2014.03.26

強行するロシアを前に、ドイツは何ができるのか――ウクライナ政策の展望

森井裕一 EU研究、ドイツ政治

国際 #シュレーダー#ヤヌコーヴィチ#シュタインマイヤー#synodos#シノドス#ドイツ#メルケル#ウクライナ#クリミア#ノルドストリーム#東方政策

ウクライナから分離されロシアに編入されつつあるクリミア半島といえば、世界史で学んだ19世紀半ばのクリミア戦争を思い浮かべるかもしれない。そこで登場してくる国々はロシアでありイギリスでありフランスやサルディーニャ王国(統一する前のイタリアの一部)といった当時のヨーロッパの大国である。

この戦争で、ロシアの南下政策は一度は砕かれたが、その後のオスマン帝国との戦争、さらにドイツのビスマルクが中心となって列強の仲裁を行ったベルリン会議を経て、第一次世界大戦に至るまで、ロシアはヨーロッパのみならずユーラシア大陸の東部までを巻き込んだ勢力争いに中心的にかかわった。

21世紀の今日のヨーロッパの状況は、欧州連合(EU)の存在に象徴されるように大きく異なった状況にあるにもかかわらず、ロシアの行動は19世紀の領土争いと民族主義をめぐる国際政治を彷彿とさせる部分もあり、不気味な状況となっている。

こうした状況の中で、EUの中でも大きな経済力を有し政治的にも発言力の大きく、またロシアと緊密な関係にあるドイツに注目が集まっている。

冒頭で19世紀の状況を想起させたが、今日のドイツはビスマルク時代のドイツとはまったく異なる存在である。2013年に設立された反ユーロを標榜する政党「ドイツの選択肢(AfD)」の政治家の中には、ドイツはビスマルク外交に回帰すべきであると主張するものもいる。しかし、これは現在のドイツ政界では極端な声であり、全くの異端といって良い。もちろん、このような声が存在することは確かに懸念材料ではある。ただAfDは連邦議会に議席を持たず、前回選挙での得票率は4%程度であったので、直ちにドイツ外交に影響は与えないと見るべきであろう。

ドイツ外交は決して19世紀的な外交を標榜していない。いかにEU全体をまとめながら、国際法の原則と現実的な選択肢、経済的利益のバランスをとりつつ、ロシアやウクライナと関わっていくかに腐心している。またそうであるがゆえに19世紀的な軍事力を背景としたような外交はあり得ない。それゆえにロシアに足下を見られるような状況にもなっている。

以下ではEUの中のドイツとその対ロシア、ウクライナ政策がどのようなものなのかを、歴史や国内政治、経済関係を検討しながら議論し、今後のドイツとEUによる対ロシア、ウクライナ政策を展望していくこととしたい。まず議論の前提としてドイツとソ連・ロシアの歴史的な関係について考察しておこう。

戦後ドイツにとってのソ連・ロシア

第二次世界大戦後のドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国に分割占領された。冷戦が激しくなり東西対立に至ると、4戦勝国がドイツを一つの国家として再建することは不可能となり、ドイツは東西に分断され、西側には連邦共和国(西ドイツ)、東側には民主共和国(東ドイツ)という体制の異なる2つの国家が生まれた。

東西ドイツは体制間競争の先兵であり、政治的にも軍事的にも経済的にも全く異なる体制として存在していた。西側陣営に属した西ドイツは、フランスとの和解と経済統合を核として、今日のEUの起源となった西欧諸国との経済統合とアメリカのリーダーシップの下での軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)へ1955年に加盟することによって、国際社会に復帰した。

また同年に、体制の異なるソ連と国交を結び、外交関係を構築している。そもそも第二次世界大戦の戦勝国として全ドイツの将来を決定する権利を西側の戦勝国とともに有するソ連は、西ドイツにとって別格の存在であったし、戦争捕虜として戦後ソ連に抑留されたままになっていた数万人におよぶドイツ人の帰還のためにも国交の回復は必要であった。

その一方で、ソ連との外交関係の構築は、西側の一員としての西ドイツのあり方に疑念を生じさせるものであってはならなかったため、交渉は容易ではなかった。そのため、西ドイツはソ連との国交回復後、東ドイツを国家承認する国とは国交を持たないという当時の外務次官の名前をとったハルシュタイン原則を掲げ、東ドイツとの体制競争を全面に出す政策をとることとなった。

しかし、東西対立が固定化され、長い時間が経過し国際情勢も変化してくると、西ドイツにとってはソ連の影響力の下にある東欧の社会主義国との関係を再構築していくかが大きなポイントとなった。

キューバ危機後の東西緊張緩和の状況の下で、西ドイツも次第に東ドイツと東欧諸国との関係の再構築を模索するようになっていった。1970年代に入ると、ブラント首相による社会主義諸国との関係を回復させるいわゆる「東方政策」によって、東欧諸国と次々と国交が回復され、東ドイツとも基本条約を締結して東西ドイツ間にも実質的な関係が復活することとなった。

この「東方政策」の成果をアメリカとソ連も含む全ヨーロッパの国々が制度としてまとめ上げたものが1975年にフィンランドのヘルシンキで開催された全欧州安全保障協力会議(CSCE)であった。今日ウクライナへの監視ミッションを派遣している全欧州安全保障協力機構(OSCE)はこのCSCEが冷戦の終焉後に国際機構として発展したものである。

CSCEは、軍事的な対立状況にあった東西陣営が、第二次世界大戦後のヨーロッパの国境線を軍事力によっては変更しないという国境不可侵の原則で合意し、当時の現状を固定することによって安定を築いた。CSCEの枠組みによって、敵でありながらも相手に軍事演習などを公開することによって偶発的な軍事的衝突を防ぐための信頼醸成措置(CBM)などが構築されるようになっていった。

ここで重要なことは、西ドイツにとってソ連や東ドイツ、東欧諸国は、たとえ体制の異なる安全保障上の敵であっても、関係を構築し外交的な手段によって緊張を緩和し、つきあい続けてゆかなければならない存在であり続けたということである。

そしてソ連の存在が再び強く印象づけられたのがドイツ再統一のプロセスであった。ドイツ統一が可能になったのは、ソ連が冷戦時代のブレジネフドクトリン(社会主義圏のためには衛星国の国家主権は制限されるというソ連が東欧諸国をコントロールする原則)を放棄し、東ドイツの民主化と体制移行を認め、最終的に統一ドイツのNATO帰属までソ連が承認したためであった。

戦勝国ソ連の承認無しには東西ドイツの統一は実現し得ないものであった。最終的に当時のゴルバチョフ大統領が1990年7月にコール西独首相とコーカサス会談でドイツ統一の最終的な条件について合意したことによって、東西ドイツの統一が可能となった。その後、ソ連が崩壊したことから、旧ソ連の地域ではソ連成立以前に存在していたバルト諸国やウクライナなど多くの国々が独立を回復した。

ソ連崩壊後もドイツとロシアは良好な関係が続いた。ドイツ統一を達成したコール独首相は旧ソ連の指導者に対して恩義を感じ常に敬意を示していたし、ソ連崩壊後にはエリツィン露大統領と個人的な友好関係を築いた。

その後1998年末に保守中道のコール政権を終わらせ独首相となった社会民主党(SPD)のシュレーダー前首相もプーチン露大統領と個人的な信頼関係に基づく良好な関係を築き上げていった。プーチン大統領は、ソ連時代にはKGBの一員として旧東ドイツに滞在していたこともあり、非常にドイツ語が堪能である。現実主義的なシュレーダー前首相とは特に個人的にも波長が合ったようで、両者の信頼関係に基づく独露経済関係の緊密化が進んでいった。

もっとも、現在のメルケル首相も主要な政治家も、歴史的な経緯があるからといって、ロシアに特別な配慮をしているわけではない。プーチン大統領は3月18日のクリミアのロシアへの帰属を認める演説でドイツ統一の過程でソ連がドイツを支援したことを引き合いに出し、ドイツ人はロシアが歴史的なロシアの範囲を再統一することに理解を示してくれるはずだと訴えたが、これに応えるものはいなかった。

この歴史的な経緯の議論を紹介して強調したかったことは、ドイツとロシアの関係はさまざまに難しい状況にあっても、常に対話は継続してきたことである。外交的な対話と関与はどのような状況の下でもドイツの対ロシア外交の基軸であり、今回のクリミア危機に際しても両国間のやりとりは極めて密なのである。

独露経済関係――ロシアのエネルギーと市場

シュレーダー前首相とプーチン大統領の個人的な信頼関係に基づく良好な独露関係と、シュレーダー政権時代の政策は今日のドイツ経済にも影響を与え続けている。

今日ではドイツが輸入するガスの40%弱がロシアから供給され、またガス以外にも石油や石炭も相当程度ロシアから輸入している。このようにエネルギーのロシア依存の比重が高まった背景には、ロシアにおけるエネルギー開発はもちろん背景にあるが、同時にドイツのエネルギー政策の転換も存在している。

SPDと緑の党の連立政権であったシュレーダー前政権は、エネルギー政策では原子力エネルギーからの脱却を公約にかかげ、原子力発電所の停止に向けて政策を展開した。原子力に換わるエネルギー源としては、特に風力やバイオマス、太陽光などの再生可能エネルギーが念頭に置かれた。シュレーダー政権時代には国土の風景が変わるほど各地に風力発電のための風車が建設され、再生可能エネルギーによる電力供給は大きく増加したが、それでもようやく一次エネルギーで10%を超え、電力で25%に近づいている程度である。

メルケル政権は一時期シュレーダー政権の政策を翻したが、福島原発事故後に原子力から脱却することを再度決定した。原子力発電所が稼働しなくなれば、再生可能エネルギーだけでは全ての電力をまかないきれない。そのため、再生可能エネルギーのように天候に左右されず、安定して供給されるエネルギー源としてのガスは重要な存在でありつづける。そしてその最大の供給源はロシアなのである(ドイツにおけるエネルギー供給に関する詳細なデータは独経済省の報告書を参照のこと:”Energie in Deutschland: Trends und Hintergünde” http://www.bmwi.de/Dateien/Energieportal/PDF/energie-in-deutschland)。

さらにシュレーダー前政権は安定したガス供給のためにウクライナをはじめとする諸国を経由しないで、バルト海を経由して直接にロシアから供給を受けられるパイプライン、ノルド・ストリームの建設に2005年に合意し、2011年末から運用が開始されている。

ノルド・ストリーム 出典:「Nordstream.png」Samuel Bailey http://en.wikipedia.org/wiki/File:Nordstream.png
ノルド・ストリーム
出典:「Nordstream.png」Samuel Bailey http://en.wikipedia.org/wiki/File:Nordstream.png

ノルド・ストリーム建設に関する協定がプーチン大統領と結ばれた直後に、ドイツでは連邦議会選挙が実施され、シュレーダー首相は退陣し、メルケル大連立政権が誕生した。政界を退いたシュレーダー元首相は、ロシア側の提案によってノルド・ストリームにかかわるロシアのガス供給会社ガスプロムの子会社の経営陣として迎えられた。選挙で敗れて政界を引退したばかりの元首相が利益相反を疑われる外国企業にかかわるという節操の無い姿勢がドイツでは非難の対象となった。こうした批判はあるとしても、ノルド・ストリームの存在は、まさにドイツとロシアの関係が切り離せないものであることを象徴しているようでもある。

ドイツがロシアから主にエネルギーを輸入している一方、自動車、機械、化学製品、薬品など一般的にドイツの輸出競争力の高い製品をロシアに輸出している。近年ドイツでは輸出に主導された好況のために失業率がドイツ統一後最低となるなど、マクロ経済は好調である。ロシアからの安定したエネルギーの供給と、市場としてのロシアへの輸出はドイツ経済にとって重要な存在となっている。

今回のクリミア半島をめぐる危機において、アメリカをはじめとしてロシアに厳しい姿勢をとる国々は早々に経済制裁の可能性を議論したが、ドイツ国内では、このような経済状況を念頭において、経済界は対露経済制裁の可能性を検討することにすら非常に慎重であったし、多くの政治家も独露経済関係の重要性から経済制裁には慎重な姿勢をとり続けているのである。

EUにおけるドイツ

それでは現下の危機にあたって、ドイツはロシアに対し、どういった対応をとってきたのだろうか。

ドイツは、2013年の連邦議会選挙の結果、再び大連立政権が発足し、メルケル第一政権(2005年〜2009年)でも外相をつとめたフランクヴァルター・シュタインマイヤー(SPD)が再び外相に就任した。CDUとSPDという議会内の圧倒的多数を基盤とするメルケル政権は、外交政策においても従来の基本方針を踏襲し、EUを中心として安定した政策展開を見せた。その中でウクライナ・クリミア危機はドイツ外交にとっても大きな試練となった。

そもそもドイツ外交は国連、OSCE、EU、NATOなどの多角的は国際的枠組みの中で行動することを原則としており、ドイツが自国の利益のみを全面に出して行動することは想定していない。しかし統合が進んだとは言え、なお多様な外交政策を展開する国々の集合体であるEUの中で、大きな経済力と安定した外交を展開するドイツの姿勢は重要である。そして2005年以来EUの運営で中心的な役割を果たしてきたメルケル首相の指導力には危機に際してだれしも注目することになる。

ウクライナの国内情勢が緊迫し、ヤヌコーヴィチ政権が崩壊してゆく過程で、ロシアのラブロフ外相やウクライナの指導者たちと緊密な協議が必要であることから、ドイツはウクライナへの外交的な関与を強め、シュタインマイヤー外相が前面に出て協議を進めていくようになった。

最も象徴的であったのは、キエフの独立広場で死者が多数出るなど状況が緊迫する中で、シュタインマイヤー外相は、ポーランドのシコルスキー外相、フランスのファビウス外相とともにEUを代表して、みずからキエフに乗り込み、ウクライナの与野党勢力と事態収拾のための交渉を行ったことであった。結果的に与野党間の協定は発効しなかったものの、EUを代表してヤヌコーヴィチ政権が野党勢力に暴力行為を行わないように圧力をかけつつ、民主的な選挙に向けて事態収拾の交渉をおこない、一度は関係者に協定をサインさせることに成功した。

シュタインマイヤー外相 出典:「Frank-Walter Steinmeier 20090902-DSCF0011.jpg」Arne List http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Frank-Walter_Steinmeier_20090902-DSCF0011.jpg
シュタインマイヤー外相
出典:「Frank-Walter Steinmeier 20090902-DSCF0011.jpg」Arne List http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Frank-Walter_Steinmeier_20090902-DSCF0011.jpg

ヤヌコーヴィチ大統領が逃亡し、キエフに新しい暫定政権が成立して、クリミア危機が深刻化する過程でも、ドイツはメルケル首相がプーチン大統領と電話会談を行ったり、シュタインマイヤー外相が自ら率先して危機の回避に向けて努力を続けたりした。ポイントはいかにロシアと緊密な交渉を継続しながら、外交的な努力によって事態を悪化させないか、その際にEUの結束をしっかりと確保しながらEUが一丸となってロシアとの交渉にあたれるかということであった。この点では制裁を前提として強い圧力をかけるのではなく、ロシアとの政治対話をいかに効果的におこなえるかについての交渉をシュタインマイヤー外相が中心となって実施したのであった。

しかし、ロシアのクリミア併合の意思は強く、クリミア半島のロシア編入を問う住民投票がOSCE監視ミッションの入域を拒否したまま実施され、クリミア半島のロシア化は進行してしまった。これ受けてドイツは、ロシアの行為が国際法とウクライナ憲法に反する行為であり、受け入れられないことを強調し、EUとしてロシア高官の渡航禁止や資産凍結の制裁を発動した。

クリミア半島のロシア化は日々進展しており、もはや状況を逆転することはほぼ不可能であるように思われる。ドイツとEUの外交努力の中心も、もはやクリミア半島からウクライナのこれ以上の分断や崩壊を防ぐことに移りつつあるようである。今後はとりわけクリミア半島に隣接しロシア語を話す住民が多く、親ロシア色の強い東部ウクライナが不安定にならないようにする努力が中心となるであろう。

ウクライナをめぐるドイツ外交の展望

シュタインマイヤー外相は3月22日ウクライナのキエフと東部のロシア系住民の多いドネツクを訪問した。現地の政治家のみならず経済人とも会談をこなし、ウクライナのこれ以上の分裂を防ぐための方策を協議した。またOSCEは監視ミッションのウクライナへの派遣で合意し、3月23日には最初の監視団がウクライナに到着している。これは欧米諸国が監視団という直接のプレゼンスによってウクライナに関わり、事態のこれ以上の悪化を防ぐことを狙ったものである。

OSCEには当然ロシアも入っており、ロシアの承認なしにOSCEは行動することはできない。この意味ではクリミア半島は除外されたものの、それ以外のウクライナについてはこれ以上の危機の深刻化を防ぐ第一歩がようやく始まったと評価できるかもしれない。OSCEの監視ミッションはさしあたり100名程度の派遣であるが、最大で500名程度まで監視団を拡大してゆく予定である。ドイツは20名程度の専門家をこのミッションに派遣すると報道されている。

ウクライナとクリミアの危機に際して、ドイツもEUも外交的な関与の努力はしたものの、断固としてクリミア半島を併合する決断をしたロシアの前では全く無力であった。ロシアにとってもG8からの排除や経済関係の悪化による損失などはマイナス材料であるはずであるが、「西側」諸国が考える以上にロシアの決意は固かった。既にクリミアでの住民投票とロシアに帰属するための条約手続きが済み、軍事的にもロシア軍による半島掌握が既成事実となっているので、今後ともこの状況が逆転するとは考えにくい。

そうであれば、クリミア問題が波及しないようにウクライナを安定化させ、これ以上の状況の悪化を防ぐというのが当面のEUとドイツ外交の課題となろう。そもそも、ウクライナの状況が安定しない、親EU路線と親露路線の間で基本政策が揺れ動き、社会も分断の可能性があるということは1991年の独立時から変わっていない。政治家の汚職が横行し、国家の運営がうまくいかない中で、経済状況が改善しなければ、ウクライナのアイデンティティーは危うくなる。状況が厳しい中で貧しいクリミア半島の住民がロシアに期待を抱き、抵抗が比較的に少ない状況でロシア化されていくのと同じことが東部ウクライナで生じるのを防ぐことが今後のEUとドイツの政策の中心となろう。

ウクライナ経済の展望は明るくない。少なくとも短期的には国際社会の中でEUが中心となって経済支援し、経済を安定化させる手をさしのべなければならない。しかもロシアはウクライナのガス代金未払い分を抱えており、これまでそれを許容してきたことは、実質的にウクライナ経済を支えてきたということでもある。親EU路線の政権が生まれたからと言ってウクライナ経済をEUだけで支えることはできない。

そもそも、ウクライナがロシアの懸念を無視し、さらなる分裂のリスクをおかしてまでNATO加盟やEU加盟に向かえるのか、国内の混乱を考えると、非常に不透明である。EUやNATOからしても大きなリスクとなるウクライナを現状のまま抱え込むことは考えにくい。EUはウクライナ支援のシンボルとして連合協定の締結をいそぎ、3月21日にさしあたり連合協定の政治協定を署名した。しかし、連合協定はEUの加盟とは別次元のものであり、連合協定を締結したからといって将来的にEUの加盟の展望が開けるわけでは無い。あくまでEUとより緊密な特別な関係を政治的、経済的に結ぶというものである。実際にウクライナはこれまでEUの近隣諸国政策(ENP)の対象国であった。ENPの対象国はEUと地理的に近く隣接しているので特殊な関係を結ぶ対象ではあるが、さしあたり加盟候補国とはならない国々なのである。

EUとより緊密な関係を政治的にも経済的にも構築できたとしても、加盟できる展望が開けない状況というのは、やっかいな状況である。EUが最も影響力を強く行使し、言うことを聞かせることができるのは加盟交渉をしている国々である。EUに加盟するためには政治的にも経済的にもEUが有する法律の全てを一方的に受け入れなければならない。このプロセスを経ることによって、加盟候補国の国内改革は進むのである。しかし、加盟圧力が無い中で、これまで汚職にまみれ、法の支配が貫徹しない不安定な国の国内システムを改革していくことは難しい。

ましてウクライナの隣国はロシアであり、ウクライナ内にはロシア語を母語とする住民が東部に多数存在している。そしてその背景には、現在のウクライナの地理的な範囲が歴史的に一つの国では無く、さまざまに異なった背景を持つ地域の集合体であるということがある。

外交のレトリックとしてウクライナの安定化をEUが支援すると繰り返し訴えても、また民主的な選挙がうまく実施できたとしても、その後の政権運営には実質的な経済支援が必要となる。モラルサポートのみではウクライナは再生しない。そしてEU諸国もウクライナを単独でサポートすることはできない。アメリカや日本のみならず、直接の隣国であるロシアもしっかりと関与させながら状況を安定化させていく以外に方法は無い。

これまで見てきたように、ドイツ経済とロシア経済は緊密に結びついており、ロシアに厳しい制裁を科すことは自国経済に跳ね返ってくるために現実的では無いし、世論調査を見ると国民もそれを望んでいない。また国際政治の視点から見ても、グローバルな核拡散の問題であれ、イランやシリアなど地域の問題であれ、大国ロシア抜きに、もしくはロシアと敵対しながら対処することは考えにくい。そのあたりを見透かされていればこそロシアはクリミア問題で断固とした行動をとっているのであろう。

ドイツのウクライナ情勢をめぐる外交のオプションは限られている。しかし、ウクライナが旧ユーゴスラビアのように混乱することはなんとしても避けなければならない。政策オプションは限られているが、ドイツ外交にはこれまでのEUやOSCEも重層的に利用した徹底的な外交的関与の政策を継続し続ける以外に道は無いようである。

サムネイル「Angela Merkel (2008).jpg」א (Aleph)

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Angela_Merkel_(2008).jpg

プロフィール

森井裕一EU研究、ドイツ政治

東京大学大学院総合文化研究科准教授。琉球大学、筑波大学を経て2000年より現職。専門はEU研究、ドイツ政治、国際政治学。『現代ドイツの外交と政治』(信山社、2008年)、編著に『ヨーロッパの政治経済・入門』(有斐閣、2012年)、『地域統合とグローバル秩序−ヨーロッパと日本・アジア』(信山社、2010年)など。

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