2012.11.13

仮設住宅団地のリーダーから見えてくるもの

荻上チキ 評論家

社会 #仮設住宅#震災復興#仮設団地

地震や津波によって家屋が半壊、あるいは全壊した被災者は、避難所や仮設住宅に入居をして生活を送ることになる。慣れない住まいで、見知らぬ人々と明日をもしれぬ生活を送らねばならない非常に過酷な状況において、その地区を取り仕切るリーダーの重要性は計り知れないものがある。仮設住宅団地でリーダーを務める人々に、震災発生から今日までどのような活動をしてきたのかを振り返っていただき、本震災における防災・支援の改善点を探す。(構成/金子昂)

参加者の自己紹介

荻上 復興アリーナでは、東日本大震災におけるさまざまな立場の方の取り組みを取材し、被災地にはいま何が不足しているのか、今後の災害に役立つ課題や教訓は何かといった問題を検証していきたいと思っています。

今回は、宮城県石巻市の仮設住宅で自治会の会長や役員をつとめる四名の方にお集りいただき、仮設のリーダーの立場から見えてくる課題について、座談会形式でお話を伺いたいと思います。まずは皆さんの自己紹介をお願いできればと思います。

阿部 西支部の副会長と河南の長塚前団地の副会長をしています、阿部光夫です。これまで副会長として、会長さんを支えるかたちで、団地の声をできるかぎり拾い上げてきました。いまはラジオ体操など、子どもたちのためになにかできないか考えているところです。

齊藤 齊藤秀樹です。石巻の仮設団地では、東西南北に地区をわけて、主要な場所に事務局をおいていますが、その西支部の事務局長と、押切団地の自治会長をしています。団地に住む皆さんが新しい出発を向けられるまで、各団地との情報共有や悩み相談、ボランティアの紹介などをしています。

中野 中野信行です。基本的には開成の一団地の自治会長をやらされています。「やらされている」というのは、正直、最初は自治会に興味がなかったんです。市役所から話がきたのですが、そのときは、自治組織なんてなくても自然とうまくいくと思っていて、否定していたんですね。

ただやはり、住んでいる人たちが全員いい人というわけではなく、徐々にいろいろな問題が発生して、ルールが必要になってきて。というわけで、いまでも自治会長をしています。

自治会長になった途端に、他の会長さんから、自治会長が集まる連合会があると知らされました。やはり横の繋がりが持つほうが情報の共有がスムーズにいくと思い、自治連合会に加盟しました。いまは147の仮設団地があり、自治連合会に正規に加盟しているのは28団地。今月末には32団地になる予定です。

これだけ多くの会長さんや役員さんが集まると、収拾がつかなくなってしまいます。そのため、今年度の早い段階で各エリアにわけることになりました。団地によって抱えている問題は違います。

開成や南境は、まわりに街場がありません。地盤の弱い団地もあれば、カビの生えやすい団地もあります。団地ごとにニーズが違ってくるんですね。それらをすべて連合会全体で共有していてはきりがない。というわけで、ひとまず4つの支部にわかれてそれぞれで話し合いをし、必要な場合は連合会で話し合うようになりました。先月まではその中央支部の副支部長をしていましたが、いまは事務局長を務めています。

山上 山上勝義です。私は震災の翌日、中央にあった昭和会で、会長代行として炊き出しなどをしていました。しかし5月あたりから、昭和会で炊き出しや配給をするのが厳しくなってきて。とはいえ町の状態や被災者の声を聞いていると投げ出すわけにもいきません。そこで新たに中央救済会というものを立ち上げ、11月10日の配給打ち切りまで活動をしてきました。

自宅が全壊していたため、その後は南境第七団地の仮設住宅に入りました。そのときに、いままでの実績を買われて、市役所に「自治会を立ち上げてくれ」と頼まれたんです。いまは規模の大きい団地の自治会ということもあって、正直、皆さんとうまく連携が取れず、苦労している状態です。気が付いたら連合会の副会長になっていて、中央ブロックの支部長もしています。

齊藤 私の場合、ボランティアからの推薦と、市から経験を買われ、いつの間にか決まっていましたね。最初は「嫌です」と断ったのですが、「もう要請書を出してしまったので」と言われ、あきらめて引き受けることにしました(笑)

山上 中央で散々みんなの手伝いをしてきて、仮設に移ってようやく自分のことができると思ったら、まったく逆でしたね(笑)

齊藤 そうそうそう。

中野 やっぱり、みんなそう思いますよねえ。のんびりできない。

中野信行さん

仮設団地というコミュニティ

荻上 発災後、フェイズによって、必要な支援や発生する問題は随分と変わってきたかと思います。いかがでしたか。

山上 そうですね。最初は、飲み物や食べ物を手に入れることが最も重要でした。その後に、生活空間の確保でしょうか。地震と津波で家はぼろぼろになってしまいましたから、当然、風呂も台所もありませんでしたし。ボランティアの方や市役所にお願いをして、用意してもらいましたが、それでも足りなかった。やっぱり、ライフラインの復旧は早急に行わないといけないと思います。

あとは、道路の修復はもちろん、側溝にふたをいれることや、街灯を灯すことも大切です。できるだけ安全に暮らせるようにと思い、大きな穴が開いている道路の写真を撮るなどして、市役所に提出していました。もともと建築畑ということもあって、いろいろな要請書も書いてきましたね。

いま心がけているのは、コミュニティを活性化させることです。3月で、東日本大震災の関連死が1600人を超えたと聞いています。これだけ震災の影響が長引いているのに、いまだに行政はなかなか動いてくれません。みんな精神的にも肉体的にも疲れがでてきています。

僕らとしては、この仮設団地から自殺者を出したくないという思いがあります。だから、せめて精神的に支えてあげたいと思っています。子どもたちが友達作りをできるように遊び場をつくったり、そこに集まった父兄で、父兄会を作るといったことをしているところです。

齊藤 仮設団地ですと、初めは知っている人が誰もいないんですよね。私の場合、「ハーイ、お姉ちゃんかわいいね!」と呼び込みスタイルで声をかけることから始めました(笑)。着ぐるみをきて「自治会長のカンタくんです!」とか。

こうやって笑いを取っているうちに、だんだんと「あの変な兄ちゃん、ごみの掃除をしていた」と、少しずつ受け入れてもらえるようになりました。「あの変な自治会長、今度はなにをやるんだろう」って(笑)。

一同 (笑)

山上 これだけ大きな団地だと、自分と同じ列に住んでいる人しかコミュニケーションがとれなくて。いまだに知らない人がたくさんいます。あとはうつ状態で、家からまったく出てこない人もいる。

中央にいた頃は、頑張っているうちに周りで見ている人が手を貸してくれて、組織が動けていました。こちらに移ってきたときは、やはりばらばらですから。まずは自分から行動して、協力してくれる人が出てくるのを待たないといけません。最初のうちは時間がかかりますね。

中野 徐々に、ゆっくりとですよね。時間はかかります。

山上 常に団地にいられるわけではないので、せめている間だけでも、できるだけ何かするようにしています。最初のうちは、例えばラジオ体操の開催などを知らせるのに、書面で呼びかけていましたが、誰も来てくれなくて。だから、「なんだこいつ、うるさいな」と思われようが構わず、ハンドマイクで呼びかけるようにしました。500世帯あるのでさすがに一人ひとりに声をかけるのは手間がかかるんですよね。

齊藤 そうそう。うちは124世帯ですがだいたい2時間半かかります。真面目に話を聞いていったら……。

中野 いくら時間があっても足りないですよね。

山上 必ずどこかで捕まってしまって。

齊藤 そうそうそう。まんじゅうとお茶がでてきて(笑)。

山上 朝から周っていたのに、気づいたらお昼を過ぎていたりする。

阿部 私がいるところは35世帯程度なので、そういう面では苦労が少ないのかもしれませんが、逆に小さすぎて、支援物資やボランティアがなかなか入ってきませんでした。そんなときに「自治会をつくらないと何も連絡がないよ」とアドバイスをもらって。まずは自治会を作るために10人くらいで寄り合うところから始めました。そうして1、2か月たったころに、連合会があるので参加してみないかと声をかけてもらいました。

ただ、これだけ小さくても、やっぱり声掛けやチラシの配布の効果はあまりありませんでした。そこで、とにかく興味をもってくれそうなことをやろうと、団地の横に花壇を作ってみたんです。そしたら、おばさんたちが苗を買ってくるようになって。花を見るのが好きな人もいれば植えたい人もいるんですね。子どもたちもトマトが赤くなるのを楽しみに待つようになりました。

中野 35世帯くらいだと、集会所はあるんですか?

阿部 広くはありませんが談話室があります。

昨日、夏祭りの手伝いにボランティアさんが来てくれるとのことで、打ち合わせをしていました。ボランティアさんがチラシを持ってきていて、そこにいた子どもたちが配りたいというので、お願いをしたら20分で配ってくれて。子どもたちは、支援物資を運ぶのも手伝ってくれます。だから子どもたちのためにも、なにかしてあげたいですねえ。

齊藤 いい子たちですね! うちは散らかしていく子はいるんだけどなあ……。

中野 これが団地ごとのニーズの違いでしょうか(笑)

サイズとしては、30~50くらいで一ブロックになっているくらいがちょうどいいのかもしれませんね。大きすぎても、小さすぎても、なかなか難しいのかもしれません。

山上 そう思って班を作りましたよ。でも、やっぱりうちは400世帯を超えているので、1列ごとに班にわけても1列100世帯。チラシを印刷するのも一苦労ですね。あまりに酷使しすぎて、うちに置いてあるプリンタは壊れてしまいました。

中野 インクの消耗も激しいし、ヘッドも壊れる。耐久品のはずが、消耗品の勢いでプリンタそのものが壊れてしまう。

齊藤 コンビニでコピーをしようとすると、あまりの数に、「お客さんすいませんが……」と言われてしまう(笑)。自分のパソコンとプリンタを壊すか、お店のコピー機を壊すか……。いまは事前に、「来月お願いします」と地元のコンビニに話を通すようにしています。

中野 回覧板だと棟で回せるので、被害額がぐんと下がりますよ。

山上 被害額(笑)

中野 だって自腹ですからねえ。キツいですよ。

荻上 自治会費からまかなっているわけではないのですね。

中野 そうです。みんな被災しているんです。自治会費なんてとれるわけがありません。もともと既存の町内会でも、会費がとれなくて苦しかったのに、こうなってしまっては絶対に無理です。

齊藤 自治会長同士で誰が一番お金を払っているか自腹選手権でもやりましょうか(笑)。

山上勝義さん

ゴールの見えない真っ暗なところ

山上 私も中央のときから考えるととんでもない額を自腹で払っていますね。活動中に車も壊れてしまいました。震災で駄目になったということで認定されましたが、けっきょく車の修理代で支援金はなくなりました。

齊藤 いっそみんなで宝くじでも買えばいいのかもしれない(笑)

山上 復興宝くじも被災者だけが買えるようになっていたらねえ。罹災証明を出すと買えるみたいな。そしたら夢も持てたんだけどなあ。

中野 でも、そういうのは大した被害を受けていない人が当たるもんなんですよ(笑)。本当に困っている人のところにはお金がいかないようになっている。いつでもそうです。

山上 いまの行政がそうなっていますよね。銀行の借入がない人や年収の高い人にはお金を出している。そういう人より、まずは本当に困っている人たちを援助して欲しい。

いまアルバイトしている人たちは、カードも使えないしお金を借りることも出来ない、そして義捐金は滞っていてもらえずにいる人です。団地のなかには、旦那さんが亡くなって、自分も怪我をしているために働けないという人が結構います。そういう人は今後どうやって暮らしていけばいいのか。

中野 知事は生活保護を受けなさいとしか言わない。

山上 私も生活保護をすすめています。でもこの間のマスコミのあの報道以降、「親戚に顔向けができないので生活保護だけは受けられない」と言われるようになりました。本当に困っている人が生活保護を受けられなくなってしまっています。手持ち数千円しかない人もたくさんいるんです。「このままだと死んじゃうよ、背に腹はかえられないよ」と説得しても、「受けられない」って。

基礎支援金が100万円、追加支援でも200万でしたね。でも、現実的にはこれでも厳しい数字ですよね。最低でも、みんなが最初の一歩をちゃんと踏み出せるくらいのお金は国で出してほしい、そう思って市長に話をしたら、ちゃんと納得してくれました。県知事の村井さんにも話をしたら、賛同してくれた。

でも復興庁に行ったら、復興大臣に蹴られてしまった。「前例をつくると、これからもやらなくてはいけない」と。驚きました。それが国の義務でしょう? なんのために税金を払っているのかわからない。

中野 前例のない被害を受けているのにねえ……。

阿部 ゴールの見えない真っ暗なところにいますよね。

山上 比較的前向きに考えて動いている私でも倒れるくらいに疲れてきています。前向きにはなれない人はたくさんいます。友達が、3人も自殺してしまいました。私のまわりだけで3人です。これ以上そんなことになって欲しくありません。

財産も家も仕事も失った人が自立できるわけがないでしょう。いま復興住宅、復興団地を作るという話がありますが、団地にいる人の中には、「ここでいい」と言っている人がいます。家賃を払う余裕がないからです。今日、明日を生きるのがやっとという人がたくさんいるんです。

県や国は、私のような人のことを「うるさいやつだ」と思っているんでしょうね。「私の責任において」なんて野田さんは言っているけど、野田さんが責任とって、具体的になにかできるんでしょうか? デモの声、人々の声を聞いて、「音がうるさい」と表現した人を信用できるはずがありません。

実際に困っている人たちを目の間にして、なんて答えればいいんですか? とにかく動かざるをえないんです。もちろん、ただの自治会長にそんな力があるとは思っていません。でも誰かが動かないとどうにもならなくなってしまう。

阿部 この前、壊れた家の解体を業者に頼んでいたけれど返事がなくて困っている、という人がいました。業者に問い合わせてみたところ、来年の4月にならないと解体できないと言われてしまって。このままだと台風で屋根がめくれて、二次災害の恐れもあります。

そのことを市役所に話したら、解体の希望であればと親切に手続してくれて、遅くても11月には解体してくれると。それだけのことですが、反応してくれると嬉しいですし、自分も少しでも誰かの手助けになりたいとますます思います。

中野 家はほっておくと危ないですよね。二次災害でこれ以上の死者をだしちゃいけないでしょう。

阿部光夫さん

真の防災とはなにか

荻上 今回の震災で見えてきた問題や反省点はありますか。

中野 一番の問題は個人の訓練です。

未曾有の大災害といいますが、今後、もっと大きなものがくる可能性は十分にあります。私もそうですが、あれほど揺れたのに、ここまで大きな津波がくるとは予想できなかったでしょう? もっと、色々なことを学んでおくべきでした。

山上 逃げているときも、どうせお腹か胸くらいまでの津波だろうと思って後ろを振り返ったら……。これはヤバいとびっくりしました。

中野 それでもちゃんと避難できている人がいました。その人は、ちゃんとどのくらいの津波がくるか予測できたのだと思います。あるいは過信せずに、出来る限り高いところに避難しようとしていた。まずは意識を変えて、今までの固定観念を捨てていかないといけないと思います。

それから「真の防災とはなにか」をちゃんと考えないといけません。今回、津波で防災無線が使えなくなってしまいました。防災のときに使えないんじゃ防災無線ではありません。いざというときにしっかり使える、有効な防災手段を考えないといけません。

阿部 水かぶってダメでしたなんて、笑い話ですよね。

中野 皆さんの団地では、いまはどのくらいの人が防災訓練に参加していますか?

山上 80人くらいでしょうか。最初に声をかけた時は50人くらいしか返事がもらえませんでした。それでは少ないと思って、例によってハンドマイクで騒いで。

中野 うちは5団地合わせても30から40人くらい。なかなか懲りないんだなあと思いました。訓練だからとおもってさぼっていたら駄目。

あと防災訓練の放送も、家にいるとまったく聞こえなくて。それじゃ意味がない。あの経験をまったく活かせていないところがたくさんあります。

齊藤 「あそこは津波こないよね」って、誰ひとりやらないところもありましたね。

阿部 怪我をして動けない人の参加はありましたか?

山上 いました。そういう人は、近所の人がおんぶしたり、車いすにのせたりして助け合っていました。

齊藤 車いすの他にも、寝たりきりのひとのための担架も必要ですよね。

阿部 昔はリヤカーを使っている人がいましたね。あと軽トラックの戸坂の上に乗っけて走ればいいと言っている人もいました。

中野 ただ、どんな人がどこにいるのか把握するのが大変ですよね。住民名簿もなかなか作れていないし。

山上 私のところは、防災訓練の参加・不参加の返事と一緒に、「近くにこういう人がいるよ」と教えてくれる人がいました。やっぱりみんなが話し合えるような場所をつくって、誰の体調が悪いのか、怪我をしているのか、互いに知っておくといいと思います。

阿部 うちは、見守りの人に、返事がなかったら隣近所の人に聞いてくださいと言っています。見守りの人はなかなか、それぞれの家の都合を把握できませんが、近所の人が知っていれば、教えることができるんですよね。

山上 見守りの人とのトラブルもあるんですよねえ。前は愛想のよい人たちだったのに、今回は事務的で世間話もしてくれないっておばさんたちから不満がでました。一度、見守りの人に「ちょっとでも話し相手になってくれるだけで全然違うんです」と話をしたんですけど。

阿部 そうそう。しかも途中で人が変わっちゃったりすると、せっかく築いた関係がなくなっちゃうんですよね。

中野 少しずつ変わるならまだしも、心を開き始めたころ全員が変わってしまったり。見守りの意味がなくなっちゃう。

山上 運の悪いことに、おばさんたちがゴミ捨て場の片づけをした翌日に、見守りの人が収集日でもないのにゴミを投げ捨てて行ってしまったことがあって。おばさんたちがゴミ捨て場の近くにいるのにですよ。それでおばさんたちに火が付いちゃって、トラブルが起きて。

齊藤 あの時の騒ぎはそれだったんですね。

齊藤秀樹さん

適切な支援の方法

荻上 ほかに、支援の面では、どんな失敗がありましたか?

中野 自分が見た範囲ですが、物資の配り方はかなりずさんでしたね。ばたばたしていたので仕方ないところもあるのかもしれないけれど、点数制限を設けられていなかったために、最初のほうに並んでいる人がありったけもらっていってしまい、ずっと並んでいた後ろの人たちはなにも貰えずに帰るはめになっていました。配布している側が、早く帰りたくて適当に配っちゃうんですよ。

大きな被害を受けた人は、ずっと片づけをしているから、配給物資を貰うために並べないんです。そこでも本当に必要な人に届かないで、大した被害を受けていない人がどっさり持って行ってしまっていたり。あとから物資配給カードが作られましたが、最初にやるべきことだと思います。

罹災証明を、物資配給カードの代わりにしてもよかったと思います。罹災証明には全壊・半壊・一部崩壊と区分けがされているので目安になるでしょう

山上 うちは自衛隊に物資を一括でもらって、配給は自分たちでやっていましたね。配給カードも早い段階で配れました。

ピークの時には1000人以上の人が配給や炊き出しに並んでいました。さすがにこの人数は手に負えないので、しっかり区画を決めて、一人ひとりどこから来たか聞き、他の区画から来た方には、申し訳ないけど帰ってもらいました。「自治会がないなら役員を決めて始めてください、うちで見られる範囲は限られています」って。そうでもしないと、とてもじゃないけどできませんでした。

阿部 うちは学校に200人ほど避難してきて。炊き出しの訓練をしたことがなかったのですが、生協の人と民生委員さんが交代でやってくれました。あと農家の人たちが、味噌汁やおにぎりを出してくれたり。

山上 生協からきた食品はしっかりしてましたよね。

中野 やっぱりこの国で餓死することはなかなかないですね。

山上 グループで主導して、丁寧に分配したのは正解だったと思います。そういう体制を作っておく必要がありますね。

自衛隊の撤退

山上 自衛隊と米軍の海兵隊はすごかったですね。3ドアの冷蔵庫をひとりで軽々もちあげていた。私も空手をやっていたので、パワーはあるほうだと思っていますが、まったく太刀打ちできませんでした(笑)。あれはかなり助かった。

阿部 私たち市民がいくら訓練しても、できないことはいっぱいあります。そういう意味で、自衛隊はすごく助けになりました。精神的に頼りにしている人もいっぱいいたから、もう少し長いこといてくれたらよかったんですけどね。国防の問題などいろいろとあるのでしょうけど。

中野 自衛隊の人も「もっとやるべきだ」と思っている人がいましたよ。0か1かじゃなくて、段階的に撤退してくれてもよかったと思います。あとは重機を残していってもらえると助かります。

齊藤 お風呂を仮設に寄付して欲しかったなあ。いまでもお風呂が欲しいと言っている人がいますよ。

山上 うちは市役所に頼んで町の中にお風呂をつくってもらいました。ただ自衛隊が急に撤退してしまって、自衛隊のお風呂を利用していた人がこっちにきて。地元の人が入れなくなるくらいに混んでしまいましたね。

国の補助がなくなってなくなってしまったし、ボランティアのお風呂も7月10日で終わっちゃった。お風呂に入りたい人はまだまだいたんですけどね……。

阿部 お風呂もそうだけど、燃料の確保にも苦労しましたねえ。ガソリンが全然手に入らなかった。

山上 どこの大臣かわからないけど、というか石巻出身のとある財務大臣ですけど、学校のプールにガソリンをいれて使おうなんて言っていましたよね。まともじゃない。あれを聞いて、先行きが不安になりました。

これからの課題

荻上 必要だと思う支援、必要ないと思われる支援をふまえ、今後の課題をお聞かせください。

齊藤 なんらかのかたちで活用できているから、無駄な支援というのはない気がします。

山上 やっぱりいま必要なのは一歩踏み出すための支援ですね。普通の生活に戻れるようになることが一番です。

齊藤 やっぱり仕事は欲しいですよね。仮設のおばちゃんたちができて、ある程度しっかり稼げるもの。例えば、漬物をつけて、加工をして、パッキングする。価格が500円だったら、250円は団地に給料になるような支援だったら、4~5万円は稼げるんじゃないかなあ。

阿部 そこで問題なのは、内職をやっても、販売ルートがなければ売れないことです。ちゃんと販売ルートを確保してからでないと意味がない。

中野 そうそう。作り出してからどこに売ろうかじゃなくて、先に販売ルートが確保されてないといけない。

齊藤 販売側がちゃんと6000個なり8000個なり商品をおいてくれる売り場コーナーを設けてくれて、生産を仮設にお願いしてくれるといいですよね。あとは手芸が得意な人は手芸を、パック詰めがいいという人はパック詰めをできるように、適性を見極めながらできたらベストですね。

阿部 奥さんたちもパートで働きに行くと燃料代がかかっちゃうんです。だけど、時給が安くても家でできれば、子どもやお年寄りも世話をしつつ働けるからいいですよね。

山上 うちは朝から晩まで動きまわっていて自分の時間がまったくないので仕事ができません。いまは妻のパートでなんとか食べられている状態です。

齊藤 だから、例えば1個300円で、作った分のお金がもらえたら、子どもにも手伝ってもらって、一緒に働けるじゃないですか。連合会の活動資金にもできるかもしれない。

中野 いまは助成金でなんとかしているけど、持続性がないんですよね。大事なのは持続性でしょう。

山上 どんなかたちでもいいですから、とにかく希望が欲しい。ちゃんとした光を示してほしい。それがないから、みんな疲れているんです。希望の光があればみんな頑張れると思います。

荻上 みなさんの貴重なお話によって、多くの課題が見えてきたように思います。本日は本当にありがとうございました。

(2012年7月24日石巻市内仮設住宅にて収録)

プロフィール

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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