「福島で次世代に放射線被曝の影響は考えられない」ということ――日本学術会議の「合意」を読みとく

日本学術会議の報告

 

2017年9月1日、日本の科学者を代表する組織である日本学術会議の臨床医学委員会放射線防護・リスクマネジメント分科会が、「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題―現在の科学的知見を福島で生かすために―」という報告書(以下『9.1報告』と表記)を出した。これは、東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う子どもの健康への放射線影響と、被曝の健康影響についての社会的な理解や不安の状況についての報告である。この報告を受けて、医療関係者に向けた提言が今後まとめられることになる。

 

『9.1報告』はUNSCEAR(国連科学委員会)の各年度の白書を引用しながら、これまでの放射線被曝による健康影響についての知見や、福島第一原発事故後の住民の被曝線量の推定値からも、将来、被曝影響によるがんの増加が予測されず、そして被曝による先天性異常も遺伝的影響も考えられないと結論づけた。特に後者の「次世代への影響が考えられない」ということについては、すでに「科学的に決着がついている」とも明言している。

 

その上で、SNSなどで福島第一原発事故が「チェルノブイリ原発事故の再来」であるかのような流言飛語が発信・拡散されたことが、「次世代に影響するのではないか」という住民の不安を増幅する悪影響をもたらしたことに言及し、全国的にそのような誤解が広まっているならば、偏見をただす必要があると述べる。

 

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現在福島の住民にとって、「次世代への影響」と同様に深刻な不安材料になっているのは、子どもの甲状腺がんの問題である。この点については、UNSCEARやIAEA(国際原子力機関)、またWHO(世界保健機関)などの主な国際機関や、福島県立医科大学をはじめとする国内の研究者らが出した複数の論文によって、「福島の子どもに発見された甲状腺がんが、原発事故に伴う放射線被曝によるものとは考えにくい」という合意がなされている。

 

これらの国際機関の報告やさまざまな国内外の論文によれば、もともと福島第一原発事故に伴って放出された放射性物質が、チェルノブイリ原発事故と比較して約1/7であったことや、事故直後に定められた食品における放射性物質の厳しい基準値設定などの措置により子どもの内部被曝が低く抑えられたこと、地域別の甲状腺がん発見率に大きな差がないこと、また甲状腺がんの特性から、そもそも無症状の人を対象とした検査では高頻度で見つかる可能性が高いことなど、さまざまな状況から、現在福島県立医科大学が実施している甲状腺検査で発見された子どもの甲状腺がんが放射線の被曝によるものではないことがすでに明らかになりつつある。(参考:「福島における甲状腺がんをめぐる議論を考える」)

 

しかし、こういった国内外の大多数の専門家の合意する知見について、国内のマスメディアがこれまで十分に報じておらず、さらに悉皆検査がいたずらに続けられていることや、ことあるごとに「甲状腺がんが発見された」とテレビやインターネットを中心に報じられることにより、住民の不安は増幅されている。この点について、東京大学早野龍五名誉教授は、検索エンジンGoogleでどのようなワードがどの地域から多く検索されているのか表すGoogleTrendの結果を指摘する。このデータを見ると、福島から「甲状腺がん」と検索される数は2011年からほとんど減っておらず、さらに甲状腺がんについての報道があるたびに一時的に大きく増加するという現象も起こっていることがわかる。

 

甲状腺がんに対する不安や懸念について『9.1報告』は、「チェルノブイリの再来との先入観や偏見」と指摘しながら、検査を受けることやその結果が、一部の親や子どもにとって精神的負担となっていることを指摘する。

 

一般にがんの告知はその種類によらず、患者に大きなショックを与えることが明らかになっている。また、とくに甲状腺がんが放射線被曝とセットで語られることにより、「放射線によってけがされた」という思いを子どもとその親に与えることが少なくない。

 

福島の住民の放射線被曝線量が十分に低いことについてはすでに複数の論文が出され、またそれらはUNSCEARにも2013年と2016年にレビュー(評価)されている。

 

したがって、現在の福島の子どもの心身の健康を損ない得るのは、放射線被曝よりむしろ過剰な不安を煽るような報道や偏見であるともいえる。

 

 

引用文献の「数と質」

 

前述の通り、この『9.1報告』をもとに、今後、日本学術会議の同分科会の提言が行われる。その一方で、日本学術会議に所属する分科会は当該分科会以外にも存在し、独立した組織として報告と提言を続けている。一例として、9/12に日本学術会議の「原子力利用の将来像についての検討委員会原子力発電の将来検討分科会」が提言を出している(以下『9.12提言』)。この提言の中で、『9.1報告』が挙げるような国内外の知見に対して、「初期の内部被ばくの調査がほとんどなされていなかったことから健康被害が認められるレベルではないという見解の信頼性を問う」などの反論を試みているものの、この部分の引用文献は査読のない一般向け書籍(『見捨てられた初期被曝』岩波科学ライブラリー)からのものであり、科学的な提言がされる根拠としては乏しいと言わざるを得ない。

 

科学的な専門家による組織や機関などが何らかの合意をし、それをもとに報告や提言を出す場合、根拠となるのは他の専門家による査読を通った論文である。そのため、UNSCEARも査読付き論文をレビューするかたちで白書を出している。つまり、科学的な組織や機関などが出した報告や提言の信頼性は、それが根拠としている査読付き論文の数と信頼性に比例すると言える。

 

では、今回挙げた『9.1報告』と『9.12提言』について、「引用している文献の数と信頼性」という視点から検討してみよう。

 

まず、『9.1報告』が引用している文献の数は84件であり、世界で最も信頼される医学雑誌のうち臨床医学分野で最高峰の2誌『Lancet』や『New England Journal of Medicine』に掲載された査読付き論文を複数本引用している。また、UNSCEARやICRP(国際放射線防護委員会)といった、すでに多くの査読付き論文をレビューして国際的な合意を経た報告も多く引用されている。

 

一方、『9.12提言』で、「福島の子どもや住民の放射線被曝による健康影響」というテーマについて引用している文献は、法律や調査結果のデータ引用などを含めて10本に満たない。そして、数の少なさ以上に問題にすべきは引用文献の「質」である。

 

『9.12提言』に引用されている文献のうち1本は、前述の通り、査読付き論文ではなく一般向け書籍である岩波科学ライブラリーからの引用であり、著者は匿名のTwitterアカウントとなっている(実名および所属等不明)。また、うち2本(福島県立医科大学安村誠司教授論文、国立国会図書館労働課高野哲氏論文)については内容にかかわる部分ではなく、アンケートの「回答率が低い」という箇所で両者が併せて引用されているにとどまる。内容にかかわる査読付き論文は2本が引用されている。また、このうち岡山大学津田敏秀教授の論文はUNSCEARの2016年白書で「重大な欠陥がある」として却下されている。

 

『9.1報告』に比較して、『9.12提言』では当該テーマに割いた議論の量が少ないため、本来ならば多くの国内外の査読付き論文がレビューされたUNSCEARの白書に類する総論を引用するべきところだが、そのような形跡はみられない。

 

 

「両論併記」はすでに公平ではない

 

『9.1報告』を、まず9月5日に読売新聞が福島県版で大きく報じた(2017年9月5日読売新聞福島県版『被ばく線量「はるかに低い」』)。地元紙である福島民友が翌日これに続き、社説でも取り上げた。また、その翌日には同じく地元紙である福島民報が報じ、さらに9月12日には朝日新聞が福島県版に同様の記事を掲載した。しかし、テレビメディアをはじめ、全国紙では毎日新聞が、また読売、朝日についても全国版では報じておらず、これについてTwitterで問題視する声も多く上がった。

 

今回検討したように、同じ日本学術会議の報告と提言であっても、その信頼性は大きく異なる。マスメディアは「両論併記」をすることで公平な立場を保とうとする動きに出ることが少なくないとよく指摘されるが、このように信頼性や科学的な合意の度合いがまったく釣り合っていない論を同じスペースを使って両論併記することは、かえって公平性を損なう。

 

たとえば、これまで検討してきたとおり、信頼性について疑問を生じざるを得ない『9.12提言』の中で言及された「福島の子どもや住民の放射線被曝による健康影響」について、マスメディアが両論併記をはかったとすれば、それは公平であるとはとてもいえない。

 

原発事故後、6年半をかけて国内外の科学的知見が積み上げられてきた。たとえ事故当時は、データが出揃わずに両論併記できたテーマであっても、国内外の科学者の間で検討や議論が十分にされた上で合意が行われ、科学的にはすでに決着がついているケースが少なくない。

 

福島の住民が心身ともに健やかに日常を送り、また県外で不当な偏見にさらされるようなことがないようにするためにも、こういったすでに決着がついている科学的事実について、公平な視点で、県内外に対して広く、正確に伝えることが、今マスメディアにもっとも求められている役割のひとつと言えるのではないだろうか。

 

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