変容し続ける「復興情報」をとらえ、災害の過去、現在、未来をつなぐ

神戸新聞社20年の「忘却との戦い」を復興の希望に

 

津久井 岡本さんはいま「長いフェーズ」と仰いました。阪神・淡路大震災でも、発生後2カ月ほどはたくさんの被害情報と災害情報が飛び交いました。しかし時間が経つにつれ、被災地外での風化が顕著に進み、被災地との温度差を強く感じるようになりました。そこで岡本さんにお尋ねしたいのは、復興情報を長く継続して伝えていく社会的意義はどこにあるのかという点です。

 

岡本 阪神・淡路大震災からもうすぐ19年になります。パネリストの一人である神戸新聞編集委員の磯辺康子さんは、当時の被災者がたどった軌跡を丹念に追ってきた方です。

 

なぜ磯辺さんがわざわざ18年間も阪神・淡路大震災の被災者を追ってきたのか。そしてなぜ、大々的ではないにせよ、神戸新聞に欄を設けて絶え間なく声を伝え続けてきたのか。結論を簡単な言葉でいうと、それは忘れさせないためです。

 

わが国には、18年前から今に至る、阪神・淡路大震災からの復興の成果があります。それを語り継ぐことは、同時にこれからの復興の知恵として使えるはずです。もちろん阪神・淡路大震災と東日本大震災を、全く同じように語ることもできないでしょうし、今後、起きるであろう震災も同様でしょう。しかし、今までの経験にはいろいろな知恵や克服してきた課題がたくさん宿っている。それを眠らせずに呼び起こしていく。磯辺さんの、先例をしっかりと残すことが、復興の希望となるというお話は非常に印象的でした。

 

津久井 加えて、磯辺さんは、生の声が重要だと指摘されました。18年も経てば「阪神・淡路大震災とはこういうものだった」「復興とはこうあるべきだ」という、ステレオタイプな印象論を語る人が増えます。それはむしろ東日本大震災の被災地では“害”――という言葉は強すぎるかもしれませんが――になることさえある。

 

なぜそういった語りがなされるのか。それは、復興という営みの実相を長く追いかけていないためです。阪神・淡路大震災では、3年後には「復興を遂げた」という言葉が記事にあふれました。しかし実際は、現在もまだ復興のプロセスは続いているんですね。

 

18年経ってようやく阪神・淡路大震災を語ることができるようになった人もいる。神戸新聞のようにこまめに長く追い続けているからこそ、その時どきの、そして18年後のいまの課題をキャッチできる。だからこそ、生の情報、一人ひとりの生の声に迫ることが重要なんですね。

 

 

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フクシマ・オリエンタリズムからの脱却

 

津久井 磯辺さんのお話は、開沼博さんの問題意識に繋がる部分があると思うんですね。

 

東日本大震災を語る際に、福島第一原子力発電所の事故の話は避けることができません。「福島」という地を中心に、いろいろな困難を強いられている人びとがいる。その困難のなかで、情報が果たしている功罪がある。私は開沼さんの、情報にフォーカスをあてた福島の実相をお聞きして、感じることが多くありました。

 

岡本 例えば、開沼さんからは、福島県の失業率について、あるいは県内の人口がどのくらい減っているかについてアンケートをとると、極端な数値が返ってくるというお話がありました。統計をみると、震災直前程度に回復している場合があるにもかかわらずです。

 

開沼さんは「復興オリエンタリズム」という言葉を使っていらっしゃいました。オリエンタリズムというのは善意の中で誤解を含んだ単純化されたイメージを押し付けることを意味していますが、今、まさに「福島とはこういうものである」「復興とはこうすべきである」というレッテル張りによって、誤った情報が流れてしまっている。長期化すればするほどそのイメージが浸透してしまう。

データに裏付けされた情報を発信することの重要性は、報道をきっかけによく指摘されることですが、改めてその重要性を実感しました。そうすることで、新聞の見出しで使用されるステレオタイプなキーワードはだいぶ変わるでしょう。「福島 震災後 人口減る」ではなくなる。

 

津久井 もうひとつ印象的だったのは、いま福島を語る際に「若い人たちが出て行ってしまう」「産業が衰えて雇用が不安定になる」「コミュニティが崩壊している」といった話題が出てくるけれども、これは福島特有の話ではなく、日本中の各地で震災前から抱えていた問題ではないか、それを「福島の課題」というかたちで解決しようとしていないか、という指摘です。

 

そうした実相から乖離したステレオタイプな情報は、外からの支援を誤らせることになり、さらに地元の人たちも「なんか違うような……?」と思いながらその流れに身を任せざるをえない状況を作ってしまう。それは復興を阻害する可能性を内包しています。発信だけでなく、情報を正しく受け取るリテラシーも大事だということですよね。

 

岡本 復興のために必要にみえる情報と本当に必要な情報は乖離があるという開沼さんの指摘は、われわれもハッとしました。

 

津久井 もうひとつ新鮮な印象を感じたのは、「復興は動的な概念だ」ということです。私たち法律家は、ルールや法律といった、普遍的で時間の概念をあまり考えない、静的なモノサシで物事を考えがちです。しかし、復興は現在進行形で、常に変わっていく概念なんですね。被災者が必要とする情報も、被災地から紡ぎだされる情報も、常に変わり続けているのに、静的なモノサシをあててしまうと、情報が息苦しくなって本来のものとは違った形になってしまう。

 

「防災情報」は未来のことを想定するもの。「災害情報」はいま起きている状態の結果。一方、「復興情報」は、行ったり戻ったり、膨らんだり萎んだりする、非常に捉えがたいものなんですね。必然的に、情報の捉え方も届け方も、二者に比べて難しく、工夫や技術が必要になると感じました。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.222 特集:沖縄

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・宮城大蔵「静かに深まる危機——沖縄基地問題の二〇年」

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