2010.09.09

日韓併合100年首相談話の背景と問題点

高原基彰 社会学

国際 #李明博#日韓併合100年首相談話#韓国併合ニ関スル条約#歴史問題

少し前の話になるが、前回更新の直後、菅直人首相が韓国併合100年をふまえた談話を発表した。日本国内では大して関心をもたれなかったが、韓国や中国ではそれなりに話題を呼んだ。悪い方にである。

韓国、北朝鮮、中国、それぞれの批判

韓国では、政府・与野党・民間団体のすべてが、ほぼ非難に等しい反応をみせた。彼らの多くが強調したのは、「韓国併合ニ関スル条約」が、そもそも無効な条約であったと言明しておらず、韓国人が納得する謝罪とはなっていない、という点だった。

もちろん各種の市民団体がもっとも先鋭的であり、条約の無効宣言に加え、個人補償の法制化、独島返還、慰安婦問題への明確な言及、「村山談話」以上の踏み込み、などなど、「これがないから納得できない」理由のリストは、無限につづくかのようである。

談話に一定の評価を与えたのは、ほぼ李明博大統領とその周辺だけだった。李大統領は光復節の演説で、部分的とはいえ談話を評価する文言を盛り込んだ。皮肉なことに、国内で不人気である大統領が一定の評価をしたことで、韓国内における談話への反応はさらに冷えこんだ。

また北朝鮮からは、韓国だけに謝罪することは「被害者を差別」することであるとした上で、日朝関係の最大の懸案は日本の「過去清算」であるという従来の批判が繰り返された。こうした批判を呼びこむこと自体、談話発表が南北関係の複雑さを踏まえた行動でなかったことの表れである。

中国では、「なぜ韓国に謝罪して、中国にはしないのか」という怒りの声が、ネット上などで一定の広がりをみせた。この背景には、中国の大国化に対して、日韓およびアメリカが協力して包囲網をしきつつあるなどという、陰謀論めいた世界観が以前から広がっていることがある。

国民を無視する日本の「良心派」

こうした反発に対し、政府および政府系メディアは、たしかに今回謝罪の意が韓国だけに向けられたことは遺憾だとしつつ、しかし現在日中の政治的・経済的交流は良好な状態にあり「歴史問題は最優先ではない」と述べて、自国民の一部に盛り上がる抗議世論をけん制していた。

むろんその背景には、排外主義が運動として具体化することをよしとしない、以前の反日デモや五輪聖火リレーの混乱を踏まえた政府方針がある。

韓国研究者の一部からは、韓国の実情をよく知る専門職員の意見を十分に取り入れていなかったのではないかという疑念の声も上がった。

何かしら日韓関係の現場に関わるような人びとのあいだでは、「どうでもよい」という冷淡な反応が一般的だったのではないだろうか。わたし自身、これほど評判が悪いとも思わなかったが、いずれにせよよい結果をもたらさないだろうことは容易に予想できた。

談話に現れているような日本の「良心派」の思考がもつ、ふたつの問題点を指摘したいと思う。

第一に、民意形成や討議のプロセスをすべてすっ飛ばした、トップ同士の密約的な外交で「歴史問題」が解決できると考えている点である。

なぜあのタイミングでこうした談話が出されたのか、おそらく首相周辺の人びと以外は誰にも分からないだろう。国民一人一人、むろん私にもまったく分からない。ということは、国民の意思はここには何も反映されていない。李明博大統領が光復節演説で評価を与えることは水面下で調整済みだったと報じられているが、その評価も韓国国民の意思とは何も関係ない。

こうしたやり方は、国民の反対を押し切って国交正常化し、「歴史問題」を棚上げしたまま経済援助で関係改善をはかってきた過去のやり方と、皮肉にも類似している。

しかしこのやり方は、韓国が軍事独裁体制だったから成立したのであって、現在はむろん、国民の自由な意思表示の回路が比較にならないくらい進んでいる。大統領周辺とだけ密約したところで、それに収まらない要求が国民の間から無限にでてくることは容易に予想がつく。

そもそも、韓国における歴史認識にもいろいろ問題があること、それにもとづいた運動すべての見果てぬ要求に日本が応えることなどできないし、すべきでもない。さらには李明博大統領が韓国で不人気であることなどを含めて、この談話を企図された方々はあまりに韓国について無知だったのではないか、という疑念を抱かざるを得ない。

「歴史問題」の完全解決はありえない

第二の問題は、日本が謝罪や補償を行えばすべてが解決するという思考回路が、裏返しの日本覇権主義を内包していることである。現在生じている軋轢の原因をすべて日本国内に求める思考も、そうである。

この思考回路は、中国・韓国その他が主体的にどう反応するかを、考慮の埒外においている。相手国はすべて、日本側のアクションを受容するだけの存在であり、彼らがどう考えているかを考慮する必要はないし、その内部にいかなる対立や論争があるかも知らなくてよいとされている。

皮肉ながらこの点も、経済援助さえすればよいだろうと考えてきた過去のやり方に類似しており、その裏返しに過ぎない。

違うのは、相手国はすでに日本からの援助など必要としていないこと、また「民主化」が進んで多様な世論が生起しており、日本問題や歴史問題というのもその中に織り込まれていること、さらにはそれら多様な意見が表明され、現実政治に影響を与える回路も広がるばかりであることだ。

冷戦体制の遺産が色濃く残りつつ、韓国・中国の高度成長と経済的台頭、それに加えて民意の発露の回路拡大という、さまざまな変化に、日本国内の議論がまったく対応できていない。他方で韓国や中国の反応も、この談話の文脈をなしている日本国内の議論について、まったく無知なものが多い。

結局のところ、「歴史問題」を完全に解決することなどできないこと、近隣諸国の国際関係とは往々にしてそういう問題を抱えるものであること、なんとかそれと付き合っていくしかないことを、すべての人びとが認識するべきだと思う。

一足飛びに「解決」を夢想するのではなく、お互いの国内事情をもっと学び合うべきであり、自国の言い分を代弁する(相手国で受けのよい夢想を語って自己満足している「良心派」も含む)だけではないかたちで、相互の政治事情や知的文脈を地道に説明し合うしかないのではないか、とわたし自身は思っている。

推薦図書

アジアの周辺国と日本との、外交関係の通史を押さえる際に大変有用な本。「良心派」的な観点からすれば、日本政府の公式見解を説明しているだけのようにみえるかもしれない。しかし、こうした巨視的な動きを踏まえなければ、本当にオルタナティヴな提案などでてくるはずもないのである。

プロフィール

高原基彰社会学

1976年生。東京工科大学非常勤講師、国際大学GLOCOM客員研究員。東京大学院博士課程単位取得退学。日韓中の開発体制の変容とグローバリゼーションにともなう社会変動を研究。著書に『現代日本の転機』(NHKブックス)、『不安型ナショナリズムの時代』(洋泉社新書y)、共著書に『自由への問い6 労働』(岩波書店)など。

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