2017.11.06

自由を求めるヒーローか、人類共通の敵か――海賊から世界史を読む

『海賊の世界史』著者、桃井治郎氏インタビュー

情報 #新刊インタビュー#海賊の世界史

「わたしは小さい舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝と呼ばれるだけです」と、ある海賊がアレキサンダー大王に答えたという逸話がある。じっさい海賊は決して自明な存在ではない。海賊の歴史を紐解くとき、そこに現れるのはたんなる掠奪者をこえた多彩な存在のあり方なのだ。海賊とは何なのか? 『海賊の世界史』の著者、桃井治郎氏にお話を伺った。(聞き手・構成 / 芹沢一也)

――桃井先生はどのような研究をなさっているのですか?

これまで、北西アフリカのマグレブ地域を主なフィールドに、国際関係論と平和学の観点から研究してきました。具体的な研究テーマとしては、19世紀初頭の北アフリカとヨーロッパの国際関係史、それから現代のテロリズム問題についてです。海賊史については、19世紀初頭のバルバリア海賊の終焉期の研究から始めました。

――バルバリア海賊、ですか。

はい。19世紀初頭の北アフリカは、モロッコを除き、オスマン帝国領でした。オスマン帝国アルジェ領、チュニス領、トリポリ領ですが、これら諸領を本拠地としてイスラームによるバルバリア海賊が活動し、キリスト教徒に対して掠奪行為を働いていたんですね。ヨーロッパ主要国はバルバリア海賊の活動を抑えるために、18世紀末に北アフリカ諸領と和平条約を取り交わしています。

一方、19世紀初頭のヨーロッパでは、ナポレオン戦争の終結後、ウィーン体制と呼ばれる大国の協調体制が構築されました。そのウィーン体制のもと、ヨーロッパの大国が北アフリカのバルバリア海賊を廃絶するとの決議を行ったんですね。そして実際に、その決議を通告するために、英仏艦隊が北アフリカ諸領に派遣されました。その外交をめぐる政治過程が大変興味深く、博士論文のテーマとして選んだのが、海賊史の研究を始めたきっかけです。

――もともと海賊史にご関心があったんですね。それがなぜ現代のテロリズムの問題に?

現代のテロリズム問題については、2013年1月にアルジェリアで発生した天然ガス施設襲撃事件、一般にアルジェリア人質事件と呼ばれているものですが、この事件以降、本格的に関心を持ちました。

私は、2008年から2011年までの3年間、在アルジェリア日本国大使館で専門調査員として勤務したのですが、そのときにお世話になった方もこの事件で犠牲になったこともあって、自分なりにテロリズムの問題を考えてみたいと思い、研究を始めました。

――それが『アルジェリア人質事件の深層』(新評論)に結実したわけですね。

そうなります。19世紀の海賊史と現代のテロリズム問題という別々のように見える研究テーマなのですが、どちらも国際社会のアウトサイダー、アウトローとしての問題性が含まれているという点では共通していますね。その点を意識しながら研究を進めています。

――そんな桃井先生が、今回、19世紀を超えて、海賊の「世界史」を書かれようと思った理由は何でしょうか?

海賊というのは、匪賊、つまり集団的に略奪などを行う賊ですので、歴史的に見れば小さな存在です。また、逆賊としての要素もあるので、正史には現れない存在だと思っていました。ですが、それだけに、消え去った歴史、あるいは実現しなかった歴史を探る上で、海賊の存在は面白いのではないかと考えたんです。そこで、海賊の視点から世界史を再読してみようと思い立ちました。

実際に海賊について調べ始めると、「人類共通の敵」として歴史に大きな影響を及ぼした海賊や、あるいは、時代によっては国家の英雄として扱われた海賊も存在し、一筋縄ではいかないことに気がつきました。むしろ、海賊がそれぞれの時代にどのような存在であったのかを探ることで、その時代の特徴が見えてくるのではないかと考えるようになりました。

――一言で海賊といっても、歴史を通じてつねに同じように捉えられていたわけではないのですね。

ええ。たとえば、ギリシア神話においては、アキレウスやオデュッセウスといった英雄たちが自らの海賊行為を誇らしげに語っていますし、ヘロドトスの『歴史』においても、海賊行為は悪業としては見なされていません。むしろ、偉業をなしとげる力を持った英雄による行為として描かれています。

しかし、古代ローマの時代になると、海賊はパクス・ロマーナを脅かす存在となります。哲学者のキケロは、「海賊は人類共通の敵」と表現しています。さらに中世には、イスラーム世界とキリスト教世界の対立の中で、お互いに対する海賊行為は正当化されました。さきほどのバルバリア海賊もその一形態です。

また、大航海時代には、イングランドやフランスは、スペイン帝国に対抗するため、スペインに対する掠奪行為を黙認し、ときには奨励します。しかし、近代になり、海洋の自由、商業活動の自由が求められるようになると、海賊行為はふたたび「人類共通の敵」となり、鎮圧の対象となっていきます。先ほど述べたバルバリア海賊の終焉過程も、この文脈上にあります。

こうした国際秩序は現代にも引き継がれていますが、ソマリア海賊に見られるように、近代の主権国家体制のほころびとして、現代にふたたび海賊が現れる事態になっています。

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――そうしたなかで、先生がもっとも強い印象を持った海賊は誰でしょうか?

一人選ぶとしたら、「バルバロッサ兄弟」として知られたハイルッディンでしょうか。彼は1475年、エーゲ海のレスボス島で生まれたのですが、生家は裕福ではなかったと言われています。その後、兄のウルージとともに海賊業を始め、海賊の首領となったウルージとともにチュニスやアルジェに根拠地を移しました。ウルージはアルジェの統治者を殺害し、アルジェの支配者となるのですが、海賊討伐のために派遣されたスペイン軍に敗れ、命を落とします。

ウルージの跡を継いで、アルジェの支配者になったハイルッディンは、オスマン帝国に助力を求めました。以後、アルジェはオスマン帝国アルジェ領となり、ハイルッディンはアルジェ領の総督の地位を得ました。

――海賊ってけっこう公的な地位に出世するんですよね。ハイルッディンも総督になったわけですね。

そうです。さらには、海戦の経験が豊かなハイルッディンは、オスマン帝国のスルタンであるスレイマン1世に見込まれ、オスマン帝国海軍の大提督に指名されることになります。つまり、一介の海賊からオスマン帝国海軍のトップに大出世を果たしたのです。

ハイルッディンはオスマン帝国海軍を率い、ヨーロッパ神聖同盟の艦隊とプレヴェザの海戦(1538年)を戦いました。プレヴェザの海戦は、ヨーロッパ艦隊の総司令官アンドレア・ドーリアの撤退もあり、最終的な決着はつかなかったのですが、いずれにせよ、その後の世界史の行方を左右するヨーロッパとオスマン帝国の衝突において、海賊が大きな役割を果たしたことになります。

ハイルッディンはたしかに海賊出身なのですが、その生涯は波乱に満ちており、歴史に与えた影響という点から見ても、16世紀イングランドの海賊フランシス・ドレークと並ぶような人物だと思います。

――ドレークもイギリスでは英雄です。

ドレークは、中南米やカリブ海地域のスペイン領やスペイン船を掠奪して回った海賊ですが、当時のエリザベス女王は、ドレークの海賊行為の遠征に対して、裏側では資金援助をしていました。

ドレークが掠奪品を満載にしてイングランドのプリマス港に戻ると、その利益の一部はエリザベス女王にも渡りました。言うなればエリザベス女王は、ドレークの海賊行為に投資をしていたことになります。エリザベス女王としては、新世界の富を独占するスペインへの対抗意識もあったのでしょう。

――スペインがアメリカ大陸で掠奪した富を、女王が海賊を使って掠奪させていた、というのもすごい話ですよね。

投資するだけの見返りがあったんですね。ドレークは、海賊行為をしながら結果的にマゼラン艦隊に次ぐ人類史上2度目の世界周航を果たすことになるのですが、このときの遠征の利益は莫大でした。エリザベス女王が得た取り分だけでも、当時のイングランドの対外負債を返済し、さらには、レヴァント会社設立の出資金となるほどでした。

のちに、レヴァント会社の利益によって東インド会社が設立された経緯があることから、経済学者のケインズは、ドレークの遠征が「イギリスの対外投資の基礎になった」と記しています。そうなると、イギリスの経済発展や資本主義は、海賊がその原資をつくったということになります。

そのため、おっしゃるように、ドレークは今もイギリスでは英雄です。ゆかりのあるプリマスの公園には、ドレークの立派な銅像も立っています。

――ハイルッディンにせよドレークにせよ、海賊とはたんなる掠奪行為をする存在ではなく、覇権をめぐる国際関係に深くかかわるアクターだったことがよくわかります。海賊は、近代の国際秩序の形成にも寄与したとのことですね。

もし、ドレークのような海賊がいなければ、新大陸でのスペインの支配が強固になり、世界的に見ても、スペイン帝国が覇権を握る国際秩序が構築されていたかもしれません。その点で海賊の存在は、スペイン帝国の覇権的支配を打ち砕き、ヨーロッパ諸国が競合する国際秩序を生み出すのに貢献したといえるでしょう。

イギリスやフランス、オランダなどはスペインに対抗するため、戦時には民間船に私掠状と呼ばれるスペイン船襲撃の許可状を発行しました。私掠というのは、交戦国に対する国家公認の海賊許可証です。

ただし私掠船は、戦争が終われば、掠奪行為は認められないのですが、実際には戦争が終わっても、その利益の大きさなどから、海賊行為を継続する文字どおりの海賊が現れました。そうした海賊の存在は、北米に植民地を築いたイギリスなどにとっても、貿易や植民地経営を妨げる存在となります。そのため各国は、徐々に民間の私掠船に頼らず、自国の海軍を強化する方向に変わっていきます。海賊の存在によって、結果的に主権国家による暴力独占が進んだとも言えます。

さらに、冒頭でも話しましたが、19世紀のバルバリア海賊の廃絶は、ヨーロッパの大国の協調体制のもとで進められました。つまりそこで、国際社会としてのヨーロッパと、国際社会外の存在としての北アフリカに二分する国際秩序が生み出されることになりました。国際社会内部では、お互いの主権を尊重する「寛容」原理が適用されたのに対して、国際社会外、つまりは他者としてのイスラーム世界には、自らの規範やルールを強要する「文明化」原理が適用されることになったのです。

海賊の存在は、近代国際秩序である主権国家体制と国際社会の萌芽に寄与したと言えるでしょう。

――これまで何度かバルバリア海賊の話題が出てきましたが、9.11の後、アメリカでバルバリア海賊の歴史に注目が集まったとのことですね。

はい。先ほど話したとおり、18世紀末、ヨーロッパ各国は、北アフリカ諸領と和平条約を締結し、バルバリア海賊による襲撃を免れていました。ただし、和平条約の締結にあたっては、北アフリカ諸領への貢納を条件とするなどの規定がありました。そのため、貢納を拒否したり、あるいは和平条約を締結していない国に対しては、海賊行為は継続され、18世紀末当時でも、北アフリカに数万人のキリスト教徒奴隷が存在していました。

――ヨーロッパは北アフリカ諸領にお金を払って、イスラーム教徒の海賊行為を止めてもらっていたわけですね。

そうです。しかし、建国直後のアメリカは、北アフリカ諸領への貢納を拒絶しました。そのため、北アフリカ諸領と対立することになります。アメリカ政府は北アフリカに艦隊を派遣し、軍事的な圧力のもとでバルバリア海賊の要求を拒否しました。

9.11事件の後、このときの歴史が対テロ戦争の起源として見直されることになりました。つまり、バルバリア海賊という無法者との対決に、世界に先立ってアメリカが着手し、最終的に打ち勝ったというストーリーによって想起されることになったのです。

言い換えれば、アメリカは、国際秩序を乱す海賊を廃絶させるためにパイオニアの役割を果たしたのだから、21世紀の現代でも、テロを鎮圧する役目を果たし、そしてその試みは最終的に成功するという神話を広めるのに、バルバリア海賊の歴史が役立ったことになります。

ただし、こうした神話化は負の側面もあります。対テロ戦争に打ち勝つという神話は、はたして現代の対テロ戦争が成功するのか、また、その手法が正しいものなのかという点を忘却させ、無根拠の楽観論を広げる危険があるからです。

――そうしたなか、アメリカの外交と国際テロリズムの関係について、チョムスキーがアレキサンダーの大王の逸話を取り上げて批判したというのが興味深かったです。大王の遠征も海賊も本質は同じであって、「わたしは小さい舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝と呼ばれるだけです」と海賊が大王に答えたという逸話です。

海賊とテロリストは、どちらも国際秩序の側から見ればアウトサイダーであり、アウトローでもあります。そのため、海賊やテロリストに対しては、国際秩序内で適用されるルールは無視され、容赦のない鎮圧作戦が実施されることになります。

大王と海賊のエピソードから考えるべきは、たんに力を持ったものが正義を持つとすれば、大王と海賊の間には力の大小以外の違いはないということになります。力を持ったものが正義となり、逆賊を掃討するとなると、国際政治における専制につながってしまいます。

国際政治において正義の問題を考える際に問われるべきは、正義とは何か、正義は誰が定めるのか、そして、どのように正義を適用するのかという問題です。つまり、海賊やテロリズムの問題を考える際に重要なのは、たんに安全保障の観点からそれらを力で鎮圧すれば良いということではなく、国際政治においても民主主義の確立が重要になるという点だと思います。チョムスキーが提起したのは、こうした問題ではないでしょうか。

――他方で、人はときに海賊に魅せられますね。その理由とは何なのでしょうか?

海賊にはふたつの側面があると思います。

ひとつは、船を襲撃し、町を掠奪するという暴力的な側面です。当然ですが、人道的意識が確立した現代では、このような暴力的な側面としての海賊は否定されるべきです。

ただし、海賊にはもうひとつの側面、つまり、秩序に対する反逆、国家に対する個人、管理に対する自由という側面もあります。海賊は、反逆や個人や自由の象徴となっているのです。

現代社会はあらゆる側面で人間の管理化が進んでいますので、そのことへの反発として海賊が憧憬の対象になっているのだと思います。つまり、管理社会に抗し、自由に生きるという海賊的生き方が、海賊ブームの背景にあると思います。その意味では、今後も海賊の存在は反逆のシンボルとして繰り返し想起され、生き続けていくと思います。

プロフィール

桃井治郎マグレブ地域研究、平和学

1971年、神奈川県に生まれる。筑波大学第三学群社会工学類卒業、中部大学大学院国際関係学研究科中退。博士(国際関係学)。中部高等学術研究所研究員、在アルジェリア日本国大使館専門調査員などを経て、中部大学国際関係学部准教授。専攻は国際関係史、マグレブ地域研究、平和学。

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