2010.08.23

ミネラルウォーターと保育園

鈴木亘 経済学 / 社会保障論

福祉 #直接補助方式#子ども・子育てシステム検討会議#無認可保育所

いま、ここに120円のペットボトルのミネラルウォーターがあります。今日もとても暑く、わたしはこのミネラルウォーターを120円で買えることに心から満足をしておりますし、他の人びともやはり満足して買ったに違いありません(そうでない人はそもそも買わないから)。

低所得者にとって120円は高すぎる

一方、この水を売っている企業も、やはり、利潤を上げて満足しているに違いません(利潤が上がっていなければ、そもそも企業が存続していないから)。これがわれわれの生きている資本主義経済、もしくは市場経済というものであり、水の需要者(消費者)と供給者(販売企業)がともに、市場によるこの取引によって利益を上げて、効率的に社会が運営されています。

ところが、ここで与党の政治家達が、「たかが水に120円もの高い価格をつけるとはケシカラン。低所得者にとって120円は高すぎるではないか。水は生活にとって必需品であるし、低所得者等が安心して購入できるためにも、ペットボトルの水は10円にすべきである」と主張して、ミネラルウォーターの価格を低く固定する「価格統制策」を実施したとしましょう。

しかし、低所得者向けのミネラルウォーターの価格が10円なのに対して、中・高所得者向けの価格が120円では、あまりに差が大きく不公平です。そこで、中・高所得者向けの価格も30円と、大幅に安くしてしまいました。

「待機者」と「割当」の発生

まず、消費者の行動はどう変わるでしょうか。120円の価格が、大幅に下がりましたから、これまでよりずっと多くの人がペットボトルのミネラルウォーターを求め、お店や自動販売機に殺到することでしょう。

しかし、当然、供給業者はすぐには対応できませんから、行列ができてしまうことになります。まさに「水待機者」の発生です。また、あまりに行列が長くなれば、すぐには買えそうにないとして、あきらめて行列には並ばないものの、水を買いたいと思っている人びとも多くいることでしょう。この人たちは「潜在的水待機者」です。

こうした大量の水待機者に直面した政府は、その問題に対処するために、弱者や必要度の高い人びとの基準をつくり、優先的に「割当」を行なうことを考えます。その基準を、「飲料水に欠ける」要件と呼び、「飲料水福祉法」によって規定することにしました。この要件には、「ペットボトルのミネラルウォーターを飲むのは昼間に限られる」等とおかしな条項がありますが、なにせ緊急事態ですから、数をかぎるためには多少強引な条項も仕方がありません。

「認可企業」の出現

一方、ミネラルウォーターのペットボトルをつくる企業はどうでしょうか。市場競争のもと、これまで苦しい企業努力の末にやっと120円の価格で売り出していた企業ですが、これを10円や30円に下げられてはたまりません。採算がまったく採れませんから、すぐに生産をやめてこの産業から撤退が相次ぐことでしょう。

しかし、ミネラルウォーターの生産が止まってしまっては政府が困りますから、政府は公的企業を設立してペットボトルのミネラルウォーターを生産させたり、政府のおめがねにかなう私的企業に補助金を大量投入して生産を委託することにします。前者は「公立認可企業」、後者は「私立認可企業」と呼ばれています。

しかし、こうした企業は、これまで市場経済で競争をしていた民間企業と異なり、明らかに効率性に劣る経営をします。何しろ、大量の待機者がいるわけですから、つくるそばから飛ぶように売れますので、企業努力をする必要がありません。

また、お客よりも、割当を決める役所ばかりをみて活動をしますから、当然、おいしかった水の質も落ちてきます。しかし、それでも10円、30円の安さですから、消費者もありがたく、文句がいえません。

高コスト構造の生成

公的認可企業の方は、公務員として給与もすでに高いのですが、さらに、公務員とは別の形態の独立王国ですからガバナンスも緩く、お手盛りで職階(係長、課長、部長などのランク)を上げるなど、どんどん給料を高めてゆきます。

また、既得権益を守るための組合活動も強固なものとなり、人員数を最低基準より増やして、一人当たりの労働時間を短くし、休日出勤も残業もしない、しかも、福利厚生は手厚いという「ぬるま湯状態」になってゆきます。私的認可企業も、補助金漬けの上、経営努力無視で客はいくらでもくるという状態ですから、だんだんと非効率で高コスト構造に変わってゆきます。

こうしたなか、本来、1本あたり120円で生産されていたペットボトルの水も、直ぐに200円、300円のコストがかかるようになってしまいました。消費者は10円、30円で買っていますから文句をいいませんが、じつは、その裏で1本あたりの販売単価の何十倍もの赤字が発生し、これはすべて税金で穴埋めされています。

しかし、消費者が関心をもっているのは購入価格ですから、じつは、その何倍もの税金を徴収されていることに、なかなか気づきません。

はりめぐらされる規制

このような高コスト構造がひとたびできあがると、政府も、このような企業をたくさん増やして供給増を行うためには、大量の公費を投入しなければなりません。財政難の折、政府にはそのような公費の余裕はありませんから、口先だけは、「待機者問題を解決する」と勇ましい方針を立てますが、その裏では、さまざまな参入規制をつくって、新たな企業が参入することを拒みます。

株式会社は配当を許さない、事業所を拡大するための投資に利潤を使うことは許さない、企業会計以外にミネラルウォーター生産企業用の会計基準を適用するなど、企業行動を無視した規制がつくられます。

また、すでに設立できている公立・私立認可企業も、既得権益を守るために必死の政治活動(ロビイング)です。ときには、安く購入できてありがたがっている消費者も抱きこんで、「自由化・民営化などとんでもない」と署名活動にも余念がありません。

このため待機者問題はますます深刻化してゆき、とうとう、割当がまてない人もでてきます。そのような人びとは、安全性の低い劣悪な業者がつくるミネラルウォーターを買わざるをえない人もでてきます。こうした水を飲んだ消費者のなかには気の毒なことに死亡者もでてしまいました。しかし、こうした劣悪な業者には政府も補助金を投入していませんから、規制の対象ではなく、なかなか文句が言えません。

みるにみかねた先進的な自治体が、地方単独の予算を使って、民間業者にわずかながらも補助金をだし、質を担保した「認証企業」として生産に従事させることをはじめました。しかし、公立・私立認可企業が非常に安い価格で販売を行なって、「ダンピング」を行っているため、なかなかに経営は苦しい状態にあります。

水を所轄する官庁は、マスコミ批判をかわすために、水待機者の統計から、こうした認証企業から水を買った人びとを除くという操作をして非常に助かっています。しかし、業界団体に配慮してのことでしょうか、こうした先進的な自治体には、「地方が勝手にやっていることで、国としてはあずかり知らないことだ」と冷たい態度で無視しています。

効率的世界への回帰

以上が、低所得者への人気取り政策のために、ペットボトルのミネラルウォーターの価格を規制してしまったアジアのある不幸な国の物語です。

もともと、市場経済の下で、1円の税金も使わず、ペットボトルの水を買いたい人が買いたいだけ購入でき、企業も利潤をあげていたという効率的世界が、たったひとつ、低所得者に対する価格規制をはじめた途端、負の連鎖でさまざまな問題が生じ、しかも多額の税金を投入せざるを得なくなるという悪夢のような状況に変わってしまったのです。

それでは、この問題を解決するにはどうしたらよいのでしょうか。

それはもうお気づきのことと思いますが、じつに簡単なことで、元の市場価格に戻して、その後につくった法律(割当の要件、参入規制)を廃止することに尽きます。

つまり、市場メカニズムが機能するように、もとに戻して自由競争をさせることこそが最善の道なのです。ペットボトルの水の話ですと、本当にこの処方箋はご納得いただけると思います。

「直接補助方式」という解決策

いやいや、まだ問題が残っています。そうです。そもそも政治家が価格統制を言い出した低所得者対策をどうするかということです。

しかし、その答えも簡単で、もし、低所得者にミネラルウォーターを安く提供することが政策的に本当に必要であるならば、認可企業に公費補助金を投入するのではなく、直接、低所得者に水を購入するための補助金を渡せばよいのです。

低所得者が確実に水を購入することを担保するためには、ミネラルウォーター購入に充てることのできるクーポン券、つまり「水バウチャー」を政府が配ることがよいでしょう。

この方法であると、規制によって市場経済の機能を殺すことなく、低所得者対策ができます。また、低所得者ではない人に補助金を投入する必要はありませんから、これまでよりも公費投入額を格段に節約することができます。

まさに、これこそが、「直接補助方式」と呼ばれるものなのです。

「子ども・子育てシステム検討会議」の愚考

さて、ここまでの寓話で、賢明な読者はお気づきかと思いますが、これはじつはミネラルウォーターの話ではなく、日本の保育政策の話なのです。

ところで、現在、保育改革の議論を進めている民主党政権の「子ども・子育てシステム検討会議」が先日、子育て支援の改革案をまとめました(http://www8.cao.go.jp/shoushi/10motto/08kosodate/index.html)。

経済学的に考えて、待機児童問題を解決し、公費漬け・補助金漬けの高コスト体質の保育産業の問題を解決するために、一番重要な政策は、保育料価格の自由化です。

保育料の自由価格は、諸外国では当然のように行われていることですし、日本でも、幼稚園や無認可保育所(東京都の認証保育所を含む)では、すでに自然に行われていることです。

しかしながら、「子ども・子育てシステム検討会議」の改革案では、保育園の公定価格を維持すべきとしており、さらに、驚くべきことに、幼稚園の料金までも公定価格にして、価格統制を行うべきとしているのです。

わざわざ健全に行われている産業に、補助金を餌にして価格統制を行うとどうなるかは、まさに、上の寓話にみたとおりです。

保育問題解決のための一丁目一番地

「子ども・子育てシステム検討会議」については、マスコミもほとんど取り上げず、スルーされている状態ですが、「公定価格の維持・拡大」は大変危険な決断であり、いまからでも断固反対すべき政策であると思われます。

保育料価格の自由化こそが、保育問題解決のための一丁目一番地の政策であることを民主党は認識すべきでしょう。

保育業界団体が懸念する「価格の高騰?」が心配であれば、東京都の認証保育所のように上限、下限付の自由化にすればよいのです。また、幼稚園や幼保一元化施設(幼稚園と保育園の乗り合い施設)まで、この統制価格を広げるというのは、ほとんど正気の沙汰とは思われません。

推薦図書

子育て、貧困問題、年金、医療、介護、社会保障財政などのトピックスを取り上げている。本書の特徴は、これらの各分野で起きている諸問題を「経済学の視点」からとらえ、解説していることである。

現代の経済学は、社会問題・社会病理を解明し、解決するためのパワフルな分析道具を豊富に有する「実践的」学問分野であり、社会保障問題に対しても鋭い切れ味を発揮する。現に、欧米諸国では、社会保障分野で活躍する経済学者の割合はかなり高く、年金改革、医療制度改革、介護保険改革、貧困対策や少子化対策の立案にも、経済学を応用した改革案が数多く採用されている。市場の有無にかかわらず、経済学の処方箋は広範な分野で有効である。今月のエントリーで取り上げた保育問題についても、詳しく取り上げている。

プロフィール

鈴木亘経済学 / 社会保障論

学習院大学経済学部教授。1970年生まれ。上智大学経済学部卒。経済学博士(大阪大学)。主な著作に、『生活保護の経済分析』(共著、東京大学出版会、2007年、第51回日経・経済図書文化賞受賞)、『だまされないための年金・医療・介護入門』(東洋経済新報社、2008年、第9回日経BP・BizTech図書賞)等。

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