2011.11.16

独露のノルド・ストリームの開通 ―― その背景と駆け引き

廣瀬陽子 国際政治 / 旧ソ連地域研究

国際 #天然ガス#ノルド・ストリーム#メドベージェフ#ロシア・ウクライナガス紛争#ナブッコパイプライン#サウス・ストリームパイプライン

ノルド・ストリーム開通

2011年11月8日、バルト海経由でロシアの天然ガスをドイツに輸送する「ノルド・ストリーム」パイプラインが稼働を開始した(地図1参照)。総工費は海底部だけで74億ユーロ(約8000億円)。陸部の建設費用も約60億ユーロにおよぶ。ロシアのブイボルクとドイツのグライフスワルトを結ぶ、海底1224キロメートルもにわたる長大なパイプラインだ。

パイプライン建設は2005年、ロシアとドイツのあいだで合意された。プロジェクトを取り仕切ったのは「ノルド・ストリーム社」(スイスに本社)。資本比率はロシアのガスプロム51%、独エーオン15.5%、独ウィンターシャル15.5%、蘭ガスニー9%、仏GDFスエズ9%で、ガスプロム社の事実上の子会社だといえよう。プロジェクトはロシアが主導し、ドイツが全面協力したかたちだが、首相職を終えたばかりのゲアハルト・シュレーダーが、ノルド・ストリーム社の役員に就任したことも大いに話題となった。

パイプラインはロシアとドイツに加え、バルト三国海域、ポーランド海域を通るため、バルト三国、ポーランドに加え、沿岸国のフィンランド、スウェーデン、デンマークからも許諾を取る必要があった。当初、環境破壊やロシアの影響力拡大などが危惧され、交渉は難航した。しかし、2010年2月12日、フィンランドが排他的経済水域での建設を許可、ついで沿岸国すべての許可が出そろい、同年4月に着工。その後はきわめて順調にプロジェクトは進んだ。

ドイツ北東部ルブミンで開かれた記念式典には、アンジェラ・メルケル首相やドミトリ・メドベージェフ大統領らが出席。メドベージェフ大統領はあいさつの中で、「欧州は債務危機を乗り越え、ロシアと共に多くの事業に取り組めると信じている」「ロシアと欧州には明るい未来が待ち受けている」などと高らかに述べた。ともあれ、ロシアはこれまでトラブルが絶えなかったウクライナやベラルーシを経由せず、直接、欧州に天然ガスを輸送できるようになった。

天然ガスはいまのところ、ドイツから英国やフランス、オランダ、デンマーク、チェコ、ベルギーに輸送される。初期の天然ガス輸送量は275億㎥/年だが、最終的には550億㎥/年とされており(参考までに、昨年、ガスプロムがドイツに供与した天然ガスは350億㎥であり、これまでの規模をかなり上回ることになる)、欧州のガス供給を支える重要なパイプラインになりそうだ。

地図1 ノルド・ストリームパイプライン

ノルド・ストリーム計画の背景

ノルド・ストリームの必要性が強く認識された契機は、「ロシア・ウクライナガス紛争」にあった。欧州は天然ガス需要の4割をロシアに依存しており、そのうち8割がウクライナ経由で輸出されてきた。それが、天然ガス価格やウクライナ側の未払い問題などで、ロシアがウクライナ向けの輸出を停止し(欧州向けの天然ガスは輸送していた)、しかし、ウクライナが自国分を抜き取ったため、欧州分の天然ガスが足りなくなり、欧州へのガス供給が滞る事件が度々起きた。そのため、「ウクライナを経由する」ことは、欧州にとっても、ロシアにとっても不利益だということになった。欧州は安定的なガス供給を確保するために、ロシアは欧州の顧客をより確実に維持するために、ウクライナを迂回する輸送ルートをつくることに意義を見出したのである。

同じような計画は欧州の北部だけでなく、南部でもなされているが、それは多くの問題をはらみ、いまだ実現していない。具体的には、欧州が支援するナブッコパイプラインとそれに対抗してロシアが計画しているサウス・ストリームパイプライン計画である。ナブッコ計画は、ロシア・ウクライナガス紛争を受け、トルコと欧米諸国が進めているプロジェクトであるが、ロシアはその計画を阻止すべく、サウス・ストリーム計画をぶち上げた。本稿では紙幅の関係から詳述はしないが、ナブッコ計画は供給源の問題があり、そしてロシアが妨害をしていること、また、ナブッコ、サウス・ストリームの供給先がかなり重複しており(地図2参照)、両方を建設する意味があまり見出されないこと、資金源の問題などから、両省の計画は再三延期され、色々な合意などはなされているものの、具体的な建設にはまだ至っていない状況だ。

地図2 競合するナブッコ、サウス・ストリーム両パイプライン計画

そもそもこれらのパイプラインはウクライナの危険ファクターを回避するために計画されたものだが、2010年にウクライナ大統領に就任したヴィクトル・ヤヌコヴィッチは、ロシアとの懸案だった黒海艦隊駐留問題を解決し(ロシアにさらに25年の駐留を認めた)、他方、ガス価格も安く抑えることに成功するなどしたため、ウクライナとロシアの関係が改善した。この結果、ウクライナを回避する理由もじつはなくなってきていた。ナブッコ、サウス・ストリーム双方の建設意義が、以前に比べ各段に低くなってきていたのである。

しかも、ウラディミール・プーチン首相も今年の春ごろからサウス・ストリーム計画をLNG(液化天然ガス)計画に変更することを示唆して(ただし、ガスプロムのアレクセイ・ミレルCEOは現行案でのプロジェクト進行を主張)、サウス・ストリームの実現性がさらに疑問視されている。

他方、今年の10月25日には、最近ではナブッコの主要な供給源とみなされているアゼルバイジャンとトルコが、アゼルバイジャンの天然ガスをトルコ経由で欧州に輸出するという協定をトルコのイズミールで締結して(イズミール合意)、ナブッコに弾みがついたと思われた矢先に、イギリスBP社がナブッコ計画をレベルダウンしたかたちの南東欧州パイプライン(South-East Europe Pipeline (SEEP))を提案するなど、ナブッコの状況もまったく読めない状況だ。(拙稿「ロシア対日米 旧ソ連諸国での原発覇権争い:原発輸出をめぐる日露の緊張関係(後編)」Wedge Infinity, 2011年07月29日も参照されたい)。

ロシアが歓迎するノルド・ストリーム

以上のように、欧州南方のパイプライン建設計画が滞る中での、ノルド・ストリームプロジェクトの順調な進展は、ロシアにとっては非常に好ましいものであった。だからこそ(サウス・ストリーム計画を推進するように見えながらも)、ノルド・ストリームがロシアの本命であるといわれつづけてきたのだ。

ノルド・ストリームパイプラインは、ロシアからEU への天然ガス輸出の約1/4 を担い、それにより、これまで2/3 を占めていたウクライナ・ルートが1/2 まで低下すると試算されている。つまり、ロシアはEU への天然ガス供給の安定化を図ると同時に、ウクライナの影響力低下も達成することができるわけだ。

もちろん、上述のように、ウクライナとロシアの関係が安定した現在となっては、以前よりはその意義は少なくなるが、それでも、ウクライナとロシアの関係が盤石である保証もなく、やはり「直接」欧州に天然ガスを送ることが可能となったことの意義はロシアにとって大きい。とくに、ポーランドを中心に、今後、欧州で「シェールガス」の開発が本格化すれば、ロシアの天然ガスの需要がさらに下がる可能性もあり、より確実に欧州市場を確保しておきたいところだ。欧州としても、エネルギー供給の確実性が上がったのは喜ばしいことである。

つづく戦略的駆け引き?

他方、ドイツではエネルギー戦略上、ロシアへの依存を高めることを警戒する声も上がっている。また、ロシアとかねてより難しい関係にあったバルト三国やポーランドからも、欧州分断政策だという批判も寄せられてきた。ウクライナも、自国のエネルギーハブとしての戦略的ポジションを喪失するだけでなく、ロシアに対するバーゲニングカードも損なわれるため、批判的な意見が多いという。欧州全体でも、やはりロシアへの依存度を下げるために、ロシアの天然ガスを供給源としない南方パイプラインを完成させるべきだという声も強く上がっているという。多くの欧州諸国がロシアの天然ガスへの依存度を高めることになるため、当然アメリカも面白くない。

このように、ノルド・ストリームパイプラインは世界規模でみれば必ずしも歓迎されているわけではないのだが、これにより、ロシアの欧州における戦略的地位が高まったのは確実である。また、そのような反対論が多い中、本パイプラインが極めて順調に建設され、実際に開通にこぎつけたのは、やはりドイツの影響力が大きいといえるだろう。このことから、かねてからその親密さが話題となっていたロシアとドイツの関係の深さも改めて明らかになったといえるだろう。

しかし、エネルギーをめぐる戦略的な駆け引きはまだまだこれからだ。ナブッコパイプラインとサウス・ストリームパイプラインのというふたつの対立的な計画の推移も気になるところであるし、ロシアの欧州原子力発電所計画における戦略的動きも活発化している。さらに、最近のロシアのアジア方面でのエネルギー戦略が顕著に活発になっていることも加味するべきだろう。

こうしてみると、ノルド・ストリームパイプラインはロシアのエネルギー戦略の最初の一歩かもしれない。これからもロシアの動き、そして欧州やアジア諸国の駆け引きに注視していくべきだろう。

推薦図書

ロシアの石油・天然ガスの戦略について多面的に論じた本書は、ロシアのエネルギー戦略の手の内を知るうえではじつに役に立つ本である。2005年発行であるため、最近の動きについては当然網羅されていないが、それでも、ロシアのグランドストラテジーは本書から十分理解できるだろう。地図などの資料も充実しているので、ロシアのエネルギー問題の入門書としてもお勧めである。

プロフィール

廣瀬陽子国際政治 / 旧ソ連地域研究

1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。

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