2020.03.26

ドゥテルテ政権の新型コロナウイルス対策――なぜフィリピン人が厳格な「封鎖」に協力するのか

日下渉 政治学・フィリピン研究

国際

2020年3月24日現在、フィリピンにおける新型コロナウイルスの感染者数は462名(死亡33名)と、日本の1,140名(死亡42名)よりも少ない。だが、「緩和ムード」の指摘される日本とは対照的に、フィリピンでは剛腕ドゥテルテ大統領のもと、厳格な「封鎖」(後に「コミュニティ防疫」に修正)が実施されている。

著者の暮らすボホール島では、新型コロナウイルスの症例はまだ報告されていないものの、3月16日には島と外部をつなぐ飛行機と船舶が停止され、夜9時以降の外出が禁止された。23日以降、18歳未満と65歳以上の者には、24時間の外出禁止が命じられている。レストランも洗濯店も、あらゆる店舗が閉業に入ってきた。感染者の約半数が集中するマニラ首都圏では、公共交通機関の停止、民間企業の営業停止、買い出しを除く24時間の外出禁止など、より厳格な措置が実施中である。治安維持を名目にしたアルコール飲料の販売禁止といった、防疫とは無関係な規制を導入する自治体も増えている。大義のために、日に日に自由が失われていく状況は戦争中を思わせる。

しかし、こうした多大な生活の不都合にもかかわらず、多くの人々は政府主導の防疫に積極的に協力しようとしている。私の身の周りでも、人々はフェイスブックで地方政府の発表する最新の防疫措置をチェックし、積極的にそれを守ろうとしている。街の様子を眺めても、8割以上の人がマスクをしているし、子供や老人はほぼ見かけなくなった。繰り返すが、この島ではまだ感染者は報告されていないにもかかわらずである。「フィリピン人は享楽と自由を愛し、いい加減で規律を守らない」といった言説は、まるで過去のものになったかのようだ。

従来、フィリピンは行政機構が脆弱で、国家が法や政策を通じて社会を統制しきれない「弱い国家」だと論じられてきた。しかし、新型コロナウイルス対策をめぐっては、国家の厳格な措置に人々が積極的に協力している点で、日本よりも「強い国家」を体現しているかのように思える。本稿では、その理由を検討したい。まず、感染者数が比較的少ない段階から、なぜドゥテルテ政権が厳格な措置を導入したのかについて説明する。次に、なぜ国民の大多数が不自由に耐えつつ、政府の防疫措置に協力しようとしているのか明らかにする。

既に瀬戸際の防疫か

フィリピン政府は、1月30日、武漢から来比した中国人に最初の症例を確認した後、中国本土からの入国規制を導入、2月26日にはそれを韓国の一部地域にまで拡大した。2月いっぱいはドゥテルテ大統領も、経済的への悪影響を懸念して大規模な規制には反対していた。しかし、3月に入りフィリピン人の感染者数が増加し、52名を記録した12日夜には、マニラ首都圏で3月15日から4月14日までの「コミュニティ防疫」を発表する。

これは休校、集会・イベントの禁止、交通機関の停止、首都圏の出入りの原則禁止(医療従事者、患者、物資・食料品の運搬人等を除く)、行政機関の在宅勤務(治安・医療・国境管理を除く)、営業停止(生活必需品・食料・医薬品等の生産活動などを除く)などを規定するものである。また、午後8時から午前5時までの外出も禁止された。さらに16日に、大統領は「非常事態」を宣言し、「拡大コミュニティ防疫」によって、この措置をルソン島全域へと広げ、生活必需品の入手を除く外出禁止、公共交通機関の停止、国軍による治安維持の強化、警察によるチェックポイントなどを導入する。これらの違反者は、刑法・行政法上の処置の対象となる。同様の防疫措置は多くの地方政府にも採用され、全国的に波及しつつある。また19日には、外国人(フィリピン人の配偶者とその子供を除く)へのビザ発給の停止が発表され、海外出稼ぎ労働者を除き、フィリピン人の海外渡航も全面禁止された。

3月16日の記者会見で「マニラ封鎖」について説明するパネロ大統領報道官

こうした強硬な措置が、感染者数が未だ比較的少ない段階で実施された背景には、既に医療体制が瀬戸際にあるという危機認識があるようだ。まず、新型コロナウイルスによる致死率は7.14%で、もっとも深刻な被害が出ているイタリアの9.51%やイランの7.86%並みに高い(3月24日現在)。これは、医師や看護師が外国に流出し続けたという脆弱な医療体制を反映していると考えられる。次に、検査が可能なのは首都圏の一部病院に限られており、100万人当たりの検査数は11.6人と、感染国のなかでインドネシアに次いで低い。行政機構の弱さと相まって、このような状況では緻密なクラスター対策など不可能である。そして、海外との出入りが非常に激しい「出稼ぎ国家」の実態を鑑みれば、検査手段を持たない地方にもウイルスが侵入している可能性が高い。地方では医療体制はさらに脆弱なので、いったん感染が拡大すれば瞬く間に医療が崩壊しかねない。

マニラ首都圏でさえ、防護服などの備品が足りなくなりつつあるとの悲痛な叫びが医療関係者から早々と上がっており、既に医療体制に限界が見えつつある。3月24日までに、医師4名が新型コロナウイルスに感染して死亡している。また、主要な2つの病院では、医療の崩壊を防ごうと感染の疑われる500名以上の医療スタッフが自己隔離に入ったことに伴い、新型コロナウイルス患者の受け入れを制限している。

犠牲となる経済

厳格なコミュニティ防疫の断行が、経済に打撃を与えることは織り込み済みである。フィリピン政府は、2020年度のGDP成長率を6.5から7.5%と見積もっていたが、これを5.5から6.5%に下方修正した。この数値は民間の予想よりもかなり楽観的なうえ、7月末までにウイルス問題が収束することを前提に算出されているので、実際にはさらに落ち込む可能性が高い。

経済成長の阻害要因には、コミュニティ防疫に伴う民間企業の営業停止など経済活動の縮小もあるが、フィリピン経済の生命線である海外送金そのものが鈍る可能性も高い。フィリピンの経済成長は、人口の一割以上を占める海外出稼ぎ者からの送金を背景とした活発な消費活動によって牽引されてきた。しかし、フィリピン政府は今年度3%の増加を見込んでいた海外送金の成長率を、2.2%に下方修正している。海外出稼ぎ者が集中するアメリカ西海岸やカナダ、サウジアラビアやアラブ首長国連邦で、さらに新型コロナウイルスが広まれば、海外送金の落ち込みはいっそう深刻になるだろう。

また、輸出加工区における工場の営業停止や、外国人へのビザ発給停止と航空機の停止に伴う観光業の落ち込みも、経済に深刻な影響を与えると懸念されている。

規制に耐える国民

厳格なコミュニティ防疫の全国への拡大は、大きな衝撃と混乱を社会に与えている。ルソン島全域における公共交通機関の停止によって、自家用車を持たぬ人々は通勤もできなくなった。多くのバランガイ(最小行政単位)は、チェックポイントを設置すると同時に、各家庭に1部のみ通行許可証を発行し、食料品の買出しもその携帯者に限定している。午後8時からの外出禁止は、戒厳令期の夜12時からよりも厳しい。地方政府のなかには、24時間の外出禁止を採用するところも増えている。軍や警察による監視体制が強化され、緊急時以外の外出者には、支援物資の停止、罰金、逮捕といった罰則を課される。こうしたなか、人々は多大なストレスに耐えながら生活している。

外出禁止に伴う経済活動の停止は、人々の生計基盤を脅かす。パネロ大統領報道官は、「一か月くらいで飢えて死ぬ者はいない」と発言したが、外出禁止はその日暮らしの貧困層にとって生計の破綻を意味する。労働雇用庁によれば、露天商などのインフォーマル労働者は38%を占めており、彼らは雇用主から生計保障を受けることもできない。また流通の滞りに伴う食品価格の高騰も生活を圧迫している。こうした危機において、各地方政府は、災害時のように食料品等の緊急支援物資を配給している。また中央政府は、60日間の物価凍結命令を発表し、賃貸の猶予、ボーナスの先払い、公共料金の支払い延期などを民間に要請した。インフォーマル労働者・中小零細企業への支援も実施予定である。しかし、貧困層による生活苦への不安を取り除くには至っていない。

都市貧困層はスラムの狭い部屋ですし詰めの生活を強いられている

それにもかかわらず、今のところ大きな社会不安は生じていない。防疫措置の不手際や混乱、十分な支援物資を配給しない地方政府など、防疫の実施手段を批判する声はあっても、厳格な防疫措置そのものに反対する目立った動きはない。その背景には、大統領への8割近い支持率と、危機におけるナショナリズムの高まりがあろう。大多数の人々は、苦しい中にもかかわらず、自発的に政府の規制を受け入れて、それに協力しようとしている。現場で尽力する医療関係者らに励ましの声を送るとともに、自らは外出禁止などの措置を遵守することで祖国の危機回避に寄与しようとしている。医療体制も行政機構も脆弱であることを理解しているからこそ、人々は自発的に国家の防疫に協力しようとしているのだといえよう。

また、経済成長のなかで、すぐさま生存を脅かされるほどの困窮を強いられる貧困層の数がかつてより少なくなってきたこともあろう。行き場のないホームレスの人々に対しては、大学やレストランが宿泊空間を提供する動きもある。生活困難者による犯罪行為が増えていると報告する投稿がソーシャルメディアで出回りつつあるが、国家警察によれば、監視体制の強化に伴い、むしろ犯罪発生率は低下しているという。

もっとも、フィリピンでは給与を2週間ごとに受け取るのが一般的なので、低所得層が無収入でやりくりできるのは2週間が限界であろう。3月23日、国会では大統領に大幅の予算権限を集中させる特別立法が成立し、大統領は1,800万世帯に毎月5,000から8,000ペソを支給することを予定している。4月初めまでに、政府がこうした支援策を実施することに失敗すれば、社会不安が生じる可能性も否定できない。

「麻薬戦争」から「コロナ戦争」へ

厳格なコミュニティ防疫には、ドゥテルテ政権の展開してきた一連の規律的統治と連続性がある。ドゥテルテ政権は「規律」を掲げて、麻薬犯罪者の厳罰、腐敗した役人の取り締まり、タバコ・酒など嗜好品の増税などを通じて、品行正しい生活を送る「善き市民」たることを国民に要請してきた。不自由を求める規律的統治が人気を呼ぶのは、フィリピンがまともな新興国になるためには、あらゆる違法行為を黙認してきた既存の腐ったシステムを破壊する必要があると、大多数の国民が考えるようになったからである。私的利益のために公的制度を歪めることが一般化してきた社会で、その弊害を憂い、「公」の利益を重視する人々が増加してきたともいえる。ドゥテルテ大統領は、麻薬の蔓延を国家の危機と定義し、麻薬使用者・密売人を「悪しき他者」として排除していくことで、高い支持を得てきたのだ(日下2018)。

コミュニティ防疫は、この規律的統治をさらに強化している。そこでは、科学的知見に基づく疫学的な必要性よりも、危機を克服するためとして、規律の名のもと市民に不自由を耐えさせることが自己目的化しつつあるようにさえ感じられる。たしかに中央政府の対策は、脆弱な医療体制のもとで感染の拡大を初期に封じ込めようとするものとして理解できる。しかし各地方政府は、感染例が出ていない地域でも、24時間の外出禁止や、治安維持のための酒類の販売禁止など、より過激な規制を競うかのように導入してきた。カビテ州では、外出禁止違反、飲酒禁止違反などによって2日間だけで586人が拘束された。拘束された者は、広場に等間隔で並ばせられ、メディアを通じて晒し者にされる。夜間に出歩いた若者を大きな犬小屋の中に拘留した地方政府もある。

地方政府の方が過激化する理由には、そもそも適切な検査体制が存在しないという不安感がある。加えて、医療関係者の通勤のために公共交通機関の停止を柔軟に適切しようとした地方首長に対して、大統領が「中央政府の命令を遵守しなくてはならない」と強く叱責したことの影響もあろう。多くの地方首長が大統領に忖度し、また社会を統制できる強いリーダーをアピールしようと、こぞって中央よりも厳格な措置を実施しようとしているようだ。

「善悪」に分断される人々

こうした厳格な措置のもと、人々のストレスの矛先は防疫措置の規律を守らぬ者らへと向かっている。ソーシャルメディアでは、地方首長に防疫措置を守らぬ住民の取り締まりを訴える投稿も目立つ。コミュニティ防疫を告知したボホール州知事のフェイスブック投稿には、次のコメントがトップについた。「州知事の人々への配慮に感謝申し上げます。どうか全てのバランガイにチェックポイントを設置してください。外を歩いている老人が未だにいます。小さい子供を乗せたバイクもまだ街頭で見かけます。こうした頑固な人々をどうか罰してください」。

相互監視が強まり、隣人らを地方政府に通報する行為も広まっている。私の身の回りでも、体調を崩して仕事を二日間休んだら、同僚に密告されたのか、防護服を着た保健省の職員によって病院に連行された人がいる。防疫措置を守らず島外から戻ってきた姪を、叔母が役所に通報したという話も聞いた。私自身、2歳の子供をちょっと外に出す時でさえ、近所の目を気にせざるをえない。

私の暮らすタグビララン市でも軍人を乗せた州政府の車両が頻繁に巡回している

規律を強調するコミュニティ防疫は、「麻薬戦争」と同様、人々を善悪に分断している。不自由を強いる規制を自発的に受け入れ、政府に協力する者が「善き市民」として認められる。しかも防疫の違反者への罰則に支援リストからの排除があるように、「善き市民」であることが政府による支援の条件となっている。他方、防疫措置を破って外出したり、政府批判を繰り広げる者は、ウイルスの拡散を助長して国家と人々の命を脅かす「悪しき他者」として断罪される。

こうした道徳的な二分法は、大統領を支持するフェイスブックのグループ・ページ等で多数見出すことができる。例えば、ドゥテルテの選挙スローガンにちなんで「勇敢と慈悲のための連帯」(kaisa sa tapang at malasakit)と名づけられたグループ・ページでは、3月17日に次の投稿がなされ、1万1千のリアクションを呼んだ。

シンガポールではコロナウイルス感染者が増えても、なぜ対策が整っているのか。なぜマカオでは感染者がいないのか。それは、人々が政府に従う規律(DISIPLINA)をもっているからである。しかし、私の愛するフィリピンでは、休校が宣言されるや興奮した学生たちがショッピング・モールで映画を見たりして、両親もそれを黙認している。政府が一か月のコミュニティ防疫を宣言したら、ケダモノたちがエドサ通り(注)で、なぜ軍人を街頭に配置するのかとデモを始めた。彼らは看護師や医者になるため勉強するべきなのに。まったくケダモノの子らだ。なぜフィリピンでコロナウイルスの感染者が増えているのかといえば、あなたたち規律のない者たちのせいである。まったく単純だ。あなた自身の福利のためにも、政府が何を伝えているのかを理解できるよう規律を身につけなさい。文句を言う前に従いなさい。(注.マニラ首都圏の主要幹線で、1986年の民主化を実現したピープル・パワー革命の舞台となった)

広告業界から雇われたドゥテルテ陣営のソーシャルメディア戦略家は、大量のボランティアを動員しつつ、組織的な偽情報の拡散などによって世論を操作しようとしてきた(日下2020)。それゆえ、これもそうした投稿の一つに違いない。ソーシャルメディアを通じて拡散するこうした言説は、政府の強権発動を正当化すると同時に、人々の不満の矛先を政府に従わぬ「悪しき他者」へと転化する。やがて生活に困窮して犯罪に走る者も出てくるだろうが、彼らもストレスを抱えた人々と政権にとって格好のスケープゴートになるだろう。

ウイルスとの我慢比べに勝てるか

このように、フィリピンではドゥテルテ政権が断行した厳格な防疫措置に対して、大多数の人々が積極的に協力しようとしている。規律の名のもとに社会を完全に統制する国家というドゥテルテの野望がついに実現したかのようである。

ただし、厳格な防疫措置のストレスに人々が耐えられるのは、一か月が限界ではないかと考えられる。庭付きの一軒家であれば、外出禁止でも若干の気分転換をできよう。だが、首都圏では中間層の多くが間取りの大きくないコンドミニアムで暮らしている。バルコニーのない物件も多い。スラムで暮らす都市貧困層にいたっては、日々の食費を切り詰めつつ、狭い部屋ですし詰めになって暮らすことを強いられている。完全に外出を禁じられた子供たちのストレスも深刻だ。経済活動の停止と物価の高騰も人々の生活を苦しめている。

だが、政府関係者によれば、ウイルスのピークは6月から7月になると予測されているという。また、どこかでクラスター感染が発生すれば、特定の地域が長期間にわたって封鎖される可能性が高い。その際に、どのような形で防疫措置を継続するかが政権にとって鍵となろう。もしウイルスを封じ込む前に、人々による規律への自発的な服従が限界に達せば、危機を利用した政権の政治運営が困難に陥いることもありえるかもしれない。その意味で、フィリピンの厳格な新型コロナウイルス対策は、長期化すればするほど綱渡りを強いられるだろう。

参照文献

・日下渉 2018「国家を盗った義賊──ドゥテルテの道徳政治」、『21世紀東南アジアの強権政治――「ストロングマン」時代の到来』外山文子・ 日下渉・ 伊賀司・見市建 (編著)、明石書店.

・日下渉 2020「ソーシャルメディアのつくる「例外状態」──ドゥテルテ政権下のフィリピン」、『ソーシャルメディア時代の東南アジア政治』見市建・茅根由佳(編)、明石書店.

プロフィール

日下渉政治学・フィリピン研究

名古屋大学大学院国際開発研究科准教授。専門は政治学とフィリピン研究。1977年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、九州大学大学院比較社会文化学府博士課程単位取得退学、京都大学人文科学研究所助教等を経て、2013年より現職。博士(比較社会文化)。主要著作に、「秩序構築の闘争と都市貧困層のエイジェンシー――マニラ首都圏における街頭商人の事例から」『アジア研究』53(4):20-36頁(2007年、第6回アジア政経学会優秀論文賞受賞)、『反市民の政治学――フィリピンの民主主義と道徳』(法政大学出版局、2013年、第30回大平正芳記念賞、第35回発展途上国研究奨励賞)など。

この執筆者の記事