2012.02.06

世の中に足りないものをやっていきたい

夏葉社・島田潤一郎氏に聞く

情報 #夏葉社#星を撒いた街#レンブラントの帽子#古本ソムリエ

地盤沈下、危機といった言葉ばかりが叫ばれがちな〈本〉の世界で、新しいことや、独自の取り組みに挑戦している人たちの声を伝えるシリーズの第2回。東京・吉祥寺で、一人だけで出版社「夏葉社」を営む、島田潤一郎さんにお話を伺いました。(インタビュー・構成/柳瀬徹)

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感謝状

ある読書家で知られる芸人が、2011年の初夏のある日に、下北沢の古本屋で棚を見ている。彼はそこに、古本ではなく新刊書があることに気づく。『星を撒いた街』と題されたその本は、彼がここしばらく気になっていた版元の新刊だった。手に取り、レジに持っていく。カウンター越しに店主が話しかけてくる。

「又吉さんですよね?」
「あ、そうです」
「夏葉社の者から、この本は又吉さんが来たらお代はいらないって言われているんで」

彼は驚く。その古本屋に足しげく通っていたわけではないし、そこを馴染みにしているなどと誰かに言ったこともなかったからだ。
何ヶ月か経ち、彼はあるテレビ番組で、その版元への感謝状を読み上げる。

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その芸人とはピースの又吉直樹さん。そして版元は、2009年9月に創業し、上林暁の選集『星を撒いた街』でようやく3冊目の刊行を果たした夏葉社だ。「夏葉社の者」は、代表の島田潤一郎さん一人だけ。彼が自ら編集も営業もしている。

なぜか奇跡を呼びこんでしまう人

夏葉社と又吉さんを結んだのは『星を撒いた街』の一つ前の刊行、関口良雄『昔日の客』(2010年10月刊)だった。東京・大森にあった古書店「山王書房」の店主によるこの随筆集は、関口の死後1年経った1978年に初版が刊行されている。古書店にやってくるさまざまな客のこと、尾崎一雄、上林暁、木山捷平、野呂邦暢といった作家たちとの交流などを静かな筆致で描き、本に愛着をもつ者に忘れがたい余韻を残す、そんな一冊だった。

実際にぼくも、長らく入手困難になっていたこの本の復刊を熱望する人に何人も会ったことがある。なかには「おれが復刊する!」とまで口走る者さえいた。そんな本を、夏葉社という無名の出版社が復刊してしまったときには、驚きと、控えめな熱狂が愛書家たちに静かに広がったものだった。

又吉さんは夏葉社の復刊版でこの『昔日の客』に出会い、心酔し、ラジオで熱っぽく紹介していた。話題をよんだ又吉さんの書評集『第2図書係補佐』(幻冬舎よしもと文庫)の『昔日の客』のページは、こう締めくくられている。

買う行為も読む行為も形状や匂いや重さなども本の全てが僕にとって興味ぶかく魅力的で大好きなのだと、この本を読んで再認識すると同時に、本が好きでいいんだよな、と何かが肯定されたような気がした。

余談だが、『第2図書係補佐』の本領はこのように礼節を保った書評にはないのかもしれない。明らかに距離感を逸してしまった、もはや書評とはいえなくなった文章にこそ彼の魂が宿っていて、白眉はなんといっても古井由吉『杳子』についての一文だろう。少なくとも、どんな書評よりも『杳子』を読みたくなることだけは約束できる。そんな芸人の魂にはもうひとつの、彼が感謝状を捧げた相手の魂が重なって見えなくもない。

島田さんは又吉さんのラジオを聴き、なんとか又吉さんに感謝を伝えたいと思った。夏葉社ホームページ(http://natsuhasha.com/ )の、11年10月17日付「夏葉日記」にはこうある。

ちょうど、新刊の『星を撒いた街』が出来上がったばかりのころでした。
僕は、お世話になっている下北沢の古書店、「古書ビビビ」さんに、本を納品しに行き、なんとなく、又吉さんの話になりました。
又吉さんはこちらによく来たりしますか? と聞くと、来ないですねえ、と若い主人はこたえます。
「でも、来るかもしれませんね。又吉さん、本当に本が好きだから」
主人がそう言うので、
「じゃあ、もし来たら、『星を撒いた街』を、僕からということで、プレゼントしてもらえませんか?」
と言いました。
「じゃあ、来たら、渡しておきます」
お互い、半分、冗談のような気持ちでした。

島田さんがこんな無茶な依頼をしたのは、この店主だけだった。そしてその2週間後、本当にふらりと又吉さんが現れて、自ら手に取ったのがまさにその『星を撒いた街』だったのだ。

まるでポール・オースターの『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』のような話だが、島田さんと夏葉社の周りには、どういうわけかこんな大小の「奇跡」が起こってしまう。

何も知らない

夏葉社の事務所は、JR吉祥寺駅にほど近い、分譲用に作られたワンルームマンションの賃貸物件だ。机と本棚とソファーがある以外、がらんとしている。在庫もすべてこの部屋にあるそうだが、部屋の一角に収まってしまっている。とても出版社には見えない。

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三島邦弘さんのインタビュー記事で紹介した、ミシマ社ホームページの「平日開店ミシマガジン」には、島田さんのインタビューが3回にわたって掲載されている。
http://www.mishimaga.com/hon-watashi/056.html
http://www.mishimaga.com/hon-watashi/057.html
http://www.mishimaga.com/hon-watashi/058.html

会計学科のハードワークに何もかも嫌になり、ある日突然、濁世との縁を断ち切ろうと剃髪して、お母さんを泣かせる。日本文学と戦争との関係に気づき、戦争とは何かを知るために沖縄に移住する。教科書会社の営業として優秀な成績をおさめながらも1年で退職。文学系の出版社に就職しようと人材派遣会社に登録する。しかし就職できずになぜか起業してしまう……とまあ、起業までの彼の人生はあぜんとさせられるエピソードの連続だ。

―― 教科書会社の営業を、好成績だったにも関わらず1年で辞めてしまって、それから就職活動されて50社に落とされた。でも出版関係は2社だけだったんですね。

島田 岩波書店と晶文社、好きなところしか受けなかったんです。どこも取ってくれなかったら、出版でもいいや、と。派遣会社には先物取引の会社なんかも紹介されました。いまでも憎んでいます(笑)。

―― そこで自分で出版社を始めた。「出版でもいいや」という姿勢とは180度違う気もしますし、いきなり起業という発想がすごい、というかなんだかよくわからない(笑)。

島田 父が脱サラして、香港で書店を経営しているんです。在留邦人に日本の書籍を売る書店です。父にはよく「サラリーマンをやるよりも、自分で事業を興したほうが楽しいぞ」と言われながら育ってきたので、あまり心理的な障壁はなかったんですね。お金をあまり使わないたちなので、それなりにまとまった貯金もありました。

出版でもいいや、というのは、自分が嫌いな本を作ったり営業したりするくらいなら、ほかの仕事のほうが絶対にいい、ということでもあるんです。そういう本を読む人たちを否定する気はありませんが、すぐに消えていくような本は好きではないですね。

―― 09年9月の創業以来、いまのところ夏葉社の本は、再構成したものも含めて復刊ものだけですね。この本だけは出す、と起業時から決めていた本はあったのですか?

島田 今度出す詩の本がそれでした。一篇の詩だけで、一冊の本にする。それだけを決めて、起業してすぐにイラストレーターの高橋和枝さんに詩を持っていって、発注したんです。本の作り方も何もまったくわからなかったけど、プロだから大丈夫だろうと。この詩にイラストをお願いします、めちゃくちゃいい本をつくりたいんです、と言いました。引き受けてくだったものの、高橋さん、本当に大変そうでした。

―― それはものすごく大変でしょうね(笑)。

島田  自分が無茶なお願いをしたということは、今となってわかることなんです。本のデザインは、すごく好きな本のデザインをされていた櫻井事務所の櫻井久さんにお願いしました。これで見積もりを取って下さい、すごくいい本ができると思うんです、お願いします、と。ただの丸投げです(笑)。

―― どういう反応でしたか?

島田 ああ、わかりました、と。何も知らないってすごいですね。高橋さんには2年間にわたり延べ100枚以上の絵を描いてもらいました。どれも本当にすばらしい絵で、送っていただくたびに感動していました。しかし当然、ずっとこんなことをしていたのでは、いつまでたっても本が出せない。何か仕込まなければ、と焦り始めてきました。

―― そこで出てきたのが一冊目、バーナード・マラマッド『レンブラントの帽子』(10年5月刊、小島信夫・浜本武雄・井上謙治訳)ですね。マラマッドはぼくも大好きな作家ですが、日本の外国文学のシーンでは長らく忘れられていた作家でもありました。なぜマラマッドだったんですか?

島田 マラマッドはやりたかったんです。尊敬している小島信夫さん(作家・英文学者、06年没)との関係を作りたかった、ということもありました。でも、これは最高の人たちとやらないと売れない、ということもわかっていました。その時はまだ柴田元幸さん訳のマラマッド(『喋る馬』09年9月刊、スイッチ・パブリッシング)が出ることも知らなかったし、そのまま出してもダメだ、と。

そこで、かつて市民学校で授業を受けたことのある詩人の荒川洋治さんに巻末の解説を、イラストレーターの和田誠さんに装画と装丁をお願いしようと思いました。学生時代のころから尊敬していたお二人に、本作りのことを一から教えていただきたい、と思ったんです。

荒川さんにお手紙を書いたところ、すぐに快諾のお返事をいただきました。和田さんからはなかなか返事をいただけなかったのですが、どうかお願いしますと粘り倒して、最後は引き受けていただきました。

―― 名前も知らない出版社から、和田誠さんの装丁でマラマッドの本が出たことには、何重にも驚きがありました。お二人を「教師」にしてしまった、というのも、同業者にとっては卒倒しそうな話です。

島田 荒川さんには奥付の表記、索引の配列、著者プロフィールの書き方、とにかく本に関わるすべてを教わりました。といってもお願いしたわけではなく、ゲラをお送りしたらひとつひとつ教えてくださったんです。

和田さんにもブックデザイン全般にわたって教えていただきました。ここでは言えないような、そんなことまで教わったのか、ということも。用紙も和田さんに決めていただきました。

ここで初めて、夏葉社を絶対に続けていかなければ、と思いました。潰すわけにはいかない。ぼくの個人的な出版社ではなくなった契機は、お二人にそこまでしていただいた、そのことだったんです。

それをやったら信用を失う

―― 『レンブラントの帽子』は初版3000部で刊行、1年以内に増刷されました。近年の翻訳文学の売れ行きや、無名の出版社であることを考えると異例といっていいと思います。とくに表題作は本当に素晴らしい短編ですし、ボリュームも価格も、島田さんがよくおっしゃっている「誰でも手にとって読める本にしたい」「読んでよかったと誰もが思えるような本を届けたい」という考え方にもぴったりの本だと思います。でも2冊目の『昔日の客』はそれとは少し異なる、どちらかといえば愛書家のあいだでひっそりと存在していた本です。なぜこの本を復刊しようと思ったのでしょうか?

島田 『レンブラントの帽子』を営業しているころに、ツイッターで知り合った詩人の金子彰子さんが、あそこの書店に行ったほうがいい、あそこの古書店なら新刊でも扱ってくれる、とやはりツイッターで教えてくださるようになったんです。

ぼくが「いま京都にいます」とツイートすると、金子さんが「みなさん、いま夏葉社の島田さんが京都にいらっしゃいます。営業に行くべき書店を教えてください」などとツイートする(笑)。古本屋さんが新刊を扱ってくれるなんて、それまではまったく思いもしなかったですね。

そうやって、金子さんが教えてくださったのが、山本善行さんが京都で経営している古書店「善行堂」だったんです。すべての書店で、いちばん歓迎してくださったのが山本さんでした。すぐに30冊も注文してくれました。

―― 山本善行さんは、伝説的なリトルマガジン『sumus(スムース)』の同人の一人で、「古本ソムリエ」の異名ももつ、古本好きの間では広く知られた存在だ(著書に『関西赤貧古本道』新潮新書など)。

島田 善行堂訪問から一ヶ月くらい経ったときに、山本さんのブログを読んでいたら「『昔日の客』は島田くんに復刊してもらおう」といったことが書いてありました。うわ、えらいことになってる、と最初はただただ戸惑っていました。その本のことはまったく知らないし、関口さんと親交のあった私小説家の本もほとんど読んだことがない。そんなによくないんじゃないの、と思いながらも国会図書館で読んでみたら、すごく感動した。それで、復刊しようと思ったんです。

―― 10年10月に夏葉社版として刊行された『昔日の客』は、約1年後の11年11月には4回目の増刷に至っている。そして、関口良雄と深く交流していた私小説家、上林暁の小説から、彼を愛してやまない山本さんの選により3篇を収めて刊行したのが、又吉さんに贈呈された『星を撒いた街』なのだ。

島田 でもぼくは私小説とか、マイナーポエットに思い入れがあったわけではないんです。学生気質というか、いわゆる世界文学全集に入っていそうなものから読むようなタイプです。マイナー趣味は全然ありません。だから、もし『魔の山』が20年間絶版になっていたらそれを出したいし、『変身』が30年間絶版だったらそれを出します(笑)。

―― いまの売れっ子作家の、原稿待ちの列に並んでその人の本を出したい、などとは思いませんか?

島田 まったく思わないですね。ダチョウ倶楽部の「どうぞどうぞ」みたいな感じです。新刊も絶版も関係なく、顔の見える人間関係のなかで本を出したい、という気持ちがあるんです。こういう本の出し方をしていると、いろいろな人から「これどうですか?」と薦められるんですけど、やっぱり初対面の人が薦めてくる本には、「わたしはこういう人間です」という動機が貼りついてしまっている、そのように思うことが多いんですね。いい関係が先にあって薦められる本には、そういうことがあまりないような気がしています。

たとえば野口冨士男の『暗い夜の私』という小説を気に入って、復刊も考えたんですけど、でもこれはどう考えても講談社文芸文庫の仕事だろう、と。

―― 夏葉社の刊行傾向というものがあるとして、それは微妙なバランスに立っているともいえますね。愛書家の世界に閉じこもらず、かといって売れ線にも走らない。島田さんの本の出し方は、しっかりと選書して本を揃えている「ふつうの本屋さん」に近いものがある気がします。

島田 ああ、それはすごく嬉しいですね。読者が出版傾向を決めてくれているような気がします。正直、上林暁の本をこんなに買ってくださるとは思っていませんでした。そういう反応が、次にこれを出すか、と背中を押してくれています。これから出す本を考えるのは、どういう本屋が自分にとっていい本屋なのかを考えることに似ているような気がします。

―― それはセレクトショップのように、島田さんの趣味や審美眼を表現した本屋、ではなさそうですね。

島田 違いますね。それをやったら信用を失う、ということだけはなんとなくわかるんです。

All is well.

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―― 夏葉社が創業して、もう2年が経ったんですね。3冊というのはいかにも少ない気もしますが、経営面は大丈夫なんでしょうか?

島田 ここまでうまくいったのは奇跡ですよ(笑)。でも、年3冊のペースがギリギリですね。いまのところ2年で3冊ですけど。2ヶ月かけて本を作って、1ヶ月かけて営業して、1ヶ月休み、としないと息切れしちゃいます。

―― 休むんですか(笑)。

島田 完全に休むわけではもちろんないですけど、その1ヶ月で本を読んだり、誰かと喋ったり、YouTubeを見たりしないと(笑)、ダメなんです。

自分の頭に自信がないので、煮詰まった状態で物事を決めることができない。ずっと頭の片隅にあることが、いいものになるような気がしています。自分に本作りのノウハウがないから、それがあればもっと違うやり方ができるのかな、と思うこともありますが、まあ無理ですね。

でも年に3冊作って、それがしっかり売れれば、なんとかやっていけます。いちおう会計学科だったので、それは断言します。結婚もしたいし(笑)。

昨年は1冊しか出していないから説得力がないけど、でもちゃんとやります。誰もやらない、世の中に足りないものをちゃんとやっていきたいです。

―― 夏葉社さんが卸している取次はJRC(人文・社会科学書流通センター)ですね。01年に廃業した人文書に特化した取次、鈴木書店にいた方々が作った取次で、決して大きな会社ではありません。夏葉社さんの場合、たとえば返本率はどのくらいなのでしょうか?

島田 唯一の自慢は、返本がほとんどないことです。

と言って見せてもらった返本は、造り付けの下駄箱にすべて収まっていた。3点併せても30冊前後だろう。
と言って見せてもらった返本は、造り付けの下駄箱にすべて収まっていた。3点併せても30冊前後だろう。

島田 自分で営業に行っているからでしょうね。それに、見切り配本もしません。注文を多く取ってくれるのが怖くて、「10冊お願いします」と書店員さんに言われても「いえ、5冊でいいです! あんまり売れないと思います!」と言ってしまいます(笑)。もし売れたら補充をお願いします、と。これに慣れてしまっているから、ずっとこのままでいけたら理想的ですね。

―― 書店の人に話を聞くと、島田さんのことを心配している人はたくさんいるのですが(笑)、悪く言う人には会ったことがないんですね。本も人も、書店にも読者にもすごく信用されている。そうでなければこんな返本数はありえません。JRCの営業さんが、とても丁寧に夏葉社の本を説明している、とも聞きました。

島田 本当にありがたいです。

―― これから、復刊ではない「夏葉社オリジナル」の本は出されないのでしょうか?

島田 さっきお話しした詩の本を出します。ヘンリー・スコット・ホランドの『さよならのあとで』という一篇の詩(※原題はなく、一行目の “death is nothing at all” が題名として広く知られている)に、高橋和枝さんが挿画を描いてくださった本です。

3年前、僕は、一番の親友であった従兄を、
事故で亡くしました。
以来、創業時から、祈るような気持ちで、
この本をつくってきました。
みながみな、いいという詩ではありません。
けれど、僕が、この詩に慰められたように、
この詩が、かなしんでいる人の心を、
ほんの少しでも、支えてくれたら、と願っています。
なお、この詩の訳者は匿名ですが、その方もまた、
大切な家族を失っています。
(夏葉日記 12年1月16日)

“death is nothing at all” はイギリスでは有名な詩で、追悼詩としても広く読まれています。
従兄が亡くなって、おじとおばを慰めるために何ができるだろうとグリーフケアの本をかたっぱしから読んでいたときに、この詩を知りました。ヘンリー・スコット・ホランドは英国教会の神学者で、貧困や戦争について思索した哲学者でもあった人です。

―― たった一篇の詩で一冊の本をつくる。いろいろな選択肢があったと思うのですが、高橋和枝さんにイラストを頼もうと思ったきっかけは?

島田 アニカ・トール『ノーラ、12歳の秋』(小峰書店)という、大好きな児童小説の挿画が高橋さんだったんです。この人に頼みたい、と思ってメールを出したら相談に乗ってくださいました。そこからは、相当困らせたと思います。さすがにその自覚はあります(笑)。

本当は、昨年の前半にすでに完成しかけていたんです。その時はカラーで、もっとイラストをページいっぱいに配したものでした。

でも、震災があって、僕自身、混乱してしまって。

死別して悲しんでいる人に向けて本をつくっていたものですから、あんな風に一日でたくさんの人が亡くなってしまうと、もうわけがわからない。しばらく経ってから、なんというか、物語の力を借りるのではなく、もっと簡素に、読み手に開かれたものをつくらなきゃと思って、イラストをかなり減らしました。

―― 「物語の力」というのは、イラストの「良さ」がかえって読者に詩の「読み」を押し付けることになる、といった意味でしょうか?

島田 だいたい、そういう意味です。1枚のイラストがもつ物語性が「読み」を狭めるというか。でも、それが正しかったのかどうかはいまでもわかりません。すごく不安です。そっけなさすぎやしないか、と。

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―― もし、創業当時にこの本がすんなり完成していたら……

島田 たぶん最初の案のような本になっていたでしょうね。そして、まったく違う版元になっていたのかもしれません。

従兄が亡くなったあとに50社に落とされて、鬱屈しながら、ミシマ社さんやアルテスパブリッシングさんがその創業からを綴られたブログなどを読んでいたんです。そのうち、自分が出版社をやったとして、いったい何を出したいだろう、と考え始めていました。その答えがこの本だったんです。

―― 夏葉社のホームページでも、刊行予告ともに詩の全文が掲載されていますが、ネット上にはほかにもいくつか別の訳が出ているようですね。

島田 だからこそ、変な訳で読んでほしくなくて、ホームページにも出してしまったんです。ぼくの営業力では、本がどうしても届かない人たちがいます。その人たちにも、たとえコピー&ペーストであってもいいから良い訳で読んでほしい。2年かかって、やっとこれだけのことができました。

刊行前から、すべてのテキストを出版社自らが公開してしまった本。この本を買うとき、その人はいったい何を買うのだろうか? そもそも、人はなぜ本を買うのだろうか?

すべての人に当てはまる答えがあるはずもない。でも、何人かはこの本を書店で手に取ったとき、そこに答えを見つけるのかもしれない。

これから出していきたい本のアイデアを、島田さんはいくつか聞かせてくれた。驚くようなものも、喉から手が出るほど欲しい本もあった。それはここには書かない。でも、おそらく島田潤一郎の夏葉社は、この『さよならのあとで』から始まっていくのだろう。

赤の他人が「こうすればいい」なんて気やすく言えるような、簡単な道ではないことは間違いない。それでも、彼が版元を興してまで本にまとめたかった詩の、その最後の一行に、夏葉社の未来があらわれているように思えてくる。

すべてはよしです。
All is well.

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◆『さよならのあとで』(夏葉社ホームページをご覧ください)
http://natsuhasha.com/

◆バーナード・マラマッド『レンブラントの帽子』

◆関口良雄『昔日の客』

◆上林暁傑作小説集『星を撒いた街』

◇又吉直樹『第2図書係補佐』幻冬舎よしもと文庫

◇アニカ・トール、菱木晃子・訳、高橋和枝・絵『ノーラ、12歳の秋』小峰書店

プロフィール

柳瀬徹編集者 / ライター

フリーランスの編集者・ライター。『脱貧困の経済学』『もうダマされないための「科学」講義』『「デモ」とは何か』『みんなで決めた「安心」のかたち』などの企画編集や、インタビュー、書評など。3児の父。起こし原稿の再構成がたぶん得意。

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