2015.07.15

親が「毒親」だからといってあなたが不幸になる必要はない

『「毒親」の子どもたちへ』著者・斎藤学氏インタビュー

情報 #新刊インタビュー#毒親#「毒親」の子どもたちへ

「毒親論」は本質的に宿命論だ――「アダルト・チルドレン(AC)」の概念を日本へ導入した精神科医の斎藤学(さいとう・さとる)氏は、親バッシングに終始してしまう「毒親」ブームに警鐘を鳴らす。「毒親」の子どもたちにも、たくさんの可能性がある。「毒親」から本当に自由になるためには、どうしたらいいのだろうか。話題の書『「毒親」の子どもたちへ』についてインタビューを行った(聞き手・構成/山本菜々子)

「毒親論」は宿命論

――『「毒親」の子どもたちへ』では、「毒親論」を批判されていますね。

最初にお伝えしておきたいのですが、私は「毒親論」を批判しているのであって、「毒親」と呼ばれる親たちを擁護しているのではありません。また、この本を単純な「反毒親論」にはしなかったつもりです。

あとがきにも書きましたが、「毒親論」はACという概念と同じように、核家族をノーテンキに褒め称える「家族は天国」論へのカウンターになったと思います。実際、家族や家庭というのは、立場の弱い子どもや老人にとっては地獄になりえますから。

――それでも批判されたのは、どうしてでしょうか?

「毒親」という言葉は、スーザン・フォワードの『毒になる親(原題『Toxic Parents(毒親)』)』という著書で初めて使われました。子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親を「毒親」と命名しています。この本自体は、非常にバランスの取れたものです。

ところが、昨今の「毒親」ブームでは、親を糾弾するための言葉として使われています。最も重要な「これから自分はどうすればいいのか」という点をおざなりにしたまま、「毒親の子どもだから自分はもうダメだ」という宿命論になっているのです。これは、とても惜しい。だから、本を出したわけです。

――「どんな親たちの子であろうと、自分の未来は自分で決められるもの」と書かれていたのが印象的でした。

私は、アメリカで生まれた「アダルト・チルドレン(AC)」(注1)という概念を日本に導入しました。ACというのは、健康な家族の機能を果たしていない「機能不全家族」の中で育った人たちのことです。

(注1)アダルト・チルドレン(AC):もとは『アダルト・チルドレン・オブ・アルコホリックス(ACoA)』、つまりアルコール依存症の親のもとで育ち、大人になった人という意味。日本においては、嗜癖を持つ親、虐待する親、機能不全家族などで育ち、なんらかのトラウマを負ったと考えられる成人を指す。

そういう機能不全家族の中で育って“生きづらさ”を自覚している人たちにもたくさんの可能性があることを、普段の診療、ACの自助グループ(注2)の支援はもちろん、執筆においても、私は一貫して言い続けてきました。ACは着地点ではなく、そこから成長していくための出発点です。だから、現在の「毒親論」のように宿命的な着地点として語られるものは、丁寧に排除してきたと思っています。

(注2)自助グループ:シェアリングなどを通して当事者同士で助け合うことを目的としたグループ。

――言葉が適切に使われていない、ということでしょうか?

「毒親」という言葉が、独り歩きしてしまっているように感じます。

「アダルト・チルドレン」という言葉が使われ始めたときも、「子どもっぽい大人」や「大人っぽい子ども」を批判するための言葉として誤用され、便利に使われました。が、ACというのは他人にレッテル貼りをしたり、バッシングしたりするための言葉ではありません。当事者が、自分の行動パターンや感情を把握するための言葉です。

「毒親」もACから派生した概念ですが、その分かりやすさゆえに、より独り歩きしてしまっているように思います。「毒親」か「そうじゃない親」かが安易な二元論で語られ、親をバッシングするための言葉になっているようです。

だいたい人間のように多面的で多様なものを、「毒親」と「そうじゃない親」に簡単に分けることはできません。「親の価値観を押しつけられてきた」という理由で、自分の親を「毒親」であると主張する人がいます。「女の子らしくすることを強要されて嫌だった」「勉強ばかりさせられた」と。確かに子どもにとっては迷惑なことです。が、親だって子どもが社会に出たときに困らないようにと考えて、そうしたのでしょう。いたらない親ではあったでしょうが、そもそもほとんどの親はいたらない親です。

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他罰は自罰の裏返し

――しかし、これまでの日本では「親には感謝しなきゃ」と周囲から言われ、なかなか親を批判することは難しかったと思います。その中で「毒親論」は風穴を開けたと感じますし、自分の親を「毒親」だと認めたことで楽になった人もいるのではないでしょうか。

当然、自分の指標にする意味で、一時的に「毒親」という言葉を使うぶんには問題ありません。親を否定することで依存関係を断ち切っていくのは、誰もが通る健全な段階です。ただ、いつまでも「毒親論」にしがみついてしまうのは問題です。

私のクリニックには、さまざまな患者さんが訪れますが、最近のブームもあり、みなさん「私の親は毒親なんです」と言う。しかし、親に目を向けすぎると自分に目が向かなくなる。現在の問題も見えなくなる。そちらのほうが問題でしょう。

――現在の問題とは、なんでしょうか?

人によって嗜癖(アディクション)(注3)や人間関係の軋轢などさまざまでしょうが、なぜ自分はこんなつらい目にあっているのか、それを説明する言葉がほしくなって「『毒親』に育てられたから」だと考えます。つまり、「毒親」という言葉は、自分の現在の状況を表しているのです。

(注3)嗜癖(アディクション):依存症のこと。アルコールやドラッグ、ニコチン、カフェイン、食べ物などの物質に依存する「物質嗜癖」、ギャンブルやセックス、放火、窃盗、ショッピング、仕事などの行為過程に依存する「プロセス嗜癖」、人間関係に依存する「共依存」、恋愛に依存する「恋愛依存」などがある。

本当のところ、人生においては親以外のさまざまな人との関わりがあり、それによる挫折があるはずです。それなのに「毒親」という言葉を安易に使うことによって、親子間だけの直接的な原因結果論と考えるのは単純すぎるでしょう。

そうして「自分の親が毒親だから、こんなにつらいんだ」と思って親を責め続けるのは、他罰的な考え方(他罰感情)と言えます。これは「こんな自分で申し訳ない」という自罰感情の裏返しではないでしょうか。他罰も自罰もよい変化をもたらしませんから、どちらも手放したほうがいいと思っています。

――なるほど。では、親について語る必要はないということですか?

シェアリング(注4)の場などで語ることには、大きな意味があるでしょう。

それでも「親からこんなことをされた」「親から愛情を受けてこなかった」と過去に目を向け続けるだけでは、現在の状況は改善しません。過去(子ども時代)を変えることはできません。また、他人である親を変えることも、なかなかできないでしょう。そもそも、簡単に変えられる親ではないから「毒親」だと思っているはずです。

(注4)シェアリング:多数の好意的聴衆の前で、自分の困っていることについて誠実に語るというもの。主に自助グループや精神科などで行われている。

確かに過干渉だったり無視したり、虐待したり、精神障害を持っていたりと、「毒親」と言われても仕方のない親もたくさんいます。ですが、その場合でも、現在の自分のつらさに目を向けないと問題は解決しないのです。

どんな自分になりたい?

――『「毒親」の子どもたちへ』は過去に目を向けるのではなく、未来をどうするのかを考えていく本なのですね。

そうですね。私がACの概念を導入したときから、「じゃあどうやって治せばいいの」という声は、たくさんいただいていました。本の前半は毒親論への反論になっていますが、後半ではその問いに答えるべく、精神療法の総括のような形で書きました。

よく私は患者さんに「治ったら何をしたいですか?」と聞きます。そうすると、みなさん「学校に行きたい」「仕事をしたい」と答えますから、それは本当に自分がしたいことなのかもう一度考えてもらいます。

自分にとっての目標を「自我理想」といいます。自我理想が見えないときに、人は疑心暗鬼になり不安になってしまうのです。逆になりたい自分に近づこうと努力すると、自罰のエネルギーを他に向けることができます。ただし、自我理想は何でもいいというわけではありません。うまく設定してやることが大事です。

――自我理想をうまく設定する……、難しそうですね。

たとえば女性の場合、「自我理想」を痩せた人に設定してしまうことがあります。「痩せれば幸せになれる」と誤解した結果、必要以上に痩せすぎてしまうのです。これは間違った設定の仕方ですよね。ところが、そういう人に限って、勉強ができることが多いんですよ。食欲をコントロールできるほどの強い意志を持っているからです。そのエネルギーを他へ向けると、高い能力が発揮できる可能性があります。

――間違ってしまった場合は、どうしたらいいのでしょうか。

私の担当している患者さんにも、誤った自我理想を設定したために、摂食障害になってしまった女性がいました。彼女も非常に勉強ができ、医学部に入りました。でも、卒業して研修医になると、医者は体力勝負ですから、栄養不良ではついていけなくなります。それが不安でものを盗むようになり、何度もつかまってしまいます。精神病院に入りましたが、人前に出るのがこわくなってしまいました。

まず、私は彼女に「痩せる」以外の目標を立ててもらいました。彼女は認定医になることを目指すことにしました。「痩せた女性」から「認定医」に自我理想をチェンジさせたわけです。そうすると、いやが応でも体力が必要ですよね。ある程度の食事をとらないと仕事をこなせません。今、彼女は研修医としてがんばっていますよ。

――なるほど。間違えても設定し直せばいいんですね。

そうです。彼女には、認定医になったあと、摂食障害を治療する専門のセラピストになるようすすめています。摂食障害をよく知っているわけですから、治療のプロフェッショナルになれるでしょう。さらに、摂食障害の専門医が過剰に痩せていたらまずい。自分で自分のことをコントロールするようになるでしょう。最初の患者としての自分と向かい合うことになるんです。

このように、どんな自分になりたいのかを考えます。そして、その自分を演じてみましょうと。外見から入っていくのも効果的です。目標に一歩でも近づこうという意欲が、生活を秩序だてるからです。自我理想があれば、それに近い行動かどうかで日常生活の場面でもYESかNOか判断できますから、少なくとも砂漠の中で一人迷子になっているような状態にはなりません。日々の指針になるわけです。

――それを続けていくことで未来は変えられる、と?

残念ながら過去は変えられないけれど、自分の考え方と未来は変えられます。本の中では、夏目漱石の『明暗』を紹介しながら、そのヒントを提供したつもりです。

タイトルの『「毒親」の子どもたち』というのは、自身を健全だと思って毎日を過ごしている人たちをも含めた全ての人のこと。みなさんが自分自身の人生を進むための一助になれば、そう願っています。

プロフィール

斎藤学精神科医

1941年生まれ、精神科医。慶應義塾大学医学部卒業後、フランス政府給費留学生、国立久里浜病院精神科医長、東京都精神医学総合研究所副参事研究員などを経て、95年にさいとうクリニック、家族機能研究所を設立。摂食障害やアルコール中毒などの嗜癖(依存症)、家族の機能不全に関する研究の第一人者として日本嗜癖行動学会理事長などを務める。日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン(JUST)ほか、数多くの自助グループを支援し、各地で講演やワークショップなどを行う。『アダルト・チルドレンと家族』(学陽書房)などの著書、翻訳書、多数。

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