2015.03.30

性別違和を有する方々が挑む性別二元論からの脱出――出生時とは異なる性別で生きる

西野明樹 臨床心理士、心理学博士

社会 #いのち リスペクト。ホワイトリボン・キャンペーン#性同一性障害#性別違和感

―――あなたの「性別」は?

この問いの答えに窮したことはあるでしょうか。

大抵の人は、“男性”あるいは“女性”と即答できると思います。ですが、さまざまな理由によって、この問いを前に立ち尽くすことになる方々がいます。産まれたときに“男性”か“女性”のどちらかに指定された「性別(gender)」(以下、身体的性別とします)と自らの性別に対する認識(以下、性自認とします)とが合致していない方たちも、その一例です。

精神医学の分野では、こうした性別に関する不一致が人にもたらす不快感を「性別違和感」と呼び、その精神的苦痛によって健康な生活機能が障害されている場合には、「性同一性障害(gender identity disorder)」との診断を与えることになっています。

「性同一性障害」はもう古い?

日本ではここ十数年のうちに、「性同一性障害」という言葉の認知が飛躍的に高まってきました。耳にしたことがある読者の方も多いと思います。でも実は、精神医学やその関連領域の研究者の多くは、もう「性同一性障害」という診断分類名を使っていません。2013年5月に、精神疾患に関する診断基準・診断分類の国際的統一を図る米国精神医学会が発刊しているマニュアルが、19年ぶりに改訂されたからです。

世界中の医師や研究者が参照しているこのマニュアルは、『精神疾患の診断と統計マニュアル(原題は「Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders」)』と言い、今回発刊されたのはその第5版になります。

第5版ではさまざまな精神疾患が19に大別されていますが、その診断分類のなかに「性同一性障害」という言葉はありません。第5版から新たに採用された診断分類「性別違和(gender dysphoria)」がその代わりに相当しますが、概念自体が大幅に改められていますので、「性同一性障害」=「性別違和」という理解は正しくありません。

今すぐにというわけではありませんが、そう遠くないうちに、日本の診察室で「性同一性障害」という言葉を聞くことはなくなるはずです。

マニュアルの改訂は研究・臨床におけるさまざまな最新知見が参照されますが、「性同一性障害」から「性別違和」への改編にあたっては、これまで性同一性障害と診断されてきた方々の訴えと社会運動が一部結実している点が特徴的です。

旧概念「性同一性障害」と新概念「性別違和」

ここでは、「性同一性障害」から「性別違和」への改編にあたって、大きな争点となった重要な違いの1つを、ごくごく簡単に紹介したいと思います。特別な知識がなくとも十分に理解できると思います。

「性同一性障害」は、以下の2要素をどちらも満たす方に与えられるものでした。

(a-1)生物学的性が反映された肉体への嫌悪感

(a-2)生物学的性とは反対の性別への帰属感

これに対して、「性別違和」が必要とする要素は、以下の2つになります。

(b-1)指定された性別と当人が経験・表現している性別の不一致

(b-2)指定された性別とは異なる性別になりたい・扱われたいという強い欲求

違いをおわかりいただけるでしょうか。「性同一性障害」は、「生物学的性と反対の性自認を持つために、性別違和感が生じている」という理解の上に成り立っている概念です。生物学的性が“男性”なのに性自認は“女性”に帰属されている場合は「性同一性障害のMTF(Male to Female)」、生物学的性が“女性”なのに性自認は“男性”に帰属されている場合は「性同一性障害のFTM(Female to Male)」、といった具合です。

この理解には、「人の性別は“男性”と“女性”のどちらかに振り分けられ、その人の性別は生まれたときの生物学的性によって決まる一貫したものである」という社会的価値観(性別二元論)が反映されています。

しかし、心理的・社会的観点から、いえ、生物学的・遺伝学的観点から見ても、人の性別を“男性”と“女性”の2つのみで捉え切ることはできません。「性別二元論からの脱却」を試みた結果が、新概念「性別違和」の採択なのです。文字で追うと大差ないように見えるかもしれません。まだいくつかの課題が残されていることも事実です。しかしそれでも、大胆かつ的確な刷新を遂げたと言ってよいと思います。

ここに書かれていること

前置きが長くなりましたが、そろそろ本題に入りたいと思います。筆者は20歳のときに「性同一性障害」との診断を得たFTM当事者(注)です。自身のFTM当事者性を活かした心理学分野の研究に着手し始めてから、まもなく8年が経とうとしています。

(注)Female to Maleの略。出生時に指定された性別が“女性”であることを意味する。

ここでは、筆者の研究成果や所感を交えながら、性別違和を有する方々の「性別移行」とそこからわかることについて述べていきたいと思います。

ちなみに、筆者の専門分野は精神医学ではなく「臨床心理学」です。精神科医がその人が呈している症状の原因を突き止めて治療することを志向するのに対し、臨床心理士は、心理社会的葛藤・課題に直面して苦悩や困難を感じている人が、自らそれらを乗り越えていけるように援助することを志向します。

精神医学にとって「正確な診断」は、治療方針の決定にも関わる大変重要な情報です。しかし、臨床心理学において、援助する相手が精神医学的診断を受けているかどうかはさほど重視されません。診断の有無によって援助方針が大きく変わることもありません。

ここから先の文章では、「性別違和を有する方(注)」という言葉が使われていますが、精神医学的診断を得ているかどうかとは関係ありません。学術研究の世界では、精神医学的診断を得ている方だけを「性同一性障害当事者/性別違和当事者」と呼ぶのが通例ですから、それより広義な言葉として読み進めて欲しいと思います。

(注)筆者は、「性別違和を有する方」について、「指定された性別(assigned gender)への不適合感に類似するような性別違和を有することで社会適応上の葛藤があると自認しており、自らの本来的な生き方を得るために性自認に関する言語・非言語的カミングアウトをともなう性別移行を要する人」との定義を設けている。

“女性”からの抜け出しと社会適応の再構築

「性別移行は、“男性/女性”の体で産まれた人が“女性/男性”になって生きること」、あるいは、「性同一性障害当事者にとって、身体的性別に即して生きてきた過去は、できれば葬り去りたい黒歴史だ」などと曲解している人はいませんか。

性別二元論を盲信していた筆者

かつて、筆者はそう誤解していました。おそらく、性別二元論を盲信していたからだと思います。幼・小・中・高時代の卒業アルバムや文集などをすべて捨てたのも、その頃でした。「こんなものがあったら、自分が本物の“男”じゃないとばれてしまう」と思い詰めての行動でしたが、同級生みなに配られたうちの1冊だけを捨てても、大した意味はなかったでしょう。“女性”にしか見えない自分の顔写真を敢えて見ようとする気はないので、その点で後悔はありません。ただ、もしかすると、自分の顔写真を隠すだけでよかったかもしれない。懐かしい当時の学舎や友人の幼顔を見返せないことに、少しわびしさがあることもまた、事実です。

性別二元論を盲信していた筆者が性別の多様性に目覚めたきっかけは、たぶん、FTM/X自認者(“女性”として出生した性別違和を有する方)15名の語りをもとにした質的研究(西野,2007,2011)の経験だと思います

FTM/X自認者は社会適応をどう語るのか

その研究のなかで筆者は、FTM/X自認者15名と1対1の面接調査を行いました。面接のテーマは、「FTM/X自認者の社会適応と共生社会」です。事前に質問の観点を用意する調査形式を採用していたのですが、筆者が設定していた4観点のうちの1つが、「“埋没”と“適応”についての考え」でした。

FTM/X自認者にとって“埋没”は、「“女性”として生きていた自身の過去や戸籍上の性別等を隠し、生まれながら“男性”であったかのように振る舞って生活すること」を意味します。“適応”はその対になる社会適応形態で、「性同一性障害に関する当事者性のカミングアウトを通して、周囲の理解を得ながら、自分の希望するような性別のあり方で生活すること」を意味します。

強い“埋没”志向の存在

FTM/X自認者15名の社会適応形態を「現在のあり方」と「希望するあり方」という2つの視点からまとめたのが、表1になります。

表1 FTM/X自認者15名の社会適応形態
表1 FTM/X自認者15名の社会適応形態

 

「現在の社会適応形態」では、複数の方が、「“女性”として」に位置づけられています。カミングアウトしていない相手から“女性”と思われていたり、カミングアウトした後も“女性”とみなされ続けていたりといった現状が語られていたからです。「今後希望する社会適応形態」で引き続き「“女性”として」に位置づけられた方はいませんでした。

これに対して、「今後希望する社会適応形態」8名の方が、「完全なる“埋没”」を挙げていました。自ら積極的に“埋没”と“適応”を使い分けることを希望していた3名の方を含めると、15名中11名もの方が、何らかの形で“埋没”を希望していることがわかります。FTM/X自認者は、強い“埋没”志向を持っていると理解してよいと思います。

表2には、2名以上の方が同じように言及した「“埋没”と“適応”についての考え」を集約させました。

表2 共通して語られた“埋没”と“適応”に関する考え
表2 共通して語られた“埋没”と“適応”に関する考え 

現実的な選択肢になり難い“埋没”

“適応”の欄を見てください。2名以上の方から共通して語られていたのは、「外見で男性と認識されないなら“適応”するしかない」、「戸籍の性別が女性だから“埋没”はできない」、「女性としての身体的特徴は変えようがない現実がある」でした。

身体的性別とは反対の性別と見なされる程度の外見的変化、戸籍に表記される性別の変更、一般的な“男性”にひけをとらない肉体の見映えと身体機能の獲得は、その実現に大変な時間と費用がかかります。人によってはどれだけ努力しても得られない場合もあり、性別違和を有する方々がなかなか乗り越えられない代表的課題として知られています。

“埋没”は、こうしたさまざまな課題を解決できた、あるいはそれを見込める方だけが、現実的な選択肢として検討できる社会適応形態であることがわかります。

“埋没”する息苦しさ

この研究では、15名中8名の方が、続いて、図1の「過去を隠して嘘をついてまで“埋没”したくない」という行に注目してみたいと思います。15名中6名の方がこれに言及していました。

しかし、この6名のうち3名の方は、今後は“男性”かつ非当事者として社会に適応すること、つまり、“埋没”を希望してもいます。“埋没”したいという気持ちと“埋没”のために嘘をつきたくないという矛盾した気持ちを持つ方が複数存在していたのです。

その人らしく生きるということ

ここで、“埋没”のメリットに関する言及を見てみたいと思います。「“女性”として生きていたことを言わずに済む」は全15名中7名の方から、「性同一性障害当事者として生き続けなくて済む」は全15名中4名の方から、「社会的に不利にならずに済む」は全15名中3名の方から挙げられていました。

3つとも“~済む”で終わっています。“埋没”することで望まない事態に陥ることを防ごうとする、消極的動機が背景に感じ取られます。これに対し、「“男性”として生きられるから」のような積極的動機の存在がうかがわれるまとまりは得られませんでした。

これまで、強い“埋没”志向は、性別違和感や身体的性別とは反対の性別への帰属感の高さによってもたらされると考えられてきました。しかし、この研究結果からは、「生まれながらの“男性”を装って社会的多数派に同化すれば、社会的偏見や不利益を免れられる」という消極的動機が、FTM/X自認者の“埋没”志向を過剰に強めている可能性が類推されます。

過去を隠す罪悪感から解放されることや図1の右側に示したような“ありのままの自己”としてよりよく生きることよりも、“埋没”によって社会的偏見によって被る不利益を未然に対策することの方が、性別二元論考えが根強い社会を生き抜く上で重要と認識されやすいからだと思われます。

もし、「生まれながらの“男性”」として“埋没”したいとの希望が、“男性”か“女性”かの二者択一を迫る社会の求めに応じた結果であったとしたら、“埋没”は、その方がその方らしく生きることとは背反する社会適応形態と言えるのではないでしょうか。

図1 “埋没”・“適応”状態において他者から認識される自己のあり様
図1 “埋没”・“適応”状態において他者から認識される自己のあり様

 

「ありのままの自分」で生きられる社会の実現に向けて

この研究では、「非当事者(性別違和を有さない方)と共生するために必要なことは何か」という質問もしています。先程の同じように言及をまとめたところ、「戸籍の名や性別の変更手続きを簡略化する」(全15名中8名)、「医療資源の充実と整備を進める」(全15名中6名)のような、性別移行や身体的治療を効率よくするための環境整備に関する言及が散見されました。

しかし、最も多くの方(全15名中9名)が挙げたのは、「性別の不一致状態を特別視しない」社会へと変わっていくことでした。「みなが見識を高めて自らの偏見を縮小させていく」ことは、全15名中8名の方が言及していました。性別違和を持つ方自身が「認知拡大のために他者や社会に働きかける」ことも、全15名中7名の方が挙げていました。

これとは少し違う方法で同じFTM/X自認者15名の方の語りを質的に分析した筆者の研究(西野,2011)では、自ら主体的に社会適応を模索するようになった方々は、「自分たちの存在が自然と受け入れられている社会への変革」を志すようになることが明らかにされています。

“男性”と“女性”、そのどちらの枠からも自由な「独自の自分らしさ」の構築は、心の中で自分自身によって肯定することだけでは十分に育まれません。周囲の他者、ひいては社会にそれを表現して認められることによって初めて、「この社会に生きる尊厳ある“個”」として生きる喜びを享受することが叶うのです。

「意識覚醒」への誘い

既存の社会的規範に気づいてそこから解放されることを、コミュニティ心理学の領域では「意識覚醒(consciousness raising)」と言います。性別違和を有する方々の存在が社会に促す「意識覚醒」は、性別二元論にとらわれない多様な性(別)のあり様を知り、認め、“男性”/女性”だから(らしく)”という社会的規範から抜け出した“本当に自分らしい”独自の生き方を実現していく喜びとその可能性なのかもしれません。

最近は、テレビや書籍等のメディアを通して性別違和を有する方を目にする機会も増えてきました。それも大きな社会的変化の一部ですし、そこから学べることも少なくないと思います。しかし、それはあくまでも「みせる」ことを前提に描かれたものです。

日本には大小さまざまな当事者団体が全国各地に点在しており、社会に向けてさまざまな活動を展開しています。なかには、性別違和を有する方以外でも自由に参加できる交流会を開催している団体もあります。

是非、彼らの「生の声」に耳を傾けてください。足を運んでください。複数の性別違和を有する方々に出会い、その苦悩やそれを経て得た生きる喜びに触れることは、あなた自身を「意識覚醒」させ、性別二元論から解き放たれた自由な視点と、あなた独自の意味ある生き方を再考する機会をもたらしてくれることでしょう。

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サムネイル「Blue-green」Georgia O’Keeffe 

プロフィール

西野明樹臨床心理士、心理学博士

目白大学大学院心理学研究科(2015年3月、博士論文「性別違和を有する者の性別移行に関する心 理学的研究」にて博士号(心理学)取得)。帝京大学心理臨床センター 非常勤相談員。NPO法人 がんサポートコミュニティー ファシリテーター。性別の不一致に関する心理社会的葛藤のよりよい解決を目 指す心理学研究会 代表。

1980年代に女児として出生。10代終盤に「性同一性障害」という言葉に出会い、それまで心内に隠していた「どこか他人(ひと)とは違う」という感覚が“性別違和感”に由来するものだと知る。埼玉大学在学中に性別移行を模索。同時期に、性同一性障害当事者の語りから彼らの社会的適応上の苦難と試行錯誤を抽出する質的研究を行い、その成果を卒業論文にまとめる。その後、人生の苦境に直面した方々に寄り添いながらその心理的成長を励ます臨床心理的援助活動、援助の質を高めるための研究活動、研究成果の公表等を通して社会的認知向上を図る講演活動に邁進するようになり、今に至る。

現在は、性別違和を有する者の性別移行、東日本大震災で津波に遭った女川町立女川中学校(宮城県)による『俳句・連句作り』の間接支援(JSPS24653199、JSCP第1回「研究・実践プロジェクト」助成)、学校教員による解決志向の「教室づくり」に関するプログラム評価研究(JSPS26285157)、がん罹患者・遺族の心理的変容プロセスを描出する質的研究などに参加等している。

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