震災から考える現場判断の重要性と今後の日本のあり方

震災からもうすぐ2年が経過しようとしている。わたしたちは、震災から何を学び、今後どのようなことを検討しなければならないのか。発災後いち早く沿岸被災地の後方支援活動に取り組んだ遠野市の本田敏秋市長に、経済学者・飯田泰之がインタビューをした。(構成/宮崎康二)

 

 

震災直後の対応


飯田 復興アリーナは、東日本大震災からの復興についての情報を集め、アーカイブしていくプロジェクトです。震災直後、遠野市は沿岸部で津波の被害にあった自治体へのバックアップにあたり、大きな働きをされたとの評判です。ぜひ、今回の震災対応についてお話を伺いたいと思い、インタビューのお願いをさせていただきました。

 

今までに様々なメディアで同じ話を何度もされていると思いますが、まずは市長が3月11日にどちらにいらっしゃったかをお聞かせください。

 

本田 市内で用事をすませて、14時ごろに市庁舎から10分ほどの場所にある自宅に帰りました。遅めの昼食をとり終えた頃にあの揺れがやってきた。いやあ、凄まじい揺れでしたね。すぐに、市役所や保育所、病院や学校は大丈夫だろうか、家屋は倒壊していないか、火事は起きないだろうかと、いろいろなことが頭を駆けめぐって。あと大きな津波もくると直感しました。早く動き出さなくてはと思い、揺れが完全に収まる前に防災服に着替えて、自転車で市庁舎に飛び込みました。

 

幸い職員は無事だったので、さっそくパトロールにまわって市内の被害状況を確認するように指示をだしました。また自衛隊、警察隊、消防隊、医療隊などがやってくると判断し、総合運動公園を開放するよう指示しました。普段の訓練のおかげか、職員も迅速に動くことができました。

 

飯田 平時の訓練のおかげで、どういった対応がとられるか予想することができ、職員がしっかり震災に対応できる体制になっていたわけですね。

 

本田 そうです。やはり訓練は重要ですね。

 

16時半頃には、市民の命を損なうような被害がでていないことも確認できました。平日の昼間であったことが、市内の状況を速やかに確認できた要因となりました。

 

 

現場の自己判断の重要性

 

飯田 住田町の多田町長もお話をされていたのですが、今回の震災対応を語る際に、自治体間の広域防災連携の話は欠かせないものだと思います。

 

「復興から日本の災害支援をアピールする」; http://tinyurl.com/akcrjp2

 

東日本大震災はかなり広い範囲で被害を受けたために、連携している自治体のほとんどが被災してしまいました。広域防災連携では、被災した自治体が自分のことをある程度できるという前提で結ばれていたのでしょうか。

 

本田 ええ、でも今回被災した市町村のほとんどは完全に行政としての機能を失ってしまって、なかなか対応できませんでした。

 

飯田 そうすると、広域防災連携を結んでいる近隣の市町村が、とくに被害の大きい他の市町村を支援するために他の自治体の機能を担う必要がでてきますよね。しかし、多くの自治体が手続きの問題などでそのような対応ができなかったように思います。

 

本田 災害に対応する際、被災した市町村のニーズに応えるかたちで、まずは県が動きます。その動きに呼応して国が動くようになっている。そして県や国の動きによっては、「遠野市から職員を派遣して欲しい」「救援物資を届けてほしい」と指示がくる仕組みになっているんです。

 

飯田 国や県の指示があってようやく自治体が動けるようになるわけですね。

 

本田 ええ、今回それがまったく機能しなかったんです。

 

事態は切迫していました。職員が「何を持っていけばいいんでしょうか」と聞いてきたので、「考えずに動け、この寒さの中で、みんな避難所で震えあがっているんだ。なんでもいいから持っていけ」と指示を出しました。

 

県や国からの指示を待っているわけにはいきません。とにかく動かなくちゃいけない。でも正式な手続きを行っていませんから、支援活動の中で職員にトラブルや事故があればわたしの責任になる。災害救助法には、後方支援のための財源や権限については何も明記されていないんです。最終的には国も県も手当てしてくれましたが、あのときはわたしの責任で動くしかありませんでした。

 

飯田 たとえば小さい災害のときは、平時のルールで動いても対応できるかと思いますが、今回のような大規模の災害では、平時のルールのままで対応することには無理があったのではないでしょうか。それこそ首長の裁量の余地は、法律によってがちがちに縛られてしまってほとんどないように思うのですが。

 

本田 平時のルールのままで動いていたら何もできなかったでしょうね。

 

たとえば、連携している市町村にガソリンが欲しいとお願いしても、携行缶に詰めなくては運べないと法律で規制されている。だから即座に運んでもらえないんです。それでもある首長さんは、危険物を取り扱っている業者さんに頼んで、携行缶ではなくポリタンクにガソリンを詰めて、万全を期して運んでくれた。やはり市町村の首長がそれぞれに得た情報と自らの判断で超法規的に動かなければならない状況が現実にあったわけです。

 

遠野市は、震災前から後方支援構想をまとめていたために、システム的に動くことができました。一定の評価もいただいています。遠野市だけでなく、このような例は、宮城県や福島県でも数多くの事例があったと思います。国や県には失礼ですが、国や県が動く前に、基礎自治体がいろいろなつながりの中で動いていたことは今回、とても大きかったと思います。

 

飯田 県や国の対応から、他人事感を覚えたことはありますか。

 

本田 ありましたね。

 

たとえば、三陸沿岸にはほとんど平場がないので、仮設住宅を建てる際に、内陸にある遠野市や花巻市に建設すべきではないかと提案したところ、「被災自治体からそういった要請は受けてない」と言われてしまって。

 

飯田 あれだけの被害を受けているわけですから、ニーズはあっても被災自治体は細かな要望を県や国に正式に伝えることのできる状況ではないですよね。

 

本田 おっしゃる通りです。役場は津波で流され、場所によっては地権者の方も亡くなっている。ニーズにあった要望を出せるほどの余裕なんてありません。

 

印象深いエピソードをひとつご紹介します。当時、内閣府の副大臣であった平野達男参議院議員から電話がありました。テレビで、県の職員が仮設住宅を建てる土地を見つけるために、疲労困憊の被災地の職員に「ここの地権者は誰ですか?」と尋ねている様子が報道され、「何をやっているんだ。今はそういうことをしている場合じゃないでしょう」と。あのとき「地権者や手続きの問題はあとで解決します。とにかく今すぐ建てましょう」と踏み込めば、もっとはやく仮設住宅が建てられたはずです。

 

そういえば住田町長の多田さんに、「本田さん、俺は単独でやるぞ。災害救助法なんて待っていられない」と言われて、わたしも「まずはこじ開けてくれ。俺もついて行くから」と話したことがありました。遠野市は市庁舎が壊れてしまったこともあり、救助法の適用ぎりぎりまで粘ったのですが、多田さんは専決処分で動かれた。立派だと思います。

 

遠野市も、グランドの改修や建物の補修などで、気がついたら4億円くらい使っていました。でもこのお金を補償する法律はありません。「市長が勝手にやったんだから、市長が負担しなさい」と言われても仕方ない。でもわれわれは決して間違ったことをやっていません。職員にも、使ったお金を正直に申告して、誠実に交渉すれば必ず国や県に伝わると話しました。最終的に県や国は、交付金を手当てしてくれました。

 

飯田 復興のための法や制度が、場合によっては足を引っ張ってしまうことがある。想定外のことはいつでも生じうるわけですから。東日本大震災の場合は、各自治体が専決処分で進めていこうとする流れを妨げるケースが目立っていたように思います。

 

本田 その通りです。この震災では、法律を超えた首長の判断が随所にありました。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.222 特集:沖縄

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