2014.11.14

現代につながる、線とリズム――「フェルディナント・ホドラー展」

倉本美津留×新藤淳

文化 #フェルディナント・ホドラー

国立西洋美術館で開催中の「フェルディナント・ホドラー」展。ホドラーは、スイスフラン紙幣の図柄にもなったスイスの国民的画家だが、日本で知られているとは言えない。何しろ40年ぶりの展覧会なのだ。その“無名”のホドラー展の中吊り広告を見て、「絶対見にいかな!」とその足で上野の西洋美術館を訪れたのが、倉本美津留さんである。倉本さんは、数々のお笑い番組やEテレの子ども番組「シャキーン!」などを手がける放送作家だが、「アーホ!」(フジテレビ)という、芸術と笑いをつなぐ深夜番組を手がける筋金入りのアート・ラヴァーでもある。大のホドラーファンの倉本さんに聞き手を務めていただき、展覧会を企画した西洋美術館研究員の新藤淳さんに、ホドラーの画業とその魅力をうかがった。(企画・構成/長瀬千雅)

40年ぶりの展覧会

倉本 僕にとっては、ずっと長い間見たくて見られなかった画家ですから、それをどーん!とやる感じで、びっくりしたんです。

新藤 いらしてくださったんですよね。ありがとうございます。

倉本 ホドラー展を企画した人というので正直もっと年配の方かと思ってたんですけど、お若いのでそれもびっくりで。おいくつですか?

新藤 展覧会がオープンする少し前に、32歳になりました。スイス生まれの画家といえばクレーやジャコメッティはたくさんやられてきているんですけど、おっしゃるように、ホドラーの展覧会はなかったんですよ。じつは、うち(国立西洋美術館)でやるのは2回目なんです。

倉本 1回目はだいぶ前ですよね。

新藤 1975年です。昭和50年ですね。たとえば館長(美術史家の馬渕明子さん)はよく覚えているそうで、当時のことをいろいろ聞いたのですが、でもはっきりと記憶があるのは、専門家か、美術に相当興味のある人に限られるかもしれませんね。先日、一般の美術愛好家が集まるある会で、200人ぐらいの人に、75年のホドラー展をご記憶ですか、少なくとも展覧会があったことをご存知でしたかと聞いたら、一人もいらっしゃらなかったんですよ。ちょっとショックでしたが、やっぱりホドラーの知名度はあまりないということですよね。

倉本 僕がね、最初にホドラーのことを知ったのは、大友克洋がきっかけなんです。大学生ぐらいのときに、大友克洋が『童夢』っていうマンガを連載してたんですよ。それを読んで、なんというマンガ家が出てきたんだ、これはすごいと思って。大友克洋さんが出てくる前とあとでは、マンガの世界が全然変わってしまった。

内容もすごいけど、まず絵が大好きで。その前から、西洋の絵やイラストに興味があって、古本屋に行っては画集やイラスト集をよく見たりしてたんですよ。メビウスとかも見てた。そんなふうだったから、日本にこんな画風の人間が出てきたんかと思って、びっくりしたんですよ。

そのうちに、その大好きな大友さんの絵が、ホドラーの画風に近いんだってことを、雑誌か何かで見たんです。だいぶ前のことなんで細かいところは定かじゃないけど、大友克洋の絵の原点なんじゃないかというようなことが記事になってたような気がするんですけども。それで、大友さんの絵とホドラーの絵を比較して見たときに、「何これ!」というくらい、時代を超えてシンクロしてるって思ったんですよね。

そこからフェルディナント・ホドラーの名前がインプットされて、なんとか画集を探さなあかんと思ったけど、どこ探してもない。

新藤 そうでしょうね。

倉本 それからだいぶ経って、ネットでも本を買えるような時代になってから、やっと手に入れたのが、これなんです。

倉本さんが手に入れた、ヨーロッパで行われた展覧会のカタログ。文章はドイツ語で書かれている。
倉本さんが手に入れた、ヨーロッパで行われた展覧会のカタログ。文章はドイツ語で書かれている。

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新藤 これはすばらしいカタログですよ。1983年にチューリヒなどでメインに行われた大規模な回顧展のときのもの(新装版)です。これを企画したのがユラ・ブリューシュヴァイラーという人で、最近亡くなったんですけど、75年の当館での展覧会を実質的に監修した、ホドラー研究の第一人者です。

倉本 探して探して、とうとう見つけた!と思って、取り寄せたんです。最初に見たのは《選ばれし者》だったんですけど、あれが最高で。僕の解釈ではあれは完全に大友克洋の世界なんです。ただ、今回それが来てなかったんで、残念なんですけど。僕の見たい絵がなかった。

新藤 すみません。

倉本 ははははは。いえいえ。

新藤 じつは、75年のころとは状況が全然違っているんです。貸し出しの基準とか保険の問題とかいろいろあるんですけど、何よりホドラーは国際的に再評価の動きがあって、今売れっ子なんです。スイス国内でも貸し出しが多くて、バッティングしてしまうんです。

倉本 六本木の(国立新美術館の)「チューリヒ美術館展」にも出てますよね。

新藤 そうですね、あちらのホドラーもこちらの展示に入れられればよかった……とは言えませんけど(笑)。チケット割引とかで連動させてはいるんですけどね。

倉本 チューリヒ美術館展も見に行ったんですけど、「ここにも行ったら?」みたいな感じで、ホドラー展のことも書いてあったんで、一緒にしたらええのにと思ったりして(笑)。

でも、《オイリュトミー》なんかも見たかった絵だから、すごくうれしかった。

《オイリュトミー》は1895年に描かれた作品。ベルン美術館に所蔵されている。
《オイリュトミー》は1895年に描かれた作品。ベルン美術館に所蔵されている。

どんなものにも、輪郭を与えずにはいられない

新藤 《オイリュトミー》は、今回の展示の核となる作品の一つです。ホドラーの転換期の作品だと思っているので。

今回は7章に分けて構成していて、それぞれにテーマがあるので、すごく変化しているように見えるかもしれないんですけど、ホドラーがやっていることって、ある時期からは一貫しているんです。一つはやっぱり、リズム。類似する形態の反復ですね。そしてもう一つが、そのときに出てくる線の問題ですね。

風景画や女性像に出てくる明るい色とか、塗りのマットな感じとか、独特だとは思うんですけど、それ以上に、この人は、あるものに形を見いださずにはいられない人だと思うんですよ。何かに輪郭を与えざるを得ない。

倉本 そうやねん。輪郭やねんな。

新藤 雲のように不定型なものにすら、ある形を見いださずにはいられなかった。言ってみれば、「線の業」みたいなものがあると思うんですよね。もしかすると、倉本さんがマンガと近しいとおっしゃるのには、そういう側面があるのかもしれません。

倉本 どんどん簡潔な線で表現するようになっていくもんね。でもやっぱり、見たものを的確にとらえるっていうのはずっと一緒やなと思ったりとか。

新藤 印象派とは対照的な人だと思うんですよね。印象派って基本的に線を描かない。一方で、今回、ホドラーが同じ風景を描いた作品(「トゥーン湖とシュトックホルン山脈」)を5点並べているんですけど、色彩の表現は全部違うんですけど、山の輪郭はほぼ一緒です。もう、ほとんど笑えるぐらい、骨組みにこだわっている。

印象派も同じようなことをやっているわけです。モネなんかも、たとえばルーアン大聖堂の連作のように、同じ場所を何度も描いている。だけど、モネの場合は、移り変わる光の瞬間のありようを掴まえようとするから、瞬間瞬間に輪郭が持てない、崩れていく。光は基本的に輪郭がないものですから。

倉本 光を描きたいっていうのが印象派でしたもんね。

新藤 ホドラーは、もちろんそういうことがまったくないわけではないですけど、この人の場合、先に輪郭を引いちゃうんですよね。

倉本 うん! そうやと思う。

新藤 この雲の形なんかも、典型的だと思うんですよ。こんな形をした雲って、ファンタジーですよね。しかも湖面にまでくっきり写るように描いている。形があるのかないのかわからないようなものにも、輪郭を与えずにはいられない。

《シェーブルから見たレマン湖》1905年頃 ジュネーヴ美術・歴史博物館 ©Musée d’art et d’histoire, Ville de Genève ©Photo: Yves Siza
《シェーブルから見たレマン湖》1905年頃 ジュネーヴ美術・歴史博物館 ©Musée d’art et d’histoire, Ville de Genève ©Photo: Yves Siza

倉本 当時って、印象派華やかなりし頃じゃないですか。そこに交ざっていってない感じがあって、そういうところも「孤高の画家」という感じで、ええなあ!と思うんですよね。

新藤 ホドラーの全盛期は印象派の少しあとですけど、ただ、外国のグループに交ざろうとしてた部分もあったみたいですけどね(笑)。分離派(ウィーン分離派:1897年結成)とは非常に仲が良かったですね。クリムトとは互いに影響を与えあってますし。ウィーンで大きな展示もやっています。なのに、やっぱりそこからもちょっとずれていく感じが、この人だと思うんです。同時に、一人だけで当時のスイス美術のイメージを作ってしまったようなところがあって。すごく歴史の中に位置づけにくいんですよ。

誤解を招く言い方かもしれませんけど、ホドラーって、どこか、アマチュアっぽい感じがあると思うんです。

倉本 うん。なんかそれはわかる気がするわ。

新藤 少なくとも僕はそう思っていて、率直に言うと、たとえば同じスイス人画家なら、圧倒的にクレーのほうがいいと思います。

美術史的に見ると、歴史をどれだけ突破したかということが評価の上では重要になってくるわけですよね。クレーは音楽一家に生まれて、ミュンヘンに行って自己形成して、あらゆる前衛運動という前衛運動に関わりながら、第一次大戦にも参加したりしているわけです。時代の荒波に常に関与している。でも、関与しつつも常に独自の距離を保っている。

それに対してホドラーは、ベルンの貧しい家庭に生まれてからずっとスイスに暮らして、半年強のスペイン旅行がいちばん長い外国滞在だったぐらい。もちろん、若い頃にスイスのドイツ語圏からフランス語圏に移った(1871年にジュネーブへ移住)のはとても大きなことだったと思いますし、両方の文化が混じっているがゆえにスイスの人たちにとっては自国を代表する画家なんですが、国境を越えて自分の身を「外」に置くということをあまりしなかった人なんですよね。良くも悪くも、ちょっと内向きな画家だと思うんです。

新藤淳さん
新藤淳さん

女性たちはなぜ向こうを向いている? なんでみんな同じポーズ?

倉本 なるほどね。でも僕には、だからそれが純粋培養されて、こう、1本の柱だけが残ったっていうイメージなんですよ。我が道を行くというか。それが、ええなあ、やっぱりええなあ、みたいなね。

1枚の絵を見てね、気になるでしょ。この絵、俺を気に入らせるこの絵はいったいどんな人間が描いているのかにすごく興味がわいて、そこから探っていく旅が始まる。有名な、すでに知っているようなものでも、意外と知らないことが多いんですよ。「あかん、これ探していかな!」と思っていろいろ調べると、こういう生活をして、こういう人生を送った人間なんだなってことがわかってきて。人間性にまで近づいたときに、「わかる! その考え方わかる!」とかね、描いた人間の心持ちが自分とよく似てたりして、思ってた以上の発見や感動があったりするんです。その旅が好きなんです。

倉本美津留さん
倉本美津留さん

新藤 絵を見るというのは、本来そういうところから始まっていくのかもしれませんね。

倉本 今の時代、自分がピンとくるものっていう、単純なところから入らないじゃないですか。みんながいいと言うから見る、みたいな。

新藤 どうしても判断の基準を与えてほしいという人が多いですからね。見たことのないものには戸惑うというのはあるのかもしれませんよね。だから、ホドラー展の来場者数も今のところ、今一つなのかなとも(笑)。やっぱり、人って、今までに見たことのあるものに照らし合わせるものでしょうし。

倉本 そうでしょ。でもほんとはそっちじゃないものに価値があったりする。僕の場合、ホドラーみたいに歴史上の人でも、若いアーティストでも、誰でも、自分がいいと思ったら、「人に言わなあかん!」みたいな焦燥感にかられてしまうんです。関係者でもないのに(笑)。

こういう絵も、やっぱりちょっと変わってると思う。顔が見えへんようにする。

《感情III》1905年頃 ベルン州 ©Kanton Bern (Prolith AG, Bern)
《感情III》1905年頃 ベルン州 ©Kanton Bern (Prolith AG, Bern)

新藤 これは意図的だと思いますね。実際これはモデルがいるんですよ。身近な人たちばかりなんですけど、顔を描くと肖像性が出てしまう。肖像性をなくすということは、要するに、純粋に身体の輪郭というか、シルエットになるんですよね。

倉本 そこを見せたいんやね。

新藤 その並びを見せたいということですね。それが、「パラレリズム」とか、「リズム」の画家と呼ばれる所以ですね。

倉本 そうそう。でも、だからといって顔を隠すためにわざわざこう描くって、やっぱり面白いと思うんですよね。

新藤 そうですね。我々を拒絶してるようにも見えるんです。こちらに視線を投げないし、お互いも無視し合っている。この人の描くものって、人物像同士の視線の交わりみたいなものってあんまりないんですよね。これもけっこう重要な要素かなと思います。

倉本 この絵も、アホな絵やね! 《全員一致》て。めっちゃおもろい。

新藤 これは宗教改革の歴史の一場面なんですけど。これも、右手を挙げるポーズが繰り返される「パラレリズム」の構図と言えます。一つの身ぶりが伝染して繰り返されることで、危うさをはらむというか。全体主義のように見えてくる。これは第二次大戦以前ですが、それでもちょっと危なっかしい。

倉本 そうやろね。かもしれへんけど、僕から見たらギャグなのよね。

新藤 そうなんです、ギャグっぽいんですよ。これを大真面目に市庁舎に飾ってるわけです。15メートルもあるキャンバスに描いて。

僕は、形の反復や、その中で生じる変化みたいなものが好きで、ホドラーは1枚の絵の中にそういうものが出てくる。さらに、複数の作品の中でもある形の変化みたいなものがわりと見えるんですね。そこから見えてくる彼の思想というものを考えてみるのは面白いなと思って。

日本のマンガと通じるところ、あるんじゃない?!

倉本 そう考えるとやっぱり、日本の美術にも通じると思うよね。これとか、すごい屏風画っぽいもんね、と勝手に思うわけですよ。

新藤 アルプスの山の絵を見て「富士山に似て見えた」という方もいらっしゃいますしね。ただ、僕は、ホドラーに関してはあんまり日本趣味と言いたくないところがあって。

倉本 そうなんや。なんでなんで?

新藤 当時は分離派もそうですけど、装飾性とか、奥行きを廃してあるパターンにしていくということは、みんなやってましたから。そこにはもちろん、ジャポニスムは関係します。ただ、これはホドラーだけの問題ではないですが、彼らにとっては日本美術だけじゃなく、たとえばエジプト美術のような線の強さとか、いろんなものが等距離に見えていた可能性があるんですね。実際、ホドラーは日本美術についての言葉は、僕の知っている限り残していないんです。

倉本 なるほど。どうなんやろうと思ってたんですよ。

僕なんかは自分が好きな見方をしてしまうんで、大友克洋から入って、日本人のタッチというところからひもとかれて、一周回って、これ浮世絵の影響受けてるのちゃうかな、みたいなふうに勝手につながっていく。僕の中で。で、実際に聞いてみたら、「全然違いますよ」って言われるわけだけど(笑)。

新藤 でも、現代との関連性って、後世から振り返ってある画家を新しく見るときの重要なポイントですよね。視覚はどんどん更新されていきますから、何かにつながっているということをあとで発見する。

ちょっと、75年のときの図録を持ってきましょうか。

倉本 ぜひ。見せてください。

(図録を持ってくる)

新藤 これです。

1975年のホドラー展の図録
1975年のホドラー展の図録

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倉本 おお〜。こんときは《夜》も来ててんな。

新藤 いや、このときも《夜》は来てないんです。他のメインの作品はだいたい来たんですけど。

倉本 そうですか。《夜》も衝撃的だったんですよ。この一瞬の、自分のところに死がしのびよってきて、えーっ!ってなってるっていうのは、すごいマンガ的なんです。この時代に、スイスのこんなところで、こんな感性を持ってるっていうところに、僕は勝手に興奮するんですよね。「このおっさんおもろいぞ」ってなるんですよ。

ドイツ語の図録の《夜》のページ
ドイツ語の図録の《夜》のページ

新藤 面白いなと思うのは、ヨーロッパではマンガはハイアートじゃないから、マンガ的という言葉は、揶揄にも聞こえかねないわけです。それがいいというのは、日本人ならではだと思うんですよ。西洋の人間からすれば、逆転の評価の仕方ですね。発見のプロセスとしてはすごく面白い。

倉本 そうやと思いますわ。でも、絵を好きになるとか、感じるとかって、理由があるようでないようなところがあるから。もしかしたら大友克洋の前にホドラーの絵を見てたら、ホドラーの絵を好きになってて、ホドラーみたいな絵のマンガ家が出てきたな、みたいに思ったかもしれない。

新藤 そうですね。大友克洋ファンのヨーロッパの若者が、ホドラーを見て、「これ、大友克洋だ」って思ったりすれば、もっと面白いですね。

倉本 その可能性あると思うよ。これなんか、完全に大友克洋のマンガと言っても過言ではない。人物の肩から腕にかけての角張った感じとか、着てるもののしわであるとか。このおっさんとかね、絶対大友克洋のマンガに出てるよ(笑)。

1975年の展覧会の図録より。作品のタイトル《絶望せる魂》は、当時は《失望せる人々》と訳されていた。
1975年の展覧会の図録より。作品のタイトル《絶望せる魂》は、当時は《失望せる人々》と訳されていた。
大友克洋『童夢』の1コマ。
大友克洋『童夢』の1コマ。

新藤 こういう「嘆き」のポーズは、西洋美術では伝統的なものなんです。ルネサンス時代の宗教絵画にもありますし、近代にもある。ホドラーもそういうものを参照しています。けれど、同じ図像、同じイメージでも、意味が変わっちゃうんですよ。描かれるものが挿入される文脈が違いますから。それが面白いところですね。

感情を表現することと、身体が奏でるリズム

新藤 さっき、《夜》がマンガ的とおっしゃったのも、あれは自分がぎょっとしているのを、外側から描いているわけですよね。死の亡霊に取り憑かれた自画像なんで。それって一種の自己演出ですよね。その絵によってホドラーは最初の国際的な評価を得るんですが、「死に憑かれた俺」を自慢してるみたいな感じあるじゃないですか。

倉本 あるある(笑)。

新藤 そこから、《オイリュトミー》などを経由して、20世紀に入った頃から、今度は女性の動く身体に向かうんですね。のちのモダン・ダンスなどにつながるようなことを先取りしながらやっていた。それはすごく大きな変化だったと思います。この人はやっぱり、表面的な身体の動きだけじゃなくて、目に見える身体によって、目に見えない感情の動きが可視化されることにものすごく興味があったんだと思う。

倉本 なるほど。

新藤 そうすると、雲とか、命のないものにまで、あるエモーションを見いだしてしまうんだと思うんです。

倉本 だから、単なる風景画に見えないというか、すごくファンタジックに見えるんですよね。

新藤 時代背景を考えると、当時はどんどん都市化が進み、未来派のように機械の運動を描こうとした人たちもいる中で、この人は都市を描かない。その外部を求めているというか、あくまでも人間の身体なんですよ。

倉本 そうだよね。木こりとかを描くわけだからね。

新藤 ある感情があるから体を動かすだけじゃなく、動いたから感情が出てくるということもあると思うんですよ。

倉本 うんうん、両方ある。

新藤 そこのところをやりたかった人だと思うんです。

ホドラーと同時代のエミール・ジャック=ダルクローズという、リトミックを創始した音楽家がいるんですけど、リトミックは、音楽をつうじて体を動かして感情を豊かにしましょうという、今で言う情操教育ですね。

今回、ホドラーの女性の身体の絵の章で、ジャック=ダルクローズをあわせてクローズアップしたのは、当時、やっぱり、そういう身体の動きは新鮮だったと思うんです。伝統的なバレエと違って、わーっとみんなで身体を動かして感情を開いていいんだっていう身体表現の思想は、当時は新しかったわけですね。それがモダン・ダンスに通じていくんです。実際、ホドラーとジャック=ダルクローズのあとに、表現主義(内面的な感情を表現する芸術形式のこと)が出てきたり、もっと時代が進むと、意識のコントロールを完全にはずしてしまおうという、シュルレアリスムになっていくわけです。

倉本 シュルレアリスム前夜やね。

僕が作るお笑いって、アートとやり方がすごく近いと思ってて。僕が関わった番組なりを見ていただいたことがあったら、かなりシュールなところを感じてもらえてると思うんですけど、人を笑わすためには、思いもよらないことを言葉にするとか、思いもよらない状況を作るとか、コントとかでも「こんなやつ今まで見たことない」みたいなものが出てくることが重要なんですよね。

というのは、僕もちっちゃい頃に、マグリットとかダリにそんな目に遭わされてるわけですよ(笑)。なんじゃこれ、と。アートか美術かしらんけど、俺がおもろいと思うもんと一緒やんけ、と。

新藤 なるほど。シュルレアリスムは基本的に、世の中の規則事とか、意識の縛りをはずそうとした人たちですからね。だから、規則どおりなら出会うはずのないものが1枚のキャンバス上で遭遇したり。

倉本 そういうことを意識的にやったわけやからね。意識的に無意識になろうと思って努力した人たちやから。

独自の表現を突き詰めていってることに、拍手をしたい

新藤 ホドラーはそういうことは全然考えてなかったとは思いますが、そういうところへ向かっていく時代に生きた人ですよね。まあ、ホドラーはある意味、考え過ぎちゃうタイプではあると思うんですけど。パラレリズムなんてまさにそうで、「そこまで厳格な法則にしちゃわなくてもよくない?」みたいに思うこともあるんです(笑)。

倉本 真面目すぎるアホさがあるじゃないですか。

新藤 そうなんです、すごく愚直な人だと思うんですよね。

倉本 ただの真面目じゃなくて、もっと、行ききってる感じがすんのよね。

新藤 今回、下絵をたくさん紹介してるんですけど、下絵のほうが面白かったりするんです。本番になると、「あれ? なんでそこに行った? もっとやればよかったのに」みたいなときもあって(笑)。なんですけど、似た人を探してもどこにもいない。

倉本 語りづらいから、マニアックになってまうねんな。でも、やっぱり、独自の表現を突き詰めていってるってことに、拍手したいと僕は思うんですよ。「人に何を言われようが俺はこの絵なんだ」っていう信念を持ってやってるのをホドラーにも感じるし、大友克洋もそういう人だと思うんですよね。

大友さんと一度話す機会があったんですよ。大友さんが原画展(「大友克洋GENGA展」2012年@3331 ARTS CHIYODA)をやったときのオープニングにたまたま通りかかって、そこにいた友人の浦沢直樹さんが声をかけてくれて、流れでパーティーに出席したんです。そのときに、「大友さん、僕、ホドラー大好きなんですけども、大友さんもですか?」って聞いたら、「僕、ホドラーのこと詳しいよ」って言ってたんで。「やっぱりそうか!」と思って。

新藤 それはすごいですね。直感が正しかったんですね。

倉本 マンガからアートに行った自分の流れの中で、大友克洋がどーんといてて、やっぱりアートとつながるんや!という感じがホドラーやったという。

新藤 たしか、大友さんがデューラーやブリューゲルなんかに言及されているのは目にしたことがあるんですけど、デューラーは、それこそ、ホドラーがいちばん好きだった画家なんです。ホドラーは日本の近代美術にもいろんな影響を与えてるんですけど、もしほんとうに大友克洋さんに影響を与えているとしたら、新たに付け加えられるべき歴史ですね。

倉本 大友ファンもみんな見に来たらええと思います。「こことここが似てる!」っていうのは俺が勝手に思ってる節もあるけど(笑)、いろんな見方があったほうがホドラーって面白くなると思うから。

■展覧会情報

フェルディナント・ホドラー展

国立西洋美術館

展覧会サイト:http://hodler.jp/

開催期間 2014年10月07日(火)~2015年01月12日(月)

休館日 月曜日(ただし、10/13、11/3、11/24は開館、翌火曜日休館)、12/28~1/1

時間 9:30~17:30 金曜日は20:00まで(入館は閉館30分前まで)

入場料 一般1,600円/大学生1,200円/高校生800円/中学生以下無料/心身に障害のある方および付添者1名は無料

会場 国立西洋美術館 東京都台東区上野公園7-7

その後、兵庫県立美術館に巡回(2015年1月24日(土)~4月5日)

プロフィール

倉本美津留放送作家

放送作家。1959年生まれ。「ダウンタウンDX」、NHK Eテレのこども番組「シャキーン!」など、数々のヒット番組を担当。これまで手がけた番組は「ダウンタウンのごっつええ感じ」「一人ごっつ」「M-1グランプリ」「伊東家の食卓」「たけしの万物創世紀」「EXテレビ」「現代用語の基礎体力」など。最近では、マンガ家の創作現場に密着する「浦沢直樹の漫勉」(NHK Eテレ)を手がけた。また、「美津留」の名前でミュージシャンとしても活動中。アルバム『躾』をビクターエンタテインメントよりリリース。ユニット「YOU に美津留」ではNHKみんなのうたに『月』を発表。近著に『ビートル頭』(主婦の友社)、『明日のカルタ』(日本図書センター)、『もともと人名カルタ』(ワニブックス)がある。

この執筆者の記事

新藤淳国立西洋美術館研究員

国立西洋美術館研究員。西洋美術史。1982年生まれ。共著に『朝日おとなの学びなおし! 西洋美術史 国立西洋美術館編』(朝日新聞出版)、『版画の写像学』(ありな書房)など。

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