日系アメリカ人の強制収容所問題と朝鮮学校の無償化除外問題の相似について 

(d)ようするに、民族浄化であったこと。

 

民族浄化といえば、内戦中の旧ユーゴスラビアにみられたように、異民族の大量虐殺を指示する用語だと思っている人も多いでしょう。しかし、比較的意味が狭いとされている国連の定義でも、「特定の領土に民族的単一性をもたらすため、その領土から計画的、意図的に特定の民族を暴力や恫喝によって排除すること」となっています。虐殺に至らずとも、大量の強制移住があれば、それは民族浄化なのですね。

 

ただ、国連の定義は二つの意味で、いささか範囲が狭すぎると私は考えています。一つは、「民族的単一性をもたらすため」という要件が厳格すぎて取りこぼしてしまう事例があること。もうひとつは、「排除すること」という行為に関する要件が厳格すぎて、潜在的な民族浄化を取りこぼしてしまうこと、です。

 

前者の要件によって取りこぼされてしまう事例の一つが、日系人の強制移住・強制収容です。アメリカは多民族国家であるため、たとえ強制移住が行われても、「民族的単一性をもたらすため」という定義に合わないのですね。しかし、中国人労働者は1882年にはアメリカ入国を禁じられていましたので、 1942年当時に日系人を排斥したということは、すなわち、アジア人を排斥したということと同義だったのです。一つの人種を地域から消し去った政策を、民族浄化以外の言葉でどう呼べばいいのか、私にはわかりません。

 

一方、後者の要件はどうか。私は、物理的には排除されなくとも、「完全に無色無臭に同化して《見えない存在》になってしまわないかぎり徹底的にいじめるぞ」とか、「見えないところに消えてしまえ」とか、「この地に異物として存在することを許さない」といったメッセージを恒常的に受忍させられる状態は、やはり民族浄化としか呼べないだろうと考えています。朝鮮籍の在日コリアンは、その典型事例です。

 

朝鮮学校とその関係者は、内閣からの発言やマスメディアの報道を通じて、日本社会は朝鮮学校の存在自体を罪悪視しているというメタメッセージを受忍し続けています。朝鮮人になるための教育機関は、その存在自体が許されるべきでないという暗黙の意思を常に感得させられ続けています。これは、やはり民族浄化としか呼びようがない事態ではないでしょうか。

 

さて、ここまで4つの論点に沿って、北米における日系人の強制収容問題と、朝鮮学校の無償化除外問題の異同について考察してきました。時代状況の違いはあっても、国家的利益を優先し、民族的マイノリティの人権を抑圧する政策という点では共通していることを論じたつもりです。

 

ただ、最後に一つ、両者の大きな相違点を挙げておかなければならないでしょう。それは、北米ではこの問題がリドレスの対象となり、許されない歴史的不正義だったという共通理解が成立しているのに対して、朝鮮学校問題は毎年のように国連から改善要求を受けている、現在進行形の人権侵害問題だということです。

 

 

 

 

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