2016.03.02

特集:臓器

荻上チキ責任編集 α-Synodos vol.191

情報 #αシノドス

1.小池寿子氏インタビュー 中世は解剖学と芸術の蜜月だった――芸術からみる内臓

内臓と美術?と思われるかもしれませんが、実は中世では解剖のスケッチを画家がするなど、解剖学と芸術は密接にかかわっていました。絵画とともにインタビューをお楽しみください。

◇恋人が剥製に!?

――本日は『内臓の発見』をご執筆された小池寿子先生にお話を伺います。先生は西洋美術史がご専門ですが、なぜ内臓に興味を持ったのでしょうか。

父が医者だったので、家には医学書や解剖学書が多くあり、また、いつも病気や患者の話をするなど、病気と死について慣れ親しんだ幼少期を送ったからだと思います。

とはいえ、すごく内臓が好きなわけではありません(笑)。どっちかというと、「乾きもの」の骨の方が好きですね。もともとスポーツ選手を目指していたこともあって、人間の身体に興味を持っていました。こうした幼少期以来の環境も手伝い、美術史を学び始めても、人体構造や解剖学にも関心が及んで、いろいろ画像資料や文献を集めていくうちに内臓の美術史について書いてみようと思い立ちました。

――内臓と美術は相反するものに感じるのですが?

そんなことはありません。解剖が行われ始めた中世からルネサンス期では、写真がなかったので、臓器がどのような形をしているのか、解剖に立ち会って、デッサンしたのは画家でした。画家自身も人体への興味がありますから、引き受けていたのでしょう。たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチは、自身で解剖し、それを克明にデッサンしています。

つづく17世紀、18世紀は、博物学の時代、そして医学の発展の時代だったので、人体もその好奇心の対象となりました。異国の貝殻や植物を収集したり、また動物などの剥製をつくって、珍奇博物館のように展示する王侯貴族がいたのです。

たとえば、パリにあるアルフォール獣医学校では、18世紀のロココの画家フラゴナールのいとこである、獣医オノーレ・フラゴナールの名前が冠された「フラゴナール博物館」が設置されています。彼は主に馬の解剖を手がけましたが、解剖用の標本に色をつけ、オブジェとして飾っていたのです。一種の芸術と言えるのかもしれません。

しかしフラゴナールの異質な点は、動物だけではなく、人間も剥製にしたところです。剥製は、人間の体の中から腐りやすい内臓をとってしまって、血液を抜き防腐液を入れる。防腐液に赤や青の着彩を施し、適度に干からびさせる。有名な「黙示録の騎士」では、半ミイラ化した死体を半ミイラ化した馬に座らせ展示しています。需要があったということでしょう。

また、フラワー・アレンジメントのように配置した臓器や、胎児の剥製もあります。パリへいったら是非ご覧ください。ただ、かなり悪趣味と思うかもしれません。

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――この剥製にされたのはだれだったのでしょうか。

フラゴナールの婚約者らしいという説があります。まぁ、ロジェ・グルニエの『フラゴナールの婚約者』という短編小説なので、真偽のほどは不明です。フラゴナールの恋人が、親に結婚を反対されたのを悲観して若くして死んでしまったので、彼女の姿を永遠にとどめたくて剥製をつくったといわれています。

ともあれ、当時は解剖学が発達していない時代ですから、どうやってつくられたのかはまだ解明されていません。血液の代わりに入れている液体もよくわからないようです。眼は琺瑯を入れていて、アレンジを加えています。臓器をあえて残している。本当に死んだ人の身体を処置したのか、という問題もあります。

――こわい……。

フラゴナールは24体の人体オブジェをつくったといわれています。博物館はフランス革命期に道徳的な問題で閉館し、こうした人体オブジェは捨てられてしまいました。19世紀になると、写真が登場して解剖学書も刷新されてゆき、解剖と芸術は離れていってしまいます。……つづきはα-Synodos vol.191で!

2.山崎吾郎 社会論としての臓器移植

臓器移植を受けた患者(レシピエント)は、「夢の中にドナーがでてくる」と話します。臓器をやり取りした二人の間にはどんな関係性が広がっていくのか。

◇贈与の精神

臓器のやり取りについて考えるために、一つの例え話を紹介することからはじめよう。フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースが、南フランスの安レストランでよくみられる光景として記した、次のような描写である(※1)。

見知らぬ二人の人間がテーブルを挟んで向かい合わせに座っており、料理を注文すると、中身の質はさして変わらないワインの瓶がそれぞれ目の前に運ばれてくる。するとすぐに、一方が相手のグラスに自分のワインを注ぎ、今度はお返しとばかりに目の前のグラスに相手のワインが注ぎ返される。

このとき、注がれたワインの量はほとんど同じで、中身もほとんど変わらない。このやり取りは、経済的な観点からみれば、どちらが得をしたのでもなく、どちらが損をしたのでもない、等価な交換のようにみえる。日本の居酒屋でもみられる光景であろうが、ではこのとき、彼ら(あるいは私たち)は何をしているのだろうか。

もちろん、これが、同じ量のワインを交換するだけの無意味な慣習だと考える人はいないだろう。ワインを酌み交わす前と後で変化したもの、それは、けっしてお酒の量などではなく、相互の関係性である。相手にワインを注ぐことによってはじまる会話、食事の雰囲気、それこそが、この行為が引き起こした結果である。

与え、受け取り、そして返すという、一見すると単純にも思える反復的行為は、経済合理的な取引なのではなく、その行為を通じて社会関係が新たに生み出されるというその事実によって、特別な意味をもつやり取りなのである。

レヴィ=ストロースは、これを互酬原理としてとらえた。ここでは、この関係構築的なモノのやり取りを贈与と呼んでおこう。それは、「交換されるモノの価値」を論じるための概念ではなく、やり取りによってもたらされる帰結を含めた全体性――全体的社会的事象――に関わる概念である。

贈与は、文化人類学の分野で、主に非近代世界の研究を通じて作り上げられてきた概念である。それが現代の社会にも依然としてみられることは、以上の例からもすぐに理解できるだろう。与え、受け取り、そして返礼をするときに実際に生じていることを理解することは、今日でも社会関係を論じるための端緒となりうるのである。……つづきはα-Synodos vol.191で!

3.藤井誠二 「豚の鳴き声以外ぜんぶ食べる」は、ほんとうか?――沖縄のホルモンをめぐって

「豚の鳴き声以外ぜんぶ食べる」と言われる沖縄ですが、実は沖縄よりもむしろ県外のほうが内臓が食べられているはずだと藤井さんは指摘します。

◇沖縄にホルモンはある?

沖縄では豚の鳴き声以外はすべて食べる、あるいは、捨てるところがないと言われているほどの豚肉王国だ。沖縄の食文化を紹介した専門書から、観光パンフレットまで必ずといっていいほどそう書いてある。

那覇の中心部に仕事場をこしらえ、毎月、一週間から10日間は沖縄に通う「半移住」(のつもり)生活を10年ほど続けている私もそれを長い間、疑うことがなかった。どこの居酒屋に行っても定番メニューである、テビチの煮つけや、三枚肉を皮ごと甘辛く煮つけたラフテー、スーチカー(三枚肉の塩漬け)、豚の腸をボイルした「中身」などをおいしく食べてきた。ちなみに「中身」は脂をあとかたなく落としてボイルして、野菜と炒めものにしたり、沖縄そばの具にしたりする。

しかし、隔週の漫画雑誌で全国の牛や豚のホルモンを食べさせる店を食べ歩くコラムを4年半続ける機会があり、その連載では沖縄の店も2~3軒、紹介させていただいたのだが、沖縄で取材するうちに素朴なある疑問にとりつかれてしまう。

沖縄はほんとうに豚の鳴き声以外、ぜんぶ食べているのだろうか――。

というのは、さきにあげた料理を供する店はいくらでもあるのだが、牛や豚の他の臓器を出す店とは出合うことがほとんどないからである。紹介した2~3軒は一軒が地元の畜産業者直営の焼き肉屋、「牛汁」という牛の内臓を煮込んだ汁を出すそば屋、それからオープンしたばかりのホルモンの串焼きを主力とする居酒屋だった。これらは沖縄料理店の中ではきわめて少数派だった。

東京や大阪の大都市圏のホルモン店を多く食べ歩いてきた私にとって、むしろ沖縄以外のほうが、豚に限っても余すところなく、あらゆる臓器を煮たり、焼いたり、あるいは生(現在は法律で禁じられたが)で供する店がいくらでもあった。ところが沖縄には数えるぐらいしかなかったからだ。

有名な観光スポットである牧志の公設市場にも豚肉はたくさん売られているが、臓器類はごく一部の店しか扱っていない。しかし、「中身」だけはたいがいどの店も常備してある。

沖縄料理は「煮る」文化が主流なので、たしかに臓器を汁もの(シンジムン)に仕立てる料理はあるにはあった。「チムシンジ」という豚の肝臓のスープもかつてはよく食べられていたが、いまはめったにお目にかかれない。私は何回か食べたことがあるが、わざわざそういうシンジムンがあるということを売りにした店だった。さきに紹介した「牛汁」も食べられる店はめっきり減ってしまっている。……つづきはα-Synodos vol.191で!

4.粟屋剛 中国移植ツーリズムとは何か

移植のためにアジアに出向く患者は、悪人のイメージで見られ、帰国後、診療拒否にあっていると言います。「貧しいドナー」の人権が叫ばれる一方で、患者の人権はおざなりにされていないだろうか。生命倫理の観点から移植ツーリズムを問い直します。

◇はじめに―問題の所在―

臓器摘出対象とされる死刑囚(や法輪功学習者)、さらには金銭のために臓器を売る貧しいドナーたちの人権は声高に語られる。私も、及ばずながら、それらについて拙文を物してきた。

しかしながら、移植のためにアジアに出向く患者の人権についてはあまり、というか、ほとんど関心をもたれていない。それどころか、彼らは悪人のイメージで見られ、後述するように帰国後、診療拒否にさえあっている。

果たしてそれでよいのか、彼らは倫理的非難に値するのか(後述するように、私は値しないと考えている)、仮にそうであるとしても、彼らにも人権があるのではないか、などというのが私の問題意識である。本稿はこれらの点について、主として生命倫理の視点から管見を述べるものである。

◇アジア移植ツーリズム

(1)移植ツーリズムとは何か

移植ツーリズムは、美容整形ツーリズムや生殖医療ツーリズムなどと並んで、医療(メディカル)ツーリズムの一種である。この医療ツーリズムにはもちろん、手術や健康診断などのための国外渡航も含まれる(日本から外国に渡航するケースだけでなく、外国から日本にやってくるケースもある)。

医療ツーリズムとは一言でいえば、医療を受けるために国外渡航すること(あるいは、国外渡航して医療を受けること)である。そうだとすれば、移植ツーリズムとは、臓器等の移植を受けるために国外渡航すること(あるいは、国外渡航して臓器等の移植を受けること)、ということになる。いわゆる「渡航移植」(=臓器移植目的の国外渡航)とほぼ同義である。

ただし、例えば、広く知られている「イスタンブール宣言」はこの概念をさらに限定して、下記のような特殊な定義をしている。

「移植のための渡航 Travel for transplantationに、臓器取引や移植商業主義の要素が含まれたり、あるいは、外国からの患者への臓器移植に用いられる資源(臓器、専門家、移植施設)のために自国民の移植医療の機会が減少したりする場合は、移植ツーリズム Transplant tourism となる。」

これは、倫理的、社会的に問題のありそうな国外渡航移植全体に規制の網をかけようとするものである。しかしながら、このような特殊(かつ奇妙)な定義は概念の混乱を招くものである。それゆえ、以下ではこの定義は用いず、前記のような一般的な用語法に従うことにする。  ……つづきはα-Synodos vol.191で!

5.片岡剛士 経済ニュースの基礎知識TOP5

2月の経済ニュースから、北朝鮮経済制裁、マイナス金利導入の影響、実質賃金0.9%減、G20、2015年10-12月期GDP速報値について解説いたきました。

年初から株価の下落は続き、円高が進む状況が続いています。今回は、2月の経済ニュースから、北朝鮮経済制裁、マイナス金利導入の影響、実質賃金0.9%減、G20、2015年10-12月期GDP速報値についてみていきたいと思います。

◇第5位 北朝鮮経済制裁(2016年2月7日)

今月の第5位のニュースは、北朝鮮経済制裁についてです。

2月7日午前、北朝鮮が「人工衛星」と称する、事実上の長距離弾道ミサイルの発射実験に踏み切りました。2012年12月以来、今回で6回目の長距離ミサイルの発射となります。現時点で落下物等の被害は確認されていませんが、安倍首相は声明を発表して、国際社会と連携して毅然と対応していくとの意思を確認しています。

そもそも北朝鮮がこうした発射実験を繰り返しているのは、2007年以降6者協議が行われておらず、日中韓の足並みがそろっていない事が一因であると考えられます。実効ある制裁を行うためには、日米韓の足並みをまずそろえることが必要で、その上に立って、金融制裁や軍事的圧力を強めていくことが求められるでしょう。

◇第4位 マイナス金利導入の影響(2016年1月8日)

今月の第4位のニュースは、マイナス金利導入の影響についてです。

マイナス金利は金融機関のうち、日銀当座預金に口座がある金融機関が対象となるわけですが、具体的には銀行、信託銀行、外国銀行、信用金庫、協同組織金融機関の中央機関、金融商品取引業者(証券会社)、証券金融会社、短資会社、資金清算機関、金融商品取引清算機関、その他、といったところが対象です。これらの金融機関がマイナス金利により(大小はありますが)影響を被るということです。

影響については二つのパターンがありえます。一つは銀行が預金者から預かる際に適用される預金金利の低下です。預金金利の低下は様々な金融機関で行われていますが、動きが早かったのはゆうちょ銀行です。ゆうちょ銀行の場合、預金者から集めた預金の運用先は国債に限定されていますので、現状のようにマイナス金利政策によって国債の利回りが低下すれば、利ざやを確保するためには預金金利を限界まで下げざるをえません。

こうした形で金融機関は利益を確保していくために銀行にとって見た場合のコストでもある預金金利を引き下げているということです。これは預金者には悪影響をもたらしますが、現状既に預金金利が非常に低い状況を考えれば影響は大きくはないと言えるでしょう。

もう一つの影響が国債の金利や住宅ローン金利、貸出金利の低下です。住宅ローンや金融機関が企業に貸し出す際の金利が低下すれば、これは企業や個人の借り入れの拡大につながることが期待されます。

国債の金利については、特に長期金利の場合は、予想インフレ率、日本経済の潜在的な予想成長率、リスクプレミアムの三つの要因でも変動しますので、長期金利の急落がマイナス金利の影響によるものなのかは留意が必要でしょう。特にマイナス金利が発表された1月29日とマイナス金利が実際に導入された2月16日の国債金利を比較しますと、満期が1年から7年あたりまでの国債金利は大きく低下したものの、10年以上の国債金利については満期が短期の国債ほど下がってはいない状況です。

他方で2月16日以降の国債金利の動きを比較してみますと、今度は満期が短期の国債金利よりも満期が10年を超える長期の国債金利の方が大きく下がっていることが分かります。マイナス金利については否定的な意見が多い状況ですが、影響については今しばらく統計指標の動きを観察した上で判断した方が良さそうです。……つづきはα-Synodos vol.191で!

プロフィール

シノドス編集部

シノドスは、ニュースサイトの運営、電子マガジンの配信、各種イベントの開催、出版活動や取材・研究活動、メディア・コンテンツ制作などを通じ、専門知に裏打ちされた言論を発信しています。気鋭の論者たちによる寄稿。研究者たちによる対話。第一線で活躍する起業家・活動家とのコラボレーション。政策を打ち出した政治家へのインタビュー。さまざまな当事者への取材。理性と信念のささやき声を拡大し、社会に届けるのがわたしたちの使命です。専門性と倫理に裏づけられた提案あふれるこの場に、そしていっときの遭遇から多くの触発を得られるこの場に、ぜひご参加ください。

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