2012.02.29

生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会

荒井裕樹 日本近現代文学 / 障害者文化論

社会 #発達障害#障害者運動

障害者運動の「新規参入組」?

先日、1970~80年代の障害者運動を担った古老と、何気ない会話をしていたときのこと。障害者運動の「生き字引き」ともいわれる当の古老が、「精神」や「脳機能」の領域に障害を持つ人々を指して――話の流れでは、とくに「発達障害」(「自閉症」や「アスペルガー症候群」といった障害群)の人々のことが中心であった――「新規参入組」と称したことがあった。

たしかに「発達障害」という言葉が、一部の医療・福祉関係者だけでなく、市井の人々にも知られるようになったのは比較的最近のことである。わたしのそれほど広くはないアンテナにも、「発達障害」を持つ当事者や家族たちの活動が盛んな様子が仄聞される。今なお誤解と偏見の多いこの「障害」に関する啓発や、医療・福祉制度の整備を求める運動(この「障害」は福祉サービスの谷間におかれることも多い)など、その活躍は目覚ましい。

その意味では、40年前から福祉の充実を求めて闘ってきた人から見れば、たしかに「新規参入組」なのかもしれない。古老が発したこの言葉には、経済規模に比べて貧弱な福祉制度しかない日本社会のなかで、生き延びるために声をあげた「後輩」たちに対する真摯なエールが込められていたように思われるのだが、話の文脈から察するに、どうやらそれだけでもないようである。そこには「発達障害」という概念の難しさに対する、少なからぬ当惑も含まれていた。すなわち、この「障害」が「健全(健常)」との境界が画然とは分けられず、少なからずファジーな部分があることへの戸惑いである。

障害者運動がもっとも熱かったと言われる70~80年代。運動の現場では「障害者」と「健全者(健常者)」という区別は絶対的なものであった。あるいは絶対的なものとして、誰もが信じていた。当時一世を風靡した「日本脳性マヒ者協会青い芝の会」などは、その典型であっただろう。「障害者」が「健全者」の差別性を糾弾する一方、「健全者」がその糾弾を受け入れたり反発したりしながら「障害者」の介助に汗と涙を流す……。両者が酒精薫る古アパートの一室で、文字通り取っ組み合いながら「障害者解放」を夜な夜な議論したというのが、古き良き(かどうかは分からないが……)時代を象徴する一コマであった。

しかしながら、現在の感覚では「健全者(健常者)」という言葉に違和感を覚える人も多いのではないだろうか。実際、この言葉は必ずしも自明な用語ではなくなってきている。とくに「発達障害」などの領域では、「障害」と「健全(健常)」の境界線は、つい立を隔てたような二項対立の関係ではなく、むしろ「多くの人々が普通にできていることができないこと」の度合いの差であり、両者は連続体として捉えられる。「うつ病」や「人格障害」といった精神領域でも同様の考え方をする場合があるのだが、「うつ病」が国民の「5大疾患」に組み入れられたことなども考えると、そもそも完全な意味で「健全(健常)」な者など、この社会のなかにいないと考えた方がよいかもしれない。

「障害」と「生きにくさ」

それにしても、「発達障害」という概念は正直難しい。たとえば一口に「自閉症」といっても、知的な障害を伴いコミュニケーションが難しい場合もあれば、知的な障害を伴わず、基本的なコミュニケーションにも大きな支障はない「高機能自閉症」と呼ばれる場合もある。この言葉が包括する範囲は非常に広く、また多様であるが、概して「発達障害」を持つ人は人間関係に悩まされることが多いようである(当人が人間関係の葛藤に気がつかないこともあるし、あるいは葛藤に気付けないことを「障害」とされることもあるので、この表現も正確ではないのかもしれない)。

親でさえわが子の「障害」に気付かず、「育て方の間違い」や「愛情不足」が原因の「ワガママ」「社会性の欠如」ではないかと悩むことも少なくない。あるいは本人も自身の「障害」を認識できず、学校・職場・地域などの人付き合いに困難を感じながら、それを上手く表現できない場合もある。医師から「発達障害」の診断を得て、はじめて自分の「生きにくさ」の原因が分かり、むしろすっきりした気分を味わう人もいる。

本人でも自身の「障害」を認識できないのであれば、それだけ「障害」が軽度であり、当人が感じている「生きにくさ」も軽微なのではないかと考えてしまいそうだが、必ずしもそうとは言えないようである。たとえば「曖昧な言い回し」や「場の文脈」を解読することができなかったり、相手の感情を推し量ることが苦手であったり、あるいは興味のあることとないことが両極端に振れたり、自分の感情を内省して上手に表現することができなかったりするために、「空気が読めない」「自分勝手」「ルールを守れない」と見なされることも多く、大変なストレスを感じている人も多い。

そもそも「障害」の種別や程度に関わらず、人間が直面する「生きにくさ」は、当人を取り巻く人間関係や社会的環境に左右される。「障害」の種別・程度と「生きにくさ」は、必ずしも正確な相関関係を持っているわけはない。傍から見れば比較的軽微な「障害」を持っていても、そのじつ、大変な「生きにくさ」を抱える人も多ければ、逆にそれなりに重い「障害」を持っていても、それを一つのパーソナリティとして肯定的に受け入れて、充実した日々を送る人だって決して少なくない。

包容力と寛容さを失っていく社会

「発達障害」の当事者たちが活動を広げ、社会の関心事として認知され始めたからといって、ある特定の医学的・身体的な機能障害を有する人々の人口比率が増えてきたというわけでは必ずしもないのだろう。医療の専門家でないわたしにはあまり立ち入った判断はしかねるのだが、ただ「発達障害」に関しては、むしろ社会的な要因の方が大きく関わっているように思われる。

おそらく、同様のパーソナリティの「偏り」を持った人々は昔からいたはずであるが、その「偏り」が「障害」として認定されていなかった(認定される必要性がなかった)と考える方がよいのだろう。ある時代におけるある社会のなかで、「普通」「標準的」と言われるモデルケースから逸れるパーソナリティを有した人物を、社会がどれだけ受け止められるかという「社会の許容力」によって、「障害」の境界線も決定されるということである。(ちなみに学校カウンセラーとして豊かな経験を持つ岩宮恵子は、従来のような悩み葛藤しつつ成長する「内面」「主体」というイメージでは捉えられない(理解し切れない)意識のありようが、「発達障害」と括られている可能性について指摘していて大変興味深い。『フツーの子の思春期――心理療法の現場から』岩波書店、2009年、191頁)。

かつては「個性的」「ユニーク」「変わり者」と言われながらも、周囲の助けを借りながら、それなりに共同体に打ち溶けながらやっていけたようなパーソナリティの在り方が、現在の閉塞的な社会状況のなかでは居場所がなくなり、医療や福祉の特別なケアを必要とするようになったと考えた方がよいのかもしれない。

「多様性の尊重」「多角的価値観の養成」「個性の伸長」をキーワードとして掲げる現代社会は、また一方で、モデルケースから逸れるパーソナリティに対しては意外に非寛容的である。「多様性」や「個性」といったものも、現実的には、「普通」で「標準的」な価値観やふるまいを前提とした上でのオプションとしてのみ許容される。「発達障害」の子を持つ親は、わが子が「普通の子」と違うことに気苦労を味わうが、それは決して「考え過ぎ」や「マイナス思考」などではなく、現にこの社会では、「普通の子」と異なることに多くのプレッシャー(文字通り「圧力」)がかけられているということであろう。「発達障害」が注目されることは、みなが余裕をなくし他者への包容力と寛容さを失っていく社会状況と、どこかでリンクしているように思えてならない。

「生きやすさ」のカケラ

じつは、本稿の目的は「発達障害」自体について解説することではないし、残念ながらわたし自身にもそれだけの見識はない。むしろここで考えたいことは、この言葉から見えてくる社会の非寛容化の方にある。

「発達障害」という言葉が人口に膾炙するようになってから、自身が直面している「生きにくさ」を言い表すために、この医学的にも難解な「障害」の名称を用いて説明しようとする人々が(とくに若い世代の中に)現れつつあるように思われる。

似たようなこととしては、かつて精神医療の関係者だけが用いていた「PTSD」や「トラウマ」といった言葉が日常語となったことがあげられるだろう。この言葉はメディアでもほとんど注釈なしに使用されるし、日常会話のなかにも登場する。あまりにも日常語化することで、専門用語としての厳密さや深刻さが損なわれてしまうというデメリットもあるのだろうが、ここではそのデメリットに目くじらを立てるよりも、それだけ自身の心の痛みや苦しみを表現する言葉を探し求める人が多いという、言葉への潜在的な需要のほうに注目しておきたい。かくも難解な専門用語が人々の日常語の感覚に沁みわたったということは、それだけこの社会が心をすり減らす、ざらついた世界であるということなのだろう。

「発達障害」という言葉も、少しずつではあるが、人々の日常語の感覚に沁みつつある。というのは、専門医から診断を下されたわけではないにも関わらず、この「障害」名を用いて、自身の「苦手なこと」「できないこと」を理解しようとする傾向に、(決して頻繁にではないが)出会うことがあるからである。他人とそつなく無難に会話したり、集団のなかで波風を立てないようにふるまったり、あるいは慣れない新しい人間関係の扉を開くといった、コミュニケーションに関わる事柄で苦手意識があり、大変なストレスを感じている人が、自分は「発達障害」(やそれに類する「障害」)の傾向があるのではないかというのである。この「障害」が「健全(健常)」との境界がファジーなこともあって、ある種の「親近感」のようなものを感じているのかもしれないが、そこには(「PTSD」や「トラウマ」の場合と同様)「できないこと」の苦しさを言い表す言葉への潜在的な需要があるようにも思われる。

興味深いのは、「自分には何らかの「障害」があるのではないか」という思いが、決してその「障害」に対する不安感から発せられているわけではなく、苦手意識や「できないこと」の理由を説明するために発せられている点である。むしろ「障害」を意識することで安堵感を得ようとしている節もある。かつては「生きにくさ」の象徴として考えられていた「障害」というものが、少しでも「生きやすさ」のカケラを得るために求められるという事態が出現しているようにも思われるのだが、その背景には、「できないこと」を致命的なデメリットとする現代社会の非寛容化が潜在しているのかもしれない。

「できないこと」を許さない社会

「障害」が何らかの「いいわけ」として安易に使用されることに、当然ながら抵抗感を覚える人もいるだろう。だが、やはりここでも、そのこと自体に目くじらを立てるのではなく、そのような需要が生じる背景の方に目を向けておきたい。

最近、ふとした拍子に、この社会は“「できないこと」を許さない社会”なのではないかと考えさせられるときがある。この社会の風潮が、上記の背景の全部ではないにしても、ある一部分には関わっているようにも思われる。最近の若者はすぐに「できません」と言うことを非難する向きもあろうが、しかしながらその「できません」は、より深刻な「できないこと」への予防線を張りたいという防御反応であろうし、そもそも「できません」と言うことが非難される風潮自体が、「できないこと」に対する非寛容化の表われなのだろう。

たとえば、この就職超氷河期時代。会社説明会や面接の場で「即戦力」であることを求められ、意気消沈する学生をしばしば目にすることがある。本来、私企業の「戦力」とは、自社の理念に沿って時間をかけて育成するものであろう。リクルートスーツも着慣れない若者に「戦力」たらんことを求めるのは、自社に人材育成する余裕がないことを打ち明けるようなもので本当は恥ずべきことなのだろうが、それでも世間は企業の論理に軍配を上げ、学生は気の毒なほど肩を落とす。つまり、学生が「できないこと」に非があるとされてしまう。

あるいは教育現場においても「できないこと」への風当たりは強い。教員の休職率の高まりが問題視されて久しいが、休職理由の多くは「うつ」をはじめとした「精神疾患」である。ベテラン教員が業務の多忙化に加え、生徒・保護者のニーズの複雑化に従来の経験が通用せず適応できない場合が多いようであるが、新卒・新採の教員が1~2年で挫折する事例も決して少なくはない。

3月に卒業した学生が4月から教壇に立ち、晴れて「先生」となるのだが、最近では学級運営についての基本を学ぶ時間的な余裕もなく、新任1年目からクラス担任を任されるということも珍しいことではない。そして右も左もわからない新人教員に対しても、求められることは経験のある教員と変わらず、新人だからといって「できないこと」が許容されるわけではない。

また近年では、「専任教員」と「非常勤講師」の間にあたる「契約専任」という立場の教員も増えている。業務内容は「専任教員」と変わらないものの、数年間の契約期間内しか身分を保障されないという弱い立場に置かれている。しかしながら、弱い立場にありつつも求められることは一般の教員と変わらない。立場が弱いゆえに何かが「できないこと」は許されない。

あちこちの大学で「グローバル時代のリーダーを育てる」ことが目指され、一杯200円程度のコーヒーショップのアルバイト定員にも完璧な接客マナーが期待される昨今。わたし自身の個人的な感覚にもとづいて言わせてもらえば、社会が人に対して求める「できること」のハードルは確実に高くなっている。

社会を「生き延びる」ための一つの技術

誤解を招かぬよう付言しておけば、ここで言いたいことは、「できないこと」が多い人々が増えたということではない。むしろ、ある人物が何か「できないこと」を抱えていた場合、その理由や事情を忖度して、場合によっては「仕方のないこと」「時間をかけて少しずつやっていけばよいこと」として許容したり励ましたりするのではなく、理由や事情を問わず「できないこと」自体が排斥・非難される風潮があり、そのことを敏感に(あるいは薄々と)察知している人々が増えているのではないか、ということである。

「できないこと」が致命的なデメリットとされ、非寛容的に遇される社会では、何かが「できないこと」への理由をどこかに求めるという心理が生じたとしても、故ないことではない。他人とのコミュニケーションに関して「普通」にやりこなすことができず、ストレスを感じる人々が、それをある種の「障害」として受け入れ、自身の中で納得しようとする心理の背景には、この社会の非寛容化がどこかで関わっているのではないか。

ある種の「生きにくさ」を抱えた人が、その原因を「障害」という言葉で説明しようとすることが果していいことなのかどうか、判断するのは難しい。一方では、安易に医学用語を借用し、自分自身の言葉を駆使して「内面」の葛藤と向き合わない姿勢に抵抗感を覚える人もいるだろう。わたしたちの日常が「医療」や「医学」に浸食され、自分自身の言葉で考える習慣が失われつつあるのだとしたら、たしかにそれは懸念すべき事態だろう。

しかし他方では、苦しむ人が難解な医学用語を自分なりに噛みくだきつつ、したたかに吸収しているのだとも言えるのかもしれない。個人的には、自分にとっての「できないこと」を自覚しつつ生きることは必要だと思っている。場合によっては、「障害」という指標を借用することも、やぶさかではない。その際、「自分には何ができて、何ができないのか」「誰に、どれだけの助けを借りれば何とかなるのか」について振り返ることができるならば、「できないこと」を自覚することは、他者との関係性を紡ぎ出す新たなチャンスにさえなるのではないか。

心に渦巻く漠然とした苦しさを整理し、「できること」と「できないこと」のキャパシティを自覚しながら生きていくための指標として、自分のなかに「障害」を見出すことは、この閉塞的で非寛容的な社会を「生き延びる」ための一つの技術なのかもしれない。

プロフィール

荒井裕樹日本近現代文学 / 障害者文化論

2009年、東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科特任研究員を経て、現在は二松学舎大学文学部専任講師。東京精神科病院協会「心のアート展」実行委員会特別委員。専門は障害者文化論。著書『障害と文学』(現代書館)、『隔離の文学』(書肆アルス)、『生きていく絵』(亜紀書房)。

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