2013.01.24

歴史の実相を伝える多元的デジタルアーカイブス 

渡邉英徳 情報デザイン / ネットワークデザイン / Webアート

社会 #震災復興#Google Earth#TUVALU VISUALIZATION PROJECT#Nagasaki archivi#Hiroshima Archive#デジタルアーカイブス#東日本大震災アーカイブ#マスメディア・カバレッジ・マップ

パソコンひとつあれば、世界中のどこでも見に行けるGoogle Earth。しかしそんなGoogle Earthにも見ることのできない風景があった ―― Google Earthに異なる視点の情報を加えることで、数多くの情報を可視化することができる。東日本大震災ではさまざまな情報が錯綜し、いま、どこで、なにが起きているのかを把握することが非常に困難であった。あのとき、いったいなにが起こっていたのか、そして今後、あふれる情報をどのように活用すればよいのか。震災前よりGoogle Earthを活用し、情報の可視化を行ってきた渡邉英徳氏の講演を掲載します。(構成/金子昂)

異なる視点の相互補完によって見えるもの

こんにちは。渡邉英徳と申します。

早速ですが本題に入ります。皆さんはGoogle Eearthを実際に使ったことはありますか? Google Earthとは、衛星写真を使って世界中を俯瞰できるサービスです。今日はGoogle Earthを使用しながら、震災に関するぼくのプロジェクトをお話しようと思います。

2005年にGoogle Earthがリリースされたとき「こんなにも何もかもが見られるのか」と感動したことを覚えています。しかしGoogle Earthでも見られない風景はあります。それは、経験や感情の異なる一人ひとりが見ているそれぞれの風景です。このような風景をGoogle Earthで見ることはできないものかと考え、2006年に全国でお花見をした人に桜の写真を撮ってもらい、さくら前線の予想図を重ねたGoogle Earthに一枚ずつ載せてみました。つまり開花予想情報と、実際にさくらの開花が北上していく様子を可視化してみたわけです。すると予想情報と実際の開花には多かれ少なかれズレが生じていることがわかりました。

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このようにトップダウンの視点に、ボトムアップの情報を組み合わせることで、相互を補完するコンテンツが作ることができるわけです。この結果を受けて、次に夜間の明かりを可視化してみました。

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日本海に注目しながら時間軸をずらしていくと、海にある光の帯が、秋から時間が経つに従って南下していく様子がわかります。この光の帯は漁船の漁火。Google Earthだけでは魚群を見ることは出来ませんが、夜間の明かりを可視化することで、人々の営みを通じて魚群の動きが分かります。二重のステップの可視化が可能になるわけです。

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TUVALU VISUALIZATION PROJECTとは

2010年にあるパーティーで、海面上昇問題で有名なツバルで活動されている写真家の遠藤秀一さんと話をする機会がありました。ぼくが軽い気持ちで「ツバルって海面上昇で大変な国ですよね」と話したところ「その話し方には違和感がある。渡邉さんはツバルについて他になにか知っていますか?」と問われてしまいました。

先ほどのさくらの話を思い出してください。ニュースで開花予想情報を知ったからと言って、実際の開花の様子を把握したことにはなりません。マスメディアがたまたま報道した「海面上昇」というトピックにぼくは飛びついてしまって、他の情報はまったく把握していなかったわけです。その後、遠藤さんと意気投合し、一緒に何かしたいと思い、TUVALU VISUALIZATION PROJECT(http://tv.mapping.jp/)を始めました。このサイトでは、ツバル諸島のヌクライナ島に住む400人全員の顔写真を見ることができ、また一人ひとりのお顔をクリックすると、ポートレイトとその方のお話を読むことができます。

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ツバルに住む人々はいったい何を話しているかを見てみると、比較的年配の方は海面上昇についてのお話をされていますが、若い世代の方は「服が大好き」とか「野球選手になるんだ!」とか日本の子どもと変わらないことを言っています。ぼくらが勝手にイメージしている、一年中海面上昇に怯え暮らしていう悲しい国ではないんですね。

こういったマクロとミクロの視点が相互補完することで、国対国の視点だけでなく、世界中の方が個人で議論を始めることができるのではないでしょうか。

Nagasaki archiviとHiroshima archive

次にご紹介したいのが、いま紹介したTUVALU VISUALIZATION PROJECTを見た長崎出身の被爆三世の若者、鳥巣智行さんから、「ツバルと同じような仕組みで長崎での原爆体験を後世に残したい」というメールをいただいたことから始まったNagasaki Archive(http://nagasaki.mapping.jp/)というサイトです。

こちらのサイトも先ほどとコンセプトは同じです。長崎の原爆死者7万人というマクロな情報だけでなく、一人ひとりが、どのような体験をしたのかインターネット上に集約し、誰でもアクセスできるようにしました。Nagasaki Archiveでは、当時の様子がわかる写真を、現在の写真に重ね合わせてみられるようにしました。今まで長崎の当時の様子がわかる写真は資料館や図書館で閲覧できるのみでしたが、現在の風景を重ねあわせると、現在の、どの街のどのあたりで撮られたのかがよくわかるようになっています。

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このような方法をとれば、一人ひとりの長崎原爆、一枚一枚が物語る長崎原爆を多角的に伝えられるはずです。

Nagasaki Archiveは公開後に一日で20万ものアクセスがあり、話題になったこともあり、今度は広島の被爆二世、石堂めぐむさんから「広島版を是非作って欲しい」と連絡がありました。そこで同様にHiroshima Archive(http://hiroshima.mapping.jp/)も昨年の3月11日に作成しました。このサイトが今日のメインテーマに繋がっていくのですが、まずはHiroshima Archiveの紹介をします。

基本的にはNagasaki Archiveと同じですが、Hiroshima Archiveの場合は、動画による証言を提供していただいた点が、今までご紹介してきたサイトと違います。このサイトについては技術面ではなく、地域の方との協力についてお話をしましょう。

Hiroshima Archiveを制作する際、私たちのような専門家以外に地元の先生方のご協力のもと,高校生をメンバーに迎え入れるという冒険をしてみました。理由は、ご証言くださる皆さんのお話を高校生に聞いてもらうため。このアイディアは、実際に私が、広島の資料館などに協力のお願いをしたとき「なんで東京の先生がでしゃばってくるんだ」という反応をされてしまった経験から生まれた発想です。もしプロのインタビュアーがマイクを突きつけて話を聞きにいったら、きっと取材を引き受けてくださらなかったと思います。でも高校生たちがインタビュアーとして、お話を聞かせてもらいに行くと、ご証言くださる皆さんが、お孫さんとお話しするように心を開いて、優しく話してくださったんですね。

Hisoshima Archiveを通して感じたことは、Google earthはただのインターフェースであって、重要なことは、地域の方々が記憶のコミュニティを作っていくことです。原爆について、当時を知る方が徐々にいなくなってしまう中で誰かがその記憶を残さないといけません。これは東日本大震災にも言えることでしょう。

情報を重ね合わせ、可視化し、再検討する

徐々に、いま福島で起きていることに重ね合わせた議論に移っていきます。

広島で黒い雨が降ったと言われる範囲には、国が主張するものと県や市が主張するもの、2つの範囲があります。ぼくがHiroshima Archiveでやりたいと思っていることは、まだまだ証言が足りないですが、「ここでも黒い雨を見た」という証言を多く集めて、2つの範囲を再検討することです。

東日本大震災でも再検討の必要があるものはたくさんあるでしょう。例えば、東日本大震災発生後、原発事故が起き、「何キロ以上の地区は避難しろ」といった報道がされていました。しかし報道でみられる地図は、丸が2つ付いているだけの大ざっぱなものばかりで、自分が住んでいる地域が該当するのか確認できないものでした。そこでもっと詳細な地図を作りたいと思い、twitterで「誰か原発から20km30km範囲のデータを送ってくれないか」と呼びかけてみました。すると、これまで直接お会いしたことがなかった4人のエンジニアの方が、それぞれデータを送ってきてくださいました。そのデータを使って作ったマップを公開したところ、一週間に210万ものアクセスがあった。これだけのアクセスがあるということは、それだけニーズがあったということを物語っているのだと思います。情報の出し方が本当に正しかったのかを検討することで、次の震災に備えることができるかもしれません。

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それからHONDAが発表していた、前日に、車がどこを走ったのかわかる通行実績情報と避難所の位置などの情報を集めて、マップに重ねることによって、震災後、通行止めなどによってわかりにくかった交通事情を可視化し、避難所に行くための最適な道を見えやすくしました。

一連の動きでぼくが誇りに思っていることは、MITの石井裕先生が、海を超えてツイッターで言及してくださったこと。そして嬉しかったことはGoogleやYahooがぼくの後を追って、運用してくれたことです。

ソーシャルメディア上に証言を残していく

もう個人ベースのミッションは終わったと去年の秋頃に思い、次に東日本大震災アーカイブ(http://shinsai.mapping.jp/)を作り始めました。このサイトもNagasaki ArchiveやHiroshima Archiveと同じような作りになっています。

被災者の皆さんに、被災当日のことではなく、今後どんな生活がしたいかを証言していただき、マップ上で見られるようにしています。これらの証言は朝日新聞社さんに提供してもらいました。また、twitterの当時のツイートからランダムに抽出したものをマップ上に重ねています。

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もうひとつ今までのアーカイブと違う点は、21世紀に起きた災害ならではですが、例えば陸前高田市の360度パノラマ画像が見られるようになっていること。

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これは3月27日にパノラマジャーナリストの二宮章さんがいち早く現地に入られて撮った、津波が来た直後の状況を記録した貴重な画像になります。

震災の悲惨さを伝えることも大切ですが、それと同じくらい、ゆっくりと着実に復旧・復興していく姿も伝えていく必要があるとぼくは思い、復旧後の写真も見られるようにしています。

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これからの時代はソーシャルメディア上に証言を残していく時代なのかもしれません。

東日本大震災ビッグデータワークショップ

2012年10月に、GoogleとTwitter主催による「東日本大震災ビッグデータワークショップ」が開催されました。このイベントでは、震災以降に蓄積さえた膨大な情報を、復興に携わる様々な方々に提供し、それらの情報に対して、我々は何が出来るのかを議論しました。

ぼくもこのワークショップに参加し、幾つかのプロジェクトを試みました。まずひとつが、東京大学の早野龍五先生と一緒に取り組んだ「放射性ヨウ素拡散シミュレーションのマッシュアップ」。これは風向きによって変化していく放射性ヨウ素の拡散予測を時間軸に沿ってシュミレーションしたものです。あるひとつの機関の予測値では信憑性が低いため、4つの機関による予測値と、ゼンリンデータコム提供の混雑情報などをマッシュアップしています。

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今後、福島県で若年層の甲状腺ガンが多発した場合に、国が全額を補償する法律を議員立法で作ろうという動きを早野先生が進められています。ぼくはこの動きに直接かかわることができないので、このシミュレーションを作ることで、法律を作る際の判断材料にしていただくこと。また、このシミュレーションを見た人が、福島県で起きたことに関心を持っていいただくきっかけになればと思っています。また、できれば今後チームを組み、全国の原発でシミュレーションを作成していきたいと思っています。

今回、公開されていない情報があったことが問題となりましたが、このシミュレーションをリアルタイムで公開することで、万が一の事態が起きた場合に、どの方角に避難すべきか判断する材料になればよいと考えています。さらに先ほど紹介したHONDAの通行事情情報を重ねることで、より有用な情報にしたいとも思っています。

情報を補完し、震災に備える

また震災発生から24時間以内に、NHKと民放の放送局がどの地域を報道したかマップした「マスメディア・カバレッジ・マップ」も作成しました。

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これを見るとわかるように、東北の沿岸部はほぼ網羅されていますが、内陸部や被害の大きかった茨城、千葉はあまり報道されていません。これは限られた時間で放送しなければいけないTVの宿命でもあるのでしょうが、震災から一週間分の放送地点の情報を重ねてみても、やはり報道されていません。

このマップに、気象予報サービスのウェザーニュース社がユーザーから集めた減災リポートを重ねてみましょう。

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茨城県鹿嶋市には「一部道路は陥没あり。護岸通りは波打っている」といった情報があります。このようにTVでは報道されませんでしたが被害は大きい地域もありました。

頻繁に報道される特定の地域には支援が集まり、報道されないけど被害の大きい地域は支援が集まらない可能性は十分に考えられます。これはマスメディアの責任が問われる場面でしょう。今後、マスメディアの情報をインターネット上で、リアルタイムで重ねることのできる相互補完的なウェブサービスの作成を目指して共同研究をしたいと思っています。

今までご紹介したようなサービスがあれば、実際に何人もの命を救えたと思います。ぼくにできることは、今日お話してきたように、三次元で閲覧出来るプラットフォームを作り、様々な情報をマッシュアップして実用化していくことです。しかしぼくの手元には情報がない。であるならば、情報を持っている方々と協力していく必要がある。

また現段階では、Hiroshima Archiveのような地元の人たちへの聞き取りができていないので、来年以降、地元の学生と共同で証言の聞き取りをしていきたいと考えています。ミクロとマクロの視点を組み合わせること、そして多くの方と協力することで、必要な情報を可視化し、震災に備えるためのお手伝いができればと思います。

(2012年12月4日 都立産業技術研究センターにて)

プロフィール

渡邉英徳情報デザイン / ネットワークデザイン / Webアート

情報デザイン、ネットワークデザイン、Webアートを研究。「ヒロシマ・アーカイブ」「東日本大震災アーカイブ」(2011年)「Nagasaki Archive」(2010年)、「Tuvalu Visualization Project」(2009年)など。沖縄県「沖縄平和学習アーカイブ」(2012年)では総合監修を担当。1996年、東京理科大学理工学部建築学科卒業(卒業設計賞受賞)、98年同大学院修士課程修了。2001年より株式会社フォトン代表取締役社長(現スーパーバイザー兼取締役)。2008年より首都大学東京システムデザイン学部准教授、2010年より同大学院システムデザイン研究科准教授。

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