2012.01.16

「3.11で社会は変わった」という言説に根本的な疑問を投げかけ、震災後の若者たちの反応は「想定内」だった、と喝破した若き社会学者・古市憲寿さん。人は自分がリアルタイムで経験した事件を過大評価しがちである、と指摘する小熊英二さん。この両者が古市さんの新刊『絶望の国の幸福な若者たち』で提示された「震災後」の論点に検討を加え、「本当に震災後に日本社会は変わったのか」改めて語ります。はたして今、研究者は何ができるのか——。(東京堂書店HPより)

ジャーナリズムとアカデミズムの間

小熊 ご新著の『絶望の国の幸福な若者たち』を拝読しました。いろいろ欠点はありますが、ある意味歴史に残る本かもしれないと思いました。

これは必ずしもいい意味ばかりではない。たとえば、1979年に発刊された『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・F・ヴォーゲル著)は、あの時期の日本の気分をよく表したタイトルで有名になりましたが、そういう意味で名前が残るかもしれないと思います。過去の若者論の系譜を踏まえながら、現在の日本の若者が置かれている状況の統計的研究もフォローし、格差や年金財政の問題もおさえたうえで論じているわけですけれども、全体的には、若者は絶望的な状況にありながらおおむね幸福である、と捉えていますね。

古市 状況認識としてはそうですね。日本社会全体に関しては多額の財政赤字、少子化による現役世代の減少と、高齢化による社会保障費の増大、廃炉もままならない原発など、まさに題名の通り「絶望」的ともいえる状況です。しかし、20代における生活満足度の推移、幸福度の推移を追ってみると、彼らの満足度や幸福度がこの数十年で最高水準であることがわかります。

また、意識ではなく客観的な水準で考えても、現代の若者は少なくとも物質的には「幸福」であるといえると思います。先行世代が残した社会的なインフラもある。本のなかでも書きましたが、そこまでお金をかけなくても、そこそこ楽しい暮らしができてしまう。さらに親世代がまだ元気だから、金銭面や住居面を含めて様々なサポートを受けることができる。そのような意味を込めて「絶望」の国なのだけれども、「幸福」な若者たちである、という題名の本になりました。

小熊 しかし前著の『希望難民ご一行様』より、新著は劣っていると思いました。前著は、ピースボートのスタッフ側の視点が欠けているとは思いましたが、一つの社会をよく描いていると思いました。たとえばピースボートに乗る人には30前後の看護師が多いという調査結果がありましたね。看護師というのは、お金がある程度作れて、腕一本で渡っていけて、真面目な人が多くて、次の職場に行く前に乗船の時間が空けられるという人です。そういう女性たちが、ここで人生の転機をちょっとはかりたいということでピースボートに乗るのでしょう。この人たちの労働状況とメンタリティをよく表しています。

それに比べると、今回の本は調査がとても粗い。2、3人街頭で捕まえて聞いただけみたいなものが多いですし、あなたが自分の持っている憶測や仮説を当てはめて全体を作ったように感じます。調査というのはちゃんとやれば自分の仮説が打ち崩されるものなんですけれども、安全な範囲で聞いているなという印象を持ってしまいました。

ただ、たぶんこれが今の日本社会の気分なのだろうな、というものを捉えているとは思います。その点は、あなたの優れた勘を示しているし、その意味で歴史的な本になるかもしれないと思いました。

古市 2、3人よりは多いと思いますが、そこにサンプル・バイアスという問題があるのはご指摘頂いた通りだと思います。

『希望難民ご一行様』はもともと修士論文として書いた論文です。だからはじめから研修者目線で、何かの規範的な命題を打ち出すためというよりは、先にフィールドワークのデータがあって、そのなかからどのように論文を組み立てられるかを考えて書いたものです。自分がピースボートのなかで見てきたものや、アンケートの結果からどのような分析を導き出せるかを試行錯誤するという作業です。もともとが学術論文であるため、仮説があり、検証部があり、結論があるといういわゆる「論文」としても読めるような内容になっていたと思います。

一方で、『絶望の国の幸福な若者たち』は、はじめから「若者」について書きたいという動機があった一冊です。今僕は26歳なんですけれども、自分が若者であるうちに、若者として、若者というものを描いてみたいなという想いがありました。学術書とエッセイ、ジャーナリズムとアカデミズムの真ん中を目指した本です。自分の「感覚」というものをそのまま織り込んでしまったのも事実だと思います。

「こう思っている」とか、「こんな感じではないか」とか、論証しきれていない部分も多い。そして仮にも社会学者を名乗るならば、サンプル・バイアスがかからざるをえないワールドカップ時の街頭調査なんてやらないほうがいいのかも知れない。だけど、そういうスケッチも含めて2010年代の若者のリアリティを残しておきたいという気持ちがありました。ワールドカップのあの雰囲気を切り取るには、他に方法が思いつきませんでした。小熊さんにおっしゃって頂いた「日本社会の気分」を切り取っておきたかったんです。

小熊 別に学術書らしくないから不満だというのではなくて、著者が自分のなかに予めある見解をそのまま出しましたという本は、好きじゃないんですね。その作品を作る過程で著者自身が変化していったり、化学反応を起こしているものが好きです。そういう化学反応がない人は、何を書いてもみんな同じになってしまう。

あなたが今、日本で若者と分類されるぐらいの年齢で、ある種記念写真的に書いておきたかったというのであれば、それはそれでいいと思います。たぶん35歳になってオーバードクターの年限も切れ、学術振興会の助成金も取りそこね、時給800円の職しかなくて親の介護が必要になりはじめたら、「なんとなく幸せ」とは書かないでしょうから。

古市 そうですね。親も元気だし仕事もある。そんなに毎日の生活に不満はない。だけど、そのリアリティが「自分だけ」のリアリティとは思いません。この5年間ぐらい、世の中には不幸な若者論―非正規雇用者がこれだけ多くて若年層はこれだけ貧困な状況に置かれていて、若者はなんて可哀想なんだ―という議論が世の中を賑わせてきました。しかし、それも一つのリアリティなんだけれども、「幸せな若者がいる」というリアリティも確かにある。親の経済状況や大学進学率を考えると、それは決してマイノリティとはいえない。もちろんどっちが正しい、間違っているというわけではなくて、それを示すこと自体が、論争なり話し合うきっかけにするために必要なことだと思ったんです。だから「著者自身の変化」や「化学反応」というものは、むしろ本を出版したあとに色々と経験しました。

15ec4019

現在の若者が置かれている状況

小熊 つぎに今の日本の若者の状況を考えましょう。前提の一つは、ポスト工業化社会への移行です。情報技術の進歩で選択肢や柔軟性が高まり、長期雇用が短期雇用に切り替わり、非正規雇用が増えて雇用の不安定性が高まる社会ですね。ニューエコノミーともいわれますが、そうなると自分の選択可能性も広がるんだけれども、相手から選択される可能性も増える。たとえば面接にたくさんアプライしなければいけなくなるし、自分が選ばれない可能性も増えます。

結婚相談の仕事をしている方が出した本の中に、女性は「普通の人」を求めているということが書かれていました。しかし、普通の人というのは、容姿が普通(1/2)×性格が普通(1/2)×収入が普通(1/2)×趣味(1/2)……とやっていくと、0.数パーセントしかいないんですね。選択可能性が広がってくるというのはそういうことです。

また、今の日本の状況としてもう一つよくいわれるのが、企業と学校があまりにも強固な場として機能してきたから、そこから外れてしまうと承認される場がなくなってしまうということです。高卒で非正規になってしまうと、もう「居場所」がなくなってしまう。さらに、新卒一括採用が中心なので一度こぼれてしまうと敗者復活ができない。

古市 まさに『希望難民ご一行様』の主題がそういった問題系でした。

小熊 そうした日本の状況のなかで、承認を求めるために、いろんな場所に集まってくる若者たちの気分を、あなたは描いていますね。

タイで「ユニクロ」「東芝」はステータス

小熊 またあの本には、「安く物が買える」ということが、若者が幸せを感じられる根拠の一つであると書かれていました。私はやはりそうなんだと思うとともに、もう少し全体状況のなかで位置づける必要があると思いました。

たとえば服を安く買えるというのはどういうことか。先月、タイに行ってバンコクのユニクロや伊勢丹を見てきました。ユニクロではTシャツが299バーツで、1バーツが2.5円ぐらいですからだいたい800円くらい。日本とたいして変わらないんですね。

古市 タイの人々からすれば、安くないということですね。

小熊 それはどういうことかというと、ユニクロの製品はカンボジア製だったりして、日本で売っているのもタイで売っているのも同じものなんですよ。

古市 輸送コストが同じということですか。

小熊 輸送コストは多少違うかもしれませんが、基本的には同じ工場で作っていて、労働賃金が同じなんです。バンコクでは電気製品も東京と値段がほとんど変わりません。たとえば東芝の電気製品はベトナム製です。日本の感覚では安いんだけど、タイの感覚ではそんなに安くない。タイの人たちにとってみると、ユニクロの服や東芝の電気製品は、ステータスシンボルなんですね。

私が現地の講演で、日本の貧困層というのは一見貧乏に見えませんという話をしました。なぜならユニクロの服と東芝の電気製品は持っているからです。時給700円で月200時間労働すれば、200時間働くのはけっこう大変ですが、14、15万稼ぐ。家賃に7、8万払うとしても、カンボジア製の服とベトナム製の電気製品は買える。親の実家に住んでいればもっと余裕があるし、古着で買えばもっと安いです。私の今日の洋服は下北沢で700円で買いました。全身、たぶん2000円か3000円で済んでます。

古市 いつも服は下北沢の古着屋ショップで買われるんですか?

小熊 あるいは、yahooオークションとかです。

古市 そうなんですか(笑)。今日の対談はそれをお聞きできただけでも価値があると思います。

問題は30歳を過ぎてから

小熊 しかし、こういう若者は30歳を過ぎると苦しくなってきます。まず、可処分所得の半分ぐらいを家賃で費やしてしまう。親と同居だとしても、給料が上がる目処がないから家を買えない。結婚ができない。親元から出られない。子供が作れない。勢いで子供を作ったら、高等教育はできない。今の日本で子供を大学まで卒業させるには、だいたい一人3000万円。全部私立に行って私立の医科歯科大に進めば6000万円以上します。到底そんなことはできるはずはない。

なぜこうなるのかというと、説明は簡単です。工業製品は輸入できます。だからカンボジア製の服やベトナム製の電気製品は、日本のワーキングプアは買えるんです。ところが、土地は輸入できない。だから家賃は高いし家も高い。それから次に輸入できないのはサービスです。特に教育サービスは輸入できないから高いんです。

たとえばタイでラーメンを食べると50~100円ぐらいですが、日本で食べれば500円です。原料代は似たようなものでも、日本人が作っているから高いんですね。タイで中国製のインスタントラーメンを買うと日本と同じ値段です。タイではベトナム製の電気製品を買って、カンボジア製のユニクロの服を買って、インスタントラーメンを食べているのは中産階級のシンボルなんです。

ところが日本のワーキングプアというのは、電気製品を買ってユニクロ着て、インスタントラーメン食べるしかないんです。でもそれは、タイの人から見ても、そしておそらく日本の年長者から見ても、一見豊かなんです。「貧乏だというけどきれいな服を着ているじゃないか」というわけです。だけど先の展望は全くない。この問題に気づくのはたぶん30歳を過ぎてからなんだろうなと思います。

古市 本の中で「貧困は未来の問題、承認は現在の問題」と書きましたが、20代ではそのようなことに気づきにくいということですね。30歳を超えて自分がそういう状況に置かれてはじめて気づく。

小熊 たとえば、95年ぐらいの漫画を見ると、この人たちはどう考えてもその後の展望がないなと思える職業の登場人物が出てきます。21、22歳ぐらいのフリーターでレジ打ちとか、それでフリーのカメラマンもやっているとか。しかし、非常に今を楽しんでいて、将来もなんとかなるだろうと思っている。

95年ぐらいの時点では、まだ非正規雇用の激増がはじまったばかりで、その人たちが先行きどうなるかというのは社会全体でもわからなかった。でも、さすがに今は、若いときに非正規になるとその先がないという不安を、みんな薄々感じはじめている。だから大学生を見ていても就職活動にものすごく熱心です。しかし、そこのルートに入れなかった人も、とりあえず服は買えるし、電気製品は買えるし、ネットはやれるし、20代のうちは「とりあえず幸せ」と思っているかもしれません。

古市 しかも、一見そっちのほうが幸せそうに見えてしまうんですね。

小熊 そうですね。その状態が発展途上国の人たちや、日本の年長者から見ると豊かに映るということもわかっているから、それで豊かだと思ってしまう。しかしみんな、それが先進国型の貧困形態だということが、まだよくわかっていないと思います。たぶん、あと10年ぐらいしたら、それは貧困生活なんだということを、20代が前提にする時代がくると思いますね。

ヨーロッパ型の労働モデル

古市 20代の若者が、フリーター的な生き方を30、40代まで続けていくというモデルはありえないと思いますか。

小熊 現状の日本の制度ではありえないですね。あなたがいう「フリーター的な生き方」というのが、「とりあえず幸せ」をずっと続けられるという意味なら。

古市 ヨーロッパでは、20、30代前半ぐらいまではフリーター型で生きてく若者が多いという前提で、労働市場と教育機関の往復が可能な仕組みを持つ国が多いですよね。ニューエコノミー的な労働の流動化を前提として、いろんなセーフティーネットがこの20年間で張り巡らされてきました。

小熊 そういわれますね。

古市 スペインは2010年10月段階の調査で25歳以下の失業率が48パーセントといいます。一方で日本では若年失業率が10パーセント以下です。この数字だけを見て、ヨーロッパはすごく失業率が高いのに、日本はすごく低い、なんていい国なんだと単純な紹介がされがちですが、実はヨーロッパではセーフティーネットがあまりにも充実しているからこそ、若い人は働く必要がないという状況があります。無理して働くくらいなら、政府から失業保険をもらったり、職業訓練を受けて、働かないほうがましだと思っている層が多数いる。今の日本は、このようなヨーロッパ型の労働市場へ移行する過渡期といえるのでしょうか。

小熊 過渡期なのかどうかはわからないですが、まずあなたもご存知の通り、雇用慣行が変わらなければだめです。新卒一括採用が中心で、フリーター経験のある人間を雇いたいという企業は1.3パーセントという状況が変わらなければね。それから、日本のセーフティーネットをこれから整えるかどうかということになってくると、財政は苦しいから難しいところです。

日本のフリーター層は、大卒や大学院卒もいますが、やはり高卒が多くて、高校卒業のときに正規雇用ルートに入っていけなかった人たちです。90年代に高卒労働市場は1/5くらいに減ってしまった。昔だったら高校から工場に一括採用してもらえたようなルートが崩壊し、高校を卒業してフリーターになるしかなかったような人たちがたくさんいます。いったんそのルートに入ってしまうと、現在では将来のモデルはほとんどありません。

日本で若年失業率が、ヨーロッパのようには上がらないのは、一つには働かざるをえないからです。つまり、敗者復活の機会がないからです。ヨーロッパなら、時給数百円の非正規雇用でずっと働くくらいなら、失業保険でしばらく耐えようとか、その間にもう一回学校に行ってキャリアアップして正規雇用に就こうと考えます。しかし日本ではそういうモデルが成り立っていない。学校に行きなおしたところで、新卒から漏れると正社員になれる目処がないから、時給800円でも働くしかない。

アメリカやヨーロッパだったら、展望もなしに非正規でずっと働く若者が少ないから、若年失業率が上がって移民が入るんです。ところが日本では、正規雇用のチャンスを永遠に失い続ける若者と、女性と子育てを終えた主婦が働くので、移民が必要ない。移民なみの条件で働く人たちがいるからです。

高卒者の不遇

古市 非正規雇用の人は、本当に働く場所がないんでしょうか。たとえば過剰な大企業志向というのがよくいわれています。新卒一括採用にしても、大企業に入れる倍率を考えてみると、確かに学生2人に対して1人分しか席が用意されていない。一方で、中小企業であれば、学生1人を中小企業が4社以上で争っている状況です。マッチングがうまくいけば、一生フリーターはフリーターでいなきゃいけないという状況は、あまり想定できないのですが。

小熊 大卒に関していえば、あなたのおっしゃる通りです。でも大卒は半分強。残りの半分はどうなるか。大卒が中小企業に就職したら、大卒に就職市場を食われた分だけ、あぶれる人が出ますね。

古市 大卒の新卒一括採用の問題ばかり取り沙汰されますが、確かに、この20年間、産業の空洞化やグローバリゼーションの影響で、ブルーカラー系の職業が減りました。高校を卒業したら、たとえ苦手だとしてもサービス業をやるしかない。もしくはどうせ仕事がないから大学に行くしかないと、逆に大学の進学率がどんどん上がっていく。

小熊 そうです。あとは専門学校ですね。

古市 高卒の人たちが、不遇な状況に置かれているのはその通りだと思います。

小熊 高卒一括採用で工場に勤められるというルートが崩壊しても、ほかのモデルがない。高卒でサービス業に就いても一生時給数百円、しかも35歳まで。専門学校に行ったところで、音楽ではほとんど職がないし、美容師は溢れかえっていて、過酷労働になっているのはご存知の通りです。

古市 そうですね。美容師に関していえば、だいたい東京都内だと時給換算すれば、それこそ200、300円ぐらい。月給20万円以下で朝から晩まで休みなく働くような人がものすごく多い。一見、美容師やミュージシャンは夢に満ち溢れた職業に見えます。高校生が将来何になりたいかを考えたときに、手に職があって、しかもちょっと世の中にちやほやされる、そうした職業に就きたいと思うのは自然なことだと思うのですが、実際のそのルートは極めて過酷です。

小熊 私は貧乏ミュージシャン友達が多いので、そういう人たちが40歳を過ぎたらどういう境遇にあるかは、わりと知っています。

古市 みんなが憧れるクリエイティブな職業に就いたとしても、30歳くらいまではいいけれども、30、40代になるにつれて不遇と呼ばれる状況に落ちざるをえないということですよね。

小熊 20代後半から30歳前後に運良くある程度までいくと、スタジオミュージシャンとしてなんとか食べていけるぐらいのレベルに到達する。そこでまだ若いし、未来があると思うから、自分はこのまま上昇し続けると思ってしまうんですね。ところがミュージシャンの一生なんていうのは、20代から30代前半がピークで、40歳を過ぎるともうつらい。若い人がどんどん出てくるし、掛け持ちでやっていたバイトも35歳までの募集が多くて、だんだん苦しくなる。劇団なんてもっと悲惨ですよ。公演があるたびにバイトを辞めなきゃいけませんからね。

6d1b69b9

好きなことを続けられる環境はない

古市 『希望難民ご一行様』で書いた問題意識とつながってくると思いますが、みんなが夢を追えばいいとか、好きなことをやったらいいといったメッセージが世の中には溢れています。だけど、当たり前のことながら、誰もが夢を叶えられるわけではない。結局は社会的弱者にならざるをえない可能性が、今の日本社会においては高いということですね。

小熊 ニューエコノミーと非正規の増大という先進諸国共通の現象と、いったん正規雇用からあぶれると復活のチャンスがないという日本独自の現象とが複合していますが、今のところはフリーターに将来のモデルはない。今の40代以上だったら、その道をあえて選んだ人たちも多いかもしれませんが、30代半ばぐらいだったら、就職氷河期で否応なく漏れおちてしまった人たちが多いです。今これらの人たちは大変です。今の20代の人たちは、繰り返しいいますが、そのことがあまりよくわかっていないと思います。

古市 だけど「画期的な生き方」や「一部の成功例」にばかりスポットライトが当たります。たとえばシェアハウスにしても、本当は貧しくて住居をシェアせざるをえない人がいるにもかかわらず、メディアが注目するのは、先進的な高学歴の人たちが集まったシェアハウスばかりです。こんなクリエイティブなことが起こるんですよ、とか。そうせざるをえない人を無視して最先端だけが注目されてしまう。

小熊 まあそうですね。どの業界でももちろん成功者はいますから。弁護士でも医者でもミュージシャンでもなんでも、一番成功した人を拾ってくれば輝かしいです。もちろん学問業界のなかで、あなたが一番下に入る可能性ももちろんこれからいくらでもあります。

古市 小熊さんが26歳のときはどのような人生を描いていましたか。その頃は岩波書店にお勤めされていたと思いますが。

小熊 古い体質の会社勤めにありがちな悩みでしたね。命令通りに人事異動を受け入れて、明日から営業に行ってくれといわれたらその通りにしなくちゃならないので、自分のキャリアプランが立たない。それで得意分野を身につけないと消耗品になってしまうと思って、30歳のときに大学院へ行きました。結果として学問方面へ進んでしまいましたが。

古市 多くの人は限界があると気づいても、結局はそこの企業にしがみつくか、せいぜい転職するしかない。20代に将来の展望を持てというのは、そもそも難しいと思います。

日本でやれることは何か

古市 20代のうちは、やっぱり将来のことをそこまで真剣には考えられないと思うんです。もちろん漠然とした不安はあるんだろうけど、それは分節化されないもやもやした不安に過ぎない。雨宮処凛さんや赤木智弘さんが自分たちの不遇な状況を訴えはじめたのは、彼らが30代になってからです。20代のときではない。しかし、そうしたことを意識せずにいる20代が多くいる現状において、一体何ができるのでしょうか。

小熊 包括的な案が出せれば私は救世主になれます。最低限日本でやれることは、雇用慣行を変えることでしょう。それが変わらないと、敗者復活できる目処がない。それが変わっても救われない人は出ますが、モデルプランが立てられる分だけ、今よりましにはなります。ただそうなれば、低賃金で展望のない非正規職なんかで働くより、職業訓練でも受けて正規職を狙うという人が増えるでしょうから、若年失業率は上がると思いますが。

古市 上がらざるをえないということですか?

小熊 そうなればヨーロッパ、アメリカ型に近づいてくる。そして日本の若者が敬遠する低賃金非正規労働市場に、移民が入るでしょう。

古市 しかし、雇用があまりにも流動化して、会社をどんどん変えていくような社会において、果たして人は幸せでいられるのかという問題もありますよね。

小熊 流動化せざるをえないのはニューエコノミーの必然です。日本の場合は、その潮流に抵抗して、正規職の流動性を低く抑えている分、しわ寄せで非正規の不安定性が高すぎる。

若者論はなぜ繰り返されるのか

小熊 ところで、若者論というものが今どういう意味を持つかを話しましょう。「若者はだらしない」の類の言辞は太古の昔からあるといわれ、あなたも書いているように、戦前も戦中も戦後も若者論はありました。しかしそれが定着したのは、これもあなたが書いているように、日本では高度経済成長期からです。これは階級要因が退いたからです。

これは同じ頃に、フェミニズムやリブが台頭したのと似ています。つまり一億総中流意識が広まり、階級要因が目立たなくなったことで、大奥様であろうと女工であろうと農村婦人であろうと、「女」としての共通の問題があるんだと語れるようになった。1970年代から80年代半ばまでのリブやフェミニズムの議論を見ると、ほとんどが都市部の高学歴中産階級女性の問題を論じている。バリエーションがあるにしても、職業に就くことを選んだ女性と、専業主婦になる女性の違いくらいだった。農村女性や女性工場労働者がいるとしても、やがて都市部の高学歴中産階級になっていくんだろうと思われていたのでしょう。

「若者論」も同じだったと思います。1960年代には大学進学率がどんどん上がっていき、みんな大学生になって、終身雇用でサラリーマンになって、中産階級になるんだろうと思われていた。ブルーカラーであっても職業欄に会社員と書くというような時代でしたからね。実態よりも意識がそうなっていた。その時期に、大学生を典型的な「若者」とみなして、それを論じることが栄えたんです。

古市 しかも、日本には移民が少ないから人種で区切る意味もない。若者論は特に70年代以降流行しましたが、不思議なのは、2000年代以降も若者論が続いていることです。格差社会というリアリティを人々が感じるようになって、一億総中流だとはもはや誰も思わなくなったのに、それでもなお、若者論は続いています。

もう一度階級というものが前景化してきたにもかかわらず、若者論が繰り返されている。それは個人のレベルではわかる話です。コミュニケーションツールとして若者論はすごく使いやすいものだからです。歳をとって時代についていけなくなっただけなのに、「最近の若者はこうだ」というと、さも一端の社会論に聞こえる。その意味で若者論というものが、若者ではなくなった人たちにとってのある意味自分探しだとか、社会と自分の認識作業として残ってしまうのはわかります。だけど、世代一般を語る「若者論」が今でも量産されています。

小熊 一つは単純な理由で、まだ階級でものを語るのに慣れていない人たちが多いから。特に年長の人はそうです。

二つ目は、時代の変化というものは確かにあるからです。敗戦後すぐも若者論、というより世代論が栄えました。この時点では、階級があることはわかっていたけれども、戦争を何歳で経験しているか、あるいは大正デモクラシーの時代に教育を受けているか、というような人間類型論でした。

そういう違いは今でもあると思います。今40代後半以上で、80年代までに人格形成した人は、若者は車を買って当たり前、終身雇用が当たり前、日本は製造業の国だ、といった感覚が染み付いている人が多い。それ以後に人格形成をした人は違いますね。

若者バッシングと移民排斥運動

小熊 そして三つ目は、先ほどあなたがおっしゃったように、日本には移民が入ってこないから、「人種」ではなく「世代」で語られるのだと思います。先ほどもいったように、外国だったら移民が働くような職場で日本の若者は働いています。ヨーロッパだったら本国人の女性や若者が就かないような時給700円のマックジョブですね。東日本大震災の被災地では、津波で壊滅した町の部品工場で、農家の中年女性が時給300円で働いていました。そういう人たちがいるかぎり、日本で移民は大量には入りません。

こういう状態の社会で、ニューエコノミーで変動した社会についていけない中高年の違和感と反発がどこに向かうか。どこの先進国も、製造業が衰退し、男性の平均賃金が低下し、女性が働きに出ざるをえなくなり、家族が揺らぎ、結婚できない若者が増えている。それでヨーロッパの場合は、移民が入ってから社会が悪くなったんだ、と語られる。ところが日本の場合は、こんな社会になったのは若者が悪いんだ、携帯いじってモラルが低い、意外と豊かそうなのに生活保護をもらっている、我々を脅かす連中で社会を不安定化させる、といった言説が流行る。これはいわば、日本における移民排斥運動の代替版です。

古市 若者バッシングは、ある種、移民排斥運動と同型だということですか。

小熊 ヨーロッパなら移民が入るはずの労働市場で若者が働いているわけですから、社会的な代替物になりやすいのでしょう。

古市 移民は排斥というゴールがありますが、若者に関しては日本人である以上排斥はでききれないわけですよね。ということは、移民排斥運動みたいなかたちでの若者バッシングや若者論というのは、今後も続いていくのでしょうか。

小熊 日本から追い出すことはできないから、しっかり教育して立派な日本人にしろ、という教育論というかたちで出てくるでしょう。歴史を教えろとか、ボランティアやらせろとか、いっぺん軍隊に入れろとかね。

若者語りをしたい人は多い

古市 『絶望の国の幸福な若者たち』は自分が思っていた以上に話題になりました。もはや若者論なんて流行らないと思っていたからこそ、エッセイとして自分たち語りをしてしまったところもあります。若者論をやる意味は、僕にとっては自分探しというか、自分はこう思っていてこんなふうに今の世の中を見ていて、どうやら世の中の同世代もこうらしいという程度のものでしかなかったんです。

しかし、それ以上に若者語りをしたい人が多くいるということに、この本を出して気づかされました。ということは「若者論に意味がない」とだけいっていても仕方がない。一つのリアリティに回収されないかたちで、ちょっとでもましな「若者像」を出していくことが大事だと思うようになりました。

小熊 この本が注目されているとするならば、確かに若者論のニーズというのはあるのでしょう。教育社会学や格差研究の要素を組み込んでいる若者論はそんなに多くはありませんので、それはこの本の優れた点だと思います。また、若者論は年長の人が論じることが多かったので、20代が書いたということが新鮮だったということもあると思います。

古市 ただ、僕自身は若者論を40、50歳にもなってもやるつもりはあまりないんです。そもそも若者論の学術的な意義はこれから縮小せざるをえないという認識は変わりません。これから階級が前景化せざるをえないとすると、ますます「世代」で語ることは難しくなってくる。大人たちのコミュニケーションツールとしての若者論は続いていくと思いますが、アカデミックな文脈で考えれば、ヨーロッパのようにトランジション研究などが中心になっていくんでしょう。さらにその先にはイギリスのように、アンダークラス研究が盛んになるという未来像もありえますが。

一方で、小熊さんがおっしゃったように、人々がまだ「階級」語りに慣れないのならば、一般向けの「若者論」はまだニーズがあるということですよね。そのとき、研究者にできることがあるとすれば、個別の領域で論じられてきたことを「若者論」として組み替え直すことだと思います。

たとえば、社会政策の分野における結婚や出産をしない若者を論じた少子化の議論、あるいは教育社会学における若者が正社員になりにくいことを論じた労働問題などを、「若者論」とパッケージし直すことで、少しでも多くの人に伝えていくということです。

小熊 あなたがまさにこの本でやったことですね。

フリーの学者は成立するか

古市 僕はたぶん、アイデンティティが研究者じゃないところにあるんだと思います。たとえば1章で書いたような若者論の変遷は、もっと緻密に研究すればそれだけで一冊の本になるような内容だと思います。そして研究者として若者論を書こうとすれば、2章以降の時代のスケッチというのは無駄だったのかもしれない。だけど、若者論の変遷など歴史言説を追う作業は僕よりもたぶん得意な人がいるだろうし、そういう人がやるべきだと思っています。それが、こんな構成の本になった理由の一つです。

小熊 せっかく学問的なトレーニングを積んで知識もあるのだから、それを生かしていったほうが得ではないですか。ジャーナリスティックなライターとして、生き残っていけるかどうか。はっきりいってフリーの学者なんて成立しないですよ。たとえば『絶望の国の幸福な若者たち』は1800円で、印税率が10パーセントとすれば、1冊あたり180円があなたの収入ですね。1万部売れたら180万円ですが、親と同居ででもないと、180万円で生きていけませんよね。

古市 確かに物書きとして食べていくのは難しいですよね。ただ、僕は友達と会社をやっていますので、そちらのほうがメインです。

小熊 それがうまくいくならいいでしょう。しかしもしフリーの物書きで生きていくつもりなら、毎年1万部以上出る本を2冊ずつ書いても年収360万。それを20年も30年も続けられるなんて人は、日本社会で数人しかいない。しかもこれから出版市場も縮んでいくし大変難しいといわざるをえません。

古市 本を書くって、本当に費用対効果が悪いと思います。そんなに売れたわけでもないのに、みんなから批判もされますし(笑)。

1968年、読書は若者の一番の趣味だった

小熊 日本の歴史でいえば、昔は、物書きはいい商売だったんです。原稿料も戦前はすごく高かった。たぶん400字で3万円くらいだと思います。岩波新書一冊出せば家が建つといわれた時代ですから。

それに、1960年代は出版市場が急膨張したので、作家専業でも食べていけたんです。私は『1968』で、1968年に行われた、過去三ヶ月で経験したレジャーおよび趣味をあげてくださいという調査を引用しました。1位は読書だったんです。ちなみに、2位は国内一泊旅行。3位は手芸・裁縫。4位は自宅での飲酒。5位が映画・演劇です。

もちろん読書が趣味といっても、そんな高尚なものを読んでいたわけではないでしょう。小説を読むとか、週刊誌を読むとかだったと思います。それでも本は売れたし、小説も売れた。新築の家を買ったら平凡社の百科事典を本棚に入れるという時代だった。だけど今は、純文学の作家は大学の人文系の先生になって生計を立てている人が多い。ライトノベルの世界とかはかなりよくない労働条件のようです。

古市 そうなんですか。

小熊 単純に計算すればわかります。たとえば600円のライトノベルの本を書き下ろし、挿し絵の人と分け合いだから印税率5パーセントとすれば、一冊30 円ですから1万部売れても30万円にしかならない。年間10冊以上書かないと生活が成り立たないでしょう。だから掛け持ちでバイトをやって書いているという人も多いと聞いています。

古市 『フクシマ論』を書いた開沼博さんと、今ノンフィクションライターが新しく生まれてくる余地がないという話をしたことがあります。調査には取材費がかかるのに、それを出してくれる媒体が減った。そして本を出してもそこまで売れるわけではないから、専業のノンフィクションライターはもはや成立しにくい。それはたぶん研究者も同じですよね。

小熊 学問の本はそれだけで食えるようには売れないのが普通ですから、フリーの研究者というのは、日本ではたとえば柳田國男とか、そういう人はいましたけれども、資産家でもないと成り立ちにくい。研究するには、食べられる職を得ることです。大学の先生のように時間があるか、調査職のように仕事が研究に結びつくのがベターです。大学院でアカデミックな修行の投資をしたなら、それを生かす職を目指すほうが堅実でしょう。ライターの道で生きていくのは、かつては成立したモデルかもしれませんが、これからはけっこう大変です。

学問がかった本を、ちょっとポップな味付けにして売って食べていこうというモデルは、バブル期だけ一時的に成立するかに見えただけで、今やるのは時代錯誤だと思います。今では数が売れない新書なんか出しても、著者に入るのは30万円くらいにしかなりません。出版界のマックジョブです。定職のある人が啓蒙書として出すならいいですが、とくに若い人はそんなことをやるより、地道な研究をしたほうが将来につながると思う。マックのバイトをやるために高校を中退するより、学校は卒業したほうがいいよ、今はよくても先がないよ、という平凡なことですが。

da157cd4

3.11で何かが変わったのか

古市 一口に「震災後」といっても、その人の住む場所や置かれたポジションによってまったくリアリティが違うなと思います。東京など中央にいた言論人によく見られた言説ですが、3.11をきっかけに日本は変わって、新しい公共性や希望が生まれるというようなことが震災直後は語られていました。

ところで僕は3.11の少しあとに関西や九州に行っていたんですけれども、そこで見たリアリティはまるで違ったものでした。

別に街中で騒いでいるわけでもないし、みんな普通に会社にも行っている。東北地方で大きい地震があったことに関しては心を痛めているけれども、少なくとも東京ほどの緊張感はなかった。むしろ僕が印象的だったのは、3.11ぐらいでは変わらないような確かな営みとして、日常というものが続いているんだなということです。

小熊 私も3、4月は京都にいましたから同じことは感じていました。今年度から朝日新聞の論壇委員になって、一通りの雑誌が送られてきてそれを読む仕事をしていますが、いわゆる論壇で大騒ぎされているようには変わらないだろうとは思っていました。

論壇で「日本が変わる」といっていた人の大部分は、前からいっていることを繰り返していただけでしたね。これを機に新しい公共性ができるという人は、前からそういっていた人だし、震災復興を自由化で進めようという人は前からTPP賛成といっていた。「日本人はだめになった」といっていた人は相変わらずそういい続けているし、「被災地にボランティアに行け」という人は前から「若者は軍隊に行け」といっていた人です。

震災を機に、その人が従来から思っている「望ましい方向」に変わってくれればいいなと期待表明をしているだけだ、ということがよくわかりました。そもそも社会構造の基盤が変わらないんだから、意識がそう変わるわけがない。社会構造の変化に意識がついていってなかった部分が、これを機会に社会構造に沿ったかたちに変わるということはあるかもしれませんが。

古市 小熊さんは3.11以降、デモでスピーチをされたり、ツイッターで発言をされたりしていますよね。遠くから見ている人間からすると何か変化があったのかなという気がします。アクティブに前に出て、多くの人に向けて言葉を発するということが増えたようにお見受けするのですけど、いかがでしょうか。

小熊 外から見るとそう見えるのかもしれないけれど、震災とは直接関係ないです。2000年代の後半は『1968』を書くのに精一杯で何もできなかったし、書き上げたら意識不明で入院して、その後1年近くは自宅療養で動けなかった。ようやくまともに心身が動くようになってきたのが今年の初めぐらいで、ちょうど震災と重なった。デモに関していえば、私は80年代も、2003年のイラク反戦のデモも行っています。私にとっては珍しいことではないですよ。

1995年と3.11

古市 阪神大震災とオウム事件が起こった1995年には、日本における重大な転換点だった議論があります。著作などを読むかぎり、小熊さんはそれに対しては否定的ですよね。同じように「2011年」や「3.11」が時代の転換点だったという議論はすでに多くありますし、これからも多く生まれていくと思うのですが、小熊さんはどうお考えですか。

小熊 私は戦後史にかぎっていえば、1955年あたりと1990年あたりが区切りだろうと考えています。高度成長のはじまりとバブルの崩壊の時期なんだから、誰でも納得するでしょう。国際的に見ても、スターリンが死んで朝鮮戦争が終わって、冷戦の安定期、平和共存期に入ったのが1955年くらい。それから冷戦が終わったのが1991年ですから、ちょうどその時期が境目になります。

95年については、その頃から非正規雇用が増え、産業構造の転換で製造業が衰えたりしました。91年ごろから構造転換が、本当に効いてきたんです。それらの変化がいつからはじまったのかと人々が考えたとき、震災やオウムが境目だったと感じる人が多かったんでしょう。

実際に労働現場では、95年くらいから非正規雇用の労働条件や、新卒採用の状況が悪くなったという意見は多い。85年のプラザ合意による円高から日本の工業が国外に移転しはじめ、冷戦が終わったあたりでさらにバブルがはじけて、92年ぐらいが日本の製造業の雇用のピークだった。その頃は、短期的な不況だと思って雇用を持たせていたんだけれども、持たなくなって非正規雇用に切り替えはじめたのが95年ぐらいあたりだったのでしょう。日経連の「新時代の『日本的経営』」もその頃に出ました。就職協定がなくなったのは96年で、それから就職活動がやたらと早まりましたね。

だから95年に社会が激変したというより、社会の変化がその時期に意識されるようになったということです。今回も同じで、この20年間ぐらい大きく変化してきていることが、これを機に意識された。

その一つは原発です。これは60~80年代に建設のピークがあり、補助金漬けで成り立っていた「昭和の重厚長大産業」ですけれども、その問題と実態が改めて明らかになりました。

また、地方の厳しい状況と、東京との格差も浮き彫りになりました。その前から都会のワーキングプアや格差はよく語られていたけれども、地方の実態が突きつけられた。高齢者が多くてシャッター街ばかりで、雇用条件も悪い。2000年代に構造改革で公共事業が切られ、産業も成り立たず、原発を受け入れたところ以外は、かなり苦しくなくなっている。とはいえ原発も地方も、前からあった構造的な問題で、これを機に意識されたというだけです。

ただし、2011年が本当に世界的な転換期だったことになってしまう可能性もある。ヨーロッパとアメリカの経済不安が深刻になり、アラブの春やウォール街占拠もあった。そういうものの一環として、日本では原発事故があった、と位置づけられるようになるかもしれません。

当たってほしくないですが、万が一、来年ぐらいに日本が財政破綻すれば、本当に3.11が境目だったという話になるでしょう。そうなれば将来、2011年の大災厄が起きたあとでも、「不安だけど幸せ」とかいっていたんだなということで、『絶望の国の幸福な若者たち』がタイトルだけ残って「歴史的な本」になるかもしれませんね。

古市 やけに呑気なことをいっていた本があったということですね(笑)。

小熊 そう、まだこういう気分だったんだなと(笑)。

デモは若者がやるものではない

小熊 ご新著の中で、原発デモの取材に行って意外と年長者が多かったと書かれていましたけれども、ずいぶんと古い感覚してるんだなと思いました。若者は政治に一番無関心な層だというのは、1970年代以降は定説です。知識もないし、生活の厳しさも実感していないからです。

昔は若者が政治に敏感だった時代がありました。ただそれは、大学生が敏感であったという意味で、一般的に若者が敏感だったわけではありません。大学生はどの国でもかぎられたエリート層だったので、我々がこの国を引っ張っていかなければならない、我々が立ち上がって政治を変えていかなければならないという使命感が高かった。しかし、それは大学進学率が10パーセント台ぐらいのときまで、日本でいえば1960年代までしか続きませんでした。韓国なんかでも80年代末はそうでしたが、それもどんどん変わってきています。

日本の68年というのはその境目の時期でした。しかし今どき、大学生に自分は特権階層だから立ち上がらなければなんて使命感があるわけがない。あとは知識と経験の不足があるだけですから、必然的に一番鈍い層、一番デモに来ないはずの層だと思う。もちろん、そういう統計的多数像が当てはまらない人は、いくらでもいるでしょうが。

古市 でも、僕と同じような感覚を持っている人も思かったと思います。オキュパイ・トウキョウにしても「若者のデモ」というかたちでメディアでは括られましたよね。

小熊 単に60年代末に作られたイメージの残存です。「世界を変えるべく立ち上がるのは若者だ」とかいうのは。

古市 その通りだと僕も思います。オキュパイ・トウキョウは僕も見に行ったのですが、20代はほとんどいなかった。参加者のほとんどが中高年でした。

小熊 当たり前だと思います。大学生は気楽な状態の人が多いし、20代のフリーターでもまだよくわかっていない人が多いから。雨宮処凛さんも赤木智弘さんも、30代になったときに変わったわけですしね。

古市 学生運動をテーマにした映画『マイ・バック・ページ』の論考で、小熊さんは「後ろめたさ」をキーワードに論じられていました。その後ろめたさというものは、今の大学生でも持っていると思います。

小熊 あると思いますが、それは遠い国とか、被災地とかに対するものでしょうね。そこでボランティアをすることで、自分が承認される機会を得たいとか。自分の状況は、よくわかっていないか、悪いとすれば自己責任だと思っている。

承認の機会を得たかった点は68年の日本の若者も変わらないですが、日本の68年の若者の場合は、国内的な貧困への後ろめたさがありました。たとえば自分の村で大学に行けたのは自分だけだとか、自分より優秀だったけど学費がなくて行けなかったやつがいるとか、そういうことを知っているんですね。しかも、大学生がまだエリートたるべきという価値観から抜け出せていない時代ですから、自分は特権階級だという感覚が強まった。

しかし68年前後には、日本だけでなく他の先進諸国でも学生運動が起きています。景気もよかったから大学生以外はみんな安定していて、大学生以外は動かなかったんですね。

古市 当時も若者が一番安定していない状況にあったということですか?

小熊 雇用は良かったから、経済的に安定していないという意味ではありません。大学生以外は、年下だったら校則のある高校に通っているし、年長だったら会社勤めをしているか、お嫁に行っているかなんです。人生の自由期間が18歳から22歳の大学生にだけあった時代です。そのときに突発的に大学生の運動が起きたのですが、学生以外には広がらなかった。学生も22歳になると就職するかお嫁に行って政治活動から引退してしまう。あの時代は、30代や40代がデモに来てくれない、労働者が立ち上がらないとだめだ、ということが悩みだったんです。

古市 逆になぜ今のデモは年配の人しかいないのでしょうか。

小熊 あの頃の運動の残滓をひきずっている人たちが今もやっているのが一因でしょう。しかし最近のデモを見ていると、たとえば「素人の乱」の主催デモなどに来ていたのは主に30代です。30代になると知識も経験もあるから、社会意識が高くなるのは当たり前の話です。そして68年と違うのは、30代で自由度の高い人が増えたことです。スーツ姿の正社員ではない30代、会社の縛りが強くない30代が、いろいろな意味で多くなったということですね。

今の時代に20代前半の大学生がデモに来るとしたら、「社会に対して意識を持たねばならない」とか、観念的なかたちで問題意識を持ってということが多いのではないでしょうか。もちろん大学生でも自分の状況に本当に困っている人たちはいますが、観念的に問題を考える人は、社会参加の機会を探しているわけですから、題材は何でもいい。カンボジアにボランティアに行こうか、脱原発のデモに行こうか、フジテレビに韓流ドラマの抗議に行こうか、みたいな選択になると思いますね。

古市 20代の政治離れは仕方がないとすれば、30、40、50代の人たちが勝手に社会を変えてくれればいいと、とりあえず若者は座視していればよいということになりますか。

小熊 任せておいたら中高年に都合のいいようにしか変わりませんよ。

変革主体は若者ではない

古市 高円寺で4月10日にあった脱原発デモは20、30代が多くて、逆に5月以降の脱原発デモは、労組などの看板や旗を掲げた昔ながらの人が多かったと思います。しかもそれがお互い交わっていなかったのが印象的でした。

小熊 政治文化が違うのだから、無理に交わる必要もないと思います。

私のところに、最近のデモについてどう思うかといった取材に新聞記者がよく来てくれますが、「大学生は立ち上がっているんですか」とよく聞かれます。いまだに40年前の68年のイメージが強いんだなと思いますね。

古市 先ほどもあった「若者が変革主体である」というイメージを引きずっているということですね。

小熊 そうです。社会運動はこの20年ぐらい停滞していて、あまり最近の現物を見たことがないから、いまだに68年のイメージに縛られているんでしょう。大学生やミュージシャンが立ち上がってくれるんじゃないか、と思っているようです。

68年のようなカウンターカルチャーは、今ではありえないでしょう。68年の頃は、本来ただの商品だったジーンズやロックミュージックが、若者だけが享受しているものだったために、年配者に対するカウンターカルチャーになったんです。「エレキを弾いていれば不良」という時代でしたからね。ファストファッションのブランドが68年をうたったり、年長者もジーンズをはいていたり、ロック雑誌の表紙に70代の人がなる時代に、ファッションや音楽がカウンターカルチャーになるわけがないですよ。

古市 現代において、当時にカウンターカルチャー的なものを担保するとしたら、どこから出てくる可能性があるのでしょうか。もはやそんなものはありませんか。

小熊 今どき若者だけが享受しているカルチャーなんてありますか。

古市 ないですね。あらゆるカルチャーは年齢に関係なく遍在してしまっています。

小熊 たとえば北朝鮮みたいな国だったら、ロックミュージックを聞いているのが最大の抵抗だということはありえます。

古市 日本では何をしても、もはや抵抗にはならないんですね。

小熊 でも、タブーはいくらでもあるでしょう。

古市 タブーを出していくということですか?

小熊 どういうかたちで出すかを考える必要がありますけどね。

21f3bc2c

信頼が崩れた

小熊 それでは最後に、震災で何が変わったのか、について語りましょう。私は一番変わったのは、秩序に対する信頼感だと思います。

最近、高橋源一郎さんと内田樹さんがある雑誌で対談をしていて、面白いなと思ったことがあります。彼らによると、戦後は「金がすべて」でやってきたという。自分たちは68年に、「平和国家なんて嘘だ、金がすべてなんていやだ」と反抗をした。でもその後、なんとなく成功したりお金が入ったりすると、「なんとなく居心地悪いけど金がすべてでもいいかな」という気分になったという。

そこで前提になっていたのは、「原発推進派は悪者だから事故は起こさない」と思っていたことだというんです。原発推進派を「政府」や「官僚」や「自民党」や「経済界」と入れ替えても同じだけれども、大丈夫だと思っていたと。ところが今回の震災で、意外と彼らが無能だということがわかってしまった。その信頼が崩れたというのは、もしかしたら大きな変化かもしれないと私は思いました。

古市 自民党支持者でない人も、自民党という悪者に任せておけば、なんとかなるだろうとみんな思っていたということですね。そのような一種の信頼が、60代のおじさんたちの間でも崩れはじめている、と。

小熊 そうです。私の知り合いのある不動産屋は、政治意識は高くないですが、「日本政府があんなに情報を隠すとは思わなかった。あんな中国政府みたいなことをやるなんて」といっていました。こういう秩序への信頼の崩壊感覚が、これからどう出てくるかわからない。

古市 なるほど。

小熊 もちろんこの20年間、なんかおかしい、日本はだんだん崩れはじめている、とみんな薄々感じてはいた。けれども、まあ服も電気製品も買えるし、なんとかなるだろうという感じだった。ところが、本当に大丈夫だろうかという密かな不安のレベルが、ある水域を越えた。原発問題で、「政府のいうことは信用できない」という感覚は一般的なものになった。それが世論の7割が脱原発を支持するといったところに現れてきていると思います。

デモと投票行動

古市 しかし多くの人が密かな不安を抱いていたとしても、同時に僕たちは毎日の生業を続けていかなければいけないわけです。そういう意識の変化は、どのようなかたちならば社会を動かす原動力になるのでしょうか。

小熊 「どうしたら変わるか」を、「政党を作って議会で多数派をとって法律を作る」というふうにだけ考えていたら、行き詰ると思いますね。

たとえば、脱原発のデモをやっている人たちのことを、投票に行ったほうがいいんじゃないかと批判する意見がある。あるいは、どこかの政党にロビー活動するとか、新しく党を作ったりしなければ意味がないんじゃないかとか。でもデモをやっている人たちは、当面はそんなことを考えてやっているわけではない。そんなことを考えてばかりいたら、デモなんて意味がないということになるし、盛り下がってしまう。

そういう状態を、だからデモをやっている人たちは自己満足なんだとか批判する向きもあります。しかし私は、代議制民主主義という19世紀に成立したシステムを不変の前提にして考えるから、そういう批判の仕方になるんだと思いますね。

いささか極端なことをいうと、代議制民主主義というのは、もうかなり苦しいと思っています。代議制民主主義は、共同体や階級制度がしっかりしている社会のほうが成立するものなんです。議員とは「わが村の代表」であるとか、「わが労組の代表」であるとか、「労働者階級の代表」であるという意識がもたれているほうが機能するんですよ。

だけど、今どきそれはない。議員が「我々の代表」だとは思われていないんです。村とか労働者階級とかの、「我々」がなくなったからです。単に票を集めている人だと思われているにすぎない。だから何の正統性もない。

それに対して「国家という我々」を作れという話があるけれども、それだと「我々」が分裂しているのはおかしいから、一党独裁になる。それは20世紀前半に大失敗したので、どこの先進諸国も、機能不全になりながら代議制民主主義でやっている。

ではどういう制度を作ればいいのかといえば、それは簡単にはいえない。けれども、代議制民主主義が機能しなくなったときに、直接民主主義の表現形態としてデモが出てくることは必然だ、という程度のことはどんな政治学者だって認めます。

古市 一般論としてはそうでしょうね。

小熊 当たり前のことが起きているだけのことなんだから。それを適切な投票行動とか政党支持につなげるのも、悪いことではない。しかし既存の代議制民主主義と政党政治が機能不全になっているのに、それを改めないで、デモを無意味扱いするとか、無理やり既存の回路に回収することしか考えないというのは、発想が狭すぎると思いますね。

デモによって「空気」が変わる

古市 一方で、デモがただのガス抜き装置になってしまって、投票行動を妨げるような逆機能を持つこともありうると思います。現実には代議制民主主義が続いている以上、それがすべてではないとしても、法律や社会制度など、投票行動などの選挙という制度を通してしか動かない部分もあると思います。

小熊 もちろんそれは否定しません。ただ投票行動につながらなければデモが無意味だというわけではない、ということです。

デモで何が変わるのか、とよく聞かれます。とりあえずいえるのは、日本でデモを経験した人が大幅に増えたことです。3月以来脱原発のデモに来ている人たちは、のべ人数で10万人は超えている。もちろんこれは、投票数に直せば、比例代表区で一人当選させるくらいです。しかしそういう数字には還元できないものが変わる。

デモで世の中が変わるとかいうと、みんなものすごく大袈裟なことしか思い浮かばないみたいで、一気に100万人が集まって革命が起きるみたいなものしか可能性として認めないみたいだけれども、そういうものではない。何が変わるかというと、社会が変わるんです。

古市 そのときの社会というのは、どの意味での社会ですか。

小熊 デュルケム的な意味での社会です。個人の頭数の総計に還元できない、あるいは企業にも村にも還元できないものです。それはたぶん、「日本人の好きそうないい方」であえていえば「空気」ですね。

古市 デモによって「空気」が変わるということですか。

小熊 そうです。デモは投票行動に反映するんですか、法案が通るんですかみたいな問題の立て方は、あまり意味のあることだと私は思っていない。法律だけで社会の全部が決められているのだったら日本に自衛隊はありません。では何が決めるのかといえば、それは「社会」です。そういうものが移り変わっていくという可能性はあるわけですよ。

10万人という数は別に多くありませんが、全体が移り変わっていく場合の局部表現としてある。それはたとえば、原発に対する世論の局部表現です。10年ほど前、少年犯罪が注目された時期がありましたが、少年犯罪の数自体は大したものではなかった。けれどあれは、社会全体の不安の局部表現だったから注目されたんです。それが注目されることで、明らかに社会のほうが変わっていった。さらにいえば、10万人の経験者ができたということは、デモがこれから政治文化として定着していく可能性がある。

だから、代議制民主主義で法律を通すか、革命が起きるかしなければデモは自己満足だ、といったものではない。政治というものをとても狭く考えているから、そういう発想しか浮かばないんですよね。

古市 しかし古い枠組みでしか捉えられない人が、大多数かある一定数いるとしたならば、古い枠組みで説明していくことも必要なのではないでしょうか。

小熊 もちろんそうです。統計数字とか、雇用状況の変化とか、世論調査とかを入れて、「社会の変化」を納得してもらう必要があります。

科学とは何か

小熊 そういう対話のために、社会科学も含めて、科学というものが手段として必要になる 。私は大学の講義で西洋近代思想の話もしますが、近代科学というのはルネッサンス期の、カトリックとプロテスタントの血で血を洗う宗教戦争から発生したんですね。神を前提にしていると、絶対正義の対立になって戦争が終わらない。それでもお互いに対話しましょうというときに、こういう実験結果があります、あなたも実験してください、同じ結果がでますよ、というかたちで近代科学がはじまったんです。信じる神が違っても、同じ結論にたどりつくはずだと。

科学がそうあるためには、反証可能性がないといけない、つまり「科学的真理」を絶対のものとして振りまわすのは科学ではないというのは、ポパーがいっている通りです。だから科学的な対話術では、必ず典拠を示して、この統計数字の出処はここですから、私の読み方がミスリーディングだと思うんだったら原典にあたってください、他のリーディングがあるんだったらあなたがやってください、それから話し合いましょうというように、対話をするわけです。

その点からいえば、私は『絶望の国の幸福な若者たち』は科学ではないと思いました。街頭でインタビューして、仮名で21歳男としか書いてない数人しか例に出ていない、母数もサンプル抽出の方法も書いていない場合には、検証と反証ができないわけですよ。

古市 デモの話にも通じてくると思いますが、逆に検証と反証を前提にしない方法でしか捉えられないこともあると思います。まさにそれは「社会」といってもいいのですが。

小熊 もちろんあります。でもその場合でも、できるだけ再検証可能な、多くの人に開かれたやり方をとるのが科学というものだと私は思っています。

もちろん、科学が絶対真理を振りまわす新しい信仰になってしまうということはよくある。今の原子力業界の人などはそうですが、自分たちが認めない人間による反証を許さないし、固定的なものの見方しかできなくなってしまう。だけど科学の歴史を見れば、19世紀にはニュートン力学と電磁力学だけで全世界を解明できると思ったのに、実験結果で光の速度が変わらないということがわかって、相対性理論が出ました。つまり、現実に適応できなくなったら、事実の前に謙虚でなければいけない。そのためには現実をよく見て調査をしたり調べたりすることが必要なんです。

自分の思い込みだけで語っていると信仰から出られない。その意味で、『絶望の国の幸福な若者たち』は、あなた自身の枠組みを当てはめているだけで、現実からあなた自身が正された経緯が見えないから、科学ではないと思ったんですよ。

おわりに

小熊 あなたは、若くなくなったら若者論はやらないとおっしゃった。私なりに定義をすれば、未来で評価される人が若者、現在で評価される人が大人、過去で評価される人が老人です。18歳で引退したスポーツ選手は老人です。あなたはたぶん、今は若者のつもりでいるのでしょう。

古市 そうですね。

小熊 しかし経験からいっても、いろいろな人の事例を見ても、未来で評価される期間はそんなに長くないんですよ。気づいたときには、もう未来に向けて蓄積する余裕がなくなっていることも多い。

古市 余裕もなくて、すり減ったただの大人になってしまうということですか。

小熊 どんな関係でもそうですけど、この人はまだまだ未来があるという期待があるうちはうまくいくけれども、この人は今後はよくて現状維持だなと思われたときから、いろいろな問題が露呈しますね。自分自身との関係もそうです。しっかりした仕事をしてください。これは期待しております。

古市 まだ未来があるうちに、早く大人になろうと思います(笑)。対談というか小熊さんの個人ゼミになってしまいましたが、とても勉強になりました。今日はありがとうございました。

42d2d807

(2011年11月18日 古市憲寿著『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)刊行記念イベント)

プロフィール

小熊英二

1962年東京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。東京大学農学部卒業。東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。主な著書に『単一民族神話の起源―<日本人>の自画像と系譜』『<日本人>の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮―植民地支配から復帰運動まで』『<民主>と<愛国>―戦後日本のナショナリズムと公共性』『1968』『私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集』他。

この執筆者の記事

古市憲寿

1985 年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。有限会社ゼント執行役。専攻は社会学。著書に『希望難民ご一行様―ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書)、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)。共著に『遠足型消費の時代―なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』(朝日新書)、『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります―僕らの介護不安に答えてください』(光文社新書)。

この執筆者の記事