2015.11.27

「TSUTAYA図書館」と「図書館論争」のゆくえ

山口浩 ファィナンス / 経営学

社会 #TSUTAYA図書館#武雄市

このところ、図書館が、かつてないほどの関心の対象となっている。

そのきっかけを作ったのは、佐賀県の武雄市図書館だろう。「改革派」の市長(当時)が、TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(株)(以下「CCC」)を図書館の指定管理者にする方針を打ち出し、賛否うずまく中でスタートした新しい図書館が、その後もさまざまな議論を呼び起こし続けている。武雄市に続いて神奈川県海老名市がCCCを指定管理者とする図書館をオープンし、宮城県多賀城市、岡山県高梁市、山口県周南市などでも計画が進行中である。こうした流れを受け、それまでの「武雄市図書館問題」から、「TSUTAYA図書館問題」と呼ばれるようになった。

「「TSUTAYA図書館」神奈川県・海老名市に誕生が決定 市が発表」(ハフィントンポスト2013年11月22日)

http://www.huffingtonpost.jp/2013/11/22/tsutaya-library-ebina-kanagawa_n_4321269.html

 

「TSUTAYA図書館、宮城にも設立へ」(ハフィントンポスト2013年05月25日)

http://www.huffingtonpost.jp/2013/05/24/tsutaya_n_3334360.html

 

「TSUTAYA図書館は何を目指すのか? CCC責任者が語る現状と「未来」」(ハフィントンポスト2015年11月14日)

http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/11/tosyokan-sogoten_n_8535910.html

この問題については、図書館や情報セキュリティなど、関連する諸分野の専門家や論者がすでにさまざまな論考を発表している。賛否両論あって、「図書館戦争」ならぬ「図書館論争」は日増しに激しさを増してきている。ここではそれらの専門的な議論には深く立ち入らず、むしろこの問題を一歩引いた視点から大きく俯瞰したかたちで論じてみることにしたい。

いつも文章が長い長いといわれるので、最初に要点をまとめておく。

◎「TSUTAYA図書館」問題の背景には、関係者や専門家たちと一般利用者との間の「図書館のあり方」に関する意識のミスマッチがある

◎19世紀の技術と社会を前提とした生まれた現代の図書館のあり方は、それらが大きく変化した21世紀の状況に合わせて変えていく必要がある

◎図書館のあり方は図書館単体でなく地域のあり方とセットで考える必要があり、変化の方向性は、地域の状況に応じて地域の人々が決める多様性を許容すべきである

「TSUTAYA図書館」問題とは何か

報道などを見渡すと、「TSUTAYA図書館」に関していま問題となっているのは、おおざっぱにいって次の3つの分野に分かれるように思われる。

(1)図書館運営者としてのCCCの能力の問題

CCCといえば、まずイメージされるのは、レンタル業のTSUTAYAであろう。実際この会社はビデオレンタル事業を営むものとして昭和60年に設立された。現在はMBOによって上場廃止となっているので最後に出された第26期(2011年3月末)の有価証券報告書でみると、この時点での収益の主力はTSUTAYAの直営及びフランチャイズ事業であり、その売上は全体の80%を占める。

このCCCを武雄市図書館の指定管理者にするとの計画を武雄市が発表したのは、2012年5月のことであった。「TSUTAYAが図書館?」といった疑問をもって受け止める向きが多かったように思うが、考えてみればCCCは創業時から現在に至るまで、レコードその他のレンタルと併せて書籍の販売を行っていたので、営利事業であるという一点を除けば、本を貸すことを業務とする図書館とまったく無縁の存在というわけでもないように思われる。

もちろん、ビデオレンタルと図書館とは異なる事業と考えるのがふつうであろう。実際、指定管理者として運営を始めるや否や、CCCは図書館をプロとして運営する主体にはあるまじき失態で痛烈な批判を浴びることとなった。武雄市図書館では、関連会社から遠く離れた埼玉のラーメン店のガイドブックや古くて使えない資格試験本を購入するなど、その選書があまりにひどいと話題になった。また海老名市立中央図書館では、蔵書検索で「出エジプト記」が旅行ガイドのジャンルに分類されているなど、日本十進分類法(NDC)ではないその独自の分類法やそれに基づく分類の適切さへの疑問が出た。

「武雄市図書館の選書でCCCが異例の「反省」 愛知県小牧市「TSUTAYA図書館」計画は住民投票へ」(ハフィントンポスト2015年09月11日)

http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/10/takeoshi-ccc_n_8117678.html

これは指定管理者として公金から収入を得るにふさわしい業務のレベルとはとてもいえない。著作権法に貸与権の規定がまだなかった黎明期には素人でも簡単に開業できたレコードのレンタルとはわけが違うのである。その意味では文字通り「十年早い」といわざるをえないだろう。

この他にも、武雄市図書館では、CCCによる運営が開始された際、それまであった、郷土資料を展示する歴史資料館の常設スペース「蘭学館」が閉鎖され、TSUTAYAのレンタルゾーンとなったが、この際郷土資料の一部が廃棄されたとして話題になった(武雄市はこれを否定している)。

「武雄市図書館が開館前にDVDを大量除籍 「館内併設のTSUTAYAに配慮?」との疑問の声に武雄市は否定」(ハフィントンポスト2014年04月25日)

http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/24/takeoshi_n_5203682.html

「武雄市図書館リニューアルオープン時の郷土資料の取り扱いについて」(武雄市ウェブサイト2015年11月9日)

http://www.city.takeo.lg.jp/information/2015/11/002624.html

もちろんこれらは全体からみればごく一部にすぎないが、いずれも、この会社に図書館の指定管理者に求められる業務遂行能力があるのかという懸念を抱かせるに十分な事例といえる。CCCを指定管理者にする計画を打ち出していた小牧市がその方針を翻したこと、CCCの図書館事業に協力していた㈱図書館流通センター(TRC)が協力関係を解消する方針を示した(その後一転して海老名市立中央図書館の運営について協力関係を継続すると発表した)ことなども、こうした推移と無縁ではないだろう。

「TSUTAYA図書館を白紙撤回、愛知県小牧市」(ハフィントンポスト2015年10月20日)

http://www.huffingtonpost.jp/2015/10/20/tsutaya-libraly-vanished_n_8336364.html

 

「TSUTAYA図書館と「理念あわなかった」 図書館流通センターがCCCと関係解消へ」(ハフィントンポスト2015年10月27日)

http://www.huffingtonpost.jp/2015/10/27/tsutaya-ccc-trc_n_8396072.html

 

「【TSUTAYA図書館】図書館流通センターが一転 CCCとの共同運営を継続する「理由」」(ハフィントンポスト2015年10月31日 )

http://www.huffingtonpost.jp/2015/10/30/trc-ccc_n_8435388.html

(2)利用履歴等の情報の取り扱いの問題

「TSUTAYA図書館」に関し、ネット上で最も「アツい」トピックになっているのがこの領域かもしれない。もともとCCCは、Tポイント事業における個人情報の取り扱いについて、情報セキュリティの専門家たちから批判を浴びてきた。そもそもCCCの事業は単なるレンタル事業というより、そこで得られる利用者に関するさまざまな情報を自社及び他社のマーケティングに生かすことがその本質であるから、この批判はCCCの存在そのものに向けられたものともいえる。この点について、同社の代表取締役社長兼CEOである増田宗昭氏がインタビュー明確に答えている。

まずはCCCとしてTSUTAYA店舗を中心にさまざまな事業を展開されていますが、実際にどういう会社を目指しておられるのですか。

増田 結論からいいますと、データベースマーケティングの世界を代表する会社なりたいと考えています。データベースマーケティングとよくいうのですが、実際やっている企業は少ないです。CCCというのはTSUTAYAをやっている会社でもなく、Tポイントをやっている会社でもなく、データベースマーケティングのプラットホームをやっている会社ということです。

「特集 第2部 編集長インタビュー プレミアムエイジを成長エンジンに カルチュア・コンビニエンス・クラブ代表取締役社長兼CEO増田宗昭」『企業家倶楽部』2010年1・2月号

事業遂行上得られたデータを他の目的に利用すること自体が問題というわけではない。しかしCCCのやり方は、個人情報を取得し利用する際のやり方に法令に抵触するのではないかとの疑義のある部分がある、また利用者への充分な説明を行っていない、などの批判が専門家の間で聞かれる。

「Tポイントは本当は何をやっているのか」(高木浩光@自宅の日記2012年09月23日)

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20120923.html

 

「Tポイントは何を改善しなかったか」(高木浩光@自宅の日記2013年06月27日)

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20130627.html

 

「CCCはお気の毒と言わざるをえない」(高木浩光@自宅の日記2015年11月21日)

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20151121.html

さらに本件は、CCCの受託業務が図書館であること自体が、別の問題を引き起こしている。図書館は、「利用者の読書事実を外部に漏らさない」ことを自らの責務として課している。これは基本的人権としての「知る自由」を保障するためのものとして、日本図書館協会が定める「図書館の自由に関する宣言」に明記されている。同様の趣旨はユネスコの「公共図書館宣言」にもあり、図書館に関するグローバルスタンダードといってよい。図書館利用に伴ってTポイントを発行し、その情報を図書館以外のところでマーケティングに活用するという「TSUTAYA図書館」のやり方はこれを否定するものであるといえる。利用者が申し出れば、Tポイントを利用しない利用者カードも発行するしくみとはしているが、そのための充分な情報提供が行われていないとの懸念もあり、図書館関係者の不安を払拭するには至っていない。

「図書館の自由に関する宣言」(日本図書館協会)

http://www.jla.or.jp/library/gudeline/tabid/232/Default.aspx

「ユネスコの公共図書館宣言(UNESCO Public Library Manifesto)」

http://www.unesco.org/webworld/libraries/manifestos/libraman.html

(3)元市長の手法やその後の「転身」についての問題

武雄市がCCCを指定管理者と決めた当時の市長は、いわゆる「改革派」首長として知られた人物だった。総務省官僚から出身地の市長へ転身し、トップダウンで次々にそれまでの常識を破る政策を打ち出していったが、それらはいずれも賛否両論を呼び、その後の摩擦の種となった。

それは政策自体の「大胆」さゆえでもあったが、同時にこの元市長のものごとの進め方に起因する部分も少なくないと思われる。対立者への容赦のない批判や、ときに罵倒や中傷に近い表現をすることもあった。また、批判者に対し、その所属組織や政治家を通じた圧力をにおわせる発言をしたこともある。少なくとも4回の武雄市長選挙に勝っていることから、市民の支持はあったのだろうし、外部でも評価する人は少なくないが、よく聞かれる「敵の多い人物」との評価は必ずしも的外れではないだろう。

2015年1月、元市長は佐賀県知事選挙に出馬するため市長を辞したものの、知事選には敗れた。しかしその後、CCC傘下企業の経営者に収まり、また自ら主導して民間移譲した市民病院の移譲先医療法人の理事にも就任している。政治家とはいえ生計を立てる必要はあるのはわかるが、こうした「転身」に対して、事後的な利益誘導との批判が起きるのはやむを得ないだろう。「TSUTAYA図書館」への批判の中には、図書館自体というより、この人物やそのやり方への批判、もっとはっきりいえば嫌悪感のようなものが混じっているようにみえる。

「TSUTAYA図書館」問題は、これらの問題が入り混じったものである。それぞれの問題に対してそれぞれの専門家がその専門的見地から行った批判は多くの場合適切なものであり、論じることにはもちろん意味がある。しかし、それらはこの問題の全体像をとらえたものとはいえず、これだけでこの問題を論じていればよいというものではないように思われる。

武雄市と図書館

前記の通り、市内外の反発や批判にも関わらず、この元市長は4回の選挙を勝ち抜いている。都市部とちがってそれなりに高い投票率の下で、投票者の過半数の票を得るということは、それなりに重みのあるものであろう。この事実をどう考えればいいのであろうか。

2006年市長選挙

有権者数:41,014 投票者数:33,975 有効投票数:33,335 得票数:20,693

有権者数に対する得票率:50.45% 有効投票数に対する得票率:62.08%

2008年市長選挙

有権者数:40,978 投票者数:29,028 有効投票数:28,684 得票数:15,739

有権者数に対する得票率:38.41% 有効投票数に対する得票率:54.87%

2010年市長選挙

有権者数:40,639 投票者数:32,189 有効投票数:31,888 得票数:18,170

有権者数に対する得票率:44.71% 有効投票数に対する得票率:56.98%

2014年市長選挙

有権者数:40,141 投票者数:27,209 有効投票数:26,074 得票数:20,422

有権者数に対する得票率:50.88% 有効投票数に対する得票率:78.32%

※「選挙ドットコム」データより構成

http://go2senkyo.com/election/5453

http://go2senkyo.com/election/4523

http://go2senkyo.com/election/11137

http://go2senkyo.com/election/12549

ネットではよく「武雄市の有権者が騙されていた」、あるいは「判断を誤った」といった趣旨の主張を見かけるが、仮にそうだとしても、有権者が総体としてこの元市長を支持したという事実は変わらない。市長を辞して臨んだ佐賀県知事選挙で敗れた、つまり武雄市民の支持は得られたが佐賀県民全体の支持は得られなかったということも含め、これらは民主的に行われた選挙の結果なのであり、厳然とした民意である。

民意の「質」をあれこれ論じるより、有権者が下した判断がどのようなものであったかを考える方が有益であろう。いうまでもないが、市長選挙での争点は図書館問題だけではない。この元市長を選んだ武雄市民、そしておそらくは元市長自身の主な関心事は、図書館の選書がどうあるべきか、その個人情報管理がどうあるべきかといった個別の問題ではなく、図書館を含む、市全体にまつわる問題であったはずである。

武雄市は、現在日本各地でみられるのと同じような、衰退しつつある地方自治体の1つである。平成27年10月末時点の人口は49,796人、これは同じ時点の東京都世田谷区の人口882,686人の約1/20にすぎない。また市町村合併によって現在の武雄市が誕生した平成18年当時の人口52,416人と比べて、約10年で5%も減少している。武雄温泉で知られ由緒ある観光地でもあるが、交通の便がよくなるにつれ宿泊客が減るという、これまた衰退する地方でしばしばみられる現象にも見舞われている。

財政も楽ではない。平成26年度決算をみると、歳入総額は257億8,847万円、このうち市税は53億7,456万円、歳入全体の20.8%にすぎない。これに対し地方交付税、国庫支出金、県支出金を合わせると129億2036万円と全体の50.1%を占める。歳入は増えているが、市税自体はほとんど増えていない。

       歳入総額    うち市税    歳出総額   うち民生費

平成26年度 257億8,847万円 53億7,456万円 243億2,180万円 79億0,176万円

平成25年度 262億1,084万円 52億9,421万円 251億1,936万円 73億0,794万円

平成24年度 251億6,021万円 53億2,929万円 240億6,176万円 74億3,115万円

平成23年度 240億4,903万円 53億6,368万円 230億7,977万円 69億1,813万円

平成22年度 238億1,766万円 51億2,156万円 229億0,237万円 66億7,249万円

平成21年度 240億4,717万円 52億7,304万円 230億4,638万円 59億7,941万円

平成20年度 206億1,951万円 55億2,110万円 199億9,254万円 57億9,832万円

平成19年度 204億9,322万円 54億3,758万円 199億8,449万円 54億2,726万円

平成18年度 197億7,647万円 49億6,588万円 193億9,510万円 54億1,616万円

「たけおポータル」より http://www.city.takeo.lg.jp/shisei/yosan/

一方、歳出もまた増え続けている。中でも金額において最大項目である民生費の負担は重く、平成18年度の54億円から平成26年度には79億円と、実に46%も増加した。民生費が歳出全体に占める割合も、平成18年度の28%から平成26年度には32%を占めるに至っている。少子高齢化の影響を受けて社会福祉のための費用がかさみ、市の財政を圧迫しているものと思われる。市の行政サービスの充実をはかりたくても難しい状況だろう。

元市長の「大胆」かつ「強引」な改革は、八方塞がりともいえるこうした現状を打破するために必要と考えられたのであろう。少なくとも、図書館よりはるかに大きな地元の反発を呼んだ市民病院の民営化には、このような政策全体の方向性がはっきりとあらわれている。「TSUTAYA図書館」も、それよりは小さいが、市政改革の象徴として選ばれたのであろう。それが適切な方策だったか、うまくいったかどうかは別の話だが、少なくとも市長選の結果は、有権者がその総意として改革路線を支持したことを示している。

こうした市全体の財政からみれば、図書館に向けられる予算はごく一部だ。CCCに委託される前の数年間の市の図書館費は概ね1.1~1.2億円程度であった。委託後は、開館時間の延長などもあり、図書館費自体はそれ以前より増加している。したがって、CCCへの図書館業務委託が単純な経費削減策でなかったことはあきらかだ。

むしろ、これまでになかった図書館のコンセプトを打ち出し、目に見えるかたちで成果を実感させて「改革」の方向性への支持を取り付けること、及び、あえて関係者との軋轢を起こしつつ、市民の支持と世間の注目を集めることの方が大きな目的だったのかもしれない。次のインタビューなどをみると、こうした「劇場型」のやり方は元市長の「得意技」でもあったようだ。

地方が一番だめなところは、無関心なんですよ。マザー・テレサも言っているじゃないですか。「好きの反対は嫌いじゃありません。無関心です」と。無関心になるとみんなが当事者意識をなくしてお任せ状態になるし、結局、力のある人たちだけが密室でいろんなことを決めていくから、地方ってだめになっていったと思うんです。

だから大事なのは、地方自治体がガラス張りであるという、当たり前のことです。もっと大事なのは劇場化するということなんですね。劇じゃないとだれも見ないから。だから、市民病院も図書館も、仮想敵をつくって――まあ本当に敵になっちゃったんですけど――そういう劇場化することで、関心を引き寄せてきたということなんですよ。

「佐賀県武雄市・樋渡啓祐市長インタビュー【前編】 やっぱり政策は商品だ 理念なんてあっちゃいけない」(ダイヤモンドオンライン2014年7月31日)

http://diamond.jp/articles/-/56858

いわんとするところはわからないでもない。実際、新たにオープンした「TSUTAYA図書館」には、市外からも人が押しかけ、県外からの視察も相次ぐなど、大きな注目が集まっている。図書館にこれだけの注目が集まったこと自体、ある意味では「功績」であろう。しかし図書館関係者としては、図書館を市長の「パフォーマンス」の犠牲にされてはかなわんというのが正直なところではないか。「改革を邪魔する頭の固い敵役」扱いされる情報セキュリティの専門家もさぞかし不満にちがいない。

こうした関係者や専門家の反対の声には、当然ながら、その専門的知見ゆえに、聞くべきものがある。しかしこうした声は、少なくとも有権者たる市民に届いているようにはみえない。

そこにあるのは、図書館の理想と現実のギャップに起因する、そのあり方に関する意識のミスマッチである。

図書館の理想と現実

「図書館の自由に関する宣言」は、図書館は「すべての国民」に「知る自由を保障する」ことに「責任を負う」と謳っている。民主主義社会を支える崇高な使命というわけだが、実際のところ、図書館は「すべての国民」に遍く等しく利用されているわけではない。国立国会図書館が2014年に行った調査の結果を眺めた限りでは、おおざっぱに以下のようなことがいえそうだ。

「図書館利用者の情報行動の傾向及び図書館に関する意識調査」(国立国会図書館)

http://current.ndl.go.jp/FY2014_research

(1)リピーター vs. 無関心層

図書館はどちらかといえば、一部(それなりに多い一部ではあるが)の人々が繰り返し使う傾向があり、それ以外の人々には利用する必要性があまりないと思われている施設である。2014年1月~12月の1年間で公共図書館・移動図書館を「利用した」人は全体の40%であり、これらの人々の中で最も多いのは「月に数回程度」図書館に通う、いわばヘビーユーザーである。残りの60%の人々はその1年間に図書館を利用しておらず、その最も多い理由は「図書館に行く必要性を感じない、興味がない」ということである(Q21,23, 25)。

(2)一般論 vs. 自分事

図書館について、地域社会の誰か他の人にとっては重要だが自分や家族にとってはあまり重要ではないと考える人が相当数いる。全体の7~8割と圧倒的に多くの人々が、公共図書館は教養を育み全ての人に平等な機会を与えるのに重要な役割を果たしていると答えているものの、地域の公共図書館が閉鎖された場合に本人や家族への「影響がある」と答えた人(47%)は「影響はない」と答えた人(45%)とほとんど差がなかった。また地域にとって「影響がある」と答えた人(56%)は本人や家族への「影響がある」と答えた人よりやや多い(Q31~33)。つまり図書館の重要性はこれらの人々にとって「一般論」としてのものであり、自分自身の問題ではないのである。

(3)高所得 vs. 低所得

図書館の熱心な利用者には所得の低い層だけでなく、所得の高い層が相当程度含まれており、本が高くて買えないという人ばかりではない。図書館に行く頻度が高い人は10代と60代以上で比較的多く、生徒・学生とリタイアした高齢者が多く利用していることをうかがわせる。しかし世帯年収別にみると、図書館によく行くと答えた人の割合は世帯年収が増えると増え、まったくいかないと答えた人の割合は世帯年収が増えると減る傾向にある。書店に行くかどうかを尋ねた質問への回答でも似た傾向が出ており、図書館が所得の低い人々や書店が近くにない人々に書籍に接する機会を提供しているという、図書館の意義としてしばしば持ち出される主張とやや食い違う結果とみることもできる(Q7.4,

7.5)。この点についてもう少しきちんと分析したものは以下の通り。

野口康人・岡部晋典・浜島幸司・片山ふみ(2015)「社会階層と図書館利用」2015年社会情報学会大会発表資料.

https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=35295&item_no=1&page_id=13&block_id=83

もちろん、こうした調査結果は必ずしも図書館の存在意義を低めるものではない。ただ少なくとも、図書館関係者が掲げる図書館の理想が利用者に充分受け止められているわけではない、という点は意識しておく必要がある。従来型の図書館のあり方を支持する人は総じて、図書館からより多くの恩恵を受けてきた人であろう。しかしそうではなく、そう望みもしない人が、図書館を支える地域社会には少なからずいるとみるべきである。

利用者側の意識ということでは、武雄市の図書館利用者アンケートの結果が参考になる。開館日・時間など利用者の利便性や、代官山の蔦屋書店を思わせるおしゃれな空間(それが図書館として魅力的だとは私は思わないが)などは市民に好評のようで、これまでの図書館にはなかったものとして、総じて悪くない評価を得ているといえるだろう。

図書館への満足度は、「大いに満足」33・3%、「満足」51・7%、「どちらでもない」10・8%、「不満」3・6%、「大いに不満」0・6%。「満足」の85・0%は昨年の87・6%からわずかに下がった。(中略)「満足の内容」(複数回答)は321人が「年中無休」を挙げ、「居心地よい空間」(267人)、「スターバックス併設」(262人)が続いた。「館内で飲み物が飲める」(214人)、「販売用の本が館内で読める」(212人)と、コーヒーショップと書店があることが満足の要因になっている。「使いづらい点」(複数回答)は「駐車場が混んでいる」が177人で最多。「館内が混んでいる」(58人)、「館内がうるさい」(36人)、「借りたい本がない」(20人)が続いた。

「武雄市図書館、利用者アンケート結果発表 年中無休を評価、駐車場混雑が課題」(佐賀新聞2015年9月30日)

http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/234695

この調査が行われたのは2015年9月7~13日である。武雄市図書館の選書問題がまさに火を噴いている最中であり、この問題に関してCCCが異例ともいえる「反省」のコメントを出したのは、まさにこのアンケート調査期間中であった。前年の調査からやや下がったとはいえ、こうした「逆風」の中でも利用者のそれなりに高い満足度を得ている事実は無視できないだろう。

Tポイントをめぐる個人情報管理の問題に関しても、似たようなことがいえる。確かに情報セキュリティの専門家からみれば、CCCの個人情報の扱い方には問題が多いようだ。しかしそれは、少なくとも多くの利用者にとって、Tポイントの利用をやめる理由になるようなものとは認識されていない。実際、CCCの発表によれば、Tポイントの会員数(名寄せ後のユニークユーザー数)は2015年10月末時点で5,597万人に上る。数あるポイントプログラムの中で最も多くの人に使われているのである。

Tポイントの名寄せ後の利用会員数(CCC)

http://www.ccc.co.jp/showcase/sc_004051.html

「ポイント・ポイントカードについてのアンケート・ランキング」(何でも調査団2014年6月20日)

http://chosa.nifty.com/money/chosa_report_A20140620/6/?theme=A20140620&report=6&theme=A20140620&report=6

武雄市図書館の利用者についても、状況は変わらない。リニューアルオープンした2013年4月1日から6か月経過した9月30日時点での図書館利用登録者数2万8,229人のうち、Tカードを選択した人は93.9%、Tポイントを使わない従来型の図書館利用カードは6.1%であり、圧倒的多数がTカードを選択している。

「武雄市図書館、リニューアルから半年で来館者数が50万人突破」(MarkeZine2013/10/03)

http://markezine.jp/article/detail/18579

情報セキュリティの専門家が指摘するような、Tポイントをめぐる個人情報管理上の問題点が幅広く知れ渡ったら、Tカードを選択する図書館利用者は減るだろうか。想像だが、多少はそういうことがあったとしても、あまり大きな差は出ないのではないかと思う。Tポイントの会員になることによって、購入履歴やサイト閲覧履歴が取得され、それが他社に提供されてマーケティングに活用されるのは確かに気持ちが悪いことであり、できれば避けたいと思うだろうが、それも会員登録によって得られるメリットと天秤にかけたうえでのことである。目の玉が飛び出るほどのおおごとであると情報セキュリティの専門家がいくら強調しても、「まあそのくらいいいんじゃないか」と考える人の方が多いのではないか。よしあしは別として、それが現実だろうと思う。

「T会員規約」

http://www.ccc.co.jp/customer_management/member/agreement/

つまるところ利用者の関心の対象は、専門家や関係者たちの関心が集まる、ひどい選書やTポイント利用による個人情報の取得といった問題ではなく、利便性の向上や、おしゃれな空間が地元にできたことであり、それらはむしろ前向きに評価されている。このような、図書館のあり方に関する意識のミスマッチが、この問題における重要なポイントである。

いってみれば、「TSUTAYA図書館」を批判する専門家や関係者は図書館の理想との差に注目し、称賛・評価する人は図書館の現実との差に注目している。前者と後者のいずれが重要かという話ではない。前者と後者にずれがあることを認めるところから話を始めなければ、この問題は平行線をたどるだけ、という話である。

図書館の古くて新しい役割

西欧において、現在みられるような、誰でも利用できる公共図書館が生まれたのは19世紀半ばのことである。英国で1850年に施行されたPublic Libraries Actは、公共図書館を設置し、情報への自由で無償のアクセスを住民に保障することを定めた最初の法律であった。その後、誰でも自由に情報にアクセスできる権利を実質的に保障する公共図書館が民主主義社会を支えるインフラであるといった考え方が定着していく。

図書館がこのようなかたち、すなわち無償で貸与することを基本的な原則とするようになったのは、それが成立した時代の書籍が、庶民が気軽に買えるものではなかったからである。この時代の西欧において、活版印刷技術の普及により、書籍はかつてと比べて格段に安価で入手しやすいものとなっていたが、それとても一般庶民には必ずしも手軽に購入できるものではなかった。この時代の庶民にとって、書籍は買うものではなく借りるものであった。そのための貸本屋が、産業革命により余暇時間を得た中産階級を中心に流行し、娯楽性の高い書籍が人気を集めていた(ちなみに同時期の日本でも貸本屋が流行しており、本は多くの人にとって借りて読むものであった)。

たとえば19世紀半ばごろの英国で、当時の小説本の通常の出版形態であった「三巻本」の価格は31シリング6ペンス(1ギニー半)ほどであったが、これは当時の中流家庭の1週間の支出の8割にあたるものであった。これに対し、当時の貸本業界最大手のMudie’s

Select Libraryは、年会費1ギニーを払えば一度に一冊、年に何回でも駆り出すことができたという。また同時期のフランスでは、パリの貸本屋の1か月契約の料金が5フラン、ボルドーでは3フランであるのに対し、当時の労働者、たとえば馬車の御者の日当は1日3フランであった。

尾崎俊介(2008)『後ろめたい読書―女性向けロマンス小説をめぐる「負の連鎖」について―」愛知教育大学研究報告57号(人文・社会科学編), p.117-122.

清水一嘉(1994)『イギリス小説出版史:近代出版の展開』日本エディタースクール出版部.

町田(水町)かおり(2011)「七月王政期におけるボルドーの貸本屋―都市空間における貸本屋分析を通して―」『人間文化研究』第15号, p.1-16.

無償で本を貸し出す公共図書館が登場した背景には、こうした貸本屋で中産階級が得られるようになった娯楽や教養を、労働者階級へも与えるべきとの啓蒙的な発想があった。実際には、「知る権利は民主主義社会の礎」といった現代的な意味合いは後付けされたものであり、当時は、労働者たちが自堕落な生活に陥ることのないよう文化的価値の高い余暇を与えようというパターナリスティックな意図であったようだ。ともあれ、これにより、無償で貸し出すことが近代的な図書館にとって必須の条件と位置付けられるようになった。これが20世紀半ばに至って、アメリカの「図書館の権利宣言」や日本の「図書館の自由に関する宣言」のように、すべての人たちに情報を提供することが「図書館の自由」であるという理念として結実したのである。

David Mcmenemy (2009). The Public Library. Facet Publishing.

すなわち、現在私たちが「図書館とはこうあるべき」と考える図書館の姿は概ね、19世紀の技術や社会の諸条件を前提として成立したものである。安い本なら最低賃金水準の労働者の時給以下の価格で買えるほど書籍が安価になり、インターネットの発達や電子書籍の登場で無料のテキストや画像、動画がふんだんに入手できるようになるなど技術や社会が大きく変化したこの21世紀において、さまざまな部分でこれを見直していく必要があるのは当然のことであろう。

しかし同時に、図書館が、利用者に対し情報へのアクセスを提供することで彼らをより「望ましい」状態に導くというパターナリスティックな役割を、その草創期から引き続き期待され続けているということ、そしてそれと利用者の側が図書館に期待する役割との間には当初からずれがあったということは、意識しておく必要がある。

「無料貸本屋」論、再び

図書館に対する批判として、1990年代終わりごろからよく聞かれるようになった、いわゆる「無料貸本屋」論というものがある。図書館が無料の貸本屋になっていないかとの問題提起であるが、かつて無料貸出を行う図書館の普及が20世紀半ばまで各地にみられた貸本屋を事実上絶滅に追い込んだことを考え併せると、これはより深い意味を持つように思われる。

津野海太郎(1998)「市民図書館という理想のゆくえ」『図館雑誌』Vol.92, No.5, p.336-338.

「無料貸本屋」論については、これまで数々の検証が行われ、総じてこれを否定する結果が得られている。典型的には、「無料貸本屋」論の象徴的実例としてよく引き合いに出される、ベストセラーばかりを何冊も購入するという、いわゆる「複本」が、実際にはそれほど一般的なものではないといった論旨の研究が多い。もちろん、この結果を疑うものではない。しかし上記のように、図書館利用者のうち少なからぬ割合が月に数回利用するヘビーユーザーであるとすると、こうした人たちが予約の集中するベストセラーばかりを借りているとは考えにくいから、「無料貸本屋」論の検証にも別のアプローチが求められよう。

日本図書館協会・日本書籍出版協会『公立図書館貸出実態調査 2003報告書』

https://www.jla.or.jp/portals/0/html/kasidasi.pdf

安形輝(2014)「公立図書館における予約数と複本数の推移:予約上位本の定点調査」『三田図書館・情報学会研究大会発表論文集』2014年、p.25-28.

現代における「無料貸本屋」論はむしろ、利用者や貸出の数を図書館の業績評価指標(いわゆるKPI)として重視しすぎることへの疑問としてとらえられるべきだろう。これらは指定管理者の評価においても重視される指標の1つとなっている(この点は武雄市図書館も同様で、CCC運営に変わって利用者が増えたと誇らしげに発表したが、その後次第に減少しつつあるのは実に皮肉である)が、自治体が運営する図書館においても同様である。行政の効率化が大きな関心事となる中で、収益を生まない図書館にお金をかけるのは、それを多くの住民が支持すると思うからで、その意味でより多くの人に利用されること自体はいいことである。したがって、図書館の「効率」を測るためにこうした指標が使われるのは自然なことであろう。しかし、それ以外の要素への関心が相対的に低いのであれば、それはやはり問題であるといえる。

貸出サービスについては、以前から「無料貸本屋」という非難があった。この非難が正当とはいえないが、日本の図書館は貸出サービスを主とし、それ以外のサービス、特に相談サービス、すなわちレファレンスサービスと読書案内を副次的に実施してきたのは間違いがない。

森 智彦(2011)「日本の公共図書館サービスの展開・現状と課題・展望」『情報社会試論』Vol.12, p.1-11.

実際に図書館がレファレンスサービスを相対的に軽視しているかどうかを客観的に検証することは難しいが、少なくとも図書館職員の専門性を担保するためにどの程度の努力を行っているかの指標として、常勤職員の比率をみることは可能だろう。平成23年度の文部科学省「社会教育調査」の結果をみると、この時点で図書館等の職員36,269人のうち、常勤の専任職員は12,479人(34,4%)にすぎない。一方非常勤職員は17,743人(48.9%)と半分近くを占めている。司書及び司書補の合計17,382人のうち専任職員は6,127人(35.2%)にとどまる。

文部科学省「社会教育調査」平成23年度

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa02/shakai/kekka/k_detail/__icsFiles/afieldfile/2014/04/16/1334547_02.pdf

とはいえ、常勤職員を増やすことは人件費増に直結するから、図書館に非常勤職員が多いことは、図書館運営の問題にとどまらず、図書館設置主体である自治体等の財政問題と深く関係している。図書館が「無料貸本屋」を脱してめざすべき姿として、レファレンスサービスを充実させ利用者のニーズに答えるにしても、さらにビジネスや法律の相談に対応するなど地域を支える情報拠点という方向性を打ち出すにしても、それを実際に提供するスタッフの状況がこれでは、なかなか難しいといわざるを得ないだろう。

猪谷千香(2014)『つながる図書館: コミュニティの核をめざす試み』ちくま新書.

そもそも、こうした高度な利用者ニーズがどの程度あるのかは未知数だ。上記の武雄市図書館の利用者アンケート結果にはその片鱗が表れている。CCC運営による図書館で満足していることとして挙げられているものを上位からみていくと、「年中無休」「居心地よい空間」「スターバックス併設」「館内で飲み物が飲める」「販売用の本が館内で読める」「開館時間の延長」「Tカードでの貸し出し」「豊富な雑誌・書籍」と続く。これらはアンケート調査を行った側が用意した選択肢ではある(そもそも選択肢の中に「レファレンスサービス」という項目はない)が、利用者の評価が、どちらかといえば図書館スタッフによる高度な情報サービスより、スターバックスや代官山蔦屋書店のような、地方にはあまりないこじゃれた居心地のよい空間に向けられていることは否定できまい。

上記の国会図書館による調査でも、図書館の利用目的として「図書、視聴覚資料やその他の図書館資料を借りる/返す」を挙げた人が全体の81.0%であるのに対し、「図書館員に支援、情報、示唆を求める」を挙げた人は2.1%にすぎなかった。周知が進んでいないことも一因ではあろうが、仮に多くの人がレファレンスサービスをはじめとする高度な情報サービス求めるようになったとしても、それに対応できる体制が整っている図書館は多くはないであろう。

すなわち、図書館関係者の高い理想とは異なり、多くの図書館、少なくとも武雄市図書館の利用者のニーズはむしろ「無料貸本屋」としての洗練を求める方向にあるように思われる。このような、サービス提供者側と利用者側との思惑のミスマッチは、上記の通り、19世紀半ばの近代図書館誕生の瞬間から存在していた。そして図書館が全国に普及していく中で貸本屋を駆逐していったため、かつて貸本屋が担っていた娯楽性の高い書籍のレンタルのニーズをも図書館が担わなければならないという宿命を負っている。こうしたミスマッチに目を背けたまま高邁な図書館の理想をただ唱えることは不毛といわざるを得ず、そして残念ながら実現も難しいだろう。

図書館のあり方を選ぶ

もちろん、ビジネス支援やその他の図書館に対する高度な情報ニーズは、図書館に対するニーズ全体の中では一部であり、それを求める人は必ずしも多くはないとしても、存在するのは事実であろう。そうしたニーズのある場所で、それを提供することには大きな意義がある。

たとえば個人的には、現在のほとんどの図書館(大学図書館も含め)のレファレンスサービスは、大学レベルのニーズに対応できる水準ではないという感想を抱いているのだが、勤務先である駒澤大学の図書館で最近、図書館学修支援員(通称「ライブラリーアドバイザー)」というしくみを導入したことを興味深くみている。これは学生が調査・研究する際の学修支援を目的とした制度で、大学院博士課程の在学生や修了者などが図書館で学生の調査研究をサポートするというものである。もちろん人数に限りもあり、万能とはいえないだろうが、大学生の調査研究という特化したニーズにより高いレベルで対応しようとの試みであろう。おそらく他の大学図書館でも似たような施策は行っている例はあるのだろうが、図書館がより高い専門性をもったサービスを提供できるようにする方向性は、一般の図書館にも広がってほしいと思う。

猪谷「つながる図書館」にも、鳥取県立図書館や秋田県立図書館ほか、ビジネス支援などに積極的に取り組む「課題解決型」図書館の例が紹介されている。実際にそうした高度なサービスが提供できるのであれば、たいへんすばらしいことだと思う。

武雄市のような場所においても、そうした高度なニーズは存在するのかもしれないが、市民が選んだのは、代官山蔦屋書店やスターバックスのような場所としての図書館であった。とはいえ、それもまた現代の図書館に求められる機能の1つであろう。図書館が地域で設置・運営されるものであれば、そのあり方も当該地域で決めるしかない。いやならば、遠くはなるが他の図書館を選ぶという選択肢もないではない。都市や地方のあり方が多様であるように、図書館のあり方も、もっと多様であっていいのではないか。

私自身は、自分の住む地域の図書館が代官山蔦屋書店やスターバックスのようであってほしいとはまったく思わないが、それは私が「本物」の蔦屋書店やスターバックスに行こうと思えば行ける場所に住んでいるからでもある(実際にはほとんど行かないし、蔦屋書店には行きたいとも思わないが)。そうでない地域に住む人々が厳しい財政事情の中で下した選択を笑うことはできない。佐賀県内にスターバックスは7店舗あるが、うち5店舗が佐賀市内であり、武雄市にあるのは「TSUTAYA図書館」内の1店舗だけだ。もし「TSUTAYA図書館」がなかったら、武雄市にスターバックスはできていただろうか。

書籍貸し出しという図書館の本来業務についても、多様性はあってよい。たとえば娯楽性の高い書籍、人気の高い書籍の貸し出しは有償にするという考え方もありえよう。そうすれば複本などもより柔軟に対応し、利用者のニーズに応えることもできる。図書館に有料の「ファストパス」があってもいいかもしれない。それが図書館の原則に反するというのであれば、そういうときにこそ「TSUTAYA図書館」のような、非営利と営利を共存させる運営形態を活用すればよい。

個人情報の問題も、基本的には利用者の選択を尊重すればいいと思う。もちろん法令は遵守すべきであり、サービスの内容もより明確に理解したうえで利用してもらう必要がある。この点において専門家が繰り返し指摘する、Tポイントやそれを活用した図書館運営のあり方の問題については、改善の余地が多々あろう。CCCはこうした指摘により真摯に対応していく必要がある。

しかし同時に、図書館利用にあたって、利用者への選択の機会は不十分だとしても提供されてはいる。情報も、こうした専門家たちの情報発信が数多くなされていることを考えれば、知らないことにつき利用者の側にまったく落ち度がないとまではいえない状況になってきているのではないか。安易な自己責任論に堕するつもりはないが、すべての責任を事業者側に押し付ける考え方や、批判のための批判になっているような主張は、かえって利用者の選択の機会を狭める。日本国民の半数弱は、情報セキュリティ関係者が全力をあげて守ろうとしている個人情報や利用履歴の多くを、わずかなポイントを得るために嬉々として売り渡すことをよしとしているのである。そこには知識や意識の不足だけではなく、価値観のちがいもあるとみる方が自然であろう。

図書館を民主主義社会を支えるインフラとみるにせよ、地域コミュニティの核とみるにせよ、そのあり方は地域ごとにちがっていてしかるべきである。課題解決の場をめざすも、こじゃれた無料貸本屋をめざすも、利用者が自分たちで決めたらよい。その意味で、図書館のあり方を選ぶこととは、地域のあり方を選ぶことでもある。自らの地域の図書館に不満があるなら、別の地域の図書館へ行けばよい。啓蒙的配慮の意義をまったく否定するわけではないが、図書館のあり方を利用者自身が選ぶ方が、現代の民主主義社会にはふさわしいのではないか。

個々の地域の事情を超えて、図書館として共通に満たすべき要素を1つ挙げるとすれば、そうした図書館のあり方を選ぶ機会を実質的に担保する状況の確保、具体的には、図書館運営に対する必要十分なファンディングではないかと思う。施設の改善をめざすにも、スタッフの能力向上をめざすにも、ネックとなるのはコストである。本質的にコストセンターである図書館は、その運営に必要な収入のすべてを自ら得ることは難しい。「TSUTAYA図書館」も、異なるアプローチをとった他の図書館と同様、限られた予算の中で自ら掲げた目的を達成するべく、自ら定めた方向性に沿って努力しているのであろう。

その方向性に問題があるとすれば、それを正していくのは当然だが、同時に、他の選択肢はありえたのかも併せて問う必要がある。選択肢があるようにみえても、事実上他の選択肢を選ぶことが困難な状況であれば意味はない。武雄市その他の「TSUTAYA図書館」が、それ以外に現状を打破する選択肢がない状態で選ばれたのだとすれば、それはやはり問題であろう。しかし、選択できる状態で選ばれたのであれば、外部から口を出すいわれはない(埼玉のラーメン本はせめて新しいものにしてほしいが)。

そうした選択を可能な状態を整えるのは、最終的には国の役割である。どのようなものであれ、国民の文化的な生活を支える存在である図書館がいかにしてその目的を達することができる状況を作るかは、国としての意思の問題であろう。押しつけがましい啓蒙よりそうした下支えこそが、文化の発展に寄与し、国としての長期的な競争力の維持向上にもつながろうるのではないか。

聖書に「新しい酒には新しい革袋」ということばがある。発酵が終わっていない新しいワインからは炭酸ガスが発生するため、それを弾力性のない古い革袋に入れると、炭酸ガスの圧力で革袋が破れてしまう。だから新しい革袋に入れるべきということである。現在のような図書館が生まれた当時にはなかった新たな技術や社会の状況を、さまざまな摩擦や問題(つまり泡だ)を生み出す新しいワインだとすれば、図書館はそれを入れる革袋にあたるのだろう。多様な「泡」が次々と発生するなかで、それに収める新しい「袋」としての図書館のあり方もまた多様であってしかるべきである。

プロフィール

山口浩ファィナンス / 経営学

1963年生まれ。駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授。専門はファイナンス、経営学。コンテンツファイナンス、予測市場、仮想世界の経済等、金融・契約・情報の技術の新たな融合の可能性が目下の研究テーマ。著書に「リスクの正体!―賢いリスクとのつきあい方」(バジリコ)がある。

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