2011.12.09

ポリオワクチン騒動があらわにした、厚労行政の「後進性」

上昌広 医師・医学博士 / 医療ガバナンス論

政治 #予防接種#ポリオワクチン

「神奈川県のやり方はグレーゾーン」?

ポリオワクチンに関する議論が盛り上がっている。ことの発端は10月15日、朝日・読売・毎日新聞、およびNHKが、神奈川県が不活化ポリオワクチンの集団接種を開始すると報じたことだ。

この報道に小宮山洋子厚労大臣が噛みついた。10月18日の定例記者会見で、「予防接種行政上、望ましいことだとは思わない」と持論を述べた。「不活化ワクチンには健康被害を補償する制度がない」「国民の不安をあおり、接種控えをさらに増加させる」ことが理由らしい。

これは失言だった。ワクチン・ラグの原因は厚労省にある。法律違反でなければ、地方自治に干渉すべきでない。黒岩知事は「危険だと分かっている生ワクチンを打てと言えるか。国がやるべきことは、直ちに不活化ワクチンを認める、それだけでいい」と応酬し、小宮山 vs.黒岩の対立が固定した。マスメディアが喜ぶ構造だ。連日のようにテレビ・新聞が報じ、多くの国民が、わが国のワクチン後進国ぶりを認識するようになった。

小宮山大臣、黒岩知事のいずれもマスコミ出身。その「使い方」は熟知しているだろう。ただ、圧倒的に小宮山大臣の分が悪い。状況を十分に分析することなく、厚労省の言い分をそのまま発表してしまったようだ。どうも、彼女には医療関係のブレインがいないらしい。

神奈川県関係者から聞いた話では、後日、厚労省は神奈川県担当者を呼び出し「叱責」したそうだ。厚労省の言い分は「神奈川県のやり方はグレーゾーン」。いかにも厚労省の医系技官が考えつきそうな屁理屈である。行政の裁量権を盾に、陰で担当者を威嚇するというやり方が医系技官の信頼を損ねてきた。ポリオワクチンも例外ではない。

予防接種行政の象徴的問題

ポリオワクチンは予防接種行政の問題の象徴だ。わが国は先進国のなかで唯一、生ワクチンを使用しており、毎年のようにワクチン由来のポリオが発症している。1998年から財団法人日本ポリオ研究所が単抗原の不活化ワクチンの開発に取り組み、2001年に製造承認申請を行ったものの、治験データがあまりにも杜撰であったため製品化に失敗した。海外では、フランスのサノフィ・アベンティスの子会社サノフィパスツールが1982年に不活化ワクチンを開発し、すでに世界91カ国で承認を受け、2億3000万本以上の接種実績がある。メガファーマと財団法人では話にならないようだ。

あせった厚労省は、国産の3種混合ワクチンを有する化血研、阪大微研、北里研、武田薬品に要請し、2002年からポリオを加えた4種混合の国産不活化ワクチンの開発検討をはじめた。しかしながら、9年経ったいまでも治験中だ。結局、2011年5月になって、サノフィパスツールが単抗原の不活化ワクチンの国内開発を開始する羽目になった。海外でどれだけ実績があったとしても、「国産」の3種混合と合わせて、現行の生ワクチンと見比べた「日本人」のデータを確認しなければならないそうだ。何のために必要なのだろうか。早ければ2012年度中に4種混合ワクチンや単抗原ワクチンの導入が見込まれているが、それも実施中の治験データの結果が良ければ、という皮算用の話にすぎない。

しわ寄せを食うのは子どもたちだ。厚労省によれば、01年から10年間で15人がワクチン由来のポリオを発症している。同省は100万人当たり1.4人の発症に過ぎないと主張するが、多くの専門家は氷山の一角と考えている。

たとえば、ロハスメディカルの堀米香奈子氏の長男は、ポリオワクチン接種後に一過性の麻痺を発症した。ポリオとは診断されていない。ポリオの会、小山万里子会長に相談したところ、「お子様に、きちんとポリオのマヒが軽度であるがあったということを記録して伝えて下さい」と助言されたそうだ。ポスト・ポリオ症候群への準備だ。この疾病は、ポリオに罹患した患者が、数十年後に突然、疲労、疼痛、筋力低下などで発症する。堀米氏の長男もリスクがある。このようにポリオの臨床像は複雑だ。ワクチン接種後、数十年も経って後遺症がでることもある。一方、わたしを含め多くの医師は、ポリオの臨床経験を持たない。正確に診断できる医師はきわめて少ないのではなかろうか。

輸入と国産、いずれが安全なワクチン?

はたして、輸入ワクチンと開発中の国産ワクチンのいずれが安全なのだろうか? 厚労省や医師会は、日本で治験を行い承認されたワクチンの方が安全であるという前提に立っているが、必ずしもそうとは言い切れない。それは、セービン株というポリオウイルス株を用いているからだ。セービン株は弱毒性のため、供給者側の視点では製造上の安全性が高いという利点があるとされる。成功すれば世界初のセービン株由来不活化ワクチンとなるわけだ。

しかしながら、これまで世界で汎用されてきたソーク株とは異なるため、臨床経験が少なく、稀に起こる副作用は分からない。また、治験に登録される被験者数は、せいぜい数百人だ。ワクチンで重大な副作用が起こるのは数万分の一以下であり、この規模の治験をやっても、安全性については十分に検証できない。むしろ、海外で汎用されてきたサノフィパスツール社製ワクチンを接種する方がリスクは少ないという考え方の方が説得力がある。

ポリオに関する認識が深まれば、親たちが生ワクチンを敬遠するのは当然だ。厚労省によれば、今年4-6月期にポリオ生ワクチンを接種した子どもは、前年同月比で18%減少した。一方、不活化ワクチンの個人輸入は鰻上りだ。大手個人輸入代行業者であるRHC社の取り扱いは09年と比較し、10年は9倍に増加。今年はそれをさらに上回るペースという。

厚労行政の不作為を庇うのに懸命

中国の新疆ウイグル自治区では、野性型1型ポリオウイルスの感染が散見されている。最近は北京で同自治区出身の無症状の学生からウイルスが分離されたという。いつわが国に入ってきてもおかしくない。いまや危機管理として対応すべきだ。しかるに、厚労省の対応は遅い。10月4日、小宮山厚労大臣は、不活化ワクチンの承認は来年度以降であり、今年は生ワクチンを接種するように呼びかけた。

11月14日には日本小児科学会、11月16日には日本医師会が厚労省の方針を支持する声明を発表した。日本小児科学会が引用したWHOのポジションペーパーの解釈については、星槎大学客員教授の細田美和子氏が誤訳の可能性を指摘している(http://medg.jp/mt/2011/12/vol32931.html)。わたしも原文と声明文を読み比べたが、常識的には考えられない曲解だ。あまりの「御用学者」ぶりに呆れ果てる。

また、日本医師会は、「現在私たちの置かれている現状から、OPV(生ワクチン) から IPV (不活化ワクチン)への切り替えが可能となるまで、なるべく多くの子どもたちが OPV の接種を受けていただくよう心から願っている」と声明の中で述べている。母親の不安を和らげるより、厚労行政の不作為を庇うのに懸命だ。

わたしたちの民意が問われている

不活化ワクチンについて議論は尽くされている。WHOの世界ポリオ撲滅イニシアティブのスポークスマンであるオリバー・ローゼンバウアー氏は「ひとたびポリオの野生株の撲滅を達成できたら、経口ポリオワクチンをルーティンの接種で使用することは中止する必要があろう」と、2011年11月11日にカナダ医師会誌で語っている。これが世界のコンセンサスだ。なぜ、来年まで待たねばならないか。たんに役所の手続きの問題なら、小宮山氏は大臣としての責任を放棄したことになる。政治責任で緊急承認すればいい。

一方、黒岩知事の動きは対照的だった。そもそも、黒岩知事は、フジテレビ在職中から医療をライフワークと考えてきた。とくに予防接種に対する思い入れは強い。政権交代後は、厚労省の予防接種部会のメンバーにも推挙され、御用学者が居並ぶなか「議論はし尽くされている。あとは政治家の判断だ」と足立信也政務官(当時)を叱咤激励したのは有名だ。

黒岩知事は「政治家の仕事は決断。トップが決意を示せば官僚は動く」と考えている。今回も、黒岩知事が県幹部に意向を伝えたところ、「小児科学会が反対する」「地元に過剰な負担を与える」「国がしないことはできない」など、さまざまな抵抗があったようだが、知事の覚悟を理解した後は、従来の枠を越えて動いたという。11月16日には不活化ポリオワクチンの輸入を開始。26日には接種希望者の予約をはじめた。さらに30日には万が一副作用が起きた場合に、神奈川県が独自に補償する旨を発表した。厚労省とは対照的に迅速な動きだ。

今回の騒動は、わが国の医療を考える上で示唆に富む。フランスから遅れること29年、いまだに不活化ポリオワクチンが導入されていない。その間に多くの子どもたちが犠牲になってきた。厚労省と業界団体や学会の関係は、一体何を守ろうとしているのだろう。原子力ムラと瓜二つの構造だ。一方、神奈川県には期待したい。知事のリーダーシップのもと、改革が進んでいる。はたして、神奈川県に追随する地域が出てくるか。わたしたちの民意が問われている。

プロフィール

上昌広医師・医学博士 / 医療ガバナンス論

医師・医学博士。医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門特任教授。93年東大医学部卒。97年同大学院修了。虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事。05年より東大医科研探索医療ヒューマンネットワークシステム(現 先端医療社会コミュニケーションシステム)を主宰し医療ガバナンスを研究。帝京大学医療情報システム研究センター客員教授、周産期医療の崩壊をくい止める会事務局長、現場からの医療改革推進協議会事務局長を務める。

この執筆者の記事