2013.11.26

アラブ革命と詩――抵抗文化としての詩、歌、ラップ

山本薫 アラブ文学

国際 #DAM#自由と壁とヒップホップ#アラブ革命#ハーリド・ハリーファ#シリア革命#アラブポップス

二年前、

真昼の太陽のような大輪を咲かせた花

丘を失い、

枝すらも失った花

優しい手がその頬をなでることも

泉がその土を潤すこともない

だから、硝煙で汚された空気を吸って生きるしかなかった

(略)

あらゆる醜悪な可能性の前に扉を開け放った花

無力な花

通りに出ていった花

誰もそれを帰してやることはできない

母の腕の中へ/森へ

[イマードッディーン・ムーサー作『二年前からの花』より。レバノンのアル・ムスタクバル紙4634号(2013年3月17日)、シリア革命二周年特集ページ掲載]

2011年1月、チュニジアのベン・アリー元大統領を辞任に追い込んだ民衆デモは、短期間のうちに周辺アラブ諸国に広がり、「アラブの春」として世界の注目を集めた。あれから約3年、アラブの春が波及して反政府デモが始まったシリアは、出口の見えない泥沼の内戦状態に陥っている。

恐ろしい人道的災禍が日々報じられるシリアで、市民がどのような日常を送っているのか、ニュースからわかることは少ない。ましてや今のシリアでなお創作活動を続けているアーティスト達がいようなどとは、思いもよらないことかもしれない。

だが、たとえばこの夏にエジプトの出版社から新刊『この街の台所にナイフはない』を出した小説家のハーリド・ハリーファ。あるいはこの原稿の執筆現在(10月21日~11月24日)、ドバイのギャラリーで開催中の『Art Syria』という企画展に出品しているユースフ・アブダルキーをはじめとする画家たち。彼らは治安当局によって暴行や身柄の拘束を受けながらも、留まれるかぎりシリアに留まり、芸術表現を通じて強権支配に対する非暴力の抵抗の意思を示そうとしている。冒頭に抜粋を紹介した詩もその一例だ。作者は激しい戦場となったシリア第二の都市アレッポで、詩のウェブマガジンの発行を続けているという。

もちろん対立の構図が複雑に入り組んだシリアにあって、アーティスト達の政治的立場は一枚板ではありえない。また、ハリーファやアブダルキーのように、世界的な名声によって身を守られている者ばかりでもない。市民的抵抗を呼びかけた若いミュージシャンやグラフィティ・アーティストたちが、すでに何人も路上で命を落としている。

作品を通じて届けられる彼らの声は、吹き荒れる暴力の前では小さく無力であるかもしれない。だがそこからは確実に、ニュースからは伝わりきらない、現状に屈しまいとする生きた人間の存在を感じ取ることができるだろう。

革命の歌声

振り返って、2011年1月25日に始まり、2月11日にムバーラク元大統領を辞任に追い込んだエジプトの「1月25日革命」。18日間にわたってデモ隊が占拠した首都中心部のタハリール広場では、一体何が起きていたのか。日本の大手マスコミが、デモ隊と治安部隊との暴力的な衝突や流血の場面を断片的に伝える中、アルジャジーラをはじめとする国際的なニュースチャンネルやネットメディアは、解放区の様相を呈した広場に集まった多種多様な思想や階層、世代の市民たちが、旧体制への怒りと嘲り、犠牲者への哀悼、未来への希望、勝利への確信を、多様な身体的・言語的パフォーマンスを通じて表現する様を伝えていた。

シュプレヒコールやスローガン、歌、踊り、漫談、絵やオブジェの展示、装甲車の前での結婚式、集団礼拝するイスラーム教徒と彼らを取り囲んで防衛するキリスト教徒の輪。これらすべてが雄弁な革命勢力の声となり、広場に響き渡った。そして、それを象徴する『自由の声(http://youtu.be/Fgw_zfLLvh8)』という歌が生まれた。

「もう帰らないと言って僕は出てきた(…)夢だけが僕らの武器だった/目の前に明日は開けてる(…)この国のすべての通りから/自由の声がわきおこる」[nobuta氏による日本語訳(http://youtu.be/SJgjIsfPKmE)]。

若手ロックミュージシャンたちが共作したこの曲は、ムバーラク辞任の前日にユーチューブ上で発表され、ひと月ほどの間に世界中で100万回以上再生された。歌詞を書いたボードを実際のデモ参加者たちにプラカードのように持たせ、抗議行動の代表的な場面と組み合わせた映像を見ると、当時の広場の祝祭的な雰囲気がよみがえってくる。

この曲の後半には、その清々しいポップ・ロック調には少々不似合いな、だみ声での詩の朗読が挿入されている。声の主はアブドッラフマーン・アブヌーディ。齢70を超える、エジプトを代表する口語詩人だ。

「真偽を選り分ける エジプトの褐色の手たちが/雄叫びの中で掲げられ 枠を打ち壊す/群衆の声の輝き 陽光に照らされたエジプトを見よ/立ち去る時が来たのだ 老いぼれどもの国よ」。[『神奈川大学評論』69号(2011年7月)に山本による全訳掲載]

『広場』と題された100行以上にわたるこの詩は、ムバーラク辞任のおよそ一週間前、エジプトの衛星テレビ番組での電話中継で、詩人本人によって朗読された。国民的な大詩人がタハリール広場の若者たちを賞賛し、「立ち去る時が来たのだ 老いぼれどもの国よ」と大統領の辞任を呼びかけたことは大きな反響を呼び、それが『自由の声』における、若い世代の文化的創造力との融合に結実したのである。

社会の変動期に存在感の増す詩

詩はアラブの文化の中でも特別な存在だ。その起源は西暦5~6世紀のアラビア半島にさかのぼる。砂漠的な風土と遊牧を中心とする生活様式の中で育まれた当時の部族社会の価値観や理念に、詩によって形を与える詩人たちは、重要な社会的役割を担っていた。部族の輝かしい事績を語り伝え、敵を口撃する彼らは、政治・軍事・外交・儀礼など、さまざまな場面で必要とされたのである。

イスラームの登場によって価値観や生活様式が大きく変化し、恋愛や遊興、信仰など、詩のテーマが多様化してもなお、詩の言葉には現実社会に働きかける力が認められてきた。時の権力者たちは自身の美徳や権勢を世に広める力を持った詩人を庇護する一方で、体制に批判的な詩人たちを恐れ、迫害の対象とすることも少なくなかった。

こうした社会性に加えて、アラブ詩の特徴はその音楽性にある。複雑なリズムを刻みつつ、どれほど長く詩行が連なっても見事に脚韻を踏むことができるアラブ詩は、即興的な口承の時代から、推敲し技巧をこらす時代に移っても、声に出し、耳で聞くことを何よりの楽しみとする芸術であり続けた。リュートや琵琶と同じ起源をもつウードという弦楽器をつま弾きつつ、詩に節をつけて朗唱する歌姫(カイナ)は、アラブにおける音楽家の原型とされており、現代のポピュラーソングにも、有名な詩人の作品に曲を付けて歌うというスタイルは引き継がれている。

社会の動きに寄り添い、詠み歌われることで人々の心を結ぶ詩は、政治や社会の変動期にその存在感を増す。そのため、チュニジアに始まりアラブ諸国に広がった今回の「革命」の動きの中で、詩の存在感が増したことは、当然の成り行きだったと言えよう。

たとえばチュニジアの民衆デモでは、次の詩の一節がしばしば歌われた。

「民衆がいつの日か生を望んだならば/かならずや運命は応えるであろう/かならずや夜は去り/鎖は砕け散るであろう」

これは20世紀初頭のチュニジア詩人、シャーッビーの代表作の冒頭部であり、チュニジア国歌の歌詞の一部に取り入れられているほか、流行歌手たちによっても歌われてきた。チュニジア革命のテーマとなったこの詩は、彼らに連帯する他のアラブ諸国のデモ隊によっても口ずさまれた。さらにエジプト、リビア、イエメン、シリアなど、革命の動きが広がったいずれの国でもデモ隊によって詩が歌われ、あるいは詩人が作品を朗読する現象が広く見られた。

ネットメディアによって訴求力の増した詩

さらに今回興味深かったのは、詩とネットメディアとの結びつきである。伝統的な定型から脱しようとする現代詩の試みや、小説など新しい表現形式の台頭にもかかわらず、アラブの詩はその社会的機能と音楽性を根底において失うことなく、大衆との距離を比較的近いまま保ってきたといえるだろう。動乱の絶えないアラブ世界において、詩は新聞やラジオ、テレビといった近代のマスメディアを通じても、引き続き広い層の読者や聴衆を得ることができた。

今回、アラブ諸国に広がった革命の動きは、一部で「フェイスブック革命」などと呼ばれたように、フェイスブックやツイッター、携帯のショートメッセージサービスやユーチューブといった、新しいメディアが情報の伝達に威力を発揮した。たとえば先ほど紹介したアブヌーディの詩も、テレビで放送された翌日、新聞各紙に全文が掲載されただけでなく、録画がユーチューブ上で公開され、それがネットを通じて転載されていったことで情報が広まった。

他にも多くの詩人がテレビやネット、あるいはタハリール広場で新作や旧作を朗読し、またそれに曲をつけて歌う若いミュージシャンたちが現れた。さらには彼らが歌う場面をカメラ付き携帯で撮影した映像が、即座にネット空間で拡散された。このように新しいメディアを得て、瞬時かつ持続的にやり取りされることで、従来のメディアや口伝え以上に詩の言葉が社会とのつながりや、社会に訴えかける力を強めるという現象が見られたことは、きわめて新鮮だった。

革命を機にメインストリームに躍り出た若者文化

反政府デモが波及したどの国においても、その中心にいたのは変化を求める若者たちだった。抗議行動への参加を呼び掛ける彼らの訴えにもまた、従来とは異なる新鮮な手法や表現が数多く見られた。その一つとして挙げられるのがラップミュージックだ。

チュニジアでは2010年12月に、エル・ジェネラルのステージネームで知られるラッパーが、当時のベン・アリー大統領を痛烈に批判する『大統領』(http://youtu.be/IeGlJ7OouR0)をネット上で発表した。

「国民の名においてお前に告げる/多くの人が飢え、仕事を求めてる/でも誰も耳を傾けない/通りに出てその目で見てみろ/どんなに警察が横暴か/何がお前の国で起こっているのか見えないのか/あまりにも多くの不正を俺は見た/だから俺は声を上げてる/だけどみんな俺に警告する「刑務所にぶちこまれるぞ」ってな」

発表直後にチュニジアで反政府デモが始まると、エル・ジェネラルは逮捕された。数日後に釈放されはしたが、彼のラップは革命に火をつけた一曲として知られるようになった。

エジプトでは、このエル・ジェネラルに刺激を受けたラーミー・ドンジュアンが、反政府デモが始まる数日前、やはりユーチューブ上で『反政府』(http://youtu.be/4EUxhCWD_8s)を発表した。

「反政府 不正の根は深い/反政府 俺は千も証拠を掴んでる(…)誰もお前に耳を傾けない 自分でどうにかするんだ/言えよ 突き飛ばされても なんでやらないんだ(…)お前は死んでる、自分で自分の脳みそを殺してるんだ/眠りはもうたくさん 死はもうたくさん/お前に本当に血が流れてるなら/沈黙はもうたくさん」

デモが拡大する中でこの曲もじわじわとネット上で広がり、後にエジプト革命を代表する一曲と言われるようになる。

いずれも地方都市の若者が、自分の感情や考えを世界に知らせるための表現と伝達の手段として、ラップを選んでいる。こうした政治的メッセージとしてのラップを、最低限の機材を使い、ネットを利用してゲリラ的に発表する手法は、リビアやシリアやモロッコなどにも広がり、逮捕者も出た。アラブ諸国は若年層の割合が高く、たとえばエジプトの場合、30歳以下の若者が人口の6割強を占める。だが彼らが政治や経済に主体的に参加する道は抑圧的な政権のもとできわめて限られ、若者の多くは社会の中に居場所を見つけられないという不満を抱いてきた。

文化やアートにしても同様で、若い世代が自由に表現活動をし、それを多くの人に知ってもらう道は、きわめて限られていた。アラブの春は、そうした若い世代が水面下で育んでいた創造性を発揮する絶好の機会をもたらした。その主要な舞台はインターネットと街頭であり、ラップやグラフィティといった、従来はマイナーだった若者文化が、革命を機にメインストリームに躍り出たのである。

言葉の力で現状を打破しようとするラッパーたち

ラップは1990年代の半ばごろから、アラブポップスの一部に取り入れられるようになっていたが、当初は単なるファッションにすぎないという印象だった。しかし今ではラップはアラブ世界における抵抗文化の柱の一つになっている。この動きは単なる米文化の模倣ではなく、アラブ世界に伝統的に根付いてきた詩の文化を背景にしており、文化のグローバル化の波を受けながらも、それをローカルな脈絡で雑種化していく、したたかな“グローカリゼーション”の一例としても非常に興味深い現象だ。たとえばアラビア語による政治的ラップの先駆者であるパレスチナのラップグループ、DAMの例を見てみよう。

パレスチナ、といっても、DAMのメンバー3人の国籍はイスラエルである。1948年、パレスチナ地域にヨーロッパから移民してきたユダヤ人によってイスラエルが建国されたことに伴い、地元のアラブ住民のおよそ6割が故郷を追われ、難民となった。ところが、一般にはほとんど知られていない事実であるが、この時にイスラエル領となった土地に留まり、後にイスラエル国籍を取得したアラブ人が存在した。そうしたアラブ系イスラエル市民が、いまではイスラエル人口全体の約2割を占めている。ユダヤ系市民との厳然たる格差や差別的政策に苦しむ一方で、自治区や亡命地のパレスチナ同胞とも微妙な関係にあり、周辺諸国のアラブ人からの無理解にもしばしば晒される板挟みの宙づり状態は、彼らのアイデンティティや世界観に独特の陰影を与えている。自分はイスラエル人なのかアラブ人なのか、それともパレスチナ人なのか。

そんなアラブ系の一人であるDAMのリーダー、ターメルは「オレたちは1948年パレスチナ人」だと言い切る。アラブ系イスラエル市民の中でもパレスチナ人としてのアイデンティティを明言する人々は、自らを「内側のパレスチナ人」、あるいは「1948年にイスラエルに占領された土地に住む」という意味を込めて「1948年パレスチナ人」と呼ぶ。さらにターメルは自分たちが暮らすリッダ市のアラブ人地区を「ゲットー」と呼び、そこに閉じ込められるように暮らす自分たちの劣悪な生活環境や差別、貧困、失業、犯罪、暴力、麻薬といったさまざまな問題を、米国のゲットーに暮らす黒人のそれに重ねている。

ギャングスタと呼ばれる過激で攻撃的なスタイルで知られた2パックなど、米国のラップミュージシャンたちのリリックやミュージックビデオに描かれる黒人ゲットーは、自分たちが暮らすリッダそのままに見えたというターメルたちにとって、ラップは単なる借り物の表現ではなかったのだ。

アラブの伝統音楽の要素を取り込み、アラブの詩人たちからの影響や引用に溢れた彼らのアラビア語ラップは、自治区や亡命地のパレスチナ同胞の心も掴み、彼らに続くラップグループが次々に生まれている。イスラーム主義を掲げるハマースが実効支配しているガザ地区でも、ラップのコンテストが行われるほど、ラップは文化として定着しているのだ。

言葉の力で現状を打ち破ろうとするラッパーたちは、マフムード・ダルウィーシュ[邦訳『壁に描く』]をはじめとするアラブの抵抗詩人たちの役割を、今に引き継ぐ存在だといえるだろう。

■ドキュメンタリー映画『自由と壁とヒップホップ』

DAMを中心に、パレスチナのラップミュージシャンたちの姿を追ったドキュメンタリー映画『自由と壁とヒップホップ』(予告編 http://youtu.be/hu-QQy2Mrl0)が、12月14日の東京、シアター・イメージフォーラムを皮切りに、名古屋、大阪など、順次全国公開されます。詳細は公式サイト(http://www.cine.co.jp/slingshots_hiphop/)で。

サムネイル「DAM-0233」James Buck

http://www.flickr.com/photos/jameskarlbuck/2970561337/

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プロフィール

山本薫アラブ文学

東京外国語大学ほか非常勤講師。2002年に東京外国語大学大学院より博士号取得。専門はアラブ文学・文化論。主な論文に「社会に息づくアラブの詩―過去から現在まで」『現代アラブを知るための56章』(明石書店)、「若者文化と「1月25日革命」―ネット世代のカウンターカルチャー」『現代エジプトを知るための60章』(明石書店)、「社会・文化運動としてのエジプト“一月二五日革命”―グラフィックス・映像・音楽の事例から」『〈アラブ大変動〉を読む―民衆革命のゆくえ』(東京外国語大学出版会)、「我々を隔てることはできない―映画『スリングショット・ヒップホップ』が見せたパレスチナラップの可能性」『インパクション175号』(インパクト出版会)ほか。

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