被ばく体験国だからこそ、世界に誇れる放射線学習カリキュラムを――子供の頃から体験的に放射線を学ぶことの大切さ

放射線のリスク感覚

 

放射線はそもそもエネルギーの塊のようなものなので、間違いなく危険物質である。ではどのくらい危ないものなのか? もしも放射線が大量に体にあたったら、人間であろうと動物であろうと、もちろんひとたまりもない。でもその量がほんの少しだったらどうだろう。

 

仮にこの量的なリスク感覚を「放射線のリスク感覚」と呼ぶことにすると、果たして我が国でこのリスク感覚を持つ方はどれくらいいらっしゃるのだろうか。私見を申せば、福島県などで原子力災害に見舞われた皆さんを除くと、このようなリスク感覚が身についている方はとても少ないと感じている。

 

ちょっと思い浮かべてみてほしい。ここに湯船いっぱいの60度の熱湯があるとする。その熱さの程度、すなわちこのお湯の危険度を想像するのはきっと容易なはずだ。まずは湯気などの視覚から得た情報に基づいて、すこし慎重に扱わないと、などと思うのではないだろうか。次にお湯に近寄ってみる。すると肌で大体の温度を感じ、これは相当熱そうだ、と警戒することだろう。さらに勇気を出して指先で触れてみようものなら、これは決してドボンと入るなどしてはいけないものだ、とたちまち確信へと至るだろう。

 

そんなの当たり前だとか言わないでいただきたい。このような様々な感覚に基づいた危険度の判断能力は、生まれながら備わっている類のものではない。何も知らない幼子なら、いきなりこのお湯に掴みかかってしまうことだってあるだろう。大人になっていく過程で、お湯とは一体何なのか、どのくらいの熱さのものに触れると火傷をするのか。ひどい火傷をした場合に体はどうなってしまうのか、などといった様々な情報を少しずつ知っていくのである。

 

小学生ともなれば、温度計や体温計などを使って自分で温度を知る機会も増える。つまり子供の頃からの教育と経験の積み重ねで、熱湯の危険度を即座に判断できる力が身についていったのだ。たんなる知識だけではなく、日々の生活のなかでお湯に接し続けるなかで、自身の体験として次第にその危険度を熟知していくのだ。

 

ところが、相手が放射線になった途端に熱湯と同じ手法が困難になる。その最大の原因は、人体に放射線を感じとるセンサーが備わっていないことにある。我々は放射線の危険度を自身の体の感覚として察知することができない。放射線は見えないし、音も匂いもない。たくさんからだにあたったとしても、熱くも冷たくも、痛くも痒くもない。したがって、知識は努力次第でなんとか習得できたとしても、体験に基づいて危険性を瞬時に把握することは大変難しいということになる。

 

では、放射線のリスクを熱湯の場合のように感じ取ることは永遠に不可能なのだろうか。私はそんなことはないと信じている。たとえセンサーを体に持っていなくても、現代人には様々な種類の放射線測定器という武器があるではないか。もしも一般市民の皆さんが温度計のようにこれらの測定器を使いこなすことができれば、そして多少なりとも放射線の基礎的な科学知識を持っていれば、放射線のリスクを自ら測って判断できるようになるのでは。そう考えているのである。

 

現在の我が国には、放射線のリスク感覚を習得せざるを得なかった方々が少なからず存在する。それは原子力災害を被災した福島県の皆さんだ。あの事故の直後、相当数の福島県民が、放射線とは何か、それがいったいどれくらい危ないのかについて正しく知ろうと大変熱心に勉強しようと努められていた。

 

福島県の一部地域の学校では、熱意ある教諭たちが議論を重ね、実践的な福島オリジナルの放射線学習カリキュラムを作りあげていた。測定器について言えば、個人で放射線の線量計を買い求めた方も多数いらっしゃったし、公園や校庭、駅前など、そこら中に放射線のモニタリングポストが設置され、その測定値をいつでも見ることができるようになった。

 

つい先日、福島県富岡町を訪れたときも、NHKの天気予報のなかで、その日の放射線量がいつものように放映されていた。そういった環境に置かれた皆さんの多くが、シーベルトとかベクレルといった単位にいつしか慣れていった。なかには、「1時間あたり何マイクロシーベルト」と聞くと、だいたいこんな感じだな、と放射線量を肌感覚のように把握される方さえいる。

 

 

「放射線は微量。0.5マイクロシーベルト」

 

昨年、映画「シン・ゴジラ」を観た。たんなる子供向けの怪獣映画とは一線を画す、なかなか興味深い作品だった。映画評論などを読むと、福島原発事故のメタファーだという論調だ。この映画を見て少々驚いた。劇中で示されていた放射線量が、なんだかとてもリアルなものに感じたのである。

 

たとえば、ウニョウニョとしたゴジラの幼生(第二形態と言ったか?)が東京の街中を這いずり回った後でゴジラが放射線を放出していたことが判明し、総理役の俳優が「放射線は微量。0.5マイクロシーベルト」と会見していた。

 

さて、皆さんはこの数字を聞いてピンと来るだろうか? おそらく先ほど述べた福島の皆さんなら、「あー、あのくらいか。」などときっと思われることだろう。放射線を測ることや、その値に慣れ、放射線についての基礎的な知識をすでに得ている皆さんなればこそ、総理が0.5マイクロシーベルトを微量と言い切ったことが妥当かどうかを判断できるのだ。

 

震災後の報道において、福島県産の農産物や福島県から避難された皆さんに対する風評被害が深刻な社会問題として取り上げられることが度々あった。全国の皆さんが、福島の皆さんと同じくらいの放射線についての知識とリスク感覚を持ちあわせてさえいれば、このような問題は発生しなかったはずだ。

 

ほんのわずかでも放射線があれば怖い、汚い、といった心情だけで無闇に行動するようなことも相当防げたはずだ。それくらい、放射線の科学的知識を学ぶことや放射線を測ることは重要な意味を持つのである。

 

しかし放射線を学ぶことや測ることはじつは決して簡単なことではない。放射線に関係する学問は、物理学、化学、生物学、統計学、社会学などなど多岐にわたる。それぞれの分野の入門知識を理解するだけでも相当な時間と手間がかかる。だからじっくりと段階的に学んでいく必要がある。

 

放射線の測定器を手にしたとしても、その先にはかなり奥の深い世界が待っている。放射線測定器にはかなりのバリエーションがあり、その種類によって得手不得手が当然あるし、測定には誤差がつきものだ。この誤差を理解するだけでも一般の方にはきっとかなり敷居が高いことだろう。

 

だから放射線のリスク感覚が一朝一夕には身につくことなど有りえないのである。幅広い知識を得るために、そして放射線測定に慣れるために、時間をかけて子供の頃から少しずつ学んで行くことを薦めたい。【次ページにつづく】

 

 

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