2012.02.01

昨年9月に有料メールマガジン『津田大介の「メディアの現場」』を始め、その収益をもとに、今年新たな「政治メディア」を立ち上げようとしているジャーナリストの津田大介さん(38)。政局報道中心の既存メディアに対し、政策をベースにしたネットならではの新しい情報発信のモデルを提示しようとしている。Twitterやニコニコ動画などの、ソーシャルメディアを通じて渦巻く有象無象の政治論議は果たして日本を変えるのか。「ネットメディアと政治」の新たな可能性について、荻上チキと語った。(構成/宮崎直子)

Twitterは「世論」を生み出すか?

荻上 新しいメディアを作るというのは、今、社会に存在している課題を解決するための一つの方策だと思います。現状に何も不満を抱いていないなら、メディアを立ち上げる必要などないはずです。津田さんが新しい政治メディアを立ち上げるというのなら、そもそも現在の日本の政治メディア、既存メディアに対して抱いている違和感や苛立ちは一体何なのか、そして何をすることで問題解決を図ろうとしているのかを、本日は伺いに参りました。

ぶっちゃけた話をすれば、津田さんがツイッターで「政治メディアをやる!」とよく書いているのだけれど、どういうのをやるのかがまだ詳述されてなかったので、焦れったくなって、直接聞きに来た、というわけです(笑)。まず、そもそも、「政治メディア」をつくろうと思ったいきさつを教えていただけますか。

津田 新しい政治メディアをつくりたいと考え始めたのは、おそらく政権交代が起きる前ぐらいからです。その頃からネットと政治の関係がよく語られるようになりました。そのときはまだ、ネット世論とリアル世論の乖離が激しいなと思いつつも、ソーシャルメディアが普及していく中で、徐々にその乖離は近くなっていくんだろうなと考えていました。そんなときに、民主党の藤末健三さんがTwitterを使った選挙活動を行うと宣言して騒動になりました。

藤末さんがやった戦略はなるほどと思ったんですね。藤末さんは、マニュフェスト違反だと述べる民主党に対してTwitter上であがった非難を全部紙に印刷して党の執行部に持っていき、今、世論からこんなふうに叩かれているということを示しました。記者会見をオープンにしたほうがいいと交渉して、少しずつ開示していったんですね。

それを見たときに、これは風向きが変わるんじゃないかと思いました。プリントアウトして持っていくというのはすごくアナログな手法なんだけれども、束を見せられるとやっぱりインパクトがある。官僚がよくやる手法ですね。ただ、世論といってもあくまでも括弧がきの「世論」です。それでも「2ちゃんねる」みたいなものとは違って、IDに紐づいた、それなりにちゃんとした人たちの意見がこれだけあるということを示しました。

荻上 偏りながらも、「国民の声です」っていえるものではある。実際の輿論であるかはともかく、「世論」として受け止められうる、使いうる、ということがわかったということですね。

津田 そうですね。こんなふうにソーシャルメディアがそれなりに聞くべきような「世論」の上澄みをつくって、それを政治家や官僚にぶつけることで、状況が少しずつ動いていくんじゃないかなという可能性を感じたのが、政治メディアを立ち上げたいと思ったひとつのきっかけではありますね。

荻上 ネットの有効活用の形を、もっと具体的につくれないかと考えつづけてきたと。

審議会に参加する

津田 ぼくが政治政策に強く興味を持ったのは2006年に審議会議員になったことがきっかけです。著作権という小さな分野ではあるけれども、審議会で政策決定に参加した経験が大きかった。法律が変わるものの一端の責任を担わされ、政策が決まっていくプロセスを実際に見ました。そのときに思った問題点のひとつが、議論するメンバーの偏りです。研究職、利害関係者は呼んでいるけど一般消費者の意見は主婦連とぼくだけで、もう少し多様な人を呼べないだろうかと。それを官僚の人に伝えても、「消費者代表を呼べといっても誰を呼べばいいのかわからない」で終ってしまう。

荻上 一般消費者の人といっても、普通の通行人とか呼んできてもしょうがない。まっとうな議論ができる人なのかどうかがわからないですから。ただ、「お眼鏡にかなった人」しか声がかからないわけで、「声」を届ける入り口はどうしても狭くなるわけです。

津田 そうですね。そこで、ぼくは2007年に「MIAU」(インターネットユーザー協会)という団体をつくりました。政策にコミットするということを、まずは審議会に参加できる団体をつくることからスタートした。今は、審議会のヒアリング(意見聴取)に呼ばれるぐらいにはなりましたが、決定権を持つ専門委員として声がかかるわけじゃない。おそらくそれは、上の人から呼ばれるような仕組みになっているからなんですね。社会的な立場や年齢が上の人のあとに、ようやく30代が参加できるようになっている。

荻上 専門家枠は上から順という印象がありますね。「文化人枠」「有名人枠」だったら若手も入るんですけどね。乙武洋匡さんや湯浅誠さん、駒崎弘樹さんといった方々は審議会などにも参加した著名な方ではありますが、駒崎さんにしても「すごい浮いてた」といっていました。

津田 そう、それではなかなか厳しい。政策に対してもっと一般の人たちが考えてコミットできる機会を増やしたいと思ったんですね。パブリックコメント(意見公募)以外で何ができるかを考えると、もしかしたらひとつはTwitterだし、Twitterよりも一段上のメディアをつくる必要があるんじゃないかと。

2009年に『Twitter社会論』(洋泉社)を出し、それから2年間は、ソーシャルメディアの解説者としていろいろなところから呼ばれる機会が多くなり、ずっと忙しいままでした。忙しくなったがゆえに今がバブルであるなとも感じてた。自分自身が次のフェーズに行かなければいけないし、政策をもっとわかりやすく伝えるメディアがあったほうがいいんじゃないかと本気で考え始めたんですね。

荻上 あえて「ツイッターの伝道師」のように振る舞うことで、政治状況を変えやすくすべくコミットしていた面もあったと。

ジャーナリズムとマネタイズ

津田 アメリカのブログメディアで影響力が強くなった「TechCrunch」と「Huffington Post」が昨年、どちらもAOLに買収されました。「Huffington Post」は200億で買われて、ただのブログメディアに200億の価値がつくのかと、世界的にも注目されました。

メディアを立ち上げて人気サイトになればそれ自身が価値を生む。津田大介が「Huffington Post」の日本版をやります、投資してくださいっていったら、投資家から金を引き出せるんじゃないかと考えたんですね。

ただ、これに関しては2006年にポップカルチャーのニュースサイト「ナタリー(natalie)」をつくったときに苦い経験があって、その頃はベンチャーキャピタルの話をしても、そんなもので儲かるはずがないと全滅で、結局、全部自分たちの資金だけでメディアを成長させてきました。でも最初からアクセルふかしてやるにはある程度貯まったお金も必要だよな……と、2011年になってそろそろ準備モードに切り替えようかなと思っていた矢先に震災が起きたんですね。

荻上 なるほど。震災がなかったらもうちょっと早く動いていたかもしれない。

津田 そうですね。震災がなかったらまず最初に投資家探しをしようと考えていました。しかし、地震が起きて、その後は東北取材にも行き『思想地図β vol.2 震災以後』でルポも書きました。そんな中で、やっぱりメディアをつくるんだったら全部自分でやらなきゃだめだなと考えが変化していったんです。スタート資金も含めて全部自分でマネタイズしようと思い、有料メルマガを始めました。

この一年間で堀江貴文さんや、上杉隆さんなどジャーナリズムの世界の人の有料メルマガが市場として成立するようになったのを見ていたので、やるんだったら今のタイミングしかないなと思いました。メルマガで資金を稼ぎつつ新しいメディアも開発する。最低2500人の購読者が集まればローンチできるという目標を立てて、それは思った以上に早くクリアできたので、すでに具体的に動き始めている状況です。

荻上 メルマガの場合は定期購読がメインですから、少し先の収益まで見越せるのがメリットです。報道にも持続可能性は必要ですからね。書籍収入などはそれに比べれば「ボーナス」みたいなものです。

津田 「ジャーナリズムとマネタイズ」はおそらく永遠の課題です。新聞もテレビも、稼ぐセクションがあるからその余力としてジャーナリズムをやることができる。広告が入り購読料に支えられているからできているわけですね。「ナタリー」を立ち上げたあと、無料のネットメディアはたくさん出てきましたが、多くは炎上マーケティング的なものばかりだった。ああなるのが本当に嫌だったんですね。ナタリーを運営してる株式会社ナターシャは今28人ぐらいの会社になっていますが、典型的な労働集約型企業で、人件費がかかって効率は良くないです。もっともメディアというのはそういうものなんだとも思っていますが。

荻上 ジャーナリズムもコンテンツ企業ですから、人出を動かさなくては回らず、とにかく人件費がかかる。ネットの影響の話をするとき、「総表現社会」の話、つまり書く作業の話ばかりに着目があつまりがちですが、対価の話が重要だと思います。直接、読者がフリーの書き手を支えることが可能になったことで、生き延びる言論の形を変えた面はあるでしょう。

もちろん、固定客を抱える分、「信者とお布施」のようになった結果、言論にバイアスがかかりやすくならないように、”Don’t be evil” 的なフィロソフィーが不可欠だとも思います。スポンサーシップの問題でいえば、企業だけでなくとも、「騒ぐユーザー」に引っ張られてイエロージャーナリズム化することもありうるし、実際、ぼくから見るとそのように見えるネット媒体、ネットジャーナリストは少なくない。炎上マーケティングという言葉もありますが、やっぱり「煽れば響く」という事実による誘惑みたいなものに負けているなと強く感じます。

津田 アメリカの「プロパブリカ」のような非営利型の報道組織は、寄付によって成り立っていてすごいなと思いますが、日本でできるかというと現状は無理ですよね。

政局から政策ベースの報道へ

荻上 津田さんはぼくの中でロビイストのイメージが強かった。音楽著作権関係では先進的ネットユーザー層の声を業界に届けた。つまり政府の中心で何が起きているかを消費者側に届けるというだけでなく、むしろ人々の声をかき集めて衝突点をつくる役割を担っているイメージが強かったんですね。そんな津田さんがこれからやろうとしている政治メディアのコアコンピタンスを教えていただけますか。

津田 まずは、テレビや新聞がぼくが知りたい政治報道をしてくれないという苛立ちがありました。FMラジオJ-WAVE「JAM The World」のパーソナリティを始めてから、けっこう新聞を読むようになったのですが、新聞って面白いなと思う一方で、政治面だけは最悪だなと感じます。

もっと政策ベースの報道にしてほしいなと思うわけです。でも、基本的に、誰がどういったとか、誰の側近はこう述べたとか、そういう政局の話ばかりでしょう。そういうのを見るたび、政策論議を誘発できる政治報道はどうやったらできるのかを考えていた。

それに、多くの人が指摘しているとおり、そもそもすべての「政策」が国会で決まっていくわけではなく、実際は審議会や、省庁内の会議などで大枠が固まっていく部分があるわけです。

荻上 「政治は国会で動いているんじゃない、省庁で動いているんだ!」と。実際、国会中継されている討論などによって熟議されていった結果、こう法文を変えましょう云々という話になるものではないですからね。決まりきった作文を読み合ってのアピール合戦に時間が割かれてしまう。

津田 だから、ぼくは国会ではなく役所にいく政治メディアをつくりたいと思っているんです。官僚が絵を描いて、そこにお墨付きを与える場というのが審議会ですが、なにもすべてが思い通りにいくわけでもないのが面白いところで。

審議会で重要なことが決まる日に、傍聴席に誰も記者がいないという現状があります。記者はだいたい、初回にきて結論が決まるときだけ官僚からレクチャーを受けて記事にすることが多い。ある程度議論の行く先が予測できるので、じっくり追いかけることをしないんです。

でも、ときには途中の議論で白熱して、結論が二転三転することもあります。審議会に参加していて、すごく重要な決定が会議中で成されたときにまわりを見渡したらひとつもメディアが来ていない。「おいおい、こんな大事なことを、どこも報じないままでいいのか」って思うわけです。

だからぼくは、審議会にパソコンを持って参加し、政策の審議過程の様子をTwitterでつぶやいた。そしたら、傍聴したいけどできなかったという人から「ありがとうございます」とリプライがたくさん返ってきた。そのとき、これはいけるぞと。Twitterは「今」を報告するサービスだと改めて気づいたんですね。公益的な情報が広がりやすいし、かつ最速の報道になります。

荻上 まさに速報で、その速度にはどのメディアも勝てない。

津田 これがいわゆる「Tsudaる」と呼ばれる、イベントのリアルタイム実況になりましたが、「リアルタイム」というのはとても重要なんです。

たとえば非実在青少年問題で反対運動が起こったときには、議会に上程される直前に騒ぐことができたから、ペンディングという結論にもっていくことができたんですね。あのときは民主党の蓮舫議員が動いて「とにかくこのまま通したら大変なことになるから」と民主党の都議会議員たちにプレッシャーをかけ、それに合わせてメディアも騒いだことであの問題に気づいてなかった民主党の都議会議員たちが結論を翻した。

荻上 出されたものに対してイエスかノーをいうのではなくて、ひな形づくりの段階から声を入れていこう、そうしたことができる人や機会も増やしていこうということですね。

津田 そうです。なんだかんだいって、審議会の人も官僚の人もけっこうTwitter見ているので、気にするんですよね。変なことはできないというプレッシャーになるだけでも十分に機能している。とにかく審議会に記者を派遣して、そこで話題になっていることをリアルタイムで報じていくということをまずやろうかなというのが基本コンセプトです。

土地勘のある人を集める

津田 中野剛志さんの『TPP亡国論』(集英社新書)や古賀茂明さんの『官僚の責任』(PHP新書)を読むと、官僚の作文にどういう罠が仕掛けられているのか、読み解くためのリテラシーが書かれていて面白いですね。

荻上 「てにをは」の使い方で脱臼させたりするとか、削除してもいい文章をおりまぜておいて、反対を受けて「軟化」させたかのように見せて、実際は思惑通りの法案を通すテクニックを駆使するとか。官僚出身の人はみんなそういいますよね。ぼくがお会いした方だと、中野雅至さんや高橋洋一さんもまた、口酸っぱくそのことをおっしゃっていましたが。

津田 この微妙な言い回しでどういうニュアンスがあるのかがわかる、とかね。脱藩した官僚が新書で語るのではなく、普段のメディア報道の中でそれを伝えてほしいのに、やれているところはない。だから、そこをカバーするだけでも意味がると思いますね。

荻上 でもまあ、全然「脱」しきれてない、魂は元のまま、「実はこうだよ」と誘導する元官僚論客の方もいるので、注意も必要かと思いますが。ただ、その魂がどこでつくられているかは、審議会や省庁に行かないと見えてこないのは確かで。

津田 逆に言えば、脱官僚した人だけに限らず、土地勘があればわかるんですよ。たとえばぼくは音楽著作権問題をずっとやってきて、いろんなレコード会社の方と話をして情報を持っています。そうすると、官僚がつくってきた審議会の文章の、この一文は危険だなみたいな感覚を持てるんですね。ぼくがやりたいのは、そういう土地勘がある人をたくさん集めて、複数の立場から検討分析して、アジェンダを出して、そこから先は読者が判断するという体制が認められるメディアにしたいと思っています。

荻上 議事録が膨大にあって読み切れないこともあるし、議事録が公開されないことや、発言者が匿名化されていることなどもあります。

津田 しかも都合の悪い発言は削除されたりするので、そこをすべて透明化したい。今は厚労省があまりにもオープンでなさすぎるし、変なワーキンググループで決めようとしたら、ちゃんと公開審議会で決めてくださいと圧力をかけていくようなメディアにしていきたいですね。

荻上 たんに、すべての記者会見を電子化、中継化してくれるだけで、一般の市民の選択肢は増えますからね。

津田 そうですね。全体の構成としては、政策に関するストレートニュースと、テクノロジーを含めたガバメント2.0系のニュースを扱いつつ、今論点となっているものの深堀りみたいなものを特集記事でやっていきたいなと漠然と考えています。

政治の日常化

津田 ぼくは昔からメディアをつくることが好きでした。高校生のときは新聞部で、そのときの経験が今の仕事に大きな影響を与えていると思います。ぼくも含めて部員が二人しかいなかったので、すべてのことを自分たちでやったんですね。企画、取材、執筆、校正、印刷、最後は近くの文房具屋さんに行って広告営業までやりました。まさに「一人メディア」です。

予算も特別部として30万ぐらいあったので、とりあえず15万円で東芝のワープロを買って、生徒会室にこもり、わら半紙に印刷して年数回発行していました。メディアをつくることはすごく好きなんですが、原稿書いて楽しいと思ったことは一度もないんです。

荻上 えっ、そうなんですか。

津田 常につらい作業ですね。

荻上 ぼくはわりと楽しいですよ。ぼくも小中高とずっと「放送委員」や「放送部」をやってましたが、こうも違うものですか。

津田 それはうらやましいです。本当につらくて。

荻上 ツイートは別なのでしょうか。

津田 140字で済みますし、思ったことを脊髄反射的に書けばいいから気楽ですね。仕事でもないし。仕事でもないというのはポイントで、「仕事としてこれこれこういうツイートして欲しい」という案件が来ると本当にストレスなんですよね(笑)。最近はできるだけそういう仕事は受けないようにしてるんですが。

「ナタリー(natalie)」(ポップカルチャーニュースサイト)をつくったときは、音楽メディアを変えたいという思いが強くありました。音楽がつまらなくなったとみんないうけれど、原因は「音楽」そのものにあるわけではなく、「音楽メディア」が腐っているからだろうという義憤を覚えた。雑誌は記事広告前提で、しかし音楽ジャーナリズムでございますみたいなことをやってるのが大嫌いだったんですね。時代の最先端を、面白く切り取ってこそのメディアですからね。

それと同じように、自分が読みたい政策を、リアルタイムの、ソーシャルメディアの速度感で伝える、いわば「政治版ナタリー」をつくりたいと思っています。

荻上 これからどういうふうなイメージで、日本のメディア環境を良くしていこうと考えていますか。

津田 「政治の日常化」です。高度な政策議論は、それこそシノドスのようなメディアでやればいいと思っていて、ぼくがやるべきことは、多くの人が政策に関心を持てるように、その裾野を広げることだと思っています。

荻上 なるほど。なににおいても、論点そのものをシェアしないと、議論はすすみませんからね。

津田 裾野を広げるという意味でいうと、TPP問題はうってつけのものでした。TPP21分野(24項目)ある中で、項目ごとに、日本が得する分野も損する分野もある。それらが全部わかったうえで、日本はどうグランドデザインを描いていくのか、みんなが議論を必要としていました。

TPP問題に関する世論調査で、「賛成」「反対」以上に「わからない」人が多かったという結果が出ていますが、これは本音を表していると思いました。わからない時点で強行しようとしていたし、メディアもそれを報道しなかった。そうした釈然としないものが多くの国民の中に生み出されていたんですね。「わからない」ということは、つまり、メディアが機能を果たしていないということで、メディアに責任があります。

荻上 ニコニコ動画では、政治ランキングでTPPに関する動画が毎日あがっていたけれど、政策を議論するというよりは、賛成派、反対派の応援合戦に単純化されていくような傾向が目立っていたなという印象はありました。ネットは様々な論点について無限にチェックをはさんでいくことも可能だけれども、同時に集合的行動として特定の情報を集めたカスケードが目立ってしまうこともある。そのカスケード性をコントロールすることはなかなか難しいですよね。

生煮えの議論を出していく

荻上 今後津田さんが、どこまでメディアに顔を出されていくのかというのは気になるところです。新しい政治メディアを経由した、市民への応答をどのように行っていくのでしょうか。

津田 先日、荻上さんはぼくのメルマガに対してFacebookで反論されていましたね。

荻上 農業のやつですね。あれは反論ってか愚痴。津田マガの農業記事の中で引っかかる発言が多かったからなんだけれど、あれをベースに議論しても発展させられると思えなかったので、表向きはスルーしました。

津田 でも、たとえばそこで、「これ違うでしょ」と噛み付いてくれる人が出てくれば、では場所をかえて、それこそニコ生で対談しましょうというようにつなげていけるのがオンラインメディアのいいところだと思っています。

ぼくはメディアをつくるときに編集機能が一番の核になると考えています。生煮えの状態でもいいからとりあえず世に出して、そこから議論を深めることにつなげる。そこにマネタイズのポイントが隠れているような気がするんですね。シノドスだったらセミナーをやってるし、アフィリエイトや動画配信もいいかもしれない。いろんなヒントがそこにあります。

だからまずはその間口を広げることをやりたい。ぼく自身はあまり主張がないので、基本的には敵がいないんです。どのテーマでも。

荻上 とはいえ、テーマやスタンス的に許せないというのは絶対あるでしょう。たしかフジテレビデモのときに、違和感含みのツイートされていたと思いますが、津田さんは、外国人などへの差別発言が起こることに対しての危機意識を生理的に感じることもあるわけですよね。

津田 もちろんそれはあります。

荻上 それも、そうした違和感表明に対して安直に「津田終わったな」みたいなリプライを送る人が多数現れることの「面倒くささ」「うんざり感」「しんどさ」が容易に想像出来る中で、それでもいうべきことはいっておかなきゃ、というほどには強く感じていると思っています。これはやばいなと思ったときには、それを中和するようなものに話を聞きに行くというバランス感覚を持って、これからも議論をしていかれるでしょう。

津田 そうですね。そこらへんはこれから考えていかなければならないところですね。

荻上 生煮えの状況で出せば出すほど、カオスな喧騒に呆れた学者が離れていくということも起こりえて、プロレス上手なやつは勝ち残るというような、論争術で政策が決められていくことを強化してしまわないかなという懸念がありますが、その点についてはどうでしょう。

津田 それをしないためにぼくがひとつ決めているのは、すべてをテキスト化することです。基本的にはすべて編集構成されたテキストで、その中身に対して、ネットユーザーがレスポンスできるというかたちでやりたい。

荻上 なるほど。政府の透明化と言った場合、動画での実況を進める動きもありますが、数時間かかる動画をぜんぶ見てくれる人は稀。テキストにすることで、リーチ率もあがるし、検索性もあがる。議論ための敷居も下がる。そのことが翻ってデマにつながりやすいような、「部分的抜粋」への検証元にもなりうるし、恣意的な論述へのチェック機能としても働きうるだろうと。

となると、津田さんがそういう課題点をあらかじめ懸念しているという点でも、津田さんのメディアならではの「色」というか「特色」が出てくると思うんですよ。だからぼくが楽しみにしているのは、「政治メディア」を立ち上げる際の、津田さんによる「巻頭言」や「リリーステキスト」ですね。こういうスタンスでいるのだという、明確な。

津田 明確にあるのかな(笑)。頑張って準備します(笑)。

新しいメディアに向けての「ポジだし」

荻上 細かな話ですが、民主党が与党になった頃、「2ちゃんねる」のまとめサイトがなんだか政治化していったなあという印象があります。アクセス数が増えるとわかったからなのかもしれないけれど、それまで政治ネタをとりあげなかったようなネタサイトも、「ルーピー」を哂うようなものから嫌韓的なものまで、ガンガン取り上げるようになったように。

今や、2ちゃんのまとめサイトも実は政治メディアとして機能しているんですね。すごくくだらない編集であっても、見出しで数万人を釣ったりするようなものでも、特定の人たちに対するヘイトスピーチや、刹那的なヤジの発露になっていたりする。

津田 その結果としてフジテレビ抗議デモがありますからね。

荻上 また、「スイミー」のように小さな者たちによる集合が大きな権力に対して対抗していくという方向にではなく、普通の個人を含めた相手への私刑に活用される常勝自慢的な場面が多く、あるいはデマを拡大再生産して訂正すらしなかったりと、多くの問題含みな現状がある。

津田 本当にプアーですよね。

荻上 「ステマ」問題のように、アテンション獲得の仕方も健全とはいいがたいものがある。ただ、これらをもって、「日本のネットは残念」と全体化できるわけでもなく、ソーシャルメディアの普及によって、その他の社会運動の敷居も下がったなとも思うんですね。

津田 そうですね。震災後、とくに強く感じますね。

荻上 そういう状況の中で、メディアをどうつくりなおしていけるのか。「ダメだし」だけでなく、「ポジだし」、ようは「自分ならこうするぜ」というモデルの競争がまだまだ足りないと思うんですね。いきなり完璧なものは生まれないので、課題を応えようとしながら切磋琢磨していかざるをえませんから。津田さんによる身を切った「ポジだし」には、仮に批判的なスタンスであっても、「アレはダメだよ」といった嘲笑にとどまらない、「こっちのほうがいいだろ?」という提案でレスポンスを返していく。そうした応酬を盛り上げていかなくてはと思わせられる。

個人メディアが併存する時代

荻上 3.11以降に再確認したのが、フリーランスと呼ばれる人たちの多くが、自前のメディアを持ちつつあるということです。これからは、自分だけの回答を出して、その回答をみんなが受け入れてくれるかどうかというところで勝負するしかない状況になっている。

津田 逆にいうと震災後一ヶ月の間に何ができたのか、どこの場所で立ち位置を確保したかによって、その後の方向性が決まったように感じます。

荻上 そうですね。あそこで山を登って降りられなくなった人もいれば、この山を登るんだというふうに山頂を目指した人もいると思います。

津田 山に登れなかった人は、震災に対する言論についてなかなか影響力を持てていないように見えますね。でも、個人的にはすごくいい時代になったと思ってますよ。なんの後ろ盾も現金もないぼくみたいな人間がメルマガみたいなかたちでマネタイズできる時代になったわけだから。

情報提供によって意志と意志をつなげてそれをお金に変換し、新たなプラットフォームをつくれる時代になったというのかな。別に清濁合わせ飲むとかそういうことをしなくても、まっとうなものをつくってまっとうなものにお金を払えるようになった。これからはいろんなメディアが併存して、それぞれのモジュールごとに連携し、離散集合しながらやっていく――そんなメディア状況になっていけば日本は良くなっていくんじゃないかと思いますね。

対談後記 by 荻上チキ

「既存マスメディアは駄目だ」「ネットメディアは駄目だ」――。こうした「ダメ出し」のやりとりをみかけない日はない。こうした「ダメだし」が、たんにシニシズムに留まるかどうかは、「次の行動」次第。それが冷笑や諦念の表明以上の価値をまとうためには、「よりマシなもの」をつくるための作業を進めなくてはならない。

もちろん、「対案なき拒絶」も、決して悪いことではない。というよりはむしろ、市民に「対案なき拒絶」が認められないならば、専門知識などを持った者による「とりあえずの提案」に対して、「いますぐ他の案は浮かばないが、ぼくたちは、それだけは、嫌だ」と表明することさえできなくなる。「対案を出せ」は、ときとして、「現状では言葉を持たざる者」に対する抑圧にもなるため、このセリフをは際には注意が必要にもなる。

ただそれでも、議論のテーブルにつき、問題解決の作業を前にすすめるためには、やはり「対案」を丁寧に構築していかなくてはならない。優れた「対案」を提示しなければ、「仮にベストでないとしても、提案がでないなら、とりあえず現行のものでいいだろう」と判断され、むしろ現状肯定を強化することに加担してしまうこともある。

メディア批判についても同様だ。座布団に尻を据えたまま、あれがダメだこれがダメだという「採点屋ごっこ」をするだけにとどまるのではなく、「マシなメディア」という「対案」をつくっていくために、ひとまず応援できる特定のメディアに注目する人が増えているように思う。

とはいえ、なにがなんでも「オルタナティブ」(これは便利すぎる言葉だ)なメディアに着目すればいいというわけでもない。ぼくの中でも、震災後は色んな「オルタナティブ」メディアの信頼度がダダ下がりしたし。同様に、これからしばらくは、「オルタナティブ」メディアへの期待を込めた注目が、失望感に変わることもつづくはずだ。

ただそうしたチェックをシビアに繰り返すことで、「どれがマシか」の議論を加速し、同時に自分たちの声でメディアを「育てる」結果になれば、それは十分な成果だと言えるはず。

津田氏の構想する「審議会報道」というスタイルには、省庁の政策提案にたいして「対案」を構築できるような(ネット)市民文化を育むため、新しいメディアを「対案」として創りだすという、前向きな姿勢を感じる。その精度や効力への評価は、ローンチされるまで待たなくてはならないが、ネット上での「これはひどい」の数だけ、「こっちがすごい」が用意できるような、新たなメディアづくりの競争の重要さを再確認させられる、力強いインタビューだった。

(2011年12月6日 六本木アカデミーヒルズにて収録)

プロフィール

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

この執筆者の記事

津田大介メディア・アクティビスト

ジャーナリスト/メディア・アクティビスト。1973年生まれ。東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。早稲田大学文学学術院教授。大阪経済大学情報社会学部客員教授。テレ朝チャンネル2「津田大介 日本にプラス+」キャスター。J-WAVE『JAM THE WORLD』ナビゲーター。一般社団法人インターネットユーザー協会(MIAU)代表理事。メディア、ジャーナリズム、IT・ネットサービス、コンテンツビジネス、著作権問題などを専門分野に執筆活動を行う。ソーシャルメディアを利用した新しいジャーナリズムをさまざまな形で実践。世界経済フォーラム(ダボス会議)「ヤング・グローバル・リーダーズ2013」選出。主な著書に『ウェブで政治を動かす!』(朝日選書)、『情報の呼吸法』(朝日出版社)、『Twitter社会論』(洋泉社新書)、『未来型サバイバル音楽論』(中央新書ラクレ)ほか。共著に『「ポスト真実」の時代』(祥伝社)。2011年9月より週刊有料メールマガジン「メディアの現場」を配信中

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