2012.06.06

福島で生きるための放射線知識

佐藤順一

科学 #内部被ばく#福島のエートス

 「福島おうえん勉強会」は、放射線の影響が心配な小さなお子さんをお持ちのお母さんたちの疑問に応えるような勉強会を、東京でやっていこうということから始まりました。講演会などで先生方のご意見を聞いてもどうも腑に落ちないことが多い、これを消化するには小さな勉強会で悩みを打ち明けながらやればいいのではないか、と集まりを企画したのが最初になります。現地の方たちはどういうことを考えて、どういう生活をしているのか、ということを、私たち東京近辺にいる人間は学ぼうと、市井で活動を続けるお二人をお招きしました。(主催者挨拶より)

自己紹介

ただいまご紹介にあずかりました、郡山市で「佐藤塾」という学習塾を経営している佐藤順一といいます。それではまず、そもそもなぜ単なる塾の教師である僕がこういうふうにお話をすることになったのかという経緯を、簡単に説明させていただきます。

去年の3月11日に地震が起き福島第一原発が水素爆発を起こして、僕が住んでいる郡山市にも放射性物質が飛んできているというニュースが流れました。最初は情報がまったくなかったので、僕自身も非常に不安な気持ちでテレビのニュースを見たり、ツイッターで情報収集したりしながら心配していたんですが、そのときに、塾で教えている生徒たちから携帯電話やパソコンのアドレスにメールがたくさんきていたんです。

僕は元々物理学を専攻していて、偶然ですがγ線検出器の開発をテーマに卒業論文を書いていて、そのあと修士課程に進んだときも宇宙物理でX線望遠鏡の開発をやっていましたから、元々ある程度放射線について知識があったんです。そのことを生徒たちも知っていたので、「今の福島や郡山は大丈夫なんでしょうか?」「ここにいたら私たち危ないんですか?」「これから原発はどうなっちゃうんですか?」という質問がたくさんきていて、子供たちが非常に不安がっていることがわかったんですね。それで「これは僕が不安がっている場合じゃないな」と思って、真面目にいろいろ調べ始めたんです。

現状の郡山市の放射線量とか、福島第一原発がどういう構造になっていて、現在どういう状況になって、今後どう変わっていく可能性があるのか、というのを自分なりに考えながら資料を作成したりしました。それで、3月の後半に入った段階で放射線量がだんだん下がっていっているのが、グラフを取っていてわかったんですね。最初に放射性物質が飛散したときから県が発表する放射線量を毎日プロットしてグラフを作っていたんですが、その形が放射性ヨウ素の半減期のグラフと非常に似ていたんです。大体半減期のグラフの形通りに数値が減衰しているということは、最初の事故の際に放出された放射性物質が残っているだけで、これからは線量が下がっていくんじゃないか、と予想することができました。

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それで、4月初めくらいの時点では郡山市はパニック状態で、マスクをしないと外にも出られないし、放射性物質が身体に着いてしまうかもしれないからと、誰も外を歩いていないような状態だったんですが、僕は「少しでも不安を払拭してやろう」と思って、あえてマスクをせずTシャツ・ジーパン姿で自転車に乗って「そんなに最悪な事態ではないですよ」ということを近所に説明して回ったんです。僕の塾には近所の子たちが来ていることが多いので、最初はその父兄の方々のお宅を回ったりしていました。

それでもどんどんどんどん不安の声や質問が集まってくるようになったので、「じゃあ僕の知っていることをご説明いたしますので、塾のほうに集まってきてください」というふうに言って、塾のほうで説明会をやったんです。その父兄の方のなかに銀行の支店長さんがいて「銀行の債権者の集まりでお話をしてください」と言われたり、「近所の中学校でぜひやってください」と言われてお話をしたり、講演も去年10回ぐらいやることになりました。僕はただの塾の先生で、今まで講演なんてやったこともないですしやるつもりもなかったんですが、「お願いされたらとりあえずお応えするようにしよう」と決めていましたので、あちこちでお話をしていました。

巡り巡って今回のようなとても大きな会になってしまったわけですが、そういうふうに県内のいろいろなところでお話をさせていただく機会がありましたので、福島県のお母さん方の声については、僕以上に聞いている人はいないんじゃないかというくらいで、これに関しては自信があります。

たとえば、郡山市に「プチママン」という子育て支援のNPO法人があって、そこで講演を依頼されて4月25日に100名ほどのお母さん方の前で講演する機会があったのですが、そこでアンケートを取らせていただきました。今日はそのアンケート用紙を持ってきていますので、それもお話に絡めて、福島県のお母さん方がどう考えているのか、福島県について他県の方にどう理解していただきたいのか、ということも含めて説明していきたいと思っています。

基本的な知識からわかりやすく説明

では最初に、普段僕が放射性物質の説明で使用しているスライドを見ていただきたいと思いますが、このスライドのファイルはツイッター上の僕のアカウントに貼り付けて著作権フリーで公開していて、ご自由にダウンロードしたり配布したりしていただきたいと思っています。

さて、ハッキリ言って、大半の人たちは去年の3月の段階までは「放射性物質」なんて言葉自体そんな意識したこともないという、真っさらな状態から始まっていますよね。それで3月の原発事故以来、たくさんの専門家の方が講演会や書籍などでいろいろ放射線について説明してくださったんですが、やはりどうしてもお母さんたちや中高校生にとってはハードルが高いということもありました。

一方、僕は放射線については専門家というわけではないですが、ある程度基礎知識があり、子供たちにわかりやすくかみ砕いて説明することに関してはプロですので、そのスキルをうまく活用して専門家と一般の方との橋渡しができないかな、というふうに考えて、こういうスライドを作成したわけです。

たとえば放射線のことを説明するときは、本当に「概念だけわかればいい」という感じで、専門家から見れば「こんな説明じゃダメだ」とツッコミを受けるような大雑把な説明だと思います。「放射線とは強いエネルギーを持ったビームみたいなもので、たくさん浴びると身体に良くないです」「放射性物質とは放射線を出す物質のことで、非常に不安定でほうっておくとどんどんなくなっていきます」「放射能とは放射性物質が放射線を出す能力のことです」というふうに説明させていただいています。これは説明というより、概念を理解してもらうために言葉を簡単に直しているだけみたいなことなんです。

さらに、放射性物質が崩壊して放射線を出すイメージを図解して載せたりしています。たとえば「放射性物質というのは不安定で、今にも破裂しそうな状態です」というふうに、原子が崩壊して放射線を出すことを、イメージしやすいように「破裂」と表現しています。「放射性物質が破裂して放射線を1発出します」というようなイメージで皆さんに説明しています。


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それで、「放射線を出して安定した物質になったので、もうこれ以上放射線は出しません」「基本的に一個の放射性物質は一発放射線を出したらもう放射線は出しません。ものによってはβ崩壊やγ崩壊して2発放射線を出すものもありますが、基本的にはずーっと出しっぱなしになるのではなくて、一回出したら安定した物質に変わりますよ」と説明しているんですね。もちろん、厳密に言うと違うんですが、こういうふうにイメージしたほうがわかりやすいと思うんです。

これはたとえば、けっこう勉強している意識の高いお母さん方でも、放射性物質というとずっと放射線を出しっぱなしだと思っている方が多いんですね。たとえば半減期が30年だと言われたら、30年間放射線を出しっぱなしになると思って怖がっているところがあるので、まずその辺の誤解から解いていくために、ちょっと極端な形で説明しているんですね。

他にも「崩壊したときに出る放射線の種類も、放射性物質の種類によって異なります」とか「今回の事故で出てきた放射性物質はこういうものです」というようなことを説明しているんですが、福島のお母さん方にこういう話をするときに、いちばん手応えがあって皆さん「ああ、そうなの」と納得されるのは半減期の説明なんですね。

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皆さん、たとえば半減期が30年の物質と言うと、30年間放射線を出しっぱなしで常に同じくらい放射線を出し続けていて、30年経たないと半分にならないと思いがちなんですね。その誤解を解くために、半減期というものの概念を絵で簡単に説明したりしているんですが、たとえば半減期8日間の放射性ヨウ素は、仮に10個あったら8日間で5個崩壊して安定し、その際に5発の放射線を出すイメージですね。ですから、半減期30年のセシウム137は、仮に10個あると30年かかってようやく5個崩壊して安定することになります。

こうして比較すると、どちらが放射線を出しにくいかと言えば、当然半減期が30年のセシウムのほうが崩壊しにくいから、放射線を出しにくいという言い方もできる、だから、半減期が長いほうが怖いというものじゃないんだよ、というふうに説明しています。たとえば半減期が2万4千年と非常に長いプルトニウムについては、僕の周りでも一時期ものすごく気にされている方が多かったんですよ。「半減期2万4千年のプルトニウムってどんなの?」「2万4千年経たないと福島はきれいにならないのか?」というようなことをたくさん聞かれました。

それに対して「たとえば10個のプルトニウムがあったら、2万4千年経ってやっと5個崩壊するということですから、1年くらいではほぼまちがいなく崩壊しませんよね。崩壊しないということは放射線を出さないということですから、気にしなくていいんじゃないですか?」というふうに説明すれば、ある程度「ああ、なるほど」とわかっていただけたりしますね。

そんな感じで、スライドで絵を使って説明したりとか、お母さんたちや子供たち向けに説明しているんですが、これはもう、説明をしていると何回も同じことを聞かれるので、だったらスライドにまとめておこうかな、ということなんです。

郡山の住人だからこそ信じてもらえる

これは今回この場を借りて言っておきたいことなんですが、福島県では今放射線に対しての検査体制なども非常に整ってきていると思うんですね。食品の検査にしても、他県に比べて非常に精度を高くやっていまして、ホールボディーカウンターによる全身検査なども行われるようになってきましたので、検査体制なんかは非常に整ってきています。

そういう意味で、個人の被曝量管理や食品による内部被曝の正確な数値の割り出しなどもだんだんできるようになってきているんですが、ただそこで新たに問題になってくるのは、数値を受け止める側のお母さんたちや一般の方たちがその数値を見て、それがどういうことなのかをわかっていないということが非常に大きいんです。

25日に福島県郡山市でやった講演でもたくさん意見をいただいたのが、たとえば「私は妊娠中なのでホールボディカウンター検査を受けました」という方がいらして、そのときに何人かで受けていたんですが、検査をした方が「はい、あなたND(検出限界以下)、あなたもNDね」というふうに測定した数値を読み上げていくらしいんですね。ところが、その方は「あなた0.184ね」というふうに、単位も抜きで数値だけ言われたそうなんです。

まあ、mSvにしろμSvにしろどんな単位だったとしても、どちらにせよ0.184という数値だったら大して問題はないと思うんですが、その方は「前の人が検出限界以下だったのに、自分だけ数値を読まれたということは、何かまずいことがあるのかな」と不安になってしまったそうなんです。やっぱり福島県の人たちは、まだみんな放射線に対してはナーバスな状態なので、「えっ、読み上げちゃうの?」とか「あまりみんなの前で言わないでほしい」という気持ちもあるらしいんですね。

数値的にもし大したことがなかったとしても、「この人がNDなのに私は数値が出ちゃったのは、どういうことなんだろう?」という不安がやはり消せないということなんですね。ホールボディカウンターの測定をやっていると言っても、そこで出た数値がどういうもので、どのくらいの数値をどういうふうに評価すべきなのか、という根本的な部分でまだ下地が固まっていない方が多いと僕は思うんですね。

食品に関しても同じことが言えて、食品なんかも検査体制は他県に比べると比較的整っていますし、福島県の出荷した食べ物の放射線量というのは、福島県の公式サイトの「ふくしま新発売」というページで、「○月から×月までに収穫された□の野菜」というふうに検索語を打ち込んでやると、どこ産の野菜が何ベクレルとか、全部出てくるんです。そういうサイトの存在も、福島県のホームページでそういうことをやっているということも、意外とみんな知らないんです。もう事故から1年以上経っていますけど、僕が「こんなページがありますよ」と言うと、「へぇー、そうだったんだ」という話になって、「ああ、やっぱり知らないんだな」と。

しかも、そこでまた問題なのは県や国が打ち出している方針であったりして、多分皆さんも「今は0Bqを目指すべきである」という意見を聞いたことがあると思うんです。そう言っている方がけっこういて、たとえば県議会の議員さんや学者の先生にも言っている人がいます。その「0Bq」というのは、原発事故によってまき散らされた放射性物質について「0Bqを目指す」という意味だと思うんですが、ただ、それをあまりに言い続けることで「食品の放射性物質は0Bqじゃないと危ない」というところまでいってしまっているんですね。

僕は評価の仕方として、それはちょっと違うのではないかと思います。たしかに放射性物質で汚染された食品を好き好んで食べる人などはいないとは思いますが、たとえば70Bq/kg程度汚染されているような食品を食べてしまったときに、普段からあんまり「0Bqを目指しましょう」とばかり言っていると、「ああ、70Bqも食べちゃった、私もうダメかも」と極端に心配して悩んでいる方も出てくるわけです。

そうすると、Bqとはいかなる数値であるかとか、それを内部被曝に換算した預託線量のような基本的な知識部分をもうちょっと定着させてからじゃないと、いくら検査体制を厳密にして数値をちゃんと出しても、たとえば11Bq/kg程度のほとんど気にしなくていいような数値になったとしても安心は得られないだろうし、実際に得られていないんじゃないか、と思うんですね。

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そういうことも含めて、こういうふうに放射線の基礎知識みたいなことの説明をあちこちでやっているんですが、とくに自分から進んで積極的にやっているというわけではないんです。僕自身何の団体にも属していませんし、とくに何かの主義主張があってやっているわけではないんですが、説明を聞いた方から「わかりやすかったので、こっちでもお願いします」というふうに頼まれて、あちこちへ行ってやっているだけなんですね。

他の方がやっている講演会などをたくさん聞いている方もいるんですが、そういう方も、結局僕の講演会がいちばんスッと入ってきてわかりやすかった、と言ってくださることが非常に多いんですね。これは別に僕の講演がうまいというふうに自画自賛しているわけではなく、いちばん大きな理由としては、要するに僕が現地の郡山に住んでいる人間だから素直に受け容れられる、ということだと思うんです。

今の福島県の人たちは、原発事故のいちばんの被害者で、放射線をいちばん浴びる環境にいるわけです。それで「避難したほうがいい」とか「避難するべきだ」と言っている人もいるんですが、ハッキリ言ってそんなに簡単に全員が避難できるわけはないんですね。

たとえば、ウチなんかもそうなんですけれども、要介護の高齢者が家にいたりしたら、避難のために移動する過程で死んでしまうかもしれないというリスクだってあります。さらに、これもリスク比較の話になりますが、放射線被曝で0.0何%がんの発生率が上がるというリスクを気にするあまり、たとえば財産を失ったり生まれ育った住み慣れた土地を離れなければいけないというリスクを背負ったりするのは、やっぱり辛いことだと思うんですね。

そうすると、福島県の問題に対して他の県の方がいかに理詰めで「福島県のリスクはそんなに大したことないですから、気にせず暮らしていても大丈夫ですよ」という話をされたとしても、「いやでも、それはあなたがここで暮らしていないからそう言えるんでしょう?」となって拒絶されてしまうというところがあると思うんですよ。

ですから、たとえば僕とまったく同じ能力値、同じ容姿、同じ声、同じ話し方の方がもし他にいたとして、それが県外の人だとしたら、全然話を聞いてもらえないと思います。僕がいちばん話を聞いてもらえるのは、それこそ郡山市に住んでいて、郡山市でずっと暮らしていることを話を聞いている皆さんが知っているからですね。「郡山市に住んでいる人がこう言っている、この人がこう言っているということは、本当に心の底からそう思っているんだろうな」と信じてもらえることがすごく大きいと思うんです。

危険情報に対するカウンターとして


そういうこともあって去年からいろいろお話ししてきたんですけれども、僕はどっちかと言うと今は福島県に住んでいてもとくに問題ないであろうと考えて暮らしていますので、実際に講演で話をするときも「大丈夫ですね」というふうに話しています。

去年なんか、今年の春頃にはもうバタバタ子供が死ぬというようなことを言っている人たちがけっこういましたよね。皆さんも絶対知っているはずですね、あいつとかあいつとか(会場笑)。それはもう福島県の人たちもみんな「誰も死んでないじゃないか」と思っているわけです。これは狭いところだけを見て言っているわけじゃなくて、たとえば「変な鼻血をドバドバ出している子供がいる」とか言っていた人がいましたが、そんな子供なんかいないわけで、もしいるとしたら、鼻をほじりすぎとかそんな理由であることはまちがいないわけですが(会場笑)。

やはりそういう「怖い情報」が余所から入ってきすぎていて、福島県の皆さんの冷静な判断を損なっている状態が続いていて、そういうストレスを抱えた状態だとなかなか正確な情報の取捨選択が難しいということもあるんですね。とくに勉強しようという意識がある人ほどそういう傾向があって、勉強するというと、今時だとまずインターネットで検索しますよね。それでたとえば「福島県・放射能」なんて検索語で調べたら、今でもどえらい情報ばかり出てくると思いませんか?(会場笑) たとえば「福島はもう終わってる」というような話がパッと出てくるわけですね。

そういう話のほうがやはり目立ちますし、マスコミではやはりどちらかと言うと危機感を煽る意見を報道している率が多いんですね。全国紙もそうなんですが、新聞・テレビよりも週刊誌や雑誌みたいなものはとくに、センセーショナルな記事を書いて注目を浴びようとするところが少なからずあると思うんですね。先ほど触れた郡山市のアンケートの回答でも「そういう報道に怒りを覚えます」という意見が多々出ているんです。

ここで25日に郡山市のお母さん方からいただいたアンケート用紙を実際に見ていただきますが、「福島県で子供を育てる者として今現在の思いを自由にお書きください」と言って、「本当に何でもいいから書いてください」とお願いして書いてもらったものです。これも僕がただ「こういう意見がありました」と言っただけだと「捏造だろう」と言われるかもしれないので、実物を持ってきました(会場笑)。

そこで何本か意見を読み上げてみますが、たとえばこれはこの方だけじゃなくて去年からたくさん聞くんですが、「危険を煽るマスコミの方々に非常に怒りを覚えます。また、『福島の人たちは何も知らされていない』と言う県外の人にも腹が立ちます」というご意見で、たしかに「福島の人たちは、何も知らされていないから暢気に暮らしていられるんだ」というようなことを言っている人はよくいますよね。

それはもう福島県民はかなり勉強していますから、「なめんなよ」という話なんですよね(会場笑)。去年なんかは本当に、勉強しないとどうなるかわからない状況だったわけですから。放射線に対する意識の高さという意味では、当然福島県民がいちばん高いと思うんです。なかにはそうでもない人もいるかもしれませんが、総合的に割合を考えたら福島県民の意識は高いはずなんです。ですから、こういうふうに「福島の人たちは、何も知らされていないから暢気に暮らしているんだろう」と言う人たちには腹が立ちますね。

これは「郡山市から避難した人が、ネットを通じて『危険、危険』と騒ぐことにも腹が立ちました」というご意見なんですが、ネットではやはり匿名性があるからというのもありますが、「危険だ」と言う人のほうがどうしても目立ってしまうんですよね。でも「危険だ」と断言する人はけっこういるんですが「安全だ」と断言してくれる人は数が少ないですし、同じ断言するにしてもそちらのほうが叩かれる率が非常に高いです。

こんなことを言ったら失礼かもしれませんが、学者の先生なんかもマトモな方は「危険だ」なんて断言しないんですよ、ちゃんとした方は(会場笑)。ちゃんとしていない人ほど、「はい、危険!」とか…誰とは言いませんけど(会場笑)。そうなってくると、たとえばこれからお話する安東さんのエートスをはじめ、いろいろな方が取り組んでいる「住民主体で住民が考えて行動しよう」という活動でも、その住民が得られる情報のソースが「危険だ」と断言するような情報で溢れている状況ができてしまっているわけです。

「安全か危険か」という二元論でしか物を言わない人は、だいたい「危険だ」というほうにいってしまうもので、ちゃんと考えれば、たとえば「これこれこういうことで今の数値はこのくらいだから」という話になるはずなんです。たとえば、「チェルノブイリはこうだったから、今の現状から考えるとリスクはこれくらいなので、避難するリスクと天秤にかけたら、避難せずにここで暮らして大丈夫じゃないですか」みたいなマトモなことを言ってくださる方がいても、「結局どうなんですか、安全なんですか、安全じゃないんですか?」と聞かれると、振り出しに戻ってしまうんですね。ですから、これがなかなか伝わりにくいところなのかな、という気がするんですよね。

僕なんかは福島県に住んでて「大丈夫だろう」と考えて普通に暮らしていますから、去年からマスクもしないでウロウロしているのをみんなに目撃されています。僕としては、基本的に福島はそんなに危険ではないし、普通に暮らしていて害が生じるようなレベルではない、と思っています。ですから、安全寄りに考える人のなかでも、僕は「大丈夫です」と言い切ってしまう「マトモじゃない人」の立場でもいいのかな、と思って活動しています。

今はやはり、そういうふうに言う人も必要な状況になっているのかな、という気がするんですよね。「福島は危険だ」と断言している人があまりにも多すぎるので、それに対するカウンターがないと「自分たち主体で考えてください」と言われたら全員「じゃあ逃げます」となってしまうような状況になりつつあるんじゃないか、という危惧はあります。

福島県から避難することに関しても、僕は基本的に講演会などで話すときには決して「逃げないほうがいいですよ」とは言わないんです。それはもう、心配で心配でしょうがないくらいだったら、逃げられるのであれば逃げたほうがいいじゃないですか。ですから、「どうしても心配だったら、福島県から避難したほうがいいでしょうし、福島県産野菜を食べたくなかったら、食べなくていいと思いますよ」と言ってますし、実際そうすればいいと思います。

ただ、福島県産の野菜を食べる人や福島県に残っている人に対して、何か「福島県にいる奴はアホ」みたいな極論を言う人が多いんですね。それに乗せられて、今度は福島県から出て行った人と残った人の間で「福島県対決」みたいなわけのわからない状況ができていると思うんですよ。

避難も残留も選択肢として等価

佐藤 県外に出て行った人が県内に残っている人に「えっ、まだいるの、大丈夫なの?」みたいに言っていて、県内の人は「もういいよ、そういうの」となっているような場合がすごく多いんです。先ほど触れたお母さん方の声のなかでも「なぜ福島にいるの?と他の地域に住んでいる人から思われるのが非常に辛いです。涙が出ます」「福島県にいるからということで他府県の人から過剰にかわいそうだと思われるのが辛い」というような意見がたくさん出ていて、これは本当にそうだと思うんですね。

たとえば福島県の放射線量がすごく危険だと思っている人は、「福島県にいる人は、逃げたいんだけど仕方がなく我慢しているんだ」なんて思っている人がけっこう多いと思うんです。でも、それは決してそういうことではなくて、福島県に住むことを選択して当然放射線のリスクについても考えたうえで、福島県で暮らしていきたいと思って暮らしている人がほとんどなんです。なかには当然、避難したいけれど事情があって避難できない人もいるとは思うのですが、福島県に残っている人というのは、基本的にはちゃんと考えたうえで福島県で暮らしていこうと考えているわけです。

そらから、子供を守ろうということで福島県からの避難を支援してくださる団体の方もいますが、これはやはり福島県のことを考えてくださっているわけですから、僕とは立場や考え方が違うにしろ、非常にありがたいことだとは思っています。ただ、そういう団体の方の意見は少し過激になりすぎていて、子供を福島県に残している親のことを悪く言ったり、「勉強不足だ」という言い方で非難したり、県内に残ることイコール悪、みたいな姿勢になってきているのが、ちょっと問題ではあるのかなという気はしますね。

避難したいと思う方たちを支えてくださるのは非常にありがたいことですし、感謝している方もたくさんいると思うんですが、避難する・しないというのは別にどちらが正しいというものではないですし、避難していない人が勉強不足なわけではありません。ちゃんと考えたうえで選択したことですから、そこは理解していただきたいと思います。

これは避難支援を受けている方から僕が直接メールで聞いたお話ですが、その方はそういう団体の支援を受けて避難をして、1年くらい経ってからたまに帰ってきたときに、高校生が駅前で普通にダベっていたりするところを見たりするんですね。そういうのを見てあらためて勉強し直して、「あれっ、これは福島県で暮らしても大丈夫なんじゃないかな?」と思ったとしても、今まで支援をしてくれた方々に対して「やっぱり大丈夫そうなので帰ります」とはなかなか言い出しにくいところがある、というような話もけっこう聞くんですね。

たしかにそれはそうだろうとは思うんですよ。避難支援してくれている方は、福島県に住んでいると危険だと思っているから一生懸命支援してくれているわけですし、その方も同じように考えて今までその活動の恩恵にあずかってきたわけですから。しかし、そういうふうにちょっと考え方が変わったり、1年経って現状を見て帰りたいと思ったときに、遠慮して帰りづらいような状況があるというのもちょっと違うんじゃないかな、という気はするんですよね。

ですから、そういう団体の方でこの中継を見ている方がおられるなら、今まで支援してくださったことはありがたいですし、本当に素晴らしい活動だとは思うのですが、もし仮に福島県に帰りたいと考える方が出てきた場合は、気持ち良く送り出してあげてほしいと思うんです。こういう場合には、本人の意志がいちばん尊重されるべきだし、基本的に人間の意志や考え方なんて変わっていくものじゃないですか。考えが変わったからといって「裏切り者!」と責めるような極端な方向に走らずに、「そうなんだ、じゃあ頑張ってね」と送り出してあげるのがいいんじゃないかな、と僕は思います。

今は福島県から避難している方もたくさんいて、僕の塾の生徒の方でも避難している方がけっこういますが、避難した人に対して残っている人たちが「おまえ、なんで出て行くんだよ」と言うのではなくて、「そうなんだ、じゃあ向こうでも頑張ってね。今度遊びに行くから」というような感覚で、人との関わりの輪が拡がるというくらいの認識でもいいんじゃないかな、と僕は思うんですよ。もし考えが変わって帰ってきたのであれば、「ああお帰り、どうだった?」というふうに、軽く受け容れられるような姿勢ができればいいかなと思います。

そのためにはやっぱり、放射線に対する誤解を解く必要があって、今でも何かもう「放射線をちょっとでも吸ったら死ぬ」みたいな意識の人って少なくないですよね。でも、そうではなくて、すべての問題はやはり「度合い」が重要だと思いますし、放射線のリスクでも、リスクのある・なしではなく、どの程度のリスクなのか、どのくらいの危険性なのか、ということを考える必要があります。危険だと言うのであれば、そこら中、何でも危険はあるということになるんですね。室内にいてもインフルエンザウィルスの危険性があるかもしれないし、外を歩いていても交通事故で轢かれる危険性はあるわけです。

身の回りにいろいろなリスクがあるなかで、それがどの程度危険で、どのくらい気にすべきことなのかということを、まずは自分なりの尺度で考えられるようにならないとダメなのかな、という気がします。

原発の是非を論じている場合じゃない

そろそろまとめに入りますが、最後に強く言っておきたいのは、今の福島県では検査体制が整ってきて数値などが厳密に測定されたり報道されたりするようにはなってきたのですが、まだそれを適切に扱える段階に達していない一般の方も非常に多くて、その数値を正確に評価できない方も非常にたくさんいらっしゃるということを県外の人に知ってもらいたい、ということです。

僕が半減期などの説明をして「ああ、そうなんだ」というリアクションがくるということは、まだ半減期についても今までちゃんと把握していなかったということですし、たとえばBqという単位について「1秒間に○個の放射性物質が崩壊して放射線が出ていますよ」という説明をしても、「ああ、そういうことなんですね」という話になったりしますので。そういう基礎的な知識をまず固めてから、検査体制などを厳密にしていけるとなお良いのかな、ということがまず一つあります。

あと、もう一つ言いたいこととしては、結局福島県の人たちにとっては、福島県から離れることに対するストレスもすごく大きいんですよ。これは多分皆さんも同じだろうと思うんですが、やっぱり地元愛って何だかんだ言ってあるんですよ。福島県を離れなければいけないということが、低線量放射線で直接被害を受ける以上に人の心を蝕んで、心から身体に悪影響を及ぼしてくることもあるということなんですよね。ただいたずらに福島県からの避難を呼びかけるだけではなく、福島県に残るという選択肢を選んだ人たちにかける言葉についても少しは考えていただきたいな、とは思いますね。

福島県に残るという選択をした人に「大丈夫なの?」と聞くのもまた、その人たちにストレスを加えることになると思うんですね。それは大丈夫だと思っているから残っているのであって、心配してくださるお気持ちは非常にありがたいのですが、それを言葉に出して「心配だ」というふうに言われて「人から心配されてしまうようなことなのかな?」となると、また気持ちがマイナスのほうにいってしまう場合もあります。

ですから、「普通に」接してあげてください、と僕は言いたいんですね。福島県の方々に対しては、普通に接するのがいちばんなんです。普通ですから、福島県は。これについても、先ほどのアンケートの意見を紹介しておきたいんですが、「住み慣れた郡山市でずっと生活したいです。子供を育てたいと思いつつ不安もありました。でも、勉強して頑張っていけそうになりました」というようなお母さんたちのご意見がたくさんありました。

やはり漠然とした情報を与えている方が多いので、こういう勉強会を開いて福島県の勉強をしていくことというのが非常に大事なのかな、と思っています。ちなみに、僕自身は本当に何の団体にも属していませんし、ハッキリ言うと、とくに何かの目的があってこういうことをやっているわけではないんです。僕は原発に対しては賛成とも反対とも言っていませんし、今はそんなことを言っている場合じゃないと思います。原発問題について言うと、僕が講演会をやってお母さんたちにフリーで質問を求めた場合、原発の是非について聞いてくるお母さんなんてまずいませんし、実際に今まで一人もいませんでした。

そんなことを言っている場合じゃないんです、福島県は。原発の是非という問題は、これから先にもしも事故が起きると放射性物質の汚染などで被害に遭うかもしれないから、その前提で議論するという話じゃないですか。でも、福島ではもう起きていますから、すでに。すでに放射性物質がそこまで来ている状況で、「これから先原発は必要か必要じゃないか」なんてことを考えている場合ではないんですよ。そんなことよりも、まずとにかく現実に存在する放射線をどうするかという問題のみを今の福島県民は考えているわけです。

今は脱原発とか反・反原発とかいろいろな議論が出ていますけれど、今の福島はすでにそういうフェイズではないので、その辺の現実を理解してもらいたいな、と思うんです。つまり、原発の是非のような議論のプロパガンダとしてあんまり福島を使わないでください、という気持ちが非常に大きいですね。今はそれどころじゃない状況なので。お母さんたちの意見を見ても、「ここに住んでいて本当に大丈夫なのか」と自問自答をくり返していたり、子供がいるお母さんなんかは「子供がいるのに残るという選択をして、それは本当に正しかったのか」と悩んでいる方が非常に多いんですよ。そういう方々に対しては、僕はこれからも「その選択はまちがいじゃなかったですよ」と断言していきたいと思っています。

そこで、自分で残るという選択肢を選んだ方々に対して、「あなたは子供をがんのリスクにさらしているんだ」というような言い方をするのは、ぜひやめていただきたいと思います。それは違いますから。子供をリスクから守るという意味では、たとえば父親の元を離れて母子だけで逆単身赴任みたいに避難することにも、父親と触れ合えないとか、自分の故郷や友達と離れなければいけないというリスクがあったりするわけです。

ですから僕はこれからも、「個人が下した選択であるなら、避難という選択も残留という選択もどちらもまちがいではない」と断言していきたいと思うんです。今の現状だと「残っていることはまちがいだ、残っている奴は本当にダメなんだ、勉強不足だ」というようなことを断言している方のほうが多いので、それに対するカウンターパンチャーとして、僕はやや安全寄りの話をしていきたいと思っています。

今日は皆さんに福島県のお母さんたちの声をいろいろ聞いていただけたこともよかったと思います。最後になりますけれども、福島県のなかで屋外での活動を制限されている地域が多かったり、自主的にそれを制限している学校もありますが、屋外での活動を制限していることによるストレスのようなものを子供が感じていたり、それに対して不安を感じているお母さんもいますので、そういう現状もわかっていただきたいな、と思います。

放射線から遠ざけさえすれば、ストレスやリスクからすべて解放されるというものではないんです。それをやることによって、何らかの犠牲は払っているわけですし、そのことにリスクや不安を感じているお母さんたちもいるんです。ですから、どちらかに一方にだけ転んで極端なことを言わないでほしいというのが僕の希望です。

僕はこれからも福島県で、お願いされたときに限ってこういう講演活動をやっていこうかな、と思っています。基本的には報酬はいただいていなくて、お願いされたらそこに行ってこういうお話をして帰ってくる、というのをくり返しているだけなんです。でも、これからももしかするとまたこうして東京の方とお話をする機会もあるかもしれませんから、福島県で講演があれば参加者の声は集めておきたいと思います。では、本日はご清聴ありがとうございました。

(2012年4月28日 「ふくしまの話を聞こう」第1部 佐藤順一氏講演 東京・新宿歴史博物館(主催:福島おうえん勉強会))

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プロフィール

佐藤順一

福島県郡山市の学習塾『佐藤塾』の講師&副塾長 。立教大学理学部物理学科卒・同大学院理学修士 。原発事故後、生徒や保護者から放射線について質問を多く受けたことから、放射線についての資料作成や、地域での講演・勉強会等の活動を続けている。

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