グローバル危機は戦後からはじまった

やや月並みな表現になるが、2008年のリーマンショックからつづく現在の「危機」は、戦後50年が築き上げてきた経済社会の均衡原則を大きく崩したように思われる。

 

ポスト冷戦期は、民族紛争の時代、テロとの闘い、アメリカの単独行動主義(ユニラテラリズム)と、確定的な秩序が見いだせないままに推移してきた。賛成するにせよ、否定するにせよ、そのなかで支配的な観方を提供してきたのは、民主主義の拡散と定着というF.フクヤマの「歴史の終焉」と、資本主義の受容と加速化というトーマス・フリードマンの「フラット化する世界」のふたつだった。

 

もっとも2011年は、世界の歴史は終わってもいなければ、思うほどに平坦でもないことが明らかになったように思う。「アラブの春」とユーロ圏の経済財政危機は、ともに民主主義と資本主義をめぐる困難が終わってないことを印象づけた。前者は、生活苦から民主主義を求めて立ち上がった民衆がいたが、そのまま選挙を経てイスラム政党の台頭をみている。後者は、資本主義の主権国家への影響力が確認され、それがポピュリズム政治の温床と「怒れる者たち」の行動の源泉になっている。もっとも古い民主主義国でも、新たに民主化した国でも、資本主義と民主政治による相克をどのように和解させるかという、古くて新しい問いかけがはじまっている。

 

戦後は、戦間期の反省から、「埋め込まれた自由主義」(G.ラギー)や「階級均衡デモクラシー」(網谷龍介)といった、いわゆる「戦後コンセンサス」を原則にスタートを切った。論者によって表現は様々なるものの、ここでは「社会の安定を損なわない限りでのみ自由主義の原則を認める」ということが、政治的立場を問わず共通に了解されていた。つまり、第一次世界大戦後に確立されたかにみえる自由主義の土壌で、共産主義とファシズムが台頭したのは、行き過ぎた自由主義と生活不安の結果であるとの経験から、富の再分配と社会保障の充実が図られ、この路線を堅持することが大前提となったのである。戦後、多くの先進国でファシズムはもちろんのこと、共産主義といったラディカルな政治勢力を統治から排除する代償として、社会的安定のためのツールを政府が管理・運営することが合意されたのだ。

 

ありていにいえば、資本主義の「暴走」による社会内格差の拡大と放置は、体制転換と内乱につながる。共産主義とファシズムともに、資本主義論理の排除を声高に唱えた。資本主義と民主政治とのあいだでどのような均衡を見出し、どのように和解させるのか ―― この、いま思えば当たり前のことを、戦後は資本主義による財を社会に配分しつづけることで、自由民主主義体制を維持するという黄金律を見出したのだった。

 

この原則は、市場経済と公共部門の組み合わせによる「混合経済」と呼ばれた諸制度(総需要管理策と生産部門の国有化)だけに代表されるわけではない。民間でも、たとえば、経営者と従業員の給与の乖離は最大でも1対20に留めるべきだとしたJP.モルガンや、実際に1対40に留めることを原則としたヘンリー・フォードの思想は、戦後の階級融和の理念を先取りしていたものだった。

 

 

「戦後コンセンサス」の変容

 

政治経済学者のウォルフガング・ストリークは、同じような解釈から出発した上で、興味深い見取図を提供している(”The Crisis of Democratic Capitalism” in New Left review, vol.71,2011)。彼によれば、上記のような「戦後合意」の崩壊過程の開始は、1960年代後半から70年代前半にかけてはじまった。経済停滞とインフレ(「スタグフレーション」)によって、それまでの完全雇用、社会保障、再分配という三位一体の維持が難しくなり、これが現在にまでつづく変化の端緒になるという。

 

このような解釈自体は特段目新しいものではないが、その後の各国政府が採用した「戦後コンセンサス」維持のメカニズム分析とその変容は、現状を知るためにも参考になる。以下に補足を加えつつ、概観してみよう。

 

当初(これはイギリスの事例にとりわけ当てはまる)、政府は完全雇用という戦後コンセンサスの核心、そしてその前提となる労働勢力の団体交渉権を犠牲にすることを嫌って、金融緩和によるインフレを志向した。失業率とインフレがトレードオフ関係にあることは知られているが(「フィリップス曲線」)、前者を封じ込めるために後者を選好したわけだ。インフレを許容しても、労働者の賃金がペッグされつづける限り、総需要は維持され、経済は拡大する。

 

しかし、ここで民主主義と資本主義の最初の衝突、すなわち戦後コンセンサスでの亀裂が生じる。なぜなら、インフレは債権者と株主によって構成される「資本家」にとって、投資した資産の目減りを意味するからだ。しかも、インフレは供給サイドを疲弊させて、最終的に失業者を生むことになる。

 

80年代は、この戦後コンセンサスの延命策が転換する時代となった。アメリカのレーガン、イギリスのサッチャー政権は、インフレ退治を使命とし金融引き締めに転じて、多かれ少なかれこれが先進資本主義国でのトレンドとなる。その反対に失業率は上昇基調に転じ、80年代を通じて、平均5%から9%へと、ほぼ倍増する。

 

もちろん、この段階で戦後コンセンサスが完全に反故にされたわけではない。政府の社会保障の支出水準は維持された。サッチャー時代においてもイギリスの社会保障支出が伸びつづけたことは有名だが、戦後の黄金律をひっくり返すことは、さすがにできなかったのである。

 

問題は、経済成長が頭打ちになったままにインフレ抑止策をとる一方で、社会支出をつづければ、それがそのまま政府債務の増大圧力につながることである。しかも、賃金所得と労働分配率が低下しつづけるなかで、パイの拡大を諦めた「労働者」は、むしろパイの取り分の死守に懸命になる「納税者」としての意識を先鋭化させ、増税はきわめて困難になる。60年代のように、通貨切り下げで政府債務を低減させることも、インフレ促進の材料となるから、選択できない。

 

同時にサービス市場が拡大して労組の組織率は低くなる一方だから、政府はもはや労働勢力との政治的交換による「交渉」を行い、財の配分を暫定的にコントロールするという手段もとれない。したがって、ときの政権は選挙という手段でもって一方的に制裁されることになる。しかも失業率は高止まりのままにあったから、社会保障を切り下げることもできないという、袋小路に追い込まれる。つまり、政府は紙幣を刷ることで自身の懐を温めることができないから、市場から借金をすることで、戦後コンセンサスの延命を図るしかなかったということだ。インフレ抑止は債務価値を安定させるから、市場もこの方針転換を積極的に歓迎した。

 

 

 

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