2015.11.19

自由診療による「再生医療的」行為について知っておくべきこと

八代嘉美 幹細胞生物学 / 科学技術社会論

科学 #再生医療#細胞移植

再生医療の副作用をめぐる裁判

以前、このシノドスに「危険な「幹細胞ビジネス」には厳しい視線を」と題する文章を掲載していただきました。それは、日本国内で実施されていた自由診療による自称「再生医療」を扱ったものでした。

その大半は病気に対する治療効果の有無が科学的に証明されていないにもかかわらず、「医師の裁量権」を根拠に、当時の「ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する指針(ヒト幹指針)」や薬事法に基づく治験等といった公的なルールに則らないまま、市中のクリニックが実施するもので、幹細胞(と称するもの)移植行為について注意を促すことを趣旨とするものでした。

しかしその後もインターネット上には「再生医療」を謳う自由診療の宣伝にあふれ、世界的に見ても、昨年バンクーバーで行われた国際幹細胞学会では、会長のスピーチで科学的根拠の乏しい幹細胞治療についての憂慮が述べられるような状況が続いていました。

そんな中、2015年5月15日、東京地方裁判所において、そのような自由診療を実施するクリニックを受信した患者が、クリニック側を相手取って起こした裁判の判決が下り、患者側の全面勝訴となりました。

今回、「判例」という形で、今後の法的な判断が行われる際の基準ができたことは、今般の再生医療をとりまく環境の変化とあわせて、再生医療に重要な意味を持つと考え、国立精神・神経医療研究センターの一家綱邦先生、京都大学iPS細胞研究所の藤田みさお先生たちと共同で私もその裁判について分析を行い、論文として報告しています。(注1)

(注1)一家綱邦、藤田みさお、八代嘉美、池谷博「再生医療を実施する自由診療クリニックに対する民事訴訟 ―明らかになった実態と残った問題」日本医事新報4766号(2015年)14-16頁

しかし、そうした学術的な場だけではなく、広く知ってもらうべきと考え、その裁判について紹介し、今後の再生医療が社会と協調し発展していくありかたについて再考してみたいと思います。

今回の判決では、治療費全額に当たる134万1186円と慰謝料50万円の支払いを被告側クリニックに命じています。重要な点は、こうした裁判で慰謝料以上の賠償責任が認められることは極めて少ない、ということから、これまでの医療に対する損害賠償請求訴訟とは異なる面を持ちます。

ですが、今回の裁判が重要であるのはそれだけではありません。私たちが調べた限りでは、このようなクリニックに対して患者が損害賠償を求めて民事訴訟を起こし、訴えが認められたのはわが国でも初めてのことでしたし、世界的に見ても、ほとんど前例がないものと考えられました。もちろん、アメリカなどでは訴訟が起こされてはいるのですが、当事者同士による和解というかたちで終わり、裁判所という「公」が判断を下すことはなかったのです。そのため、私たちの報告は、幹細胞研究における国際的な科学雑誌にも掲載されました(注2)。

(注2) Ikka T, Fujita M, Yashiro Y, Ikegaya H. Recent Court Ruling in Japan Exemplifies Another Layer of Regulation for Regenerative Therapy. Cell Stem Cell. 17:507-8. 2015

では、裁判の内容について詳しくみていきましょう。今回の裁判は、自由診療として幹細胞移植を実施するクリニックで治療を受けた患者が、細胞移植によって身体状況が悪化したこと、医師の説明義務違反があったことを理由に訴えたものでした。

その患者は長年「身体のしびれ」に悩んでおり、「症状が改善する可能性がある。車椅子の男性が歩行可能になった」として、脂肪から分離された「幹細胞」の移植を勧めたのです。しかし、細胞移植をうけた結果、身体状況が悪化し、自立歩行が可能だった状態から車いす生活を余儀なくされたことを主張しました。

移植を実施するにあたり、クリニック側は適切な説明を行ったことを主張し、実際に、患者本人もクリニックによる事前説明書に署名をしたことは裁判の中で明らかになっています。それでもなお、裁判所はクリニック側が説明義務を尽くさなかったために、患者の治療法を選択する自己決定権を侵したとしたのです。なぜ説明義務がつくされないことが、患者の自己決定権を侵す理由となったのでしょうか。患者が署名をした同意書には、実施される細胞移植の内容、手順の他に、

・アナフィラキシー反応や肺塞栓等の合併症の可能性があること

・投与された幹細胞の予期しえない変化の可能性があること

・人においても少なくとも1事例死亡報告があること

を記載した事前説明書がセットになっており、同意書は「説明を受け十分に理解し納得した、その結果、私の自由意志に基づき本療法を受けることに同意する」との内容であったために、裁判所が一定の説明があったことを認める根拠となりました。

しかし、患者が移植を希望するに至った「身体のしびれ」という症状に対する移植適応の診断について何ら説明をしていないことや、前掲の同意書や説明資料は、当初実施予定だった「自家」の、つまり患者自身の細胞移植法についてのもので、実際に行われた「他家」、つまり他人の細胞を用いるものの説明ではなかった上、説明書を受け取ったのは治療当日であったこと、さらに行われた治療法は安全性・有効性が未確立であるのに、クリニックの説明は安全性を強調するものばかりであったことなどを理由に、クリニック側が説明義務を尽くさなかったために、患者の治療法を選択する自己決定権を侵したとしたのです。

では、なぜ説明義務がつくされないことが、患者の自己決定権を侵すことになったのでしょうか。それは、この細胞移植という治療法が、医療として安全性や有効性が確立されたものではなかった、という点をあげることができます。

実は、訴えを起こした患者は、かつて慢性腎不全を患って、中国で他家の腎臓移植を受けており、拒絶反応を抑えるために、免疫抑制治療を受けていました。さらに、この患者は移植前のクリニック側のウイルスチェックにより、ヒトB型肝炎ウイルスのキャリアであることがわかっていました。

このためにクリニック側は患者自身の細胞を使う自家移植を断念し、他家移植に切り替えています。この判断の背景にはなにがあったのかわかりませんが、免疫抑制を受けているB型ウイルスキャリアの場合、細胞移植などで強い細胞傷害を受けることを示唆する報告があるなど、移植によってどんなリスクが生じるかわからない状態にあったとも言えるのです。

つまり、患者が幹細胞治療を希望していたことは事実であるにしても、クリニック側が説明義務を尽くしていれば、患者が移植に同意せず、移植を受けなかった可能性は高いと判断された、と考えられます。

細胞移植の正当性

本件で争われたのは医師の説明義務違反があったこと、それに付随する身体症状の悪化でした。しかし、そもそも医学的正当性についてはどうだったのでしょうか。

たとえば、今回移植を受けた患者においては症状や疾患について十分な検討を行わず、最初に細胞移植ありき、といった形で移植が実施されています。しかし、しびれなどの神経症状に対して、間葉系細胞が著効を示すという科学的根拠は、あまり多いとはいえないものです。その中で細胞移植を選択したことは、果たして正しかったのでしょうか。

また、クリニック側は移植時のリスクについて熟知し、患者に対しても説明を行ったとしていますが、実際には、事前に点滴の形に調整しておいた細胞を患者の自宅に持ち込み、移植を行っています。細胞移植の急性障害では、血流中の細胞が肺の血管につまってしまう肺塞栓がまず心配されますが、こうした急性の有害事象に即応するためには、自宅での移植は極めて不利といえます。

このようにしてみていくと、クリニック側は本当にリスクを十分認識し、対応を検討していたのか、そして、自宅での移植について、患者に適切に説明し、同意を得ていたのかという点について、極めて疑わしく思えてきます。つまるところ、科学的根拠についても、被験者保護の観点からも、きわめて疑問点の多い事例であったといえるでしょう。

そもそもが、2015年現在、大学や大病院のような医療機関ですら臨床研究レベルに留まる他家幹細胞移植を、民間クリニックが治療と称して実施したこと自体、大きな問題だったのではないでしょうか。

前述のシノドスの記事以降、日本の再生医療・幹細胞研究を取り巻く環境は大きく変わりました。社会にとっても最も大きなインパクトがあったのは、iPS細胞を樹立した山中伸弥教授が2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞したことでしょう。もちろんそれは再生医療や幹細胞研究に全体にも大きな追い風となる出来事でしたが、臨床研究などの実際の現場に最も大きく影響を与えたのは、再生医療を支えるための枠組み、つまり法律でした。

先に書いたとおり、日本にはヒト幹指針という再生医療のためのガイドラインは存在していました。しかし、それはあくまで「告示」という形式であって法律ではないために、仮に違反があったとしても罰則規定はありませんでした。

市中のクリニックが医師の裁量権による自由診療をたてまえとする以上、薬事法に基づく治験等の申請も必要はありません。そして、そうしたクリニックのホームページをみても詳しい治療に関する情報の開示はほとんどなされていませんでした。

つまり、安全性の確保等や患者の同意が適切になされたかなど、患者保護の観点についてもまったく不透明で、科学的根拠や被験者保護の原則への配慮が不十分なままで細胞の移植が行われていた可能性があったのです。【次ページに続く】

再生医療の法規制

こうした状況を是正しながら、科学的に根拠の認められた再生医療を推進するために、2013年4月「再生医療を国民が迅速かつ安全に受けられるようにするための施策の総合的な推進に関する法律」(再生医療推進法)が成立しました。

さらに11月には再生医療を実施段階へと移行させるため「再生医療等の安全性の確保等に関する法律」(再生医療等安全確保法)が成立し、同時に薬事法が改正され、「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」(薬機法)となりました。

再生医療等安全確保法はこれまでのヒト幹指針を受け継ぐ性質のもので、iPS細胞や体性幹細胞などによる再生医療について、これまでは国が情報を把握していなかった自由診療も届け出制として実施状況を把握する根拠となる法律です。この法律では治療実績などをもとにして、再生医療を第一種から第三種までに分類しています(図参照)。

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すでに新しい法律が施行されており、施行後1年の猶予期間、つまり従来の枠組みが維持された期間が終わろうとしています。そのため、自由診療クリニックも、用いる細胞のリスクに応じて、厚生労働大臣によって認定された特定認定、あるいは認定再生医療等委員会による審査と、国への届け出および審査(第一種のみ)での審査を受けなければならなくなっています。

実は、今回の裁判で争われた、他家の幹細胞を用いる移植は「第1種再生医療等」に該当しており、最も厳格な手続に従わなくてはならないものでした。通常、自由診療クリニックの多くが提供する自己の体細胞を用いる再生医療の場合は「第3種再生医療等」に該当し、特定委員会に比べて設置要件の緩い認定委員会と、国には地方厚生局への届出で済んでしまうものですから、そうした点からも今回のクリニックの行為は特に慎重であるべきだったことがうかがえます。

では、新しい法律が十分なのものかといえば、不安な点も残ります。第一種も第二種も、治療を実施するにあたって特定認定委員会で審査を受ける必要がありますが、どの委員会に申請するのかは自由となっています。もし特定委員会であっても、委員の質が不十分であったり、科学的な合理性もきちんと審査しうる能力がなかったりするものがあれば、厳格な審査を行う委員会を避けて緩い委員会を選ぶ「委員会ショッピング」と呼ばれる行為が起こる可能性もあります。さらに、想定したくはありませんが、ここに記したような法規制を全く回避して、アンダー・グラウンドで細胞移植を実施するような場合、国が実態を把握できないという可能性もあるのです。

知識が支える冷静な態度

新しい法律の制定によって、再生医療の審査や実態について国が把握することに法的根拠を与えられたわけですから、飛躍的な進歩ということができます。しかし、先に述べた通り、今回の判決は説明義務違反しか争点にならず、医学的正当性の問題に踏み込めなかったことは司法の限界かもしれません。

それでもなお、今回の判決によって、事後の結果によって、民事・刑事の法律を動員してその責任を問う、つまり事後規制も行いうることが示されました。このことにより、自由診療といえども、再生医療的行為を行う際はきわめて高い知識と慎重な配慮が必要であることを知らしめたことと言えるでしょう。

とはいえ、事前の規制にせよ事後の規制にせよ、完全な制度というものはありえません。その行為を受診する患者の側も、「難しいことはわからない」ままに、海のものともわからないような「藁にすがる」ことの危険性を理解し、自己防衛をする必要があります。そのためには、知識が支える冷静な態度は、大きな武器となるでしょう。

そのためには知識を得るためのリソースが必要となります。これまで、再生医療の専門家集団である日本再生医療学会は、社会に対して、再生医療的行為への注意喚起や、学会員がそうした行為を実施しないように求める勧告文を発表してきました。今後も不適切なクリニックの問題について継続的に社会に情報発信を行うべきです。

その中で、昨年度から日本再生医療学会ではいくつかの試みを開始しています。一つは、市中において医科学的、医療倫理的に不適切な行為を行う医師を増やさないため、再生医療認定医制度を作り、再生医療の知識と倫理性を兼ね備えた医師の認定を開始しています。再生医療はまだ萌芽的段階でもあり、今後の再生医療を担う人材を確保・育成するための教育的側面が大きいものです。

また、日本再生医療学会では文部科学省「リスクコミュニケーションのモデル形成事業」の実施機関として採択され、社会に情報を発信するありかたについて模索し、市民講座などを実施しています。本年11月28日には、再生医療の安全性について、遺伝子治療と再生医療の第一線の専門家がプレゼンテーションを行い、その上でパネルディスカッションを行い、公開の場で社会の場へと発信するシンポジウムを開催する予定で、社会とともに再生医療が実現化する時代を作ることを目指しています。

最後になりましたが、今回の原告となった患者さんに対してはお見舞いの言葉を申し上げ、結びの言葉とします。

○文部科学省「リスクコミュニケーションのモデル形成事業」シンポジウム

「安全な再生医療の実現化をめざして」

2015年11月28日(土)14時~17時(開場13時半)

会場 ステーションコンファレンス東京(501AB)

(JR東京駅日本橋口/東京メトロ東西線 大手町駅B7出口直結)

主催 日本再生医療学会

協力 日本遺伝子細胞治療学会

参加 無料。要事前申込。

締切 先着順。定員(300名)に達し次第、締め切ります。

プロフィール

八代嘉美幹細胞生物学 / 科学技術社会論

1976 年生まれ。京都大学iPS細胞研究所上廣倫理研究部門特定准教授。東京女子医科大学医科学研究所、慶應義塾大学医学部を経て現職。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了、博士(医学)。専門は幹細胞生物学、科学技術社会論。再生医療研究の経験とSFなどの文学研究を題材に、「文化としての生命科学」の確立をを試みている。著書に『iPS細胞 世紀の技術が医療を変える』、『再生医療のしくみ』(共著)等。

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