匿名で無責任の人民 

ブルカ禁止法と個人の責任

 

つい先日、公共の場でのブルカの着用を禁止する法律について、フランス憲法院(Conseil constitutionnel)が合憲との判断を下したという報道があった(たとえば「ブルカ禁止法は合憲 仏憲法評議会判断、来春施行へ」)。

 

ムスリム、としばしばいわれるが、基本的にはアラブ系信者の女性たちが着る、顔を含めた全身を覆った衣装のことである。今年春頃からベルギーやフランスで立法に向けた動きが進み、7月にはフランスで下院を通過。9月には上院でも可決されて法律化はされたものの、憲法適合性に問題があり得るということで憲法院の判断を待っていたのだが、これで来春の施行が本決まりということになった。

 

今回は別に、この法律の良否について論じたいわけではない。法律の提案に加わったフランスの国会議員がいっていたことが記憶に残っているのである。

 

彼はこういっていた。共和国の国民たるもの、社会に顔を出して向き合わなくてはならない。自分が何者であるかを隠し、行為の責任から逃れようとするような態度は許されないと。

 

自分の人生を自ら選択し、社会からの評価も含めてその責任を負うのが「市民」の条件だと、そういうことだろうか。なるほど独善的ではあるかもしれないが、いかにもフランス革命の精神を受け継ぐ近代社会のひとつの理想だと思わないこともない。

 

だがしかし、その共和国の政治に正統性を与える人民の選挙それ自体が、匿名かつ無責任の投票によって支えられていることについては、ではどう評価するべきだろうか。当のフランス第5共和国憲法自体が投票の秘密を保障しているし(3条3項)、われわれの日本国憲法はその15条4項において「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。」と規定している。

 

民主政を支える自己決定と責任の原理は、その基本の部分で底が抜けているのである。

 

 

秘密投票制の成立

 

だが最初からそうではなかったと、田村理は指摘している。フランス革命期を通じて、秘密投票を求める意見と、市民の意思表示である以上、それは当然に人びとの前で・口頭で高らかに宣言されなくてはならないという立場とが併存し、せめぎあっていたというのだ。

 

当初、政治的権利は、「顔の見える」個人だけのものだった。現在、われわれが当然のことだと考えている秘密投票制は、じつは近代民主政のかなり遅い段階になって定着した原理にすぎない。

 

もちろん問題は、多数派による同調圧力にあるだろう。人びとの面前で自分の選択を明らかにしなければならないとしたら、少数派や被差別者や社会的に弱い立場におかれた人びとは、本当の意見を主張しにくくなるに違いない。

 

フランス1791年憲法体制のように、政治参加がごく一部の「能動市民」にだけ認められているのであれば、彼らはたとえ少数でも自らの意見を主張し・それに対する反応を受け止めることができる「強い市民」だったのかもしれない。しかし、現代へ向けて選挙権の持ち主が拡大し、大多数の「弱い市民」を含むようになったとき、自己決定と責任の原理を貫くことは難しい。

 

むしろ、J・S・ミルのいうように、多数者の専制の危険からあらゆる個人の自由を守るために、政府の権限に限界線を引かなくてはならないとすれば、人民の選択を匿名かつ無責任のものに留めて責任追及を遮断することが、多数派によって支配される国家からそれぞれの個人を守るために必要なのかもしれない。

 

 

国家権力と人民の匿名性

 

だから、その国家権力を担う政治家としては、人民の匿名性に耐えなくてはならないということになろう。敗戦して「天の声にも変な声もたまにはあるな」という言葉を残した総理もいたように、ときとしてそこに不条理を感じたり、つねに「顔の見える」状態で責任を問われる自らの立場との不公平を嘆きたくなる気持ちになるのもわからないではない。

 

しかしだからといって、自らにとって不利であったり受け入れがたい決断がなされたときに、匿名・無責任の人民を非難するとすれば、権力を担うものとしての自覚を問われることになろうし、また自らをその地位に押し上げた人民の意思そのものを否定することになるのである。

 

もちろんわたしは、突如として検察審査会制度の批判をはじめた人びとのことを述べている。有権者から無作為に選出された審査員によって構成されるこの組織の議決に拘束力を付与し、場合によっては起訴を強制する権限を与えた刑事訴訟法改正は、平成16年に衆議院・参議院とも社民党・共産党を除く賛成多数で成立したものだ。

 

あくまで起訴にいたる権限であり、最終的な判断が裁判所に委ねられている以上、そこで匿名の人民に与えられている権限は選挙より小さい、ともいえる。にもかかわらず信用できないと叫ぶのは、彼らに選ばれることで政治家になっている人間にとっての矛盾である。

 

それでもやはり、刑事司法が個々の被疑者の運命を大きく左右してしまう以上、「顔の見える」専門家だけに判断を委ねるべきだというのはひとつの立場だ。しかし、そのように主張するなら、検察審査会制度の改正にも裁判員制度の導入にも賛成するべきではなかったのだ。あるいは、ブルカ禁止法を批判するべきでもないし、憲法の規定にも異を唱えなくてはならないことになるだろう。

 

われわれの民主政は、統治者と被治者のあいだの平等性を認めないことによって、自己決定と責任の原理の底を抜いておくことで、はじめて可能になるようなものなのである。

 

それとも、自分たちがその匿名・無責任の人民に選ばれているからこそ、そんなものは評価するに値しないことがよくわかる、ということなのだろうか。だとすれば、なにやら自分が逮捕される側になったとたんに取り調べの全面可視化を最高検察庁に申し入れてみる前特捜副部長、というのとよく似た雰囲気の話ではある。

 

 

推薦図書

 

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フランス革命を通じて、投票というものの位置づけについて、どのような意見が対立し、制度の変革に結びついていったかを分析した研究書。現在となっては「近代選挙法の公理」と看做されている秘密投票制が、決して所与のものではなかったこと、むしろ革命を支えた原理としての個人主義と対立的に捉えられていたことを指摘し、近代国家の成立過程を見直している。

 

 

 

 

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