働きながらできるボランティア支援

荻上 今日は、特定のNPOに所属するのではなく、さまざまな支援活動に個人で参加しつづけているボランティアのみなさんに集まっていただきました。

 

「常連化した個人ボランティア」のみなさんだからこそ、NPOなどの仕切りの良し悪し、自治体ごとによるニーズの違いなど、多くのことを感じられてきたのではないかと思います。その体験を通じて見えてきた課題と教訓、ボランティアの方法論などをお話いただきたいと思います。

 

 

「ボランティアに行かない理由」がなかった

 

荻上 最初に、みなさんは普段はなにをされている方なのか。そしてなぜ、ボランティアに参加するようになったのかをお聞かせください。まずは福田さんからお願いします。

 

福田 福田耕です。普段は介護関係の会社で経理を担当しています。震災当時は21歳で、就職したばかりの社会人1年目でした。ボランティアには2011年の8月末から参加しています。

 

もともと学生の頃から社会貢献に興味があり、将来はそちらの仕事に就きたいと考えていました。だから震災が起きてからは、ずっとボランティアに行きたいと思っていました。きっかけというよりは直感ですね。行かない理由はないと。

 

荻上 震災後、いつでもボランティアに行けるよう準備されていましたか?

 

福田 平日は仕事があるので、土日に行けるボランティアがないか、ネットで情報収集していました。条件に合うボランティアを見つけたら、とにかく予約してって感じでした。

 

荻上 最初はどこでボランティアをされたのでしょうか?

 

福田 宮城県石巻市での瓦礫の撤去です。最初はなにもわからなかったので、行ってから考えるしかないと思っていました。8月末なので、すでに受け入れ態勢もかなり整っていましたが、想像していたよりも深刻な状況に驚きました。

 

参加したのは瓦礫撤去のボランティアだったのですが、ボランティア中は、「これからなにをすべきか」を悩むのではなく、「いまここでできることをしよう」と考えていました。現地のリーダーの人に従いながら、精一杯、手を動かしつづけました。いまから思えば、ですが。

 

最初のボランティアを終え、東京に戻ってきて、普段の生活を送っていても、違和感を覚えるようになりました。ずっとモヤモヤしていているような感じです。なにもせずにモヤモヤしていても仕方ないと思って、9月末にまた石巻市へボランティアに行きました。

 

それから石巻市に何度か足を運ぶうちに、瓦礫処理から被災地のコミュニティ支援に活動が変わっていきました。そのうち、石巻市がまだまだ人手を必要としていることはわかりつつも、他に復旧がもっと遅れている地域がないか、広く見てみたいと思い、他の地域に足を運ぶようになりました。

 

 

女性ボランティアが少なかった南相馬

 

荻上 福田さん、ありがとうございます。次に塩田さんにおうかがいします。

 

塩田 塩田宏美です。福島県出身で、18歳まで中通りに住んでいました。高校卒業後、都内の大学に進学し、現在は都内で働いています。

 

わたしの地元は、放射能の影響こそ少なかったものの、地盤が弱く、多くの家屋が全壊や半壊の被害を受けました。実家も半壊しました。そういう状況ですから、震災後は、福島県の被災地の状況を自分の目で確かめたいと考えていました。

 

自分にできることをしたいけれど、多額の寄付ができるわけでもない。体力もないし、普段の生活もある。だけど、実際に現地に行って自分の目で確かめたい。そこで、日帰りでできるボランティアをみつけ、参加することにしたんです。

 

初めてボランティアに参加したのは、2011年9月です。いわき市で瓦礫の分別をするボランティアでした。一件の牛乳屋さんの瓦礫を分別することになったので、そこのご主人と一緒に片付けていたんです。

 

お話をしながら片付けていたのですが、「放射能の問題もあるし、家もこんな有様。その上、誰も助けに来てくれない」とうかがい、悲しくなって一緒に泣いてしまって。精神的にキツくなって、しばらくはボランティアに参加できなくなりました。少し時間がたってから、もう一度参加するようになれましたが。

 

その後、福島県は復興が遅れていると言われるなかで、石巻市のボランティアが成功していると聞き、自分でなにができるかはわからないけれど、成功例をみて仕組みを学ぶことで地元に貢献できるんじゃないかと考えて、長期参加するために足を運びました。

 

荻上 実際に行ってみてどうでしたか。

 

塩田 いろいろな人の話を聞いていると、瓦礫が片付いて町は少しずつ復興しているものの、心理的な問題など、見えない問題はむしろこれからなんだと思いました。また、成功モデルといっても、人によって実情がだいぶ違うことを感じました。一方で、よそから来た人でしかできないこともあるとも分かりました。

 

荻上 石巻市でのボランティアのあとは、どちらに行かれたのでしょうか。

 

塩田 南相馬市に行ってみました。放射能の影響のためか、ボランティアも少なく、現地の詳しい情報も少なかったと思います。

 

いろいろな被災地をまわって気が付いたことは、女性ボランティアは比較的、年配の方が多いということです。ある男性のボランティアと話していて、男性より女性の方がおしゃべりで情報を発信する力があるんだなあって思いました。だからこそもっと女性が来るべきだと感じました。

 

ですが、南相馬市の場合は、そもそも女性自体が少なかったです。石巻市では半分近く女性がいたところもあったのに、南相馬市では若い女性ボランティアをあまり見かけず、不安でした。

 

南相馬市の場合、福島県に対する想いが特に強かったり、放射能に関する詳しい知識があったりといった、一部の人しかボランティアに来ていないと思った。とはいえ、被曝の影響がまだわからなかったので、友達に「行こうよ」とも誘いにくい。「ここにボランティアに来ていることは誰にも言っていない」という男性もいました。

 

 

左から塩田宏美さん(33)、福田耕さん(23)

左から塩田宏美さん(33)、福田耕さん(23)

 

 

 

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