すべての子どもたちが福島に生まれたことを誇りに思えるように

福島の人びとを苦しめている、デマや偏見による理不尽な差別があります。「STOP!福島関連デマ・差別」がお届けするシリーズ「不条理の壁を越えて」では、そうした経験をひとつずつ丁寧に集めていきます。

 

 

共に学び、憩う居場所づくり

 

番場さち子さんは、震災前から南相馬市原町区で学習塾を経営していた。原発事故発災後、当時の塾生が全員避難したこともあり、いったんは自身も県内の伊達市に避難したものの、4月に「番場先生に大学に入れてもらいたい」と帰ってきた1人の生徒を受け入れるために、南相馬に戻って塾を再開。

 

わずかながら避難しなかったり帰ってきたりした南相馬の子どもたちや母親、そして高齢者などの住民が共に学び憩う居場所をつくるために、高校時代の同級生と共に任意団体「ベテランママの会」を設立した。さまざまな偏見に苦しみながらも、現在南相馬に加えて東京の駒場にも拠点「番來舎」を構え、各界のオピニオンリーダーを招いて講演会などを開催している。

 

 

「放射能を浴びたパソコンなんか、返されても困ります」

 

発災の当日、番場さんの塾には114名の生徒が在籍していた。塾のある区域には屋内退避の指示が出ており、外出時には長袖長ズボンにマスクをし、室内でも換気扇を回さないように、と勧告された。避難指示こそ出なかったものの、多くの住民は厳しい注意喚起に不安を覚え、避難を決断した。相談を寄せた番場さんの塾生の保護者も、ときに番場さんに背中を押されるようにして、全員が避難した。

 

誰もいなくなった塾で、「それでも何か仕事をしなければ」と悩んだ番場さんは、水道水の安全性に懸念を抱く保護者の声を思い出し、ウォーターサーバーや浄水器を扱えないかと考えた。すぐに都内の業者10件ほどに電話をしたが、全社から門前払いを受けた。

 

「福島の南相馬」と話し始めた途端に無言で電話を切られたり、「福島の方と取引はいたしかねます」とオペレーターから担当者につないでもらえなかったり、担当者につながったケースでも、「せっかく放射性物質を除去できると宣伝しているのに、福島と取引をしたらブランドに傷がつきますから」と断られたりした。番場さんは当時を振り返って苦笑いを浮かべる。

 

番場さんは、その後も偏見にさらされる。震災の2日後、塾に設置していたパソコンのリース会社からの電話を受けた。「最初はとても優しい声で、『津波は大丈夫でしたか』と訊かれたんです」。塾に津波被害はなかったものの、パソコンは地震の影響でインターネットに接続ができなくなっていた。修理に来てくれるかどうか番場さんが何気なく口にしたとたん、電話口の声色が豹変した。

 

「原発から30キロ圏内に、社員を入れるわけにはいきませんから!」

 

そのあまりの激しい口調にショックを受けた番場さんは、「ではパソコンをお返しします、壊れたパソコンにリース代金を払いたくありません」と応じる。電話の向こうの声はさらに激しくなった。

 

「放射能を浴びたパソコンなんか、返されても困ります!」

 

そのまま電話は切れ、リース会社からの連絡は途絶えた。数か月後、収入に困窮していた番場さんに封書が送られてきた。リース会社からの50万円以上の請求書には、遅滞損害金も含まれていた。番場さんは傷口に塩を塗られたような思いに打ちのめされ、やり場のない怒りに体を震わせた。

 

 

小さな力でも立ち向かう

 

震災から4日後、塾生もいなくなり、近隣住民も恐慌しながら次々に避難していった。自身も両親と共に伊達市で避難生活を始めた番場さんは、情報が錯綜するなかで人々が次々に2次避難、3次避難と転地していく様子を見ていた。

 

自分自身や両親に健康被害が出るのではないか、と漠然とした不安を抱えていた番場さんに、キャビンアテンダントとして働く娘から電話がかかってきた。津波や地震の被害を気遣った娘に、人々が避難を重ねていく様子から募る放射線への不安を訴えると、口調を改めた娘が言った。

 

「ママ、放射線被曝には外部被曝と内部被曝があるの。外部被曝だけで言っても、何万時間も飛行機に乗って働く私たちは、福島よりもずっと多く被曝しているのよ。でも、キャビンアテンダントやパイロットが、次々にガンになって死んでいるなんて話、聞いたことある?」

 

枝野官房長官(当時)が繰り返していた「ただちに健康に影響はない」という言葉からは、「ではいずれ健康影響が出るのか」と感じ、不安は拭い切れなかった。また、専門家からも「危険だ」という意見と「安全だ」という意見の両極端しかなく、どちらの意見にも実感が湧かなかった。

 

しかし、いつも冷静な娘の実体験に基づいた言葉は、番場さんの胸にストンと落ち着いた。番場さんが、根拠のない不安のままに避難所で過ごす生活をやめ、南相馬に戻って住民のために働こうと決めた瞬間だった。

 

避難所での人々の極度の不安やストレスを間近に見た番場さんは、自身のこの体験から、「放射線に対する正しい知識を学ぶことで、穏やかな暮らしを取り戻せる人がいるはず」だと考えた。

 

2011年4月に南相馬に戻り、塾を再開した番場さんは、子どもや母親の居場所として、「ベテランママの会」を高校の同窓生たちと設立。12月には東京大学医科学研究所から南相馬に来ていた坪倉正治医師に協力を仰ぎ、放射線に関する少人数制の勉強会を開いた。日常で感じてはいたものの言い出せなかった放射線への不安を少しずつ聞き取り、丁寧に納得するまで対話を続ける勉強会に参加する住民たちを中心に、いわれのない偏見にさらされる苦しみがひとつふたつと出てくるようになった。

 

番場さんの耳に残るいくつもの参加者の訴えのうち、番場さん同様に娘を持つ母親の苦悩も深刻だった。発災当時に結婚を予定していた娘が、「お化けみたいな赤ちゃんが生まれたら困るから」と言われて破談された話、福島を通る国道を使っただけで娘に人工中絶を進めている話などが、無数に寄せられた。抱えきれずに坪倉医師にそれらの訴えを話した番場さんに、当時29歳だった坪倉医師は穏やかに言った。

 

「番場さん、僕の力では小さなことしかできませんけれど、目の前の10人、20人の人たちに、しっかり伝え続けていきましょうね」

 

番場さんは、そのときの若い坪倉医師の真剣なまなざしが忘れられないという。

 

 

「こんな差別を受けてきたのか」

 

その頃、元塾生をはじめ、県外に避難して生活する人々から頻繁に相談を受けるようになった。都内に出向いて話を聞くうち、「相談者が都心のカフェでは泣けない」ということに気づいた。「放射能」「福島」という単語が会話に出るたびに、狭い店内の隣の席に座る客が怯えた視線を送ったり、ときにはあからさまに席を変えたりした。「今泣けたら、この子はきっと楽になるんだろうな」と考えた番場さんは、都心に支援拠点を開けないかと思い、物件を探し始めた。

 

かつての経験から、ある程度の難航は覚悟していたものの、予想を超えて「福島」への偏見は深刻だった。事情を説明すると、「福島の人が出入りすると、放射能がつくから」などの理由で、全て断られた。心身共に疲弊し、ある日体調を崩した番場さんが都内のクリニックに入ると、国民健康保険証の「福島県南相馬市」の印字を見た途端、受付の女性が顔色を変えて番場さんの全身を見回し、逃げるように事務室の奥へ引っ込んだ。ほどなく別室に移るように促され、そこから診察室に通された。帰りは、他の患者さんに接しないように裏口から速やかに表に出された。

 

「そういう差別を受けているんだっていう相談は、県外の人からよく受けていたから、ああこれかって合点がいきました」

 

決意が鈍りそうになるたびに、県外で息をひそめるように生きている子どもたちや母親たちからの相談の電話が鳴り、自らを鼓舞した。番場さんは3年半のあいだ、都内の不動産屋に通い続け、2014年10月、駒場の東京大学からほど近い場所にようやく支援拠点「番來舎」のオープンに漕ぎつけた。

 

 

福島に生まれたことに誇りを持って

 

時期を同じくして、「ベテランママの会」は坪倉医師の監修のもと、放射線の基礎知識をわかりやすくまとめた小冊子「福島県南相馬発坪倉正治先生のよくわかる放射線教室」を刊行した。福島に住む子どもや母親が安心して新しい日常への一歩を踏み出せるようにと願って作られた小冊子は高い評価を受ける一方で、「放射線の影響を軽視して、東京電力や政府の肩を持つのか」といった批判も強く受けた。「ベテランママの会」の活動を非難する声は塾生の保護者からもあがり、ただでさえ震災前の1/10近くまで落ち込んでいた生徒数の減少に拍車をかけた。

 

悩み、誰とも連絡を取らずに塞ぎこんでいた番場さんに娘が声をかけた。

 

「ママが小さな子どもの母親だったらどうしていたの?」

 

番場さんは改めて考え、答えた。

 

「私だったら、たとえ今は大変でも、福島に生まれたことを誇りに思って、毅然と顔をあげて社会に出て行ける子に育ってほしいから、放射線のことをきちんと学ばせたい」

 

「ベテランママの会」は、坪倉医師を囲む地道な勉強会の開催や、小冊子の刊行などで評価を受け、翌年、東日本大震災の復興に貢献した団体に贈られる日本復興の光大賞を受賞した。

 

現在番場さんは、坪倉医師らが監修した「放射線の基礎知識テスト」を作成し、県外の人にも普及したいと考えている。番場さん自身がこの6年間に体験したり見聞きしたりした「福島で生まれたこと」「福島で生きること」へのいわれのない偏見が、目の届かないところで続けられていることを重く見る。

 

福島から県外への避難者は2017年3月現在でもなお4万人近い。県内外を問わず、すべての福島の子どもや親たちが傷つけられずに安心して生活できる居場所を作るために、これからも活動を続ける。

 

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