2015.08.19

集団的自衛権への対案――武力を使わない、世界に先駆けた、最新の“ポスト集団的自衛権”

伊勢崎賢治『戦場からの集団的自衛権入門』から

国際 #安保法制#集団的自衛権

国連PKO上級幹部として、東ティモール、シエラレオネの戦後処理を担当。また日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除の任に就き、「紛争解決請負人」「武装解除人」として、戦場でアメリカ軍、NATO軍と直接対峙し、同時に協力してきた東京外国語大学教授の伊勢崎賢治氏。

日本人で最も戦場と言う名の現場を知る氏が昨年刊行した本『戦場からの集団的自衛権入門』の中から、【武力を使わない、世界に先駆けた、最新の“ポスト集団的自衛権”の行使」――日本の将来の国益を損なう「集団的自衛権の行使容認」に対する対案であり、アメリカの国益と世界益にもかなう――ジャパンCOINの具体的な中身】の部分を引用する。(構成 / 編集集団WawW ! Publishing 乙丸益伸)

9条という名のイージスの楯

ここで指摘しておきたいことがあります。安保法制懇の第2回目の報告書に書かれている次の文言についてです。

「なお、集団的自衛権の行使を認めれば、果てしなく米国の戦争に巻き込まれるという議論が一部にあるが、そもそも集団的自衛権の行使は義務ではなく権利であるので、その行使は飽くまでも我が国が主体的に判断すべき問題である。」

この文言を見る限り、安保法制懇の皆さんは、「日本は、いつなんどきでも、アメリカからの要請を断ることもできるのだ」と言っているように見えます。しかし、我々国民がここで考えなければいけないのは、「日本がこれまで、遮二無二自衛隊の海外派遣へと突き進んできた原動力は何だったか?」ということです。

その答えは、「湾岸戦争のトラウマ」であり、アフガニスタン戦争への自衛隊の派遣の時の「Show the flag」だったのです。

※「湾岸戦争のトラウマ」と「Show the flag」については、前々回の記事『「集団的自衛権の歴史」を一気に学ぶ』の「湾岸戦争のトラウマ」以降と、「「Show the flag」の真意」以降を参照(構成者注)

「湾岸戦争のトラウマ」を感じ、自ら進んで自衛隊を海外に派遣し続けてきた時代。「Show the flag」と言われ、自衛隊派遣の賛成と反対に国論を二分しながらも、世界中のどの国よりも早く自国の軍隊(自衛隊)をインド洋に派遣した時代……。それまでの日本は、「憲法9条」による、「集団的自衛権は持つが、行使はできない」というしばりを明確にかけていました。いわば、自衛隊を海外に派遣できない理由として、「憲法9条という名の楯」を持っていたのです。

にもかかわらず、アメリカがそれを求めているからと――より正確には、アメリカがそう求めていると勘違いをして――、〝自ら〞〝進んで〞、自国民を海外に派遣し続けてきたのは、日本自身なのです。

はっきり言って、「集団的自衛権は行使できない」というしばりをかけていた時代――すなわち「我が国は集団的自衛権を行使できないため、自衛隊を海外に送ることはできない」と、まだ言えた時代――であってさえも、我が国は、アメリカの意向(であるように感じたもの)に、一切逆らうことができていない状況だったのです。

いや、逆らうどころか、自らアメリカの意向らしきものを汲み取って、進んで踏み込み続けてきたといっていいでしょう。

(解釈改憲によって実質的に)9条という楯までもが完全に破壊されてしまった状況で、「そもそも集団的自衛権の行使は義務ではなく権利である」、「その行使は飽くまでも我が国が主体的に判断すべき問題である」と、アメリカに強く主張する日本政府の勇ましい姿が想像できるでしょうか?

「集団的自衛権の行使はできない」というしばりを持ちながらも自国民を海外に派遣し続けてきた日本が、「集団的自衛権を行使できる」時代を迎えた時、自国民を海外には派兵しないという選択を〝主体的に〞判断できる国になるとは、私にはどうしても思えないのです。

確かに改憲派の人たちが言う通り、当初9条は、日本の軍部を無力化したいアメリカから押し付けられたもの――言うなれば日本にしばりをかけるもの――でした。しかし今では、当のアメリカでも後悔し、出口戦略に苦悩する(ここをしかとご理解ください)集団的自衛権の行使に、日本が勝手にアメリカの意向を汲み取って、自らを引きずり出すことを、ある程度抑制できる「しばり」になっていました。

※「アメリカでも後悔し、出口戦略に苦悩する集団的自衛権の行使」とは何か? については、前々回の記事『「集団的自衛権の問題点」を一気に学ぶ記事』の「アフガン戦争は、最悪の方法で終わろうとしている」以降を参照(構成者注)

「9条を押し付けたのは、あなただもんね」と。

日本が海上自衛隊に配備しているイージス艦の「イージス」の語源が何かを知っているでしょうか。これは、ギリシャ神話の最高神ゼウスが娘のアテナに与えたアイギス(Aigis)という名の楯のことで、アイギスの楯にはあらゆる邪悪を払う力が宿るとされています。

日本にとって真のイージスの楯は、日米同盟を強化するために配備された、建造費1400億円、年間維持費40億円の6隻のイージス艦という物理的実行力だけではなく、憲法9条そのものでもあるのです。

9条という名のグングニルの槍

また9条は、より攻撃的なグングニルでもあります。グングニルとは、北欧神話の主神オーディーンが持つ槍のことです。狙った的を射そこなうことは決してなく、この槍を持った軍勢には必ず勝利がもたらされる、とされています。

なぜ、9条はグングニルだと言えるのか? それは、私自身が、アフガニスタンで武装解除の任務遂行中に、憲法9条を武器にすることで、ネゴシエーション(交渉)の成果をあげた経験があるからです。

アフガニスタンで軍閥の武装解除を行っていた時、一つの障壁となっていたのは、当時のアフガニスタンの国防省自体でした。アフガニスタンの暫定政府は、東ティモールの暫定政権のように国連が運営しているものではなく、米・NATO連合軍が、軍事占領する形でアフガニスタンに入っていき、Insurgent(タリバン・アルカイダ残党)と闘いながら打ち立てたものです。つまり、米・NATO連合軍が、元の政府であるタリバンを武力で排し、タリバンと戦った軍閥たちを新たな暫定政権に迎え入れる形で樹立されたものなのです。

私が政府から委任される形で行った日本の武装解除は、新国軍をアフガン唯一にして最強の軍隊にすることで、アフガンに秩序をもたらすことを目的として実施したものです。ですからこの作業は、日本が、アフガンの国防省から依頼を受けたという名目で――すなわちアフガンの国防省名義で――実行に移したものでした。

しかし、武装解除を管轄するアフガン国防省が、その時、一つの軍閥に支配されていたのです。その一つの軍閥の支配下にある国防省が、他の軍閥の武装解除を行うという構図は、一つの軍閥が他の軍閥から強引に刀狩りをおこなっているようなもの。完全に中立性を欠いてしまっていたのです。

このままだと、我々の武装解除は、〝ネーション(国家)〞を樹立するためという大義を失い、国防省を牛耳っている一つの軍閥のみを利する行為となってしまいます。そんな腐敗した国防省が実施する武装解除に、「はいそうですか」と、易々と応じてくれる軍閥などありません。そこで、武装解除を実施する前に、この国防省自体を改革しなければならなかったのです。

一つの軍閥が牛耳るトップの人事を総入れ替えして、他の軍閥にも均等に分配することで、公平な国防省にすることからはじめなければいけません。しかし、この国防省の改革が、アフガン新国軍建設を担当しているアメリカにはできなかった。アメリカを中心とする超大国は今まで、アフガニスタンの歴史を踏みにじってきました。軍閥たちの超大国に対する根強い反発心を最も強く肌身で感じていたのは、実は、アメリカ自身だったのです。

そこで、日本は、アメリカ軍の最高司令官と、国連代表のブラヒミさんと協議をし、日本の名前を前面に押し出す形で、この国防省を牛耳る最強軍閥の長に迫りました。

「国防省が『軍閥』である限りは、日本の支援が一つの武装勢力を利することになってしまう。これは日本にとって違憲行為だ。だから、国防省を改革しない限り、日本の血税は1円も使わせない」

「日本の60億円をはじめとし、100億円もの国際支援が集まった。もう後には引けない。君の軍閥が、いや君が、世界を敵に回すなら話は別だが」

半年かかりましたが、日本は国防次官以下、すべての主要ポストを入れ替えることに成功したのです。その間、軍閥の子飼いの鉄砲玉たちから(と思われますが、真相は定かではありません)、日本大使館に対して殺害予告も受けたりもしました。当時まったく警備体制が整っていなかった大使館の私たちは、その予告に縮みあがったものです。

こうして日本は、アメリカのCOINにおいて、最難関であった国防総省改革と武装解除に成功しました。これは、9条を武器にした日本がアメリカと世界に対して「大きな主体性」を発揮できた、分りやすい実例だと思います。

9条は世界との交渉の場において、「支援を行う代わりに日本が口を出す」ことを可能にしてくれる、強力な武器でもあるのです。

ここで考えていただきたいのは、これまで、かすかに発揮できていた日本の「主体性」は、何によって保たれていたのか、ということです。確かに自衛隊の活動範囲が広がってきており、9条の文面と現実の乖離は、埋めようがありません。その意味で9条は、〝いつかは〞、変えなければならない時がくるのでしょう。

でも、9条を変える決定を下すその前に、日本がInsurgentと対峙し、交渉していく際の「グングニル」として、9条を使っていくというのはいかがでしょうか?

今、我々の一番大事な友人であるアメリカが、COINの実践においてこれほど苦悩している時に、その槍は大変な威力を発揮するはずです。

私が、「集団的自衛権の行使容認」に反対している、最も物理的な理由は、憲法9条の実質的な(解釈)改憲となる「集団的自衛権の行使容認」によって、この9条という名の「アイギスの盾」と「グングニル」を日本が永遠に失うことになってしまうためです。その損失は計り知れない規模のものになってしまうのです。(略)

PKOはもう撃たない部隊などではない

またここで、「集団的自衛権の行使容認騒動」の裏で、着々と進められている自衛隊の国連PKOでの活動範囲の拡大政策に潜む、あまりに大きな問題点の話についてもしておきたいと思います。現在のPKOが、カンボジアに自衛隊を派遣していた時のような牧歌的な状況にはない、というお話です。

アフリカのコンゴ(旧ザイール)に派遣されている世界最大のPKO部隊(国連コンゴ安定化派遣団:MONUSUCO)に関する話です(自衛隊は不参加)。1996年から現在まで断続的に続くコンゴの紛争では、すでに540万人が亡くなっており、冷戦終結後の紛争の中で最も死亡者数が多い「世界最大の紛争」「アフリカ大戦」と言われています。

この紛争は「内戦」などと呼ばれますが、実際はコンゴの豊富な資源をめぐる、世界中の国の企業が関与している資源争奪戦です。反政府武装勢力が海外からも流れ込み、国中で局地的な紛争が発生するという悲惨な状況になっています。

この国連コンゴ安定化派遣団は、1999年からコンゴに派遣されています。「敵のいない軍隊」と呼ばれたかつてのPKOのマンデート(任務)は、今まで再三説明してきたように、中立性を重んじ、決して紛争の当事者に加わらない、抑制の利いたものでした。しかし、コンゴの状況は、急激に悪化してゆきます。

相手の意気を沮喪させる戦略として集団強姦が行われたり、大量虐殺が多発したりと、それはひどいものでした。そんな悲惨な状態のエスカレートを憂い、国連安保理は、「住民の保護」をPKOマンデートの主軸に据えることを決めました。しかもそれは、バイ・オール・ミーンズ――あらゆる手段を使って――です。

具体的には、2013年3月に、国連安保理は「PKOの任務を遂行するため、部隊への攻撃を繰り返す武装勢力に対抗し『無力化』――いわば、武力をもって行う刀狩り――を行っていい」との決議を全会一致で採択します。

PKOに「平和の強制執行」の任務が与えられるという最悪の事態は、1990年代のソマリア以来のことです。さらに安保理は、「住民の保護」と言っても、駆け付けた時にはもう遅い。住民は既に餌食になってしまっている。だから、悪さをする前にそういう武装勢力を「無力化」する必要がある――。そういって、2013年8月、国連史上初めて、先制攻撃さえも厭いとわない特別部隊(InterventionBrigade:武力介入旅団)の設置を全会一致で承認。この部隊は既に、武装勢力への先制攻撃を成功させているのです。

そして、この「住民の保護」のために武力を積極的に用いるPKOの任務は、今、コンゴに限らず、世界中の活動において常態化しています。それは、今現在自衛隊が派遣されている南スーダンPKOでも同じです。もはや「駆け付け警護」どころの騒ぎではありません。PKO部隊はすでに「敵のいない部隊」ではないのです。

本来、中立的な活動しか行わないはずのPKOの部隊が、ここまで好戦的になっている理由は2つあります。一つは、変化する最初のきっかけとなった、前述の1994年ルワンダの大虐殺です。ジェノサイドが行われる以前、フツ系のルワンダ政府と、ツチ系の反政府ゲリラとの間で、一応の停戦がなされた瞬間がありました。双方の合意を得る形で、国連平和維持軍が派遣され、和平を加速しようとしていました。停戦している状態のため、派遣を決めた各国も、比較的お気軽なミッションだと考えていたはずです。国連平和維持部隊の数は、2500人にのぼりました。

ところが、(略)PKOが派遣されていたにもかかわらず、100日間で80万〜100万人が殺されたのです。

この時の強烈な反省から、住民を「保護する責任」という概念が生まれました。その後、「内政不干渉の原則」との葛藤のはざまで、国連と国連安保理内の悶々とした議論が続けられるようになりました。

中立的な活動しか行わないはずのPKOの部隊が、ここまで好戦的になるキッカケとなったふたつ目の事件――。それは、「保護する責任」のために、積極的に武力を用いることすら厭わないとの、世界で最初の決断を国連安保理が下すことになった、2011年にリビアに対して行われたNATOによる空爆でした。

2010年末に始まったアラブ諸国の民主化運動(アラブの春)の影響を受けて、カダフィ大佐率いるリビアでも反政府デモが全土に拡大し、リビアが内戦状態に陥りました。これに対しNATOは、「住民の保護」という名目で反政府側を側面支援、「国連のお墨付き(決議)」を得てリビアを空爆したのです(2011年10月に政権は崩壊。カダフィ大佐は出身地シルトに潜伏したものの、反カダフィ派に発見され、銃殺された)。

この時のNATO連合軍による武力の行使は、「住民の保護」の域を超え、完全に「一国の政府を転覆させる規模」のものでした。その行為に、国連安保理が初めて承認を与えたのです。

国連的措置によるNATOの派遣と、国連的措置によるPKOの派遣は、その任務に明確な違いがあります。前者の軍事行動の指揮権はNATO側にあり、後者の軍事行動は、国連が指揮権と全責任を負っています。しかし結局のところ、「許可」を出しているのは、どちらも国連安保理なのです。

※「集団的自衛権」と「国連的措置」の違いについては、『安保法制について考える前に、絶対に知っておきたい8つのこと』の「1.集団的自衛権と集団安全保障は明確に違うもの」参照(構成者注)

その後、リビアでの措置によって好戦化した安保理は、先述の通り、コンゴでのPKOの活動に、「無力化」の命令を出したのです。我々日本人は、ここまで好戦化している国連PKOの活動に対し、いまだ「PKOは国際協力だから」などという甘っちょろい見立てをしています。

ですから、安保法制懇が2回目の報告書で出してきた、「国連の集団安全保障措置は、我が国が当事国である国際紛争を解決する手段としての武力の行使に当たらない」などとする見方は、激変する国連PKOの姿と9条との整合性を完全に見誤っています。その程度の認識で集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊をPKOの本体業務に送り込んでいたら、いつか自衛隊が大規模な戦闘に巻き込まれ、海外の戦争に参加するという事態に陥ってしまうことでしょう。

いや、「いつか」などという曖昧な表現は適切ではありません。実際、海外に派遣されている自衛隊はすでに、いつ戦闘に巻き込まれてもおかしくないところまできています。それほどに、現在の南スーダンの状況は逼迫してきているのです。

すでに引き返せない自衛隊

もちろん、「日本はPKOに派遣している自衛隊が危険に陥ったら、兵を引くだろう」という見立てもあるでしょう。しかし残念ながら、その甘い見立てが、いままさに自衛隊を危機へと追い込んでいるということも、ここで指摘しておかなければなりません。

陸上自衛隊がPKO要員として、2012年1月から派遣されている南スーダンにおいてのことです。南スーダンは、1983年から2005年まで続いた内戦(第二次スーダン内戦)を経て、2011年にスーダンから分離した国です。その南スーダンに、いま、安定と開発への支援を目的として陸上自衛隊が送られています。

陸上自衛隊は、道路建設などのインフラ整備を本来の任務として出ていったのです。しかし、2013年12月、南スーダン政府軍に対して反政府軍がクーデターを起こすという事件が起きました。クーデターは、陸上自衛隊が駐屯している首都ジュバでの武力衝突に発展。その後、停戦合意と戦闘再開が繰り返される、泥沼の内戦状態へと突入していきました。今、南スーダンは、第二のルワンダ化が心配される世界で最も危険な地域の一つになっているのです。

この南スーダンにおいてもまた、国連PKOは、従来の中立性を保つ姿勢を破りました。2014年5月、国連安保理はPKOの任務について、「国づくり支援」から「市民の保護」の活動に重点を移すとの決議案を、全会一致で採決しているのです。

リビアへの対処から始まった、国連平和維持活動のマンデート(使命)としての「住民の保護」の常態化は、明らかに、今海外に派遣されている自衛隊の活動にも影響を及ぼしていることなのです(「住民の保護」と言えば聞こえはいいが、その中には敵に対する先制攻撃も含まれていることはすでにお話しした通りです)。

陸上自衛隊の隊員400名を率いて南スーダンを訪れた井川賢一1等陸佐(45歳)は帰国後、産経新聞の取材を受け、当時の状況について次のように答えています(2014年6月27日のmsn産経ニュース)。

(筆者注:第4次隊と交代する形で、井川1等陸佐率いる第5次隊が任務に就いた2013年12月)15日の深夜から(陸上自衛隊の宿営地がある)首都ジュバ市内で断続的な射撃音が聞こえてきた」。政府軍と、反政府のマーシャル前副大統領支持派の間で突然、銃撃戦が始まった。

「実際に見たわけではないが、経験上(ライフルや拳銃などの)小銃、小火器の音のように聞こえた。(略)その翌朝、異例の対応に追われた。宿営地に隣接する国連施設のゲート付近に避難民が集まり始めたのだ。「その数は数百から数千人」。

昼過ぎに開門して避難民を収容した。避難民収容の際は、武器を持った人物がまぎれる可能性もあるため、緊張を強いられた。

年が明けた1月4日、今度はジュバ市内で銃撃戦が発生。5日夕刻には宿営地の近くで断続的な射撃音が聞こえた。

反政府勢力が首都に向かって進撃中との情報を国連から得た井川1佐は、全隊員に小銃などの武器弾薬の携行と防弾チョッキの着用を命じたうえで「正当防衛や緊急避難に該当する場合は、命を守るために撃て」と、異例の射撃許可を出した。

国連の報道によれば、南スーダンの死者は少なくとも千人以上に上っており、約23万人が家を追われ、約6万人が国連施設に避難しているというのです。つまり、今現在、日本の自衛隊がいる南スーダンが、世界最悪の戦争と呼ばれるコンゴの紛争のような様相を呈し始めているのです。

では、そんな状況の中、日本政府は自衛隊を南スーダンから撤退する判断をしたのでしょうか? 答えは否です。自衛隊は、紛争が絶えない危険な状態にある南スーダンでいまだに活動を続けています。なぜこんな状況でも、日本政府は自衛隊を日本に呼び戻せないのか?

私は、元防衛庁長官官房長で、イラク戦争時に内閣官房副長官補(安全保障担当)を務めていた柳澤協二さん(自衛隊をイラクのサマワに派遣した張本人)に、第32回マガ9学校の対談の場で、「柳澤さんが南スーダンに自衛隊を送る責任者だったら、自衛隊に帰って来いと言えますか?」という質問をしたことがあります。彼の回答は次のようなものでした。

「言えないですね。(略)PKO法では、停戦合意が崩れたら業務を中断しなければならなないし、戦闘が恒常化するのであれば撤収することになっています。しかし、日本だけ撤収するのは周りに対する影響は大きいですし、やはり難しい。」

国際的な「保護する責任」の声の高まりにより、今では撤退すると、住民を見捨てたものとみなされ、「人道上、卑怯な行い」とされる風潮があります。これは、ルワンダの時とは明らかに異なる状況です。つまり、日本の自衛隊のPKOへの派遣は、2014年9月現在の時点ですでに引き返せないところまできてしまっているのです。

日本人は人を殺しに行くのか?

南スーダンにおける自衛隊は、駐屯する国連施設に数千人の避難民が押し寄せるという状況をすでに体験しています。ここで問題なのは、井川1等陸佐も言っていた通り、「武装集団は、避難する一般市民に紛れて行動する可能性もある」ということです。もしも、保護を求めて自衛隊の基地に流れ込んできた住民のなかに、武装集団が紛れ込んでいたら? それを追って敵対勢力の武装集団が、熱狂状態にある群衆に紛れて迫ってきたら? 自衛隊は、どういう立場におかれるのでしょうか。

もはやその不安は、遅きに失していると言っていいでしょう。今回の閣議決定では、当然のごとく、「国際協調主義に基づく『積極的平和主義』の立場から、国際社会の平和と安定のために、自衛隊が幅広い支援活動で十分に役割を果たすことができるようにすることが必要である」とされました。

しかし、ほとんどの国民がその危険性を知らず、マスコミも易々と見逃してしまい、誰一人として気づいていないというお粗末な状況でした。日本は、将来ではなく、今現在の時点でも、無垢の民間人と区別のつかない「敵」を殺さざるを得ない状態にあり、帰ることもできないでいるのです。(略)

だから私はここで、集団的自衛権の行使容認を撤回するだけでなく、今までのPKOへの無自覚の参加の形式をすべて一旦取りやめ、改めて、非武装の自衛隊を海外派遣することで、日本が真に積極的平和主義の行動に乗り出す――。そのためのジャパンCOIN発動をここに大々的に提案したいと思います。

※現在の形の自衛隊のPKO派遣をすべて取りやめても問題がない理由は、『安保法制について考える前に、絶対に知っておきたい8つのこと』の中の「7.自衛隊は“今”すでに、海外で人を殺さなければいけない一歩手前にまで追い込まれている」参照(構成者注)

日本の強みを生かすには?

さて、本題の「武力を使わない、世界に先駆けた、最新の“ポスト集団的自衛権”の行使」――日本の将来の国益を損なう「集団的自衛権の行使容認」に対する対案であり、アメリカの国益と世界益にもかなう――ジャパンCOINの具体的な中身」の話について。(これは、現在の形での自衛隊のPKO派遣をすべて取りやめた場合の具体的対案にもなっている方法でもある;構成者注)

現在、「アルカイダよりヒドい」と称される「ISIS(イスラム国)が、シリアとイラクで台頭し、アルカイダの指導者ザワヒリが、東方のアジアに活動を広げるとの声明を出すなど、世界的にInsurgent(テロリスト。伊勢崎氏は、彼らをテロリストと呼びたくないのでこう呼ぶ;構成者注)の動きが活発化してきています。

そして2014年は、アフガニスタンのタリバンにとって、米・NATO連合軍に〝勝利〞し、「タリバン国」を打ち立てる可能性が高まる記念すべき年になりそうです。

アフガニスタンは今や、Insurgentにとって〝夢実現〞のシンボルになりつつあります。彼らの世界では、「アフガニスタンで(アメリカと)戦った経験」は名誉ある戦歴として賞賛されているのです。アメリカのCOINを巡る状況は、より複雑な局面を迎えつつあります。

この問題の源泉は、実はタリバンを実質的に製造してきた、アフガンの隣国パキスタンと、更にそのまた隣国のインドとの関係を考えなければいけません。両国は建国以来「印パ戦争」の仲です。この二大“違法”核保有国の領土紛争の現場が「カシミール」です。これは、アフガニスタンとパキスタンの国境から目と鼻の先にあり、インド側にもイスラム教徒が多い地方です。

実は、この地区で生み出されたのが、小国(この場合はパキスタン)が大国(この場合はインド)に立ち向かうためにInsurgentを製造し、大国と戦わせる方法だったのです。更に悪いことに、この領土紛争には、その上部が接する中国も一枚からんでいます。つまりここは、「Insurgentの巣窟」であり、「3大核保有国の係争地」でもあるのです。

こういう歴史的な敵対心、そして、後のソ連のアフガン侵攻によって、パキスタン民衆のナショナリズムが増幅(イスラム原理化)されました。そして、自国政府への不満、印パ(インド-パキスタン)関係の悪化、アフガンでのタリバンの“勝利”によって、さらにこの国は「過激化」しようとしています。

その焦点こそが、アフガンとパキスタンの国境地帯なのです。この国境地帯は、歴史上難攻不落だった部族たちが幅を利かせる地帯です。ここが現在の対テロ戦の主戦場であり、これからも「過激化」の温床となることは間違いありません。

ただし、ここまでパキスタンを諸悪の根源みたいに書いてきましたが、中世の時代から、ヒンドゥー対イスラムの民族問題が絡み、更に、当時この国を支配していた英国から、一つのインドとして独立できなかったという、この国の悲劇は、理解しておく必要があります。

現在、この国境地帯では、アフガニスタン、パキスタン両国の軍が向き合って、Insurgentと戦うために協働しています。しかし、アフガン軍は、昔タリバンと戦った元北部同盟の息が強い軍隊ですから、そのタリバンをつくり支援してきたパキスタン軍を全く信用していません。そのため、両軍が喧嘩しないよう、NATO軍がその間に入ることで、かろうじて三角関係(NATO軍はアフガン軍と一体ですから、歪な△ですが)を保っています。現在も、国境上において定期連絡会(フラッグミーティングと言います)を行い、信頼醸成に努めています。

しかし、この鎹(かすがい)になっているNATO軍が、2014年いっぱいで撤退するわけですから、アフガン軍とパキスタン軍の関係がこじれ、国境上で交戦状態になることが危ぶまれているのです。

アフガン・パキスタン両軍が交戦状態になること――。Insurgentはそういう混乱こそを狙っています。なぜならInsurgentは秩序が崩壊した場所にこそ蔓延り、勢力を拡大していくものだからです。

もしも、そうやってパキスタンでさらに原理化と過激化が進行し、国軍の兵士たちが、ナショナリズムのはけ口として、それに呼応し、群が独占的に管理しているパキスタンの核が、「国」ではなく、「国に準ずる組織」に拡散してしまったら……。こんな悪夢を起こりうる現実として考えなければならないのが、この国境問題なのです。

これが、米・NATO連合軍が2014年のアフガン撤退が引き起こす「ポスト2114年」の問題です。

では、この地方で「過激化」「原理化」の一つの根本原因になっている貧困や格差の問題を解消することでInsurgentを抑え込む手立てはないのか? しかし、この地は、ネーション(国家)による秩序が存在しないからこそ、いまだに部族が幅を利かせる治安最悪の地区なのです。そんな場所には、「開発」のためのODA(政府開発援助)や、NGO(非政府組織)を送るというような従来の開発援助の手法では到底太刀打ちできません。すなわち、NATO撤退後に両軍の信頼醸成を図り、この地のInsurgentに共同で対峙する仕組みを構築することが、今、全世界にとっての急務なのです。

さらにアフガニスタンが厄介なのは、すでに述べたように、アメリカが今、アフガニスタンにおいてタリバンとの和解を進めようとしていることです。そのためにアメリカ(を含む我々)は、アフガン側のタリバンとパキスタン側に巣食うアルカイダ的なものとを、区別しなければならいない状況にあります。

アメリカを始めとする国際社会は、「アルカイダは許せないが、アフガン側のタリバンは違う」と無理にでも信じてタリバンと和解する以外、もうなにも打つ手がないのです。

その場合、タリバンには、「そちらの言い分も聞いてあげるから、アルカイダ的なものとは完全に手を切ってくれ」という方向で話を進めていくしかないでしょう。そうしないと、米・NATO連合軍の撤退に伴うアフガニスタンの「タリバン化」(タリバンの再勃興)が、このアジア全体の原理化、過激化の決定的な引き金となってしまうからです。

この危機感の中、国際社会では、NATOがやってきたことをPKOが引き継ぐ案が議論されています。しかし、集団的自衛権の行使としてやってきたNATOにできなかったことを、〝温和〞なPKOがどうやって引き継げばいいのかという問題があります。

私は、その時に一番現実的なのは、小さな政治ミッションでしかなかったアフガニスタンのUNAMA(国連アフガニスタン支援団)のマンデート(任務)を〝少し〞拡大し、「国連軍事監視団」を設け、アフガンとパキスタン国境上の監視役(NATOの代わり)として常駐させることだと考えています。

これが、我々の近未来を支配する対テロ戦とCOINにとっていちばんの悩みの種である彼の地に、移り気な国際社会を〝半永久的〞にコミットさせる唯一の方法なのです。

このような国連軍事監視団の任務は、中立性を発揮しなければ両者の信頼を損なうため、紛争当事者国に利害関係のない国の要員が向いています。そして、同じ理由から、非武装で行うことが原則です。

だから私は、この任務に、日本が手を挙げるべきだと考えているのです。

ここにこそ、日本が「武力を使わない、世界に先駆けた、最新の“ポスト集団的自衛権”の行使」――ジャパンCOIN――を実行する、大きな余地が生じていると考えています。

国連軍事監視団は、伝統的に「安保理の眼」とも言われ、国連の本体業務中の本体業務です。大尉以上の軍人が多国籍のチームを作り信頼醸成にあたる、非常に名誉ある任務です。その任務に、日本が手を挙げるのです。これは、国際社会・アメリカに対し、日本が持ちうる「強み」と「補完性」を最高の形で発揮できる方法であると同時に、真の積極的平和主義の先駆けとなるための、極めて現実的な方法です。

しかもそれは、国連的措置に関する任務であるため、日本の美しい誤解を損なう集団的自衛権の行使容認を行う必要はありません。さらに非武装で行う任務なので、憲法9条の問題においても、一切揉める必要がないものなのです。

2013年の暮れ、来日したドイツのアフガニスタン・パキスタン担当政府特別代表ミヒャエル・コッホ特命全権大使にお会いした私は、この件について話し合う機会を得ました(彼とは、アフガン時代から面識がありました)。

彼は、日本と一緒になって、もう避けられないところにまできているアフガニスタンの「タリバン化」を、いかに「国際社会共通の脅威」として認識させるかの可能性を探っていました。タリバンを、一つの政治単位として認めて、過激な連中でも、みんなでワイワイもり立てて、「明るい原理主義者」になってもらう方法はないか……。冗談のように聞こえるかもしれませんが、彼は真剣でした。

そして、タリバンとの和平を現実のものとして前進させるために、アフガニスタンにもう一人の国連事務総長特別代表のポストを置く――。その特別代表が、タリバンとの和平を強力に推進する。こういう具体案を話していました。

実は、彼が来日した理由は、この案を日本とドイツが協働することで実現したいというものだったのですが、自公政権はあまり興味を示さなかったようでした。

ですが、あえてタリバンの懐に入っていき、政治単位としての成長を側面支援することで和平を実現することでしか、アフガンのタリバン化とInsurgentの世界的な拡大を防ぐ手立てがないのは事実です。

ところが、これは、イスラムの民から嫌われているアメリカやその他の強面の同盟国には決してなしえないことです。では誰が名乗りを上げるべきなのか? 少なくとも、「ポスト2014」の牽引国ドイツの最高責任者であるコッホ大使は、日本に期待を寄せていたのです。これが、私の言う、「ジャパンCOIN」発動のための最初の具体策です。

*  * *

 

賛否両論おありでしょうが、筆者としてただ一つ、本書を通じて「体感」してもらいたかったことがあるので、ここに記しておきたいと思います。

例えば、あなたの前に一本のペンがあるとします。これは普通、「凶器」とは呼びません。でも、使いようによっては、今ここで、目の前の誰かを殺すことができるものです。しかし、日本では、そんなことを心配しながら生きている人は、滅多にません。私たちの間には、「傷つけられることはないだろう」という信頼感みたいなものが共有されているからです。

しかし、秩序の形成されていない最貧の国々には、その程度の安心感さえも提供されていません。

さらに、そのペンがスゴく高価なものだったらどうでしょう。学校でも会社でもどこでもいいのですが、あなたが席を外している間に、そのペンが盗まれてしまったとします。きっと慌てますよね。騒ぎになって、みんなで探して、犯人捜しもして。そういう内輪の努力でもペンが出てこなかったら、あなたは多分、警察に被害届を出すでしょう。そして警察沙汰になってやっと犯人が見つかっても、そこから示談になるかもしれないし、そのまま法で罰されるかも知れない。こういうふうに、日本であれば、ペンぐらいのことでも、様々なレベルで、人と人との間で起こる問題に、きめ細かく対処する体制が存在しています。

しかし、秩序の形成されていない最貧の国々には、そんなきめ細かな体制も提供されていません。

そこは、自分の身は――家族の身は自分で守るしかない――、誰も助けてくれない、あまりに寂しい無秩序、無法地帯だから。

普通、国内で残忍な凶悪犯罪が起こったら、犯人逮捕と同時に、社会の“何”がこの犯罪を生んだのか、という議論が必ず起りますよね。そういう事件が契機となって、法律や社会のルールが変えられたりすることだってあるでしょう。それは、日本が、罪を犯した人たちをも、社会の中に包摂していくには何が必要か、をみんなで考えるほどの「余裕」のあるほど成熟した社会だからです。

しかし、秩序の形成されていない最貧の国々には、何かの間違いを犯した人間に対して向けられるそんな温情は存在していません。

ちょっとした間違いを犯しただけで、見せしめのために人が撲殺される社会が、まだこの世界には存在しているのです。

「それがなぜなのか?」を考える機会に、本書がなることを祈っております。

こんな世知辛い国際環境ですが、私は、そういう「余裕」の種を、世界の最貧国に植え続け、そうしていつしかその国の人々に、不安なく、安心して生活し、眠りにつける環境を届けようと、愚直に行動し続ける国が、一つぐらいあってもいい、と思うのです。

その仕事を担うべきなのがどの国かは、もはや言わなくても、皆さんに伝わっていると、私は信じています。

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プロフィール

伊勢崎賢治国際政治

1957年東京都生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。東京外国語大学大学院「平和構築・紛争予防講座」担当教授。国際NGOでスラムの住民運動を組織した後、アフリカで開発援助に携わる。国連PKO上級幹部として東ティモール、シエラレオネの、日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を指揮。著書に『インドスラム・レポート』(明石書店)、『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『武装解除』(講談社現代新書)、『伊勢崎賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)、『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』(かもがわ出版)、『紛争屋の外交論』(NHK出版新書)など。新刊に『「国防軍」 私の懸念』(かもがわ出版、柳澤協二、小池清彦との共著)、『テロリストは日本の「何」を見ているのか』(幻冬舎)、『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)、『本当の戦争の話をしよう:世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)、『日本人は人を殺しに行くのか:戦場からの集団的自衛権入門』(朝日新書)

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