2014.06.05

覆されたインド政治の常識――与野党逆転を果たしたモディBJP政権の展望

笠井亮平 インド政治

国際 #会議派#政権交代#synodos#シノドス#インド人民党#世界最大の民主主義#BJP#モディ#インド選挙

2014年5月26日、インド人民党(BJP)のナレンドラ・モディ氏が第15代インド首相に就任した。

BJPは総選挙で単独過半数を超える議席を手にし、国民会議派が過去10年間担っていた政権を奪還した。インドでは過去四半世紀にわたり過半数を制する政党がなく、連立政権が常態化していただけに、今回の結果は驚きをもって受け止められている。

66.4%というインド史上最高の投票率を記録し有権者の高い関心が示された今回の選挙では、最近の同国の政治で当然視されてきた「常識」の多くが覆される結果が示された。その背景にあるのはインドに起きた経済・社会における変化と有権者のニーズの変化であり、BJPはこの状況に適応することで大勝した一方、与党・国民会議派は新たな潮流から取り残されてしまった。本稿では、この点について掘り下げるとともに、新たに発足したモディ政権の展望についても考察を行っていく。

新たにインド首相に就任したナレンドラ・モディ氏(インド首相公式ウェブサイトより)
新たにインド首相に就任したナレンドラ・モディ氏(インド首相公式ウェブサイトより)

インド政治の「常識」を塗り替えた選挙結果

総選挙の獲得議席は543議席中、BJPが282議席、同党主導の政党連合「国民民主連合(NDA)」では337議席。一方、与党の国民会議派の獲得議席はわずか44議席で、与党連合「統一進歩同盟(UPA)」でも60議席にとどまった。

筆者の前回の論考(「12億人の民主主義――政権交代の可能性が注目されるインド総選挙の見取り図」)において、筆者もBJPが第1党になるシナリオが最も可能性が高いと指摘していたが、ここまで同党が大勝することは予想できなかった。今回の総選挙はそれほどにインド政治で当然視されていた「常識」の多くを覆す結果となったのである。

graph1

第一に、政党が単独で過半数(272議席)を超えるのは困難という「常識」があった。インドでは1984年の総選挙で国民会議派が414議席を獲得したのを最後に過半数以上の勢力を確保した政党は現れておらず、地域政党、特定の宗教ないしカーストを支持基盤とする政党と連立を組むことが常態化していた。その結果、不安定な状態に陥る政権も少なくなく、政策の遂行に支障を来すケースや、なかには1998~99年のBJP政権[*1]のように、協力政党の連立離脱によって政権が短期間で崩壊するケースもあった。

[*1] BJPは1998年の総選挙で第1党となり連立政権を発足させたが、約1年後にタミル・ナードゥ州を地盤とする地域政党の離脱により議会で多数を維持できなくなった。ヴァジパイ首相は国民の信を問うため下院を解散、99年の総選挙で再度第1党となり続けて政権を担当することとなった。

2009年の前回総選挙では、会議派が単独で久々に200議席の大台を突破したことが注目を集めたが、それでも過半数には66議席足りず、同党を中心とする第二次UPA政権は投資誘致促進等の重要課題をめぐり迅速な意思決定を下しにくい状況が続いた。

今回、選挙戦時から「ミッション272+」という過半数超の議席獲得を目標に掲げていたBJPは、同党が州政権を握るグジャラート、ラジャスタン、マディヤ・プラデーシュといった西部の州では全議席独占かそれに近い大勝を収めた。また、インド最大州で最重要拠点と位置づけていた北部のウッタル・プラデーシュ(UP)州で80議席中71議席、東部のビハール州では40議席中22議席を獲得したことは、全国レベルでのBJPの大躍進を決定づけた。さらに、地盤が弱いと言われてきた南部及び東部でも小規模ながら議席を地道に積み増すことに成功した。この結果、目標議席数を越える成果を挙げる。前回比で166議席増(2.4倍)、過去最多だった1998年及び99年の182議席を100上回る大勝がもたらされたのである。

第二に、会議派の勢力は100議席を割り込むことはないという「常識」である。

会議派は過去15回の総選挙のうち5回(1977年、1989年、1996年、1998年、1999年)敗北しているが、いずれも3桁の議席は確保していた(最小獲得議席は1999年の114議席)。強権的政治や汚職問題、経済低迷等で与党批判が高まると、反現職要因が働き厳しい選挙戦になるが、そのような時でも全国各州に支持基盤を持つ会議派は一定の議席を確保してきた。今回も会議派の苦戦が選挙前から伝えられており、議席減は避けられないとの見方が同党内部を含め支配的だったが、100議席は維持できるのではないかとの見方が多かった。

しかし蓋を開けてみると、同党関係者をして「最悪の想定シナリオはあったが、それよりもさらに悪い結果」と言わしめるほどの惨敗を喫することとなったのである。44議席という数字は、政権を奪還したBJPがUP州だけで獲得した議席(71)よりも少なく、37議席を獲得して第3党となったタミル・ナードゥ州の地域政党、全印アンナ・ドラヴィダ進歩連盟(AIADMK)と大差のないレベルである。

会議派は選挙結果判明から3日後の5月19日に最高意思決定機関である「会議派運営委員会(CWC)」を開き、「この10年間で起きた重大な変化を読み取れていなかった」ことを敗因として挙げ、「有権者とのつながりを維持することができなかった要因について反省する必要がある」との考えを示した。

これまでであれば、「アイデンティティ・ポリティクス」「ボートバンク(票田)ポリティクス」と呼ばれる、特定のカーストに絞ったアピールや貧困層へのバラマキ的な政策によって支持を獲得する手法がいわばインド政治の「常道」だった。ところが、会議派自身が政権を担当した2期10年で経済・社会が大きく変化し、都市化の進展や中間層の拡大を背景として政治に対し有権者が期待する内容も以前とは異なるようになり、経済成長を可能ならしめるための基盤の整備、利権や賄賂に左右されない公正さが政府に求められるようになった。それにもかかわらず、会議派はこうしたニーズを十分に汲み取ることができなかったのである。一方、BJPはこの変化を見逃さなかったばかりか、そこに焦点を当てた選挙活動を展開することで、有権者の支持を獲得することに成功したとも言える。

選挙戦術面でも会議派には問題があったと言わざるを得ない。BJPがモディ首相候補を前面に押し出し、同氏を軸に選挙戦全体を展開させることに成功するなか、会議派はそれに対抗しうるだけの連合を形成することができなかった。逆に既存の連合の分裂が起こり、2013年3月には第1期UPA政権以来の連立パートナーだったドラヴィダ進歩連盟(DMK)がUPAから離脱した。また、前回総選挙で33議席(会議派総獲得議席の16%)を獲得した大票田である南部アーンドラ・プラデーシュ州では党内対立の結果、離党組が新党を立ち上げる事態も発生した。有力な地域政党がひしめき、BJPが攻勢を強めていたUP州でも単独に近い形で選挙戦に臨むこととなり、当選したのはソニア・ガンディー総裁とラーフル・ガンディー副総裁の2人のみという散々な結果に終わったのである。

第三に、議席数でBJPが会議派を上回るケースでも、得票率では会議派が勝っているという「常識」である。BJPは1980年に結党し、1984年の総選挙から本格的に参加するようになった。その後「ヒンドゥー・ナショナリズム」が高揚するなかで勢力を拡大し、1996年の総選挙で会議派を上回る161議席を獲得、初めて第1党に躍り出た[*2]。この選挙に加え、BJPは98年及び99年の総選挙でも第1党となったとはいえ、いずれも得票率では会議派のほうが優っていた(表2参照)。

[*2] この選挙結果を受けて、BJPはヴァジパイ政権を発足させたものの、議会で過半数の支持を集めることができず、同政権はわずか13日で崩壊。代わって、第三勢力を会議派が閣外協力で支える形の政権が発足した。

しかし、ここでもその「常識」が覆された。今回BJPの得票率は31.0%に達する一方、会議派は19.3%にとどまった。議席数はもちろん、得票率でもBJPは会議派に勝利したのである。この得票率に対し、BJPの支持はインド全体では3分の1にも満たないという慎重的な見方も可能だが、会議派ですら1996年以降の総選挙で得票率が30%を超えることがなかったことを踏まえれば、大幅な支持拡大であることは間違いがない。特に、最重点州のウッタル・プラデーシュにおけるBJPの得票率は前回の17.5%から今回の42.3%、ビハール州でも13.9%から29.4%とともに倍以上の伸びを示しており、両州での大勝を裏付けている。

graph2

このように、今回の総選挙は重要な「常識」が塗り替えられたという点で画期的な選挙だった。しかしその一方で、今回も健在だった「常識」があることも指摘しておきたい。それは、地域政党の存在の大きさである。会議派とBJPがインドにおける「二大政党」として知られるが、実は、総議席数(543)に占める両党の合計議席数の割合は1989年総選挙以降、1991年を除き、60%を超えたことはないのである。今回も両党の合計議席は326で、割合はちょうど60%だった。逆に言えば40%は両党以外の政党で占められているのであり、「二大政党+各州の地域政党体制」とした方が実態をより正確に表していると言える。

ただし、ここでも新たな傾向が見受けられる。インドにおける二大政党以外の政党は、(1)地域政党、(2)特定の宗教ないしカーストを基盤とする政党、(3)左派政党という3つのカテゴリーに大別することができる((2)及び(3)も優勢な地域に偏りがある場合が多いことから、広い意味で「地域政党」と一括することもある)。このうち、今回の総選挙では、(1)に分類されるAIADMKや西ベンガル州の全印草の根会議派(TMC)、東部オディシャ州のビジュー・ジャナタ・ダル(BJD)といった政党が20以上の議席を獲得する一方、(2)及び(3)に属する政党の多くは勢力を後退させる結果となったのである。

(2)の代表的な政党としては、UP州で低位カーストを支持基盤とする社会主義党(SP)や指定カースト(ダリット=被抑圧者の意。かつての「不可触民」の利益を代表する多数者社会党(BSP)があるが、前者はわずか5議席しか獲得できず(前回比18議席減)、後者に至っては議席ゼロとなった(同21議席減)。また、インド共産党(マルクス主義)等の左派政党は、前々回(2004年)の総選挙では59議席を獲得、会議派政権に閣外協力を行うことで存在感を発揮したものの、前回総選挙から議席を大きく減らし始め、今回はわずか10議席に終わった。

これが今後も継続する傾向なのか一過性の現象かは定かではないが、二大政党の議席の増減とは別に、こうした地域政党をはじめとする政党の浮沈も今回の選挙で特筆すべき点であると言える。

モディ政権を取り巻く課題は何か

新政権の最大の課題は経済再生であることは疑いがない。モディ首相は選挙期間中から、会議派主導のUPA政権下での経済停滞を厳しい批判を加えてきたし、有権者がBJPに投票した要因も経済に関する期待が占める部分が大きい。

外国からの投資減少やインフレの高止まり、ルピー下落、そして成長率の低下と、モディ政権が前政権から引き継いだ経済の現状は厳しく、容易に対処できるものではないが、ここで成果を出せるか否かで政権の真価を問われることになる。ここでは個別の課題には立ち入ることはしないが、モディ首相がいかなるアプローチで取り組んでいくのかについて考察を加えたい。

モディ首相にとって幸いなのは、総選挙大勝の結果、安定政権のもとで政策遂行に取り組んでいけるという点である。BJPはUPA政権を「政策決定が麻痺している」と批判してきたが、その大きな要因は先述したように、会議派単独では政権を維持できず、他党に協力を仰ぐ必要があったためで、連立与党内の調整に多大なエネルギーを費やさざるを得ないなど困難な政権運営を強いられたことにあった。

その点、モディ新政権は、1984年のラジーヴ・ガンディー政権以来初となる、議会に単独過半数の勢力を有した上で成立した政権である(1991~96年のナラシムハ・ラーオ政権も会議派単独政権だったが、議会における勢力は半数を下回っていた)。仮に政党連合・国民民主連合(NDA)に参加する他党が方針の違い等何らかの理由で離脱することになっても、BJP単独で政権を維持することは最低限可能である。経済立て直しは短期的な取り組みだけで実現できるものではないことからも、新政権が5年の任期をフル活用できる環境がもたらされた点は大きい。

モディ首相が掲げる方針の中心にあるのが「ガバナンス」である。今回の総選挙におけるBJPのマニフェストにはモディ首相の意向が随所に反映されていると見られており、そこでもガバナンスの向上に力点が置かれている。なかでも、中央と各州の関係を調整する「チーム・インディア」構想、電子化や合理化による行政の簡素化及び効率化、司法・警察改革等が目を引く。

また、モディ首相は就任直前に、「最小の政府で、最大のガバナンスを」のスローガンのもと、行政機構再編を視野に入れ、関係する部門を一人の閣僚に兼任させるとの方針を発表した。実際に、道路交通省と船舶省、電力省・石炭省・新エネルギー及び再生エネルギー省といった部門はそれぞれ一人の閣僚が兼任している。その結果、閣僚数は前政権の78人から45人に減り、コンパクトな態勢となった。さらに、モディ首相は2回目の閣議で、政権発足から100日間で取り組む行動計画の策定を閣僚に求めるとともに、公共サービスの効率的な提供やプログラムの速やかな実施についても指示を出すなど、現状の改善に早速取り組んでいる。

また、物理的なインフラ整備もモディ首相とBJPが重視する分野である。高速道路網や主要都市をつなぐ産業回廊構想の推進、低コストでの住宅供給、100の新都市建設、電気・水・ガスといったライフラインの改善が具体例として挙げられている。

ガバナンスの向上と合わせ、こうした重点項目を通じてモディ首相が意図しているのは「成長を生み出すための環境の整備」であり、その背景には政府は経済や社会に過度に介入するべきではなく、潜在力を十二分に発揮させるためのバックアップに徹するべきとの理念があると考えられる。また、モディ首相自身はグジャラート州首相に就任する前までは、BJPの州支部及び中央の本部で組織部門の責任者を務めていた期間が長く、そうした経歴が組織の整備を重視する姿勢を育んだとの見方も可能である。

ただし、国民の支持を背景とした安定政権だからといって、モディ首相の政策が円滑に実現するとは限らない。官僚主義が根強いと言われる行政組織の効率化や統廃合を性急に進めようとすれば官僚側からの反発も予想される。中央と州の関係を協調させるといっても、BJP以外の政党が政権を握る州と利害が相反する場合、いかに対処していくかといった問題も生じかねない。

例えば、前政権期から積み残された課題で、BJPも導入に賛成の考えを示している物品サービス税(GST)の導入は州の歳入に直接関わるものであり、慎重に進めていく必要があるだろう。インフラやエネルギーといった省庁の統合も、行政に対する監視が行き届かなくなれば汚職の温床になる可能性も否定できず、前政権の轍を踏むことになりかねない。

モディ首相はイスラム教徒との融和を図れるか

宗教マイノリティ、とりわけイスラム教徒との融和を図ることができるかもモディ政権の姿勢に注目が集まる課題である。インドのイスラム教徒人口は1億3,800万人余りに達するものの、総人口に占める割合は13.4%にとどまっている(2001年国勢調査)。イスラム教徒の間では、BJP自体が「ヒンドゥー・ナショナリズム」を標榜する政党であることに加え、モディ首相に対しても州首相を務めていたグジャラートで2002年に大規模な暴動が発生した際、多数のイスラム教徒が殺害される事態を招いたとして、今なお警戒感が根強くある。

モディ首相は選挙戦でもイスラム教徒らへのアウトリーチを積極的に試みてきたほか、新内閣ではマイノリティ担当相にイスラム教徒で女性のヘプトゥッラー上院議員を起用するなど、一定の配慮を示してきた(ただし、イスラム教徒の閣僚は45人中同氏のみ)。しかし、選挙期間中にモディ首相側近の一人がウッタル・プラデーシュ州でヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立を煽るような発言をして物議を醸したことがあったことを踏まえれば、安定政権となったが故にマイノリティへの配慮が薄れ、より強硬な姿勢が色濃く反映されないとも限らない。

インドの外交政策——高まる日本の存在感

モディ政権の成立は、インドの対外政策に変化をもたらすのだろうか。考えられるのは、経済外交をより強力な形で推進していくことである。そのために先ず必要なのは周辺国との関係を安定させることである。5月26日の就任宣誓式に南アジア地域協力連合(SAARC)の首脳を招待したのも関係改善に向けた意気込みの表れと言えるだろう。これに対し、パキスタンでは軍部等の対インド強硬派から慎重論があったものの、ナワズ・シャリフ首相は就任式への出席を決め、27日にはモディ首相との初会談も行った。

周辺国以外の二国間関係では、日本がインドにとってこれまで以上に重要な存在になるだろう。日本はモディ首相がグジャラート州首相時代に開始した投資誘致イベント「Vibrant Gujarat」にパートナー国として参加しているほか、製造業を中心に日系企業も同州に多数進出しており、官民ともに密接な関係を構築してきた。

モディ首相も日本への関心は高く、2007年と2012年の二回にわたり訪日した経験がある。特に、米国はモディ首相のグジャラート暴動時の対応を問題視して査証を発給しない姿勢をとっていたことから同首相との関係構築にやや出遅れているなかで、早くから良好な関係を積み上げてきた日本は有利な立場にある。モディ首相の初の外国訪問先として日本が最有力候補になっているとも言われ、日本としてもインドとのさらなる関係強化を図る絶好の機会が到来している。

加えてモディ政権の対中国政策にも関心が集まっている。モディ首相は選挙戦中、インド実効支配下にあるが中国も領有権を主張する北東部のアルナーチャル・プラデーシュを訪問した際、「中国は拡張主義的な考えを改めなくてはならない」「いかなる勢力もアルナーチャル・プラデーシュを奪うことはできない」と強硬な発言を行った。しかし、モディ政権の経済重視姿勢を踏まえれば最大の貿易相手国の一つである中国との関係を損なうことは得策でなく、是々非々の立場で臨むものと考えられる。

ただし、モディ首相は、東部の対中国境を含む地域を所管する北東部開発省の閣僚に元陸軍参謀長のV.K.シン下院議員――外務担当の閣外相も兼任――をあて、中国側と較べ遅れをとっていると言われる国境地域のインフラを整備する考えを示しており、備えを怠らない方針のようだ。

就任宣誓式でのモディ首相(右)とムカジー大統領(インド首相公式ウェブサイトより)
就任宣誓式でのモディ首相(右)とムカジー大統領(インド首相公式ウェブサイトより)

おわりに

本稿では、今回の総選挙でインド政治において当然視されてきた「常識」が覆される結果となり、その背景にはインドに起きた経済・社会における変化と有権者のニーズの変化があることを指摘した。それによってもたらされた新たな状況の下、BJPが効果的な選挙戦略を展開して有権者の支持を集めた一方、与党・国民会議派は新たな潮流を見極めることができず、同党史上最大の敗北を喫することとなったのである。

モディ政権が任期をまっとうする限り今後5年間国政レベルの選挙はない。しかし、州議会選挙は各地で順次行われる予定であり、そこでは本稿で指摘した様々な「変化」が定着して新たな「常識」となるのか、あるいは再び揺り戻しがあるのかが明らかになるだろう(2014年末までに、商都ムンバイを擁するマハーラーシュトラ州、首都デリーに隣接するハリヤナ州、北東部で中国と国境を接するアルナーチャル・プラデーシュ州で議会が任期満了を迎えるため、年内に選挙が行われる)。そこでは、経済再生をはじめとする諸課題に対するモディ政権の実績が評価される機会にもなる。対外関係は州議会選挙自体の争点になることはないものの、投資増加や大型開発案件への支援取り付け、周辺国との関係改善といった成果を挙げることができれば政権への追い風になる。有権者の期待を背負って発足したモディ政権の取り組みがいま、始まったのである。

プロフィール

笠井亮平インド政治

岐阜女子大学南アジア研究センター特別研究員。インド、パキスタン、中国の日本大使館で専門調査員を務める。専門は、南アジアの国際関係及びインド政治。共著に『軍事大国化するインド』(亜紀書房、2010年)、『インド民主主義の発展と現実』(勁草書房、2011年)など。

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