予測可能性と統治の正統性

「廊下を走るな」という校則は、多くの学校にあっただろう。では「廊下を飛ぶな」という規則は、どうだろうか。「石を触って金に変えるな」というルールはあるだろうか。

 

 

ルールがつくられる意味

 

「十七条憲法が『和をもって貴しとなせ』とはじまるように、日本の文化は争いを嫌い、和を尊重します」という類の説明が、時折なされる。だが本当にわれわれ日本人が古来「和」を好んできたのなら、なぜ聖徳太子はわざわざそれを尊重せよなどというお説教をしなくてはならなかったのだろうか。そもそもそのすぐ後に「人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。是をもって、あるいは君父に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う」とあるように、現実にはみんな君主にも父親にも従わないし、周囲の人びととも争いを起こしているという認識が、十七条憲法自体にある。

 

考えてみれば聖徳太子の時代自体(ここでは太子ないしその事績が実在するのかといった古代史の論争には踏み込まないが)、蘇我・物部の内戦後に即位した崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺され、その跡を推古天皇が継いだことによって成立したものだ。戦争と混乱の時代があったからこそ、それを止めるための規制が導入されたのである。規則は、想定された事態をコントロールするために制定される。想定されていない事態やそもそも想定する必要のない事態を規律するための規則は存在しないのである。

 

 

喧嘩両成敗は誰が望んだのか

 

同様の問題は、いわゆる「喧嘩両成敗法」についても考えることができる。暴力を伴う紛争の当事者双方を死刑に処するという規則で、紛争の原因がどこにあったかとか、どちらが暴力を使いはじめたかといった要素を問題にせず、一律の処罰を行なう点に特徴がある。典型的には戦国時代の分国法、つまり駿河今川氏の「今川仮名目録」や甲州武田氏の「甲州法度次第」に実例がみられるが、これについても《理由を問わず紛争自体を嫌う日本文化の象徴である》という説明が、しばしば与えられてきた。日本人は社会の調和を乱すことを嫌う、「権利のための闘争」を試みるものは変人として社会から忌避されるという分析(典型的には川島武宜『日本人の法意識』に結実したようなもの)も、この筋道に乗っているといってよい。

 

だが、十七条憲法の事例と同様の疑問をここでももつことができよう。われわれ日本人が紛争を嫌うなら、何故それをかなり強権的な権力の発動によって抑制するような制度が必要だったのだろうか。もちろん、社会全体としては争いを嫌う態度が普通だったのだが一部に逸脱者がいるのだ、と答えられるかもしれない。だが、では曽我兄弟の仇討や元禄赤穂事件を劇化し、賞賛し、受け継いできたのは社会のどの人びとだっただろうか。

 

清水克行はこの問題に対して、じつのところ喧嘩両成敗法が生まれる時期のわれわれ日本人は、きわめて暴力的だったという事情を指摘する。名誉にこだわり、他人に「笑われる」ことを許せず、たとえそれが勘違いにもとづくものだったとしても名誉を回復するために暴力に訴える人びと。それは社会のごく一部の例外などではなく、ごく普通の人びとにまで共通した時代の感覚だった。

 

あるいは、室町時代末期の・幕府権力が実効性を失っていく時代において、人びとが自分自身を守るために結合し、相互扶助的な自衛構造をつくっていたこと。だがそのことは逆に、ひとたび何らかの紛争が発生すればその相互扶助組織が発動されることになり、大規模な危機へとたやすくエスカレートすることをも意味している(清水は、酒屋の妻の密通事件が、幕府有力家系同士の京都を二分する戦いに発展しかけた事例を紹介している。その際は将軍自身が仲介に乗り出すことによって、危機がかろうじて回避された)。十七条憲法の事例と同じく、《われわれが暴力的だったからこそ、それを抑制するための制度が生み出された》のである。

 

清水の結論を要約すればそれは、喧嘩両成敗法とは《やむを得ず導入された過渡的な制度だ》ということである。その背景には、戦乱の時代において統治の資源がきわめて制限されているという状況と、しかしエスカレートする暴力を抑制しなくてはならないという課題があった。そのことを証明するかのように、社会が安定し統治に余裕が出てくる江戸期に入ると、国家権力の側では喧嘩両成敗という法原則を次第に廃止していくことになる。紛争の原因や経緯に応じて具体的に妥当な結論を個々の事例において導こうという、現在の裁判に近いような考え方へと移行していくのだ。

 

 

シンプルなルールの価値

 

だが、では戦乱の時代に喧嘩両成敗法はなぜ機能したのだろうか。「両当事者を平等に死罪に処す」というルールは、「具体的に悪い方のみを死罪に処す」というルールより、多くの犠牲者を出す。ということはより多くの人々がそれによってダメージを負うので反発し、にもかかわらず結論を強制するためにはより多くの実力が必要とされる、ということにはならないだろうか。

 

清水は、喧嘩両成敗法の導入以前に、より丁寧な・具体的な判断を試みるさまざまな制度があったことを紹介している。結局それらの制度は当事者たちから不満が出て紛争を収めることができず、制度としては失敗したのだが、だがそのように《丁寧な》判断でさえ強制することができない程度の実力しかもっていない政府が、喧嘩両成敗法のように《乱暴な》判断を強制することは可能だったのだろうか。

 

ここにおそらく、ふたつの「せいとうせい」をめぐる問題がふたたび顔を出している。《丁寧な》判断をみるとき人は(とくに結論に不満な当事者は)、そこにさまざまな「不当性」を見出す可能性がある。たとえば証拠は公正に判断されたか、事実関係は適切に評価されたか、証人の証言は中立的な立場からなされたか、判断者(裁判官)が贈賄や血縁関係によって片方に不当に肩入れしている可能性はないか、等々。そのどれかひとつにでも疑いが残れば、あるいは当事者が「疑いはない」ということを理解できなければ、彼は裁判の結果全体に正当性が欠けていると考え、不満をもつだろう。また、そのように「不当な」事情を介入させたことにより「不当な」結論を導いた制度全体に対しても不満を持ち、その「正統性」を否定するだろう。

 

ところが、喧嘩両成敗法においてはどうだろうか。なにしろ理由も経緯も無視して・とにかく「喧嘩」があったことだけを根拠として双方を平等に罰するのであるから、そこに判断の必要なこと=「不当な」判断が起き得る可能性など、ほとんどない。不合理なほどシンプルであるために、そこで制度が《まさに書かれているとおりに》機能していることに対して、人びとはほとんど疑いをもつことができない。

 

たとえばいきなり暴力を振るわれて抵抗した結果、「喧嘩」と認定されて死罪になった当事者を考えれば、その身内が判断の結果について大いに不満をもつだろうことはたやすく予想することができる。しかしその彼らも、そこに不公正な制度の運用や不当な介入、建前と実態の乖離といった要素があるとは主張できない。いい換えれば、結論の「正当性」には文句があるだろうが、制度の「正統性」は認めざるを得ない。シンプルな制度がもたらす高い予測可能性は、結論の正しさとは独立に、制度の正統性を支える要素になり得るのである。

 

 

 

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