2015.07.29

山間地の集落移転――活性化でも放棄でもない「第三の選択肢」

林直樹 農村計画学

社会 #集落移転#山間地

十把一からげの「掛け声合戦」に終止符を

 

四散の危機に直面しているような「山間の小集落」に関する議論が活発になっている。主な課題は、高齢者の通院や買い物、高齢者の生活空間の除雪(雪国の場合)の困難さであるが、状況は個々の集落で大きく異なる。

今求められていることは、将来像に関する多種多様な選択肢を提示し、当事者による建設的な議論を加速することである。十把一からげに、「これからは農の時代、必ず再生する」と叫び続けることではない。「小集落は財政のお荷物、切り捨てるべき」などは論外である。

「過疎緩和のための集落移転」という選択肢

 

国全体の人口が減少すると、国の収入も減少し、国から農村地域への「手厚い支援」が不可能になる(注1)。もう一つ付け加えるなら、「無い袖は振れぬ」である。山間の小集落は、この先、桁違いに厳しい時代に突入するであろう。

(注1) 額賀信『「過疎列島」の孤独―人口が減っても地域は甦るか』時事通信社、2001

そのような厳しい時代の「山間の小集落の選択肢」の一つとして、筆者は「場所を変えて確実に守る」、すなわち、「過疎緩和のための集落移転」という方法を提示したい。

山間の小集落の全員がまとまって別の場所(ふもと、近くの小都市の辺縁部など)に引っ越すことであり、ある程度の金銭的な支援を受けることもできる。強制ではない。集落全員が納得して選択することが肝要である。ダム建設に伴う集落移転とは大きく異なることを強調しておきたい。

念のため付け加えておくが、観光の振興、六次産業化、間伐材発電の推進といった農村活性化を否定するつもりはない。集落全員が納得するなら、「穏やかな自然消滅を選ぶ」といった決断も尊重する。「全力で農村活性化に取り組むが、人口がn人以下になった場合は、集落移転を検討する」という流れも考えられる。それは用心深さの表れであり、「弱腰」と非難されるようなものではない。「守りに適した『ふもと』で再興の好機を待つ」といった壮大な戦略があってもよい。

集落移転については、跡地の「荒廃」に対する不安も考えられる。しかし、日本の国土は森林を作り出そうとする力が強いため(注2)、最悪、跡地が放棄されたとしても、長い時間をかけて森林に変化するだけである。小規模な土砂崩れが発生するかもしれないが、どれだけ悲観的に考えても、草木の生えないような荒れ地が一面に広がる可能性は極めて低い。

 (注2) 沼田眞・岩瀬徹『図解 日本の植生』講談社、2002

「実際に移転した人」による集落移転の評価

すっかり影が薄くなってしまったが、集落移転の事例数自体は決して少なくない。山間地の過疎緩和型の集落移転に限定されたものではないが、「実際に移転した人」による感想をみてみよう(図1)。

h-1
図1 集落移転についての感想(グラフ内の数字は回答数)
出典:総務省自治行政局過疎対策室『過疎地域等における集落再編成の新たな在り方に関する調査報告書(平成13年3月)』2001

「移転前の方がよかった」という回答は非常に少ない(2.3%)。細かいところでは、「買い物や外出など、日常生活が便利になった」「病院や福祉施設が近くなり、医療や福祉サービスが受けやすくなった」「自然災害や積雪などによる不安が少なくなった」といったことが高く評価されている(表1)。外部の視点から酷評する人も多いが、「実際に移転した人」による評価は非常に高い。

h-2
表1 集落移転をしてよかった点
出典:総務省自治行政局過疎対策室『過疎地域等における集落再編成の新たなあり方に関する調査報告書(平成13年3月)』2001

山間地から平地への集落移転事例

【事例1:本之牟礼地区】

もう少し細かくみてみよう。ここでは、山間地から平地への集落移転を二つ紹介する。1989年、鹿児島県阿久根市の本之牟礼地区の7戸が役場の近くにまとまって引っ越した(3戸は市外へ個別に移転)。

2008年、筆者らは、実際に移転した人にお会いする機会を得た。「今振り返ってみると若かったから(もとの地区で)がんばることができたのであり、連れてきてもらってよかった」「以前からの仲間がいるから心強い」といった意見が強く印象に残っている。

ここでは、ご近所どうしの地縁がある程度維持されていることを強調しておきたい。成り行き任せのばらばらの転出とは全く異なる。

【事例2:太平寺集落】

1964年、滋賀県坂田郡伊吹村(現・米原市)の太平寺集落が、心のよりどころである「円空の観音像」とともに、ふもとの春照(すいじょう)にまとまって引っ越した。2014年、筆者らは移転先(写真1)と跡地に向かった。

h-3
写真1 移転先の団地:これには写っていないが家庭菜園もある

ここでも、移転後の暮らしは高く評価されていたが、それだけではない。移転後、戸数が16から33に増加したという。「場所こそ異なるが、集落は力強く生き残っている」という印象を受けた。

写真2は跡地の様子である。かなりの部分が「やぶ」に覆われていたが、もとの状態に戻すことも不可能ではない。なお、太平寺集落の場合ではないが、跡地の耕地がそのまま使用されていることもある。

h-4
写真2 跡地の様子

集落移転を成功させるために

 

内部の力で意思を固める

集落移転については、慎重に議論し、全員が納得して選択することが肝要である。外部の支援者には、意思決定に介入しないこと、文字どおりの「支援」に徹することを強く求めたい。外部からの押しつけは論外である。

跡地はなるべく美しく保つ

都市の感覚ではわかりにくいが、集落移転を実施した場合、移転した人が「故郷を捨てた」という罪悪感を抱く可能性がある。そのような罪悪感を緩和するために、跡地はなるべく美しく保つことを推奨する。例えば、当面使用する予定のない家屋を残すことは避けるべきであろう。使用頻度の低い家屋は、短期間で廃屋に変化し、周囲の雰囲気を著しく悪化させる。

移転先に家庭菜園を確保する

山間地の高齢者にとって、耕作は生きがいであり、健康づくりの手段でもある。そのまま跡地の耕地を使用するという方法もあるが、土とのつながりを確実に保つため、移転先に家庭菜園を整備することを推奨する。家庭菜園は、移転先の「標準装備」と考えてよい。

公営住宅という選択肢が必要になることも

移転先の住宅については、戸建て・持ち家が基本形である。ただし、それだけでは経済的な理由で移転できない人が出現する可能性がある。そのようなことが危惧される場合は、移転先に公営住宅を併設することを推奨する。なお、現時点で事例はないが、「福祉施設と一体化した賃貸集合住宅」という選択肢があってもよい。

山中の拠点で民俗知を守る

 

集落に残る農法や生活様式

集落移転については、遠方の都市住民も無関係ではない。都市的な暮らしがかなり浸透したとはいえ、山間の集落には、風土にあった農作物や農法(写真3)、自然と調和した生活様式など(以下、単に「民俗知」)が残っている。

それが消滅したとしても、国民の生活が直接的に脅かされることは考えにくい。しかし、民俗知は万が一の食料不足やエネルギー不足に対する備え、「国民的な保険」とみなすこともできる。

h-5
写真3 高知県吾川郡仁淀川町の「田村カブ」:遺伝子レベルでみると家ごとで差異があるといわれる

民俗知の維持については市町村・流域レベルで考える

集落移転は、実践の場の縮小を通じて、民俗知を減少される可能性がある。しかし、一集落の跡地と移転先を眺めるだけでは、解決策は見つからないであろう。この問題については、集落移転以外の要因、すなわち、集落の自然消滅、存続集落の世代間の文化的断絶なども視野に入れ、市町村・流域レベルで考える必要がある。

山中の拠点「種火集落」で守る

少ないマンパワーで民俗知を守るとなった場合は、山中に少数の拠点集落を構築し、集中的に守ることを推奨したい。ただし、個々の集落の民俗知に優劣をつけるということではない。種火集落の主要任務は、一帯の代表として民俗知を守り、育てることである。遠方からのUIターン者も種火集落に集まるように誘導すべきであろう。地域おこし協力隊の場合であるが、分散配置は失敗につながるという意見もある(注3)。民俗知の維持については、「山中の拠点集落で確実に守り、そのほかについては、自然消滅や集落移転による減少も容認する」という考え方があってもよいのではないか。

(注3) 東大史「元協力隊員による「失敗の本質」の研究」『季刊季節』18、pp. 29-33、2014

民俗知を実践で維持すると、耕地、ため池、草地、薪炭林といった多種多様な土地利用も維持される。あくまで副次的なものであるが、種火集落の諸活動は、そのような土地を必要とする生物を守ることにもつながる。

国民的な支援が必要

 

民俗知を「国民的な保険」とみなすなら、国民全員も「維持費」を負担すべきであろう。ただし、「月々の保険料」で国民の生活が圧迫されるようなことは許されない。「民俗知の維持を目標とすれば、いくらでも補助金が出る」といったことは断固回避すべきである。

「小さな拠点づくり」との連携

最後に、最近の話題として、国土交通省国土政策局の「小さな拠点づくり」を紹介しておきたい。小学校区といった範囲で、診療所や商店などを集めた拠点をつくり、そこと集落をコミュニティバスなどでつなぐという取り組みである(注4)。

(注4) 国土交通省国土政策局・集落地域における「小さな拠点」形成推進に関する検討会『集落地域の大きな安心と希望をつなぐ「小さな拠点」づくりガイドブック~つながり、つづける地域づくりで集落再生~(平成25年3月)』2013

http://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/kokudokeikaku_tk3_000010.html(2014年6月29日アクセス)

種火集落を「山中の前線拠点」とすれば、こちらは「ふもとの後方補給拠点」となる。広く分散した集落と後方補給拠点を結ぶバスの維持はかなり難しいであろう。しかし、筆者らは、拠点自体の構築を強く望んでいる。後方補給拠点の周囲は、移転先の適地になると考えているからである。

プロフィール

林直樹農村計画学

東京大学大学院農学生命科学研究科農学国際専攻・特任助教。特定非営利活動法人国土利用再編研究所・理事長。1972年広島生まれ。京都大学大学院農学研究科博士後期課程修了,博士(農学)。総合地球環境学研究所研究部・プロジェクト研究員,横浜国立大学大学院環境情報研究院・産学連携研究員などを経て現在に至る。専門は農村計画学。「進むべきは進む,引くべきは少し引いて確実に守る」という発想で都市農村の持続性を高めることを目指している。主な著書は,『撤退の農村計画―過疎地域からはじまる戦略的再編』(学芸出版社,共著)

この執筆者の記事