2020.02.25

北欧は多様性へのマインドセットをいかに根付かせているか

ジェンセン美佳、内田真生

社会 #「新しいリベラル」を構想するために

はじめに

北欧諸国では、様々な生き方を認める多種多様な試みが見られている。性的少数者(セクシュアルマイノリティ)と言われる人たちへの対応に関しても、各種権利を保証する法律の導入、受容に繋がる社会の仕組み作り、そして人々のマインドセットの醸成が進められる。では、北欧でのそのようなセクシュアルマイノリティにも優しい社会は、どのように形作られているのだろうか。本稿では、北欧の1カ国であるデンマークを例に、セクシュアルマイノリティが普通に生活する社会を作り出してきた背景を紐解くと同時に、当トピックに関して無知であった筆者の実体験より、いかにマインドセットを根付かせることができるか、本論を通じて議論提起をしたい。

筆者は、デンマークで生活をしはじめ15年経つ。日本にいた時には、身近に感じることのなかった本テーマが、日常生活の一コマとなってから15年目を迎えている。きっかけは夫(デンマーク人)の親戚の一人がレズビアンで、女性の婚姻関係にあるパートナーがおり、親戚の集まりで出会ったことだ。戸惑うことの多かった15年前と比較し、今、完全に戸惑いが消えているというわけではない。ただ、折に触れ周囲を見ながら、振る舞い方や「対応の仕方」を学び、日常の一コマにすることに成功しつつあると思っている。

なお、セクシュアルマイノリティ(性的少数)の類義語に、欧米諸国で使われる、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字である「LGBT」があるが、この場合下記の3種が含まれないと議論される。そのため、本稿ではセクシュアルマイノリティと表記する。

・インターセックス(I)=身体的に男女の区別がつきにくい人

・アセクシュアル(A)=無性愛者。同性も異性も好きにならない人

・クエスチョニング(Q)=自分の性別や性的指向に確信がもてない人

本文に入るまえに、一言お断りをしておきたい。本トピックに関しては、セクシュアルマイノリティの専門家ではなく、デンマーク生活の専門家としての問題意識から執筆をしている。日本で意識していなかったことを意識したきっかけや、周囲の対応の方法について興味深いと考えることが多く、一石を投じるために、本テーマで執筆をすることにした。表現には最大限の配慮をしているつもりだが、不快感・違和感がある場合にはぜひご指摘いただきたい。

セクシュアルマイノリティ受容の歴史

まずは、デンマークにおけるセクシュアルマイノリティの社会的受容の歴史を、法律から概観する。

法律の整備

デンマークでは、1930年まで、その当時の多くの国と同様に同性間の性交渉は犯罪とされてきた。遡ること1683年の国内法では、「自然に逆らった関係は、処刑に値する」と規定されている。この状況が変化し、同性間の性交渉が合法となったのは1933年で、1977年には同性間と異性間での性交渉の同意年齢が15歳と定められ、セクシュアルマイノリティの権利が平等化された。

犯罪とされた1683年から権利が認められる1977年まで、多くの公的・私的な動きが見られる。中でも初期の受容に繋がっていくきっかけとして注目されるのは、1948年のデンマーク国内最初の同性愛者のための人権団体の設立である。二人のデンマーク人が、1948年の世界人権宣言(注1) の内容に、同性愛者が含まれていなかったことに触発され、デンマーク第四の都市オールボー(Aalborg)にて、デンマーク国内最初の同性愛者のための人権団体を設立した。この二人の設立者はアイギール・エスキルソン(Eigil Eskildsen) とアクセル・ロンデール-マセン (Axel Lundahl-Madsen)。のちに世界で初めてパートナーシップ登録をした男性同性愛カップルである。

(注1)世界人権宣言は、人権および自由を尊重し確保するために、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」を宣言したもの http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/

その他、1952年には王立病院が世界初の性転換手術に成功するなどの進展が見られているが、50、60年代は、セクシュアルマイノリティに対する政治的・社会的な圧力が続いた年代だった。例えば醜陋法(Den Grimme Lov, The Ugly Law) と呼ばれるホモセクシュアルを対象にした規制法の制定や、警官による介入、それに対する人権団体による反対運動が展開されている。次第に政治家などの理解を得るようになり、1969年には同性愛者の人権団体が公式団体として承認され、70年台前半にはそれに触発されたのか、様々な同性愛者の団体が設立、支部なども広がっている。

1981年に保健省は、同性愛を精神疾患リストから除外した[1]。1987年、民法の266b項に「他人の性的嗜好に対し、脅迫、軽蔑、または見下すような主張を公にした者は罰金もしくは懲役二年未満の刑に処す」と定められ[10, 11]、社会的な場での性的嗜好による差別が明確に禁じられることになる。さらに、1989年にデンマークは、世界で初めて「パートナー登録(Registered partnership)」という同性間の関係を法的に認める制度を施行した。本(同性)パートナー登録制度は、同性カップルのみ登録が可能である制度であり、その後、2012年には、結婚する者の性別を問わない婚姻法が制定されたため、事実上無効化した[2, 3]。

1999年には、どちらかの実子のみの養子縁組が合法となり、2010年には異性カップルと同様に血縁関係がない子供の養子縁組も合法となった。しかし、他国の懐疑的な態度により難航し、海外からの子供の養子縁組が初めて成功したのは2014年のことである。また、養子縁組の際には、両方の親が親権を持つことが可能である[4, 5, 6]。1997年には女性同性愛者に対し人工授精を禁止する法律が制定されたが、9年後の2006年には廃止された[1]。

2014年6月に、断種や性転換手術を要せずに戸籍の性別を変更する法律が議会で承認された。施行は9月1日からで、18歳以上の国民は6か月間以上の「自己内証期間」経て、性別を変更することが可能となった[7, 8]。既婚者の場合、婚姻関係は解消せずに性別の変更が可能である[10]。2017年の1月に、保健省は、性同一性障害を精神疾患リストから除外した。これはWHO(世界保健機関)に先駆けての動きであり、世界的にも注目されている[9]。

このようなデンマークの法制度の経緯をまとめると次のようになる。

*教会で挙式することで、法的・宗教的に効力をもつ。デンマークでは、伝統的に教会が住民登録台帳を管理しており、デジタル化された現在でも、教会が住民登録において多くの役割を担う。

社会制度の整備

法律に制定されることで次に起こるのは、様々な社会制度の改変や整備である。時代遅れとされる制度が、新法律に準拠する形で変化していく。新しい法律が反映され、制度に組み込まれるようになるからだ。例えば、デンマーク統計局(Statistics Denmark [15])を例として見てみたい。

統計局のデータバンクで公開されているテーブルに、「同性結婚と経年変化」がある(表1)。こちらは、2012年から新しく作られるようになったテーブル(ID:VIE6)であり、本データテーブルには、「男性同士の結婚」「女性同士の結婚」の2つの項目が記録されている。2012年に改変された結婚に関する法律が反映され、同性による結婚数が記録される新しいテーブルが作成されるようになっている。ちなみに、こちらのテーブルのオリジナルのタイトルは、「同性結婚における性別、最高齢、最低年齢、結婚式のタイプ(Marriages between two of the same sex by sex, age of oldest person, age of youngest person and type of marriage ceremony)」となっている。大元のデータには、年齢や結婚のタイプなどが記載されており、カップルの年齢差や宗教的婚姻であるかどうかが把握できるデータとなっている。

同性結婚と経年変化

Table:VIE6 (Statistics Denmark [15]を元に筆者翻訳改変)

次に、「家族タイプと経年変化」という1986年から取られているデータテーブル(ID; FAM44N)を見てみよう。FAM44Nには、1986年からの家族タイプの経年変化の統計データが展開されているが、細かく見ていくと1990年からパートナー登録数が記録されるようになっていることがわかる。さらに、2013年からは、同性同士のカップルが家族タイプとして記録されるようになっている。前述のように1989年には、同性同士のパートナー登録が認められるようになっており、法律の制定に基づき、統計にも変化が反映されていることがわかる。

家族タイプと経年変化

Table: FAM44N (Statistics Denmark [15])

*デンマークの1989年に導入された同性パートナ登録制度による登録者数のこと。2012年に無効化したため、減少傾向にある。それまでの登録者は引き続き登録者として記録される。

**Consensual unionと記載されている。定義には、結婚はしておらず、パートナとして登録してるわけではないが、少なくともそれぞれが親権をもつ1人の子供がいると記載されている。[15]

***Cohabiting couplesと記載されている。定義には、同住所に住む性別の異なる二人で、その二人が親権を持つ子供はいない場合。年齢差が15歳以下で同住所に他の子供が住んでない場合。[15]

人々のマインドセットの転換

現在、デンマーク市民の多くは、セクシュアルマイノリティに対する許容度が世界的に見ても非常に高いと言われる。公的なデンマーク紹介サイトにおいても、「デンマークは(カナダの次に)世界でもっともLGBTQに優しい[13]」国であると説明されている。その理由として、法律の整備、リソースの充実、社会的な受容度(こちらの資料[12, 16]にも詳しい)が挙げられている。旅行本ロンリープラネットでも、「最もゲイに優しい街」としてコペンハーゲンが第一位に挙げられている。また、デンマークには、「性的マイノリティー難民の支援ボランティア」という活動もあり、同性愛者が生活に窮屈さを感じることがないように、制限された生活下にある難民たちに手を差しのべる団体もある。許容度の高さは一部の市民のみに限られるわけではない。公共機関であるコペンハーゲン市は、毎年プライドフェスティバル、LGBT映画フェスティバルを支援しており、積極的な支援に取り組んでいることでも注目される。公的にも認められることが影響するのだろうか、街中にはLGBTQカフェ、バーやナイトクラブもあり、留学生なども広く受け入れる学生団体も多数組織されている。

興味深いことに、全ての人とまでは言えないようだが、50%強のセクシュアルマイノリティが、デンマークではカミングアウトをしている[14]。一般的な社会生活でだけではなく、政治家や公務員によるカミングアウトも多く、外交官が同性パートナを公式の場に連れていくことも、一般的に見られる。身近なところでは、2011年から15年に在日本デンマーク大使を務めたアナス・カーステン・ダムスゴー元大使は同性婚を公にしていた。大使の配偶者は、日本では異性の配偶者であれば出席できる行事などに出席することができなかったことが多々あったというが、デンマークでは日常的に見られる光景だ。デンマークでは、政党の代表や国会議員がカミングアウトして配偶者同伴で公的な場に参加する例は多々みられるだけでなく、「政治的な対立などで性的指向を理由に相手を批判することは保守派でもタブーと言っても間違いない。[14]」

労働環境においても、労働者の権利として性的嗜好によって差別されないことが認められており、セクシュアルマイノリティを理由に解雇や差別的発言など何らかの差別が発生した場合、法律的に罰せられない場合でも、社会的に容認されるケースは稀である。デンマークの大手企業では、従業員により選挙で選出される「従業員代表」の役職の人や、マネージャなどの役付きがセクシャルマイノリティである例は多々みられる。セクシャルマイノリティであることを理由にプロモーションを断られることもないし、配偶者同伴などのパーティーには、当たり前のようにカップルで参加している。公的組織、民間企業組織内部において、セクシュアルマイノリティであるという理由で、代表になること、マネージャになることなどに疑問をもつ人はいない。

組織内部での受容だけではなく、近年では、外部に向けた受容の表明も積極的に行われるようになっている。近年のプライドフェスティバルを支援するのは、一般的に急先鋒とみられる大学の学生団体やNPOばかりではない。前述のコペンハーゲン市をはじめ、デンマーク最大の銀行ダンスク・バンクやデンマーク産業連盟といった大手企業や産業団体も、フェスティバルの時期には、こぞって虹色の旗を掲げ、オフィスビルをレインボーに彩らせている(写真参照)。

奥に見える瀟洒な建造物は、デンマーク最大の銀行ダンスク・バンクの本社ビルである。

では、このような受容度の高さは、どのようにして培われてきたのだろうか。確かに、法律として差別の禁止が施行されたり、セクシュアルマイノリティーの権利が認められるように法的に定められたことは大きいし、新しい観点や視点が制度に組み込まれ社会的に存在が認知されるようになったことも大きな意味があるだろう。しかしながら、どのように、人々の社会生活の隅々に浸透していくことができたのだろうか。

ここで、主観的な体験ではあるが、二つ物語を紹介したい。

大人は周りを見て振る舞い方を学ぶ

デンマークに住み始めた15年前、紹介された主人方の家族の中に、子連れの従姉妹の女性がいた。そして、その従姉妹の配偶者として紹介されたのは、女性だった。一瞬、私は、何が起こっているのかわからず、どのように対応したらいいのかわからず、またどのような会話をしたらいいのかわからなかった。あまりにも普通に紹介されたこともあり、大袈裟に反応するのもはばかられ、とりあえず挨拶以上に話せなかったことを覚えている。その時の私の心境は、レズビアンなのかということを確認したいという気持ちと、若いカップルに出会った時に普通に聞くようにどうやって知り合ったのか聞きたいと思う好奇心とが錯綜し、何も発言ができないというジレンマだった。その時、躊躇していた私の横で、さらっと知り合ったきっかけを二人に聞いている人がいた。「へー、中学で知り合ったの!?」「子供は、あなたが結局が産んだの!」などのように。

子供は自然と学んでいく

現在小学校一年生の息子の担任の男先生が、保護者会で一大発表をした。近々、自分は親になるんだという。父母からおめでとうとの声がかかる中、先生は続けた。「ただ、3ヶ月育児休暇をとるか、1年間休暇をとるかわからないんです。」出産予定日の1週間前から3ヶ月間育児休暇を取るということはわかるが(デンマークでは父親も育児休暇をとり、半年ほど取る人も多い)、1年間とるのか決められないというのはなぜだろうか。担任の先生は続けた。「血の繋がった父親が自分か自分の配偶者かわかれば、その時点で3ヶ月になるか1年になるか報告できます。」つまり、担任の男先生は、配偶者の男性がおり、人工授精による妊娠を女性に託し、今回、無事出産に繋がりそうだということだ。出産後のDNA検査を待って、生物学的な父親と法律上の父親がわかり、デンマーク法に基づき、生物学的父親がより長期の育児休暇取得が可能になるという。この話は、「明日、子供たちにもこの私の素晴らしいニュースをお話します。」という言葉で締めくくられた。

翌日、先生がどんな風に子供に話したのか気になって、夕飯時に子供に聞いてみた。「先生、お父さんになるんだって?」食事を食べながら7歳の息子は答える。「そう、先生に子供が生まれるんだって。男同士でも子供持てるんだよ、知ってた?」それに主人は答える「ホモセクシュアルっていうんだ。二人ともお父さんなんだよね。女の人にお腹を借りるんだ」「え、なんで?」「男は子供が産めないからね」淡々と会話は流れ、「赤ちゃんが生まれて先生も幸せだね」という嬉しそうな息子の言葉に差別は社会で作られるということを改めて感じさせられた。その会話に上手く入り込めず、平常心を装いつつ、心の中ではあたふたしていたのは、その部屋の中で私だけだったと思う。

特に、幼い頃から「それが普通」として学んだことは、違いを認識するまでもない「普通」のことであり「当たり前」なので、差別の対象にはなりえないのかもしれないと考えさせられた。一般化してはいけないと思うものの、デンマークで対応できてないようにみ受けられ、同様の状況でこそこそと内緒話を始めるのは、観察していると、やはり高齢者が多い。積み上げられてきた差別的感情の転換は、なかなか困難なものだと思う。

まとめ

セクシュアルマイノリティのデンマーク社会における受容を、法律、社会的仕組み、主観的な経験に基づくマインドセットの転換という3つの視点から見ていった。差別を排除し権利を付与する法律は、紆余曲折を経て現在の姿になり、今でも多くの事柄で議論が巻き起こっている。今のデンマークの状況から考えれば差別法とでも言えそうな法律が過去には制定され、その後廃止されるケースがあり、さらに、社会的に受容されていったがゆえに、不必要となった「(同性)パートナー登録」制度などもある。

法律が制定されることで、デンマーク社会的に正しいと認められた形が、様々な社会の仕組みに組み込まれていき、それが社会の枠組みの標準となっていく。社会で認知されることで、様々な社会制度の仕組みの中にセクシュアルマイノリティの存在が当然の帰結として組み込まれるようになるのだ。そして、仕組みと人々のマインドがお互いに影響を及ぼすのだろう、目に見えないルールや新しいモラルが浸透し、次第に人々の対応の仕方も大きく変わっていく。そして、その認知された社会の新しいスタンダードに準拠した新しい世代が生まれることになる。

生まれた時から「その普通」を経験している今のデンマークの若者とは異なり、セクシュアルマイノリティが社会で市民権を得てない社会で暮らし、大人になってからデンマークに暮らし始めた私のような人は、違和感を感じつつ対応する段階が少なからずある。しかしながら、周囲の「普通感」に影響を受け、違和感は気づかないうちに薄れていき、「多様な嗜好」を受容していき、少なくとも新しい常識やモラルの存在を認知するようになることを体感してきた。ちょっとした違和感は小さく残り続け完全には拭えなかったとしても、「この社会での普通」に対応する方法を日常生活で学んでいくうちに、自分の意識が変容していくことがわかる。

自分の体験から言えるのは、表面的ではなく本質的に多様性を受け入れる意識の変容は、時間がかかるとはいえ、可能なのだということだ。社会には様々な嗜好のフィールドや理解の過程があり、それは、両極端な意見とその間のスペクトルで構成されていると考えられる。私たちは知らず知らずのうちに、自分の嗜好(思考とも言える)として「普通」と考える範囲とそれ以外に対して境界線を引いている。それが、マイノリティを作り出す第一歩だ。ただ、その線の存在に気づき、その線の引き方に悩み、そもそも境界線を引く意味があるのかと考えた結果、人間は人間であるという共通項をもつ生き物であることに気づく。それぞれの嗜好のフィールドがスペクトルになっていても、その中心には、一本の芯のような共通する何かがあることに気がつく。そして、従来感じていた嗜好の違和感そのものが薄れていったり、違和感が残っていても、それも受け入れるようになったりできるのではないかと思う。そのような変化があったからこそ、私は、今では特に意識過剰になることなく、苦手に思っていた本トピックでもだいぶ気楽に話をすることができている。一方で、デンマーク人が同席する中で、明らかにデンマークでは差別と見なされるであろう日本人の発言に何度ギョッとさせられたことか。

私にもカミングアウトをしている日本人の友人がいるが、堂々と楽な気持ちで生活していると言っていた。同様に、自分は、デンマークに住んでいる日本人マイノリティとして同じように感じることがある。そこから考えるのは、人の嗜好が異なることは当然であり、多様な人がいることは当然とみなす社会は、マイノリティに限らず多くの人たちにも優しい社会となっているのではないかという点である。本稿で話題にしているのは、性的嗜好であるが、実際のところ、民族的違い、政治的主張、趣味などの多くの場面で、個人は多種多様な意味でそれぞれの主張を持ったマイノリティであると考えられる。多くの人が自分の出自や嗜好、主張で差別されず、楽な気持ちで生活できる社会が今後日本で育っていき、日本人が楽な気持ちで生活できる社会になるために、デンマークの現状、環境としてのデンマークの法や制度、マインドとして個人の意識改革のアプローチが何らかの示唆になっていて欲しいと願う。

参考

[1] LGBT Denmark, http://lgbt.dk/ (2019.12.3)

[2] Family law in denmark Hans Viggo Godsk Pedersen, Ingrid Lund-Andersen, Kluwer Law International, p.71-72, 2011

[3] Same Sex Relationship Guide. LINK (2019.12.3)

[4] IOngrid Lund-Andersen, Christina Gyldenlove Jeppesen deBoer, National Report: Denmark, Parental Responsibilities. LINK

[5] The Danish Registered Partnership Act, 1989. LINK

[6] Gay couple become first to adopt from abroad, The Local, 21 July 2014. LINK

[7] Denmark: Surgery no longer necessary for sex change, Icenews, 25 June 2014. LINK

[8] The European Parliament’s LGBTI Intergroup https://lgbti-ep.eu/ (2019.12.3)

[9] Denmark to no longer define transgender as mental illness, 13 May 2016. LINK

[10] Birgitte Kofod Olsen, Legal Study on Homophobia dn Discrimination on Grounds of SAexual Orientation -Denmark, February, 2008.  LINK

[11] The social situation concerning homophobia and discrimination on ground of sexual orientation in Denmark, Danish Institute for Human Right, COWI, March 2009. LINK

[12] Lena Rutkowski, A Brief History of LGBTQI Rights in Denmark,Scandinavia Standard, 8 September, 2016.  LINK

[13] Michelle Philippon, Denmark is one of the most LGBTWQ-Friendly Study Abroad Destinations in the World. LINK (2019.12.5)

[14] オノ・ラスムス・セヴェリン・フォラス, デンマークにおけるLGBTの就労をめぐる状況, 労働政策研究・研修機構. 2017. LINK  (2019.12.5)

[15] Statistics Denmark, Statistics Presentation, LINK (2019.12.10)

[16] Als Research, Living Conditions of Ethnic Minority LGBT People in Denmark, 2016.  LINK

プロフィール

内田真生アダルト・ラーニング

日本で重工メーカー、ビジネスコンサルティング会社勤務後、2014年~2017年オールボー大学Master in Problem Based Learning in Engineering and Science )でProject/Problem-Based Learning (PBL)を研究。現在、デンマークにて、PBLを活用した大人の教育方法を研究中。

この執筆者の記事

ジェンセン美佳北欧の社会・文化・生活

東京生まれ。京都、アメリカ、スウェーデン・マルメ暮らしを経て、現在デンマーク在住。現在、デンマーク人の旦那、娘と息子の4人暮らし。日本と北欧の間の学術・文化・産業分野における関係向上、相互理解を促進するための活動、ハピネステクノロジ、北欧のデザイン手法(デザインシンキング、ユーザ調査、参加型デザインやデザインゲーム・リビングラボといった共創手法)を用いたITやIoTなどの先端技術をベースに社会イノベーションを支援するプロジェクトを多数実施。偶然住み着いた『幸せの国デンマーク』での生活を経て、女性が幸せに生きることのできる社会、働き方、家族生活について考察・発信を続ける。幸せについて考えた著書に同年代7名共著の『37.5歳のいま思う、生き方、働き方』がある。

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