2013.08.26
いつ、どのように財政再建を行うか――消費税増税を考える
安倍政権の次なる課題
7月30日に総務省の発表した今年6月の完全失業率(季節調整値)は3.9%とリーマンショック前の水準にまで改善し、厚生労働省が発表した有効求人倍率(仕事を求めている人間1人に対し企業から何人の求人があるか)も0.02ポイント上昇の0.92倍と4カ月連続で上昇した。
また、7月11日の日本銀行の金融政策決定会合でも、景気の現状判断を「緩やかに回復しつつある」と上方修正し、黒田東彦総裁は「わが国の景気が緩やかに回復しつつあることは、さまざまな経済指標から素直に引き出せる結論だろう」と語っている。
安倍晋三政権が推進する経済政策、通称「アベノミクス」は、これまでは株価や為替レートのみに効果があらわれて庶民には実感がないとの批判もあったが、徐々に実体経済にまでその影響が波及してきた様子だ。
もちろん、海外の要因などもあるので、本当にアベノミクス効果であるのかはデータが出揃った上できちんと検証する必要があるし、失業率の低下にしても高齢化による労働力人口の減少が大きな要因にもなっていることは無視できない。また、庶民の給与はまだ上がっているとは言い難い状態にある。しかし、先日の参議院選挙における自民党の圧勝を見るに、国民の多くはアベノミクスを支持していると言ってよいだろう。
参院選を終えて今後の安倍政権のゆくえであるが、憲法や外交問題はさておき、喫緊の課題は来年4月に予定されている消費税の増税であろう。昨年8月に野田政権において成立した社会保障・税一体改革関連法案では、消費税が平成26年4月に8%、27年10月に10%へ2段階で引き上げられる予定となっている。
しかし、消費税の増税はせっかくの景気回復に冷水を浴びせ、再び景気を後退させる恐れがあるため、慎重に判断する必要がある。1997年に消費税を3%から5%に上げた際も、その年はアジア通貨危機や山一證券の破綻が立て続けに起こったために真の原因の識別は難しいものの、激しい景気後退がその後生じてしまったことは事実である。
こうした中、来年4月に予定通り消費税の増税を行うかは、政府の中でも意見が分かれている。安倍政権の経済運営のブレーンである浜田宏一内閣官房参与(米エール大名誉教授)は、消費税増税が大きな景気後退を引き起こし、かえって税収が減ってしまう可能性もあると懸念し、引き上げ時期の先送りが適当との姿勢を示している。また、浜田氏は消費税増税法案にある2段階引き上げではなく、1%ずつなだらかに上げていくという選択肢も提案している。
一方で、麻生太郎副総理・財務・金融相は、消費税引き上げは国際公約に近いとの認識を示し、現行法で定める消費税率の2段階引き上げを予定通り実施する姿勢のようである。最終的には、9月9日に発表される4~6月期の国内総生産(GDP)改定値を見てから、安倍首相が判断することになる。
本稿では、来年4月に予定されている消費税増税の是非について、いくつかの論点から考えてみたい。
国債は、「将来の国民」から「現在の国民」への所得移転
そもそも、なぜ消費税増税をしようとしているかというと、財政再建のためである。
財務省によれば、日本の2013年度末の国債及び借入金を含めた国の債務残高は1107兆円となる見込みであり、政府債務残高のGDP比率は224.3%で世界1位である。また、政府の総債務残高から政府が保有する金融資産(国民の保険料からなる年金積立金等)を差し引いた純債務のGDP比も144.3%でギリシャに次ぐ世界2位の値になっている。
日本の財政危機が殊更に叫ばれ始めたのは総政府債務のGDP比がイタリアを超えた1999年頃だと記憶しているが、その時は純債務のGDP比ではまだイタリアやカナダよりも低かった。しかし、2008年頃には純債務でもイタリアを上回り、いまや既に財政危機が顕在化しているギリシャに次ぐ水準となっている。この増え続ける日本の政府債務に歯止めをかけ、財政再建を行う手段の一つが消費税増税なのである。
では、なぜ財政再建が必要なのだろうか。そのためには、まず国債とは何なのかを考える必要がある。国債というのは、つまりは政府の借金である。その一方で、誰かの負債は誰かの資産でもある。では、誰の資産かと言うと、国債の保有者、すなわち国民である。よって、国債というのは、政府の負債であると同時に、国民の資産でもあるわけだ。
そのため、国民の資産なのだからいくら増えても問題ないとする説もある。しかし、政府はあくまで将来国民から徴税をすることで国債の償還を行うため、債務を支払うのは「将来の国民」である。従って、国債というのは、債権者は「現在の国民」であり、債務者は「将来の国民」であるというのが本当のところなのだ。
ただし、「現在の国民」と「将来の国民」は、通常の債権者・債務者の関係とはまた異なる。通常の債務者は、将来お金を支払わなければならない義務を負うかわりに、いま現在お金を手に入れることができる。逆に、債権者は現在のお金を失うかわりに、将来お金を受け取る権利を得る。しかし、国債の場合、まだ生まれていないような将来世代はいま現在お金を受け取ることはできないので、将来お金を支払う義務のみを負うことになってしまうのだ。
例えば、政府が国債発行によって50兆円の減税を行った場合、「現在の国民」は政府を通じて「将来の国民」に50兆円を貸し付ける形になるわけだが、その50兆円は減税として「現在の国民」に再び配られることになる。そのため、「現在の国民」は債権者として将来お金を受け取る権利を得る一方で、現在もお金を失うことはない。
逆に、将来生まれてくる世代は、現在お金を受け取ることはできず、将来単に借金の支払いをするだけの存在になってしまう。従って、国債というのは、借金というより、将来新たに生まれてくる世代から「現在の国民」に対する所得移転という方が正しい。よって、政府債務の増大は、世代間の不公平性を拡大させるという問題を生じさせる。
ラーナーの国債負担論に隠されている前提
ここで、国債は将来世代の負担にならないという主張もある。将来国債が償還された場合、課税されるのも将来世代であれば、償還でお金を受け取るのも国債を持つ将来世代なので、将来では国債保有者と納税者の間で所得の再分配が起こっているにすぎず、世代間の所得移転は生じないというものだ。これは、1940年代にアバ・ラーナーという経済学者が最初に唱えたことから、「ラーナーの国債負担論」として知られている。
しかし、ラーナーの国債負担論には、将来世代がどのように国債を手に入れたかが明記されていない問題がある。将来世代は生まれたときから国債を所有しているわけではない。将来世代が国債を入手する経路は2つ考えられ、1つは遺産などで国債を譲渡される場合で、もう1つは自分で働いて所得を得て国債を購入する場合である。
前者の場合は増税される代わりに国債が譲渡されるために将来世代の負担は帳消しになり、世代間の所得移転は生じない。しかし、後者の場合は国債を購入したときに将来世代から現在世代への所得移転が生じ、将来世代に対する負担になる。ラーナーの国債負担論は、将来世代に国債が無償で譲渡されるという前提が隠されており、そうでない場合はやはり将来世代に対する負担が生じることになる。
また、日本の国債を保有しているのは銀行をはじめとした金融機関なのだから、上の議論のような個人が直接国債を購入している状況は当てはまらないという考える人もいるかもしれない。
しかし、銀行はあくまで家計の預金を元手にして国債を購入しているので、間接的には家計が保有していることになる。そのため、預金を預け入れるという行為は間接的には国債を購入していることになり、預金を引き出すということは間接的に国債を売却していることになるのだ。新しく生まれてきた将来世代が労働所得を稼いで預金をする一方で、現在世代が預金を切り崩して消費をするのであれば、これは将来世代が現在世代から国債を買っているのと同じことになるのである。そのため、銀行を通じていても、本質は同じである。
経済学者間のジェネレーションギャップ
さて、大学学部レベルのマクロ経済学の授業で習うIS-LMモデルをはじめとしたケインズモデルでは、将来のことが捨象されているため、将来世代の負担というものが考えられていない。そのため、減税もしくは政府支出の増大によって無限の財政赤字を出すことで、無限の可処分所得の増大が可能になり、そのツケを誰も払う必要がない構造になっている。
しかし、将来の負担を考えないというのは、あくまでケインズモデルが現在の総需要政策などの効果にのみ焦点を絞るための簡略化であって、現実がそうだと述べているわけではない。
理論モデルの意義とは、複雑な世界を単純化して理解しやすくすることにあるが、適用範囲を誤るととんでもないことになってしまう。例えば、物理学においても、鉄球の落下速度を考える場合には空気抵抗はないと仮定しても差し支えないかもしれないが、紙風船を落下させる場合は空気抵抗を無視するわけにはいかないだろう。このように、扱う問題によって仮定の妥当性は変わってくる。
ケインズモデルでは将来の負担は存在しないと仮定しているが、政府債務の問題を考える場合はそこが重要になるために、ケインズモデルを適用するのは不適切であろう。元々ケインズモデルはあくまで短期の問題を考えるツールなので、政府債務のような長期の問題を考えるには向かないのだ。
このような将来を捨象したケインズモデルの欠点は、ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学教授のロバート・ルーカスによって指摘され、現代のマクロ経済学では将来の負担というものが明示されている。とくに、現在世代と将来世代を異なる経済主体として取り扱うものを世代重複モデルと呼び、そこでは国債によって世代間の所得移転が生じることが明確に示される。
しかし、この将来の負担を考慮した近代的なマクロ経済学は通常大学院でようやく習うことになるため、大学院以上の経済学教育を受けた人間とそうでない人間に大きな溝を生んでしまっている。また、学者であっても、世代が上になるとこのような近代的なマクロ経済学の教育は受けていないため、経済学者の間でもジェネレーションギャップがある。近代的なマクロ経済学では、ケインズモデルとまったく逆の結論が出てくることも多々あるため、最先端の学者がむしろ基礎的なことすら分かっていないという批判を受ける理不尽な事態が起きたりするのである。
財政破綻の可能性
話を戻すが、将来時点で国債償還のために増税をせず、また国債を発行して増税を先送りし続ければ良いのではないかと考える人もいるだろう。
実はこれはねずみ講と同じである。ねずみ講と国債は、後から入ってくる人々が、前にいた人々に移転を行っているという同じ仕組みの上に成り立っている。従って、ねずみ講がいつかは破綻すると考えられているのと同じ理由で、国債の永久の借り換えも不可能であり、どこかで破綻することとなる。
最終的に破綻して国債が償還されないことが分かれば、最後の世代は国債を購入しないだろう。すると、その前の世代は最後の世代に国債を売ることができず、国債の償還を受けられないため、この世代も国債を買わない。そうすると、その前もその前も買わないことになり、最終的に自分達の世代も国債を次の世代に売ることができず、結果的に現在時点で借り換え債が発行できずに国債が償還不能に陥り、財政破綻が生じる可能性がある。つまり、将来的に財政破綻が生じると皆が思った時点で財政破綻が生じるのである。
ただし、例外的に永遠の先送りが可能な場合がある。それは、経済成長率>金利という場合である。国債には金利がつくので、借り換えをする場合は既存の国債残高に利払い費を追加した分新たな国債を発行しなくてはならない。そのため、新規の財政赤字がなければ国債は金利のスピードで増えていくことになり、その分将来世代の負担も増え続けていく。
ねずみ講でいえば、入会金が一定ではなく後になるほど高くなっていくような状況である。よって、もし金利>経済成長率であれば、将来世代に課さなければならない負担は雪だるま式に増えていき、最終的にはすべての所得をもってしても負いきれなくなって破綻する。しかし、経済成長率>金利であるならば、負担の増加以上に所得が増えていくので、永遠の先送りが可能となるのである。
ただ、近年の日本のデータを見ると、バブル期を除けばおおむね長期金利は経済成長率を上回っており、この条件を満たしていない。他の主要先進国においても、金利が規制などで低く抑えられていた時代は経済成長率>金利という状態が珍しくなかったが、金利の規制撤廃などが進んだ80年代以降はおおむね長期金利が経済成長率を上回っている傾向にある。
また、理論的には、経済成長率>金利という状態は達成が難しいというより、そもそも望ましくないものと考えられている。
いま、経済成長率が10%、金利が5%として、所得の1割を掛け金として若年期に支払うと、将来年老いたときにその時点における若年者の所得の1割をもらえるという賦課方式の年金を導入したとする。現在の若年者の所得が1000万円ならば、まず100万円を支払う一方で、将来時点の若年者の所得は1100万円なので110万円を将来得ることになる。つまり、この賦課方式の年金は10%の収益率を持つ資産と同じになる。賦課方式の年金とは、経済成長率が収益率になる資産なのである。
つまり、経済成長率>金利の場合、政府が賦課方式の年金を活用することで、国民により収益率の高い貯蓄手段を提供する余地が残されていることになる。国民は賦課方式の年金に加入することで貯蓄手段が増えるため、その分通常の資産を減らすことになるだろう。
すると、通常の資産に対する需要が減るため、金利が上昇する。経済成長率>金利である限りは賦課方式の年金という資産をより多く供給してほしいと国民は望むので、経済成長率=金利になるまで掛け金を引き上げたほうが良くなる。逆に言うと、経済成長率>金利の状態が長期的に続いている場合は、こうした貯蓄手段が十分に提供されていないという意味で非効率な状態なのだ。これを動学的非効率性とよぶ。
以上のように、経済成長率>金利という状態は、少なくとも長期では成立することを期待するのは難しいと考えられる。そのため、財政破綻を防ぐためには、政府はいずれかの時点で増税なり歳出削減をしてきちんと国債を償還しなくてはならない。国債が償還される限りは、国債の買い手がつくので、財政は持続可能ということになる。逆に、財政の持続可能性が満たされなければ、財政破綻の危機が生じる。
財政破綻とは、ある意味で究極の財政再建であり、国債を保有している現在世代がすべての負担を背負うことになる。国債を償還しないということは、国債に同額の税を課したというのと同じだからだ。
しかし、いくら将来世代への負担の先送りが問題だからといって、さすがにすべての負担を現在世代が背負うというのもやり過ぎであろう。また、先にも言ったように日本の国債の大半を保有しているのは金融機関であるから、財政破綻が生じれば、銀行破綻などの金融危機に直結する可能性が高い。これは、単に世代間の負担が変わる以上に大きな歪みをもたらすことになると思われる。
よって、財政再建が必要な理由は、(1)財政破綻というハードランディングを避けること、(2)世代間の不公平性の問題を是正すること、の2つに集約される。
消費税以外の選択肢はないのか?
次に、財政再建が必要だとして、なぜ消費税増税なのかということである。消費税がどのような性質を持つ税金なのか、経済理論的な見地から考えてみよう。
まず、消費税が上がるとその分買えるものが減ってしまうので、実質的な所得が減少することになる。従って、消費税と所得税は、入口で取られるか出口で取られるかの違いだけで、労働者にとっては事実上同じものと捉えることができる。
ただ、消費税増税には、増税前に駆け込み需要を生んで消費を前倒しする効果もある。
実はこの消費者の消費を前倒しするという面に着目してみれば、消費税の増税というのは、金利の低下と同じ効果を持つ。金利が低下すると、家計にとっては貯蓄の魅力が減るのでその分貯蓄を減らして消費を前倒しする効果があるからだ。よって、消費税の増税というのは、家計に対しては増税される前には一時的な金利低下の効果を持ち、増税された後は所得税の増税の効果を持つという二つの効果を持っているのである。
冒頭で浜田氏が提唱していた消費税の段階的引き上げだが、これは消費に対しては金利を引き下げるという通常の金融政策と同じ効果を持つと考えられる。そのため、段階的な引き上げをすることで、所得税にはない景気対策的な効果も持つことになる。実務的な面でも、消費税は所得税や法人税と比べて安定した税収が見込める。
しかし、消費税は世代間の不公平性の問題を解消するには効果が薄いと思われる。先の議論では単純に現在世代と将来世代を二つに分けていたが、実際には現在にも若者から老人まで幅広い世代が存在する。その中で、どの世代に一番お金が偏っているかというと、お年寄りである。日本の一五〇〇兆円の金融資産のうち、六割は六〇歳以上の老年世代が持っている。従って、世代間の不公平性を是正するには、まずお年寄りに負担してもらうのが筋だろう。
消費税はすべての世代から広くとる税なので、世代間の不公平性を解消するにはあまり役に立たないのではないだろうか。確かに、所得税と比べれば働いていないお年寄りからも徴収できるために世代間格差の是正に寄与できるものの、一方で労働所得税と違って累進的ではないので勤労世代の世代内の格差はむしろ広がってしまうことにもなる。
お年寄りから若者への移転を行うためには、所得からとるか、資産からとるかしかない。お年寄りの所得とは、すなわち年金である。よって、この年金給付の見直しが第一であろう。そもそも、ここまで政府債務が膨れ上がってしまった主因は、年金を始めとした社会保障費の増大であるので、これを見直すことなしに財政再建を語る方がおかしい。
また、お年寄りの資産とは主に預貯金であるが、この預貯金に税をかけるという方法も考えられる。年金の削減は貧しいお年寄りにも負担を強いるという意味で弱者切り捨てという批判が出そうだが、預貯金税はお金持ちのお年寄りほど多く負担することになるので、そうした批判も少ないだろう。貯蓄税もまた消費の前倒し効果を持つので、景気に好影響を与える。ただし、預貯金に税をかけるとタンス預金や海外に資金が逃げる可能性があり、政治的にも受け入れられにくいかもしれない。事実、今年3月にキプロスで預金税の導入が検討された際に大きな混乱が生じたことは記憶に新しい。
ただ、キプロスの例は預金に対して最大約10%という非常に高率の税が課されるというものであり、これを消費税でおぎなおうとすれば恐らく20~30%近い増税が必要になるため、それだけの増税が行われれば同じように政治的な混乱が起こるだろうし、実体経済も破滅しかねない。そのため、貯蓄税自体が問題だったのではなく、税率が高すぎただけなのかもしれない。
とはいえ、色々考えた結果、結局は現実の無難な選択肢として消費税が選ばれてしまうというのが実際のようである。
財政再建のタイミング
最後に、財政再建を開始する時期について考えてみよう。先に述べたように、国債の永久の先送りが不可能と考える以上、政府はどこかの時点で財政再建策を講じなくてはならないことは確かである。ただ、あくまで長期的にはそうした政策を政府が行うと国民が信じれば良いのであって、必ずしもいますぐに行わなくてはいけないわけではない。
現在黒田日銀が行なっている金融政策と同じく、財政問題も長期的なコミットメントとそれに基づく国民の予想こそが重要なのである。財政再建は中長期的には必要であるが、短期的には景気の後退を引き起こす可能性が高いので、好景気になった時点で行われるのが望ましい。
とはいえ、たとえ景気が回復してきても増税をすれば再び不況を招いてしまう危険性は常に存在するため、結局いつまで経ってもズルズルと財政再建が行われなくなってしまうのではという懸念もあるかもしれない。景気が良くても悪くても結局のところは思いきりが必要になるわけだが、少なくともゼロ金利が継続されている状態で行われるのは望ましいとは言えないだろう。
近年多くのマクロ経済学の理論研究で、ゼロ金利下では財政政策の効果が上がることが示されているが、財政政策の効果が上がるということは、逆に財政再建をすると景気後退の度合いも大きくなってしまうということでもある。このとき、景気後退によってかえって財政赤字が増えてしまう可能性があり、実際にゼロ金利下での増税や歳出削減がかえって財政赤字を拡大させてしまいうることを示している研究も存在する。よって、タイミングとしては、ゼロ金利から脱却し、景気が回復した後に財政再建を始める方が無難であると思われる。
また、冒頭で述べたように日銀は7月11日の金融政策決定会合で景気の現状判断を「緩やかに回復しつつある」としたものの、金融緩和自体は現状維持としている。つまり、本格的な景気回復とまでは判断していないことでもある。金融政策当局が景気回復と判断していないのに、財政当局が景気回復と判断して財政再建を始めるというのはやや矛盾しているのではないだろうか。
ただし、当の日銀の黒田総裁自身は、7月29日の都内で講演の中で政府の財政の信認確保への取り組みを要望し、現行法に従って来年4月以降2段階で消費税率を引き上げても「経済成長が大きく損なわれることはない」との見解を示している。
黒田総裁が懸念しているのは、現在の日銀による国債買い入れが財政ファイナンスと受け取られてしまうことである。財政ファイナンスとは、平たくいえば中央銀行が貨幣を発行してインフレによって国債を返済するという方法である。
このようなやり方をすれば、増税など一切必要なく借金が返済できるため、財政破綻などあり得ないという意見がある。しかし、インフレというのは貨幣の実質価値を目減りさせるため、貨幣に対する税であり、他の税と同じく結局は国民の誰かが負担するだけである。貨幣という一種の金融資産に対する税である以上、税としてのインフレの性質は貯蓄税とほぼ同じであるが、インフレならばタンス預金に対しても課税できるし、年金給付の実質的な削減にもなる。従って、すべての問題を同時に解決できる強力な手段となりうる。
ただし、この場合は政府債務の返済にインフレを用いることになるので、中央銀行が独立でインフレ目標を設定することはできない。政府債務の返済のためにどの程度のインフレ率が必要になるかは、財政当局がどのような財政運営を行なっていくかに依存するので、中央銀行と財政当局の足並みが揃わなければどの程度のインフレが生じるかが確定せず、狙っていたよりもはるかに大きなインフレになりうる。また、そうした状況下で中央銀行がインフレを収束させようとすれば、今度は政府債務の返済に必要な分のインフレ税が不足し、財政破綻が生じうることになる。
こうした事態を避けるために、財政当局と中央銀行が足並みを揃えないといけないのである。黒田日銀が2%のインフレ目標を掲げている以上、財政当局はそれに合わせた財政再建を実行する必要がある。
ただし、あくまで大切なのは長期的な信認であるので、やはりそれほど来年4月の増税に拘る必要はないのではないかというのが個人的な意見である。
現在の安倍政権ほどの支持率でも増税ができないとなると、財政再建が永遠になされないのではないかという疑惑が生じる可能性もあるが、元々2010年に政府が策定した財政運営戦略においては、2015年度までに基礎的財政収支(プライマリー・バランス)の赤字対国内総生産(GDP)比を2010年度の水準から半減し、2020年度までに黒字化するとの財政健全化目標を掲げていた。
景気が良くなれば自然増収もあるので、それだけで2015年度の目標は達成できる可能性もある。また、断固として来年4月に消費税を上げたとしても、それによって景気後退が起きれば速やかに下げるのもありではないだろうか。
先に述べた浜田氏の緩やかに1%ずつ上げていくという案であるが、下げる場合があって良いと思う。一度上げた消費税は二度と戻らないというのが常識のようだが、消費税を金利と同じように柔軟に動かすことで政策手段はむしろ増えることになる。1997年に消費税を増税した後不景気が生じた際は、景気対策として所得税の減税などが行われたが、そのせいで消費税増税の本当の影響が増々分かりにくくなってしまった経験もある。消費税の増税によって景気が悪くなったならば、消費税を戻してやれば良かったのではないだろうか。
90年代以降、日本は財政政策にしろ、金融政策にしろ多くの失敗を繰り返してきたが、肝心なことはそこから何を学ぶかである。以前は90年代を失われた10年と呼んでいたが、いまや失われた20年と言われている。そして、また前回の反省を活かさず同じことをすれば、いよいよ失われた30年になってしまうかもしれない。意見の違いは様々あるだろうが、皆で知恵を出し合ってこれからの10年に向き合っていきたい。
サムネイル「mju – garden centre see saw」Johnny Wilson
http://www.flickr.com/photos/johnnytakespictures/9493275293/
プロフィール
江口允崇
駒澤大学経済学部講師。1980年東京都生まれ。2004年青山学院大学経済学部卒業。2010年慶應義塾大学経済学研究科博士課程単位取得退学。三菱経済研究所研究員、慶應義塾大学経済学部助教を経て、2013年度より現職。博士(経済学)(慶應義塾大学)。専門分野は財政学、マクロ経済学、金融論。