2015.05.29

マルクスによる自由論の「美しい」解決

松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

経済 #自由論#マルクス

前回から、カール・マルクスの思想を検討しています。

私たちは、リバタリアンの自由論を自己矛盾のないように徹底した結果、本能や欲求や情動や肉体などとしての「生身の個人」を主人公とする自由概念に到達しました。その「生身の個人」の望みが、人間の「考え方」──理性、計画、法令、慣習、ルール、評価、価値観等々のあり方──のせいで妨げられることを、「自由の侵害」とみなすべきだということになりました。

前回確認したのは、この立場は、マルクスが、先行するヘーゲル左派哲学やアナーキズム思想から引き継いだ立場にほかならないということでした。特に、ヘーゲル左派のフォイエルバッハは、生身の感性的な人間を主人公とみなしたうえで、社会的な「考え方」(フォイエルバッハのとりあげたケースでは「神」)が、その主人公の自由にならない外的なものになって、かえって生身の人間を抑圧してくることをもって、「疎外だ」と言って批判しました。その「疎外論」のものの見方は、マルクスの全著作に貫く根本的な図式になっています。

しかし、「生身の個人」の望むことどうしが矛盾しあったらどうすればいいのでしょうか。互いの生身の実感が理解しあえなかったら、どのように折り合いをつければいいのでしょうか。結局、「生身の個人」を主人公とする自由なんて、万人に等しく実現することなど不可能なのでしょうか。

今回は、マルクスがこの「難問」をどのように解決していたのかを見ます。

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

分断されていると媒介者が君臨する

マルクスとエンゲルスは、前回見たようなフォイエルバッハやプルードンの立場を引き継いでいるとは言え、フォイエルバッハやプルードンと決別したこともまた、ソ連公式解釈に指摘されるまでもなく、たしかに事実です。そしてそれには、もちろん理由があります。

それは、なぜフォイエルバッハの言う疎外が起こるのかということにかかわります。前回もお見せした、マルクスの対語の表を再掲してみます。

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この表の、A系列がB系列から遊離して君臨してしまうのはどうしてでしょうか。この表の例の多くでわかるように、A系列の概念は、対になっているB系列の概念のいろいろなものの間を取り持って調整する役割をしていることがわかります。

一番わかりやすいのは、A系列「貨幣」、B系列「諸商品」の対で、これは説明不要でしょう。A系列「抽象的人間労働」、B系列「具体的有用労働」というのも、これと関係のある同じような話で、違う種類の商品をそれぞれ作っている違う種類の労働が、共通の抽象的な人間労働一般に還元されて相手商品に投影されることで交換されるというわけです。

「資本家の専制指揮/マニュファクチュア労働者」の対の場合、B系列の「マニュファクチュア労働者」というのは、工場制手工業の熟練職人です。同じ工場の中で分業が発達して、それぞれの職人が特定の仕事に閉じ込められてしまう。それを媒介して工場全体を仕切るのがA系列の「資本家の専制的な指揮」だというわけです。

一番下の「国家/市民社会」の対では、B系列の「市民社会」の中で互いに利己を追って競争しあうブルジョワジーを、上から仕切って全体の利益のための調整をつけるのがA系列の「国家」だという図式になります。

他の行の対の多くも同様に説明できます。つまり、生活と労働の現場にいる生身の諸個人どうしは、一人で自給自足しているわけではなくて、互いに依存しあっている。社会全体でのかかわり合いの中でお互いの暮らしを作りあっているわけです。

にもかかわらず、B系列にあげたケースでは、こうした諸個人があれこれ特定の分野にしかあてはまらない存在になって、依存関係全体を自分たち自身であらかじめ調整できないようになってしまっています。それゆえ、依存関係全体を調整するための「考え方」が、生身の人間の外に遊離して、全体的なことを有無を言わせず押し付けるほかないことになります。

つまり、諸個人が依存関係でつながりあっているにもかかわらず、お互いバラバラになって示し合わせがつかないことが、疎外が起こる原因だということになります。

『ドイツ・イデオロギー』では、「分業」が疎外の原因であるとされています。(注1)「分業」というのは、単なる仕事の分担ではなくて、特定の専門分野に固定化されてしまうことですが、後年の『資本論』でも、社会にとっての分業のメリットは、あくまで単純な協業のメリットからくるのであって、分業そのものはネガティブなものだと評価されています。(注2)

(注1)例えば、『マルクス=エンゲルス全集』(以下MEW), Bd. 3, s. 75, 540. 田上孝一「マルクスの人間観──「全体的存在」としての人間」(田上孝一、黒木朋興、助川幸逸郎編著『〈人間〉の系譜学──近代的人間像の現在と未来──』東海大学出版会、2008年、第5章)でも、この点が詳しく文献考証され、分業の克服がマルクスの未来社会展望のキーがあることが論証されている。

(注2)『資本論』からの詳しい引用については、拙稿「未来社会の条件としての不本的人間の形成」、基礎経済科学研究所編『未来社会を展望する──甦るマルクス』(大月書店、2010年)、42-47ページに載せたので参照のこと。

専制政治が成り立つのも媒介者だから

先ほどの表以外の例で、マルクスやエンゲルスのこの理屈がわかりやすいケースには、絶対王政や、ボナパルティズムや、古代オリエントの専制君主制を説明した議論があります。

絶対王政というのは、18世紀あたりのヨーロッパの絶対権力を持った王様の支配のことですが、これは、古い封建領主の力が衰え、新しくのし上がってきたブルジョワジー(実業家)の力が強くなって、この二つが勢力拮抗したときに、両者を媒介するものとして君臨したのだとされています。(注)

(注)例えば、エンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』MEW, Bd. 21, s. 167.

ボナパルティズムとは、19世紀半ばのナポレオン3世の独裁のことですが、これは、資本家階級の力がまだ盤石ではないのに、労働者階級の力が強くなって両勢力が拮抗し、さらに互いに連絡のないバラバラな小自営農民が全国に膨大に散らばっているときに、これらを媒介したものとして説明されています。(注)

(注)同上。マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』MEW, Bd. 8, s.194-198.

古代エジプト等の大河文明の専制君主の支配の根拠は、互いにバラバラで、ときには言葉も風習も違う、小宇宙のような小さな共同体に人々が閉じ込められて暮らしている時代に、大河の灌漑という、それらの小共同体を超えた広い動員を組織するために出現したものとされています。(注)

(注)拙著『近代の復権』75ページ、注48に出典指示。

マルクスの知らない日本の歴史で似た例を探せば、平安時代末期に、それまで有力公家の合議で政治が執られていたのに、それに替わって、引退した天皇が専制君主となって天下を治める「院政」という政治体制が出現しました。これも、没落する公家階級と、のし上がって力をつけてきた武士階級の勢力が拮抗したので、両者のバランスの上に立って君臨することができた権力だということが言えます。

いずれも、依存関係でつながりあった人々の間で分断があるとき、それを媒介するために、依存関係全体を司る「考え方」は、人々の自由にならず、外から一方的に押し付けられるものになる──このような、疎外発生の原因論で説明されます。

「苦しんでいるから」では次の社会の主人公になる根拠にならない

では疎外をなくすにはどうすればいいのか。すなわち、生身の個々人の望むことが、「考え方」によって妨げられることなく、自由であることが、どのようにしたら万人に等しく実現できるのでしょうか。

疎外の原因についての上の説明を思い出せば、答えはすぐ出ます。依存関係につながりあった人々が、互いに特定の分野にだけとじこめられることなく、依存関係を直接調整しあえるようになることです。しかし、依存関係の広がりが地球的規模になり、数えきれない人々がその中に巻き込まれているとき、そんなことは可能なのでしょうか。

これに対する答えこそが、マルクスやエンゲルスにとって、フォイエルバッハやアナーキストからの大きな飛躍だったのだと思います。

マルクスと言えば、資本主義から社会主義に世の中が変わると予言しただけでなく、その変革の担い手は労働者階級だと名指ししたことは、誰でもご存知のことと思います。雇われて賃金をもらって働く人たちのことですね。しかしどうして労働者が社会を変える主人公になると言えるのでしょうか。「資本主義のもとで搾取されて苦しんでいるから」と言われれば、なるほど昔はそう言われて納得した人もいたんだろうなと思います。

こういう理解だったから、ひところのように、雇われて働く人がみんなある程度豊かになったら、先進国の労働者に絶望しちゃって、社会を変える担い手は、虐げられたマイノリティだとか、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの被抑圧民族だとか、「サバルタン」だとかと言い出す人が出たり、そうかと思うと、不況が続いてまたぞろ貧困やブラック企業で苦しむ人が増えたら、「チャ〜ンス♥」と不謹慎に微笑んだりする人がでるのも当然の成り行きでしょう。

しかしですよ。これまで起こった社会変革の例を思い返して下さい。

マルクスの唯物史観の周知の「公式」では、古代奴隷制の社会はやがて発展のすえ封建社会にとって替わられ、封建社会はやがて発展のすえ資本主義社会にとって替わられることになっていました。

さて、奴隷制社会には被支配階級として、奴隷主による搾取と抑圧に苦しむ奴隷がいました。では、奴隷制を倒して次の封建社会を作った主人公は奴隷だったでしょうか。封建制社会には被支配階級として、領主階級による搾取と抑圧に苦しむ農奴がいました。では、封建制を倒して次の資本主義社会を作った主人公は農奴だったでしょうか。

そうではなかったですね。奴隷制を倒して封建制を作ったのは、奴隷制自体を構成する階級のどれでもなくて、次の封建制の萌芽を担っていた新興の地主階級でした。封建制を倒して資本主義を作ったのは、封建制自体を構成する階級のどれでもなくて、次の資本主義の萌芽を担っていた新興のブルジョワ階級(商工業実業家)でした。

そうだとすると、「資本主義のもとで搾取されて苦しんでいるから」というだけでは、労働者が資本主義を次の社会に変える変革の主人公になるという根拠にはなりませんよね。奴隷制や封建制のパターンにすなおに則るならば、資本主義を変えるのは、資本主義を構成する資本家でも労働者でもどちらでもなくて、資本主義の中に芽生える次の社会の萌芽を担う新しい階級だということになりはしませんか。どうしてそうならないのでしょうか。

あくまで労働者階級を変革の主人公に指名するのであれば、労働者は、古代の奴隷や封建制下の農奴とは違う、何か特別の性質を持っていると言えなければなりません。しかも、資本主義を倒して次にくるのが、新手の階級社会ではなくて、今度こそ階級のない社会、つまり人が人を支配することのない社会であると言えるためには、資本主義の社会システムが、奴隷制や封建制にはない、何か特別の性質を持っていると言えなければなりません。

近代ブルジョワ社会では「モノ」が人間を支配する

そしてたしかにマルクスやエンゲルスは、近代の資本主義の社会システムは、前近代の奴隷制や封建制とは決定的に異なる社会システムなのだとみなしていて、前近代から近代資本主義の社会システムへの転換に、人類史の大きな進歩を見ていたのです(注)。

(注)以下の前近代と近代の対比については、拙著『近代の復権』23-27ページ、40-43ページ、47-51ページ、58-62ページで典拠を紹介している。

前近代の封建社会にせよ奴隷制にせよ、王侯貴族が庶民を支配する階級社会です。つまり、泥臭い現場で生きている「生身の個々人」を、高貴な殿上人の「考え方」を押し付けることで調整する、「疎外」のシステムです。しかし、その支配は支配者の力に応じた人格に結びついていて、気ままで理不尽な暴虐もあったかもしれませんが、人間的な融通も効きました。要するに、ヒトとヒトとの支配従属関係ということです。

ところが近代ブルジョワ社会のシステムはそうではありません。ここでも、現場で生活し労働する「生身の個々人」から、全体を調整する「考え方」が遊離して有無を言わせず支配してくる、「疎外」の図式が成り立ちます。しかし、今度はこの「考え方」というのは、特定の人間に結びついていません。「貨幣」のように、あたかも「モノ」の性質として現われてきます。

市場メカニズムもそうです。やはり誰か特定の人の意図で左右されるわけではありません。まるで「モノ」です。「法」もそうで、一番基本的には、議会や国民投票でも動かせない、あたかも客観物のような不文のルールがあると見るのが、近代法治主義の大原則になります。やはり、まるで「モノ」です。

このように、近代ブルジョワ社会では、「モノ」が人間の外に一人立ちし、「生身の個々人」を縛り、コントロールしてくるのです。これが、いわゆる「物象化」です。

「物象化」と言えば、日本では、廣松渉(1933-1994)という哲学者の議論がとても有名になってしまっています。団塊の世代の人たちが、急進的な学生運動をやっていた頃に大変受けていた人です。難渋を極める文章で、いったい何人理解できていたのかわかりませんが(笑)。

廣松は、マルクスは「疎外論」を捨てて「物象化論」に変ったのだと主張しました。しかし廣松がやったことは、前近代、近代かかわらず、私がここで「疎外」と呼んだ構図すべてを「物象化」と呼び直し、それが「よくないこと」だという批判的な価値評価を消し去ったもののように思います。つまり、個々人が「モノ」に縛られるのは当然というお話になってしまっています(注)。

(注)以下の廣松評については、詳しくは、拙稿「疎外論の問題意識と「物象化」論──廣松渉は何を誤読したのか」(『産業経済研究』第44巻第1号、2003年)を参照のこと。詳細な引用は注で行っている。以下よりダウンロードできる。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006424862

この見方が困るのは、「唯物論」とか「唯物史観」とかいうときの「物」と、「物象化」の「モノ」との混同が起こっていることです。

「唯物論」とか「唯物史観」とかいうときの「唯物」の「物」は、暮らしや生産手段を再生産している「ヒトとヒトとの依存関係」の事情のことです。本物の「物体」、本物の「肉体」の事情のことです。個々人がその中で生きている以上、その連関に規定されるのは当然です。それと、物象化で「モノ」が個人を縛ってしまう話とは全然違うのです。

物象化の「モノ」は「物」のように見えて実は「物」ではなく、正体は人間の「思い込み」「観念」です。「モノ」は、真の「物」である暮らしや生産手段の再生産の条件から遊離してズレていってしまいますので、「モノ」に個々人が縛られるせいで、個々人の暮らしの再生産がかえって困難に陥ってしまうのです。

例えば、「恐慌」「流通過程」「信用」等々といった「モノ」が人の手を離れて自動的に暴走する様を考えてみて下さい。たくさんの失業者が飢えたり、人が必要としない物を大量に作ったり等々と、暮らしや生産手段の再生産の条件が壊されます。それを批判的に評価してこそのマルクス経済学であるはずです。

そして、究極的にはそのズレは続かず、結局は暮らしや生産手段の再生産を持続できるように「モノ」は引き戻されると見るのが、真に唯物論的な見方なのです。廣松のように「モノ」に人間が縛られるのは当然と是認するのは、唯物論とは正反対の態度だと思います。

廣松の言葉の使い方がもう一つ困るのは、前近代的なものも近代的なものも区別せずに「物象化」と言っているので、マルクスが近代ブルジョワ社会に見出した決定的な進歩がつかめなくなっていることです。明らかにマルクスは、近代ブルジョワ社会特有の疎外を指して「物象化」と呼んでいると思います。

前近代の疎外と違うその特徴は、力ある人格の「胸三寸」が効かないこと、「えこひいき」が効かないこと、それゆえすべての人に、「杓子定規」ではあるけれども、わけへだてのない影響を与えることです。「モノ」が支配するのですからね。人為が効きません。百円出す人は、身分、人格、民族にかかわらず、百円のものが買えるというのが近代ブルジョワ社会の原則というわけです。

どんな人為でも左右できないのですから、これは疎外の究極形です。しかし、マルクスはここに人類史の大きな進歩を見ていたのです。以下では、それがなぜかを考えてみましょう。

ピンときたかたがいらっしゃると思いますが、これは、この連載のテーマであった「転換X」と同じです。前近代のシステムから近代ブルジョワ社会のシステムへの転換というのは、すなわち、村や血縁の共同体という固定的人間関係がメジャーであったシステムから、市場という流動的人間関係がメジャーなシステムへの転換だったわけです。それゆえそれに合わせて、身分や地域や血縁や人格や民族等々にかかわらない一律の原理に人間が支配されるようになったわけです。要するに、「普遍」の支配ということです。

分業の解消と普遍的労働者

このことは、人々の人格それ自体の普遍化をもたらします。

とりわけてマルクスやエンゲルスが着目したのが、機械制大工業だったと思います。『資本論』では、マニュファクチュア(工場制手工業)の話に続いて、機械制大工業が論じられています(注)。

(注)以下の議論は、前掲拙稿「未来社会の条件としての不本的人間の形成」(『未来社会を展望する』)において、『資本論』からの引用を詳しく掲げている。

マニュファクチュアでは分業が発達して、手工業労働者がそれぞれ特定の部分に閉じ込められてしまい、それを媒介するために資本家の専制的な工場指揮がどうしても発生してしまうと言います。ところが機械制大工業は熟練の技を不要なものにして、みんな単純労働者にしてしまいます。

このことは、たしかに資本主義的な使い方をするかぎり、労働者にひどい苦難を押し付けることになりますが、しかし究極的には、分業を克服して、どんな仕事でもできる労働者を作り出すのだと言います。エンゲルスも、資本主義自体が産業上の都合のために分業をなくしていくのだと言いました(注)。

(注)青年期の『共産主義の原理』でも(MEW, Bd. 4, s. 370, 376)、円熟期の『反デューリング論』でも(MEW, Bd. 20, s. 274)述べている。

ここでイメージしていただきたいのは、19世紀半ばの「世界の工場」イギリスです。機械化がまず発展したのは綿工業を中心とした繊維産業です。そこでの労働力の主力は女性や子どもでした。それまでの男性熟練工はどんどん要らなくなってクビにされていったのです。

そんな産業がイギリスの中核産業になって、世界を席巻していきました。そこで働く労働者たちは大都市のスラムなどに寄せ集まって、ギリギリの生活を強いられていました。そしてそのような光景が、ヨーロッパ大陸にも次第に広がっていったわけです。

マルクスの描く当時の労働者たちは、産業の栄枯盛衰や資本家側の都合に合わせて、しょっちゅうクビになっては、いろいろな部門を経験しました。子どもも、どんな部門でも仕事ができるようにいろいろな職業教育をされます。だからどんな部門の仕事の事情もわかるようになるというわけです。

しかも、イギリス産の大量生産品が世界にあふれ、世界市場の網の中で消費生活がみんな同じになっていきます。ギリギリ生きている暮らしですので、そもそも文化的な特色のある暮らしなどする余裕はないでしょう。

そうすると、当時出現した単純労働者階級というのは、いろいろな部門の仕事が理解でき、みんな同じような生活をしている人々──個人個人の人格自体が普遍的な人たち!──ということになります。いわば、互いの境遇が直接実感できるわけです。それゆえ彼らは社会変革の主人公に名指しされたわけです。社会的依存関係につながれた個人個人が、直接に合意して、自分たち自身でその社会的依存関係を調整できることになりますから。

すなわち、疎外をなくしてもやっていけるということです。資本主義の機械化で労働者が素寒貧の均質な存在にされたことについてのマルクスたちの指摘は、「資本主義はひどい」という告発の意味だけではなくて、それによって未来の共同社会を作ることができる人格が作られたという積極面の指摘でもあったわけです(注)。

(注)大工業による分業の克服が社会主義実現の条件を作るというマルクスの論点を強調した議論には、中野雄策『経済学と社会主義』(新評論、1987年)がある。

だから冒頭の「難問」は、実にきれいに簡単に解けてしまうことがわかります。生身の個々人の実感どうしの対立など、本当にズブズブに本能的なものなら、いくらでも調整可能じゃないですか。本当に調整できない対立って、文化的プライドとかこだわりとかがあって、みんな共通の生物学的実感からは理解しあえなくなっているときに起こるものでしょう。

その種のお互いの差異が、資本主義の力できれいさっぱり消し去られちゃったのが、マルクスが「近代プロレタリアート」と呼んだ単純労働者だったのだと思います。「ガーッ」と資本主義ミキサーにかけられちゃって均質にされた存在ってわけです。

そうしたらもうあとの調整は簡単。機械化で労働が標準化されて、同質のものになっていますので、各自24時間の時間なり、10時間の労働時間なりが平等に与えられているならば、お互いのニーズに合わせて、お互いに等しい労働量どうしを提供しあうようにすればよい。

つまり、各自自分が提供する労働と同じ労働が生産にかかるものを好きに選んで受け取り、しかもこれを全員について集計したニーズに応じて適切に総労働が配分されているようにすれば、誰からも文句のつかないつじつまのあった再生産の状態になっています。

社会で共同しているのに、あたかも「大草原の小さな家」と同じになります。しかも、みんな同じ労働をしているので、工場内部の運営も、簡単に合意でまわせます。

そうすると、社会共同の理性は「生身の個々人」の実感に基づいて納得づくで作られるし、その共同の理性に基づいて働いて自然を変革する行為は「生身の個々人」の欲求をますます満たすことになります。つまり、「積極的自由」と「消極的自由」が一致します。

労働時間拡大の展望

でも…とおっしゃる人がいるでしょう。みんな均質になったから合意できる。疎外は要らなくなる。「生身の個々人」各自の望み通りに、全員協働して欲求を満たしているのだから、これは自由だ。──と言われればその通りなのでしょうけど、なんだか「全体主義的な自由」みたいで気持ち悪い気がしますよね。

マルクス自身もそう思っていたみたいで、このストーリーには続きがあります(注)。生活のためにやむなく社会的依存関係につながれるかぎり、社会的依存関係を司る必然法則から自由にはなりません。だからこれは本当の自由ではないと言います。本当の自由とは、生活のためにやむなく労働しなければならない必然性のなくなったところ、社会的依存関係を司る必然法則に縛られないところにあると言います。

(注)以下の議論は、典拠を含め詳細については、拙著『近代の復権』第2章を参照のこと。

そこで、将来のアソシエーションのもとで生産力が飛躍的に発達したあきつきには、労働時間が短縮して自由時間がグーっと伸びて、各自はその自由時間の中で社会的依存関係に縛られない活動をして、各自の個性を伸ばすのだと言います。

要するに、食っていくためではなくて、他人に利用してもらって「いいね」をつけてもらうために喜んで労力をかけるようなイメージですね。人間関係に我慢して縛られる必要もない活動です。マルクスは、こうしてこそはじめて、「真の自由の国」がくると言います。まあ、理屈はわかります。

 

二大潮流の総合が求められた時代

さて、19世紀半ばにマルクスやエンゲルスがたどりついた答えが以上のようなものならば、冒頭述べた通りフォイエルバッハやアナーキストと相容れなくなるのも当然ということになります。フォイエルバッハやアナーキストが問題にしたのは、「普遍的」なるものが、生身の個々人の特殊性、個性、アイデンティティを押しつぶしてしまう問題だったと言えます。それが「疎外」だという批判です。

当然、資本主義の発展が職人や自営農民、いろいろな民族の自立と個性を押しつぶして大工業をもたらしていくことには大反対です。だから、プルードンなんかは、大工場の労働者が好きじゃありません。手工業職人の味方で、その自立を守ろうとします。大市場に対しても諸悪の根源視して、地域の自給を志向します(注)。

(注)前掲『勞働權と財産權』74ページなど。

それに対して、マルクスやエンゲルスの場合は、たしかに、資本主義の発展が職人や自営農民等々を没落させることは、当然疎外だと見て批判的に描いていたには違いありませんけど、二人の場合はそれがもうだいぶ進んでしまった段階を前提して、いまさら後戻りは求めません。そして、それによって生み出された工業プロレタリアートに依拠しようとしたわけですね。

だってそれまでの前近代的なところが残った社会では、疎外をなくすことはできないですから。というのも、そんな時代は、社会的依存関係の中にある人々の間で、地域が違ったり血縁が違ったり民族や職業が違ったりしていて、それぞれ違った風習や価値観に漬かって暮らしていました。そうしたら、依存関係全体を調整する「考え方」は、人々の外から支配階級の人によって疎外として押し付けられざるを得ないのです。

彼らは、自己の支配を「普遍(全員にあてはまる原理)だ」と称し、一般庶民は自分の周りの世界のことしかわからないあれこれ「特殊」な存在だから、つべこべ言わずに従えと言って正当化します。しかし、どんなに清貧で頭のいい支配者でも、末端の状況を把握できるわけではありませんから、彼らの支配は真の普遍からはどうしてもズレます。しかも、一旦この体制ができあがると、現実には支配階級の人は、必ず自己の私利私欲を支配にもぐり込ませてきます。

このような社会では、彼らまがいものの「普遍」の支配と闘うには、二種類しか道はありません。一つは、上記フォイエルバッハやアナーキストのように、「普遍何するものぞ」と、あくまで地域や職人などのそれぞれの特殊性に身をおいて、それを一色に押しつぶしてくる支配に対して「コノヤロー」と闘うことです。

もう一つは、地域や血縁共同体や職業集団や身分にとじこめられて視野が狭くなっている大衆とは一線を画し、革命的エリートの知識人が一段高いところで世の中の合理的な組織のしかた(「真の普遍」!)を考案し、「上から目線」で指示を垂れることです。こちらの潮流も、穏健派の集権産業管理主義者のサン・シモンから、少数精鋭の武力奪権による革命独裁を企てたブランキまで、それなりの支持を集めて続いてきました。

私は2012年に出した講談社現代新書の『新しい左翼入門』で、日本の左翼運動史を貫く二大潮流の相克について指摘しました。大衆より高いところで理想を抱いて、そうなっていない現実を理想に合わせて変えようとする道と、抑圧される側の現場に身をおいてその大衆実感に依拠する道です。このような二大潮流が生まれることは、何も近代日本に特有のことだったのではなくて、ヨーロッパでもそうだったのだと思います。

さらに言えば、サン・シモンやブランキの志向は、「積極的自由」論の源流だったとも言えます。もう少し広く見れば、世界史を理性の自己実現過程ととらえたヘーゲルの自由概念も同様のものだったと言えます。

それに対して、ヘーゲルを批判したフォイエルバッハや、権力志向の社会主義者を排撃したアナーキストの言った論点には、前々回の議論を思い出していただいたらわかるとおり、バーリンら「消極的自由」論者の「積極的自由」批判に通じるものがありました。

まさに、さまざまな思想シーンを貫いてその後も観察される原理的な二項対立パターンだったと言えます。

しかし、「生身」の個々の大衆の外から、その望みと無関係に「考え方」を押し付けることは、疎外そのものであり、「生身」の大衆の自由を侵害するものです。他方で、「生身」の大衆のどれか一つの地域や身分や職能等々の属性だけにあてはまる運動をしていても、しょせん大勢をフル動員してくる権力側には勝てないし、他の属性の人々を傷つけるだけに終わりがちです。

19世紀半ばのヨーロッパでは、この両潮流の発展と対立が成熟し、総合が求められていたのだと思います。そこにもってきて、イギリス発の機械制大工業の資本主義経済がヨーロッパ大陸にも広がり出し、単純労働プロレタリア階級が西欧各国で出現したわけです。彼らに依拠することで、この二大潮流を総合する路線を打ち出すことは、ちょうど時代が求めていたことだったのだと思います。

マルクスやエンゲルスは、ブランキ派とプルードン派の両面批判をすることで、この両潮流を総合する者として受け入れられていったのだと解釈できます。もっとも、私のようなヘタレな日和見主義者から見たら、もっと両方と仲良くすることで総合したらよかったのにと思いますが。

ともかく、彼らの総合によれば、自由論をめぐる難問など吹き飛んでしまいます。共同で理性をこの世に実現する自由も、「生身の個々人」の望みが妨げられない自由も、あっさり一致して互いに促進しあうことになります。あまりにきれいすぎる理屈なのですが、それが、資本主義の力で世界が普遍化され、みんな単純労働プロレタリアートにされてしまうという条件に、決定的に依存しているということは改めて確認しておきましょう。

重工業化の時代を反映した問題意識変容

さて、晩年のエンゲルスからは、フォエルバッハ由来の疎外論の論点が次第に薄れていったと言われます。つまり、「末端の生身の個々人が現場の事情に合わせて生産を運営する」という将来社会イメージが薄れ、国有化した産業を上から合理的に管理するという、その後の社会主義イメージが全面に出てくるようになります。

これも、現実の資本主義経済の姿が変わっていったことを反映したものだと思います。すなわち、19世紀末に進んだ重工業化を背景に、企業の規模が大きくなって、だんだん少数の大企業への集中が進んでいっていたことです。そのために、末端の労働者が自主的に企業を運営することのリアリティが感じられなくなります。

いろいろな分野で市場関係が公式、非公式に内部化されて大組織の管理に取って代わられていた現実を見たら、その管理を国がしさえすれば経済全体を公共的に運営できるはずだと期待する方が、よほどリアリティが出てきます。それが資本主義経済のもたらした生産力発展の方向を、資本主義よりもっとクリアに推進する道だというわけです。

実はマルクスも、目の前の資本主義経済のもたらすもののどこに次の社会の萌芽を見出すかの力点が、次第に移り変わっていきました(注)。19世紀半ばには、労働者自身によって運営される協同組合工場の取組みが出現していたことに、次の社会の萌芽を見出していました。ところがこれらの取組みの大半はその後失敗してしまいます。

それに替わって晩年のマルクスでは、株式会社制度の広がりに着目する度合いが強くなっていきます。つまり、個人の出資ではなくて、広く社会全体の出資を集めることが、資本主義を乗り越えた共産主義の萌芽だというわけです。そして、経営者が利潤を受け取る資本家ではなくて、賃金を受け取る監督労働者になり、株主の所有という資本主義的な形式が空洞化していっているとみなしました。

(注)基礎経済科学研究所編の前掲『未来社会を展望する』では、未来社会の萌芽を協同組合に見たケースと株式会社に見たケースとの両方のマルクスの見解について、それぞれの専門家が詳しく検討している。特に、協同組合への着目については小松善雄他の論文を、株式会社への着目については有井行夫の論文を参照のこと。

実際には「ストックオプション」にせよ、戦後日本の大企業の場合のように会社財産を地位に応じて私用できる特権によるにせよ、経営者の所得は、資本蓄積の成否と直接に結びついた、利潤以上に利潤的なものになり、対する株主配当はただのほとんど定額のあてがいぶちとして「費用」と化したのではなかったかと思います。株式会社制度によって、資本主義体制は時代に適応する生命力をバッチリ獲得したというのが、その後の歴史の示したところで、この点についてのマルクスの期待は裏切られたのだと思います。

ともかく、こうした社会主義イメージの変化が、その後行き着いて、20世紀の国有中央指令経済型の社会主義イメージにつながるわけです。20世紀には、共産党系の比較的急進的なグループだけではなくて、社会民主主義系の穏健なグループも、国有中央指令経済モデルを掲げた点では同じでした。それを急激に実現するかゆっくり実現するかの路線の違いがあっただけです。

重工業化によって、依存関係の範囲自体は企業の巨大化で広くなっているのに、その中で働く労働者の中核は、様々な、互いに種類の異なる熟練労働者となっていきました。19世紀の繊維産業中心の単純労働者の世界とは違ってしまったのです。だから、それらの人々全体の依存関係を末端の合意でまわすことに、リアリティが持てなくなったのだと思います。

再びマルクスが見た転換に直面して

さて、以上見てきたマルクスやエンゲルスの議論から、今日の私たちは何を汲み取れるでしょうか。

たしかに私たちは、マルクスの時代のようにみんなが均質な単純労働者になっている時代に生きているわけではありません。民族によっても職業によっても、まだまだ様々な異質さを互いに抱えて生きています。だから、マルクスのようなきれいな解決を直接に望むことはできないと思います。

しかし、それでも汲み取るべき重要な論点があると思います。

私たちは、リバタリアンの主張を矛盾がないように徹底した結果、本能や欲求や情動や肉体などの「生身の個人」を主人公とした上、人間の「考え方」が勝手に自立してそれを抑圧してくることを批判する立場だと規定しました。これは、フォイエルバッハやアナーキストからマルクスに流れる「疎外論」の立場にほかならなかったわけです。

だから、暮らしや労働の現場の泥臭い生身の個人に対して、「高尚」な理念を「上から目線」で押し付けるのは自戒しましょうとか、利害で連帯することは低次元なことではなくて、価値観にこだわってつっぱりあってはいけませんよとか、職場でも街でも、できるだけ一部の人で決めるのじゃなくて関係者の合意でやっていくやり方にしていきましょうとか、意図的に設計されたわけではない物象化された「モノ」でも、個々人の暮らしや労働の事情にとってヨリ都合のいいものに改めましょう──ルールや因習の変更、「不況より好況」等々──とかいうことは、マルクスの疎外論の価値観に通じた姿勢なのだということです。

一気にきれいな解決が望めなくても、この姿勢に則ってやっていくことはできます。正反対な姿勢の「マルクス主義者」が、これまで本当に多かったですが。

また、マルクスやエンゲルスが「疎外」がおきる根拠に見ていたのは、依存関係の中にある人々が、互いに異質なパーツの中に分断されていて、外的な媒介を必要とする状態でした。これは今日でも通用する命題です。依存関係の中の当事者が他律的支配から自由であるためには、外的な媒介で無理矢理仕切る必要のないように、なるべく当事者どうしの直接のコミュニケーションを作っていくことが重要だということがわかります。

そして、このような直接の調整が簡単にいくようになった鍵とマルクスが考えたこと──近代資本主義の発展──と、同じ方向を評価することも重要です。それがこの連載で見てきた「転換X」だったわけです。

マルクスの時代は、固定的人間関係がメジャーな世の中から、流動的人間関係がメジャーな世の中への、人類史上の大転換点だったわけです。それが世界の普遍化をもたらし、ひいては人格自身が普遍的なプロレタリアート大衆をもたらした。これによって疎外なしでやっていける人間が作られた──と見たわけです。

ところが19世紀末の重工業化が基礎となって、マルクスやエンゲルス死後の20世紀には、固定的人間関係がメジャーなシステムとして復活する時代になりました。巨大企業組織、大衆まで国民意識に巻き込む国家、後進国の前近代的な共同体等々──資本主義が固定的人間関係を解体するのではなく再編利用する時代になったのです。それだから20世紀には、マルクスの疎外克服の展望は成り立たず、忘れ去られたのだと思います。

それが再び資本主義の都合によって解体され、流動的人間関係がメジャーなシステムへの再転換が起こっているのが現代だと言えます。これは現実には新自由主義の猛威という形で遂行されてきたわけですが、それはこの転換に矛盾する様々な歪曲を伴いながら、多くの人に犠牲を強いる疎外としてなされてきたということは、これまでこの連載で触れてきたとおりです。

しかし、そのような犠牲をともないながら、まがりなりにも「転換X」の課題が進められたのも事実です。私たちが今の知見をそのまま持って80年代に戻れたならば、新自由主義へのもっと別の闘いができて、私たちは勝てたかもしれません。しかし現実には後戻りするわけにはいきません。時代の到達点からプラスのものを探り出し、そこから出発するしかありません。

それは、19世紀半ばにマルクスがアナーキストを批判して到達した地平と同じことです。「転換X」は、本来は世界を普遍化し、70年代までにはなかったような条件──疎外をなるべく克服する方向に世の中を変えるための条件──をもたらしてくれるものですから。

では私たちは、かつてのマルクスやエンゲルスにならって、19世紀の資本主義同様、現代資本主義の発展がどんどんと熟練を解体し、文化的な生活の差異を押しつぶし、みんなギリギリの生活をおくる単純労働プロレタリアートになってしまうことに展望を見出すべきなのでしょうか。

もちろんそうではありません。では、これからの時代、個々人が自由であるためにはどうすればいいのか。この連載もあと二回ほどになりましたが、残された部分で考えることができるところまで考えきりたいと思います。ここで再び「リスク、決定、責任」の問題が出てきます。

※ 本文中にもご紹介しましたが、今回の議論についての詳しいことは、拙著『「はだかの王様」の経済学──現代人のためのマルクス再入門』(東洋経済新報社、2008年)をご参照下さい。今回は、マルクスやエンゲルスの議論についての詳しい出典の指示をする余裕はありませんでしたが、拙著『近代の復権──マルクスの近代観から見た現代資本主義とアソシエーション』(晃洋書房、2001年)において詳しく注記していますのでご参照下さい。

プロフィール

松尾匡経済学

1964年、石川県生まれ。1992年、神戸大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。1992年から久留米大学に奉職。2008年から立命館大学経済学部教授。

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