にとって大きかったのは、マニフェスタ7(*)の経験です。第7回の2008年のマニフェスタは北イタリアのトレンティーノ=アルト・アディジェという、言ってみれば越後妻有のようなところで開催されたんですが、ライナー・ガナール(Rainer Ganhl)という作家のチームが、すごい田舎の一軒家で展示をしていたんです。そこには、その村で採れる虫とか、その村で採れる染料で染めたなにかとか、いかにも地域系のアートっぽいものが置いてある。で、最後にいちばん上の部屋に行くとカラオケが置いてあって、ミラーボールがあって、映像が流れている。その映像を見てると、壁には「ああ、早く都会に帰りたい」って書いてあったりするんです。

*マニフェスタは、2年に1度ヨーロッパの都市で開催される現代美術の国際展。第1回は1996年、ロッテルダム(オランダ)で開かれた

一同 はははは。

杉田 アーティストは地域におもねるようなものをやりがちなんだけど、そうではなくて、その、都会人の自堕落でダメなところをこそ、見せないとダメだなと強く思ったんです。

杉田敦さん
杉田敦さん

「俺は本気出してないだけ」?

田中 藤田さんが「すばる」に論考を発表されてから本が出るまで1年半経っているわけですよね。最初に「地域アート」について批判的に感じていた部分はどう変化していきましたか。つまり「アートにとって固有の表現とは何か」ということが変わらずに興味の対象にありますか。

藤田 「前衛のゾンビたち」の論考では、「現在の日本で行われているアートが、過去の運動(注:1968年を頂点とする前衛運動)を自身の正当化の根拠のようにしながら、結局は、国策の一環であるかのような「地域活性化」に奉仕してしまって、閉じていく現状」に疑問を呈しつつ、「美」や「芸術固有の価値」を擁護する論調としました。

興味の対象は未だに変わっていませんが、編者として本を作る過程で認識が変化した部分もあります。今でもダメなものはダメだと思っていますよ。「みんなで田植えしましたおめでとう」みたいなのは違うんじゃないかと思うし、若いアーティストやボランティアを搾取しているようなものはどうかなと思う。ただ、それまで僕自身が感受できていなかったものがあるということがわかった。

いろんな作家さんと出会って話を聞くと、作品の中に、苛立ちや皮肉、批評性を込めている。だけど微小な込めかたなので多くの観客は気づかない。そういう部分に、僕の目が良くなっただけではなくて、作家さんたちが声を出して明言していただけるようになったので、僕自身の認識が変わった部分は大きいです。

杉田 ひとつ質問なんですが、アーティストが「地域アート」の枠組みで地域の問題と関わらなければいけないとなったときに、花を植えるでも田植えをするでもいいんだけど、プロジェクトがそういうものになってしまうことがある、と。それに対する批判というのは、「それってクリエイティビティーを希釈したかたちでその場にインストールしてるだけなんじゃないの?」という言い方もできますよね。

藤田 そうですね。

杉田 それは半ば正しいような気もするんですが、でも問題をはらんでいて。つまりその言い方だと、「アーティストにはもっと濃厚なものがある」ということを前提にしてしまう。でも、じつはそんなものはないのかもしれない。もともと希釈したようなレベルのやつじゃん。ということはないんですか?

藤田 そこは迷うところなんですよね。あらかじめ「濃厚」と呼べる作品を作っている作家が地域に入って作風が変わったら「薄まった」といえるかもしれない。しかし、最初からそのような場所で活動をしているような若い作家の場合、「濃厚」「希釈」の判断がつかない。

藤田直哉さん
藤田直哉さん

杉田 こういった批判が出たときに、まず一回通過しなければいけないのは、その批判的な言説や疑問が結果として彼らの正当化の方便になっていないかということです。

たとえば、一般的な経済活動で生業(なりわい)を作っている人から見れば、芸術家なんてあぶく銭で生きているようなものですよね。一方の芸術家は、本来のクリエイティビティーを発揮する場を与えられるのだから経済的には多少恵まれなくてもいいという意識がある。でも、その両方の意識が、お互いのためになっている。

要は、「地域系のアートってこうだよね」とみんながぼやっと抱いている疑問が、じつはアーティストにとっても自分自身の活動を保存するための方便になっているところがあるような気がするんです。「地域系あるよね、そこでは本当にやりたいことはできないけど、俺にはこっちにやりたいことがある」みたいなことを暗黙のうちに仮定してしまう。本当はそんなものないかもしれないのに。

藤田 「俺、いつか本気出すから」みたいな。

杉田 そうそう。

藤田 「俺が本気出せば金なんか出る」みたいなことですよね。批判がそのように機能してしまいかねないというご指摘は、重要かもしれませんね。

杉田 僕は、地域系のアートですごくクリエイティビティーを感じたことが一回だけあって、徳島県の神山町(かみやまちょう)なんですが、何がすごいかというと、神山町の人たちがすごいんです。神山町は1999年からアーティスト・イン・レジデンス事業を行っているんですが、その前に日本で最初にアドプト・プログラム(*)を取り入れているようなところなんです。神山はものすごい田舎町なわけですが、それらを運営しているNPO法人グリーンバレー理事長の大南信也さんは、スタンフォードの大学院を出ていて、それらをアメリカから輸入してインストールするんです。

 

*アドプト・プログラム(adopt program)の嚆矢は、1985年にテキサスで始まったAdopt-A-Highway Programとされる。市民団体や企業が里親となってハイウェイの一部の区間を「養子」として引き取り、清掃や緑化などの面倒を見る。見返りとして道路脇に「里親」の看板等が掲げられる

アーティスト・イン・レジデンスのやり方もすごくて、たとえば、一度なんて、経済的な支援を受けて制作している人が町の男の子と一緒になって逃げてしまった。それすらも町の人たちは喜んで笑っているんです。アーティストが作品を作るとかプロジェクトを行うこと自体をまったく期待していない。それはアーティスト側のではなく、受け入れる側の地域の問題でもあると思いますが、たとえばゆるいアートをやっていようが、地域の人たちにとっては「あいつらゆるいね」と言っていれば、けっこうおもしろいのかなと思うんです。

藤田 作品の良し悪しとは関係なく、地域次第でどんなアーティストが来ようと意外とおもしろくなっちゃう。

田中 そうするとやはり、結局はシステムの問題になりますよね。「地域アート」的なプロジェクトが増えれば増えるほど、そのシステムで成り立つ方法を持ったアーティストが生まれてきて、それが日本では増えてしまったという話なんですよね。

田中巧起さん
田中巧起さん

田中功起のやり方

藤田 田中さんはアーティストとして、水戸芸術館で開催している「共にいることの可能性、その試み」(*)や、ヴェネチア・ビエンナーレに出展された一連の作品(*)の中で、コミュニケーションやコミュニティーを考えるプロジェクトを行っています。

http://www11.arttowermito.or.jp/gallery/gallery02.html?id=438

「共にいることの可能性、その試み」展示風景(2016年2月撮影)
「共にいることの可能性、その試み」展示風景(2016年2月撮影)

http://2013.veneziabiennale-japanpavilion.jp/projects/project_04.html

https://vimeo.com/90735202  A Piano Played by Five Pianists at Once (First Attempt) 

水戸のプロジェクトでは、6日間だけ共同生活を送る「かりそめの共同体」を作り、そこで起きたことを撮影して、編集した上で観客に提示しています。「地域コミュニティーに入りこんで制作する」というようなプロジェクトとは位相が違う。この辺りを手がかりに、現代の「地域アート」的なものと、「共同体」との相互影響のあり方について、今日は主題的にお話させていただきたいなと思いました。というのも、「地域アート」は、ダイレクトに「共同体」に介入する試みであることが多いから、それを、何を根拠にして、どの方向性にしていくのが良いのか、皆も迷っていると思うんですよ。

田中 日本で「共同体」と言うと、「村」的な、地域共同体のイメージが強いかもしれません。同質性のある人々で構成された、狭い人間関係の中でいざこざが起きたりする、みたいな。でも、僕が水戸のプロジェクトで参照していたのはアガンベンの『到来する共同体』です。そこで語られている共同体はいわゆる地域共同体ではなくて、個人の属性を失った上で共に存在することの可能性を探ろうとしているものなんですね。だから、「到来する共同体=coming community」というタイトルがついている。

藤田 「いずれ来るはず」の。

田中 「いずれ来るかもしれない」ものとして書かれている。

藤田 個人が、アイデンティティーや属性をすべて剥がされた、裸にされた状態で他者と共に存在する。裸というのは、同質的な「血」なり「民族」なりでつながっているという共同体のビジョンとは異なる共同性を提示しているということですよね。そこまで行った先で人間が連帯しうる可能性のことを、アガンベンは「共同体」と呼んでいる。

田中さんが「ART-iT」で連載されている「往復書簡/質問する」で杉田さんがモーリス・ブランショの共同体論を引用されていた(*)のが、今回のテーマ設定にも関係しています。ブランショは『明かしえぬ共同体』に収録されている「恋人たちの共同体」で、1968年5月の革命に触れながら、「各人を高揚させ決起させることばの自由によって、友愛の中ですべての者に平等の権利を取り戻させ、あらゆる功利的関心の埒外で共に在ることの可能性をおのずから表出させることこそが重要だったのである」と言っています。「言葉の自由」と「功利的関心の埒外」という言葉がいいですよね。利害ではなく、言葉の自由こそが、共同体の基礎となりうるという「共同体」のビジョンを提示しているのは、ユニークで面白いですよね。

http://www.art-it.asia/u/admin_columns/vyCh6MxFW1ERBpcsuJij

一応、前提的な話をしておくと、「共同体」というと、日本の村であったり、「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)であるナショナリズムがイメージされやすいですよね。しかし、「共同体」というのは、もっと別種の在り方ができるのではないかと考えられてきた歴史がある。特に、ジャン・リュック・ナンシーの『無為の共同体』、ブランショ『明かしえぬ共同体』、アガンベン『到来する共同体』は、参照すべき面白いアイデアを提示していますよね。

杉田 僕が「往復書簡」で考えていた共同体論は、ブランショでも少し違っていて、たとえばパリのシャルリー・エブド襲撃事件のあとで起きたことや、アルジェリアの問題に関連して起きた1961年のシャロンヌのデモなどが念頭にありました。誰かが呼びかけたのではなく、なんとなく人が集まってきて、帰っていく。無為の共同体に近い共同体をイメージしていました。

もうひとつはアルフォンソ・リンギスの共同体論(*)です。たとえば、先進国の人が経済的に遅れている国を旅する。豪華なホテルの入り口に物乞いの女の人がいた。そこではお金をあげないで帰ってしまうのですが、そのことが忘れられなくて、自分の国に帰ったときにその人のことを思い出す。単に想起するだけでそこに共同体があるのではないか、ということをリンギスは言っています。その共同体は、有用な何かとか、合目的的な何かとは、相当遠い共同体だと思うのですが、その可能性はちゃんと見なくてはいけないと思うんです。

*『何も共有していない者たちの共同体』(洛北出版、2006年)

僕はリレーショナルアート全般を肯定する気はありませんが、リクリット・ティラヴァーニャのパッタイを作って振る舞うプロジェクト(*)に関しては、まだ考えなければいけないと思っています。単に共にいるだけでそこに何ら民主主義的な意味はないとクレア・ビショップ(*)は批判しますが、それは西洋的視点から見た民主主義であって。たとえば、さまざまな事情や問題を抱えた人たちが単に集まって、別に親密な話はしないんだけれども集まって帰っていくというだけで何かが解消される可能性はゼロではないはずで。

*リクリット・ティラヴァーニャはアメリカで活動する現代アーティスト。タイ風焼きそばを作って観客に振る舞う《パッタイ》は、1990年にニューヨークのギャラリーでパフォーマンスされた

*美術史家、美術批評。1971年イギリス生まれ。2004年に論文「敵対と関係性の美学」を著した。著書に『人工地獄』など

だから僕は、「togetherness」ということの意味をもっと汲み取らないといけないと思っています。田中さんの「共にいることの可能性」というのはまさにそのことだと、僕なりに捉えていますが、田中さん自身はどうですか?

田中 「共にある」ではなく「いる」としているのは、そういうところがありますね。「ある」と言うと自主的に集まり、存在しようとする感じがあるけど、「いる」はただ一緒にいるだけですよね。

プロジェクトではワークショップという形式を使っているので、料理なり陶芸なり、共通の目的で何かを行っている様子が撮影されています。一方で、数日間を共にするので、実際はカメラのフレームに映されていない時間がたくさんあって、そっちのほうが「ただ一緒にいる」状態だったかもしれない。最終的に展示した映像からはあまり見えてこなかったかもしれませんが。

杉田 作品からはそんなに見えてこないよね。普通はそういう経験をしないと思うんですが、やってみるのはすごくいいと思うんですよ。というのは、僕はcamp(*)の井上文雄くんたちとよく長時間のトークをやっていたんです。30時間とか。

*CAMPは、同時代のアートを考えることを目的としてイベントや展覧会などの活動を行うネットワーク http://ca-mp.blogspot.jp/

藤田 そんなに!

杉田 そう(笑)。それは原型があって、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト(キュレーター、1968年チューリヒ生まれ)が「24時間トーク」というのをやっているんです。始まった当初は本当にやばくて、「ハイテンションなオブリストが24時間ずっといる」みたいな感じだったらしい。そのことについてオブリストに聞いたことがあるんですが、彼の答えは明確でした。要は、24時間のトークなんて全体を見ている人はゼロなんです。どういうことかというと、ある種の文化的な消費のサイクルから逃れられる。単純にそれだけのこと、消費から逃れることができる試みである、と。そう言われると、ディスカッションの内容はどうでもいいのかよと思ってしまうんだけれども(笑)。

でもそれはものすごく面白いなと思って。田中くんの作品をずっと見ていると、そのチャレンジと失敗が繰り返されている気がする。その核になっているのが「共にいる」ということかなとも思います。その繰り返しの中で有意味な何かが出てくるなんてことはおそらくないだろうけれども。だって、「こういうふうにやると共同体はうまくいきます」なんてさ、方法論化されたらやばくないですか。

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共にいながら、嫌いになる

杉田 田中くんとの「往復書簡」は2013年から14年にかけて書いたものなのですが、その中で国会前のアクションのことを書いたんです。僕は、国会前に行きながら、そこで見かける人たちがけっこう嫌いなんですよ。こんなことを言うと嫌われると思うけど(笑)。

藤田 僕も何度も行きましたよ。たぶん、ここで国会前の話になるのは、あれらの「デモ」が、民主主義の問題なりを取り扱っていて、デモをやる集団の内部において新しい共同体を生み出しうるかもしれないという、期待の目線を向けた上でという話ですよね。

杉田 要は、共にいながら嫌いになる、ということがあって。考えていることは嫌いじゃないんですよ。でもああいうふうに反対したいんじゃないんだよな、と思ってしまう。ちっちゃい人間なので(笑)。

つまり、そこで安易に共同体とか共感覚的な何かが本当に生まれるのだろうか。

藤田 廣瀬純さんによるスペインの15M運動(*)についてのインタビューを読むと、民主主義を超えた、代表制でもないような政治、国家やグローバル資本主義の間違いを正すような政治への期待がそこにあったのは確かなようですね。デヴィッド・グレーバーの『デモクラシー・プロジェクト』によると、オキュパイ・ウォールストリートも、「真の民主主義」を体現する新しい「関係性」を、オキュパイしているその集団内部で実現してしまおうというプロジェクトだったという解釈になっています。日本の場合、その要素の主張は前面には出ていませんでしたが、世界的には、デモの中に「民主主義」や「共同体」の問い直しと再構築を行おうとする、創造的な側面が現れていたことは確かで。

*2011年5月15日から2カ月にわたりマドリッドのプエルタ・デル・ソル広場に人々が集まった占拠行動。その後の「オキュパイ運動」のはしり

杉田 ブランショの共同体論はまさにそうですよね。

田中 ……それって、その「真の民主主義」を体現する新しい「共同体」って、本当に実現した場合はその後この社会はどうなっちゃうんですかね。

杉田 ブランショは、共同体は継続してはいけないと言ってますね(笑)。

こういう議論をすると必ず「主体」から始まりますよね。(マルチチュードを唱えた)ネグリもそうですが。僕はその議論がじつはあまり好きではないんです。

僕が最近参照しているのはエヴァ・フェダー・キテイの「介護論」です。「ケア」の理論ですね。僕らは、幼いときと老人になったときはケアされる存在で、その間の健常な何十年間は子どもや親のケアをしている。要は、人は自立なんかできていない、自立した主体なんてない、ということです。

西洋のある種の思想はすべて自立に基づいていますが、そうではなくて、僕らは逃れがたい関係性の中に織り込まれているというところから物事を考えていくと、何か違った見方ができるのではないか、ということを常に感じているんです。

その意味で、田中くんがやっていることは、プロジェクトの中に組みこまれて逃れられなくなっている人たちが、完全に自立した個にはなれない様を見ているようでもあって、ちょっと面白い実験をしているのかな、という感じで見ているんですよ。

田中 複数の人びとに参加してもらうと、そこにグループの力学がうまれ、自然と個々の役割が生まれてきます。途中で変化することもあるけど、そのグループが円滑に動くように互いに支え合うようになる。そうなると、自分の存在価値がそのグループの中で決定するから、逃げ出すことがしにくくなる。プロジェクトの始まる前には、きっと参加者の、参加するかしないかの気持ちは揺らいでいるかもしれない。だから直前の辞退者も何人かいました。しかし、いったんグループができあがると、おそらく途中で抜けづらくなる。最初の3日間の撮影を終えて、1カ月後に後半の3日間の撮影だったんですが、不思議と辞退者はいないだろう、と予想できたんですね。期限付きであってもそこにグループが形成され、相互依存の関係が生じていたのかもしれません。

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藤田 村落共同体、家族や恋人のような親密な共同体、あるいは、先ほど話したコミュニケーションしているだけの共同体や、一瞬成立して消えていく共同体。今日(こんにち)、さまざまな種類の共同体像があります。

僕がブランショの共同体論や今日のデモと、田中さんの作品がつながると思ったのは、どちらも直接社会に実現しない共同体だというところです。田中さんの作品は、直接この世界のモデルになったり、社会に対してデモンストレーションをするものではない。ただし、何かの可能性を(あるいは不可能性をも)を指し示している。

現在、世界中で若者がデモに集まったり、日本では国会前行動などが行われたりしていますが、実現しないかもしれないけれど真の民主主義や新しい世界を求める情熱が出てくること自体は、共通していると思うんです。たぶん、彼らの行っていることも、現実に実現しないし、実現したら厄介な社会体制になる可能性がある。しかし、そこに新しい生の在り方があるかもしれないという「可能性」を見せる点で、僕はそれは芸術の産出に似た「美」があるとみなしてよいとも感じるんですよね。

アートだからできること

田中 水戸で行ったプロジェクトに関しては、「田中さんの作品」と言われるのに違和感があるんです。展覧会という形式にしているから「作品」と呼びうるようには作られているんですが、僕の作品だと言うと何かちょっともやっとするんです。個々のワークショップにはそれぞれ別々のファシリテーターがいるし、全体のキーとなったインタビューもアンドリューさんに任せていたので。もちろん撮影が藤井光さんであるということもあるし。全体は僕が束ねて、調整しているし、記録素材を最後に編集して、それをさらに展覧会という形式に落としこんではいるのですが。

藤田 ポスト代表制的なリアリティーから見ると、田中功起が代表してしまっていること自体がおかしいのではないか、ということでしょうか。作家が独裁的に振る舞って作り上げるのとは違うクリエイティビティーというか、ジェネレイティビティーがあるわけですよね。……これを指し示す語彙については考えないといけないですね。

杉田 でもポスト代表制という言葉は、かつてゲザムトクンストヴェルク(Gesamtkunstwerk、総合芸術)現象があったときにリヒャルト・ワーグナーが言っていることですよね(*)。最終的にその美学は実現されずワーグナーは独裁的になりますが、要は、総合芸術というのは、個々が120パーセントの力を出したときにはじめて可能になるユートピアである、と言っている。あるいは、ニーチェの「超人」も、人間を超克した者を「超人」と呼んで、それが集まったときに生まれる社会を考えたわけです。

*ワーグナーは、音楽、文学、舞踊、絵画、建築などあらゆる種類の芸術が劇的な表現目的のために統一、融合されるべきであると説く〈総合芸術論〉を主張した(「未来の芸術作品」、1849)

ワーグナーはその後ナチに非常に近くなっていきます。不思議なことに、それらは常にファシズムに悪用される。その危険性がある。

田中くんの場合も、「人に何かをやらせておいて、その上に田中功起の名前がポンとついている」とよく言われるじゃないですか。ファシズムの問題を常に意識しているから、そこで権限の委譲が起こるのかなと思うのですが、どうですか。

田中 アガンベンの共同体もブランショの共同体も、現実的には無理があるじゃないですか。

藤田 実現はしなさそうですね。

田中 ある意味では夢想的であり、象徴的なものでしかない。言葉にすることはできても、現実の中に落とし込むことは難しい。現実の実践の中ではさまざまな人間がかかわるわけです。僕はアートにおける作者性の問題から考えているけれども、アートという場所であったしても、そこで実現しようとする「平等」には理想主義的な響きがあって、その理想は杉田さんが言うように結果的にファシズムに近づくかもしれない。そこには危うさがある。僕の今回のプロジェクトは、自分で言うのもおかしいけど、すごく危うい、ぎりぎりな感じがしました。

たとえば、「共にいることの可能性、その試み」の展示を見て、赤軍派の話をする人もいたし、自己啓発セミナーとの類似を言う人もいた。日本社会での共同体のある種の「失敗例」を想起する人がかなりいたんです。

「キセイノセイキ」展(*)には、アルトゥル・ジミェフスキの《繰り返し》(2005)という映像作品が出展されていました。「スタンフォード監獄実験」(*)を再演した映像作品ですが、出演者の中には、実際に怒ってやめていく人がいます。つまり、ジミェフスキは、参加型プロジェクトのファシズム性を意識していて、それを徹底したときにファシズムが壊れる瞬間を描こうとしている。

http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/mot-annual-2016.html

*1971年にスタンフォード大学心理学部で行われた実験。被験者21人を看守役と囚人役に分け、実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた

彼はポーランド人ということもあるから、その問題はすごく意識されているのでしょう。僕も日本人なわけだから、かつての全体主義の血が流れているとも言えます。対極的なものに見えて、共通する部分もあるかもしれません。ただ僕のほうが、逃げてもいいし逃げなくてもいいよ、みたいな、ソフトな管理体制があり、だからこそ逃れることのできない日本的な同調圧力が生じていたのかもしれない。

もし仮に「雰囲気」や「空気」が戦争を準備するのだとしたら、そういうソフトなものがむしろ全体主義につながるし、協働性を「善きこと」とだけ位置づけてしまう思考にこそ、危機があるのかもしれないと、僕は自分で状況を作りながら思っていました。

杉田 歴史を見れば常にそうですよね。ナチスはもともとは19世紀末のある種の環境主義がベースです。産業革命以降人間らしい生活が圧迫されて、もう一度自然に帰ろうという生活改善運動がドイツで起こるんですが、土に帰ろうとか、血に帰るんだということを言い出す。

もともとナチスは国家社会主義労働者党でしたよね。社会主義、つまりある種の共同体なんです。ファシズムは最初からまがまがしいものとして出てくるわけはなくて、富の分散などの方便として出てきます。そこに環境主義などが重なっていったときに、ある人種を特定して排除することまでは、それほどハードルは高くない。善的な意識は、一種のジェントリフィケーションのようにして、非常に滑らかに危うい方向に流れていく。

田中くんがそういうことを考えているとしたら、田中くんの作品の中により危ないものが出てくるのかなと思って、楽しみにしているんだけど(笑)。ファッショなものに転んでいく瞬間。ジミェフスキは完全にそれを見せようとしていますよね。

田中 今回は美術館という枠組みの中で仕事をしているので、僕がボスのように見えてこの仕事の依頼主は美術館である、というオチがあります。もしくは美術制度と言ったほうがいいかもしれません。その制度が「善きこと」性を担保していて、そこから転じるファシズム性を、一方で防いでいるようにも、管理という意味では推進しているようにも見える。僕のプロジェクトはその曖昧さを引き受けているから、そこに危うさもある。でもそうした象徴的な行為によってしか、実現しえないものもある。その実験こそがアートの領域ではないかとも思います。

杉田 ジミェフスキと田中くんの違いは、ジミェフスキははっきりと「大失敗」するわけです。参加者が怒って帰るとか。一時的な共同体が完全に破綻する。

田中くんのも失敗はささやかに起こっているんだけど、なんとなく破綻せずに最後まで進む。その中で参加している人たちは自分の思いや達成感をどれぐらい体現しているのだろう、ということは気になりました。その達成感の奪われ方と、ファシズム化していくことは、関係していると思う。

「共にいることの可能性、その試み」展示風景(2016年2月撮影)
「共にいることの可能性、その試み」展示風景(2016年2月撮影)
展示の説明をする田中功起さん。左は本展を企画した、水戸芸術館現代美術センター学芸員の竹久侑さん
展示の説明をする田中功起さん。左は本展を企画した、水戸芸術館現代美術センター学芸員の竹久侑さん

映像では、プロジェクトやワークショップの中で振る舞っている田中くんの姿も見えるじゃないですか。あれもけっこう可笑しくて。僕もうまく言語化できていないのですが、単に共にいることの試みが成功したか失敗したかではなく、現実世界で起きていることがすべて断片化されているのではないか。

僕は、藤田さんが言うような「芸術固有の領域」という考え方はあまり好きではありませんが、諸分野からはみ出してどこにも所属しないのが芸術であるとは思っています。まさにどの分野にも所属しない、考えるためのアプローチの仕方なのかなと思います。

藤田 その「どこからもはみ出した、どこにも所属しないもの」が僕らに、人類に、必要なのはなぜだと思いますか。

杉田 なぜでしょうね。芸術の中で起こっているものは、おそらく、何かになってしまうんですよ。そうなるともう、それは芸術ではなくて、芸術はそこに関わる必要がない。人間のダイナミックレンジというか、行動のダイナミックレンジを広げていくためにも、どこの分野にも入っていない何かをやり続けるということが大切なのかなと僕は思っています。

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もう一度「地域アート」に話を戻すと

藤田 日本では、俗世と縁を切って絵と1対1で向かい合うというような芸術家像が根強いですよね。でも、日本の「地域アート」の参照元でもあるヨーロッパのビエンナーレ、トリエンナーレでは、民主主義や、グローバルとローカルといった、社会的な問題を扱うことが少なくない。アーティストがこれらの問題と向き合いながら自分の作品を作っていくというのは、国際的に見れば主流だと考えていいのでしょうか。

杉田 いいと思います。ヨーロッパで見るアートが、スノッブな意味ではなく、知的なことをどう考えるかということにトライしているのに比べると、日本のアートはやはりもの足りない。

藤田 田中さんはいかがですか。

田中 ベルリン・ビエンナーレが政治性を全面に出す企画を一度やったんですよ。たしか公募でもアーティストを選んでいて、その提出物の中には自分の政治的立場を表明するアンケートもあって。会場の1階ではオキュパイ運動のグループがずっとディスカッション等のイベントを行うという。

杉田 ジミェフスキがキュレーターを務めたときね(2012年、第7回)。

田中 そう。ベルリンで聞いたのですが、政治的であるということが、結果的にある種のファッションとしても受け入れられていて、ポリティカルと言えば受けがいい、みたいになってしまったようで。そういう状況は日本にも訪れる可能性がありますよね。政治性なき「地域アート」の次は「ポリティカル・アート」であるというような。実際、ポリティカル・アートは80、90年代に世界的潮流でもあったわけだし。

藤田 たしかに、政治思想に媚びれば評価されるというのも、芸術としては貧しくなるので、手放しでは褒めにくいですね。ところで、「地域アート」における政治性は、ミクロポリティクスに近いものが多いと思うんですよね。それとは違うものですか。

杉田 僕が気になっているのは、オーストラリアにコミュニティ・カルチュラル・ディヴェロップメント(CCD)というのがあるんです。文化政策の枠組みなんですが、その枠組みでお金を流しながら、ある共同体に地域系のアーティストをインストールしていく。オーストラリアは先住民族の問題を抱えていますが、搾取しないようなかたちでその地域と関わっていくということが試みられています。

それで、CCDの行動指針に、CCDという場所はアーティストが自身のクリエイティビティーを十全に発揮する場所ではないということが書いてあるんです。それはオーストラリアに限らず「地域アート」の一般的な性質としてあるのだと思いますし、政治的には「善」かもしれませんが、アーティストの側から見るとクリエイティビティーを切り売りするようなことにもなっていきますよね。難しいなとは思いますが。

田中 僕は2016年のリヴァプール・ビエンナーレに参加したのですが、もともと地場産業(造船業)が衰退した際に、いわゆるクリエイティブ・シティー政策として始まっているのがリヴァプール・ビエンナーレです。なのでそれはまさに日本で言う「地域アート」の始まりのひとつですね。

先日ターナー賞(*)をAssemblesというアーティスト・コレクティブが受賞しましたが、彼らは、リヴァプールの中でもかつての住宅政策によって荒廃してしまったエリアで、その地域を活性化するプロジェクトを行って、それが評価されての受賞でした。それがリヴァプール・ビエンナーレの、ビエンナーレのない時期に行われたパブリック・プログラムのひとつだったわけです。これは、ターナー賞という性質を変えるものかもしれません。それまでのアーティスト個人の受賞から、集団による地域再生という「プロジェクト」への授賞は、大きな変化ですね。

*19世紀の画家ウィリアム・ターナーにちなむ、イギリスの現代美術の賞。1984年創設

ロンドンでもオリンピックがありました。これからオリンピックを行う日本でも、文化事業に大きな予算がついていきます。箱物行政から「地域アート」行政というのは、物質(ハード)から非物質(ソフト)へという流れでもある。その中で「地域アート」にも代理店などが参入して、マーケティングももっと精緻に、巧妙に行うことで、ある意味では質が上がっていき、「地域アート」も別のフェイズに入っていく。現在の「地域アート」に批判的である人びとも、その質が上がった場合は、案外、好意的に見てしまうでしょう。でもそもそもこの方向性を僕たちはどう見るべきでしょうか。

藤田 『地域アート』の中では、清水知子さんがクールブリタニアというイギリスの文化政策について論考を寄せてくださっています。それを読むと、「地域アート」が地域活性化やジェントリフェイケーションの道具、国家におけるイデオロギーを普及される装置にされる危険も、現代のクールジャパン政策とか、文化・芸術関係の予算の文章を見ていると危惧してしまうんだけれど、芸術には世界を変えうる働きかけのアプローチが潜在的に含まれている。それが、潜在化したとしても、いつか爆発するかもしれない。「地域アート」にもそのような可能性は、絶対にある。その意味で僕はこれからもアートに興味を持ち続けると思います。

プロフィール

藤田直哉SF・文芸評論家

SF・文芸評論家。1983年生まれ。東京工業大学価値システム専攻博士(学術)。単著に『虚構内存在 筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』(作品社、2013年)、共著書に『文化亡国論』(響文社、2015年)、『ビジュアル・コミュニケーション――動画時代の文化批評』(南雲堂、2015年)など。

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杉田敦美術評論家

美術評論家・女子美術大学教授。1957年生まれ。美術批評。女子美術大学芸術表象専攻教授。オルタナティヴ・スペース art & river bankディレクター。『critics coast』(越後妻有アートトリエンナーレ)、『Picnic』(増本泰斗との協働プロジェクト)など、アート・プロジェクトも数多く手がける。芸術関連の主な著書に『ナノ・ソート』(彩流社)、『リヒター、グールド、ベルンハルト』(みすず書房)、『アートで生きる』(美術出版社)、『inter-views』(美学出版)などがある。+journalメンバーとしてアート批評系タブロイド「+journal」にも携わる。http://cj-ca.org/

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田中功起アーティスト

アーティスト。1975年栃木県益子生まれ。2005年東京芸術大学大学院修士課程修了。台北ビエンナーレ(2006年)、第7回光州ビエンナーレ(2008年)、「映画をめぐる美術」(京都国立近代美術館・東京国立近代美術館、2013~14年)、「ジャーナル」(ICA、ロンドン、2014年)、「ポジションズ」(ファン・アッベ美術館、オランダ・アイントホーフェン、2014年)など多数のグループ展に参加。2013年のヴェネチア・ビエンナーレでは、参加した日本館が特別表彰を受ける。ドイツ銀行グループの2015年「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」に選出。出来事の体験とその映像記録を体験することとの差異、映像の編集過程で生まれる元の出来事とのズレなど、プロジェクトを記録し編集したヴィデオ作品を通じて、記録と記憶を巡る多様な問題の考察を続けている。著書に『田中功起「質問する その1(2009-2013)」』(アートイット、2013年)。

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