2012.11.21

いまなぜ経済学を学ぶべきなのか 

飯田泰之 マクロ経済学、経済政策

経済 #ふらっとすぽっと#経済学#ミクロ#飯田のミクロ

『飯田のミクロ 新しい経済学の教科書1』(光文社新書)の刊行を記念し、紀伊国屋新宿南店のイベントスペース<ふらっとすぽっと>にて、トークショーが開かれた。経済学者の飯田泰之が、経済学を学ぶ意味や経済政策について語った。(構成/金子昂)

『飯田のミクロ』

―― 最初に、いま経済学を学ぶことにはどんな意味があるとお考えかお話ください。

経済学に限らず、「なんとか学」を学ぶということは、自分の中に考えるための型を持つことだと思っています。そして「思考の型」を持つためであれば、文系ですと、法学と経済学が適している。というのも法学と経済学はその教育課程自体において「思考の型」が明確に意識されている学問ですから。他の、文系分野はそれをあまり自覚していないように感じられる。「思考の型」を持つためにも、経済学を学ぶことには意味があると思います。

また、いま日本で論じられている社会問題や政治問題は、煎じて煮詰めると結局は経済の問題というケースが多いでしょう。であるならば自分の現実とは直接は関わらない学問よりは、ニュースや論者の話を理解するために経済学を勉強するほうがよいのではないでしょうか。

―― ミクロ経済学とマクロ経済学のうち、ミクロ経済学から入った理由を教えてください。

ぼくはミクロ経済学とマクロ経済学という分類はあまりよくないと思っています。経済学の論理的な基礎を与える教育課程では経済学の考え方を勉強するのがミクロ経済学であり、財政政策や金融政策、国際経済といった応用問題を解釈し予想するのがマクロ経済学です。民法と商法のような並列的な分類ではない。テストや授業のコマ割りの関係でなんとなくミクロ経済学とマクロ経済学にわけられているからそういう誤解が生まれてしまいがちですが。

本来であれば1年間じっくりミクロ経済学を勉強して、その次にマクロ経済学を勉強すべきです。ただ、最近の大学は勉強する時間がどんどん短くなっています。一年生は導入教育を行い、三年生の後半からは就職活動が始まる。事実上1年半しか勉強する時間がありません。すると、どうしてもミクロとマクロを並列で教えざるをえなくなって、どっちも十分に理解できずに終わってしまうんです。もったいないことだと思う。

―― 今回、新しい切り口の入門書を執筆頂けるようにお願いしました。

実はこの本は、ある一定年齢以上の経済学部出身者にとっては全然新しくありません。もちろん語り口は現代的になっていますが、昭和50年代とかのミクロ経済学の教科書はこんな感じだったんです。

ミクロ経済学は、ゲーム理論を基礎においたり、わかりやすくするために日常や生活の例を中心にした教科書が増えました。そして、それまで定番であった難しい理屈や思想的なことがずらずら書いてある教科書がなくなってしまった。だからこそいま、ミクロ経済学の超定番の教科書をわかりやすく書きたかった。でも教科書として書くと、おそらくまったく売れないでしょう。そこで新書という形で、内容や章立てはど定番で、だからこそ新しいミクロの本を書きました。

―― この本で特に重要視していることはどんなことでしょうか。

まずは経済学が自由主義と個人主義を思想的なバックボーンにしていることをわかって欲しい。ぼくは社会全体にとって、個人主義や自由主義でいることがいい事であるとは決して言いません。そんな自信はない。

人はしばしば自分の心にある思想――例えばコミュニタリアリズム、リベラル、リバタリアンなど――の好みに合った価値観に依拠して導かれる結論を信奉してしまいがちです。経済学の美しさは、個人主義がよいかどうかはわからないけれど、個人主義に立脚して経済を予測すると当たるのだから、個人主義を使ったモデルがよいと割り切って考えられるところにあると思います。

テレビのコメンテーターや論者は、経済理論による結論として話をしているのか、その人の価値観が加わって良し悪しを話しているのか意識して区別しなくてはいけません。例えば一時期「日本は海外から外資系の証券や金融を呼び込んで、金融立国として経済を再生すべきだ! その結果、貧富の差は拡大しても平均所得は伸びていく」といった話が流行っていました。でもよく考えてみてください。私たちの目標は、平均所得が上がることではなく、自分の所得が上がることではないでしょうか。平均所得が上がることで自分の所得も上がるのであれば、それに賛成することはわかります。でもいつの間にか論点のすり替えが起きていて、平均所得をあげることが目標になっている。平均所得は上がって、自分が貧乏になる社会は誰でも嫌でしょう。

例えばぼくがベーシックインカムの話をするとき、ぼくの価値観はちょっと入っています。大学の許認可をもっとスムーズにすべきだという意見もぼくの価値観に依拠するところが大きい。論者が、どのくらい個人の価値観に依存していて、どのくらい理論に依拠するものなのかを区別できるようになることは重要ですし、それを意識している人の方が信用できると思います。

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いま消費税を増税すべきか

―― 今回は経済学の理論を身につけることに徹して、あえて現実の政策に触れないと書かれていますが、最近の政策について思うことをお話ください。

なにより気になるのは消費税の話でしょう。本書にも書いた「代替効果」と「所得効果」を意識して考えてみます。代替効果は、例えばリンゴとみかんの2つの財のうち、みかんが高くなったので代わりにリンゴを買うということですね。一方の所得効果は、お金持ちになったからたくさん消費するということです。

さて、所得効果の面で消費税を考えると、消費税によって商品が高くなると、実質的に貧しくなるわけですから実質消費量は減ります。一方、代替効果の面で考えると、税金が上がる前の駆け込み消費が増える。しばしば「過去の消費税増税は景気に悪い影響を及ぼさなかった」と言われますが、この考え方には問題があります。というのも89年に消費税が導入されたとき、その総額よりも多く所得税・物品税の減税が行われていたんです。駆け込み消費も相まって景気はよくなりました。97年のときも、減税までとはいかないまでも定率減税がはじまって、増税した2%のうち過半を還元していますから、代替効果である駆け込み消費のほうが目立ちました。

実は消費税の純増は日本にとって今回が初めての経験です。いま純増で消費税をあげることはかなりのチャレンジャーだと思います。消費税の純増の前例は唯一ギリシャしかありません。ギリシャは財政破綻に至るまでの10年間に消費税率を18%から23%まで上げています。そして税率をあげればあげるほど、税収が減っている。「消費税をあげないとギリシャのようになってしまう」と言う人がいますが、ギリシャの財政破綻は消費税を上げた結果でもあることに注目していない。日本の財政状態が非常に悪いことはわかっています。でも、少なくとも「いま増税するタイミングなのかな?」とは思っています。

―― 日本は大丈夫ですか?

日本は大丈夫です。ギリシャの財政破綻は経常経費が払えなくなった結果、海外から支援や債務減免、返済を待ってもらうといった措置がないとどうしようもなくなってしまった。でも日本の場合、最終的には日本円を刷れるんです。

先取りして話してしまいましたが、どの通貨で借金しているかによって財政破綻の様相は変わってきます。例えば、かつて財政破綻を経験したアルゼンチンは、国債をドル建てで発行していました。これは返済するときにドルで返さなくてはいけないことを意味します。当然ですが、アルゼンチンがドルを刷ることはできません。一方、イギリスとアメリカ、そして日本は自国通貨で国債を発行しています。ということは、いよいよ財政破綻の危機となったら、自国の通貨を刷って返済すればいい。

つまり日本における財政破綻論はハイパーインフレになるということになる。でも、はたして本当にハイパーインフレがくるかどうかも疑問で。というのも、もしハイパーインフレになるなら、やるべきことは今すぐに資産をドルに移すことと借金をすることです。でもそれをしている人は知り限りほとんどいない。日本の財政破綻は、ギリシャとは様相が違って、決していいことではありませんが、どちらかというと財政破綻は70年代のアメリカのようなハイパーまでは行かないが高率のインフレに帰結するという事になると思います。

世界中の不況を輸入している

―― 続いて金融政策についてお聞きかせください。

「金融緩和はこれ以上効かない」「目立った効果は得られていない」と言われます。そして「だから今以上に踏み込んだ金融緩和には問題が云々」と。でも、まずは世界中の中央銀行と同じ程度まで金融緩和をしてから議論を始めるべきです。仮に日銀がアメリカやイギリス、ヨーロピアンセントラルバンクと同じことをしてからならば納得いきますが、世界中でやられていることをやりもせずになぜ「金融政策に効果がない」と言えるのかぼくには理解できない。ちなみにぼくは「日銀馬鹿論」には与しません。ぼくなんかとは比べものにならない優秀な人ばかりですよ。財務官僚に匹敵しうる人もいるくらい優秀。ではなぜ世界中がやっていることを日本銀行がやらないのか。それは日本銀行という組織の特性が原因でしょう。

97年の日銀法改正によって日銀が独立した組織になるまで、日銀の管理・監督の範囲は金融機関に限られていました。すると日銀にとって重要なことは、金融機関が安定した経営を行っているか、要は十分に利益を得ているかどうかです。そういう土壌でキャリアを積んだ人はどうしても金融機関を優先した思考法になる。金融は比較的景気に敏感ですから、金融セクターがよくなると、日銀にとっては景気が良くなったと同じことと認識してしまう。その結果、毎度早すぎる景気回復宣言になるわけです。雇用や個々の産業の影響が及ぶ前に、「十分回復したからこれ以上は必要ない」と思ってしまう。

いま日銀である程度の地位にいる人は、旧日銀法下で訓練されて出世した人たちですから、彼らにとって日本の景気は銀行が健全か否かの一点になっている。これは頭がいいか悪いかではなくて、どのカルチャーで生まれ育ったかという問題でしょう。金融機関にとって円安は決して喜ばしいことではありません。円安基調下では、国際業務において円に対する需要が減る。ですから円高が好きとは言わないまでも、円安を望むインセンティブが金融機関にはない。金融機関にないのだから、当然日銀にもない。

FRBはリーマンショック以降、バランスシートの規模を2.5倍以上に、バンクオブイングランドは3倍以上に拡大しています。経済学の原則――といいますか理論は、難しくて豪華で複雑なものほど特殊状況にしか当てはまらず、単純で簡単なものほど予想力がある。たくさんあるもの、ありふれているもの、今後増えていくものは安く、その逆に少ないもの、珍しいもの、今後減っていくものは高い。これは間違いなくどこでも成り立つ理屈です。米ドル、英ポンドが2倍から3倍に増えているということは、たくさんあるものですから、ドル安、ポンド安となる。裏返せば円が高くなっているということになります。

いま日本がバランスシートを膨らませても、かつてのような1ドル130円台には届かないと思います。でも、せめて日本も同じ対抗措置を講じなければ、世界中の不況を日本が輸入することになる。世界中が自国通貨を安くしようと頑張っているなかで、日本だけなにもしていないわけですから。

ちなみに、財務省や日銀の幹部が、海外のなんとか賞とか世界を担うビジネスパーソンとかなんとかで持ち上げられて帰ってくるじゃないですか。日本もメディアもそれを報道しているけど、なんで褒めてくれるのかよく考えてみて欲しい。アメリカが日本の政治家を褒めるのは、その政治家がアメリカにとって得な人だから。日本の中央銀行総裁が世界中の中央銀行総裁に持ち上げられるのも、その国の損を日本が引き受けてくれているからです。外国の人間が外国の人間を褒めるときのいやらしさは、いわばライバル他社に感謝され、褒められるのがどういう人かを少し考えればわかることです。

金融政策の話に戻しますが、89年の日本は一人当たりGDPが、規模の大きい国の中では事実上1位でした。それがいまとなってはOECDで日本より下の国はスペインと韓国だけ。たまにイタリアのほうが低くなるくらい。絶望的です。それをもって「日本は成熟国だからこれ以上成長できない」って言う人がいるけど、日本はアメリカの7割しか稼いでいません。アメリカは超ウルトラ成熟国かなにかなんでしょうか。アメリカができて、なぜ日本ができないのか。すると今度は「ジョブズがいない」って言われる。でも日本より所得が多いイギリス、フランス、そしてドイツにもスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツはいません。

ミクロ経済学から学ぶ意味

随分と本書から話がずれてきてしまいましたが、このように政策に直接関係するのでマクロの話は楽しいんです。というか楽しいからぼくはマクロ経済学者なんですけど……。でもマクロの議論だけでは困ってしまうことになる。

いまぼくは財政政策批判派だと言われていますが、正確には財政政策が効かないのではなくて従来型の公共事業が効かないと主張しているのです。これはあくまで例えですから、効果の有無は置いておいて欲しいのですが、例えば定額給付金は効果があるけれど、公共事業には効果がないとしましょう。お金をばらまく意味では同じなのに、なぜ効果が違うのか、マクロだけではわかりません。

財政政策が景気を良くする理由は、公共事業によって受注企業と雇われた人が儲かる。儲かった人たちがそのお金で居酒屋に行った。居酒屋の売り上げが伸びて居酒屋の従業員の給料が増える。従業員がその給料で買い物に行く。このような波及効果が、マクロの財政政策の効果です。でもミクロを勉強すると、この理屈には重要な前提があることがわかります。

例えば今までは民間から発注された私道整備や民生のビル建設を行っていた飯田建設が、公共事業を受注して公道の整備を担当したとします。利益が増えるからこそ受注したのだと思いますが、雇われている人数はたいして変わらないし、利益も少し増える程度。無職の人が雇われるのではなくて、今まで別の仕事をしていた人が公共事業に移るだけです。マクロ経済学の教科書が説明するほどの波及効果はありません。仮にあなたが失業していたとしましょう。そこから月給20万の仕事に就いたらお金を使うようになると思います。でも月給20万から21万になっても、使う量はあまり変わらないでしょう。発注された公共事業によって失業者が雇われるのか、単に他で仕事をしていた人が就くのかは極めて重要な違いです。

計量分析してみたところ、例えば公共事業を1兆円発注しても、その6割は民間の仕事をしていた人が公共事業に移っています。つまり1兆円の財政政策が4000億の財政政策に変わってしまう。だから公共事業は効かないと話しているんだけど、マクロしかしていない人はなかなか理解できないんですよね。ちなみにこの計量分析はぼくのブログにも書いてあるので、興味ある人は読んでみてください。(http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20120715#p1

マクロ経済学がどんなミクロ経済学を前提に作られているのかがわかっていないと、同じ財政政策でも、効く財政政策と効かない財政政策があることがわからない。そういう意味でも、マクロ経済学の乗数効果という理論を構築するためのベースとなっているミクロ経済学から始めることが重要なんです。

―― マクロ経済学については、『飯田のマクロ』の出版を楽しみにしていただいて……

そうですね。

実はこの本は、ぼくが財務省職員向けの講習でやっている授業を本の体裁にしたものです。せっかくだから帯に「財務省の講義から」って入れておけばよかったのに(笑)

―― すいません(笑)

この本はオーソドックスだけど新しいスタイルの教科書ですが、12月には『思考の「型」を身につけよう』という一般向けのビジネス書を出しますので、そちらも楽しみにしていただければと思います。今日はありがとうございました。

(2012年11月5日 紀伊国屋新宿南店にて)

プロフィール

飯田泰之マクロ経済学、経済政策

1975年東京生まれ。エコノミスト、明治大学准教授。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書は『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。

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