2012.03.27

デンマーク・サムソ島は、100%自然エネルギーによってエネルギー需要を賄う地域として世界的に知られている。1985年に原発の導入を廃止したデンマークは、風力発電を中心とした代替エネルギーへの移行を早くから模索してきた。1997年、政府は島における自然エネルギー導入計画を公募し、それに参加したサムソ島は、エネルギー100%自給を目指すモデル地域として取り組みをはじめ、10年かけてそれを実現させた。

ソーレン・ハーマンセン氏(52)はその取り組みにおいて、島民の中心的な存在として大きな役割を果たしてきた。住民たちとコミュニケーションを重ね、プロジェクトへの参加を促し、地域の人々にとって最良の自然エネルギーのあり方を求めてきた。そのプロセスを描いた絵本『風の島へようこそ』(福音館書店)が、今話題を呼んでいる。

福島原発事故後、日本でもエネルギーシフトへの流れが加速し、さまざまな地域で取り組みを立ち上げようと目下検討が進められている。環境省のモデル事業に採用されている地域は、北海道、小田原、静岡、長野、徳島、高知、小浜(長崎)の7地点。3月上旬に行われたコミュニティ・パワー会議のために来日したハーマンセン氏に、これからの日本の進むべき道筋ついてインタビューした。(聞き手・構成/宮崎直子、通訳/環境エネルギー政策研究所研究員・古屋将太)

―― 震災から一年が経ち、日本に変化は見られましたか。

10年ほど前から年に1、2回来日し、環境エネルギー政策研究所(ISEP)の方たちをはじめ、自然エネルギー推進にかかわる様々な人たちとコンタクトをとり、活動を進めてきました。福島の原発事故が起きてからは随分と状況が変わったように思います。一般の人たちのエネルギーに対する意識がどんどん高まってきています。そうした状況を見ると、この十数年やってきたことが、報われているという手応えを感じています。自然エネルギー財団ができたり、新しく地域で取り組む人たちが現れてきたりと、日本は新しいステージに突入しています。

―― 今、世界中から、日本の自然エネルギー分野の動向が注目されていますね。

日本はこれまで中央集権型で、電力会社が独占して電力供給をコントロールしてきました。それは自然エネルギーに移行していく上で非常に大きな障害になっています。国がバックアップしているので、そこで作られた電力は、基本的には産業や経済のために使われるものであって、市民のためのものではありません。福島原発事故が起きてからは、それを変えなければならないと人々が気づきはじめています。中央集権型のインフラのシステムを、地域の人々のための分散型のシステムに変えていかなければなりません。デンマークは1970年代の石油危機を契機に、グリーンな方向に行かなければと政府が考えはじめ、90年代に入ってから分散型を目指して取り組んできました。今、やっと日本が同じようなチャレンジをしようとしています。

―― 市民を活動に巻き込むために重要なポイントは。

一つは、意思決定です。進むべき方向性を政治的に意思決定することで、政策が整い、社会の変化が加速していきます。日本の政府はこれまで原子力をサポートしてきました。しかし、未来を変えるためには、政府がグリーンなエネルギー社会を目指し、それに基づくプランを作って進めていく必要があります。政策枠組み、計画の方向性を定めた上で、技術、産業、ビジネスが新しい計画を実現していきます。それがはじまると、今度はその中に強力なリーダーが現れ、雇用も生まれてきます。もう一つ重要なのは、価格構造を作ることです。産業のためだけでなく、誰もがそこに参加できなければなりません。たとえば、個人がソーラーパネルを設置して売電できたり、グリーンな電気をほどよい値段で買うことができるようになれば、おのずと多くの人が参加していくようになります。

―― この仕事に関わるようになったきっかけは何ですか。

私はサムソ島で生まれ育ちました。小さいときに農業を手伝ったりして、高校を卒業した後は、ニュージーランドやノルウェーに行き、10年ほど島を離れた経験があります。その後、島に戻って中学校で環境学を教えていたときに自然エネルギープロジェクトの話を聞き、最初のスタッフとしてかかわってみることにしました。一年目は教師の仕事をしながら、二年目からはフルタイムでコーディネーターの仕事をやるようになりました。

―― 強く影響を受けた人はいますか。

若いときは、ジャック・クストー(Jacques Cousteau)という海洋学者・探検家に大きな影響を受けました。彼は「アクア・ラング」という潜水用の呼吸装置を発明した人で、カリプソ号という船で海洋生物の調査を行うと同時にその様子をドキュメンタリーで放映していました。彼は「No Blue, No Green」というメッセージを唱えています。私たちは森林や熱帯雨林を守ろうといいますが、地球の3分の2は海でできています。つまり、海がちゃんと保護されなければ、森林もうまく守ることはできないという意味です。とても印象的な言葉だと思います。また、彼の息子は、気候変動によって絶滅の危機にさらされているサンゴ礁を守るための活動を行っています。

大人になってからは、1997年の地球温暖化防止京都会議の後に、デンマークで環境省を創設した政治家、スベン・オーケン(Svend Auken)も私に多大な影響を与えました。環境大臣として、デンマークの環境エネルギー政策の基盤構築に貢献した人です。

―― 自然エネルギーを語っていく上で、メディアやジャーナリストに求められるものは何でしょうか。

私は人々とコミュニケーションをするために物語を語ります。それは誰かを説得するということではなく、自分の感情に訴えたいい話を、自分の気持ちに従って話します。すると、それはどんどん他人に伝わり広がっていきます。いい話というのは、必ずしも大きな話である必要はなくて、小さくても面白い話であればいいのです。証券取引価格の数値が上がったり下がったりとかそういう話ではなくて、人々の心に訴えるリアルな話を、リアルに伝えていくことが重要だと考えています。

私自身についていえば、小さい頃から自然や動物に親しみ、農作業もやっていたので、「持続可能性」というテーマは非常に身近なものでした。そうした経験に基づいたコミュニケーションができることは、自分の才能の一つだと思っています。若い頃は音楽や演劇をやっていたので、何かを表現して伝えることはもともと得意なことでもあります。

昨年、山口県の祝島に行って、上関原発の建設に30年も反対し続けてきた地域の人たちと話をしました。そのとき、地元で有畜複合農業に取り組む氏本長一さんの、放牧豚に関するお話を知り、非常に面白いと思いました。「氏本農園」では、耕作放棄地を放牧豚によって再生する試みを行っており、その豚は島内から出る残飯のみで育てられています。氏本さんは毎日島内で残飯を集めてまわりますが、なかには自ら残飯や餌になる野菜を持ってくる島民もいるといいます。この取り組みは映画『ミツバチの羽音と地球の回転』(監督/鎌仲ひとみ)にも登場しています。

サムソ島に帰ってその話を伝えると、みんなが興味を持って聞いてくれました。報道にかかわる人たちは、原発反対、賛成という話ではなく、もっと人々が身近に考えられる素材を取材して与えていく必要があるのではないかと思っています。

―― 今後の活動とビジョンについて教えてください。

将来的には、サムソ・エネルギー・アカデミーを国際的にネットワークしていきたいと思っています。ISEPや自然エネルギー財団とはすでに協力関係ができていますので、今後、日本でさらにそのつながりを強化していきたい。また、アメリカでも複数の大学で講演を行う予定です。新たなパートナーをどんどん増やしていきたいですね。

プロフィール

ソーレン・ハーマンセンサムソ・エネルギー・アカデミー代表

デンマーク・サムソ島、サムソ・エネルギー・アカデミー代表。1997年から10年かけて「自然エネルギー100%の島」を実現させた立役者。2008年にTIME誌の「環境ヒーロー」に選出、2009年に「ヨーテボリ持続可能な開発賞」を受賞。

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