2015.09.14

「妊娠しやすさ」グラフはいかにして高校保健・副教材になったのか

高橋さきの 科学技術論・ジェンダー論

教育 #副教材#保健体育

鳴り物入りで登場した「医学的・科学的に正しい」教材

高等学校向けの保健体育副教材「健康な生活を送るために」(改訂版)(以下「副教材」と称する)は、はなばなしく登場した教材だった。

2015年3月に閣議決定された「少子化社会対策大綱」では、「学校教育段階において、妊娠・出産等に関する医学的・科学的に正しい知識を適切な教材に盛り込む」ことがうたわれる。「妊娠・出産に関する医学的・科学的に正しい知識」についての理解の割合が、先進諸国の割合が約64%であるのに、現状(2009年)の日本では34%しかないというのである。

そこで、「認可保育園の定員拡大」や「ひとり親家庭への支援」などと並び、「妊娠・出産に関する医学的・科学的に正しい知識」を2020年までに70%に上げることが数値目標として掲げられた。

その「医学的・科学的に正しい知識」を盛り込んだのが、今回の副教材だったわけだ。

8月21日の会見で有村少子化相から、「この啓発教材は、8月下旬以降に全国の高校1年生に配布され、適宜学校教育の中で活用される」ことも発表され、大臣の短い500字強の会見記録なかには、「医学的・科学的に正しい(妊娠・出産の)知識」というフレーズが3回も出てきていた。(内閣府HP:「有村内閣府特命担当大臣記者会見要旨」)(最終確認日:20150907)

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 (文科省HP:「健康な生活を送るために」19家族社会・20妊娠出産(p38~p41) より)

ツイッター世界のなかで(ウェブ集合知のささやかな記録として)

同日、毎日新聞から「文科省:妊娠しやすさと年齢、副教材に 高校生向けに作製」(8月21日 毎日新聞)(最終確認日:20150907)の報道があり、22歳をピークとしたグラフが映り込んだ写真も掲載された。

翌日、その記事が気にかかっていた私は、知人Aのツイートを目にした。

しかし22歳をピークに妊娠しやすさが低下するってホンマカイナ。どうも怪しげな数字の予感がするなあ。ヒマな時にソース探してみますかね。[Tweet 1]

そして、すぐ返信する。

そこですよね。やっぱり。[Tweet 2]

「記事にはグラフの写真が載っていたような気がする」と私は思い、小さな写真からかろうじて、出典らしき文字を読みとった。グーグルの検索窓に、判読できた部分を入れてみる。なんとか人口学者オコナー氏の1998年の論文(O’Connor et al. 1998)にたどりつくが、同じグラフは載っていなかった。

知人Aも、その間にずいぶん読み進めていたようだが、論文の内容全体を把握するまで、副教材の図が、オコナー氏の図3に対応するという確証は持てなかったようだ。グラフの印象が違いすぎた。

同じ1998年に何か別の文章が発表されているのではないか。私は、オコナー氏の大学のサイトに行き、論文リストを閲覧・確認する。でも、この論文でまちがいないようだ。

読むと、グラフは先行研究の紹介部分に出てきている。「えっ、孫引きじゃん」という気持ちをおさえて、副教材のグラフと、オコナー論文のグラフをスクリーンショットでとり、画面上で縮尺を揃えて重ねてみた。

するとどうだろう。副教材のグラフではピークが強調されるとともに、20代前半から値が急激に減少していた。そしてそれ以前の問題として、オコナー論文のグラフ縦軸(apparent fecundability「見かけの受胎確率」)が、副読本では、「女性の妊娠しやすさ」なるものに書き換えられていた。あぁ、曲線を都合良く書き直したうえに、縦軸の中身まで変えていたのかと驚いた。

ツイッターを媒介として、様々な分野の専門家がグラフを検証した。人口学が専門の方は基本概念を整理して説明してくださった。

「個別鵯記(2015年8月24日)」(最終確認日:20150907)なお、「個別鵯記(015年9月2日)」 (最終確認日:20150907)との併読をすすめたい]、

ウェブでは全文を読めない論文の要旨を見つけてきてくださった方、論文入手に図書館に走ってくださった方、そうした方々が、各所で独自に真剣な討議をかさねた。あっというまに、紙の新聞で独自取材も加味した記事が報じられた。

「『妊娠しやすさ』グラフに誤り…保健体育副教材」(8月25日 読売オンライン)(最終確認日:20150907)

「文科省:妊娠副教材で誤った数値掲載」(8月25日 毎日新聞)(最終確認日:20150907)

「妊娠しやすさグラフに誤り 高校副読本、正誤表を配布へ」(8月25日 朝日新聞デジタル)(最終確認日:20150907)

生理学とかではなく、社会経済文化コミコミのグラフじゃないか

そもそも、グラフの出典はどこにあるのだろうか。副教材で紹介されているオコナー論文(1998)では、James W.Wood(1989)が出典として紹介されている。オコナー氏は、論文発表当時ポスドク(大学院を終えたあたり)の年齢で、問題の論文も先生にあたるらしいウッド氏との共著論文だったようだ。

さらに正確に言えば、ウッド論文のグラフもBendel & Hua(1978)の値を再計算したものを利用している。Bendel & Hua(1978)論文もハテライトの年齢別データをSheps (1965)から、台湾のデータをJain (1969)からとっている。

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では、ウッド氏はどのような文脈でこのグラフを使用したのだろうか。グーグルの書籍検索を利用し、ウッド氏の教科書(Wood 1994)で同様のグラフを確認できた。彼の教科書には副教材に書かれた解説とはまったくの別議論が広がっていた。

問題のグラフは、16歳~24歳は半世紀以上前の台湾、25歳以上は同じく半世紀以上前の米国のハテライト(宗教上の理由から避妊・中絶を行わない)といった、出産の抑制を行わないグループのデータをもとに、一本の曲線が描かれている(注)

(注)グラフについては、横軸年齢区分やカーブの傾きがその前の論文(Bendel & Hua 1978)と微妙にずれていること等がその後判明するのだが、ここでは触れない。

たとえば、同じ20代後半のカップルであっても、17歳で結婚して子どもがすでに3人も4人もいるカップルと、結婚したのが20代後半でまだ新婚のカップルとでは性交頻度はちがうだろう(前者の方が低そうだ)。そうすれば、子どものできやすさも違うはずだ。つまり、大半が17で結婚する社会と、大半が20代後半で結婚する社会とでは、カーブが変わってくる。「妊娠しやすさ」は一律には扱えないはずだ。

さらに、妊娠・出産というのは複雑な過程であり、気づかぬうちの妊娠・流産もある。カップルの年齢差(男性の年齢)も影響する。それらを、どのように考え、整理すれば「見かけの受胎確率」から「受胎確率」が分かるのだろう。このグラフはそういう議論の過程で提示されたわけだ。

彼の論文や教科書には、そうした要因を補正した後のグラフも載っていた。

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[Wood 1989 p.89]

しかし、副教材でのグラフの解説は、こんな具合だ。

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(文科省HP:「健康な生活を送るために」19家族社会・20妊娠出産(p38~p41)より)(最終確認日:20150907)

2015年の高校生向けの副教材に、「医学」「妊娠」「精子の数」「運動性」といった言葉を散りばめて解説されていて、縦軸に「妊娠のしやすさ」と書かれていれば、そのグラフは、生理学的文脈のグラフだと考えるのが普通だろう。数値が間違っているのみならず、グラフを「だますために」利用していると言われても仕方がない。

その分野の第一人者がグラフを利用!?

では、このグラフはいつから使用されていたのだろうか。

グラフの問題性がツイッターで話題にされはじめると、今回の副教材よりはるか前から使われているということが判明するのに時間はかからなかった。(注)

(注)今回のケースでは、(「2015-08-23 「妊娠のしやすさ」をめぐるデータ・ロンダリングの過程」)(最終確認日:20150907)と英文でのまとめアーティクル(2015-09-04 Pushing a falsified chart into high-school education material)(最終確認日:20150907)を参照するのがよいと思う。論文関係の経緯が出典とともにわかりやすく整理されている。

わかりやすいように、これまで判明している当該グラフの日本での使用例をリストにしてみる(表1)。

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【1】2013.6.25「卵子の老化―続報―女性の年齢と妊孕力との関係」(吉村やすのり生命の環境研究所)の図2(最終確認日:20150907)

【2】2015.2.11 読売新聞 ライフデザインフォーラム(齊藤英和氏)(O’Connor et al. 1998)

(最終確認日:20150907)

【3】2015.3.1日本家族計画協会 (2015) 機関紙 (第732号, 2015年3月1日) 「学校教育の改善求め要望書提出:本会、日本産婦人科学会など9団体」

(最終確認日:20150907)

【4】2015.3.4(URLから推測)吉村泰典 (2015) 女性のからだと卵子の老化 (講演資料)

(最終確認日:20150907)

【5】2015.4.20 全国知事会(配付資料)(最終確認日:20150907)

左側に、高校副教材使用グラフと同一と考えられるもの(【1】【3】【4】)、右側に、O’Connorら (1998)と同一と考えられるもの(【2】【5】)およびO’Connorら (1998)のものを示す。

【1】【5】についても、縦軸の内容が変更されるかたちで訳出されており、また、22歳のところに縦線を引くかたちでの強調が行われている。なお、グラフの改変に関しては、英文まとめアーティクル(2015-09-04 Pushing a falsified chart into high-school education material)も参照されたい。

当初、私や知人たちは、少しでも生物学周辺分野に関わったことがあれば、誰でも一目でグラフが「妙」であることに気づくだろうと思っていた。そして産婦人科などの分野周辺の専門家・関係者であれば、グラフの間違いをただちに指摘するはずだと考えていた。しかし、専門家の資料にこそ、このグラフが使用されていたのである。

元日本産科婦人科学会理事長で、内閣府の結婚・子育て支援検討会の座長もつとめた吉村泰典氏は、誤りを指摘され「誰が作製したのか分からないが、産婦人科では長年広く使われてきたグラフだったので誤りに気づかなかった。確かに誤りがあり遺憾だ」とコメントした。(8月25日の毎日新聞の報道「文科省:妊娠副教材で誤った数値掲載」)

「誰が作製したのか分からない」のはおくとして、間違った値のグラフを「産婦人科では長年広く使われてきたグラフだったので誤りに気づかなかった」ということなのであれば、これは、学会の信用に関わる。ちなみに、現時点で確認されているこのグラフの使用例は、確認方法の制約もあるのかもしれないが、表にまとめた2氏による【1】~【5】のみである。

そして副教材へ

では、この「産婦人科で長年広く使われて来たグラフ」が、なぜ副教材に掲載されることになったのか。

日本家族計画協会 (2015) 機関紙 (第732号, 2015年3月1日)) によれば、

1月下旬、本会を含む学際的9団体(日本産科婦人科学会、日本産婦人科医会、日本生殖医学会、日本母性衛生学会、日本周産期・新生児医学会、日本婦人科腫瘍学会、日本女性医学学会、日本思春期学会、本会)を代表して、吉村泰典内閣官房参与から有村治子内閣府特命担当大臣に「学校における健康教育の改善に関する要望書」が手渡された。要望書は主として、中学校・高等学校における学習指導要領の改訂を求めたものだ。

と報じている。その中で「図1」として例のグラフが使われていたこともわかる。

(なお、産婦人科学会ならびに内閣府の方では、「1月下旬」でなく、2015年3月2日に、有村治子内閣府特命担当大臣(少子化対策)に「学校教育における健康教育の改善に関する要望書」(最終確認日:20150907)が提出されたとしている。)

同要望書に謳われたのは、「青少年教育の基礎となる中学校、高等学校の教科書に記述されるよう、学習指導要領において、必要かつ最新の正しい内容を掲載していただきたい。あわせて、副教材にも同様の内容を盛り込んでいただきたい」というもので、「医学関係者による最新の知識を要する場合は、責任を持って協力する旨も表明」したとされる。

その末尾は、「教科書の編纂に関しましても、教育関係者のみならず、内容によっては医学関係者の最新の知識を必要とする領域もあります。よって、本要望書提出連名団体の協力が必要な場合は責任をもって対応させていただく所存です」と締めくくられている(太字筆者)。当日の様子は、吉村氏のブログに詳しい。)

つまり、経緯を簡単にまとめると、産婦人科学会をはじめとする9団体が、「学校教育における健康教育」を改善せよという要望書を有村大臣に提出し、「教科書の編纂を行う際などに関して、医学関係者による最新の知識を要する場合は、責任を持って協力する旨」を申し出て、その結果、副教材の増頁が決まり、今回の教材ができたということになる。

こうした経緯は、「有村内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成27年9月1日」において、グラフの「改変」をめぐって、

有識者から御提供いただいたグラフ、これは女性の妊娠のしやすさの年齢による変化のグラフですけれども、それを別のセカンドオピニオンといいますか、別の有識者にも御覧になっていただいた上で掲載してきたわけですけれども、残念ながらお二方ともクリアランスをしてしまって、そのまま載せたということでございました。

という事情が語られているのと対応する。

「学校教育段階において、妊娠・出産等に関する医学的・科学的に正しい知識を適切な教材に盛り込む」をうたう少子化社会対策要綱が存在することは本稿冒頭で指摘した。つまり、今回のグラフは、その過程で一貫して「最新の知識」かつ「医学的・科学的に正しい知識」として使用されてきたことになる。

1960年代前半までに集められたデータについて1978年に描かれたグラフを1989年の文献から不適切に選択し、出典として1998年の文献(グラフはその先行文献紹介のセクションにのっている)のみをあげるのは引用のルールとして不適切だ。

さらに、そのデータに改変を行ったうえで高校生の副教材に載せるというのが、「最新の知識」の責任ある提供なのだろうか。

事態の発覚後相当期間がたつというのに、これら9団体の関係者からの説明は一切ない。「要望書」に記された「責任」とはいったい何だったのだろう。(注)

(注)9月7日付けで、「日本生殖医学会理事長苛原稔」名義で、同学会「理事長コメント」として、「文部科学省高校生用啓発教材「健康な生活を送るために」の中の 「20.健やかな妊娠・出産のために」に関する意見」という文章が公表されてはいる。しかし、書かれている内容は、「正誤表」が出される前の当初の状態を正当とするものであり、「正誤表」が出されるに至った事態については、そもそも触れられてさえおらず、今回の経緯に関しての説明といえるようなものではない。http://www.jsrm.or.jp/announce/089.pdf

ここから、見えるのは、(科学に関わる内容についての)「有識者」という場所が、仮に適格性に欠ける人々によって占有された場合には、いかなる非科学的内容が政策等の検討段階に前提として提出されようとも、それこそ今回のように高校生全員配布の副教材のような過程に関してであっても、チェック機構は働かないという構図である。

これは、「有識者」の位置が利害関係者によって占められた場合には、政策誘導がたやすく行われるということでもある。今回は、この事例ではないだろうか。

担当大臣の現状認識

さらに、9月4日の閣議後の記者会見の内容として、「訂正したグラフの内容について「専門家にも見てもらっており適切だ」「調べたい方は出典を明記した」と高校生ら読者が自ら調べられることを強調した」という内容も伝えられている。この会見内容については、下記記事で報じられた。

「保健副教材:「妊娠しやすさ」訂正後のグラフにも問題」(9月4日 毎日新聞)(最終確認日:20150907)

疑問をもたなかった高校生はグラフの内容をうのみにしたままでよく、疑問を持った高校生は自分で調べよということらしい。

今回のグラフに関しては、本来、Wood (1989)、Bendel & Hua (1978)、Sheps (1965)、Jain (1969)の4つが挙げられていてしかるべきであったことを確認しておきたい。とりわけ、正誤表という段階になっても、Bendel & Hua (1978)が抜けたままというのは理解しがたい。かなり調べない限り、グラフをめぐる事情はわからない。

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「高校1年生用啓発教材「健康な生活を送るために」(平成27年度版)の訂正」正誤表の出典部分(最終確認日:20150907)

なお、正誤表でも、訂正されたのは曲線のカーブのみで、肝心の縦軸の内容はそのままである。

不思議な全国知事会

ところで、有村大臣の記者会見の現状認識は、極めて不思議なものだといわざるをえない。

というのも、大臣みずから、この4月に開かれた全国知事会との意見交換(「有村女性活躍担当大臣、内閣府特命担当大臣(男女共同参画、少子化対策)と全国知事会との意見交換」)という会合で、「女性の妊孕力の年齢による変化」について、問題のグラフを用いて説明を行った様子が見られるからだ。

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http://www.nga.gr.jp/data/activity/committee_pt/project/ikusei/h27/15042001.html(最終確認日:20150907)

全国知事会のウェブページには、配布資料が詳しく公表されている。

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平成27年4月20日「全国知事会配布資料」より(最終確認日:20150907)

この資料では、「誤った数字」ではないO’Connorら(1998)にそっくりな曲線のグラフが使用されている(出典非表示)。

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平成27年4月20日「全国知事会配布資料」より

全国知事会「正しい数値」のグラフを使用して、高校生の副教材には「誤った数値」のグラフが掲載されるという状況は、どう頭を捻っても理解できない。

問題は「図1」だけではない?

今回の高校副読本に関しては、他にも不可解なことがある。9団体の提出した「要望書」では、副教材に「妊娠・出産の適齢期やそれを踏まえたライフプラン設計」などを「盛り込」むことが要望されたわけだが、その際の「参考資料」の目玉として今回のグラフとともに使用された「図2 妊娠・出産に関する知識(国・男女別)」の方も、大変不思議な利用のされ方をしている。

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「要望書」提出を伝える家族計画協会機関誌(第732号)の誌面(最終確認日:20150907)

実は、このグラフは、冒頭で触れた「少子化社会対策大綱」に至る検討過程でも使用され、「日本は他の先進国に比べ、妊娠に関する知識の習得度は低い」なる状況認識のもとでの数値目標設定にあたって根拠として使用されたグラフである。(注)

(注)なお、このグラフは、さらにさかのぼると、いわゆる「女性手帳(この段階では.『生命(いのち)と女性の手帳(愛称別途検討)』)が検討された過程でも使用されていた。(「少子化危機突破タスクフォース 妊娠・出産検討サブチーム報告」

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「新たな少子化社会対策大綱策定のための検討会(第3回)」(2014年12月12日)で、配付資料として、委員である国立生育医療研究センター周産期・母性医療診療センターの齊藤英和氏によって提出された「妊娠適齢期を意識したライフプランニング」冒頭の図版

この図をもとに「日本は妊娠にかかわる知識がかなり低い国であることがわかりました」とプレゼンテーションが行われた。(「新たな少子化社会対策大綱策定のための検討会」(第3回)議事録

筆者が瞬時に「妙」と感じた点をとりあえず、2点あげてみる。

(1)なぜ調査対象国のほとんどで「妊孕性の知識」が女性の方が有意に高いのに、日本は男性の方が高いのか。そういう国は、「先進諸国」のグループには他にはなく、それ以外のグループでもブラジルとトルコだけである。

(2)そもそも、なぜ「先進諸国」で日本だけが「妊孕性の知識」が少ないのか。通常であれば、これらの点を解決することなく、こんな怪しいグラフを典拠にして何かを検討することなどありえないはずだ。

もとの論文(Laura Bunting et al. Hum. Reprod. 2013:28:385-397) を読んでみたが、論文本文中で、日本の群を抜いた低さに言及がなされている気配はないようだった。日本のみがこれだけ低いというのに、目立ったかたちでの言及がない以上、それなりの理由があるはずなので、論文と一緒に公開されている調査対象者についての表(Supplement)を開いてみた。

それを読み、疑問に思った点を下記にまとめてみる。私は、社会調査の専門家というわけではないので、検証は、専門の方々にお任せしたい。ただし、理系の学生実験のレポートであってさえ、異なる集団について得られた数値をそのまま比較したりすれば、むろんただちに「不可」である。

(1)先進諸国中で日本の調査方法だけが異なる。他の先進諸国では、Facebookなどを利用したオンライン調査を行ったのに対し、日本に関しては市場調査会社を使って調査を行っている。つまり、他の先進諸国での調査では、(オンラインで調査に協力するような)そもそも妊娠や不妊といった問題に関心のある人々が調査に回答したという偏りがあった。対して日本では、そのような偏りが相対的に発生しにくい調査方法を採っていたと思われる。

つまり、日本と他の先進諸国の知識に関するデータは、比較可能とはいえないのではないか。そのことは、下記(2)~(4)に示されるような、日本と、その他の先進諸国での、回答者の特性の著しい違いにも現れているのではないか。

(2)調査対象者中の医師受診歴のある人の割合が、日本のみ先進諸国中で群を抜いて低い(先進諸国平均73.9%、日本29.9%)

(3)調査対象者中、子どものいる人の割合が、日本のみ先進諸国中で群を抜いて高い(先進諸国平均28.1%、日本49.5%)。

(4)調査対象者中の女性の率が、日本のみ先進諸国中で群を抜いて低い(先進諸国平均87.6%、日本58.2%)。(1)の事情のもと、調査主体の男女半々にデータを集めたいという願望が期せずしてある程度反映されたのが日本だったようだ。なお、同調査では、女性の方が、知識が多いと指摘されている。(注)

(注)“Fertility knowledge and beliefs about fertility treatment: findings from the International Fertility Decision-making Study”Laura Bunting et al. Hum. Reprod. 2013:28:385-397 (最終確認日:20150907)

仮に、この疑念が極端にまちがっていなかったとすれば、「要望書」の資料に掲載したことが公開されている図1のみならず、図2までもが不適切だったということになる。検討段階でこの図が持ち出され、数値目標までがこのグラフに準拠して立てられた「少子化社会対策大綱」についても、どう考えればよいのだろう。

専門家、有識者、学協会などが、科学的に非妥当な資料を政策決定の場に提出し、科学的に非妥当な前提のもとでの議論を誘導したり、教科書・副教材に科学的に非妥当な内容を載せたりしてよいのだろうか。

これは、くらくらするほど大きな問題だと思う。執筆者の手に負えるような問題では到底ない。本稿では、グラフ自体についての初歩的な指摘にとどめたい。

今回、副教材における「妊娠のしやすさ・不妊」関連知識とでもいうものの新規重点記載が実施されたのは、「妊娠・出産に関する医学的・科学的に正しい知識について理解の割合が他の先進諸国に比べて極端に低い状態を是正する」ことを目的としてのことであった。

仮にその前提が崩れるのであれば、今回のいわゆる「妊活」の重点的増頁や、教材全体を通しての女性の妊娠にフォーカスした内容の改変を行う必要はなかったことになる。また、仮にページを増やすにしても、従来からの地道な現場の実践を反映するかたちで、高校生にとって最も切実な内容を、多様なライフスタイルを念頭におきつつ丁寧に説明すればよかったということになる。

その場合、内容はまったく異なるものになったはずだ。もちろん、不適切なグラフが挿入されることも、その挿入が「間違った数値」になることもなかっただろう。

もう一度、なぜ不適切なグラフなのか

ちなみに、こうした明らかな間違ったグラフであっても、問題と思わない人もいるようだ。その典型が、「子どものできやすさはある年齢まであがり、その後下降するのだから、そんなに目くじらをたてなくても……」という系統のものだろう。

しかし、当然ながら、誤った情報を高校生の副教材にのせてはいけない。今回のグラフにおいて、私が問題だと感じた4点を最後にまとめたい。

1)引用の問題

高校生向け副教材であれば、掲載データの集め方の倫理性など、通常の研究よりはるかに厳しく検討されるべき。なのに、あまりに無造作な孫引きである。Wood(1989)のグラフもBendel & Hua(1978)の値を再計算したものなのであるし、Bendel & Hua(1978)のデータも、1960年代に発表されたそれぞれ違った論文から利用したものであった。孫引きどころか、ひ孫引き、夜叉孫引きである。

2)改変されたデータを使う問題

「高校生にわかりやすく説明するための簡略化」というには、あまりにも数値が違いすぎる。副教材グラフにみられる22歳でのくっきりしたピークは、今回の「改変」によるものだし、それ以降の数値の急激な下降部分についても言を俟たない。(なお、グラフの「改変」経緯については、田中重人氏の「日本産科婦人科学会等9団体による改竄グラフ使用問題」が参考になる。)(最終確認日:20150908)

3)生理学・生物学的な何かに見せるかたちで女子のみのグラフを載せる問題

老化現象は性別に関わらずやってくる。生殖関連に関しても同様だ。それが生物学の標準見解であることもいうまでもない。男子についての数値データも出てきている2015年の今になって、なぜ女子のみにグラフを用いて20代前半からの老化を強調するのだろう。

そして、これだけグラフの「改変」を施してまで女性の「妊娠のしやすさ」なるもののピークが22歳であると強調しておきながら、高校1年生(15歳の生徒も含む)に配布されるこの教材では、グラフの左側に対応する十代での妊娠に伴う母子のリスクについて一切触れていないのである。

4)そして、「22歳がピーク」と高校生を脅すという根本の問題

全員配布の高校用副教材である。高校生にとって22歳なんてすぐそこだ。大学を卒業するのは早くて22歳、ただでさえ新卒でなければ就職が難しい社会において「22歳が出産できるピークです」と(しかも、間違ったデータで)脅されても、高校生にすればたまったものではないだろう。進路選択を大幅に狭める内容だというほかはない。

また、高校生が、「文部科学省発行の副教材に掲載された内容」を読んだ親や教員などから進路選択のアドバイスを受けることも忘れてはならない。

(注)「疑問を持った高校生は正誤表を手掛かりに自分で調べよ」という現況にかんがみ、前半はなるべく平易な表現を心がけた。通常の論文とかなり文体が異なることをご海容いただければと思う。

[Tweet 1] https://twitter.com/segawashin/status/634875963990507520(ツイートに関しての最終確認日:20150907)

[Tweet 2] https://twitter.com/sakinotk/status/634876126305775616(ツイートに関しての最終確認日:20150907)

プロフィール

高橋さきの科学技術論・ジェンダー論

1957年生まれ。科学技術論、生物学史、ジェンダー論、翻訳者。東京大学大学院農学系研究科(森林植物学)修士課程修了。現職は、お茶の水女子大学非常勤講師。「生き物」と「からだ」と「社会」と「技術」のはざまで仕事をしてきた。直近の文章としては、「<生きもの>だと宣言すること―今日的サイボーグ況をめぐって」(『現代思想』42巻04号 青土社、2014)。訳書に『猿と女とサイボーグ』、『犬と人が出会うとき 異種協働のポリティクス』(ダナ・ハラウェイ著、青土社)、『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか』講談社、他。

 

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