2016.04.16

『ヤバすぎる経済学』――政治をもっとよくするためのインセンティヴ

スティーヴン・D・レヴィット&スティーヴン・J・ダブナー

経済

700万部突破のベストセラー『ヤバい経済学』シリーズの最新版『ヤバすぎる経済学』(東洋経済新報社)。テロ、犯罪、戦争から家族や人生の問題、エロい話まで、いま激動の世界で起こっているすべてを解決する131話より、「民主主義に代わるもの?」と「政治家にもっとお金を払ったらもっといい人が政治家になる?」を転載する。(シノドス編集部)

民主主義に代わるもの?

アメリカの大統領選挙がそこまで来ている。みんな政治のことが頭から離れないみたいだ。大部分の人と違って、経済学者は投票に関しては無関心であることが多い。彼らの考えだと、個人の投票が選挙の結果を左右する可能性はほとんどないと言っていいぐらい小さい。だから、投票そのものがなんだか楽しいのでなければ投票に行ってもあんまり意味はない。そのうえ、この問題には理論的に何度も結論が出されている。中でも有名なのはアローの不可能性定理だ。この定理は、政治体制や投票の仕組みをうまく作って有権者の選好を信頼できる形で集計するのがどれだけ難しいかを示している。

そういう、民主主義のいいところと悪いところを理論的に突き詰めてみました、みたいな話を聞くと、だいたいぼくはあくびが出てしまう。

ところがこの前の春、ぼくの同僚のグレン・ワイルがとても単純で美しいアイディアを話してくれたときは、そんなことそれまで誰も考え付いたことがなかったんでびっくりした。グレンの投票の仕組みでは、有権者は好きなだけ何度でも投票できる。でもアイディアのキモは、投票するたびにお金を払わないといけなくて、払う金額は投票した回数の2乗の関数で決まることにある。その結果、もう1回投票すると費用は前回の投票より高くなる。ちょっと考えるために、1票目には1ドルかかるとしよう。2回目の投票には4ドルかかる。3票目は9ドル、4票目は16ドル、なんて調子だ。100票目なら1万ドルかかる。だから、ある候補がどれだけ気に入っていても、人が投票する回数は有限回になる。

この投票の仕組みのどこがそんなにすごいんだろう? 有権者それぞれの投票回数は選挙の結果をどれだけ気にしているかに比例して決まることになる。この仕組みは有権者がそれぞれどの候補を好きかだけでなく、どれだけ好きかも取り込める。グレンが使った仮定の下では、得られる結果はパレート効率的、つまり社会の中で、誰か他の人の満足度を低めることなくして、誰の満足度も高めることはできない状態である。

この手の仕組みに投げつけられそうな批判といえば、まず、お金持ち優遇だ、だろう。考えようによっては、今の仕組みに比べてそういう面もある。あんまりウケのいい主張じゃないけれど、経済学者ならこんなことを言いそうだ。お金持ちはなんだって人よりたくさん消費するでしょう、それなら、政治への影響力だって人よりたくさん行使するのがなんでいけないんですか? 選挙活動への献金の仕組みが今どうなってるかを見れば、貧乏人よりお金持ちのほうが、すでにずっと影響力を持っているのは疑いようもない。だから、この投票の仕組みを導入し、合わせて選挙活動費を制限するほうが、今の投票の仕組みより、ずっと民主的かもしれない。

グレンのアイディアに対する批判にはこういうのもあるかもしれない。お金で票を買う不正を働く強いインセンティヴが働きかねない。あんまり関心もない有権者の1票目をたくさん買うほうが、ぼくの100票目を買うよりずっと安いだろう。票に値段を付けた途端、人は投票をお金のやり取りを伴う取引だと捉え、票を売ったり買ったりし始める可能性は高い。

ぼくたちは「1人1票」の仕組みをずいぶん長い間使っている。政治の大きな選挙で、グレンのアイディアが実際に使われる可能性はとても低いとぼくは思う。他にも2人の経済学者、ジェイコブ・ゴーリーとジンジン・チャンがグレンに似たアイディアを研究して、実験室の環境で試した。すると、とてもうまく行っただけでなく、普通の投票方法とこのお金を出して買う仕組みのどちらかを選べと言うと、参加者は普通、お金を出す仕組みのほうを選んだ。

この投票の仕組みはどんな状況にでも使える。複数の人が2つ以上の選択肢からどれかを選ぶ状況ならなんだっていい。何人かで集まって映画なりレストランなり、どれに行くか決めるときとか、一緒に住んでる人たちの間で、どっちのテレビを買おうかとか、なんて状況がそうだ。そういう状況では、票を投じた人たちから集めたお金は均等に割って参加した人たちで分けるのがいいだろう。

こんな投票の仕組みをちょっと試してみようって人が、みなさんの中から出てきてくれたらと思う。もし試してみたら、どういうことになったかぜひ聞かせてくださいな!

政治家にもっとお金を払ったらもっといい人が政治家になる?

政治体制のことを考えて不満に思うと、いつだってこんなことを考えるでしょう。政治家の連中がろくでもないのは、いい人たちが政治って仕事に手を染めようとしないからってことかもしれない。そういうことなら、政治家のお給料を大幅に上げてやれば、ちっとはましな政治家が出てくるかもしれない。

この考えはあんまりウケが良くない。理由はいろいろある。1つには、政治家のお給料を上げようと思ったら、そういう運動をするのは政治家たち自身なわけで、政治的にはそうそう通らないだろう(とくに景気が悪いときはそうだ)。新聞にどんな見出しが躍るか想像できますか?

でもこの考え自体はなかなかいいと思いませんか? 選挙で選ばれた人たちもそうでない役人たちも、お給料を上げてやれば、a)本当は大事な仕事なのだよとメッセージを送れる、b)もっと儲かる業界に行っていた有能な人たちが政治の世界にやってくる、c)政治家の人たちに、収入のことを心配せずに大事な職務に集中してもらえる、そしてd)政治家たちが利権に惑わされにくくなる。

もう政府の関係者にはたっぷりお金を払っている国もある。たとえばシンガポールがそうだ。ウィキペディアにはこう書いてある。

シンガポールの大臣は世界で一番給与の高い政治家である。2007年には給与が60%引き上げられ、その結果、リー・シェンロン首相の給与は310万シンガポールドルになった。これはバラク・オバマ大統領の40万アメリカドルの5倍にあたる。治める国の規模に照らして高いことを問題視した国民からの批判が短い間投げかけられていたが、政府は一貫して、「世界に冠たる」シンガポール政府の効率の高さと腐敗と無縁の地位を保つには、給与の引き上げが必要であるとの立場を取ってきた。

最近になってシンガポールは政治家のお給料を大幅に引き下げたけれど、それでもまだとても高い。

でも、政治家のお給料を大幅に増やせばほんとにお仕事の質が上がるって証拠はあるんだろうか? クラウディオ・フェラスとフレデリコ・フィナンの研究論文によると、ブラジルの地方自治体ではちゃんと上がったそうだ。

我々の主要な発見によれば、より高い給与(を支払うこと)で政界の競争は強まり、教育、職歴、議員としての政治の経験で測った議員の質は向上している。こうした選別時における改善が見られるのに加え、給与は政治家の業績にも影響を与えることがわかった。これは議席を確保することの価値が上昇すれば、反応が行動に表れるとの解釈と符合する。

フィナン、エルネスト・ダル・ボウ、マーティン・ロッシの3人が書いたもっと最近の論文は、公僕の質もお給料を上げれば改善するのを発見した。今度はメキシコの都市が調査の対象だ。

より高い給与でより能力の高い応募者が集まることがわかった。能力は知能指数、人柄、公共部門の業務に向いた特徴で計測した。また、意欲の面で逆選択が起きているとの証拠は見られなかった。より高い給与の下では内定者が職を受諾する割合が上昇している。労働供給の弾力性は2近辺であり、ある程度の需要独占が見られることを示唆している。自治体までの距離と環境の悪さは、受諾率を低める強い効果を持つが、一方、高い給与は環境の悪い自治体における応募者の不足を緩和する効果を持つ。

政府の役人や議員にもっとお給料を払わないとアメリカの政治はよくならないよなんて言う気はない。でも、学校の先生のお給料が、他の分野で働く同じぐらい能力のある人よりも少ないというのはよくないと思うし、それと同じように、他のことをやればもっと稼げるというのに、できる人が政治家や公僕の仕事に十分集まってくれると思うのはたぶん考えが甘い。

ここのところぼくが考えているもっと過激なアイディアもある。政治家にインセンティヴを与え、彼らが議員としてやったことが社会にいい結果をもたらしたら、たっぷりお金を払うのはどうだろう? 

政治に付きまとう大きな問題と言えば、1つには、政治家のインセンティヴが有権者のインセンティヴとあんまり一致していない、ということがある。投票する人は政治家たちに、長い時間をかけて難しい問題を解決してほしいと思っている。交通、医療、教育、経済発展、地政学問題なんていうのがそうだ。一方、政治家のほうは、自分自身の利益で動く強いインセンティヴを抱えている。そして彼らの利益はだいたい目先のこと(再選、資金調達、権力その他)ばかりだ。だいたいの政治家がやることなすことに、ぼくたちは辟易しているけれど、でも、彼らは単に、政治の仕組みが自分たちの目の前にぶら下げたインセンティヴに反応しているだけなのである。

でももし、政治家に払うお給料を一律でなくしたらどうなるだろう? 今みたいな払い方だから彼らは議席を自分の利益に利用するばかりで、それが全体の利益に反していたりするのなら、彼らが全体の利益のために必死に働くようなインセンティヴを与えたらどうだろう?

どうすればそうなる? 政治家に、自分が携わっている法案に対するストック・オプションみたいなものをあげればいい。選挙で選ばれた人でも任命された人でも、あるプロジェクトに何年間も携わるのだとして、そのプロジェクトが公衆衛生なり教育なり交通なりの分野でいい結果をもたらすのなら、その人にたっぷりお給料を払おう。5年後になるか10年後になるかわからないけれど、ちゃんと検証して効果が確かめられたら小切手を切るのだ。どっちがいいか考えてみてほしい。教育長官に、何かいいことをしようがしまいが関係なく決まりどおりのお給料20万ドルを払うのと、長官がアメリカのテストの点を10年間で10%引き上げるのにほんとに成功したら500万ドル払うのと。

このアイディアをたくさんの議員にぶつけてみた。完全に頭がおかしいとは受け取られなかった。あるいは、礼儀正しくも頭がおかしいやつだなんて思ってませんよってフリをされた。最近、ジョン・マケイン上院議員にもこのアイディアを話す機会があった。彼は注意深く耳を傾けてくれた─うんうんとうなずき、にこにこしていた。話の間ずっとだ。こんなにも熱心に聞いてくれるなんて信じられなかった。おかげでぼくは調子に乗って、とても詳しいところまでどんどん説明を続けた。最後に、彼は握手の手を差し伸べた。「ステキなアイディアじゃないかスティーヴ」と彼。「幸運を祈ってるよ!」

で、彼は踵を返して立ち去った。その間もずっとにこにこしていた。ここまで完全に断られて、こんなにも気持ちよかったのは初めてだった。で、ぼくは思った。これが偉大な政治家ってことなんだな。

プロフィール

スティーヴン・D・レヴィット経済学

シカゴ大学経済学部教授。40歳未満で最も影響力あるアメリカの経済学者に贈られるジョン・ベイツ・クラーク・メダル受賞。ヤバい経済学流の考え方を企業や慈善活動に応用するグレイテスト・グッドの創設者。

この執筆者の記事

スティーヴン・J・ダブナージャーナリスト

作家として表彰を受け、ジャーナリストとしても活動し、ラジオやテレビに出演する。最初の職業――あと一歩でロックスター――を辞め、物書きになる。以来、コロンビア大学で国語を教え、『ニューヨーク・タイムズ』紙で働き、『ヤバい経済学』シリーズ以外にも著書がある。

この執筆者の記事