2015.05.19

なぜ若者は遣い潰されるのか――日本のアニメはブラック業界

くみかおる 著述・翻訳家

社会 #アニメ#ブラック

先月(2015年4月)の末にようやく公表された「アニメーション制作者 実態調査報告書 2015」が大きな反響を呼んでいる。

まずNHKニュースで「アニメ若手制作者 平均年収は110万円余」と報じられるや、ネット上で話題になり、その反響の大きさを受けて調査を請け負った日本アニメーター・演出家協会(通称ジャニカ)はこの報告書の公開を早める判断をして、同月29日の日付が変わるのとほぼ同時に公式サイトにアップされた。

日本国内でのアニメ労働人口は1万人前後といわれている。文化庁の企画で今から6年前にも同種の調査がなされ、基礎データのいくつかはネット上で公表されてはいたのだが、今回は報告書そのものの無料公開に踏み切ったこともあって、ジャニカ側も想定していなかったほどの反響が今も続いているという。

なにしろそこに綴られている労働実態のデータは衝撃的だ。NHKニュースでの取り上げられ方をみれば、アニメがどうやって作られているのか知識がない者でも、この業界がどれほど世の常識からかけ離れた悲惨なものであるかがわかるだろう。

すでに話題になっているように、特に衝撃が大きかったのが年間収入。回答者全体でも平均332.8万円と、全国平均値(約414万円)に比べて低い水準にとどまりましたが、さらに就業属性別で見ると、若手の多い「動画」では111.3万円、「第二原画」で112.7万円と、就業属性による収入格差が非常に大きいことが浮き彫りになりました。また、1カ月あたりの作業時間も平均262.7時間と、これも全国平均(168.4時間)を大きく上回っているほか、さらに全体の15.9%が「350時間超」と回答していたことも分かりました。(NHKニュースから)

何より衝撃的なのは、この報告書の後半を占める、アニメ労働者たちの生の声だ。いきなり「アニメ業界は一度滅びたほうが良い」という声に始まって、結婚したくてもできない、老いた親の面倒がみられない、子を産み育てる余裕さえない、自分の老後も危うい、等の生々しい本音が、機関銃の乱射のように何十ページも続いていく。まさに阿鼻叫喚だ。

一方で「アニメーター『年収110万円』報道はウソ? 平均333万円、最頻値は400万円だった」という報道がされ、ネット上でも「食べていけないというが、よく報告書を読んだら、キャリアを積めばそれなりの年収になっていくじゃないか」という反応があった。

さらにはこの調査報告書の責任者がテレビやラジオやツイッター上で「アニメーターは結婚して家庭を持つのも大変ではないか? の問いにはなるほど世間はそう感じるのか、と思う。それは職業ではなく個人の資質の問題だろう。現に、都内に戸建てを持ち子供を何人も育て幸せに暮らしてる人がいるかと思えば、独身貴族を貫き海外旅行や趣味を楽しむ人もいる。つまり、ずっと駆け出しのままの年収110万なわけでは無いということ。」と、NHKニュースでの取り上げられ方に異議申し立てするかのような発言を行っている。

報告書の阿鼻叫喚とは裏腹のこうした自己弁明的な発言が、当の調査関係者からとびだしてくるのはいったいどういうことなのだろう。

トリックは「離職率」

この調査報告書は、職種や年齢層ごとの調査サンプルが、統計数学で算出される必要数に足りていないことを隠ぺいするためか、まるで異なる職種どうしを同一枠に押しこんで無理やり有意の分析に見せかけたりする等の、粉飾決算めいた小技が目につく。

なかでも気になるのは、「離職率」について何の言及もないことだった。

関係者を問いただしたところ「今回は現在現役のひとたちを対象にしたアンケート調査だから」ともっともらしい説明をされた。だがそれならそうと一行でも報告書のなかで弁明すべきではなかったか。

実はこの「離職率」こそが、問題の調査報告書に仕掛けられた最大のトリックなのである。

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Wikipediaの「離職率」の項目から引用。労働厚生省が作成した「新規学卒者の離職状況に関する資料一覧」を元にしている。

離職率とは何か。Wikipediaの簡潔明瞭な説明を引くと「ある時点で仕事に就いていた労働者のうち、一定の期間(たとえば、ひと月、ないし、1年なり3年)のうちに、どれくらいがその仕事を離れたかを比率として表わす指標」のことだ。日本では厚生労働省が毎年調査して、数字を公表している。

一番離職率が高いのが「宿泊業、飲食サービス業」で、高卒者だと66.6%、短大等卒だと56.4%、大卒だと51.0%だ。

アニメ業界ではどうだろう。

驚くなかれ、3年間で90%が去っていくといわれている。

歴史ドラマが好きな向きなら、数年前にNHKで放映された『坂の上の雲』をご覧になったことがあるだろう。今から110年前、日本とロシアが中国の海に面した土地で戦った。ロシア側はいくつもの丘を堅固な要塞に作り上げた。いわゆる旅順要塞だ。

とりわけ難攻不落を誇ったのが、標高たった203メートルの、通称「二〇三高地」。攻め込んでいく日本の兵たちが、当時の最新兵器・機関銃で血祭りにされていく様が、このドラマでは臨場感たっぷりに再現されていて目を見張らせた。

二〇三高地全景
二〇三高地全景

さらにこの二〇三高地攻略戦では、恐ろしいことに自軍の兵たちに向かって日本軍は砲撃を加えるのだ。立てこもるロシア兵の反撃を封じ込めるために地上から「援護砲撃」を加え、そのなかに自軍の兵を突撃させる。そうでもしないともはや残された時間内には落とせないという理由で。

アニメの世界に入ってくる若者は、まさにあの二〇三高地に攻め込む兵隊たちに重なる。最終的にこの要塞の山頂は日本陸軍によって奪取され、兵たちは国旗を掲げて万歳を繰り返す。ドラマでも感動的な場面だ。しかしながらその兵たちの足元には、血と肉の破片となった両軍の兵たちの亡骸が広がる……

屍の山(イラストレーション)
屍の山(イラストレーション)

先の「現に、都内に戸建てを持ち子供を何人も育て幸せに暮らしてる人がいるかと思えば、独身貴族を貫き海外旅行や趣味を楽しむ人もいる。つまり、ずっと駆け出しのままの年収110万なわけでは無いということ。」という発言のトリックが見えてこないだろうか。

ここでいう「幸せに暮らしてる人」とは、二〇三高地の山頂にたどり着くまでに弾に当たらなかった、当たっても致命傷ではなかった幸運な兵たちのことなのだ。または二〇三高地の攻略までに昇格して、敵と味方の両方から降り注ぐ砲弾のなか、兵たちに「いけー!」と号令をかける側になった者たちのことなのである。

ちなみにこの攻略戦を含め、旅順要塞を落とすために駆り出された日本兵は合わせて10万人、うち死傷者6万212人、死者1万5千4百余人――

あのひとたちは「労働者」ではない

ところで先に私は「3年間で90%が去っていくといわれている」と述べた。

なぜ「いわれている」と、曖昧な言い方をしたのかというと、これまで統計調査がなされたことがないからだ。

先ほど引用した各業種での離職率の表は、厚生労働省による調査にもとづいている。このなかで最も離職率が高い、つまり新人が辞めてしまう率が高い「宿泊業、飲食サービス業」でさえ60%前後。アニメが90%だとするならば、なぜこの表に出てこないのか。

答えは簡単だ。アニメの世界で働く人々は「労働者」ではないからである。

アニメの世界にも様々な職種があって、絵を描く職種に絞ってもいくつも種類があるのだが、ここでは便宜的に「アニメ絵描き」と総称しておく。アニメスタジオの紹介映像で、机を並べてうずくまるようにして絵を描き続けている人々の姿を目にしたことがあるだろう。

だがあのひとたちはスタジオの社員ではない。プロ野球選手やお笑い芸人と同じ「個人事業主」(フリーランス)とされている。ひとりひとりがひとり零細企業の社長といえばイメージはつかめるだろうか。

全国の労働者平均を大きく上回る労働時間でありながら、法で定められているはずの残業代もなにもつかない。ひどいとやはり法で定められているはずの最低賃金すら大きく下回るにもかかわらず、国の機関が動き出さないのは、このひとたちがスタジオに雇用されているわけではなく、個々が独立した個人事業主という建前だからなのである。

労働法の盲点をついたこの就労システムが、どうやって日本で編み出され、すっかりこの業界の基本になってしまったのか、そして労働組合がろくに機能しないでいるのかについては、すでに私の小論「アニメーションという原罪」で論じたので、ここでは取り上げない。話を続けよう。

離職率90%だからこそ回る業界

今から四半世紀も前のことだが、ある労働組合の連合組織によって、アニメ労働者の生活環境改善のための試算が行われた

それによると、アニメ労働者を「個人事業主」でなく「労働者」と見なして、最低賃金法の適用を受けられると仮定すると、テレビアニメの制作費は一本あたり最低でも2300万円は必要だと算出された。

だが実際の制作費の平均額は740万円。

すると残り1560万円はどこからどうねん出しているのか。

手品の種はこうだ。アニメに憧れて業界に入ってくる若者を、「君たちは労働者ではなく個人事業主である」と刷り込んで信じられないほど安い歩合で働かせる、または職種によっては社員として雇用つまり「労働者」扱いをするけれど眠る間もないほど長時間働かせることで、不足分およそ1600万円を埋め合わせるのである。

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当時の機関紙から

まともな神経の持ち主なら、こんなブラック業界は見限って他の業種にまわろうとするだろう。実際、3年も働かないうちに9割が去っていく。

だが去るまでのあいだはアニメというまばゆい夢に駆り立てられて(または二〇三高地攻略戦よろしく背後から砲弾を撃ちこまれて)必死に働く。ある者は絵を描き、ある者は運動部のマネージャーよろしく駆け回る。食べていけるほど稼げない者は、学生時代にアルバイトで貯めた金を取り崩してねばるか、親からの仕送りでとりあえず持たせる。

おわかりだろうか。業界全体で、若者たちの貯金を、労働力を、親のスネをかじって、1600万円ぶんを埋め合わせているのだ。

このしゃぶりとりに若者たちは疲弊していく。だがそれがあらかじめ仕掛けられた労働搾取のメカニズムだとは気が付かない。幼い頃に刷り込まれたアニメの夢に煽られて、そして「腕を磨けばやがて幸せに生きていける」と経営側の人間や先輩たちからの「援護砲撃」を受けて二〇三高地の坂を駆けあがっていく。

こうやって、挫折するまで存分にこき使われる。挫折したらしたで自己責任論の罠が待ち構える。「努力が足りなかったのだ」「才能がもともとなかったのだ」と。

離職率90%という異常な数字について、「二年ではなく四年かそれ以上じっくり時間をかけて学校で育てて、それから業界に進むようにすれば、挫折者はもっと減らせるのではないか」と考える向きもあるかもしれない。

ありえない話だ。挫折者がたくさん出るからこそ、つまり労働力を貢ぐだけ貢いでくれたら後は何も言わずこの世を去ってくれるありがたい兵隊が大勢いてこそ、戦線を維持できるのだから。

『SHIROBAKO』の嘘

調査報告書にはほかにも欺瞞が見受けられる。職種や年齢別などに区分けする場合、統計調査として必要なサンプル数を満たしていないケースが目立つこと等、いろいろあるがここでは論じない。一番気になったのは報告書の後半を占める、アニメ労働者たちの生の声だ。

阿鼻叫喚と先ほど形容した。興味のあるむきはぜひ自ら目を通していただきたい。

そしてきっとこんなことを思うだろう。「そんなに苦しいのなら転職すればいいじゃないか」「わかって入ったのに今になって泣き言をいうのかこいつら」と。

先に紹介した拙論「アニメーションという原罪」は、実は昨年私の訳で上梓した『ミッキーマウスのストライキ!アメリカアニメ労働運動100年史』という大著のために書き下ろした日米アニメ業界比較論である。

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このささやかな論文を書き上げるために、翻訳作業と並行していろいろな方々に取材を行った。アニメの世界がどんなに悲惨であるか、自分たちがどんなに苦しんでいるかをいろいろな視点からうかがったのだが、結局は雲の上からの語りか、反対にとても個人的な域に留まる話がほとんどで、実感を伴う大河として語れる方は本当に少なかった。

阿鼻叫喚はあっても、自分たちの不幸の由来を、実は誰もわかっていないという印象を受けたのである。

 

「適者生存」のメカニズム

『ミッキーマウスのストライキ!』を訳しながら、そして書き下ろしの論文「アニメーションという原罪」をまとめながら痛感したのは、日本のアニメは、半世紀をかけて完成されてしまった労働搾取(とその隠ぺい)のシステムの上に広がるあだ花の群れということだった。

詳細は同論文に委ねるが、「君たちはクリエイターなのだ」と耳に心地よいことばで煽られ、日本の国民性のひとつといわれる職人根性もあって、アメリカのアニメ労働者が「給料をもっとあげろ!休みをよこせ」と堂々と自分たちの利権を訴えるのと反対に「いい作品を作ろう!」と抽象的スローガンに走ってその結果自分の身を粉にしてすべてを作品作りに捧げてしまう捻じれぶり。

そしてそういう人種のほうが使う側にとってもありがたいわけで、この半世紀のうちにこういう人種の人口比率が高まっていって、それが業界の「常識」として世の中から隔絶していく。いわゆるガラパゴス化だ。

日本のアニメ界はダーウィン進化論のパロディである。この醜悪な労働搾取メカニズムに気がつくような頭のいい人間は最初から入ってこないか、入ってもすぐに見限ってよそに去っていく。残るのはこのメカニズムに目を背けて「これも修行だ」とねばる職人馬鹿予備軍か、一握りの天才。

運と根性とそれなりの才能があれば、やがて「上」の職種に引き上げられ、さらに運と根性と豊かな才能があれば「拘束料」の建前でスタジオから月給が貰えるようになるだろう。むろん福利厚生はいっさいない。「個人事業主」なのだから。

制作進行といって、社員雇用される職種のものもいる。これは絵描きたちのマネージャー的な仕事で、眠る時間も削って車で駆け回る。絵描きはスタジオにつめているとは限らず、ぎりぎりのスケジュールのなか各人の家をまわらないと絵を回収できないのだ。その重責と超長時間労働に押しつぶされて自ら命を絶つものさえいるという。

それでもこの過酷な生き残りゲームに耐え抜けば制作デスクに昇格し、さらには経営側の人間に成り上がることもあるだろう。人脈があれば独立してスタジオの経営者になることもあるかもしれない。そして「これも修行だから」と新人たちに「親心」をみせる。

この果てしないアリジゴクのループ。その集積が、あの阿鼻叫喚の声なのだ。

だが声をあげればあげるほど「わかって入ったのに今になって泣き言をいうのかこいつら」な自己責任論に回収されてしまうこの皮肉。

あるいはこの調査報告書の作成者は、職人馬鹿しかもはや生き残ることができない淀んだ生態系にそれなりに適応してしまって自分からなんとかしようと行動はおろか思考さえしない者たちに呆れて、目を覚まさせるためにあえてああいう阿鼻叫喚をかき集めたのだろうか。

そうだとしたらそれこそ「わかって入ったのに今になって泣き言をいうのかこいつら」の自己責任論に回収されてしまうのであるが。

戦後日本の矛盾

もっとも、ここまで冷たく切り捨ててしまうのは酷なのかもしれない。なぜならこの救いがたい無限ループとは、戦後日本の矛盾そのものだからだ。

昭和天皇との記念写真。日米の立場を象徴するかのようなこの写真は当時衝撃的だった。
昭和天皇との記念写真。日米の立場を象徴するかのようなこの写真は当時衝撃的だった。

日本の敗戦後、アメリカをはじめとする戦勝国が日本の占領にかかった。その最高責任者であるアメリカのマッカーサー元帥が最初に手を付けたのは、敗戦国・日本からさまざまな牙を抜くことだった。憲法の改正は無論のこと、それより急がせたのが、なんと労働組合法の成立だった。

少し長くなるが解説しよう。日本も参加した第一次世界大戦(1914-1919年)中、イギリスでは「工場委員会」が提唱された。経営側と労働者側つまり組合とが協調路線を取ることで、戦争遂行に向けた生産協力体制を国家規模で目指したのがこれだった。

大戦の終結と入れ代わりにILO(国際労働機関)という国際組織が誕生。ロシア革命の影響もあって、この組織が中心になって労働組合、政府、経営者の三者が話し合って会社や工場を運営していく体制が国際的に模索された。

日本では第一次大戦が終わって戦争景気が後退し、労使紛争が激化したが、労働組合法は認められず、代わりとして工場委員会が奨励された。それがやがて大政翼賛体制の一環として戦争協力のために利用され、第二次大戦中の日本の各工場では労使協調路線が図られた。みな天皇の赤子である、と。

これが日本の軍国主義化を支えたメカニズムであると考えた占領チームは、その解体のためにアメリカ式の労働組合法を日本でも成立させることを考えた。労使対立路線に日本を誘導するのを狙ったのである。

こうしてアメリカ式の労働法制が日本に整っていったのだが、大きな壁にぶち当たることになった。

賃金の仕組みについてだ。

ここでは以下、単純化して説明する。欧米圏では職務給、すなわちある会社においてある職種については週給いくら、ある職種についてはまた週給いくらという風に、務める職に賃金が設定されるのが基本だ。これを日本に導入しようとしたものの、日本では年齢や経歴や扶養家族の規模などを踏まえた、温情的な給与の定め方でないと受け入れられなかった。

やがて占領が終了し、日本は独立を回復。そして世界史に残るような経済躍進期に突入した。

建設中の東京タワー。昭和32年(1957年)
建設中の東京タワー。昭和32年(1957年)

職務給への移行が国によって改めて提唱されたが、経済成長に伴う新技術の導入に素早く

対応するためには社内の人間の配置換えが難しい職務給(配置換えによって給料が下がることもありえたから)よりは、その社員の「総合力」を問うた「職能給」という日本独自の給与システムが好まれた。

国が訴える理念と実際とのずれのなか、あるべき賃金体系それに雇用体系の確立は曖昧なまま、日本は経済成長の道を驀進していった。

始まったのは最悪のタイミングだったのかもしれない

ちょうどその時代にテレビアニメが始まってしまった。

超売れっ子の子ども向け漫画家・手塚治虫が、アニメーション制作の憧れを憧れに終わらせず、私財をなげうってスタジオを設立し、さらにはアメリカから輸入されて日本でも人気を博していたテレビアニメを自ら制作しようと、自分の人気漫画『鉄腕アトム』を原作にしてテレビアニメに乗り出したのが1963年。翌年の東京オリンピックをめざして東京が、そして日本全体が猛烈に変貌していく時期だった。

赤字必至といわれた無謀な企画だったが、放映開始後に幸運もあってアメリカの大手テレビ局と輸出契約を結んだことで、テレビアニメがドルを稼ぐ強力な輸出品として着目され、追従番組がいくつも現れ、さらにはアメリカ式のマーチャンダイジングつまり劇中キャラクターを商品化して印税で稼ぐやり方が『アトム』の追従者によって開発され(『アトム』で開発されたのではない点に注意されたい。詳しいことは別の機会に)、ある種のバブルを招くに至った。

このことがアニメ界の労働環境を混乱させてしまった。日本全体で賃金体系が混乱していたこの経済成長期にテレビアニメの乱造が始まったことで、とにかく枚数をこなせる絵描きにとって有利になる歩合制がやがて業界内に拡散していった。それが祟って現在の、それこそ調査報告書にこれでもかと紹介されている阿鼻叫喚を恒常的なものにしてしまったのである。

詳しいことは、繰り返すが拙論「アニメーションという原罪」に当たっていただきたい。

歴史が10年前倒しにされた可能性

半世紀を経た今振り返ると、手塚が『鉄腕アトム』で行ったのは、歴史の先駆けではなく歴史の前倒しだったとはいえないだろうか。

唐突だが、かわぐちかいじのまんが『ジパング』を少し語ってみよう。第二次大戦の真っ只中、ある超常現象によって日本の敗戦とその後を知ってしまった日本海軍の青年将校が、日本が負けない歴史を作ろうとして陸軍の天才将軍・石原莞爾のもとを訪れ、こうささやく。

日本の勢力圏である中国の東北部に、眠れる油田がある。本当は日本の敗戦後に中国政府によって発見されるのだが、今のうちに掘り当ててしまえば……

石原は瞬時にすべてを理解する。その石油が使い物になるかどうかは関係ない。日本がとうとう中国の勢力圏に油田を手に入れたという情報そのものが、アメリカの対日戦略を揺さぶる武器となる!と。

要は歴史を前倒しにすることで、日本の敗戦を迂回させようというアイディアだ。実にSFチックではあるが、そこには確かに戦略がある。

 石原莞爾。1945年撮影。中国の油田を戦時中に掘り出す構想はむろん史実にはない。

石原莞爾。1945年撮影。中国の油田を戦時中に掘り出す構想はむろん史実にはない。

手塚治虫はどうだろう。人気まんがを原作にテレビアニメを量産して海外輸出やキャラクター・マーチャンダイジングで金を回すビジネスモデルの「発見」は、もし彼が『アトム』を強引に始めていなかったら、数年、いやひょっとしたら10年は遅れていた可能性がある(「発見」したのは『アトム』ではなくその後続者だったことはしつこく念を押しておく)。

そうだとするならば、手塚は日本という国がいろいろ未整備なところに、いきなり油田を掘り当ててしまったようなものだ。ゴールドラッシュならぬオイルラッシュを招き、たくさんの人間によって大地は踏み荒らされ、かつての生態系は永久に失われてしまった  という史観はどうであろう。

やっかいなのは手塚には何の悪気も、そして『ジパング』で描かれる石原莞爾らのような冷徹な視野もなかったことだ。

食糧不足に苦しんだかつての日本には、繁殖力の強い外国の魚をもちかえって日本の湖沼や河川に放てば、頼りになるタンパク質源になってくれるのではないかと夢想する者がいた。よかれと思って放った外来魚が、日本の固有種を食い荒らし、生態系を変えてしまうことになるとは夢にも思わずに……

結び・とりあえずどうしたらいいのか

筆が滑ったようだ。そろそろ締めくくりに入ろう。

私が「アニメーションという原罪」を、出版元の許諾のもと、ネットにあげて誰でも読めるようにしたのは、あるアメリカ人アニメーターがネット雑誌で、日本のアニメ界で働いてみて「ここは厳しい労働環境ではない、違法労働の巣窟なのだ」と告発しているのを目にして危機感を覚えたからだった。

この記事が和訳されれば、日本国内でまた「国が何とかしないといけない」「広告代理店が中間搾取するからいけないのだ」「手塚治虫は悪くないのに」といった、もはやテンプレート化してしまった議論が再燃して、果てしないループに突入し、結局何も突き止められないまま皆が議論に飽きてしまって終わるのが目に見えていたのだ。

幸いツイッターで口コミが広がって、予想以上の方々に読んでもらえることになった。もはやどこをどういじっても無駄であること、そしてなぜそうなってしまうのかを通史として理解していただけたようだ。当のアニメ労働者側からコメントらしいコメントがほとんど出なかったのが、予想通りとはいえ少々さみしく感じたのだが……

あのなかで論じなかったことをここで補足して、尻切れトンボでまことに恐縮ながら締めくくりとしたい。

「国がなんとかすべきだ」という論は無駄だと私は考える。そもそも日本のアニメ界は、労働法制の隙間をついてひとを集め、酷使し、辛うじて生き残ったものが今度は酷使する側に回ってしまうというグロテスクな共犯関係によってここまで維持されてきたのだ。

散々国の法律を迂回してきながら、今さら国の官公庁や超党派の議員連盟にあたって「何とかしてほしい」とすがるのは情けなさすぎる。まずは搾取する/されるの単純な二元論に陥ることなく、アニメをめぐる各界(これは視聴者も含まれる)がどんな共犯関係を取り結んでアニメを回してきたのかを遡上にあげて、痛みとともに論じなおすところから始めるしかない  と信じる。

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プロフィール

くみかおる著述・翻訳家

著書は『宮崎駿の時代 1941~2008』(鳥影社、2008 年)、『宮崎駿の仕事 1979~2004』(鳥影社、2004 年)。訳書は『スーパーマン――真実と正義、そして星条旗(アメリカ)と共に生きた75 年』(ラリー・タイ[著]現代書館、2013 年)、『パン・アメリカン航空と日系二世スチュワーデス』(クリスティン・R・ヤノ[著]、原書房、2013 年)、『ミッキーマウスのストライキ!アメリカアニメ労働運動100年史』(トム・シート[著]、合同出版、2014 年)など。現在、書き下ろしの新刊『エマに中学英語はこんな風に聞こえる    私の母校にガイジンの娘を3年間通わせてみて判明した、あなたたちが中学英語からやり直しても必ず無駄に終わる本当の理由』(仮題)を準備中。

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