2015.06.05

精神障がいを抱える親を持つ子どもの声を聞いてください

精神障がいを抱える親の子どもたちの座談会

福祉 #精神障がい#子どもの声

精神障がいを抱える当事者への支援が注目されることはあっても、精神障がいを抱える親を持つ子どもにはなかなか注目が集まらない。そんな中、親&子どものサポートを考える会の土田幸子氏による「精神障がいを抱える親と暮らす子どもたちに必要な支援とは」をシノドスに掲載したところ、大きな反響があった。そこで、当事者の皆さんのご協力のもとで、精神障がいを抱える親の子どもたちにお集まりいただき、それぞれの困ってることをお話いただいた。「当事者」といっても、それぞれ異なる境遇の中で、浮かび上がってきた課題とは……?(構成/金子昂)

異なる境遇の4名の当事者たち

土田 今日皆さんにお集まりいただいたのは、以前、シノドスに精神障がいを抱える親を持つ子どもについての論考を掲載したところ[*1]たいへん反響があり、ぜひ当事者である皆さんの声を届けたいと思ったからです。「精神障がいを抱える親の子」といってもいろいろな境遇があるため、異なる境遇の方々に集まっていただきました。初めて会う方もいるので、まずは簡単に自己紹介をしてください。

[*1] 精神障がいを抱える親と暮らす子どもたちに必要な支援とは

タナカ タナカ(仮名)と申します。20代の男性です。母が統合失調症で、自分が小学校一年生のときに発病しました。いまでも母は入退院を繰り返しています。長男なので、自分がなんとかしないと家族が終わるという気持ちが強く、あまり協力的でない父をなんとかしてほしいと、父方の祖父母にお願いをしたりしていました。

キムラ キムラ(仮名)です。55歳、女性です。父親が若い頃に、「精神衰弱」と診断されています。なにかがちょっとおかしいんですよね。人間関係がうまくできなかったりして。私は、発達障害なんじゃないかな? と思っています。父は、40代後半にはうつ病を発症しています。

また母は母で強迫神経症を持っています。結婚後に発症しているのですが、父が「そんななまけ病は許さない」と、薬も飲ませないし、暴力もふるって、病院にも行けず、鎮痛剤や風邪薬でなんとかしていたのですが、年を取るにつれて症状が悪化してしまいました。

モンガラ こんにちは、モンガラ(仮名)です。48歳、女性です。ウチは母親が精神障害で、医療機関に繋がっていないので病名はもらっていないのですが、母親の症状からネットで調べてみたところ、おそらく統合失調症ではないかと思います。私が生まれる前から発症していたので、発症前の母親を知らないまま50年近くが過ぎました。どうやって付き合えばいいのかわからなくて、若い頃は毎日胃が痛い状態でした。

カメノコ カメノコ(仮名)です。23歳、女性です。母が41歳のときで、自分が10歳のときに統合失調症を発病しています。親の病気のことを言えるようになったのは、ここ1年半くらい。「精神病の人は差別されるの。あんたもその子どもだから同じ目に遭う。病気のことは人に言っちゃだめ」と母親から毎日のように言われました。10代の頃は、病気のことはよく分かりませんでした。でも漠然と、自分は社会で差別されるべき存在だと知りました。このことが知られたら、就職や結婚もできなくなると思っていました。だから困ったときも誰にも相談できませんでした。ある先生との出会いをきっかけに、少しずつ人に話せるようになっています。

子どもたちへの光の当て方

土田 ありがとうございます。精神障がいを抱える方ではなく、その子どもの話は、これまであまり取り上げられてきませんでした。「ようやく光が当たりだした」という思いもあれば、「知られていなかったからこそ楽だった」という思いもあると思うんですね。皆さんはどう受け止めていますか?

タナカ 「やっときたか!」と思いましたね。反響があったことに対しては、いろいろな思いはあるのですが、この波に乗りたいと思う。

キムラ いい時代になったなあとは思いますね。私はいま55歳で、子どものときは精神障がいについての情報なんて全然手に入りませんでした。世間もいまより理解がなくて、偏見の目があった。そのせいで医者にかかるのも難しくて。心療内科もなかったんですよね。内科か精神科に行くしかなかったんです。いまは何かしらの方法で情報を手に入れられますし、発信をすれば反応もある。誤解はあるんだろうけど、やっぱり嬉しい。

モンガラ うつ病が市民権を得たところがあるから、そこから精神障がいの人にもスポットが当たっていくといいですよね。

土田 先ほどカメノコさんはお母さんから「人に話したらいけない」と言われているとおっしゃっていましたが、そうでなくても精神障がいって、人には隠しておきたいという気持ちがあると思うんですね。

カメノコ 精神障がいに限らず、障害自体、隠しておこうって考え方が昔からありますよね。うちの母はそこに相当とらわれていたんだと思うんです。当事者である母親にも偏見があって。偏見は私の中にもあったんだと思うんですけど、当事者の母から植え付けられたところもあるのかも。

モンガラ 子どもの頃は、遺伝するんじゃないかって言われるのが怖かったんですよね。

タナカ わかります。

モンガラ とてもじゃないけど人に言えなかった。私の兄が、子どもが欲しいといったら、義母から「精神病がうつるんじゃないか」って言われちゃって。

キムラ 知識がないんだよねえ。

モンガラ そう。誰もがなりうる病気なんだってことがわかってもらえたら嬉しい。

キムラ 今日、座談会に参加することもためらったんですよ。メディアがおちゃらけた伝え方をしたら、誤解が広まっちゃうかもしれない。でもやっぱり黙っていたら広まらないんですよね。編集長の荻上チキさんのラジオを聞いていたこともあるし、シノドスを読んで、原稿もこちらでチェックさせてくれるということだったので、参加することにしました。もし突然「インタビューしたい」っていわれたら、絶対に無理(笑)。

全員 あはは(笑)。

キムラ 最終的に、当たり前に取り上げられるような世間になったらそれはそれでいいのかもしれませんが、まずはちゃんとした媒体から、ちゃんとした形で出て欲しかった。

「あなたには助けが必要なんだよ」

カメノコ 学校だったら、クラスにひとりやふたりくらいは、私たちと同じような境遇の子はいると思うんですよ。だから先生とか教育関係の人に知ってもらえると助かるかもしれない。

キムラ やっぱり特殊なんですよね。小学校2、3年生のときから「これを言ったらヤバい」ってなんとなくわかる。そういうときに、スクールカウンセラーさんに相談できたらいいのかっていうと、実はそれも難しい。カウンセラーさんから、私が家の中のことを話したことが両親に伝われば、「どうして話したんだ」と叱られるし、そのことでまた、母が父に「おまえがそんなだから」と殴られてしまう。それに私の場合、そういった父親の暴力から母親を守らないといけなかったので、家にいるときは小学生でいられないんです。小学校にいる間くらいは子どもでいたかった。

カメノコ なるほど!

キムラ 子どもでいられる空間に親の問題を持ち込んで欲しくなかったと思う。だから個人的にアプローチするよりは、先生がみんなに精神障がいについての話をしてくれたらいい。クラスに当事者がいてもいなくても。なにを言っているかわからない子もいるかもしれないけれど、思い当たる子が「あっ!」って気が付いて、対処の仕方とか相談できる場所とかがわかるようになったら助かると思うんです。

タナカ 自分みたいな人間には助けが必要なんだってことを強く言って欲しいですね。壁を作ってきたから、声をかけられても避けてしまう。「助けてって言ってもいいんだよ」じゃなくて「あなたには助けが必要なんだよ」って。

モンガラ 確かに。

タナカ ある程度年をとってみて、助けが必要なんだってわかったんですよ。隠し通していく中で、人を信じられなくなっていく。人間不信を治すのに相当苦労しました。

カメノコ 小学生のときは「自分の家は助けが必要な家」って自覚がなく、先生に相談する発想もありませんでした。でもいま思えば、粘り強く言ってくれる人がいたら、「そうか、助けが必要なんだ」って思えたかもしれない。

理想論かもしれないけど、金八先生みたいに寄り添ってくれる先生がいたら、話せるようになるかも。私の場合、大学の先生が話を聞きだしてくれました。不安もあったけど、信用できる人だって思ったから、ちゃんと話せたんです。先生が「自分が苦労してきたことも、支援されるべき対象だということも認めなさい」って言ってくれた。

キムラ 的確なアドバイスをくれる良い先生に出会えてよかったね。

「サザエさん」なんてありえない

土田 「私の家は人の家と違う」って感じたのっていつごろですか?

モンガラ 友達の家に遊びに行ったら、友達のお母さんがケーキを出してくれるんですね。でも私の家の場合は、お菓子をちり紙に包んで、「外で遊んできなさい」って言われちゃうんですよ。この違いは子どもながらにショックでした。しかも友達の家にいったら、私の家にも招かないといけないと思っていたみたいで、友達の誕生会に呼ばれてもいけなかったんです。クラスで私だけ参加していない、みたいな。

カメノコ それはたいへんですね……子どものときってみんなと同じじゃないと仲間外れになっちゃう。

モンガラ そうそう。みんなと一緒で初めて安全が確保されるところがあるじゃないですか。子どもにとっては、家と学校が世界の全てだから、どちらも安心していられなくなっちゃう。

カメノコ 私も母が発症してからは友達を家に呼べなくなっちゃいました。それまでは大丈夫だったのに、いきなり。あとお弁当……。

キムラ ああ、お弁当問題かー!

カメノコ わかります?(笑)。お母さんがお弁当を作ってくれていたのが、病気になってからは父親が作るようになったんですね。お父さんとお母さん、どちらがお弁当を作ってくれてもありがたいです。でも周りはお母さんが彩りとメニュー豊富なお弁当を作ってくれていたから羨ましかった。学校行事にお母さんは来てくれないし、保護者面談もお父さんになった。「なんで?」って聞くと「病気だから」って言われる。お腹が痛そうでもないし、テレビを見ているだけなのに……と思って「なんの病気なの?」って聞くと答えてくれない。

キムラ お弁当問題はね、私の家もありました。幼稚園が終わってからハイキングごっこをする約束を友達として、「いまからハイキングごっこするからお弁当作って!」っていったら、「二回もお弁当なんてつくれない! なんでそんな約束してくるんだ! 今日は遊びに行くのやめなさい!」って怒られて。母にとって、お弁当作りはかなり負担だったんでしょうね。高校生の時にはまったく作れなくなっていて、毎日、購買の菓子パンでした。あと私の家も、人の家にあがると招かないといけないから行っちゃいけないって言われていましたね。

モンガラ 友だちに「お母さんが駄目って言ってるから」しか言えないからちゃんと理由が説明できないんですよね。そのせいで友達もだんだん疎遠になっちゃう。小さい頃から友達との関係を保ちつつ、親とも上手に付き合わないといけなかったから、24時間気を使っていて、気疲れするんですよね。

カメノコ 智慧が付きませんか? その年頃で身につけなくてもいいだろ! って智慧が(笑)。

タナカ ああ、わかりますね……。

土田 以前「サザエさんが嫌い」ってお話をされていたんですよね。みなさんそんな経験ありますか?

キムラ 私は、毎回必ず親子喧嘩するドラマ「寺内貫太郎一家」が、何であんなに人気があるのかわからなかったんですよね。「いや、私の家はもっと酷いことがおきてるんですけど……」って思っていました。親が暴れた後に片づけもしてるのに、テレビだとちゃぶ台がひっくりかえされて終わり。みんなには幸せな家があってジェットコースターみたいなドラマを楽しんでるけど、私は毎日ジェットコースターに乗ってますよって(笑)。

カメノコ わたしはサザエさん好きでしたね。ホームドラマも好きで、「こういうのいいな」って思ってました。一方で、「なんで、うちはこうじゃないの?」とも。

キムラ 大きくなってからは、「世間の人って、うちの家族より優しい……」って思いましたねえ。

カメノコ 差別する人もいるけれど、優しい人もたくさんいますよね。

関係性で変わる困りごとと家族へのケア

タナカ ……記憶がおさえられているので、昔のことがあまり思い出せないんですけど、自分は田舎に住んでいたので、友達を選べなかったんですね。近所にいる子と仲良くするしかなかった。ある日、悪がきがエアーガンで車を打ついたずらに巻き込まれちゃって。当然、乗っていた人が怒りだして、「親を出せ!」って言ってきたんです。でも、親を呼ぶことはできない。「母親を心配させるな、病気が酷くなるだろう」って言われてきたので。

全員 わかる!

タナカ 言っちゃえばよかったんですよね。「悪がきにやらされた」って。でも、言えない。もし母親に、やりたくなかったのにやらされたんだって話せたら、気も楽になったと思うんです。説教されたほうがいいんですよ。ちゃんと理由も話せるし、もしかしたら悪がきに巻き込まれない方法も教えてもらえたかもしれない。

土田 お母さんはタナカさんがおいくつの頃に発症されたんでしたか?

タナカ 7歳くらいですね。父親による母親へのDVが酷くて、よく母親に「キチガイ」って言っていました。「ぼくもきっとキチガイなんだろうな」って思ってた。

カメノコ 家族へのケアって大切ですよね。子どもは子どもで、親は親で、兄弟は兄弟で。関係性が違うと、困ってることも変わると思うんですよ。当事者だけじゃなくて、そうした集まりがあると助かる。

キムラ 子どもへのケアを考えると、配偶者がしっかりしていて、病気への知識もあれば、子どもにちゃんと説明できますよね。だから、支援する人たちは、まず配偶者に接触して、そこからケアするといいと思う。配偶者がケアできていれば、子どもをケアしなくても大丈夫なケースだってあるかもしれません。

タナカ いまのお話を聞いて、大学時代に父親を「なんで助けてくれないだ!」って責めたことを思い出しました。そのとき父は「医者から病気だと言われたけど、具体的にどうやって対処すればいいのかは教えてもらえなかった」って。

キムラ それもありますね。

タナカ 父は父で、自分なりのやり方を取っていたんだと思います。

カメノコ うちの場合も、たぶん医者から具体的なアドバイスは受けてなかったと思います。都内のメンタルクリニックって、診察時間が短時間で、いつも同じ形式的な質問しかされないんですよね。当事者ともっとも近い家族の話を聞かない。本人の気持ちだけじゃわからないことだってあるじゃないですか。私の家の場合、本人が精神病への偏見を持っていたくらいだし。家族の話を聞いてくれて、具体的な方法を教えてくれたら、本当に助かる。

あと父親から私の気持ちを聞かれたことはないですね。いまは父親もたいへんで仕方なかったのかなって思います。しんどかったときは「どうして!」って思っていました。小学生のときは詳しい話をされてもわからなかったと思うけど、私が成長するにつれて、少しずつ説明して欲しかった。

一緒に考えてくれる、誰か

キムラ 私の母は巻き込み型で、いろんなことを家族に強いるんです。あと死への不安が強かったみたいなんですよね。“42分”をみると「死に」に繋がるからって、不安を振り払うために不思議な儀式を始める。その間、家族は静止してなくちゃいけなかったんですけど、我慢できなくなって動きだしちゃうと、「どうして私の言うとおりにやってくれないんだ!」ってモノを投げ出す。酷いときは台所にこもって、コップに水をためて、それを部屋に撒きはじめるんです。

母親に付き合っていればヒステリックにならなかったので、できるだけそうしていましたけど、本当にこのままでいいのかわからなかった。高校生のときに「具体的に私はどうすればいいんですか?」って医者に聞いたら「そんなことしてたらあなたが病気になりますよ」って言われました。「うん、そりゃそうなんでしょうけど、私はこの家で暮らしていかなくちゃいけないんだから、付き合うしかないんですよ。なんでもいいから具体的にどうすればいいのか教えてください」って言ったら「うーん、まあお薬出しておきますね」で終わり。「この先生は駄目だな」って思いましたね。

あのときなんでもいいからアドバイスしてくれたら安心できたと思いますし、アドバイスじゃなくても、相談できるようなところ紹介してもらえたらどれだけ助かったか。医者への不信感はありますね……。

カメノコ お医者さんが主に聞くのは結果ですよね。過程が大事なんですよ。私たちの物語をちゃんと聞いて欲しい。いまにいたるまでの話を聞いてもらえたら、そこから具体的な対処法がみつかるかもしれない。

土田 一緒に考えて欲しい?

カメノコ そう。お医者さんもたいへんなんでしょうけど……。

モンガラ 包括型生活支援プログラムみたいに、患者さんに関わる精神科医、看護師、介護士、精神保健福祉士が丸ごと家のことをみてくれると助かりますよね。医療面も生活面も 支援されたら、いろいろな相談事ができるし、子どものこともちゃんとケアしてくれるかもしれない。地方に親を残している場合、そこに 任せておけば安心ですし。

タナカ 地方の場合、繋がりが強すぎる場所があるんですよね。そのせいで、逆に地域の繋がりができなくなっちゃう。というのも、家族から「母親のことは周りに言うな」って言われているせいで、地域の人には誰にも相談できなかった。相談したら、どこかで漏れてしまうかもしれないので。もし「この人にならちゃんと話せる」って人がいたら……。

土田 訪問看護のときに、その様子を子どもに見せてあげて欲しいなって思うんですけど、やっぱり当事者が嫌がるんですよね。そういう姿もオープンに見せられたら、「お母さんのことで相談したい時はこの人に聞けばいいんだ」ってわかるかもしれない。

人間不信の英才教育を受けてきた

モンガラ 私の家の場合、病院に無理やり連れて行かなくちゃいけないような、激しい陽性反応がなかったので、距離さえ置いておけばなんとかやりすごせたんですよね。その分、自分で抱え込んじゃったし、ご飯を食べるとき以外は、各自の部屋にこもっていて、家族だけど家族じゃないみたいな。

キムラ 外からは家族の様子なんてわからないもんね。

土田 家という形はある。でも家の中で孤独。

モンガラ そうなんです。小学校3年生くらいからずっと部屋で本を読んでいました。女の子だからお母さんに学校でなにがあったのか話したかったんだけど、それもできなかった。話をしたらしたで、母親が不安になっちゃって、根掘り葉掘り聞きだしてくる。答えているうちに「そうじゃないでしょ!だからアンタは駄目なのよ!」ってよく言われました。子供の頃にこんな言われ方されたら 全人格を否定された気分になります。否定されるのが嫌で困ったことや悩みがあっても相談できず、なんでもかんでも一人でやるって変な独立心がつきましたね。人に弱みを見せたら駄目。泣けない。

キムラ うちの親も被害妄想が強くて、人の言ったことを何でも悪く捉えたり、疑ったりばかりで…。人間不信の英才教育ですよね(笑)。

全員 (笑)。

土田 世間からの冷たい目線でみられているなって思ったことはありました?

タナカ 高校生のときに初めて家のことを友達に話したんです。受け入れてくれる人もいたけど、やんわりと「もう関わりたくない」という意思表示をされたこともあります。メールが無視されたり、ちょっとずつ距離をとられてしまって。どうしていいのかわからなかったんだと思います。でもやっぱり辛かった。

キムラ 「わからないんだけど、どうすればいいんだろう」って言ってくれたらね。

カメノコ 知識があまりなかったからでしょうね。それに、私たちのような境遇のひとって、人に受け入れてもらえる経験が乏しいから、受け入れてくれるかも!って思うと、うわー!っと話しちゃう。

タナカ そうそう。言いすぎてしまって関係が壊れる。

カメノコ 重いんだと思います。人を受け入れるのって余裕がないとできないですよね。受け入れられた経験がほとんどないし、余裕がなくて、他人の気持ちを受け入れることが難しい。他人の感情の機微に疎く、人間関係がうまく築けない。自分の家のことを人に話せるようになって、余裕ができてからそのことに気が付きました。

キムラ 小さい時に感情をストップさせてしまうところがあるんですよね。それが当たり前になっているから、うまく感情がだせない。「能面みたいだね」って言われたことがあります。表情がないってことなんだと思う。

タナカ 自分も「ロボットみたい」って言われたことがあります。痛いところを突かれたなあ!って思った。

カメノコ さっき記憶を抑えているってタナカさんが話されてたのはそういうことなんでしょうね。どんなに辛くても生きようとするのが人間だと思うから、傷つかないように感情を抑えるし、記憶力も鈍麻させてしまう。それで、大きくなってから苦労する。

先輩当事者から、後輩へのメッセージ

キムラ でもね、年を取って、だんだん客観的に考えられるようになってからは、「特異な持ちネタがあるよ!」って言えるくらいにまでになりました(笑)。

ずっと大変だったし、困ってたし、死のうと思ったこともあります。本当につらかったときは、両親を殺してから私も死ねば、姉だけは楽になれるんだって思ってた。そんなわけないのにね。私もそのときはちょっとおかしかったんだと思う。そのくらいシビアな状態の時もあったけど、ちょっとずつ生きにくさは軽くなっている。まあ、消えることはなくて、ずっと残っているんだとは思いますけどね。今では、こんな不思議な体験をさせてもらえて、よかったのかもしれないとも思います。同じような境遇じゃなくても、差別されるような人たちの気持ちが、他の人たちよりも少しは理解できるのかもしれないって…。父と母からの贈り物なのかなって、この年になってやっと思えるようになった。

タナカ ただ、やっぱり人にはなかなか話せないですよね。自分のアイデンティティに関わることだから、ウソはつきたくないんだけど……。今の会社は話をできる雰囲気がないんです。評価に関わるだろうな、とか思うとどうしても。母親の病気のことで実家に戻らなくちゃいけなくなったら、ウソをつくと思います。この葛藤は続くと思う。海外勤務の話も、断りました。あとで土田先生に相談したら「健康な人だって親の死に目にあえないこともあるんだから、もっと気楽に考えていいんだよ」って言ってくれて、今度そういう話があったら、希望を出してもいいかなって思うようになりましたが。

キムラ やりたいことをやったほうがいいよ。私、若い時に、結婚しないって決めたんですね。遺伝がどうこうって誤解を受けたくないんじゃなくて、好きになった人に、私の両親のことで、こんな大変な思いをさせたくない、巻き込みたくないって思って。

全員 あー……。

モンガラ 私も夫の両親は母親に会わせてないですね……。

キムラ そう、そういうやり方もあったんだよね。そうすれば結婚できていたかもしれない。ただ、姉は結婚したんですよ。「こんな家早く出たい! だから結婚だ!」って。しかも、私が「結納とか結婚式とか、この親には絶対無理だ!」って思っていたのに、姉の結納のとき、畳替えまで始めたんですよ、親が。「えっ! できるの!?」って驚いた(笑)。結婚しても良かったのかなって思ったら、実家に私しかいなくなっちゃったから、親の面倒を私が看るしかなくなっちゃって。

ただね、姉が結婚してから、母親が少し好転したんですよ。他人が入ってくることで家の雰囲気もちょっと変わるのかもしれない。お母さんが統合失調症で、闘病と看病の様子を描かれている漫画家の中村ユキさんみたいに、理解のある人と結婚して旦那さんに助けてもらう、というのでも良かったのに。その発想が私にはまったくなくて、すべて一人で何とかしなければ、と思ってた。今になって思うと、その閉鎖性こそが、一番良くなかったと思う。だから今は結婚してもいいのかなって思うけど、しないまま50代になりました。

モンガラ 結婚のためには精神障がいに理解のある人に出会わないといけないんだけどね!(笑)。

キムラ そうそう(笑)。一概には言えないんですけど、トライしてみればよかったのかもしれない。タナカさんも、お母さんのことをちゃんと看てくれる病院があったり、制度があったりしたら、海外勤務に挑戦したらいいと思う。

タナカ そうですね。社会資源をちゃんと使っていこうって思います。

キムラ タナカさんがタナカさんの人生を幸せに送れたら、その方がご両親にとっても幸せなんだと思うんです。お母さんが、「自分のことで迷惑かけちゃった」って思うことになって、つらそうなタナカさんを見たら、親御さんもつらくなっちゃう。結婚もね、理解してくれる人があらわれたらいいね。

カメノコ いまの話、身につまされますね……。

タナカ 泣きそう……。

子どもの頃の自分にかけたい言葉

土田 大盛り上がりのところ残念なのですが、そろそろ時間です。最後に、いまの自分が子どもの頃の自分に、どんな言葉をかけてあげたいか教えてください。

カメノコ 「光はある。世の中意外と捨てたもんじゃない」「堂々としておけばなんとかなる」

「家族が一番信用できる。世の中の人をそう簡単に信じるな」って言われていました。幸せなことに、いままであまり偏見に巻き込まれたことがなかったんですよね。周りの人に話せるようになってから、友達はほとんど家のことを知っているけど、誰からも距離を置かれたことがなくて、受け入れてくれている。

キムラ それはすごくラッキーなことだと思う。

カメノコ そうなんだろうなって思います。大学で先生に出会えたっていう最初の成功体験が大きかったし、友達も「カメノコさんとお母さんは違う人だし関係ないじゃん」って言ってくれました。差別は確かにあるかもしれません。でも、差別しない人もたくさんい

ます。

親が云々は関係なく、自分は自分。自信と誇りを持てば、自分をちゃんとみてくれる人に出会えると思う。

キムラ 高校生のとき、どうやって対処すればいいのかわからなくて、洗面所で「こんな時、みんなはどうしているの?」ってタオルに顔をうずめて家族に聞こえないようにしながら、声を殺して泣いたことがあります。その自分に、「大丈夫だよっ、一人じゃないよ。わかってくれる人はいるよ」って言いたい。

カメノコさんは幸運なことに最初に成功体験があったけど、世の中にはいろんな人がいます。タナカさんみたいに、友達に話したら、その子にはその話を受け入れるほどの度量がないことだってある。友達だって悪い子じゃないと思うんです。ただ知識がなかっただけなのかもしれない。正直に話をしたら、弱みに付け込んでこちらを騙そうとして来る人だっているんですよね。だから、SOSを出すところは間違えないようにしてねって言いたい。

私は、友達のおかげで、私たちのような人の話をゆっくり聞いてくれるお医者さんに出会えました。母への対処法も教えてくれた。高校生の私に、そしてこの座談会を読んだ同じように困ってる人に、仲間に繋がって欲しいと思います。そこから医療や支援に繋がっていくこともあるかもしれませんし、少なくとも困ってることを受け止めあえると思う。いまは、出会えた仲間と定期的に会うようになって、それが本当に救いになっているんです。

土田 タナカさんはどうですか?

タナカ ふたつあります。ひとつは諦めないでほしい。受け入れてくれる人に繋がることを挑戦して欲しい。ぼくも、何度も挑戦して失敗もしました。でも、こうやって、みなさんと話せる場所に繋がって、アドバイスも貰えるようになった。最初は必死だからバランス感覚がわからなくて、失敗しちゃうんですよね。でも、失敗しながら少しずつわかるようになるから。諦めないで挑戦して欲しいんです。

もうひとつは自信をつけて欲しい。人間不信の裏側には、自分に自信がないというのがあると思うんです。だから、自分の能力を活かせる場所をみつけて、楽しんでほしいんです。ぼくも大学のサークルで自分の能力を活かせるスポーツに出会って、初めて自分のことを認めてもらえました。自分の境遇じゃなくても、自分の能力を認めてもらえる場所をみつけたら、それを存分に楽しんでほしいんです。もしかしたらそれは、道が拓けるチャンスになるかもしれない。

モンガラ 私は、「今のままでいいんだよ」って言いたいです。もちろん、環境を放っておけってことじゃなくて、自分で自分を認めるということです。ずっと「だからあんたは駄目なんだ」って母親に言われてきて、自分のことが大嫌いでした。でも大人になって、自分にはなにができて、こんなことが好きで……ってちょっとずつ自分のことを受け入れたら、親の病気も受け入れられるようになって、皆さんとも出会うことができた。「そのままでいいんだよ。頑張らなくていいし、無理しなくていいんだよ」……自分の存在を認めてあげる言葉をかけてあげたいです。

土田 みなさん、いろんな思いを話してくださってありがとうございます。どんな展開になるんだろうと、楽しみ半分、おっかなさ半分だったのですが、皆さんが日常的に感じていらっしゃる思いが自然に出てきて、いい雰囲気の会になったのではないかと思います。いろんな年代の方にお集まりいただいたのですが、人生経験のある方から若い二人を応援するメッセージも含まれていて、私も嬉しくなりました。この記事を読んでくださった方にも、皆さんが発してくださったメッセージが届くのではないかと思います。

みなさんも仰ってましたが、仲間と話すことで肩の荷を降ろすきっかけになったり、勇気をもらうことにも繋がると思います。安心して話すことができる相手を見つけることも大変なことかもしれませんが、諦めずに、人や仲間と繋がっていってくれたらいいなと思います。

私も今日、みなさんがお話してくださったことを心に留め、障害を持つ親と暮らす子どもが暮らしやすい社会になるように、発信していきたいと思います。今日はどうも、ありがとうございました。

プロフィール

土田幸子親&子どものサポートを考える会

看護学校卒業後、1986~ 看護師として三重県立小児心療センターあすなろ学園に約15年間勤務。その後、看護専門学校の専任教員を経て、2001年~2014年3月まで三重大学、2014年4月~鈴鹿医療科学大学看護学部で精神看護学担当教員として、学生の指導や教育に携わる。臨床経験や学生との関わりから「精神的に不安定な保護者のもとで育つ子ども」への支援の必要性を感じ、2009年に「親&子どものサポートを考える会」を設立。こうした親御さんの元で育つ子どもの支援を行うと共に、支援の必要性を伝える活動を行っています。

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