2014.03.31

治らない病気を診ることが医学の神髄だ――人はナラティブによって生きている

脳神経内科医・中島孝氏インタビュー

情報 #教養入門#新潟病院#ナラティブ

大人気コーナー「高校生のための教養入門」。今回は国立病院機構新潟病院の副院長で、脳神経内科医の中島孝先生にお話を伺いました。人はいつか治らない病気にかかって死んでしまうのだから、治らない病気こそ診たいと語る中島先生。臨床現場で数多くの治らない病気をもつ患者さんと接するうちにたどり着いたのは、「完全に良い状態」を「健康」とするWHOの健康概念は間違っているという発見と、ナラティブに基づいた医療こそ必要だということでした。なぜWHOの健康概念は間違っているのか、そしてナラティブとは? 驚きに満ちあふれたインタビューをお読みください。(聞き手・構成/金子昂)

人間のことを知りたかった

―― 最初に自己紹介もかねて、先生のご専門についてお話いただけますか?

私は脳神経内科の医師として臨床をしながら、ニューロサイエンスという脳・神経・筋についての研究をしています。脳神経内科は、脳こうそくや脳出血、頭痛、脊髄や末梢神経の病気はもちろん診ますが、体の臓器は神経系が支配しているので、すべての病気を診るわけです。さらに脳は人間の機能に関係していて、例えば失語症とか認知症とか、とにかくあらゆる問題に関わりますね。だから社会との接点も多いです。

大学卒業後医師になり、研究のために大学院に入学しましたが、その間に、アメリカ国立保健衛生研究所(National Institutes of Health)に留学しました。いま日本でも、厚生労働省が日本版NIHを作ろうとしていますが、これは巨大な臨床と基礎医学の研究機関で、その中心にあるクリニカルセンターは公的な臨床試験(治験)センターです。大学院生でもあったにもかかわらず、アメリカから生活費と研究費をもらって2年半勤務しました。アメリカも度量がありますよね。いろんなことを勉強しました。

その後、日本に帰ってきて、新潟大学脳研究所で研究したものの、いま振り返って思うと、大学院卒業をきっかけに、直接的な問題点から研究をしてみたかったので、早めに大学から、十分な研究インフラと研究テーマのある国立病院機構に移ることになり、結局、大学へは戻らず、そこで患者さんを診ながらずっと研究をしています。

―― どうして医者になりたいと思ったのでしょうか?

多くの人は、親戚や家族の病といった問題から医者になりますけど、私はそういう動機はあるにしても少ない。むしろ人間に対する興味が強かったんですね。

私が高校生のときは、文化人類学や哲学が風靡していました。浅田彰さんとか、梅棹忠夫さんとか。いまの高校生は知らないかもしれませんね。そしてもうひとつ、分子遺伝学が勃興しつつあるところだったんです。当時は、文化から人間を知るか、生物体として人間を研究するか悩んでいまして。ただ、いずれにせよ人間を研究したい、というよりも、人間が知りたかったんです。客体ではなく、自分のことを含めた主体として。

結果的に、ご覧の通り医学を選んだわけですが、医学を通せばいろいろなところにいけるんですよね。厚生労働省の役人にも大学の教官にも、保健所の職員にも、海外の駐在医にも、普通の医師にも、外務省の医務官、防衛医務官にもなれます。向井千秋さんのように宇宙にだって行けますよね。

認識は存在を超えるという発見に希望を感じた

―― 実際に専門的に研究を始められてどんなことを思いましたか?

研究には基本的にふたつのテーマがあると思っています。ひとつは学会の中で醸し出されている、歴史的な流れの中にある研究。そしてもうひとつは、現実に社会の中から起きてくる問題についての研究です。

私は大学院で、アカデミックな体系における研究のトレーニングも積んできましたが、やはり現場にいることで突きつけられる問いを研究するほうが楽しかったんですよね。現場で新たなことを発見するたびにドキドキします。大学にいても発見はあるのだけれど、そこでの研究成果とは自分をプロモーションするステップなんですよ。業績として評価されるための。でも臨床医にとって発見は純粋に喜びなんです。

しかも喜びにも、ふたつの感じ方があるんですよ。ひとつは、まるで神のように絶対者となって、客体としての世界のメカニズムを解明したかのような喜び。そしてもうひとつは、自分もまた世界の参加者として存在し、自らを深めたときの喜び。若いときは、前者のほうが強かったのですが、次第に後者の方の喜びが強くなっていきました。すると不思議なことに息切れしなくなりました。

―― 息切れ、ですか?

そう。客体として世界を考えるということは、神が作った、作り物の世界なわけですから、いつか研究し尽くすことができるかもしれない。いつかスーパーコンピューターの性能が高くなれば、世界を解明して、さらには将来をシミュレーションできるようになるかもしれない……と思っちゃう。でも、そう思ったらなんだかがっかりしませんか?

私はあるときに気が付いたんです。人間は認識によって世界を知る。例えば、可視光から赤外線領域をカバーする大型天体望遠鏡のすばる望遠鏡ができたり、しんかい6500という深海探査艇のための潜水艦ができる。それによっていままでは認識できなかった遠くの宇宙や深海を観測、計測できるようになる。するとこれまでの生物現象、物理現象の理論では処理できない事象が出てきちゃう。つまり認識は存在より上なのね。われわれは存在を前提として考えるわけだけど、存在自体は究極的には知ることができない。認識する力を深めていくと、違う存在が出てきてしまうわけですからね。むしろそこに希望を感じたんですね。

―― どんな希望でしょうか?

まず、私の認識があり、その延長上に測定器を使った計測があり、それは私の認識でもある。他の人がその測定器を使えば、私と違う認識が生まれる場合もあれば、あるいは同じ認識となることもある。または、同じ事象を違う分析装置でみると、違った認識が出てくるかもしれない。私の認識があって、あなたの認識がある。私からみたあなたの認識も、あなたからみた私の認識もある。同じように認識していることもあれば違うこともある。こう考えると「存在の次に認識がある」という世界から逃れられるんです。

このことは、人は、それ以前に知り得た以上の豊かな存在を認識したり、あるいは作り上げることが、永遠に可能かもしれないという可能性をしめしています。つまり人間が人間の救いになるということなんですね。世界が絶対者によって以前作られたものによりシミュレーションのように動いていると考えて、こつこつと地道に研究をする以上に、希望のある世界を生み出すことができるかもしれない。そんな喜びを感じながら研究に勤しむと息切れしないし、希望に溢れるんですね。

MRIはビートルズのヒットによって生まれた!?

―― だから先生はそんなに生き生きされているんですね。これまでいろいろな研究をされてきたと思いますが、最初はどんな研究をされていたんでしょうか?

いまビッグデータ解析って流行っているでしょ? 私は20年以上前に、貧弱なパソコンでそれをやっていたんですよ(笑)。

具体的には、あらゆる人の脳のかたちを重ねあわせて、変換することで、脳の座標を標準化する研究をしていました。脳のこの座標は、色を分別する部分、ここは言葉をリピートするときに使う部分、視野のこの部分に対応しているところ、とかね。そうやって脳の標準化をすれば、「標準的な脳では、愛したり憎んだりするときにこの部分を使っているけれど、この人の脳の場合は、ここで処理しているんだなあ」ということがわかるようになります。

ちょっと話がそれちゃうんだけど、その分析のためには、2000、3000人の脳を解析しなくちゃいけなかったのね。当時の研究者は最初、ご遺体の脳を使っていたんだけど、研究を始めてしばらくしたらMRI(磁気共鳴画像装置)が開発されて。これってビートルズが関係しているんですよ(笑)。

―― えっどういうことですか!?

ビートルズは世界中で愛されたバンドですよね。それによってレコードを出していた英国のEMI社は大儲けしたんです。そしてそのお金を使って、医療用のCTスキャナを発明し、商業化に成功した。

当時日本の総理大臣は田中角栄でした。彼は新潟出身で、新潟県の病院にも結構早くCTを導入してくれたんです。だから私は早くCTを使うことができた。当時はまだ商業化に成功できなかったMRIも、CTが輸出されたことによってEMI社で研究が進み、発明され、その後、商業化された。だから、CTもMRIもビートルズのヒットが生んだんです。

話を元に戻すと、MRIが商業化されたおかげで、ご遺体の脳を使わずに脳の画像をとることができるようになって、研究がより発展しました。

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WHOの健康概念はロマンでしかない

―― 臨床医としてどんな思いをお持ちなのか教えてください。

私は医者になったときに、「治る病気を単に治す医者にはなりたくない。治らない病気を診る医者になりたい」って思ったんですよ。もちろん、診るだけでなくて、治せるような研究もしながら。

その頃はプライドの高かった医学生だったので、治せる病気を診るのは単なる「労働」だって思っていたんですね(笑)。治らない病気にチャレンジするのが崇高なことで、最高の喜びだと思っていたんです。実際にはそれは簡単ではないと打ち砕かれたんですけどね。

―― すごい挑戦ですよね。どうして打ち砕かれてしまったんですか?

大学院を卒業したばかりのときでした。ある進行性の神経系の病気をもった患者さんの団体に、講演を依頼されたんですね。患者さんは何とかしてもらいたい、すこしでも参考になる話を聞いて、幸せになりたいと思って私に講演を依頼したんです。でもそのときの私は、患者さんに向かって「この病気は次第に進行して、寝たきりになって、死ぬんですよ」というほかないことに気付いた。自分で、絶句してしまいました。

期待に応えたいけど、自分にはそれができない。だから迷ったんです。研究に閉じこもってしまえば、患者さんに触れずにいられる。そこに逃げたいって気持ちもチラッとありました。それでも結局は患者さんとともに研究することを選び、10年、20年と勤めながら、治らない病気のことを考え続けてきました。

実はあるときこの壁を突破できたんですよ。WHOの健康概念は間違っている、と。

―― WHOって国連機関ですよね!?

そうですよ。WHOは健康を「complete physical, mental and social well-being」と定義しています。これはつまり、肉体的にも、社会心理的にも、完全に良い状態が「健康」だということ。「mental and social」が入っているところがズルい。というかWHOに野心があったことがわかりますよね。「mental and social」をいれた瞬間に経済学や政治学のテーマと健康概念が重なるようになっているんです。経済学や政治学の視点で、「健康」を語れるようになっている。

でもね、現代のように業績評価第一主義のこの世界で、この健康概念で業務を管理したら、医療従事者は、患者さんを「complete physical, mental and social well-being」にすることばかり考えますよね。そうするとどうなるか。

インフルエンザ。可能かもしれません。胃潰瘍。これも大丈夫です。ではアルツハイマー病はどうですか? 治らないガンはどうですか? 高齢化社会における老化などすべての病気は本当は治らないものです。難病もそうですよね。どうやってもComplete well-beingにならない。数多くの病気があっても、医者が治せる病気はほんのひと握りだけ。だけど治せない病気を診ても業績としては評価されない。治らない患者さんは、業績主義の医療からは否定されているのに、患者さん自身は直してもらいたい一心に医療機関に行き続けるという空回りが両者におきてしまうのです。

ほんとうは、糖尿病だって血糖値をコントロールするだけであって、治しているわけじゃありません。高血圧だって血圧をコントロールしているだけ。治らない病気なんです。治らない病気を診ることは、本来は、医学の神髄なんですね。でも健康の定義から導かれる医療はそうなっていない。WHOの健康の定義はロマンでしかなく、本当は業績評価の基準にしてはならないのです。でも、皆、治すこと、治ることが医療の真の目的だと思ってしまう。そして、治らないなら無駄だと。

ナラティブってなに?

―― WHOの健康概念が間違っているとしたら、どんな状態が「健康」なんだとおもいますか?

そこでひとつのキーワードとなる言葉が「ナラティブ」です。「ナラティブ」は、映画における「ナレーション」と同じ語源の言葉ですね。

人間は「言葉」を媒介に「物語」を伝えます。モノを認識するときは、時間軸は入っていませんが、「物語」には時間軸が必ず入っている。どういうことかというとね、例えばここにお茶碗があるとしますね。これはただのお茶碗かもしれないし、東京大学を憧れている高校生にとっては、「東京大学の学生食堂に置いてあるプラスチックのお茶碗」という価値のあるものなのかもしれない(笑)。「東京大学に置いてあるプラスチックの」は、「お茶碗」というモノに対する構成概念で、特別な意味づけです。いずれにせよそこには時間軸がありません。

一方で、「物語」は事象であり、必ず時間軸があります。「私が空を見上げたときに、大きな音がした」、「お風呂に入ろうとしたら、めまいがした」。ほら、時間が入っているでしょう? 時間が入っているもの、これを「事象」という。しかし、我々は「事象そのもの」を知ることはできないんですね。「言葉」によって物語として記述する他ないのです。

―― 哲学の先生にインタビューしている気がしてきました(笑)。

ちょっとわかりにくいかもしれませんね。つまりね、私たちは、ありとあらゆる事象をとらえるときに、必ずなんらかの解釈をしているのね。あらゆる角度から事象をとらえることはできないでしょ。あっちから見たら非常に愛想よく対応している店員さんも、違う角度からみたらすごい形相で起こっている店員に見えるかもしれない。すべての角度から捉えられること、事象そのもの捉えることができるのは神だけ。

われわれが、ある事象を、ある角度から切り取って「言葉」にする。それによって運ばれるものが「物語」なんですが、言葉そのもの(ディスクール)と物語そのものは不可分なので、合わせてナラティブといっています。

いい加減にみえるナラティブこそ、救いになる

―― そのナラティブが、どうして医学に関係するのでしょうか?

ある難病が進行したとき、健康で立派なときの意思決定、すなわち事前指示に従って、医療従事者は対応して欲しいと考える人がいます。私はそれをずっと胡散臭いと思っていました。

人間はどんどん自分を変えて、考え方を変えて生きています。受動的ではなく、主体的に自分の内的な変化や世界の変化に対して適応していく。例えば陸上選手が交通事故で脊髄損傷(脊損)したとしますね。その後、それを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかは人それぞれですよね。その選手は、普通の陸上選手だったらオリンピックに出場することすらできなかったけれど、脊損になったために、パラリンピックで優勝してしまうような選手になれるかもしれない。その人は、交通事故にあってしまったのだけれど、ひょっとしたらわるかったとは言えないのかもしれないでしょう。そういう解釈だってできるんですね。人間は生物としても適応的な存在だし、心もまたいろいろなことに適応できる。人生は一回きりであり、どっちがよかったなんて誰にもわかりません。

それに、その陸上選手は、生まれてくる前に、陸上選手になるんだって自己決定して生まれたわけではありません。生まれ、育てられ、選ばれたり、選んだりしながら陸上選手になってきた。それは後から得たものであって、交通事故にあって脊損になったからといって、その人の存在価値が失われたわけじゃありません。こうゆうことは「complete physical, mental and social well-being」からは測れません。

―― なるほど、だからWHOの健康概念は間違っている、と。

人間はストーリー(物語)を作ったり、ヒストリー(歴史)を書き変えたりしながら生きています。「病気になったからこそ、こんな素敵な人に出会えたんだ」と、病気自体にも過去を書き変える力すらあります。人間は、ナラティブによって生きているんですね。

そのことに気付いてから、ナラティブを使って、医学や医療を評価する研究に入りました。すると患者さんっていい加減な生き物なのがよくわかった(笑)。同じ薬を出しても、同じようにケアしても、「すごく効き目がありました」と言ったかと思えば次の日には「全然だめでした」とも言う。患者さんは、なんていえばいいんでしょうかね、うーん、自分の好きな女性みたいなものですね(笑)。

科学的にみるとナラティブは胡散臭いものに見えてしまうかもしれません。だから「そんなもので医療や医学、手術や薬を評価できるわけがない」と言われてしまう。ナラティブの世界はプラセーボ効果現象にも通じる世界ですからね。

それでも、医療において一番大切なのは患者さんだという概念は不変です。そして患者さんの症状をコントロールしないといけないので、医者は患者さんの言葉を聞きに行かないといけない。そういうレベルでのナラティブはいまの医療現場にもあります。でもそれはお題目でしかない。「そうですねー。痛いですねー。でも我慢してくださいねー」とCTやMRIの数値データのみを評価しながら、ナラティブは聞き流しているだけ。治療に必要なデータは客観データだけであり、患者さんがいうことなんてはじめからいい加減なものだと考えているのです。

でも本当は、そのいい加減さによって人間はいまを生きる力をえてきた。過去を書き変え、現在の自分の状態を書き変えることで、いまを生き、未来を新たに描き直すことができる。医療はこのようなダイナミックな変化を否定しないで、大切にするべきなんです。古典的科学からみることはいい加減にみえるけれど、これは人間の救いなんです。だからこそナラティブに基づいた医療(narrative based medicine)をしなくてはいけない。ナラティブが改善するための研究をしないといけない。私はそう思って研究を続けています。

「いかがでしょうか?」「普通です」

―― 実際に先生は医療現場でそういったナラティブの力を目の当たりにしているわけですよね。

それはもう毎日だよね。だって治らない病気を主に診ているんだから。

ALSといって次第に身体が動かせなくなってしまう難病をお持ちの患者さんは、たとえば、口から食べてはいるものの、不足する場合は、栄養失調にならないようにお腹に胃ろうもあけている。普通に考えたら、毎日が苦痛で仕方ないように思えるかもしれません。この方は確かに、「complete physical, mental and social well-being」ではないでしょうね。

でも症状が安定したときに、患者さんに聞くんです。「いかがでしょうか?」するとその方はこう答えます。その状態であっても「普通です」「具合はわるくない」といってくれるんです。決して、「大変です」「つらいです」「くるしい」とは言わないんです。この方にとって、そのときのいまの状態が普通になったんですね。だから熱を出したら「今日は熱があるから病気です」と言うんですよ(笑)。この方はALSです。でもそれに適応しながら生きている。ケアが成功して、安定すると「ここから出してくれ!」「こんな状態はいやだ! 死にたい!」とは言わないのです。

この患者さんのように、難病の方に「普通です」と言ってもらえるような支援を私は目指しています。これは難病ケアや緩和ケアと言われるものです。緩和ケアって「美しく死ぬ」「痛みなく死ぬ」ってことが目標とよく言われますが、それは嘘。大切なのは、進行性の難病でもその人がその瞬間、もう一度「普通です」と言える状態になってもらうことが目標なんです。誤解されたまま広まってしまったんですよ。

それぞれ人は違うもの。でも、みんな生まれた瞬間に、いつかは治らない病気になり100%死ぬことだけは決まっているでしょ。だからね、病気になったから、治らない病気になったからといって、「もう駄目だ」なんて思っちゃいけない。ましてやそんな人に「医療費がもったいない」「治らないのにコストを割くのは無駄だ」なんていうのはおかしい。その人が自分で「普通です」と思えるようになれば、それでいいでしょう。

医学や医療をイノベートする人は、治らない患者さんを殺そうとはしません。存在を否定しないのです。きっと生かそうとするでしょう。これまで通りの医療行為をやるのではなくて、その人に生きてもらえるように、新たな治療法やケア技術を作り上げようとするはずです。

最初にお話したように私はこの年になって息切れしなくなりました。それは客観的な医療ではなく、主体的に探索して広げていく医療を意識した瞬間に。人間としての喜びを感じながら患者さんを診て、研究ができるんです。

たくさんの物語を知ることが、生きるコツ

―― ありがとうございます。先生の研究をこれからも注目していきたいです。最後に高校生にメッセージをいただけますか?

そうですね。やっぱり、神話でも歴史でも、伝記でもおとぎ話でもアニメでも、なんでもいいからいろいろな物語を読んだり聞いたりしてほしいです。人は、あらゆる困難や苦しみの中でも、いろいろな物語をどれだけ知っているかで、世界の様相は変わり、そのときを生きのびることができるのです。困難を経ることで人は発展し進歩します。

人間はどんな困難も乗り越えられる。そういう力が備わっています。多くの人は諦めてしまうけれど、物語を豊富に知っている人は動じないでいられる。そういう心をもって、それぞれの道を進んでほしいです。これが私からの、高校生のためのこれからの人生をすごすためのコツです(笑)。

ナラティブの力がわかる! 高校生のための3冊

この本は、ありとあらゆる国の古い物語、伝説、言い伝えをキャンベルが解説する。彼の深い人間理解はそれらの物語の本質的で普遍的意味を読者に伝える。モイヤーズの鋭い質問により思想的対談となっており、わかりやすく読者を引きつける。私はTVプログラムで知り、この本とキャンベルの虜になってしまった。

この薄い本は宗教の本と思わずよんで欲しい。新約聖書を読み解くための、最初に読むべき、決定的な解説書・攻略本である。聖書はキリスト教徒であってもなくても読むべき物語の宝庫である。マルコ、マタイ、ルカという福音書はイエスの誕生から十字架刑、復活再生の事象を3つのことなったナラティブで語り、おきた事象の意味の深さを伝える。人はどんな最悪の事態にあっても、よみがえって生きられることを示した根源的な物語の解説本である。新約聖書のローマ人への手紙も圧巻であり、論理的で科学的とも言えるメッセージにこれだけのスピリチュアリティをこめたものは他にない。この解説もここに含まれている。

構成主義(Constructivism)の数少ない解説書、翻訳書。構成主義とはあらゆる現代の先端的学問のメタサイエンスであり、数学、医学、心理学、ニューロサイエンス、サイバネティクスから工学、人文社会学に書かれたあらゆる物語を理解することができる要の考え方である。人間の学問(サイエンス)は実体、存在に関する学問と思われているが、本当は違う。実は、あらゆる物事は、人間の認識のフィルターを通してのみ知ることができる。認識のフィルターが変わることで、存在、世界は変わる・変えることができるのである。構成主義は仏教における世界認識の方法と同じといえるのが面白い。

プロフィール

中島孝神経内科専門医

神経内科専門医、認知症専門医、臨床遺伝専門医、H24 年度~ 厚生労働省難治性疾患等研究事業「希少性難治性疾患-神経・筋難病疾患の進行抑制治療効果を得るための新たな医療機器、生体電位等で随意コントロールされた下肢装着型補助ロボット(HAL-HN01)に関する医師主導治験の実施研究班」研究代表者。新潟大学医学部卒(1983)新潟大学脳研究所神経内科研究生(1983~84)新潟大学大学院医学博士課程(1985~91)National Institutes of Health(USA), Fogarty Visiting Fellow, Biological Psychiatry Branch(1987~89)新潟大学医学部大学院卒、医学博士(1991)国立療養所犀潟病院 神経内科医長、放射線科医長、臨床研究部病態生理研究室長(併任)(1991~2003)厚生労働省薬事・食品衛生審議会専門委員(非常勤) 現)独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)専門委員(2001~)国立療養所新潟病院 副院長、現)独立行政法人国立病院機構新潟病院 副院長、新潟大学脳研究所非常勤講師(2004~)

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