異なる人びとのイメージを、ひとつに重ねあわせる方法論――ミリの世界から日本列島改造論まで

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高校生の頃に好きだった建築家は?

 

―― いつ頃から建築に興味があったんですか?

 

いつ頃でしょうかね。小学生のときには、父からいろいろと話を聞いて興味はありました。

 

神戸に「ポートアイランド」という人工島があるんですけど、これは水害の多かった神戸市が、治水のために六甲山を削ってベルトコンベアで土を運んで埋め立てて作ったんですね。山も海も同時に開発できて、ベルトコンベアを通していたトンネルの跡地は下水道に使えるということで、一石三鳥の計画なんて言われていたようです。

 

これを考えたのが当時の神戸市長の原口忠次郎。彼は京都大学出身の工学博士で、ポートアイランドに銅像があるんですよ。それを見に行ったりしていましたね(笑)。

 

 

―― じゃあ高校の頃にはすでに建築学を志していたんですね。当時好きだった建築家はいましたか?

 

高校生のときに、安藤忠雄展を見に行って、建築への思いを強くしました。安藤忠雄の建築は全部よかったです。特に光の教会は不思議だった。四角い壁に十字のスリットが入っていて、午前十時になると日が差し込むようになっている。礼拝堂への入り口が斜めにつけられていて、それも不思議だった。それからは安藤さんのことが気になって、いろいろ調べたり建物を見に行ったりしていました。

 

 

都市計画→まちづくり→設計方法論

 

―― 大学に入る頃から建築デザインに興味があったのでしょうか?

 

いえ、大学に入るまでは都市計画に興味があったんですよ。それで社会工学科というところに入りました。でも私が入学した1996年には既に都市計画や建築計画は終わったとされていました。

 

戦後、日本が「計画」という概念のもとで、瀬戸大橋や青函トンネルなど、一兆円プロジェクトと呼ばれるような巨大プロジェクトがあちこちで進められ、全国にインフラが整備されていったわけですけど、次第に行き詰まります。バブルも崩壊し、さらに1995年に阪神淡路大震災が起きると、いよいよ都市計画の時代ではないとされ、市民ワークショップなどを開いてボトムアップで街を作っていくいわゆるひらがなの「まちづくり」の時代になっていく。

 

住民参加のまちづくりについて研究する研究室に所属して最初はよくわからず「まちづくり」にも関わらせて頂いたんですけど、お手伝いで参加したワークショップでは、最初は静かにしている市民が、模造紙が広げられた机を囲んで30分も話をすれば、どんどん意見を出し合うようになることに驚きました。これはすごいな、と。その一方で、いろいろな人が考えていることはよくわかるのに、最終的にまとめられた解決案との間には飛躍があることがいつも気になっていました。

 

そのことの矛盾について、当時の指導教官だった土肥真人先生にぶつけていたら「いいからお前は建築に行け」って言われて、運良く建築の大学院の塚本由晴先生の研究室に受け入れて頂いて移ることができたんですね。

 

 

―― なるほど、いまの藤村さんのプロジェクトに繋がるものがありますね。

 

そうですね。建築に移ったら、今度は先生が「長い空間って気持ちいいよね!」と言いながらどんどん案を決めている(笑)。施主が言っているならわかるけど、建築家が勝手に「気持ちいい」とか言って決めるということは何なのだろうかと最初は戸惑いました。いま考えると、誰も決められないことを次々と決めていくのが建築家の仕事なのですが、最初はすごくエゴイスティックに見えました。

 

まちづくりの人たちは、いろいろな人たちが何を考えているのか、世論を計る技術はあるけれど、それを全て取り込んだ解決案を立案することは難しい。つまり水平性はあるけど、構築性はない。一方で建築家は構築性があっても「気持ちいいよね!」と主観的な決め方をするので、広がりを持つのが難しい。そのジレンマをどうにか解消したいと考え、「段階的に形にしながら最終的な案を決める」という自分なりの方法論を思いついたんですね。

 

でもこれは目新しいことではなくて、もともと「設計方法論」と呼ばれる分野で研究されてきたことなんですよ。

 

 

建築家は「作りたいから作る」エゴイストたち?

 

―― 「設計方法論」ですか?

 

ええ、1960年代に超高層ビルや飛行機のような、それまでのスケールを超える複雑な人工物が出てくるようになったとき、さまざまな領域の専門家が協働しなくてはいけなくなります。いろいろな人が集まって設計をするときに、設計の方法論がしっかりしていないとまともな成果物ができない。ということで設計の方法論が議論されるようになったんですね。

 

しかし、事例が積み上がって、例えば超高層ビルについてもどのような手順で設計すればよいか次第に確立されてくるとマニュアル化されてくるのでそうした設計の方法論そのものの議論は忘れられていきます。一方で江渡浩一郎さんが明らかにしたように、ITやプログラムなど新しい設計の領域では建築の分野で確立したクリストファー・アレグザンダーの設計方法論が参照されることもあったようですね。

 

そのせいか、私がいま主張している設計方法論はプログラムの人たちにはすごく好評なんですよね。建築の領域からは、「足かせをはめるようなことしていい建築ができるわけがないだろう」みたいな先入観や揚げ足取りみたいな批判ばかりで。

 

 

―― いまの建築界はどういう雰囲気なのでしょうか?

 

1970年代までに、「住宅とはかくあるべし」「学校とはかくあるべし」「病院とはかくあるべし」と、それぞれの分野ごとの建物の計画の手法、いわゆる「建築計画」が体系化され、「建築計画学」が確立していきます。しかしその後、それではニーズに合わなくなってしまうということで、揺り戻しが起こり、建築家の中からも、重々しい画一的な公共施設ではなく、もっと実感のこもったリラックスできるものを作りたいと主張する人たちもでてくる。代表的な建築家は伊東豊雄さんですね。妹島和世さんや藤本壮介さんといった建築家も基本的にそういう流れを受け継いだ方たちです。

 

ただそうした考え方も「この建物はどうしてこういう形をしているんですか?」という質問に対して「私がふさわしいと思うからです」というトートロジーに陥っているように聴こえてしまうことがあります。私が建築を学び始めた頃に感じた違和感と同じで、いまの建築界は、バブル時代の演出された作家のイメージが強すぎて「作りたいから作る」エゴイストたちという固定した見方が強いんです。

 

 

―― ちなみに建築家の中には言論活動をされない方もいらっしゃいますよね。藤村さんはなぜ言論活動をされているのでしょうか?

 

日本では「物言わぬ職人」に「言語を超えた崇高ななにか」を見出す方が多いですけど、政治も経済が好調で建築家の制度も確立して安定した発注状況があるならそれでよいと思いますが、今日の日本のように不安定な場所では、積極的に発信して自分たちの職能を主張しないと社会に認めてもらえません。言論活動でも教育活動でも何かの運動でもいいと思うのですが、何らかのかたちで職能に奉仕する姿勢は私たち建築関係者全員に求められていると思います。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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