アウンサンスーチーの来日とミャンマー政治の現在

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アウンサンスーチー来日

 

アウンサンスーチーが2013年4月13日から19日にかけて、外務省の招聘を受けて日本を訪問した。よく知られていることだが、彼女は長年ミャンマー(ビルマ)で民主化運動を指導し、1991年にはその活動によりノーベル平和賞を受賞している。しかし、軍事政権からの弾圧により長年にわたって自宅軟禁下にあった。2003年からつづいた3度目の軟禁から、2010年11月に彼女はようやく解放された。その後、2011年3月に新政権が発足してから、急速に政府と民主化勢力との対話が進み、2012年4月には、自身が議長を務める国民民主連盟(NLD)から補欠選挙に立候補して当選、現在は野党NLDの党首として政治活動をつづけている。

 

彼女はノーベル平和賞受賞以来、圧政と戦う民主化運動の世界的シンボルとなっており、昨年5月のタイでの国際会議への出席を機に外遊活動をはじめ、その後、欧米各地を訪問して盛大な歓迎を受けた。東アジアでは今年2月に韓国を訪れている。そしてついに日本への訪問が実現したわけである。

 

アウンサンスーチーは、まず東京で在日ミャンマー人に向けて講演を行い、そのあと京都で2日間を過したのち、東京に戻って東京大学、国会、毎日新聞社などを訪問して皇太子さまとも面会した。19日木曜日には安倍首相と会談するなど、その扱いは国家元首級であった。彼女の行動を連日メディアが報道し、アウンサンスーチーブームに近いものがあった。わたしが勤める京都大学東南アジア研究所にも、かつて1985年から1986年にかけて在外研究をされていた場所ということもあり、再訪してくださった。わずか10分ほどであったが、かつて滞在された部屋で懐かしく当時を思い出していただけたと思う。

 

さて、本題である。今回の日本訪問をどう評価すればよいか。アウンサンスーチーの国際的知名度は絶大であるが、とはいっても公的な地位は野党の党首である。彼女が持っている公的な権限は決して大きいものではなく、政府間の外交について実際的かつ具体的な成果を期待していたわけではないだろう。

 

今回、外務省が彼女を日本に招いた狙いは、日本政府のミャンマーに対する考え方や支援のあり方を理解してもらうことだったのではないだろうか。日本政府は昨年以来、同国が持つ延滞債務の解消を支援し、さらに500億円を越える援助を打ち出すなど、積極的にミャンマーの改革を後押ししてきた。ただ、アウンサンスーチーがそうした日本政府の動きをどのように理解しているのかについては、いまひとつよくわからなかった。少なくともこれまでの外交日程を見る限り、欧米への訪問を優先して、日本訪問はずいぶんずれ込んだように見える。

 

欧米の制裁を解除することが最優先の外交課題であったことを考えれば理解できなくはないが、1988年以来、3度の自宅軟禁措置を受ける一方で、政権への援助をつづけてきた日本政府に対して(ただし、2003年5月からは人道的援助を除く新規案件は実施見合わせ)、アウンサンスーチーが必ずしもよい印象を持っていないことは関係者内ではよく知られている。民主主義や人権といった理念よりも、経済開発で国民の生活水準を地道に上げていくことを強調しがちな日本政府の外交姿勢は、彼女をはじめとした一部の民主化活動家からは軍政支援と批判されてきた。

 

米国とEUが日本とは対照的に、軍政の正当性をはっきり否定し、さまざまな制裁を課してきたこともあり、日本政府の立場が大変難しいものだったことは事実だ。しかし、当然のことながら、圧政を敷く軍事政権が長くつづくことを日本政府が望んでいたわけではない。また、アウンサンスーチーが、後述するように、場合によっては2015年にも大統領に就任する可能性が出てきたために、日本政府が急に姿勢を変えて彼女に接近をはかったわけでもない。日本の対ミャンマー外交が戦略的に一貫してきたとは決して言えないが、かといって、日和見的に権力者や将来の権力者候補とばかり友好な関係を築こうとしてきたわけでもないのである。

 

管見のかぎり、日本政府がそのミャンマー政策の意義について、これまで彼女を十分に説得できなかったというのが実際のところのようだ。したがって、今回のアウンサンスーチーの訪日を通して、日本のミャンマー政策の真意を理解してもらうことがとりわけ重要だった。4月19日の会談で安倍首相は、「大変困難な状況の中で、スーチー議長のリーダーシップによって、ミャンマーの民主化を大きく前進させてこられたことに対して、敬意を表したいと思います」と述べたという。こういったかたちで首相自らが、彼女が体現する民主主義や民主化という政治的価値に肯定的な見解を示した意義は重要だろう。

 

今回の訪日が彼女の日本政府に対する見解にどういった影響を与えたのかを判断するのはまだ早い。仮にそれほど効果がなかったとしても、信頼醸成には時間がかかるものだ。日本のミャンマー支援の意義を粘り強く彼女に訴えていくことが今後も求められる。というのも、日本にとってミャンマーは戦略的に重要な国であり、アウンサンスーチーはその将来の地位に関わらず、国内世論、国際世論に大きな影響力を持つからである。

 

昨年まであまり注目を浴びることがなかったミャンマーについて、今回のアウンサンスーチー来日を機に関心を持たれた方も少なくないだろう。そこで、以下では、おそらく多くの人が疑問に思っている以下の問いについて、筆者なりの答えを示しておきたい。問いは、「どうして政治経済改革がはじまったのか?」「ミャンマーで起きている変化は民主化か?」「アウンサンスーチーは変わったのか?」の3つである。ミャンマー政治に関する今後の報道を見る上で参考になれば幸いである。

 

 

どうして政治経済改革が始まったのか?

 

この問いへの答えは、じつのところ、まだよくわかっていない。ミャンマー政府の公式発表だけを見れば、その起点は2003年8月、当時の国家最高意思決定機関であった国家法秩序回復評議会(SPDC)が「7段階のロードマップ」を発表した時点に遡る。一連の政権移譲(憲法制定、総選挙、議会招集、大統領選出)はそのロードマップに沿って行われた。だが、このロードマップに対する期待は当時それほど高くなかった。憲法も議会も持たない「むき出し」の軍事政権が、多少は制度を持った軍事政権になる程度だろう、筆者も含めた多くの観察者はそう見ていた。ところが、2012年3月末に政権を譲り受けたテインセイン大統領は、民主化勢力への歩み寄りや、二重為替の是正、外国投資法の改正など、矢継ぎ早に改革路線を打ち出して世界を驚かせることになる。

 

では、なぜテインセインが改革に動いたのか。事実は後年、歴史家が明らかにするだろうが、今のところ伝えられているのは以下のことだ。まず、1992年以来、独裁者として君臨してきたタンシュエが2010年11月の総選挙前から引退の意思を固めていた。この話自体は、真偽がはっきりしない噂ではあるものの、彼が1933年生まれで高齢であったことや、総選挙前の8月に大規模に軍人事を動かして若返りをはかったことを考えると、あながち根も葉もない噂とは言えない。結果、非常に保守的で、あらゆる変化を忌避しているようにさえ見えたタンシュエの政治的影響力が、新政権発足とともになくなり、タンシュエのもとで首相を務めていたテインセインに政権は引き継がれた。

 

テインセインも、タンシュエ同様、国軍出身の元将軍である。ただ、1945年生まれと12歳も若い。テインセインが改革をはじめることができた理由としては、タンシュエの引退が決定的に重要だが、その後の彼の指導力と周辺の幹部の支持を見ていると、おそらく「このままではまずい」というミャンマー政治経済に関する状況認識が、少なくともタンシュエより一回り下の世代にはある程度共有されていたのではないかと思われる。加えて、テインセインはイラワジデルタの比較的貧しい農村出身で、性格も生真面目でクリーンであるとされ、さらに、長年、SPDC第1書記、首相として、同国の外交を取り仕切ってきた。おそらく、ミャンマーがいかに周辺国の発展から取り残されてきたのかをよく理解していたのだろう。

 

まだ改革の初期、大統領主催のセミナーが首都ネーピードーで開催されたが、第1回のテーマが「貧困削減」、第2回のテーマが「マクロ経済運営」だったのは、彼の経済問題への関心の高さを伺わせたし、経済学者を大統領顧問に任命し、政治囚の解放や民主化勢力へ積極的に歩み寄り、欧米からの制裁解除と海外援助、海外直接投資の呼び込みに奔走したのもその流れで理解できる。当時のミャンマーにおいて、経済問題の根幹は欧米からの制裁、すなわち外交問題であり、欧米の制裁の根拠は国内民主化勢力への弾圧であり、国内民主化勢力との対話は、すなわちアウンサンスーチーの処遇の問題であった。

 

結果として、テインセインはうまくアウンサンスーチー率いる民主化勢力を体制内に野党として取り込み、諸外国との外交関係を急速に改善させていく。2012年11月には米国のバラク・オバマ大統領が、現職の大統領としてはじめてミャンマーを訪問した。欧米からの制裁もほぼ解除されるに至る。日本をはじめとした海外からの援助も拡大し、世界各国の要人やビジネスマン、観光客が今もひっきりなしに同国を訪れている。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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