2011.05.18

「ポルノウィキリークス」の衝撃/「ポスト・ウィキリークス」社会の個人情報と人権

小山エミ 社会哲学

情報

ウィキリークスが切り開いた新しい社会

政府や大企業のもつ機密文書を広く一般に公開するために設立されたウィキリークスが、米国外交文書などをそれまでなかった規模で暴露し、国際的に大きな注目を集めたのは、昨年の夏から秋にかけての頃だった。当初、それらの文書が公開されれば、米国やその他各国の外交的利益が損なわれるだけでなく、文書のなかで言及されている人権活動家の情報などが抑圧的な政権に知られてしまうことにもなり、かれらに危害が加えられることを懸念する声もあった。しかし実際のところ、ウィキリークス自身が何もかも片っ端から公開するのではなく、既存メディアのジャーナリストと協力し内容を吟味したうえで公開する方針をとったこともあり、懸念されたほど大きな弊害は起きていない。

結局、ウィキリークスが公開した文書には、国際記事を普段から読んでいる人なら「政府はそう表立っては言わないだろうけれども、まあそういうことなんだろうな」とあらためて納得させられるような内容が多く、意外性のある暴露はそれほどなかったように思う。あれだけ大きな衝撃をもって受け取られたわりには、これまでのところウィキリークスの直接の影響の大半は、一部の政府要人や外交関係者が恥をかいただけで終わっている。

ところが三月末、ウィキリークスとはまったく別のところで「ウィキリークスが切り開いた新しい社会」が牙を剥き出した。ウィキリークス本家とはまったく無関係だが「ポルノウィキリークス」を名乗る匿名の人物もしくはグループが、医療機関から流出したと思われる性病検査データベースなどをもとに、米国においてアダルトビデオに出演している、あるいはしていたことのある数万人もの男女俳優の本名やその他の個人情報を暴露するサイトを設置したのだ。

ポルノウィキリークスとは?

サイト自体はインターネット上の百科事典・ウィキペディアと同じシステムを採用しており、誰でも自由に内容を追加したり、過去の編集履歴をみたり、ある項目について議論を行なったりすることができる。

もっとも数万件あるポルノ出演者のページのほとんどは、ある出演者の芸名と本名を結びつけるかたちで事実として記載されているだけだ。しかしポルノ出演者や元出演者たち、とくに女性にとっては、出演時の芸名と自分の本名が結びつけられて誰でも閲覧できる状態になっていることは、たとえ数万件あるページのうちのひとつでしかなかったとしても、身体的な危険を感じるのに十分だ。

当然、多くのポルノ出演者たちは、公式サイトやツイッターなどにおいてこのサイトを一斉に非難した。また、サイトの掲示板に直接出向いて個人情報を削除してくれと書き込む人や、誰でも編集できるのを利用して自分の本名を記事から削除する人もいた。

しかしそのような行為はサイトへの攻撃とみなされ、逆にサイト運営者やその支持者らによって、住所や家族構成や犯罪歴の有無やポルノ以外の経歴などの個人情報を詳しく調査・暴露されたり、出演していたアダルトビデオの静止画をアップロードされるなど、さらに集中的に嫌がらせを受けることとなった。公開しているわけではない個人情報を一方的に晒されたあげく、泣き寝入りするのがいまのところ最善の対処というのが現実だ。

ゲイポルノ男優たちへの敵視

サイト運営者によれば、このサイトから個人情報を削除する方法は非常にかぎられている。まず第一に、アダルトビデオに出演しようとしたことがあるためにデータベースに名前が掲載されてしまったが、実際には出演したことがない人は、そう申し出れば個人情報を削除してもらえる。ただし虚偽によってそう申請した場合は、容赦なくさらなる個人情報を暴露されることになる。第二に、アダルトビデオに出演したことがあるけれどもすでに引退している人については、かれらの主張に同調することを示せば削除するという。

かれらの主張とはなにか。同性愛者やユダヤ人に対する読むに堪えない差別的表現をなんとかスルーしつつ読み通してみたところ、次の通りらしい。まずかれらは、アダルトビデオやポルノに反対ではない。このインターネットが一般化した時代に、ポルノに出演したことのある人たちが、その後過去を隠して生きられるなどと思うなよ、とはいっているものの、ポルノ出演者にとくに敵意を抱いているわけではなく、むしろポルノ女優には感謝しているという。

かれらがことさら敵視するのは、ゲイポルノに出演している男優たちだ。ゲイ男性向けのポルノと異性愛男性向けのポルノの両方に出演する男優がいるせいで、ゲイ男性向けポルノの業界から異性愛男性向けポルノの業界にエイズがもたらされ、すべてのポルノ俳優の健康が脅かされている、とかれらは主張している。

異性愛男性向けのポルノを制作する業界では、アダルト業界専門のクリニックによる徹底した検査によって、二〇〇四年に一度HIV感染が起きたほかは、これまで長いあいだHIVの蔓延を防いできた。しかし、昨年ふたたびその検査によってある男優のHIV感染が確認された。そのさい、感染した男優の名前や、過去数週間のあいだにかれと撮影をともにした(すなわち、かれから感染したおそれのある)俳優たちのリストは公表されなかったが、それらの情報をどこからか入手してインターネット上で公開したのが、「ポルノウィキリークス」の前身にあたるウェブサイトだった。男優は、ゲイ男性向けのポルノにも出演歴があった。

HIV感染への異なった防御策

ここでいうアダルト業界専門のクリニックは、米国において(ネット上の動画を除く)アダルトビデオの大部分が制作されるカリフォルニア州サンフェルナンドバレーに存在している。サンフェルナンドバレーは有名なロスアンヘレス地域の中心部であり、ポルノ業界の中心地でもあることから、「ポルノバレー」あるいは「シリコーンバレー」(テクノロジーで有名な「シリコンバレー」と、豊胸手術に使われるシリコーンジェルをかけている)の異名もある(地元住民は普段ただ「バレー」と呼ぶが)。

このクリニックでは、異性愛男性向けポルノ業界で働く男女の俳優たちほぼ全員の性病検査とその結果を−−直接行なっているか、他のクリニックで行なわれた検査の結果を登録しているかは別として−−一括管理している。

クリニックは異性愛男性向けアダルトビデオ業界の主だった制作会社と協力関係にあり、これらの業者の作品において仕事をもらうには、クリニックによりHIVに感染していないと認定されなければいけない(ただし他人との絡みが含まれない撮影はこのかぎりではない)。定期的な検査によってHIV感染が確認された場合、過去にさかのぼって感染の可能性がある俳優がリストアップされ、感染していないことが確認されるまではかれらは次のビデオに出演することができなくなる。こうした仕組みによりHIV蔓延は防げるとして、業界はコンドーム使用の義務化を長年退けてきた。

いっぽうゲイ男性向けポルノの業界では、まったく違った慣行が存在している。ゲイ男性向けのアダルトビデオにおいては、出演者がHIVに感染しているおそれがある、という認識があたりまえに共有されており、むしろコンドームの使用が標準だ。そのかわり、クリニックにおける一元的な健康管理は行なわれておらず、コンドームさえつければHIVの感染の有無を確認せずにポルノへの出演が可能だ。しかしコンドームは完全ではないし、なかにはコンドーム使用すらしない撮影現場もあるため、HIV感染は起こりうる。

このように、異性愛男性向けポルノの業界と、ゲイ男性向けポルノの業界では、HIVという危険に対してそれぞれ独自の慣行が自然発生的に発達してきたが、ある日クリニックで性病検査を受けた男優が、次の日にはコンドームをせずにゲイ男性向けポルノに出演し、そのまた次の日には異性愛男性向けポルノで女優と共演するというような状況は、それぞれの業界における個別の慣行が想定していなかった事態であり、改善の余地があるだろう。いまのままではアダルトビデオ出演者の健康が守られない、という批判はあたっている。

問題を深刻化させた「子どもの性的搾取防止」をかかげる連邦法

その点、「ポルノウィキリークス」運営者の主張にいくらか正当性があることを認めたとしても、それと「手に入るかぎりすべてのポルノ出演者の個人情報を暴露する」という行動は結びつかない。

今回公開されたデータの元がクリニックの医療記録だとすると−−それ以外にポルノ出演者の個人情報が入っているこれだけ大きなデータベースはありえない—たんにサイト運営者が「秘密主義で無責任だ」と批判するクリニックを困らせるために、出演者の個人情報を利用しているだけのように思える。現にそれらの情報がサイトに掲載されてすぐ、クリニックは施設改装のためという口実でしばらく閉鎖されてしまった。

しかし医療記録の公開から「クリニックへの嫌がらせ」という意図を読み取ったとしても、それでも説明がつかないことがある。それは、医療記録に追加して、医療記録には記載されていないはずの個人情報(たとえば住所)や、ポルノ出演者たちの運転免許証のコピーまでもが公開されていることだ。これらの情報はクリニックのデータベースにはそもそも保存されておらず、クリニックが情報源とは考えにくいのだが、いったいどこから流出したのか?

じつはこれらの個人情報流出には、十八歳未満の未成年がポルノに出演する(させられる)ことを防ぐために制定された、「子どもの性的搾取防止」をかかげる連邦法が関係している。この法律により、アダルトビデオ制作者はすべての出演者の年齢を確認することが義務づけられており、そのさい書類への記入・署名とともに運転免許証やパスポートなど身分証明書のコピーを保存するよう決められている。もともと未成年のポルノ出演を防ぐために制定された法律であり、性労働者の権利を保護することは意図されていないため、個人情報保護の規定はとくにない。

それだけならまだ個別の業者が、自社の作品に出演した俳優の身分証明書のコピーを保存しているだけで済んだのだが(もしそれが公開されたら、どの制作業者から流出したのか即座に特定される)、この規制がDVDディスクそのものの製造、あるいは映像をインターネットで配信する業者など、直接撮影した業者だけでなくさまざまな関係者も対象としていることが、問題を深刻化させた。

ある作品に出演している俳優の個人情報や運転免許証のコピーを入手するには、制作会社になんらかの商売を持ちかけるだけでよい、というお手軽さだ。しかも、ポルノに出演しようとする十七歳や十六歳の未成年は、偽造免許証を使うなり、姉や別人になりすますなどして、簡単に「十八歳以上」の年齢を示す身分証明症を提示することができるので、そもそもこうした法律が未成年保護のために有効かどうかも怪しい。

法的に追いつめることは困難

法律の話をするならば、ポルノ出演者たちがサイト運営者を裁判に訴えることはできるのだろうか?米国政府が本家ウィキリークスをあれだけ徹底的に攻撃する姿勢をみせながら、いまだにウィキリークス創始者ジュリアン・アサンジを法的に追いつめることができていないのと同じ理由で、「ポルノウィキリークス」運営者を法的に追求するのも困難だ。

まず第一に、サイト運営者が米国国内にいるとはかぎらない。国によって個人情報保護の法律は違うし、米国にいない相手を仮に米国で訴えてもそもそも訴えが認められるかどうか分からないうえに、勝ったところで実効性が期待できない。とはいえサイト運営者が住んでいる国で裁判するのは、コストがかかりすぎて現実的ではない。

第二に、もしクリニック内部の人がデータベースをリークしたのであれば個人情報保護法の対象となるが、流出したデータを受け取って公開しただけのサイト運営者の責任は問えない。サイト運営者を追いつめるには、サイト運営者自身が流出に関与したと証明しなければいけないが、これは困難だ。米国政府も、ウィキリークスに非公開文書を流出させたとされるブラッドリー・マニング上等兵は逮捕したものの、アサンジらウィキリークス側がマニングに犯行をうながしたとは証明できずにいる。

第三に、ある芸名で知られている人の本名はこうである、という記事は、たんなる事実の指摘にすぎないのであって、誹謗中傷や名誉毀損とは米国では認められないであろうということ。もっとも個別のページには、特定の俳優がHIV感染者だとか、ある女優はポルノに出演しているだけでなく売春婦でもあると書かれていたりするので、もしそれらが事実でなければ賠償請求は認められるかもしれない。しかしそれでは個人情報のすべてを削除させることも、サイトそのものを閉鎖させることもできない。

インターネットとウィキのある社会における人権擁護

それでも訴訟社会の米国のこと、近いうちに何らかの裁判は起きるだろうし、もしかしたら新たな法理論を採用することによって(あるいはサイト運営者側の自滅によって)サイトを閉鎖に追い込むことができるかもしれない。

けれども、ウィキリークスが開き、「ポルノウィキリークス」が一度通ってしまった扉は、もう閉ざすことはできないだろう。性労働者だけでなく、性的少数者、精神科を受診している人や犯罪歴がある人、日本なら被差別部落の出身者や日本名を使っている在日コリアンなども含めて、個人にまつわる事実がありのまま公開されるだけで−−すなわち、とくに嘘をついたり本人に不名誉な悪口を書かなくても、「○○○は×××である」という、それ自体は本来どうってことないはずの事実が書かれるだけで−−第三者による身体的危害や差別的な扱いが引き起こされかねないのが現実だ。

そういう世の中になってしまったことを踏まえて、また政府がそれに便乗してウィキリークスのような新しいジャーナリズムの試みを弾圧する口実にしないように注意しつつ、インターネットとウィキのある社会における人権擁護についてあらためて議論したほうがよさそうだ。

また、未成年の性的搾取を防ぐことを意図された法律が、多くの性労働者たちの安全とプライバシーを脅かしているだけでなく、実際に未成年の性的搾取を防ぐことには役に立ちそうもないという事実は、「子どもを守るため」という口実で提案されるさまざまな規制−−最近では、たとえば東京都の改正青少年健全育成条例−−に対して、目的の正しさに惑わされずに、実際にそれがもたらす影響をきちんと検証する必要があることを示している。

プロフィール

小山エミ社会哲学

米国シアトル在住。ドメスティックバイオレンス(DV)シェルター勤務、女性学講師などを経て、非営利団体インターセックス・イニシアティヴ代表。「脱植民地化を目指す日米フェミニストネットワーク(FeND)」共同呼びかけ人。

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