共鳴する「どうせ」で、いのちの選別を行わないために

尊厳死が合法化された国々では、いまなにが起きているのだろう。世界で並列して進行している「死の自己決定権」と「『無益な治療』論」とは? 世界は、時代は、どこへ向かおうとしているのか。2013年8月に出版された『死の自己決定権のゆくえ』(大月書店)著者・児玉真美さんへのメールインタビュー。(聞き手・構成/金子昂)

 

 

いつの間にか世界がコワい場所になっていた

 

―― 最初に、児玉さんが「尊厳死」についてお調べになられるようになったきっかけをお聞かせください。

 

実は、何らかの問題意識から「海外の安楽死や自殺幇助を調べよう」と思い、調べ始めた、というようなことではなかったんです。きっかけは、やっぱりアシュリー事件との出会でした。米国シアトルの病院が重症重複障害児(当時6歳)から子宮と乳房を摘出し、ホルモン大量投与で身長の伸びを抑制した、という事件です。2007年の初頭に世界中で大きな倫理論争になり、わたしの娘がアシュリーとほぼ同じ障害像だということもあって、たちまち取り憑かれてしまいました。

 

米国にもこの事件に取り憑かれた障害当事者のブロガーがいるんですけど、そのウイリアム・ピースという人がこの前、「自分はアシュリー事件と出会ったことで自殺幇助の問題を考えるようになった」とブログに書いていたんですよ。「おぉ、おんなじだ!」と思わず手を打ちました。

 

“アシュリー療法”というのは前例のない医療適用なので、その論争では既存の議論が援用されてくるのですが、子どもや自分で決めることのできない人の医療については誰に決定権があるかとか、親や法定代理人の決定権の範囲はどこまで認められるかといった、医療における意思決定の問題がそこに出てくるんです。利益と害の比較考量や、身体の統合性・不可侵性(インテグリティ)、尊厳なども論点でした。そういうのは、これまで医療の差し控えと中止の問題で議論されてきた論点なんだな、ということが、論争を追いかけていると、なんとなく分かってくる。

 

たとえば、ピーター・シンガーは重い障害のある新生児の救命医療をするかしないかの決定権が親に認められている、ということを根拠に“アシュリー療法”を親が選択することを擁護しますし、障害当事者らは”アシュリー療法”の正当化論は2005年に重症の認知障害のある女性から栄養と水分が引き上げられたシャイボ事件と同じだと批判しました。

 

それで、ときどきそういう主張の背景にある生命倫理学の議論をちょっと覗きにいってみる。そうすると、そこには「治療をせず死ぬに任せることが本人の最善の利益であるかどうか」みたいな話がゴロゴロしているわけです。「うわぁ、こんな議論があったのかぁ」と、それまで何も知らなかったわたしはビックリ。

 

しかもそれが「これこれがこれこれである場合に、仮にこれこれがこれこれであったとしても、これこれはこれこれである以上、それはこれこれがこれこれを選択することが認められてはならないという根拠にはならない」みたいにして繰り出されてくるんですよ(笑)。こんなの日本語でも5回読んだって意味わかんない(笑)。頭がクラクラしました。そんなふうにして、医療の差し控えと中止を巡る生命倫理学の議論には、わりと早い段階で目が向いたように思います。わかっているかどうかはまた別問題ですけど。

 

現実の世界でも、当時、障害のある子どもの慈悲殺事件があいついでいました。そのたびにネットに出てくる擁護や賛同のコメントには「重い障害があることはそれ自体が苦・悲惨でしかない」「そういう生は生きるに値しない」という前提があるみたいに感じられたんですけど、でも、そうしたステレオタイプはわたし自身が重い障害のある娘と暮らしてきた実感とはかけ離れていて、違和感がありました。

 

それから、アシュリー事件の舞台となったワシントン州ではその頃、医師による自殺幇助合法化に向けた大々的なキャンペーンが行われていました。そこでもまた「重い障害のある状態で生きるくらいなら、死んだ方がマシ」「要介護状態になるくらいなら」といった声が出てくる。しかも、合法化に向けた動きはワシントン州だけじゃなかった。ルクセンブルクでも起きていたし、英国でも合法化議論が吹き荒れていました。

 

そういう報道には、スイスの自殺ツーリズムが頻繁に登場するし、安楽死や自殺幇助がすでに合法化された国や州の情報も当然くっついてくる。目に付いたニュースを読んでみては、世界ではこんなことが起こっていたのか、知らなかった、いつの間に世界はこんなにコワい場所になっていたんだろう……と、呆然とつぶやく。その繰り返しで。

 

だから、「安楽死や自殺幇助について調べよう」と最初から問題意識を持って調べ始めたというよりも、アシュリー事件と出会って、そこにあった議論や論点を追いかけていくうちに、おのずと慈悲殺や安楽死、医師による自殺幇助の議論へと関心が広がっていった、ということだったと思います。

 

 

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なぜ日本では、英語圏で取り上げられている問題が議論されないの?

 

―― 本書はどのような経緯でご執筆にいたったのでしょうか?

 

最初にネットで英語ニュースを読み始めた頃というのは何も知らないわけですから、一つ一つの情報の断片はジグソー・パズルのピースみたいなものなんですね。最初はそこに脈絡なんかないんだけど、いくつも集まってくるうちにこちらも知識が多少はできて、そこに脈絡や流れが見えてきたりする。それが時間をかけて少しずつ整理されていって、ピースが互いにはまるべき場所にはまっていくと、全体としていつの間にか一つの「大きな絵」が描かれていく。『死の自己決定権のゆくえ』は、そんなふうにしてブログで6年間やってきたことを通じて見えてきた「世界で起こっていること」の「大きな絵」を、自分に見えるままに描いてみようと試みたものです。

 

もともとインターネットでニュースを読みながら「世界はいつの間にこんなコワい場所に……」と絶句するたびに、日本ではどうしてこれらの事件や議論が報道されないんだろう、という疑問がありました。英語圏では一般の新聞が取り上げて大論争となるような問題も、日本ではあまり詳しく広くは知らされず、ほとんど国民的な議論にならない。それでも国民的な合意ができているかのような空気だけはなんとなく醸し出されていく。ヘンだなぁ、と感じていました。

 

それで日本で脳死・臓器移植法改正議論があった時に、『介護保険情報』の連載(09年11月)で「『国際水準の移植医療』ですでに起こっていること」というタイトルの記事を書きました。安楽死と自殺幇助の周辺で起きていることについては、『現代思想』(2012年6月)と、シノドス(2012年10月)で書かせてもらいました(「安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること」)。でも、どこかに、それらは「大きな絵」の一部でしかない、という感じはあったんです。

 

そしたら、『現代思想』とシノドスの論考を読んでくださった『重い障害を生きるということ』(岩波新書)の著者、高谷清先生が「書ききれていないものを1冊の本にまとめてはどうですか」と言ってくださって、大月書店さんを紹介してくださったんです。高谷先生は重症心身障害児者の医療にずっと携わってこられた医師で、パーソン論の広がりを強く懸念しておられます。

 

「パーソン論」というのは、わたしの素人理解では「誰かが人格であると認められるためには、単に生物学上のヒトであるだけでは不十分で、一定の知的能力がなければならないとする考え方」のことで、わたしはアシュリー事件と出会ったことで初めてパーソン論というものの存在を知ったのですが、高谷先生は以前から発言しておられて、そのパーソン論への懸念つながりで出会いをいただきました。

 

 

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